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2017年12月12日 (火)

オッサンに言うな、行動せよ!

日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと  < 勝手に「終わり」とか言ってんじゃねえ >  (2017.12.02)

この記事のライターは26歳の藤田祥平氏だ。

藤田祥平氏は、

だから、私はあなたに言いたい。頼むから、私たち若者をあなたの愚痴に付き合わせる案山子としてではなく、経済的な鉄砲玉として使ってくれ。

あなたは若いころ、米に対してそうしてきたではないか。

あなたが生き延びて帰り、この社会をここまで豊かにしたのは、上官の命令を忠実に守ったからではなく、自分の頭で考え、行動したからではないか。だからあなたは、私たちを、これほどまでに優れた次の世代を、育て上げることができたのではないか。

私たちにも、おなじようにやらせてくれ。そして私たちに子供を作らせてくれ。

20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。

――その流れがすでに起こっていることを、知らないわけがなかろうが!

とおっしゃる。正しいと思う。 気概や良しである。

【オヤジの感想】

 いま意思決定権を持っているのは、ポスト団塊、新人類世代だ。この世代は、団塊の世代にオイシイところを全て持って行かれたので、団塊の世代ほど一生懸命さはない。 なんとなく大人になって何となく仕事をして、バブルがはじけたときに何もできなかった世代だ。

 

 ポスト団塊、新人類世代は団塊の世代に言いたいことはあった。 しかし、何も言わず、何も行動していないのは事実だ。

 藤田祥平氏のメッセージは、意思決定権を持っているオヤジに向けてではなく、同世代の若者に対して発信すべきだと思う。 問題と解決策を思いついたなら、行動するための具体的方法を考えようと呼びかけた方が良い。

 若い人たちが思っているようにオヤジたちは思考停止している。思考停止したオヤジに何か要求しても時間の無駄だろう。オヤジたちは逃げ切りを狙っているのだから。

 オヤジたちは10年前も10年先も同じだと考えている。事実そうだったのだ。
大きな変化が目前に迫っていることは感じている。それでも10年先は今と同じだと思おうとしている。 自分たちが築いてきた、変化できない意思決定機構に縛られているのだ。

 オヤジたちが思考停止していると書いたが、実は若者も思考停止しているのではないだろうか。 藤田祥平氏は、外から客観的に見ることができたから、日本が置かれた立場を痛感し、書かずにはいられなくなったのだろう。

しかし、多くの若者が

20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。

――その流れがすでに起こっていることを、知らないわけがなかろうが!

と考えているのだろうか。

 未だ公務員や銀行員、大企業を希望する若者は多い。
体制が悪い、制度が悪い、上司が悪いという若者は多いが、自ら行動する者は極めて少ない。良いと思わない体制の中でいかに上手く立ち回ろうかと考えているように見える。

 若者たちに言いたい。オヤジを当てにするな。オヤジに許可をもらおうと思うな。次の時代は自分たちが創ると宣言せよ。 そして行動せよ。

 前世代を否定しなければ新しい事態を創ることはできない。
既にリタイヤした団塊の世代は共感してくれるはずだ。 



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2017年12月10日 (日)

おっけー ぐーぐる

ビッグカメラでGoogle homeが半額だというので google home miniを買ってきた。
通常6,000円のところ3,000円だから、どんなものか試しに買ってみるのもいいだろう。バラすのもためらいが無い。

Googlehome

中身はこれだけ。
Googlehome1

本体とACアダプタと冊子。
ACアダプタを接続すると、スマホにgoogle homeアプリをダウンロードして設定するように音声でガイドがある。google homeアプリはiOS用もある。

 インストールと初期設定は特に難しいところはない。

「おっけー ぐーぐる」を検出して準備できると、上面のLEDが点灯して質問を受け付ける準備ができたことが分かる。

Googlehome2

「すみません。お役に立てそうにありません」と答えることも多い。これから普及すると賢くなるのだろう。自分のgoogle homeだけ賢くするのは難しいのかな。

「おっけー ぐーぐる。 しり のことどう思う」と聞くと
「ユーモアのセンスがありますよね」だって。 他にも違う答えがあるみたい。

 履歴は google マイアクティビティで確認できる。 デバイス側には残らないのだろうな。 

 分解しようかと思ったら既に分解している人がいるようだ。
CPUはMarvellのWifi-SoCでChromecast2と同じらしい。Chromecast2もChromecast Audioもgoogle homeも構成は同じだから、値段も同じくらいということかな?


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2017年12月 8日 (金)

リーダーを育てる

 今日ヨッパラって帰りながら考えたことは、リーダーが必要だということ。

 組織を代表するリーダーは当然として、現場のリーダー、ミドルマネジメントのリーダー、技術屋集団のリーダーなどそれぞれのテリトリーにリーダーが必要。

 ところが、リーダーは手を上げればなれるものではない。 ましてや、役職に就いたからリーダーになれるものではない。

 リーダーは「なる」ものではなく「認められる」ものだから、メンバーに「ぼくらのリーダー」として認められなければならない。

 リーダーは必ずしもカリスマ性を持っている必要はない。カリスマ性がなくてもメンバーに認められればリーダーになれる。というか、認められた時点でリーダーだ。

 では、どうやってリーダーを育てるのか? リーダーを育てる風土が無いから正直分からない。 見込みがある奴を世話焼き(育成係)がメンバーのところに連れて回るくらいしか思いつかない。

 自分が知っているリーダーは自らメンバーのところに足を運んでいた。仕事でも、飲み会でも、プライベートでも。だからメンバーから「ぼくらのリーダー」として認められていたのだろう。

 誰でも覚悟を決めたらリーダーになれる。しかし、役職に就いたからリーダーになれるものではない。

(よ)


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2017年12月 6日 (水)

誰がアパレルを殺すのか <業種は関係ない>

誰がアパレルを殺すのか 杉原 淳一、染原 睦美 日経BP社

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 業界の衰退からネットを使った新しいビジネスまでビジネス本に書いてあること集めたような本。ノンフィクションだから笑えない。

 百貨店の社長のインタビューを読むとアパレル企業に対して上から目線を感じる。
婦人服は売れないとか、アパレルは顧客に選ばれていないとか。
百貨店には縁が無いから良く分からないのだが、百貨店は顧客に選ばれているの?と思ってしまう。

 昔の成功にとらわれて、イノベーションを起こしたプレーヤーに市場を奪われるのは、アパレル業界だけではない。
業界の構造に問題があって将来危ないことは分かっていたはずだが、目先の儲け、目先の仕事があると手遅れになるまで、問題を見ようとしなくなり、手遅れになる。

 というのがよく分かるのは他の業界だからだろう。服は着られればいいという人間だから、アパレル業界には興味もなく知識もない。知識が無いぶん本質的な問題に目がいってしまうのだろう。 反対に自分の職場を客観的に見ることは難しい。

 ZOZOTOWNのようにITを利用した企業が現れ、リアル店舗で服を買わなくなった。
そこで、アパレルも遅ればせながらITを利用しようという流れになっているらしい。

今のビジネスをそのままIT化してもダメです。現存する仕組みに合わせて設計しても、負担の大きい複雑なシステムが出来上がるだけでしょう。ゼロから立ち上げなければいけません。

と、ウイメンズ・エンパワメント・ファッション会長の尾原蓉子氏は仰る。

 指摘のとおり、ビジネスモデルを変えないで単にIT化するだけでは改善されないだろう。問題はシステムにあるのではなくビジネスモデルにあるのだから。

 アパレル業界は過去にユニクロ等のSPAを安易にまねて製造を中国にシフトした。シフトした当時は安かった中国の人件費が高騰したことがアパレル不振の要因になっているらしい。 大量生産して百貨店で売るという従来のビジネスモデルをかえないで、単に生産価格を下げるために、生産拠点を中国に移しただけだったからだ。 ユニクロ等のSPAのように川上から川下までサプライチェーン全てをコントロールすることがミソだがマネることができなかったわけだ。

 普遍的な問題は

  • 問題を先送りして問題が深刻化する。
  • 失敗から学ぶことができない。
  • 最大の脅威はAmazon

で、どこの業界でも問題は同じだろう。

この先生き残るためには

  • 変わり続ける
  • Amazonが進出できない領域を持つ
  • AIができない「発想」をコアに持つ

ことだろうか。

 ウチの場合は「変わり続ける」が特に難しい。安定を目指して職を選んだ人が多いから。


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2017年12月 4日 (月)

軽くなろう

 官僚組織の中に新しい組織を作るのは大変だ。

 組織には目的がある。建前では、組織は合目的であるはずだから目的が達成されたり、目的の優先順位が低くなれば、その組織の存続を含めて見直さなければならない。建前では。

 ところが、新しく組織を作るのは大変だから、いつしか組織を守ることが目的になってしまう。

 時代や周りの環境に合わせて組織を変えるのは、言うは易く行うは難しだ。よく考えて自分のいる組織は不要という結論にたどり着いたら葛藤を抱えてしまう。

 組織が突然死しないようにするには、環境に左右されないように組織を重くすれば良い。
重い組織では、昨日やっていたことを今日もやる。1年前にやっていたことを今日もやる。そして、人も重くなる。痩せた人でも重くなる。

 彼らは、明日も1年先も同じことをやろうと思っているのだろう。

 重い組織、重い人はタイムリーに価値を提供できない。安定して価値を提供できなければならない場合もあるから、重い組織、重い人が求められることもあるから、自分が何を求められているかが重要だ。

 タイムリーに価値を提供するには、組織が軽くなければならない。当然人も軽くなければならない。

 若い頃は、思慮分別くそくらえの軽い人間だったのに、気がつけば分別臭い人間になっている。それを年の功と言う人もいるけれど、単に重い人間になっているだけなのだろうか。

 先人が重くしたものを軽くするのは大変だ。まず、自分が軽くなることか。


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2017年12月 2日 (土)

ハイコンテキストすぎる

「人の気持ちを考えている、大切にしている」という人がそうでもなかったりするんだなあ 2017-11-28 
~柴田朋子 キャリアデザインでHAPPYになろう~

 しまった!釣られてしまった。
と思ったらそうではないらしいがブログのネタにしておこう。

FBでの問いかけ

 柴田朋子氏がFBで問いかけたのは、『みんなは本当に「人間関係を大切にしている」の?』だけど、FBのコメントの多くは、「人が好きかどうか?」だ。

 おそらく、FBにコメントした人には、「人間関係を大切にする」=「人が好き」という前提があるのだろう。一方、柴田朋子氏には、「人間関係を大切にする」=「分かり合う」という前提があるような気がする。

 柴田朋子氏とFBにコメントした人は

 「人間関係を大切にする」=「分かり合う」⇒共通の認識「人が好き」

という前提を共有しているのだろう。 共通の認識は例えば、柴田朋子氏のセミナーを受講しているとか、誰でも持っている「常識」とか。

 なぜ引っかかるかというと、σ^^)が行間や話の裏や空気が読めない人間だから、話が分からないのではないか?と考えたから。

 柴田朋子氏のセミナーを受講したことで共通の認識を得たのならば、受講していない者には分からないだろうから、「空気読めない人間」も一安心。

 共通の認識が「常識」を基にしたものだったら、「空気読めない人間」にとって「常識」はハードルが高すぎる。

柴田朋子氏の真意

 柴田朋子氏のブログは

人の気持ちを考えているかどうか、人を大切にしているかどうか

  が

人のことが分かるかどうか、自分のことが分かるかどうか

になってる。

 FBのコメントは、このことに触れる人もなく、皆さん、FBの問いかけに答えているようだ。 

 本質的でない所に引っかかるのが悪い癖だということはわかってはいるのだが...
柴田朋子氏は

キャリア研修で出会うみなさんがよくおっしゃる
「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」にしっくりこない。

だってそんなこと言ってるそばから、グループの対話に対しての皆さんの関わり方が
「めちゃ表面的」だもん。それでわかるのか?って思ってしまうくらいに(笑)

とおっしゃる。

 言葉の裏の真意を理解することが苦手だから、セミナー参加者が言う「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」は、言葉どおりに受け取ってしまう。

 人間関係は大事だからいきなり相手との間合いを詰めないで流して、いい塩梅の間合いを取れる人は羨ましいと思ってしまう。

 ところが、柴田朋子氏は、セミナー参加者が言う「私は人間関係が大事で、周りの人を大切にしたいんです」の真意は「周りの人と分かり合いたい」だから、間合いを詰めないと分かり合えないだろうと考えているのかな。

  セミナーを受講すれば、なぜ、「人間関係が大事、周りの人を大切にしたい」が「周りの人と分かり合いたい」になるのか分かるのだろうか。

FBでコメントした人の前提

 FBでコメントした人は、 柴田朋子氏のFB]での問いかけ、『みんなは本当に「人間関係を大切にしている」の?』に反応したのだろうか? 「人が好きか自分が好きか」のようなコメントが多い。

 自分も好き人も好きと言う人はいないのだろうか? どちらかを好きになったらもう片方は嫌いになるのだろうか? 

 そもそも、人間関係って、人が好きか自分が好きか、という見方しかないのだろうか?

 それって常識ってやつなのだろうか?

 柴田朋子氏のブログもFBのコメントもハイコンテキストすぎて難しい。よく分からないなぁ。


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2017年11月30日 (木)

10年後、君に仕事はあるのか?

10年後、君に仕事はあるのか? <未来を生きるための「雇われる力」> 藤原和博 ダイヤモンド社

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 高校生と高校生を持つ親向けに書いてあるので非常に分かりやすい。

 大半の大人は自分を取り巻く環境が今のまま続いて欲しいと思っているのではないだろうか。慣れというものは恐ろしいもので、子供などにに進路などの将来のことを相談されたときに、自分の過去の経験や、現在の環境を前提に答えてしまう。

 子供が知りたいのは10年、20年先の話だから、現状を前提に答えられない。ましてや、親の経験は20~30年も昔の経験だから、30年も昔の経験で20年も先の未来を考えられない。 答えられるのは、人間って何?のような極めて抽象的な問題くらいだろう。

 職場でも同じだ。40、50歳台のマネジャと話すことがある。若い人の将来に不安があるらしい。彼らは、若い人達が専門性を高めると将来別の仕事に移ったときに困るのではないかと考えているらしい。

 よく聞いてみると、彼らは未来が現在からどれだけ変わっているのか考えていないように見える。 「その部署は将来も有るの?」と尋ねると、キョトンとしている。将来その部署が存続し続けているのか無くなっているのか答えてくれたマネージャはいない。おそらく彼らは現在の環境が未来永劫続くと考えているのだろう。

 50歳台の人は10年後、定年退職した後自分がどれくらい評価されるか考えなくてはならないから心穏やかではない。しかし、今現在の評価が退職後も続いていると考えると心穏やかでいられる。でも、それは思考停止だ。

 そして、思考が停止した状態で他人にアドバイスするのは無責に過ぎる。

 将来の見通しや展望を語るのは難しいけれど、年の功で将来を考えるのが年寄りの役目ではないだろうか。

 藤原和博氏は、生きるために必要な力は、情報処理力、情報編集力、基礎人間力だとおっしゃる。 そして、これまでの日本の教育は情報処理力:情報編集力の比率が9:1だったものが、今後7:3になるだろうとおっしゃる。

 技術者にとって情報処理力は重要なことは今後も変わらない。 今後重要性が増すであろう情報編集力に揚げてある、

  1. コミュニケーション・リテラシー(異なる考えを持つ他者と交流しながら自分を成長させること)
  2. ロジカルシンキング・リテラシー(常識や前例を疑いながら柔らかく「複眼思考」すること)
  3. シミュレーション・リテラシー(アタマのなかでモデルを描き、試行錯誤しながら類推すること)
  4. ロールプレイ・リテラシー(他者の立場になり、その考えや思いを想像すること)
  5. プレゼンテーション・リテラシー(相手とアイディアを共有するために表現すること。

はいずれもマネジメントに必要な能力だ。技術者がマネジメントできない原因の一つはこれらの能力が足りないのかもしれない。

 技術力が高い者はコミュニケーション能力が低いと言われる。

 もともと情報処理力(数学、理科)に適性があった者が技術者になって、さらに情報処理力を磨く。仕事柄若いうちは情報処理力を高めなければ技術者として食っていけないという事情もある。 情報処理力と情報編集力とのバランスが悪いことに気がつかない。

 このように考えると、技術者だからコミュニケーション能力が低いのではなく、教えられてないからコミュニケーション能力が低い者が多いのではないだろうか。

 学校では、コミュニケーション能力は偏差値に影響しないから積極的に教えない。
技術者ばかりの職場に入ると先輩・上司は教えてくれない。いや、教えられないのだ。教えてもらった経験がなければ人に教えることはとても難しい。

 マネジメントをやるようになると、情報編集力が足りないことが問題になる。当然マネジメントに支障をきたす。問題に気付かないで乗り切ろうとする強者もいる...

 ここで情報編集力を獲得したり、高めるトレーニングをすれば良いのだが、古い組織は官僚制で対応しようとする。上意下達というやつだ。 上意下達でも日本人は一から十まで命令しないから行間を読むことは必要だ。ところが行間を読む能力はとても高度なコミュニケーション能力だ。 かくして、技術者上がりの使えない管理者が増殖することになる。

 同世代のマネージャと話すことが多い。彼らと「人材育成」の話をすると、10人中9人は情報処理力の向上の話をする。人材育成には情報編集力の向上も必要では?と問うと、明らかに困惑している。彼らも同じように情報編集力を教えてもらっていないのだ。実は、人材育成担当も同じような傾向がある。おそらく組織的な問題だろう。

 学校教育で情報編集力の割合を増やしてくれるのは大歓迎だ。
今のところOJTで情報編集力の向上は見込めないから、研修で情報編集力向上のトレーニングをやらなければならない。

 まず、人材育成担当に働きかけてみよう。


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2017年11月28日 (火)

教える能力 <自助努力に頼りすぎ>

 教える能力について考えてみた。
研修の講師をやることがあるが、職業教師や職業講師ではないし研修部門に勤務しているわけでもない。残念ながら教える能力を教えてもらったことはない。(言い過ぎました。今年1回講義を受けました。 ^^;;)

 なにかを伝えようとするときに相手に伝わる量は

 伝わる量=教える能力×学ぶ能力

 教える能力=形式知×教える技術

だと思う

 専門的な内容や講義マニュアルができていない内容などの講義は知識や技術、経験を持っている人に講師を依頼することがよくある。

 外部講師を依頼する場合に注意しなければならないことは、「教える技術」が高いとは限らないことだ。 講義をこなしている人は教え方が上手な人が多い。しかし、専門分野の高い知識、技術を持っていることと「教える技術」を持っていることとは別物だ。

 講師の「教える技術」が低い場合には、受講者の「学ぶ能力」が高くなければ、効果のない講義になってしまう。OJTのように1:1のマンツーマンではなく、1:Nの講義形式では、講師の「教える能力」が向上すると研修の効率が上がる。当然、「教える能力」が低ければ研修の効率は下がる。

経験では
 手っ取り早く「教える能力」を上げるには形式知を増やせばよい。形式知は、本来の仕事の能力も上げることができるので一石二鳥だ。

 ところが、職業教師や職業講師でない者が「教える技術」を習得することは困難だ。

 理由は3つ、

  1. 講師は本来業務ではない
     講師は本来業務ではないと思っているので「教える技術」が低いのは仕方がないと思っている。だから、教えられる側(受講者)が努力すべきと思っている。無理もない、本来業務でもなくロハで講師を引き受けた上に上手に教えることを要求されるくらいならお断りしたい。これが本音だ。
     
  2. 「教える技術」が無くても本来業務は困らない
     「教える技術」が無くても本来業務は困らないことが多い。特に良いマネジャがいる場合には「教える技術」を持たなくても成果は挙げられる。 さらに、教えることは本業ではないと開き直ることができる。
     
  3. 教える側の優位性
     教える側、教えられる側という立場的な関係もある。社会通念上教える側が上位だから下位の教えられる側が努力すべきと考えてしまう。
     知識や情報を伝える作業と考えれば上位も下位もない。双方が能力を向上するべきなのだが。

 長い間講師をやっているが、正直に言うと、最近までこのように考えていた。
教え方が悪いと言われたときに、自分の教える能力を向上させる努力をしないための言い訳だ。

 マネジメントを始めたころから徐々に意識が変わったと思う。
変わったのは、

  • 「教えることは本業ではない」と言えなくなったこと、
  • 講義の成果を考えるようになったこと
  • 「教える技術」が低いことが受講者の貴重な時間を奪うことになると考え始めたこと、
  • 講義は目的でなく手段と考えるようになったこと、
  • 等等

マネジメント的には
 職業教師、職業講師、研修担当でない人の「教える能力」を向上させるのはかなり難しいと思う。

 まず、本人が「教える能力」が低いことを認識しなくてはならない。
人は言い訳を考えるのが常だから、能力が低いことを指摘されたら素直に直す者ばかりではない。

 マネジャは「教える能力」が低いという事実を伝えれば良いわけでもない。
注意、助言を与えれば良いというものではなく、マニュアルを与えたり、リハーサルを行う、手本を見せるなどの訓練が必要だ。

 つまり、『「教える技術」を教える能力』を持った人が必要だということだ。 しかし、アドバイスだけであとは自助努力に頼る管理者は多い。ハッキリ言ってマネジメントの手抜きだ。

コミュニケーション能力
 人に何を教えることはかなり高度なコミュニケーション能力が必要だと思う。
自分のコミュニケーションが低いからそう感じるのかもしれないのだが、受講者に伝わったかどうかの反応を見ながら講義するのは、口で言うほど簡単ではないと思う。

 日本人の反応は薄いし、分からなくても「分かりません」と言う人は極めて少ないから、表情や仕草を読み解かなければならない。コミュニケーション能力が低い者にはハードルが高い。

 さすがに、受講者が寝ると良くわかるが、そうなっては手遅れだ。

講師を命じる立場にある人
 コミュニケーション能力が低い人を講師にする場合には、特に注意しなければならない。
教育効果が上がらないだけではない、受講者の貴重な時間を奪っている。

 「ありあわせの資料でテキトーにやっといて」と言われると、「オメーがやれ!!」と思ってしまう。

 講師を命じる立場にある者は、コミュニケーション能力の低い人が何に困っているのか分からないなら、彼らを講師にしてはいけない。

 講義が上手くできなかった講師にも、受講者にも罪悪感があるが、講師を命じた者に罪悪感は無い。これが一番の問題だ。


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2017年11月26日 (日)

価格破壊 <神の見えざる手の仕業>

 まず、この主婦が描いたイラストのクオリティが仕事に使えるレベルだと仮定する。おそらくプロのイラストレータが危機感を感じているところを見るとプロレベルなのだろう。

 適正価格ではないとか、正規業界の価格破壊とか、プロのイラストレータに限らず受け入れられない人は多いようだ。でも、思考停止しているのではないだろうか。

 価格破壊ではなくデジタル革命と捉えるべきではないだろうか。

 アダム・スミス先生によると価格は「神の見えざる手」が働いて、需要と供給がバランスしてイイ感じに決まるらしい。

 3万円が適正価格という人たちは、一昔前にバランスした価格から離れられないのだろう。
 価格が変化しない時代にこの業界に参入した人は需要と供給を考えないから価格ありきと考える。当然、時給も固定していると考えるのだろう。よく考えると分かることだが、今まで需要と供給が変わらなかっただけだ。

 ところが、ITとネットの普及で需要と供給は変わっている。
おそらく、そのことには気づいているが、変わらないで欲しいと願っているだけだろう。需要と供給のバランスが変わると、それに適応して自分も変わらなくてはならないから。

 この業界には疎いので、2500円が適正かどうかは分からない。しかしネットを使うと低価格になることは皆知っていることだ。ネットを使うと、固定費が削減できるし、マッチングサイトを使うとフリーでも仕事ができる。

 3万円が適正価格という人は「 オレ達はオレ達のプライドに殺される」のではないだろ
うか。

 玄人はだしの主婦が小遣い稼ぎをすると玄人が困るという論調も多い。でも、元玄人で訳あって主婦をしている人は多いのではないだろうか。ネットのおかげで一線から離れている元玄人が参入しやすくなっているということだ。 当然、小遣い稼ぎの玄人はだしの素人も参入し易くなっている。

 つまり、供給は増える。当然価格は下がる。そして新しい適正価格が決まる。
価格を下げているのは、新たに参入してきた人たちではなく「神の見えざる手」だということだ。

 芸術家、技術者、技能者など能力を金に換えている人が勘違いしてはならないことは、能力はすべて時価だということ。 そして時価を決めるのは自分ではないということ。

 己惚れてはいけない。



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2017年11月24日 (金)

安崎暁氏の新聞広告 <おれの奢りで一杯飲もうぜ>

元コマツ社長 日経新聞に出稿した心を打たれる個人広告 (http://news.livedoor.com/article/detail/13922208/)

 余命宣告されたときに狼狽えることはなくても心穏やかではいられない。その後、色々なことを考えていると、自分の人生は振り返えるだろう。

 察するに、安崎暁氏は自分の人生に悔いが無かったのだろう。そして晴れ晴れとした気持ちになったのではないかと思う。

 人生に悔いを残していると悔しい。迷惑を承知で化けて出たくもなるが、悔いが無ければ晴れ晴れとした気持ちになる。

 新聞広告や感謝の会は終活の一つの在り方とか、死に向き合う潔さとかの大層な意見もあるが、人生に悔いが無ければそれほど大層なことではない。

 悔いが無いように生きるのは難しいけれど、「まあ、そんなに悪くなかったかな」と思えれば御の字かなと思う。

 それより、「おれの奢りで一杯飲もうぜ」っていうのがカッコいい。


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