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2020年8月

2020年8月31日 (月)

意外にも30年前の経験が役立った

 客先でICT機器の使い方やアプリの使い方をサポートする仕事に転職して1月が経過した。座学の研修と実務研修で仕事が見えてきた。

 現職は前職の隣接分野で職務経験はないので不安はあった。意外にも、前職で無線関係のフィールドエンジニアをやっていた経験が役立っている。

 無線関係のフィールドエンジニアをやっていたときは、客先に出向いて、偉い人に挨拶して、担当者に故障した機器がないか訊く。 故障した機器があることが事前に分かっていれば取り替える。分かっていなければ、障害箇所を特定して一時対応する。 そして、エリア内に不感地帯ができていないか確認する。

 この仕事をやっていたときに上司や先輩に教えてもらってことは、困ったら本部に電話するということ。一人で全て解決できなくてもよいということだ。 これは今の仕事も同じだ。

 現職は障害箇所の特定は範囲が室内に限定されているから、パイプシャフトや天井裏に中に入ることもなく、机の下に潜ることもない。作業服を着なくなったのは、ちょっと寂しい。

 現職は業種という観点で見るとフィールドサービスだが、業態の観点で見るとサービス業だ。
自分の知識や知見を提供することで顧客の問題を解決するサービス業であるということ。
そしてサービスの提供は目的ではなく手段であること。 これも前職と似ている。

 ICT関係の知識は隣接分野なので使えるだろうと思っていたが、意外にも40~30年前の経験が役立った。それと、マネジメントをやっていたときに、自分たちの仕事の基本と原則を考えたことが役立っている。

 年寄りも捨てたもんじゃない。

 と自画自賛しておこう。


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2020年8月26日 (水)

「勇気を与える」 <エラそうに!!って思わないのかな?>

「勇気を与えられるよう」とか「感動を与えられるよう」と言う言い回しをよく聞くようになった。アスリートがインタビューに応えるときに多いような気がする。

 最初に聞いた時には、その人の癖かと思っていたが、最近増えてきて高校生でさえ使うようになってきた。もはや定番の言い回しになっている感がある。

 しかし、この言い回しには慣れない。聞くたびに気持ち悪さを感じる。

広辞苑によると「与える」は

自分の物を目下の相手にやる。授ける。

だ。勇気や感動を与える対象は、国民の皆様であったり、被災者の方であったりだ。

 勇気を与える対象が、我が子や教え子のように目下なら良いのだが、国民や被災者の方には、目上の人も含まれる。目上や同等の場合は謙譲語を使うのが日本語の作法だろう。 日本では敬語が使えないと教養が無い人と思われる。

 「与える」が謙譲語でないこともさることながら、目下に使う「与える」を目上に使う無神経さが、違和感の正体かもしれない。

 つい最近も、高校生の全国大会の開会式の選手宣誓で、この言い回しを聞いて違和感を感じた。指導者が教えるべきだと思う。今後彼らがアスリートとして成長したときに国民に対して礼を失することがないように。

 違和感を持っている人は他にもいるようだ。


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2020年8月22日 (土)

viscuit(ビスケット) <ビジュアルプログラミング言語>

 viscuit(ビスケット)はビジュアルプログラミング言語で、作者は元NTT基礎研究所研究員で現合同会社デジタルポケット代表の原田康徳氏。

 iscuitは自分で書いた絵をめがねを使って動かすことでプログラミングする。文字は使わないので文字を覚える前の子どもたちでもプログラミングを始めることができる。 作者のメッセージ→大人向けこどもむけ

 こんな感じ タイトル:「はっぱ と あおむし と う◯こ」(00320001:20200814/482 ) 

めがね」を見たい人はっ→こちら

Photo_20200814222001Qr  

 子供用のプログラミング言語はscratchが有名だ。 scratchも文字を入力しなくて良いが、scratchはGUIのインタフェースで文字入力を不要にした手続き型言語だ。

 viscuitは論理型(のような)言語で。「めがね」を使って、ある状態から次の状態への遷移を制御する。状態の更新は一定時間間隔で行われる(設定可能)
 遷移を指定した状態にある「めがね」が複数ある場合には、1つだけがランダムに実行される。つまり、同じプログラムでも実行時に異なる挙動になる。(ちょっとハマってしまった)

 繰り返しや条件分岐も用意されていない。さらに変数もない。 オヤジからすると不便だが、低年齢でも理解できるというメリットがある。

 ちょっと複雑な処理をしようとすると、繰り返しは書けないので、展開して状態ごとに処理と次の状態を指定することになる。一定時間(tick)によるイベント・ドリブンと捉えると、HDLに似ている。

 変数が無いのでカウンタや演算が難しい。バイナリ・カウンタを作るサンプルがあるのだが、1と0で作りたい。

 と思ったら結構苦労した。

Bincounter

 「めがね」を見たい人は→こちら

 古いタイプのプログラミングから始めたオヤジは計算が出来ないとモヤモヤする。
しかし、古いタイプのプログラミング言語を学ぶ前に、このような言語に触れると、アートとデザインが融合できる人材が生まれるかも。


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2020年8月19日 (水)

なぜ大学生はプログラミングが上達しないのか <非技術者としての観点>

なぜ大学生はプログラミングが上達しないのか Qiita (2020/08/11)

 現役大学生による、大学生がプログラミング上達しない理由について考察した投稿。

実際、私の友人を何人か思い浮かべてみてもほとんどの人が簡単な計算程度のプログラムしか書けないと思います。

しかし、ほとんどの学生がエンジニア志望なのです。

らしい。

 技術を志望する学生に対する観点は「なぜ大学生はプログラミングが上達しないのか <技術者としての観点> (2020/08/18)」に書いた。

 技術を志望しない学生に対するプログラミングについて考えてみた。

プログラミングの目的

 プログラミングの目的はコンピュータを使って問題を解決することだ。そして、問題を解決する手法としてプログラミング言語を使用したコーディングがある。

 プログラミング講義のゴールは、プログラミングで問題を解決できるようになることだろう。 だから、正解があってそれを教えてもらうものでもなく、記憶するものでもない。 ましてや、プログラミング言語の仕様やコーディングだけを学ぶことではない。

 プログラミングで解決できる課題は、身の回りのそこら中にある。ICTの発展で、「こうだったらいいのにな~」という妄想(課題)も解決できることが多くなってきた。

上達しない原因

 筆者は、上達しない要因として、

  1. 講義時間が少ない
  2. アウトプットの時間が少ない
  3. テストは筆記試験が多い
  4. 大学は研究をする場所
  5. アルゴリズムの勉強が多い
  6. 日常に活かせる機会が少ない(地方学生)
  7. 課題に追われて自習の時間がない
  8. 学んでいる内容が何に活きるのかがわからない
  9. コードのレビューをしてくれる人が少ない
  10. 受け身の学生が多い

を挙げ、「10.受け身の学生が多い」ことが最大の要因と結論付けている。

 しかし、深刻かつ重大な問題は「8.学んでいる内容が何に活きるのかがわからない」と思っていることではないだろうか。

 学んでいる内容が何に活きるのかがわからないのは、生活の中に課題が見付けられないのかもしれない。 そして、理系、工学系にだけの問題ではないのかもしれない。

ICTが発達しても変わらないこと

 今から40年前に20歳を過ぎてから独学でプログラミングを始めた。 プログラミング・スキルは、60年生きてきて、最も役立ったスキルだ。自転車に乗れることより役に立つかもしれない。プログラミング・スキルを習得したら、1週間寝ないで作業しなければできないような作業が1日できるようになった。

 プログラミング・スキルは、身の回りにある問題の中からプログラミング的思考で解決できる課題を探し、それを、実際に解決する力のことだ。 ICTの発達でプログラミング言語を習得しなくても解決できる問題は増えてきたから、プログラミング言語の習得は必須ではない。

 40年前に個人が使えるコンピュータの性能は低かった。(RAM:32kB CPU:8bit,4MHz だった) だから、プログラミングを学ぶことはプログラミング言語を学ぶこととほぼ同じだった。そして、今使っているコンピュータの性能は高い。(RAM:32GB CPU:64bit,1.8GHz×4だから費用対効果は高い) 多くの問題はExcelで解決できるようになった。(MSの回し者ではありません) 

 昔ならプログラミング言語を習得しなければ解決できない問題が、今時は、プログラミング言語を習得しなくても解決できるのである。 しかし、コンピュータを使用して解決できる問題を発見し、解決する手順を考える能力は今も必要だ。

 情報教育が始まった頃に中学生だった娘の職場ではExcelを使っているが、電卓で計算してからセルに数値を入力する若い人が少なからずいるらしい。(娘より10歳くらい若いらしい) 

 Excelの使い方を学ぶべきと言っているわけではないし、ましてや、MOSを取得すればよいわけではない。Excelを使うことはプログラミング言語と同じ手段である。20年後には、Excelより便利な手法が提供されているだろう。 しかし、コンピュータを使用して解決できる問題を発見し、解決する手順を考える能力は20年後も必要だろう。

重要なことは、

 プログラミングで解決できる問題を見つけることだ。そして、見つけた問題を解決するために、プログラミングを学ばなければならない。

 学ばなければならない人は、オタクに限らないし、理学系、工学系を目指す人だけに限らない。


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2020年8月16日 (日)

この割れ切った世界の片隅で <ふつうはふつうではない>

「この投稿をシェアされたい!!」と成毛眞がおっしゃるのでシェア。

以下↓は、山邊鈴氏のnoteへの投稿からの引用。

山邊鈴氏は

「人はその周りの五人の平均値だ」という言葉がある通り、社会的ステータスの近い人々は集まりやすく、自分の見えている物が世界の「ふつう」であると錯覚してしまいます。しかし、自分の見ている世界は社会のほんの一部にしかすぎません。校外で活動するにあたり世の中の「ふつう」の感覚があることを強みにしてきた私ですが、その「ふつう」の感覚はその人の生育環境にあまりにも依ってしまうこと、また、自分自身の「ふつう」の感覚に頼り過ぎている自分の存在にも気が付きました。そこで今回は、私にとっての「ふつう」について書きたいと思います。あなたのふつうも、教えてください。

とおっしゃるので、考察してみた。

◯ 「ふつう」は居心地が良い

 「ふつう」な場は相対的に居心地が良いが、「ふつう」ではない場は居心地が悪い。
例えば貧乏でも周りが貧乏ならそれはそれで居心地が良い。 しかし、貧乏人がいきなり金持ちの間に入ると居心地が悪くなる。

 「ふつう」ではない居心地が悪い場を経験することは重要だと思う。 居心地が良い場に居て「ふつう」と思っている人は成長しないからだ。ここが「ふつう」ではないと思うことで、人は成長することができるのだと思う。

 昔は「自分の世界」は物理的に移動できる範囲とほぼ同じだった。 いまでも多くの子供の世界は物理的に移動できる範囲だ。 若者にとって「ふつう」は退屈だから、「ふつう」ではない世界を求める。 「ふつう」な世界から外にでるには、旅立つしかないので、若者は故郷を後にするのだろう。

◯ 多くの世界に属すると「ふつう」ではなくなる

 大人になると、複数の世界に属するのでそれぞれの世界での「ふつう」がある。 
例えば、職場、地域、趣味のサークル、同窓会などだ。しかも、今時はネットの仮想空間も「自分の世界」になってきた。
多くの世界に属している人は「周りの5人の平均値」から離れてきて、周りの「ふつう」が「ふつう」でなくなってくる。

 ところが、大人は「ふつう」でない世界は居心地が悪いので、居心地の良い「ふつう」の世界に引きこもり、「ふつう」ではない世界を見なくなる。

経験では

 経験では、就職して家と職場の往復だけになると、世界が狭くなり「周りの5人の平均値」になってくる。ところが同じ職場ではない人と交流すると職場の「ふつう」が「ふつう」ではなくなってくる。

 そして、この気づきが自分自身の成長や、職場が改革のきっかけになる。

オジサンも「ふつう」な世界から旅に出よう

 「ふつう」な世界から外に出るのは、旅立つ若者だけではない。おじさんも「ふつう」な世界から旅に出てみよう。

 と、考えて、思った。

 若いうちに気付いた山邊鈴氏は、世界を変えようと思っているようだ。

 年寄りからすると、無限の可能性だ。 ウラヤマシイ。
 年寄でも応援くらいはできる。


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2020年8月13日 (木)

パソコンを終了するには? <子どもたちに教える普遍的な手順は?>

ベネッセの教材「パソコンを終了するには?」選択肢「電源ボタン、コンセント、親に相談」→正解がどうも納得がいかない togetter (2020/08/08)

↑この問題の答えが「おうちの人にそうだんする」ということに納得できないという話題。賛同する人は多い。

 考えてみた。(ベネッセとは関係ありません。念のため)

 普遍的な知識を教えようとしていることが、この問題を難しくしている。

 例えば、PC教室にあるWindows10のノートパソコンを正常終了する方法のように前提条件があれば、妥当な手順を示すことができる。しかし、普遍的な正常終了手順を示すことはとても難しい。

 特にIT業界にいる人は特殊なケースを挙げてこの設問を非難するけれど、そもそも、普遍的な正解は無いと思う。そうであれば、まず最初に親や先生に正常終了する方法を確認するのは、妥当で普遍的な答えだろう。 そのときに、親や先生が妥当な方法を教えることができれば、毎回親や先生に聞くほど子供は愚かではないと思う。 ベネッセの回し者ではありません。(^^

 子どもたちは、意外に多くのICT機器に触れている。例えば、PC教室ではキーボード付きのパソコン、ホーム教場ではタブレット、家庭では親と共用のMac、スマホなどだ。それぞれの機器で正常終了の方法は違っていて、子どもたちは、それぞれの場面に応じた対応をしなくてはならない。

 ICTリテラシーを学んだ後ならば、

 「終了しようとしている機器や扱っているデータが壊れないように、適当な方法で終了する」

と教えることもできるだろう。しかし、今時はICTリテラシーを学ぶ前にICT機器を使うから、最低限、機器やデータに影響を与えないように、立上げ・終了を行わなければならないのである。

 なぜ、パソコンごとに終了方法が違うのか、子どもたちに訊かれたときに、大人たちは答えられるのだろうか。ベネッセはその答えを大人たちに任せて(◯投げして)いるのである。

 今、求められているのは、親や教師のリテラシーだ。

 吾が子や教え子たちが将来困らない知識を教えることが求められている。おそらくそれは、ベネッセを非難することではないと思う。


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2020年8月 9日 (日)

なぜ転職しようとしたか <余生ではない働き方>

 59歳で、余生ではない働き方をしようと考え、転職した。 

 60歳の定年が近づいたので定年後の働き方を考えていた。厚労省の統計によると、2018年の60歳の平均余命は23.84歳だ。(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life18/dl/life18-15.pdf) 人生最後の10年を余生とすると、あと10年は余生ではなく働かなくてはならない。ところが、今や人生85年、今後は人生100年時代と言われているにもかかわらず、余生でない働き方の選択肢は少ないのである。

 年金給付開始が65歳になって再雇用が義務付けられたので、60歳で定年しても再雇で同じ組織で働くことができる。10年前と同じ仕事、同じやり方をしている職場では、再雇でも余生でない働き方ができるようだ。その職場特有の経験と暗黙知には価値があるからだ。

 しかし、前職はサイバーセキュリティ関係の職場だ。10年前の経験と暗黙知の価値低い。しかも、最近やっていたマネジメントは再雇用では需要がない。つまり、再雇用では余生でない働き方はできそうにない。

 だから、あと10年余生でない働き方をしようとすると転職しか選択肢がなかった。

 経済的に困窮せず「余生」として生きられるなら、それで良いという人もいるし、まだまだ、収入を得なければならないから生き方どころではないという人もいる。「余生」が悪いわけではない。

 なぜ、余生ではない働き方を求めるのかというと、

 面白くないのだ。


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2020年8月 4日 (火)

これまで書いた記事

これまで書いた記事は、「Yoshiのブログ」にあります。

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転職 <59歳の市場価値>

 39年勤務した前職を3月末で退職して就活していたのだが、ようやく次の仕事が見つかった。前職とは違う業界に転職しようとすると、やはり59歳での転職は難しい。分かってはいたのだが... (なぜ59歳で転職しようと思ったかは後で書こう)

 就活していてわかったことがある。

 転職市場での価値 = (現有能力×有効期限) × (潜在能力×勤務可能期間)

ではないだろうか。

◯現有能力、有効期限

 職務経歴書で判断できるのは(現有能力×有効期限)だろう。

 39年も働いていると職務経歴書に書けることはたくさんあるが、気をつけないと自慢話になってしまう。ICT業界では有効期限(賞味期限)が短いので、経歴は立派でも現在使える能力が無かったりする。

◯勤務可能期間

 多くの企業はメンバーシップ型雇用が主流だから採用後長く働けるほど価値があるようだ。59歳はリタイア間近だから、勤務可能期間は短く、価値は限りなくゼロと評価されるようだ。 

 既に人生80年時代だから60歳でリタイアできる人は少ない。しかし、多くの60代は既に「心の定年」に達しているので若者のようには働けないと見られているのだろう。

◯潜在能力

 潜在能力は、職務経歴書に書けない能力や、採用後獲得できるであろう能力だろう。この能力は、せめて面接しなくては判断できないだろう。

◯自分の市場価値

 職務経歴書をいくら盛って書いても、面接で話せばわかってもらえると思っても、勤務可能期間の価値がゼロなので、どう頑張っても市場価値はゼロなのだ。

 だから多くの人は定年すると、価値が引き継げる前職と同じ業界に再就職するか、再雇用を選ぶのだろう。

 それでも、ようやく1社面接までたどり着いて内定をもらった。ありがたや×2

閑話休題

 WBSを見ていたら、ニュースキャスターの山川龍雄氏が、就活の法則を話していた。

 就活の法則は、10勝0負=1勝30負

なのだそうだ。いくら内定をもらっても入社できるのは1社だけだ。一方、内定をもらったのがたった1社でも、重要なことは入社した会社が自分に向いていかどうかだと。

 なるほど、うまいことを言うなあ。

 入社した会社が自分に合うかどうかは働いてみないとわからない。ルーキーはゲームに参加して認められるしか方法はないのだ。

 それは、オールドルーキーでも同じだ。



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