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2021年2月

2021年2月25日 (木)

なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか <凡人が秀才と勝負するための武器>

なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか―はじまる「プログラミング教育」必修化 平井聡一郎、利根川裕太 技術評論社

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利根川裕太氏は

もしエンジニアの方に、プログラミング教育の助っ人をお願いするとしたら、「社会で、どのようにコンピュータが活用されているのか」といったテーマや、「プログラミングスキルを持つことのキャリア」といった話をしてもらうことが適していると考えています

とおっしゃる。

 40年仕事をしてきて「プログラミングスキルが最も役に立ったスキルです、ひょっとすると自転車に乗るスキルより役立っています」と、先生には伝えている。

 なぜならば、プログラミングができれば、凡才でもプログラミングができない秀才と勝負ができるからだ。 でも、プログラミングができる秀才や天才には敵わないのだけれど。

 秀才は天賦の才能がある。天賦の才能がなくても、後天的にプログラミングスキルを獲得することで、天賦の才能を凌駕できる可能性があるである。

 プログラミングスキルがあれば、CPUパワーを操ることができる。CPUパワーは金で解決できるのである。金で能力が変えるなら、天賦の才能に恵まれなかった凡人にとってこれほどの武器はないと思う。

 場合によっては、天才をも超えることができる。将棋や囲碁が良い例で、将棋や囲碁のトッププロは天才中の天才だ。その大天才がAIに負けたことは多くの人が知っているだろう。

 マスコミは、人間vs AIのように報道するけれど、実は、天才vsAIをプログラミングした人の戦い。つまり人対人の戦いなのだ。そして、AIをプログラミングした人は天才に勝ったのである。

 40年技術の世界で生きてきた、プログラミングスキルをもった凡人として、子供たちにも紹介しよう。


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2021年2月22日 (月)

教える側の理解の壁 <タミヤロボットスクール オンライン特別公開講座>

タミヤロボットスクール オンライン特別公開講座 -プログラミングで新しい学びの扉を開くー
https://tamiya-robotschool.com/information/2021seminar/
を受講してみた。

 タミヤの製品を使ったフィジカルプログラミングのお話かと思っていたら、松田孝氏の講演だった。教育現場で長くプログラミング教育に携わった経験には説得力がある。松田孝氏のような先生や管理職が増えると、プログラミング教育も変わるのだろう。

松田孝氏のお考えは、

  • 2020年度から小学校でプログラミングが始まった
  • 2021年度から中学校でプログラミング(双方性のあるプログラミング)が始まる。
  • 2022年度から、高校でもプログラミングを含む「情報Ⅰ」が必修となる。
  • 大学の入学試験でも出題されるだろう

とういう流れの中で、高校でのプログラミング教育は、テキストプログラミングとなる。
であるならば、早くからテキストプログラミングを始めた方が良いのではないか。

らしい。そして、松田孝氏は早くから小学校の高学年に対してIchigoJamを活用されていたようだ。

 そこで、疑問が湧いてきた。

小学校でテキストプログラミングを始めることに異論はない。
しかし、なぜIchigoLatte(ECMAScript/javascript)でなくIchigoJam(BASIC)なのか?

質問時間があったので、質問してみた。
このオンラインセミナーはひょっとして録画か?と思ったのだが、ちゃんと読み上げられて、回答をいただいた。

松田孝氏の回答は、

javascritは難しかったが、BASICの方がシンプルで分かりやすく、自分自身が学べた。
可能ならIchigoLatteも使ったらよいと思う。

だった。

 以前、教育展で先進的な中学校の先生に聴いたところではpythonを教えているとのことだった。子供たちの理解力が問題ではない。多くの場合教える大人側の問題だろう。

閑話休題

 「教える側の理解」の壁は高い。
オブジェクト指向の壁(BASIC vs python)、テキストプログラミングの壁(scratch vs BASIC)、プログラミングの壁(そもそも「プログラミング的思考」が理解できない)など、難しい方向にも、やさしい方向にも、どこまでいっても壁がある。

 現状では、これらの壁を超える活動は個人の努力に任されていることが多い。将来、子供たちもこれらの壁に直面することになるが、壁を超えるためには、指導者の存在がとても重要だ。

 現状では、指導者が壁を超える支援が必要だと思う。
プログラミングの知識と経験がある自分に何ができるのか考えさせる講演だった。

 働ける時間は短くなっている。


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2021年2月 9日 (火)

晩節を汚したくないなぁ

 東京五輪・パラリンピック組織委員会・森喜朗会長への批判が噴出している。辞任すべきと言う人多い。

 その人たちは辞任すべき理由として、世界から批判されていることを挙げる人が多いようだ。 なぜ、辞めるべきと主張するなら、会長として許容できない発言だと、堂々と主張しないのだろうか。 辞任すべき理由は世間体が悪いということで、発言自体の是非について自分の見解を述べていない。 もし世界が許容したなら、この人たちは辞任すべきだと言わないのだろうか。

 世界が許容しないのは、森会長の発言だけでなく日和見の日本という社会かもしれない。

 じゃあお前のスタンスはと問われると、「辞職すべき」だ。森会長に認識を変るべきというつもりはない。組織の目的に反する発言をする者は会長職に留まるべきではない。

閑話休題
 年寄りが、世間の認識と自分の認識のズレを修正できないために顰蹙を買うことはよくあることだ。 森会長が世界中から顰蹙を買うのも、オヤジが迂闊な発言をして家族から顰蹙を買うのも大して変わらない。

 世間の認識のように時代とともに変わりゆくものか、時代によらず普遍的な認識なのかを考えれば、認識のズレを認知して振舞うことができるはずだ。それだけの人生経験が年寄りにはある。

 この騒動から学んだことは、「晩節を汚したくないぁ」ということ。

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2/9追記:
 「晩節を汚さない」は、年寄りは過去の功績が現在の免罪符にならないことを、わきまえることだろう。ところが、今時は、わきまえるだけでは足りなくて、認識のズレを認知し続けなくてはならないようだ。
年寄りも大変な時代になったようだ。


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