書籍・雑誌

2021年12月 4日 (土)

「仕事ができる」とはどういうことか?


「仕事ができる」とはどういうことか?  楠木 建 山口 周 株式会社 宝島社

Photo_20211203213201

「仕事ができる」は個別の職場、職種ではなんとなくイメージできるけれど、抽象的に捉えようとするとかなり難しい。

楠 木建氏の言う「仕事ができる」は「スキルがある」とは似て非なるもので、簡単に言えば「成果を出せる」ことらしい。
具体的には「頼りになる」「安心して任せられる」「この人ならなんとかしてくれる」、極論すると「この人じゃないとダメだ」と思わせる人らしい。

「仕事ができる」ためには「スキル」だけでなく「センス」が必要とおっしゃる。しかし、「センスを磨く」という言葉は知っているが、具体的な方法論が明文化できないように「センス」は言語化しにくい。

そこで、センスがある人を多く語ることで、捉えどころのない「センス」を理解しようという内容。
つまり「要するにこういうことだよな」という抽象化が重要だとおっしゃる。

他人や他業種の成功例を自分や自分の仕事にそのまま使えることはない。
だから、この本に登場する、著名な人の手法をそのままパクれない。
そもそも、経営者の問題と現場で働いている読者の問題は違うから、経営者の手法ではなく、考え方を自分の行動に反映できるまで抽象化しなくてはならない。

「〇〇技術」や「〇〇の方法」のようなハウツー本は、抽象化しなくても、自分の行動に反映することができる。
ところが「スキル」をいくら重ねても「センス」にはならない、「センス」は抽象化から得られる。

技能職の場合はどうだろうか?

若い頃は、抽象化ができなかったから、技術書ばかり読んでいた。
技能職の命は「スキル」だから仕事ができるためには「スキル」高めなければならない。
技術書は「スキル」を得るためのものだから、自分の仕事に使える。

「スキル」を高めようとすると具体化、先鋭化してくるから、抽象化が必要な「センス」とは相容れない。
ある程度「スキル」が高くなると、思うように高くならなくなってくる。
いわゆる伸び悩みだ。経験では、そこで一旦、抽象化すると、壁を破ることができる。

プログラムを作ることはできるけれど、特定の言語でしかプログラミンでできないと言う人がいる。
特定のプログラミング言語を扱う「スキル」は高いが、プログラミングの「センス」が無いいから、異なる言語の習得が困難なのだ。

プログラミング言語は流行りすたりがあるから、流行らないプログラミング言語の「スキル」はいくら高くても、市場価値は低い。

そこで、抽象化してプログラミング言語に依存しないプログラミングを理解すると、どのようなプログラミング言語でも比較的簡単に習得できるようになる。

具体化と抽象化を行きつ戻りつしながら「スキル」と「センス」両方を習得することで、仕事ができるようになるのだと思う。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ

2021年11月18日 (木)

ぜんぶ、すてれば

ぜんぶ、すてれば 中野善壽、宮本恵理子 ディスカヴァー・トゥエンティワン

Photo_20211117232601

中野善壽氏の生き方は軽やかで、安定を求めていない。
それは見出しに表れている。

  • 未来を語れる仲間だけでいい。
  • こだわりを捨て、相手が求めるものを差し出す。
  • 思い出も捨てる。役立たないから。
  • 人付き合いを捨てる。未来を語れる仲間だけでいい。
  • 世の中に安定はない。常に流れるのが自然の摂理。

重要なのは未来で、あえて現在と過去を評価しないようにしているように見える。

現在を評価しようとすると、現在につながる過去を評価せざるを得ない。

過去は全て事実で変えることができないから、過去に失敗や後悔があると、それに囚われてしまうことがある。
過去に成功や達成感があると、やはりそれに囚われてしまい、未来に目を向けることができない。

過去を志向するか未来を志向するか、それは個人の生き方だから、どちらが良いというものではないだろう。

未来を志向したいのに過去の失敗に囚われていたり、過去を志向したいのに成功や達成感が少なかったりすると、思い通りにならないものだ。そのようなときには、良い過去も悪い過去も、その評価を時間と共に下げると良い。

過去を全て否定する必要はないし、一度に下げなくてもよい。
良い過去の評価を下げることには抵抗があるが、運が良かっただけかもと思えるようになると、悪い過去も運が悪かっただけかもと思えるようになる。

すると軽くなれる。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ

2021年7月15日 (木)

なぜデジタル政府は失敗し続けるのか

なぜデジタル政府は失敗し続けるのか
消えた年金からコロナ対策まで
 日経コンピュータ  日経BP

Photo_20210710230901

日経コンピュータの動かないコンピュータお役所版という感じだ。

IT人材という言葉がたくさん出てくる。そしてIT人材の不足が原因として挙げられている。

IT人材不足と言うが、日本の社会はIT人材を消耗品扱いするから当然のことだ。35歳限界説は都市伝説では無い。

役所はIT人材のキャリアパスが無い。ゼネラリスト用のキャリアパスしか用意されていない。さらに、転勤サイクルが短いから専門性を高めることが困難だし、専門性を高めたところで、処遇されない。だから、IT人材は不足する。

平井デジタル大臣は、「デジタル庁に求める人材像は」との問いに対して、

 一言で言うなら、「次の時代をこうつくりたいという熱意と技術、能力を持った人」になると思います

とおっしゃるが、現状ではかなり多い困難が待ち構えているだろう。

熱意と技術、能力を持った人が失望しない組織にするには、熱意と政治力、能力を持ったトップが不可欠だ。平井デジタル大臣がそのような人材であることを願っている。

デジタル庁は省庁・官民の寄り合い世帯だ。今後独立した省庁になるのか寄り合い世帯のまま、省庁間、企業間の代理戦争の場のなるのか注目しておこう。

既に、刺し合いが始まっているのかもしれない。真っ先に刺されたのが大臣とは先が思いやられる。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ

2021年7月12日 (月)

The Intelligence Trap

The Intelligence Trap(インテリジェンス・トラップ)
なぜ、賢い人ほど愚かな決断を下すのか
 デビッド・ロブソン 日経BP

Intelligencetrap

デビッド・ロブソン氏は、

一般的知能や学校教育は、私たちをさまざまな認知的過ちから守ってくれないだけではない。賢い人はある種の愚かな思考に人並み以上に陥りやすいのだ。

とおっしゃる。これを「知性の罠」「インテリジェス・トラップ」と呼んでいる。そして、一般的な知能が高いほど正しい判断ができると思いがちだが、この前提は間違っているという。

一般的な知能はIQテストで数値化できるから、IQの値が賢さを示していると思われている。日本ではIQの代わりに、なんだかわからない偏差値という数値が賢さを示していると思われている。

IQが高い人の方がより妥当な判断ができるとは限らないことは、40年働いてきてわかった。

IQと学歴の相関はかなり高いという前提で考えると。経験的には学歴と仕事ができるかどうかの相関はかなり低い。

判断を伴わない作業ならば、IQが高い方が処理速度や出来栄えが良いから、判断を伴わない作業を行う者が多く必要なら学歴を重視するのは、あながち間違いではないだろう。しかし、判断や意思決定、創造性はIQとの相関は低いから、リーダやマネジャーを学歴で選ぶと、

 意思決定しない、前例踏襲の組織になる可能性が高い。

意外だったのは、日本教育が絶賛されていることだ。

デビッド・ロブソン氏によると、日本の教育はインテリジェンス・トラップが起こりにくい教育方法らしい。

しかし、
日本人が考えている「賢さ」はIQではなく偏差値だからだろうか、同じように「インテリジェンス・トラップ」はある。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ

2021年5月 6日 (木)

日本の教育はダメじゃない

日本の教育はダメじゃない ─国際比較データで問いなおす
小松 光(こまつ・ひかる)ジェルミー・ラプリー 筑摩書房

Photo_20210424164501


 何かと批判される日本の教育について、データを見ると識者が言うほど悪くわけではなく、エビデンスベースで議論すべきとおっしゃる。ピザティムズピアックなどのデータを示して客観的に論じてある。

 結論は、日本の子供は学力が低くないし、創造性も低くないという。

 教育は効果が現れるまで時間がかかるから、現在の社会の状況と、現在の教育制度を関連付けて議論するのは無意味だ。 現在の教育制度の評価が明らかになるのは、現在教育を受けた子供たちが未来社会を担うようになってからだ。

 ピザでは「創造的問題解決」のテストも実施していて、参加44カ国日本は3位らしい。しかし、違和感がある。 実感としては「問題解決能力」の高低より、問題を解決しようとしない姿勢に問題を感じる。

 ICT業界にいたときに感じたことは、最近の若い人たちは能力がありながら、その能力を身近な問題解決に使わず、誰かが問題を解決した手法を真似ようとする。後に、小学生にプログラミングを教えたときに感じたことは、先生が答えを言うのを待っている子が多いということだ。 中には、違う問題の答えを考えたり、アートに没頭したり、違う楽しさを発見して、先生の答えを待たない「創造性」を発揮する子が少数だけどいる。

 仕事を始めた若い人たちが、自分の能力を問題解決に使わないのは、教育の結果なのか、日本人の習性なのかはわからない。しかし、少なくとも小学生ですでに「創造性」より、先生が言う正解を待っている子は多い。

 考えてみると、それは、大人の要請ではないかと思う.大人や大人の社会が「創造性」より「正解」を求めているのだ。

 この本では、「キャッチアップ精神」と表現されている。明治以来の、欧米の成功例をなぞる姿勢だ。

キャッチアップ精神が生き続けているから、日本人はアメリカ人・イギリス人と比較して、能動性・自立性が欠けている(アクティブでない)と感じられるのです。そして、その欠落を埋めるために教育を変えれば、日本の子どもたちは創造的になり、最終的に日本の経済や社会が良くなると信じられるわけです。

とおっしゃる。

 冒頭に述べたが教育において成果が現れるには時間がかかる。 だから、欧米に成功例を発見したら、それは何十年か前の教育制度の成果だ。 今時、何十年か前に欧米で流行った教育制度で、未来を生きることどもたちを教育するのは無理があるよなあ。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【ICT×教育】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ

2021年4月30日 (金)

教育委員会が本気出したらスゴかった。

教育委員会が本気出したらスゴかった。 コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡
佐藤 明彦 時事通信社

Photo_20210424160701


 熊本市がわずか数ヶ月で1人一台環境を整備して、いち早くリモート授業に対応したことにフォーカスされがちだが、それまでの行政トップの決断や現場への支援は見逃されがちだ。

 チョークと黒板があれば授業ができると思っている教師や管理職が少なからずいる。そう考える人は有名進学塾のように録画した授業を配信すればよいだろうと考えるようだ。 授業を受ける生徒は、有名進学塾の講師の授業より、オンラインの経験がない先生の授業を必ず選択すると思っているのだろうか?
録画した授業を配信すれば学校外の講師との競争にさらされ、外部から客観的な、ときに辛辣な評価を受ける。その準備はできているのだろうか?

 ネットには、1人一台環境での授業や遠隔授業の成功例が紹介されている。成功例には共通点があるようだ。

○トップの決断

 成功にはトップの決断と現場の推進役が不可欠なようだ。トップは、行政のトップ市長であったり、教育委員会のトップ教育長であったり、現場のトップ校長であったりだ。推進役は教育長であったり、学校の先生であったりだ。

 トップは方針を決められるが、実際の作業はできないから、トップの方針を現場で遂行する推進役が必要だが、少なくとも、トップの強い意志がなければ、現場の教師の行動を変えることはできない。 

○現場の推進役

 全ての現場の教師がICTに詳しいわけではないから、現場でICTの活用を推進する教師も不可欠だ。

 教育指導要領が変わったから仕方なく対応するレベルでは対応できないくらいの変革だから、ICTに詳しくなくても良いので、これから先の社会でのICTの重要性とどのようなスキルが必要か理解しておいてほしい。

 この本で紹介されている熊本市も熊本地震の経験から、市長が危機感を持ち、現場は遠隔授業の問題点を洗い出していたからこそ短期間で実現できたのだろう。

○ICTに詳しい人

 成功例を見ると、キーパーソンにICTに詳しい人がいる。GIGAスクール構想実現のために、ICTの知識を持ったアドバイザーを公募している自治体もあるようだ。

 この役割で貢献できるかもしれない。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【ICT×教育】【雑誌・書籍】【Yoshiのブログ

2021年2月25日 (木)

なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか <凡人が秀才と勝負するための武器>

なぜ、いま学校でプログラミングを学ぶのか―はじまる「プログラミング教育」必修化 平井聡一郎、利根川裕太 技術評論社

Photo_20210223015201

利根川裕太氏は

もしエンジニアの方に、プログラミング教育の助っ人をお願いするとしたら、「社会で、どのようにコンピュータが活用されているのか」といったテーマや、「プログラミングスキルを持つことのキャリア」といった話をしてもらうことが適していると考えています

とおっしゃる。

 40年仕事をしてきて「プログラミングスキルが最も役に立ったスキルです、ひょっとすると自転車に乗るスキルより役立っています」と、先生には伝えている。

 なぜならば、プログラミングができれば、凡才でもプログラミングができない秀才と勝負ができるからだ。 でも、プログラミングができる秀才や天才には敵わないのだけれど。

 秀才は天賦の才能がある。天賦の才能がなくても、後天的にプログラミングスキルを獲得することで、天賦の才能を凌駕できる可能性があるである。

 プログラミングスキルがあれば、CPUパワーを操ることができる。CPUパワーは金で解決できるのである。金で能力が変えるなら、天賦の才能に恵まれなかった凡人にとってこれほどの武器はないと思う。

 場合によっては、天才をも超えることができる。将棋や囲碁が良い例で、将棋や囲碁のトッププロは天才中の天才だ。その大天才がAIに負けたことは多くの人が知っているだろう。

 マスコミは、人間vs AIのように報道するけれど、実は、天才vsAIをプログラミングした人の戦い。つまり人対人の戦いなのだ。そして、AIをプログラミングした人は天才に勝ったのである。

 40年技術の世界で生きてきた、プログラミングスキルをもった凡人として、子供たちにも紹介しよう。


最近の投稿
Yoshiのよしなしごと】【ICT×教育】【Yoshiのブログ