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2021年8月

2021年8月 8日 (日)

モヤモヤが止まらない <東京五輪はたくさんの感動とたくさんのモヤモヤ>

東京五輪の閉会式が始まったが、期間中モヤモヤが解消されなかった。
開会式のモヤモヤはこちら。(オリンピック開会式 2021-07-25)

開会式直前の、小山田圭吾氏、小林賢太郎氏の解任について、

  • 過去の罪が許されることはないのか?
  • 過去の罪はいつまで罰せられるべきか?

というモヤモヤが解消されない。

小山田圭吾氏の件について、カズレーザ氏はテレビ番組で、事件後、反省し武遺跡、反省を示した形跡がないことを理由に、数十年経過した現在でも責めを追うべきと発言していた。これはこれで、一理ある。
しかしである、

  • 反省という他人の心の中をどうやって判断するのか?
  • 反省は、公表しなければならないのか?

という疑問は残る。

罪を犯した者は責めを追わなければならないし、過去に犯した罪は消えること無い。
法の世界では、殺人などの重大な罪を除いて、時効という考え方を取り入れている。また、罰を受ければその後、罰を受けることはない。
ところが、

  • 倫理の世界には時効はないのだろうか?
  • また、一生罰を受け続けなければならないのだろうか?

個々の市民が持つ権力は僅かだが、市民の集合であるネットは巨大な権力を持つようになった。
しかし、

  • ネットは個人に罰を与える役割を負うべきなのだろうか?

ネットは悪意8割、善意2割くらいだと思う、その、悪意8割の意見にに阿る政治家がいることにも、気味悪さを覚える。

東京五輪は、たくさんの感動と、たくさんのモヤモヤを残してくれた。


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2021年8月 6日 (金)

広島平和記念式典

核廃絶、世界の総意に 広島で平和記念式典【動画】 中国新聞デジタル (2002/08/06)

今年の平和記念式典はYouTubeのライブ配信で見ることができた。
総理の挨拶を聞いていたら、途中から字幕と音声が違ってきて、字幕が消えた。 原稿に自分で筆を入れたのかと思ったら、読み飛ばしたらしい。 (菅義偉首相あいさつ全文)

閑話休題
広島は核兵器廃絶と世界平和がセットになっているのだけれど、セットにしていることで身動きできなくなっているような気がする。

核兵器廃絶と世界平和は深い関係だが「核兵器廃絶なくして、世界平和なし」という主張に賛同できる人、特に為政者は少ないと思う。
現に紛争に巻き込まれ難民になった人、前線で戦闘している人にとっては、核兵器廃絶は現実的ではなくて、飢餓や健康など生命の安全が喫緊の問題だ。世界平和も現実的ではなくて、自分の周りの平和が重要だ。身の回りに平和が訪れて、生命の安全が確保されて初めて、世界平和、核兵器廃絶を考えられるのだろう。

「核兵器廃絶なくして、世界平和なし」という原理主義が無駄だと言うつもりはない。しかし、目の前の平和に四苦八苦している人のために何ができるのかも考えなければならないと思う。

子供の頃から、もやもやしていたのだけれど、口に出せない雰囲気が広島にはあったんだよね。

昔学校は8月6日は登校日だったんだよね。


2021年8月 1日 (日)

人の偶然をけなす人

話題のピアノユーチューバーは「ラッキー」なだけ? 小倉智昭の皮肉に共感の声 まいじつ  (2020/10/07) 

小倉智明氏の、今話題のポップスピアニストハラミちゃん氏に対するコメント

「『達者な人だな』とは思いましたけど…でもね」と、やや神妙なトーンで口を開く。続けて、「国際的なショパンコンクールを目指して、日夜ハゲんでいるピアニストの人も結構いるわけですよ?」「そういう人たちはほとんど、名前が出ずに終わってしまう。彼女の場合、ある意味ラッキーかも分からないですね」

に、ネットでは共感が多かったと言う記事。

小倉智明氏の発言は、ネットで批判されることが多いので、批判専門のメディアにネタを供給している感があるのだが、それはどうでもよい。

引っかかったのは「ラッキー」だ。

このコメントの「ラッキー」は否定的なニュアンスで、その否定的なコメントにネット民が反応し、そして、批判専門のこのメディアで取り上げられたのだろう。

「ラッキー」は否定されることなのだろうか。
自力による「努力」だけが称賛され、他力の「ラッキー」を否定する心理が働いているのではないだろうか。

他人に成功の要因を単なる「ラッキー」だと言われると腹が立つものだ。
しかし、冷静に考えてみると、確かに「ラッキー」はある。
「ラッキー」は宝くじに当たるようなものではなく誰にでも訪れる。
その「ラッキー」を自分のものにできるかどうかで成功が決まるのだと思う。ところが、成功した人は、自分の成功は努力の結果で、他人の成功は「ラッキー」によるものだと考えがちだ。若いころはそのように考えていたような気がする。

「ラッキー」は一生に1度だけではなく、結構やってくるものだ。
50代になって自分の人生を振り返ると、ほぼ「ラッキー」で生きてきたことに気が付いた。

努力が報われないと考えている人は、「ラッキー」がやってきたことに気が付いていないかもしれない。


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