ICT×教育

2021年9月28日 (火)

いじめ問題とICT <学校だけの、子供だけの問題ではない>

町田市の小学校で発生したいじめ事件が話題になっている。
第三者委員会が設置されたらしいので、原因が解明できて再発が防止できることを願っている。

一連の報道で気になるのは、主因でなく遠因がフォーカスされていること。
マスコミは原因を解明することが目的ではないから仕方がない。
販売部数は視聴率が取れそうな話題にフォーカスするのは仕方がない。

多くのマスコミが取り上げている話題は、GIGAスクール端末の

  • パスワードが共通だったこと
  • チャットが規制されていなかったこと

が指摘されているが、どうもすっき入りしない。
この2点は主因ではないからだろう。

こんな記事が目に留まった。

異なるパスワードを使っていても、チャットを規制していても、この問題は解決しない。
なぜなら、問題はいじめが存在し、大人がいじめに対応することができなかったことだから。

閑話休題

とはいえ、パスワードの管理とチャットは重要だ。
パスワードの管理が杜撰だとか、個人同士のチャットを規制していないなどの正論を唱えても問題は解決しない。

●パスワードの管理

低学年では難しいだろう。高学年になっても、いきなり管理するのは難しい。
30人もいれば、capsやカナになったままパスワードを入力したり、パスワードを忘れたりする子供はいる。
このようなログインのトラブルに1人の教師が対応していたのでは、学習の時間がなくなってしまう。

パスワードの管理について正論を述べているマスコミは多い。
しかしだ。
大人は皆、マスコミがが書いているようにきちんとパスワードを管理しているのだろうか?
ポストイットにパスワードを書いてディスプレイの縁に貼っている大人はいないのだろうか?
"1234"や"qwer"をパスワードにしている大人はいないのだろうか?

学校だけの問題、子供だけの問題にしてはいけない。

●チャット

GIGA端末で自由にチャットが使えることについては、整備される間から議論があった。
GIGA端末に限らずSNSの利用や文字でのコミュニケーションの注意点は、多くの学校で、情報モラルの授業で教えている。
チャットを規制していない学校は、検討した上でチャットを規制しなかったのだろう。

全ての親や教師などの大人が、適切なSNS使い方を指導できるわけではない。
それは、SNSで頻繁に発生する、誰かを死に追いやる炎上を見れば明らかだろう。

GIGA端末でチャットを規制することは問題の解決にならない。

子供たちは遅かれ早かれスマホを使うだろう。
それまでに、SNSでのコミュニケーションについて指導できなければ、問題を先延ばしするだけだ。

結論

パスワードの管理やチャットの利用について正論を語ることは簡単だ。
大人は、子供たちに満足な指導できないできないことを知るべきだ。

そこから、始まる。


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2021年6月 7日 (月)

教育現場の連絡手段

教育現場の連絡手段は令和時代でもやはり…
ICT教育の情報収集は意欲的だが環境は未整備
東洋経済 (2021/01/10)

まだまだGIGAスクール構想自体の具体的な内容の啓発は必要と考えられるが、ICT教育に向ける先生方の興味関心は高く、情報収集や研修などに積極的に取り組んでいる様子がうかがえた。

と結論付けているけれど、アンケートに答えた人は意識が高く、意識が低い人はアンケートに答えていないのではないだろうか?

閑話休題

 業務改革にICTは付き物だ。そして、業務改善にICTを使うのではなく、ICTが活用できるように業務を変えることが重要だ。

 これまで、何度もIT化(古くはOA化)の掛け声のもと業務改善に取り組んできた。ところが、改善できないのである。なぜならば、改革でなく改善しているから。

 ICTの活用に取り組む人の多くは、現在の仕事のやり方を変えずに、個々の業務をICT化する。すると、ICT化は進むが業務は改善しない。改善しないどころか手間が増えたりする。

 学校ではGIGAスクール構想の目的を理解しないまま、これまでの教え方をICT化しようとしているのかもしれない。

 例えば、板書の代わりに大型ディスプレイやプロジェクタに表示する例は多いようだ。たしかに先生の手間は省ける。これをGIGAスクール構想で導入される、生徒のタブレットに表示したところで、先生から生徒に対する一方向の授業に変わりはない。

〇ノート

 生徒が手書きでノートを取ることに拘る人も多いようだ。

 漢字が書けなくなるとか、メモが取れなくなるとか理由を挙げるのだが、これまでは、手書きでメモを取る技能は必要だった。しかし、将来、手書メモの重要性は現状のままなのだろうか?音声認識技術も実用化されているし、携帯可能なデバイスも実用化されている。

〇辞書

 紙の辞書を引くことに拘る人も多い。

20年くらい前に娘が中学生だったときに、授業で電子辞書が必要だというので貸したことがある。娘に「軟弱者め」と言ったら、娘曰く、先生が電子辞書にしなさいと言ったのだと。

 先生は、辞書を引く目的は単語の意味を知ることだから、紙の辞書は効率が悪く授業時間がもったいないのだとおっしゃったらしい。

 とうとう、そんな時代が来たかと思ったのが20年前だ。ところが、未だに紙の辞書を引くことが重要らしい。

 全ての辞書がデジタル化するまでは、紙の辞書を引く最低限の技能は必要だが、紙の辞書を引く技能を向上させる必要性は低い。 今時一般人は、Googleに尋ねる方が速い。そして、子供たちは常時ネットにつながるタブレットを持つようになるのだ。

 板書も、紙の辞書も時代遅れだから廃止すべきというつもりはない。確かにこれまでは重要だった。 それは、その方法しかなかったからだ。別の方法方が使えるようになった今、板書、紙の辞書を引くことの目的を考え直す必要があるのだろう。

 目的を考えれば自ずと、現在において最適な方法が見えてくるだろう。

 もちろん、その方法は未来永劫最適とは限らない。


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2021年5月23日 (日)

GIGAスクール構想のハードウェア

GIGAスクール構想でChromebookがシェアを拡大する一方でiPadが苦戦している理由  @DIME 2021.05.16

GIGAスクール構想で導入されている端末は、Chromebookが44%、WindowsとiPadがそれぞれ23%くらいらしい。思いの外Chromebookが多い。

ICT業界にいる人は配布されるハードウェアに目を奪われてがちだが、ChromebookかiPadかWindowsかは些細な問題だ。問題は他にたくさんある。

◯結論を先に
大人が、GIGAスクール構想を理解しなければならない。

  • 保護者、特にICTに詳しい保護者は教育現場を知る努力をすべきだ。貢献できることが沢山ある。
  • 教育者、特にICTに疎い教育関係者は外部の知識を活用する努力をすべき。
  • 教育行政に携わる人は、目的とビジョンを、役人言葉でなく平易な言葉で説明する努力をすべき。

◯ハードウェア
GIGAスクール構想の整備は国が全て面倒見てくれるわけではなく、1人あたり4,5000円の補助なので、あとは自治体の負担だ。

国から昨年度中に全員に1台配布するように指示されているので、自治体の財政状況と、児童生徒数で選択肢が限られる。予算と折り合うのはChromebookが多かったということだろう。

◯教育支援ソフト
配布される端末(H/W)に目を奪われてがちだが、ソフトも重要だ。
教師が資料を児童・生徒のPCの表示したり、教師、生徒・児童が情報を共有したり、課題を配布・提出する機能が必要だ。この機能がないと検索専用端末になる。(最初は検索にしか使われないのでは)

◯オフィスソフト
また、今時はオフィス・ソフトも必要だ。
MSOffice(デスクトップ版/オンライン版)にするのか、それとも、google アプリにするのか、iOS付属のアプリにするのかで金額が変わる。自動・生徒全員分だから馬鹿にならない。

現在、社会はMS-Office全盛だからMS-Officeが良いだろうと考えるのは早計だ。教えるべきはWord、PowerPointを使って印刷物を作る技能ではなく問題解決にワープロ・ソフト、プレゼンテーション・ソフトを使う方法だ。

◯後年度負担
さらに、今回の整備は国の補助があるが、リプレース時に補助があるかどうか分からない(国民の関心次第)ことを考えると、初回整備で無理をするとリプレースできなくなるかもしれない。

リプレース時期を延延ばしても子供に4年も5年も使わせるのは無理だろう。と考えると、持ち帰りを許可せず、たくさん制限して使いにくくせざるを得ない。 +_+)

◯回線
回線も問題で、Wifiモデルにすると学校の設備が必要だが、帯域保証すると回線料金が高いのでベストエフォートにせざるを得ない。実際20MBpsくらいしか出ない回線はあってこれを数百人が使うことになる。(授業で使用すればするほど使えなくなる。)

遠隔授業で先生の講義を配信しようとすると家庭の回線環境にに左右される。兄弟姉妹がいて、両親がテレビ会議で使っていたら、従量制や上限がある回線契約ではすべての授業で映像を配信するのは難しい。

LTEモデルにすると校外学習で使えたり、家庭で家族に気兼ねなく使えるのだが、ランニングコストが高い。

先進的な取り組みをしている学校では既に学年単位で1人1台PCを整備した学校があるようだが、GoogleやMS、キャリアに協力してもらっていたようだ。さすがにキャリアは全て面倒見れない。

◯予算
予算の制限があるなら、何を重視するかは自治体(教育委員会)次第だ。ところが、教育委員会には現場を知る人が少ないらしい。いたとしても教師には予算獲得、契約などの役人仕事は難しいだろう。

「将来の日本のために教育は最優先課題」は超正論で若い世代には受け入れられやすい。しかし、高齢者や高齢者率が高い自治体にとっては高齢者福祉政策の方にに関心があるだろう。

だから、トップのリーダシップが必要だ。

環境整備が進んでいるのは教育に力を入れている地方の自治体で、コロナの前から1人1台配布されていたりする。子供が少ないので予算額が少ないから、トップが裁量できる範囲におさまる。自動・生徒の数が多いと選択肢は少なくなる。

Chromebookのシェアが多いのは、予算という制限の中での妥協の産物かもしれない。

◯結論
環境を整備する人、教える人、保護者など、全ての大人に、GIGAスクール構想を理解している人が少ないように思う。子供たちがパソコンを使うことが目的ではないし、授業でICTを使うことが目的でもない、ハードウェアは道具に過ぎない。

ネットを見ていると、手段や道具についての議論が多いようだ。自分が詳しいところについて、行政や教育現場を批判する人は多い。しかし、目的を理解した上での批判でなければ、世の中は変わらない。

  • 保護者、特にICTに詳しい保護者は教育現場を知る努力をすべきだ。貢献できることが沢山ある。
  • 教育者、特にICTに疎い教育関係者は外部の知識を活用する努力をすべきだ。ICTを使うことでできなかったことができるようになる。
  • 教育行政に携わる人は、目的とビジョンを、役人言葉でなく平易な言葉で説明する努力をすべきだ。一般時は役人言葉を理解できない。

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2021年5月15日 (土)

GIGAスクール構想の後

EDIX Tokyo 2021に行ってきた。(教育総合展2021 (2021/05/14))

人ごみをかき分けるのは気が引けたので、朝一から最後までセミナーを受講した。
立命館小学校 ICT 教育部長 正頭英和先生の講演が良かった。

話題はGIGAの後何をすべきか?

「チョーク黒板さえあれば授業はできる」のような話を聞くことが多かったので、ちゃんと考えている現場の先生もいるんだと安心した。

GIGAスクール構想は生徒・児童に端末端末を配ることが目的ではないし、紙と鉛筆をICTで置き換えることが目的ではない。ICTを使うと授業が効率化できて、これまで8時間必要だった授業が6時間でできるようになる。生み出した2時間で何を教えるかが重要だとおっしゃる。

現場には、ICTvs紙と鉛筆、1人1台端末は必要vs必要ない、教えられるvs教えられないという二項対立問題として捉える教師は少なからずいる。今後教師が生徒・児童に、教えられないことは今以上に増えるだろう。これまでは正解があって教えらることしか教えていなかったから、顕在化していなかっただけかもしれない。

正頭英和先生は、教師は教えることから生徒・児童と共に体験することが必要だとおっしゃる。

正頭英和先生が紹介された事例が良かった。

小学5年の児童がある日「先生、メガロドンは生きてると思う」と言ってきたそうだ。
先生自身はメガロドンに詳しいわけではないから、スマホを使ってWikipediaで調べたら360万年くらい前に絶滅したサメだということが分かったらしい。

大人はつい「絶滅していると書いてあるよ」と言ってしまいがちだが、先生が「何でそう思うの?」と尋ねたたら、その児童の答えは要領を得なかったそうだ。

そこで、サメの研究者を調べて電話したら、その研究者がzoomで授業に参加してくれることになったらしい。(すごいフットワークだ)
「メガロドンは生きていると思う」と質問した児童に対して、研究者の先生は「ぼくもメガロドンは生きていると思う」と答えたそうだ。
そして、メガロドンが生きていることを証明できる条件を教えてくれたそうだ。

その児童は六年生になって、メガロドンが生きていることの証明に取り組んでいて、将来サメの研究者になりたという希望を持っているそうだ。

先生も知らないメガロドンに関する児童の興味を問いに変えて、さらにその問いを、自律的な学習につなげている。おそらくその児童の自律的な学びは続く。

重要なことは、こどもが発信したこと疑問に変えることだ

正頭英和先生によると、子供たちからいきなり疑問が出てくるわけではなくて、嬉しいこと、悲しいこと、困ったことは発信されやすく、教師はそれを見つけて問いに変えることが必要なのだとおっしゃる。そして、その問いの答えは教師が教えるのではなく、子供が自ら見つけるものだと。

とはいえ、この考え方を具体的な行動に落とし込まなければ、現場でこどもたちに寄り沿うことはできない。

具体的な行動として次の3点を、正頭英和先生は挙げられた。

  1. その子の持つ少し外の情報を与える
  2. 子供の発信を問いに変える
  3. 小さな問いを大きくする

こどもたちへの対応を一言でうと、
「スピード・ポジティブ・ハイテンション・フィードドバック」
らしい。

教師に求められる役割は変わったようだ。

知識を子供に教えることから、こども自信が自ら学び自ら答えをみつける行動様式を身につけさせることになった。

質問をした児童が将来サメの研究者になって、メガロドンを発見したらすごいことだ。
もし、そうなったときに正頭英和先生の最大の功績は、児童の可能性を潰さなかったことだろう。

大人が子供の可能性を潰ぶさなければ、大人たちが解決できなかった問題を子供たちが将来解決してくれるだろう。

日本の教育界も捨てたもんじゃないと思う講演だった。


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2021年5月 6日 (木)

日本の教育はダメじゃない

日本の教育はダメじゃない ─国際比較データで問いなおす
小松 光(こまつ・ひかる)ジェルミー・ラプリー 筑摩書房

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 何かと批判される日本の教育について、データを見ると識者が言うほど悪くわけではなく、エビデンスベースで議論すべきとおっしゃる。ピザティムズピアックなどのデータを示して客観的に論じてある。

 結論は、日本の子供は学力が低くないし、創造性も低くないという。

 教育は効果が現れるまで時間がかかるから、現在の社会の状況と、現在の教育制度を関連付けて議論するのは無意味だ。 現在の教育制度の評価が明らかになるのは、現在教育を受けた子供たちが未来社会を担うようになってからだ。

 ピザでは「創造的問題解決」のテストも実施していて、参加44カ国日本は3位らしい。しかし、違和感がある。 実感としては「問題解決能力」の高低より、問題を解決しようとしない姿勢に問題を感じる。

 ICT業界にいたときに感じたことは、最近の若い人たちは能力がありながら、その能力を身近な問題解決に使わず、誰かが問題を解決した手法を真似ようとする。後に、小学生にプログラミングを教えたときに感じたことは、先生が答えを言うのを待っている子が多いということだ。 中には、違う問題の答えを考えたり、アートに没頭したり、違う楽しさを発見して、先生の答えを待たない「創造性」を発揮する子が少数だけどいる。

 仕事を始めた若い人たちが、自分の能力を問題解決に使わないのは、教育の結果なのか、日本人の習性なのかはわからない。しかし、少なくとも小学生ですでに「創造性」より、先生が言う正解を待っている子は多い。

 考えてみると、それは、大人の要請ではないかと思う.大人や大人の社会が「創造性」より「正解」を求めているのだ。

 この本では、「キャッチアップ精神」と表現されている。明治以来の、欧米の成功例をなぞる姿勢だ。

キャッチアップ精神が生き続けているから、日本人はアメリカ人・イギリス人と比較して、能動性・自立性が欠けている(アクティブでない)と感じられるのです。そして、その欠落を埋めるために教育を変えれば、日本の子どもたちは創造的になり、最終的に日本の経済や社会が良くなると信じられるわけです。

とおっしゃる。

 冒頭に述べたが教育において成果が現れるには時間がかかる。 だから、欧米に成功例を発見したら、それは何十年か前の教育制度の成果だ。 今時、何十年か前に欧米で流行った教育制度で、未来を生きることどもたちを教育するのは無理があるよなあ。


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2021年4月30日 (金)

教育委員会が本気出したらスゴかった。

教育委員会が本気出したらスゴかった。 コロナ禍に2週間でオンライン授業を実現した熊本市の奇跡
佐藤 明彦 時事通信社

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 熊本市がわずか数ヶ月で1人一台環境を整備して、いち早くリモート授業に対応したことにフォーカスされがちだが、それまでの行政トップの決断や現場への支援は見逃されがちだ。

 チョークと黒板があれば授業ができると思っている教師や管理職が少なからずいる。そう考える人は有名進学塾のように録画した授業を配信すればよいだろうと考えるようだ。 授業を受ける生徒は、有名進学塾の講師の授業より、オンラインの経験がない先生の授業を必ず選択すると思っているのだろうか?
録画した授業を配信すれば学校外の講師との競争にさらされ、外部から客観的な、ときに辛辣な評価を受ける。その準備はできているのだろうか?

 ネットには、1人一台環境での授業や遠隔授業の成功例が紹介されている。成功例には共通点があるようだ。

○トップの決断

 成功にはトップの決断と現場の推進役が不可欠なようだ。トップは、行政のトップ市長であったり、教育委員会のトップ教育長であったり、現場のトップ校長であったりだ。推進役は教育長であったり、学校の先生であったりだ。

 トップは方針を決められるが、実際の作業はできないから、トップの方針を現場で遂行する推進役が必要だが、少なくとも、トップの強い意志がなければ、現場の教師の行動を変えることはできない。 

○現場の推進役

 全ての現場の教師がICTに詳しいわけではないから、現場でICTの活用を推進する教師も不可欠だ。

 教育指導要領が変わったから仕方なく対応するレベルでは対応できないくらいの変革だから、ICTに詳しくなくても良いので、これから先の社会でのICTの重要性とどのようなスキルが必要か理解しておいてほしい。

 この本で紹介されている熊本市も熊本地震の経験から、市長が危機感を持ち、現場は遠隔授業の問題点を洗い出していたからこそ短期間で実現できたのだろう。

○ICTに詳しい人

 成功例を見ると、キーパーソンにICTに詳しい人がいる。GIGAスクール構想実現のために、ICTの知識を持ったアドバイザーを公募している自治体もあるようだ。

 この役割で貢献できるかもしれない。


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2021年4月26日 (月)

音楽科の評価

 音楽ソフトが気軽に使えるようになってきた。子供でも感覚的に使えるソフトは沢山あるから、音楽の授業で使う環境は整っている。 ところが、音楽の授業で音楽ソフトを使うことに拒否感を持っている人がいるようだ。 その理由の一つが、評価ができないということらしい。 特に作曲の評価ができないらしい。

 音楽科の評価を調べてみたら見つかった。

音楽の4つの評価ポイント みんなの教育技術 (2019/12/02)

音楽の評価の観点は4つあります。

① 音楽に対する関心・意欲・態度
趣旨:音楽に親しみ、音楽を進んで表現し、鑑賞しようとする。

② 音楽表現の創意工夫
趣旨:音や音楽のよさや美しさを感じ取り、それらを音楽活動の中で創意工夫し、生かしている。

③ 音楽表現の技能
趣旨:音楽を表現するための基礎的な技能を身に付けている。

④ 鑑賞の能力
趣旨:音楽を楽しく聴取、鑑賞し、そのよさや美しさを味わう。

らしい。

 初等教育で教えている音楽は芸術(art)と思っていたが、評価基準をみると芸術ではないようだ。
今までどうやって芸術を教えて、どうやって評価するのか、疑問だったが、ようやくわかった。芸術ではないのだ。

 経験では、作曲しようとしても残念ながら音が浮かんでこなかった。楽器で演奏できる人は思いついた旋律を楽器を使って音にして確かめることができるけど、楽器が演奏できな人は、思いついた旋律の良し悪しが判断できない。

つまり、
いくら真面目に取り組んでも、楽器が演奏できない児童は、旋律を生み出すことはできない。

ところが
音楽ソフトを使うと音にしてくれるので、思いついた旋律が心地よいものかどうか判断できる。

音楽ソフトでの作曲では評価できないと言う人は、偶然素晴らしい作品ができることを恐れているらしい。

しかし、
それは「無限の猿の定理」だから、心配しなくて良い。 猿にタイプライターを叩かせたら、いつかシェイクスピアの作品を打ち出すという「無限の猿の定理」だ。

 子供は猿ではないけれど、限られた時間で偶然素晴らしい曲ができる可能性は極めて極めて小さい。

 σ^^)はパソコンは得意で音楽ソフトを使って作曲する方法は知っているが、聞くに耐える曲は作れない。

つまり、
評価できないのではなく、コンピュータを使いたくないので、使わない理由を考えているだけではないだろうか。


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2021年4月15日 (木)

チョークと黒板があれば授業ができる?

「チョークと黒板があれば授業ができる」という言葉を何度か聞いた。
冗談でも何かの比喩でもなくそう考えている人はいるようだ。

 他人に知識を伝えるときに、印刷のコストが高い場合には、チョークと黒板は良いシステムだ。
このシステムでは、教師も生徒も自分の手で書くこと、文字が読めることは重要だった。

 50年前の小学校は、印刷はコストは高かった。少量ならば青焼(死語だね)大量ならばガリ版刷りだった。
だから、日々の授業で気軽に使えなかったのだろう。担任の先生がガリ版刷りの学級通信を配ってくれると嬉しかった。

 印刷コストが高い場合には、生徒の考える時間を削っても、板書せざるをえなかったのだろう。

 今時は毎回書くことを変えていないなら、板書せずPowerPointで作成して投影すると効率的だ。
生徒の反応を見て板書を変えるたいことがあるかもしれないが、共通する部分はあるし、流用できる部分の方が多い。
 先生が板書する時間が減ると生徒の考える時間を増やすことができるのである。

 つまり、黒板とチョークにこだわる人は、1コマ45分/50分という限られた時間内で、生徒が考える時間を増やそうとしていないのである。

 僅かだがICT機器を積極的に使う先生もいる。
しかしである、いくらICTを使ったとしても、1人の教師が多数の生徒に教えるスタイルは150年来変わっていないのである。
これから先求められるのは、生徒が学び教師がサポートするスタイルらしい。
GIGAスクール構想ですべての生徒がコンピュータを持つことになるけれど、多くの教師は150年来続いてきたスタイルのICT化と捉えているようだ。

 残念だけど、彼らにとってはこの変化に対応するだけでも大変なことのようだ。

 生涯学び続けることが必要になってきた。
若いときに学習した知識や技能だけで最後まで働き続けることはできなくなってきた。
社会の変化に対応するためには、自分一人で学ぶ能力が不可欠だ。
この能力を持たず、新しいことを学ぶことができない中高年には、風当たりが強い。

 これまで学校では1人で学ぶ方法を教えていなかったから、一人で学ぶことができない人はどこにもいる。
もちろん学校にも。そのような人が、チョークと黒板文化を守っているのかもしれない。
一人で学ぶことができて、ネットが使えれば、容易に生涯学び続けることができる。

 チョークと黒板が悪いわけではないが、一人で学ぶことの重要性と一人で学ぶための技能を教えるべきだ。


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2021年4月 3日 (土)

教師のバトン <若者たちに期待している>

文科省がtwitterでやっている[#教師のバトン」プロジェクトが炎上しているようだ。

プロジェクトの趣旨は、文部科学省「#教師のバトン」プロジェクトを始めます! note (2021/03/26) にある。

現場で日々奮闘する現職の教師、教職を目指す方々の皆さんで、学校の働き方改革や新しい教育実践の事例、学校にまつわる日常を遠く離れた教師、ベテラン教師から若い教師に、現職の教師から教師を目指す方々に、学校の未来に向けてバトンを繋ぐためのプロジェクトです。

らしい。ところが、現場はそれどころではないらしく不満が止まらない。

#教師のバトン”を付けてつぶやいているひとたち

これを受けて荻生田文部科学大臣は会見で

「もう少し品の言い書き方をしてほしい」(11:34あたり)とおっしゃるのだが、twitterを読むとずいぶん品が良いと思う。

2chと比べたら100倍上品だ。^^)

このプロジェクトは文科省の若手が主導しているらしい。意気やよしである。
ただし、

  • 理屈では正しい施策がなぜ現場まで伝わらないのか?
  • 現場の現状や意見など本音がなぜこのような表現になるのか?

を考えなければならないだろう。

自分の主張が相手に伝わらないときに、たいていの人は相手に問題があると考えるものだ。
教育に携わる人には、

  • 文科省で働いているのは教育行政を目指して官僚になった人たち
  • 教育委員会で働いているのは地方行政を目指して官吏になり、たまたま教育行政に携わっている人たち
  • 学校でで働いているのは教師をめざし教師になった人たち

がいる。つまり、教育に携わる人たちは、動機も目的も違っている人たちの寄せ集めだ。文科省、教育委員会、学校で勤務する人たちの目的は異なっているのではないのか。

それを承知したうえで一致する部分を探して、伝わるように伝える努力が必要だろう。

せっかく文科省の若い官僚がアクションを起こしたのだから、学校の若い教師もそれに応えてはどうだろう。
年寄りに期待したり、愚痴を言っていても明るい明日はやってこないしね。


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2021年3月 8日 (月)

ローマ字入力

小学校で区からiPadが配布され、授業で「まだローマ字は習っていないから、全員かな入力」と教わってしまった話

(小学校で区からiPadが配られたのだが、授業で「まだローマ字は習っていないから、全員かな入力」と言われたのだという。うちではパソコンでローマ字入力しているというのに。習っていない漢字は使ってはダメ的に、ローマ字入力は禁止って、そんな「GIGAスクール構想」っていったい何なの。)

2021-02-15 22:12:33

らしい。子供にかな入力の練習をさせると言う人がいたので、本気で止めたことがある。

 40年くらい前に、パソコンを買ってワープロソフトを本格的に使い始め、ローマ字入力より、カナ入力の方が打鍵数が半分なので練習たことがある。 しかし、タッチタイプできるようにならなかった。ローマ字入力はタッチタイプできるようになった。どちらも、誰かに教えてもらったこともない。

カナ入力は打鍵数は半分になるけど、

  • 覚えなければならないキーが倍ある。
  • 右手小指でタイプする文字が多い。
  • 数字のキーも使うのでホームポジションから遠い。
  • 最上段を小指でタッチするのが難しい。(小指が薬指の第一関節くらい)

ので、けっこう頑張って練習したのだが、カナ入力は早くならず、タッチタイプもできるようにならなかったので、ローマ字入力の速度を上げることにした。

 P検のサイト(https://www.pken.com/tool/typing.html)

逆にタイピング速度が「話すスピード」に近づく人にとっては、パソコンを単なる“清書ツール” としてではなく、自分の脳(思考力)の延長として活用することもできるようになります。

とある。これは重要だ。

 タイピング速度が遅いうちは、頭を、かな→ローマ字変換、キーを探すことに使うので、全てのローマ字に対応するキーを押下する前に、思い浮かべた文章が消えてしまい、思考が中断してしまう。

 しかし、タッチタイピングで話すスピードで入力できるようになると、思考を中断せずに文章を書くことがができる。 また、パソコンで議事録が取れるようになる。疲れていなければ、会議や打ち合わせで発表者の発言を要約しながら入力できる。 打ち合わせで発言をメモして、後からメモを見ながら入力するのは時間がかかる。 打ち合わせ終了時に議事録ができているのと、後から入力しなければならないのでは仕事の効率が大きく違う。

 タイピングの練習はローマ字を習ってから始めるべきと言う人は多い。しかし、小学3年生でローマ字を習い始めても、すぐにローマ字を運用できるようになるわけではない。特に、拗音や促音は書けるようにならないようだから、ローマ字を習得するまで待っていてはいつまでたってもタイピングが始められない。

 さらに、タッチタイピングできるようになると、頭の中で、かな→ローマ字変換しなくなる。 つまり、ローマ字を習っていなくても、かなに対するキーの位置を覚えたらタイピングはできる。

 20年前に、娘がローマ字を習う前にパソコンを使いたいと言うので、チラシの裏に、かな→ローマ字表を書いて渡しておいたら、ローマ字入力できるようになった。さらに、練習していたらタッチタイピングもできるようになっていた。最近、ローマ字を習うときにタイピングは役に立ったのか訊いてみたら、「ローマ字とタイピングは全く別物だった」らしい。

 タイピングは知識ではなく技能だ。掛け算と九九の暗唱と似ている。掛け算が理解できても九九の暗唱ができるようになるわけではなく、暗唱できるためには練習しなければならない。同じようにタイピングも、少しでも時間を見つけて練習しなければタイピングができるようにならないのだ。

 タイピングの練習ををするならば、iPadのキーボードではなく、ちゃんとしたキーボードで練習した方が良いと思う。


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