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2021年4月

2021年4月30日 (金)

教育委員会が本気出したらスゴかった。

教育委員会が本気出したらスゴかった。 コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡
佐藤 明彦 時事通信社

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 熊本市がわずか数ヶ月で1人一台環境を整備して、いち早くリモート授業に対応したことにフォーカスされがちだが、それまでの行政トップの決断や現場への支援は見逃されがちだ。

 チョークと黒板があれば授業ができると思っている教師や管理職が少なからずいる。そう考える人は有名進学塾のように録画した授業を配信すればよいだろうと考えるようだ。 授業を受ける生徒は、有名進学塾の講師の授業より、オンラインの経験がない先生の授業を必ず選択すると思っているのだろうか?
録画した授業を配信すれば学校外の講師との競争にさらされ、外部から客観的な、ときに辛辣な評価を受ける。その準備はできているのだろうか?

 ネットには、1人一台環境での授業や遠隔授業の成功例が紹介されている。成功例には共通点があるようだ。

○トップの決断

 成功にはトップの決断と現場の推進役が不可欠なようだ。トップは、行政のトップ市長であったり、教育委員会のトップ教育長であったり、現場のトップ校長であったりだ。推進役は教育長であったり、学校の先生であったりだ。

 トップは方針を決められるが、実際の作業はできないから、トップの方針を現場で遂行する推進役が必要だが、少なくとも、トップの強い意志がなければ、現場の教師の行動を変えることはできない。 

○現場の推進役

 全ての現場の教師がICTに詳しいわけではないから、現場でICTの活用を推進する教師も不可欠だ。

 教育指導要領が変わったから仕方なく対応するレベルでは対応できないくらいの変革だから、ICTに詳しくなくても良いので、これから先の社会でのICTの重要性とどのようなスキルが必要か理解しておいてほしい。

 この本で紹介されている熊本市も熊本地震の経験から、市長が危機感を持ち、現場は遠隔授業の問題点を洗い出していたからこそ短期間で実現できたのだろう。

○ICTに詳しい人

 成功例を見ると、キーパーソンにICTに詳しい人がいる。GIGAスクール構想実現のために、ICTの知識を持ったアドバイザーを公募している自治体もあるようだ。

 この役割で貢献できるかもしれない。


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2021年4月26日 (月)

音楽科の評価

 音楽ソフトが気軽に使えるようになってきた。子供でも感覚的に使えるソフトは沢山あるから、音楽の授業で使う環境は整っている。 ところが、音楽の授業で音楽ソフトを使うことに拒否感を持っている人がいるようだ。 その理由の一つが、評価ができないということらしい。 特に作曲の評価ができないらしい。

 音楽科の評価を調べてみたら見つかった。

音楽の4つの評価ポイント みんなの教育技術 (2019/12/02)

音楽の評価の観点は4つあります。

① 音楽に対する関心・意欲・態度
趣旨:音楽に親しみ、音楽を進んで表現し、鑑賞しようとする。

② 音楽表現の創意工夫
趣旨:音や音楽のよさや美しさを感じ取り、それらを音楽活動の中で創意工夫し、生かしている。

③ 音楽表現の技能
趣旨:音楽を表現するための基礎的な技能を身に付けている。

④ 鑑賞の能力
趣旨:音楽を楽しく聴取、鑑賞し、そのよさや美しさを味わう。

らしい。

 初等教育で教えている音楽は芸術(art)と思っていたが、評価基準をみると芸術ではないようだ。
今までどうやって芸術を教えて、どうやって評価するのか、疑問だったが、ようやくわかった。芸術ではないのだ。

 経験では、作曲しようとしても残念ながら音が浮かんでこなかった。楽器で演奏できる人は思いついた旋律を楽器を使って音にして確かめることができるけど、楽器が演奏できな人は、思いついた旋律の良し悪しが判断できない。

つまり、
いくら真面目に取り組んでも、楽器が演奏できない児童は、旋律を生み出すことはできない。

ところが
音楽ソフトを使うと音にしてくれるので、思いついた旋律が心地よいものかどうか判断できる。

音楽ソフトでの作曲では評価できないと言う人は、偶然素晴らしい作品ができることを恐れているらしい。

しかし、
それは「無限の猿の定理」だから、心配しなくて良い。 猿にタイプライターを叩かせたら、いつかシェイクスピアの作品を打ち出すという「無限の猿の定理」だ。

 子供は猿ではないけれど、限られた時間で偶然素晴らしい曲ができる可能性は極めて極めて小さい。

 σ^^)はパソコンは得意で音楽ソフトを使って作曲する方法は知っているが、聞くに耐える曲は作れない。

つまり、
評価できないのではなく、コンピュータを使いたくないので、使わない理由を考えているだけではないだろうか。


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2021年4月15日 (木)

チョークと黒板があれば授業ができる?

「チョークと黒板があれば授業ができる」という言葉を何度か聞いた。
冗談でも何かの比喩でもなくそう考えている人はいるようだ。

 他人に知識を伝えるときに、印刷のコストが高い場合には、チョークと黒板は良いシステムだ。
このシステムでは、教師も生徒も自分の手で書くこと、文字が読めることは重要だった。

 50年前の小学校は、印刷はコストは高かった。少量ならば青焼(死語だね)大量ならばガリ版刷りだった。
だから、日々の授業で気軽に使えなかったのだろう。担任の先生がガリ版刷りの学級通信を配ってくれると嬉しかった。

 印刷コストが高い場合には、生徒の考える時間を削っても、板書せざるをえなかったのだろう。

 今時は毎回書くことを変えていないなら、板書せずPowerPointで作成して投影すると効率的だ。
生徒の反応を見て板書を変えるたいことがあるかもしれないが、共通する部分はあるし、流用できる部分の方が多い。
 先生が板書する時間が減ると生徒の考える時間を増やすことができるのである。

 つまり、黒板とチョークにこだわる人は、1コマ45分/50分という限られた時間内で、生徒が考える時間を増やそうとしていないのである。

 僅かだがICT機器を積極的に使う先生もいる。
しかしである、いくらICTを使ったとしても、1人の教師が多数の生徒に教えるスタイルは150年来変わっていないのである。
これから先求められるのは、生徒が学び教師がサポートするスタイルらしい。
GIGAスクール構想ですべての生徒がコンピュータを持つことになるけれど、多くの教師は150年来続いてきたスタイルのICT化と捉えているようだ。

 残念だけど、彼らにとってはこの変化に対応するだけでも大変なことのようだ。

 生涯学び続けることが必要になってきた。
若いときに学習した知識や技能だけで最後まで働き続けることはできなくなってきた。
社会の変化に対応するためには、自分一人で学ぶ能力が不可欠だ。
この能力を持たず、新しいことを学ぶことができない中高年には、風当たりが強い。

 これまで学校では1人で学ぶ方法を教えていなかったから、一人で学ぶことができない人はどこにもいる。
もちろん学校にも。そのような人が、チョークと黒板文化を守っているのかもしれない。
一人で学ぶことができて、ネットが使えれば、容易に生涯学び続けることができる。

 チョークと黒板が悪いわけではないが、一人で学ぶことの重要性と一人で学ぶための技能を教えるべきだ。


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2021年4月10日 (土)

教育現場にハラスメントはあってはなりません <役人言葉では伝わらない>

文科省が始めた #教師のバトン が炎上していることを書いた。(2021/04/03)

教師という職業の良いところをtwitterに投稿してもらい、若い人たちに教師という職業を選んでもらおうというプロジェクトだ。
ところが、プロジェクトの思惑に反して、ほとんどの投稿は学校がいかにブラックな職場かという内容だった。
それを受けて、プロジェクトが投稿したのが↓の投稿。

教育現場にハラスメントはあってはなりません note (2021/04/05)

ご意見の中に、妊娠しても休みづらい、職員間でいじめに遭った、などハラスメントに関するものが多く寄せられました。

パワーハラスメント、セクシュアルハラスメント、妊娠・出産・育児休業等に関するハラスメントはあってはならないものであり、文部科学省としてもハラスメント防止に向けてしっかりと取り組んでいく必要があると想いを新たにしました。
(boldは原文ママ)

↑は冒頭の部分だけど、この投稿を読んで、文科省が何かをしてくれると感じた教師はいるのだろうか?
残念だけど「霞ヶ関語」で書かれているこの投稿は人の心に届かないだろう。

難解な霞ヶ関語の口語訳に挑戦してみよう。

教育現場にハラスメントはあってはなりません

口語訳:
 学校にハラスメントがあるなんて認めない!もしあるなら現場が弛んでるからだ!

解説:
 「ハラスメント」を「いじめ」に置き換えるとわかりやすい。「いじめ」と全く同じ構造なので、教育現場で「いじめ」がなくならないように「ハラスメント」もなくならないだろう。

 「あってはならない」は有効な解決手段がないときに、上位の者が責任を回避する際に、下位の者に責任を押し付ける時に使う言葉だ。
だから、「あってはならない」を聞くと現場は幻滅してしまう。

 

ハラスメントの防止等については、労働施策総合推進法等の改正法が令和2年6月に施行され、各学校を設置する地方公共団体の教育委員会は、ハラスメントを防止するための措置として、ハラスメントを行ってはならない旨の方針の明確化や、相談窓口の整備、ハラスメントがあった場合の事後の迅速かつ適切な対応などを行うこととされています。

口語訳:
 ハラスメントの防止は、教育委員会の責任になるように法律を改正してあるんだ。
だから、ハラスメントをゼロにするための具体的な行動は教育委員会のお仕事なんだ。念のために言っとくけど、文科省の仕事ではないので、そこんとこよろしく。

解説:
 「あってはならない」を上位のものが使うと「ゼロにせよ」という意味になる。しかし、「ハラスメント」も「いじめ」ゼロにならないのは歴史が示している。霞ヶ関の役人は賢いので、それくらいは分かっている。

 文科省が教育委員会に「ハラスメントをゼロにしろ」というと、それ自体ハラスメントだから、法律で決まっていると言っている。日本人は、盲目的にルールに従う人が多いから。
でも、その法律を作ったのは文科省だ。

 

文部科学省としても、ハラスメントは精神的・身体的苦痛を与え、受けた人の人格や尊厳を害するだけではなく、その言動を見聞きしている周囲の同僚にも精神的苦痛を与え、勤務環境を害するものであると考えており、各教育委員会とも協力して、ハラスメントの防止にしっかりと取り組んでまいります。

口語訳:
 そうは言っても、文科省は何もしてないわけじゃないよ。教育委員会に「ちゃんとやれ!」と言っとくよ。

解説:
 「各教育委員会とも協力して」の前提は「責任の範囲内で」ということ。
法律では、具体的な対策を実施するのは教育委員会だから、文科省は何か具体的な対策を実施しない。あくまで立場をわきまえて教育委員会に指示するだけだ。

 「しっかりと取り組んで」役人は公文書でを使うと「具体的には?」とか「数値目標は?」とか詰められることがよくある。形容詞、形容動詞は具体的な行動や数値目標が決まっていないということだ。政治家は「しっかりと」が多い。

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最初の、プロジェクトの志はどこへ行ったのだろう。
役人言葉では志は伝わらないけど、noteの最初の投稿を読んだときには、役人言葉の影に志を見たような気がした。
しかし、この投稿はスキがない。感じるのは自己保身だ。

きっと、原稿はかなりエライ人までハンコを貰ったんだろう。


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2021年4月 3日 (土)

教師のバトン <若者たちに期待している>

文科省がtwitterでやっている[#教師のバトン」プロジェクトが炎上しているようだ。

プロジェクトの趣旨は、文部科学省「#教師のバトン」プロジェクトを始めます! note (2021/03/26) にある。

現場で日々奮闘する現職の教師、教職を目指す方々の皆さんで、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例、学校にまつわる日常を遠く離れた教師、ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてバトンを繋ぐためのプロジェクトです。

らしい。ところが、現場はそれどころではないらしく不満が止まらない。

#教師のバトン”を付けてつぶやいているひとたち

これを受けて荻生田文部科学大臣は会見で

「もう少し品の言い書き方をしてほしい」(11:34あたり)とおっしゃるのだが、twitterを読むとずいぶん品が良いと思う。

2chと比べたら100倍上品だ。^^)

このプロジェクトは文科省の若手が主導しているらしい。意気やよしである。
ただし、

  • 理屈では正しい施策がなぜ現場まで伝わらないのか?
  • 現場の現状や意見など本音がなぜこのような表現になるのか?

を考えなければならないだろう。

自分の主張が相手に伝わらないときに、たいていの人は相手に問題があると考えるものだ。
教育に携わる人には、

  • 文科省で働いているのは教育行政を目指して官僚になった人たち
  • 教育委員会で働いているのは地方行政を目指して官吏になり、たまたま教育行政に携わっている人たち
  • 学校でで働いているのは教師をめざし教師になった人たち

がいる。つまり、教育に携わる人たちは、動機も目的も違っている人たちの寄せ集めだ。文科省、教育委員会、学校で勤務する人たちの目的は異なっているのではないのか。

それを承知したうえで一致する部分を探して、伝わるように伝える努力が必要だろう。

せっかく文科省の若い官僚がアクションを起こしたのだから、学校の若い教師もそれに応えてはどうだろう。
年寄りに期待したり、愚痴を言っていても明るい明日はやってこないしね。


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