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2020年9月

2020年9月30日 (水)

アルゴロジック <論理的試行錯誤>

 プログラミング教育というとScratchが有名だ。しかし、Scratchはプログラミング言語だから、プログラミング的思考の教材と考えると初心者はとっつきにくい。

 操作対象に命令して目的の行動を行わせる。操作対象は、アプリ内のキャラクタであったり、実物のロボットや、車の模型だったりだ。命令は、ピースだったり、ブロック・プログラミングだったりだ

アルゴロジック

 この教材はゲーム感覚で学べる。シニア向けの問題は、大人もかなり楽しめる。
問題は、命令のピースを組み合わせて、画面の中でロボットのキャラクタを動かして旗を取ったり、指定された軌跡を描く。

アルゴリズムに特化

 命令は、前、右、左に進む、方向を変える、繰り返す、条件分岐する。
逐次処理、繰り返し処理、条件分岐というプログラムの構造を組み立てることができる。
というか、それに特化している。キャラクタを変えることもできないし、新たに命令を追加することもできない。

複数のアルゴリズム

 問題を解決するアルゴリズムは1つではない。
社会に出てわかったことは、問題を解決する方法はたくさんあって、その時の状況に合わせて最適な方法を選ぶことが重要だということ。
なんでも人海戦術で問題を解決しようとする人は、他に問題解決方法を思いつかないようだ。

制限

 プログラミング的思考ができてもそれを実現しようとすると、制限があるのが普通だ。
アルゴロジックでは、移動方向は前、右、左、移動量は1、2、3、4、8、使える命令ピースの数に制限がある。
最短のステップ数でクリアすると二重丸が表示される。

アルゴロジック1

 アルゴロジック1は順次処理と繰り返し処理だけの問題。
ジュニア問題の最初の問題は前に進む命令だけでクリアでき、命令の使い方を覚えながらスモールステップで進む。
初めて触った子供が、アルゴロジック1、ジュニア問題を1時間でクリアするのは難しいかもしれない。

論理的試行錯誤

 ただの旗取りゲームという人もいる。確かに順次処理の問題は当てずっぽうで試行錯誤すると、なんとなくクリアできる。アルゴリズムを考える上で試行錯誤は欠かせない。試行錯誤には、論理的試行錯誤と非論理的試行錯誤がある。当てずっぽうはもちろん非論理的試行錯誤だ。
ただの旗取りゲームと言う人は、論理的試行錯誤が苦手なのかもしれない。

アルゴロジック2

 アルゴロジック2は順次処理、繰り返し処理、分岐処理を使う問題が24問ある。すべて最短ステップでクリアしようとすると結構時間がかかる。毎日やっていたわけではないけれど、1月くらいかかってしまった。

Algologic1


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2020年9月27日 (日)

アーティストタイプとデザイナータイプ

 Viscuitでプログラミングを教えているのを見ていて気づいたことがある。

 Viscuit は感覚的にプログラミングできるので、例題の三角形は皆難なく動かすことができる。次のステップに進んで、自分で描いた絵を動かすところで2種類のタイプがあるようだ。

 一方のタイプは、機能に着目して、教えられていない動作を試みる子。もう一方は、絵に着目して、絵の完成度を上げようとする子である。前者はデザイナータイプ、後者はアーティストタイプだろう。

 アーティストタイプの子は絵の完成度は高いが、描いた絵を動かしたり、変化させたりすることには興味が無いのか、何種類も描いたり、細かい部分を消しては描くを繰り返す。

 別のデザイナータイプの子は、抽象的な絵(一筆書の星の絵)を色を変えて描き、星の大群が色を変えながら流れる作品を作っていた。シンプルでありながら芸術作品になっていたりする。

 教えている側は、デザイナータイプの方が望ましいと思いがちだ。しかし、将来、興味を持つ分野がアートなのか、アート系プログラミングなのか、プログラミングなのかはわからないし、連続していて分類もできない。ましてや、大人が決めるものでもないだろう。

 「プログラミング的思考」の前段階としてViscuit を教える場合、アーティストタイプの子には有効でない可能性があることを認識おかなければならないのだろう。

 短時間(45分程度)触っただけで、タイプを決めつけること自体、乱暴なのかもしれないのだが。


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2020年9月21日 (月)

EDIX2020 <大人の責務>

 EDIX東京 2020に行ってきた。
コロナの影響か出展者が少ない。google.Microsoft,SONYなど大手が出展してない。 来場者も少ないようだ。

 GIGAスクール構想、1人1台時代の到来はメディアでよく見るが、企業の戦略を知りたいと思っていたのだが、ちょっと残念だった。

 来場者が少ない分、セミナーが聴講できたのは良かった。

聴講したセミナーは

  • どのように学校を、生徒を変えたか -桜丘中学校改革の総括
     前 世田谷区立桜丘中学校校長 西郷 孝彦
  • 学校変革の起こし方 ~生徒がワクワクするための「ミライの学校」づくりへの挑戦~
     武蔵野大学中学校・高等学校学校長 日野田 直彦
  • AI時代、子供に何を学ばせるか?
     元リクルート社フェロー/奈良市立一条高校 前校長/和田中学校 元校長 藤原 和博
  • “コロナで気づかされた”1人1台の情報端末環境が拓くICT活用の日常化と新時代の学び
    • 日本学術振興会 顧問/内閣府 人工知能戦略実行会議 座長 安西 祐一郎
    • 信州大学 名誉教授/教育情報化推進機構 理事長 東原 義訓
    • 町田市立町田第五小学校校長 五十嵐 俊子

 これまで、教育とは知っている者が知らない者に知識を授けるものだった。

 必要とされる知識が急激に変わることは無かったから、知識を持っている先生や人生経験が豊富な親は若者や子供に教えれられた。
ところが、将来どのような能力が必要か知っている者はいなくなってしまった。

 学校では、ICT機器やネットの使い方を指導できる教師は少ない。家庭では、子供が就職しようとしいる会社の30年先のことが分かる親はいないのである。 会社の将来について親も子供も持っている情報は同じなのだ。子供は知らないだけだが親の情報は間違っでいたりする。

 学校では、プログラミング的思考なんてわかっている教師は少ない。習ってないのだから。

 大人は、親や教師たる者、子供より知識があって当然という常識に囚われているから、思考停止、行動停止するのではないだろうか。その結果、大人たちは学びもしないし教えもしない。子供と一緒に学べば良いのだと思う。おそらく子供たちの方が早く学ぶだろう。大人たちは自律的な学習の習慣が無いから。

 大人は、子供たちに新しい知識を教えることはできないとしても、子どもたちが自律的な学習方法を身につけるサポートはできる。


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2020年9月17日 (木)

置かれた場所で咲きなさい <やっぱりしっくりこないなあ>


「置かれた場所で咲きなさい」は、決して「その場所で我慢しなさい」ではないんですよ 島田正樹 (2020/09/08)

 「置かれた場所で咲きなさい」の解釈は島田正樹氏のとおりだ。
しかし、

 「置かれた場所で咲きなさい」より

 「咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。」

の方がしっくりくるのはなぜだろう。

 「置かれた場所で咲きなさい」を読むと分かるが、著者の渡辺和子氏はキリスト教の聖職者だ。
だから、
この場合に自分が置かれたのは、神の意思だと自然に思えるのだろう。

 一方で日本人のモラルに大きな影響を及ぼしている儒教、朱子学では、身分の固定を是認する。支配者階級や経営層にはウケが良いが被支配者階級や労働者にはウケが悪い。

 多くの日本人はが、八百万の神を受け入れるとしても根底にあるのは、キリスト教ではなく、朱子学とそれへの反発だろう。
だから、
「置かれた場所で咲きなさい」と言われると無条件には受け入れられないのだと思う。

 置かれた場所で咲けなかったら、下へ下へと根を下ろし、種を付けてタンポポのように風に乗って違う場所に行けば良いのだと思う。決して枯れてはいけない。



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2020年9月10日 (木)

50代のキャリアをどう創るかは、いつ考える?

50代のキャリアをどう創るかは、いつ考える? しばたともこ (2020/09/07)

 激しく腑に落ちるのは、キャリアチェンジを経験したからかもしれない。

 柴田朋子氏は40代から準備をしようとおっしゃる。

 余裕があるときにから考えた方が良い。50代も後半になって考えると余裕も無いし選択肢も少なくなるし、何より一歩踏み出す勇気が無くなる。

たとえば役職定年の55歳まで長く同じ組織で働いてきて、そこそこ評価もされていたりまあ平和に働いていたような人は、自分が組織に履かせてもらっているゲタに無自覚です(特別な役職にいなくてもです)。いくらいい仕事をしている自覚があっても、それ、そのまま横展開することはできないし、その「実績」と思しきものは、あなた単独になったとたん、タヌキの葉っぱみたいに変身が解けて見えちゃう。

これは、よく言われることだ。50代後半で受講したキャリア・シフトチェンジ・セミナーでも言われた。
そして、本当にそうなった。

 過去の「実績」は近所のスーパーのポイントカードのようなものだ。他のスーパーでは使えないから、引越ししてそのスーパーで買い物しなくなったら紙屑だ。「実績」も同じように他の組織では価値は無い。

 「過去の実績」というポイントを使おうとすると、定年(役職定年)しても再雇用などでその組織に居続けなくてはならない。しかし、(役職)定年後の再雇用でポイントを使い切るとキャリアがリセットされる。

 なんだか実態のよく分からない「過去の実績」で実力以上に評価されていたのが実力通りに評価されるようになるだけだけど、この事実を受け入れるには準備が必要だ。

 経験では、50代も後半になると「過去の実績」は組織の外では価値は無かった。 経験の中には価値がある経験が混ざっているようだ。しかし、価値がある経験を見極める方法がわからない。面接官はできないなあ。

 40代後半から意識的に組織外の人と交流したり、著名人の講演を聞きにいった。 組織の外で話を聞いて組織の外の基準で自分を評価することが必要だと思ったから。それでも、自分自身は客観的に評価できないものだ。そんなときは、自分の組織で評価されている人を組織の外の基準で評価してみるとよい。そして、その人と自分を比べてみると間接的に自分を評価できる。

 この事実を受け入れるまでに時間が必要だから、しばたともこ氏がおっしゃるように、40代から準備を始めた方が良いと思う。


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