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2017年3月25日 (土)

中の四季の森公園 桜(2017)

毎年チェックしている中野四季の森公園の桜がようやく咲いた。

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おそらく旧囲町公園の隅にあった桜が移植されたのではないかと思っている。

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この桜が咲くと、別れと出会いがある。

満開にはまだ早いけれど、残念ながら今年はこの桜の満開を見れそうにない。

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近くにある中野サンプラザは2022解体らしい。
http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/163000/d012648_d/fil/004.pdf

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サンプラザがなくなると中野も変わるなあ。

2017年3月23日 (木)

若い人たちに話すこと <年齢が1回り以上離れると伝わらない?>

 若い人たちが受ける研修の最後に時間をもらって、彼らに

  • 技術を修得する方法
  • 組織内マイノリティとしての技術者で身を立てるということ
  • コミュニケーションの重要性

などを話していている。「技術の伝承」(2012/12/03)

 元々は技術的な話をしていた。当時講義を受けた奴と酒を飲むと「『こんなの分からない奴はシネ』と言われた。」などと絡まれるのだが、学習するきっかけにはなったようだ。
(「簡単にわかるでしょ♡」と言っただけなんだけど)

 その後10数年前に、若い人たちの気質が変わった時期があって、お願いして話す時間をもらったものだ。

 この講義を止めることになった。

 学校で習うような技術の話ではなく、心構えのような話は年齢差が開きすぎると伝わらない。だいたい1回りが限度だそうだ(出展忘却)。

  経験では、1回り以内なら自分のロールモデルとして話を聴くことができるし、その人の実績も知っているから、素直に話を聴くことができる。それ以上離れると、前世代のオジサンの話だから、自分のこととして話を聴くことができない。「ヘ~そうなんだぁ」のような感じ。

 ときには、何年か経って、「あの時、こんなこと言いましたよね」と言われることがあって、涙が出るほど嬉しかったりする。

 今話している若い人たちは、親子ほど離れているので、彼らからすると、口うるさいオヤジの小言に聞こえているのかもしれない。

 彼らから1回りくらい離れた人が話したほうが良いのだろう。 

 歳は取りたくないねぇ...



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2017年3月21日 (火)

COCORA自閉症を生きた少女 <最後まで読めなかった>

1 小学校 編 天咲心良 講談社

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 期間限定で「小学校編」が無料だったので読んでみたら、最後まで読めなかった。読み進めるにつれ苦しくなってきて、とうとう読むのをやめた。

 天咲心良氏が書いた最初の原稿は他人が読めないくらいの恨みがこもっていて、それでは読者は読めないくらいから編集者が読めるように手を入れたのではないか、という書評をどこかで読んで納得した。

 藤家寛子氏の「他の誰かになりたかった」とはかなり違う。

 もう少し、心に余裕があるときでないと最後まで読めそうにない。


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2017年3月19日 (日)

ケースバイケース

 規則には、「やらなくてはならないこと」と「やってはならないこと」がある。
そして、これらの間に「やってもやらなくてもよいこと」がある。「やってもやらなくてもよいこと」は、積極的な人にとっては「やるべきこと」だけど、消極的な人にとっては「やるべきでないこと」だ。

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 問題は、積極的な人と消極的な人が一緒に仕事をするときに起こる。違うタイプの人が、上司と部下、管理部門と現場だったりすると、顕在化する。

 多くの場合は、ケースバイケースで判断することになるのだが(視点2) 、その判断は恒久的なものではない。しかも、判断がその場面限りであることは多く、判断基準には上位の規則や方針、さらには理念といった抽象的な思考が必要になる。

 ところが、普段方針や理念を考えないで規則だけで仕事をしている人は規則に書いてないことをやるのは、不安でしかたないようだ。ケースバイケースの判断を明文化して規則にせよと主張する。他のケースで困ることが明らかなのにだ。

 方針や理念が共有されていないことが問題である。(視点3で見ていない)

 過去に、管理部門が方針や理念を共有せずにケースバイケースで判断したり、ケースバイケースで判断すべきところを無理やり規則にしたことがあった。

 誰も幸せにならなかった。

 管理部門が批判されることが多いのだが、自ら方針や理念を考えないで判断を他人に任せている人も同じように批判されるべきだ。

 「やってもやらなくてもよいこと」が誰でも判断できて、誰でも同じ判断になるように、方針や理念を共有しようと呼びかけるのだが、管理部門と現場の意識の隔たりは大きい。

 管理部門と同列でありながら現場を持っているというコウモリ的立場にいるからだろうか、現場の言い分を管理部門に代弁せよと言われることがある。空気を読まず、普通の人が言い難いことが言える性格もあるのかもしれない。

 彼らの代弁はしないだろう。現場と管理部門が方針と理念を共有しなければ問題は解決しなのだから。


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2017年3月17日 (金)

オフサイトミーティングを企画して分かったこと(3) <48時間メール>

 オフサイトミーティング終了後には、世話人交流会からアイディアをいただいた、「48時間メール」を送ってもらうようにしている。

 48時間メールは、オフサイトミーティング終了後48時間以内に

  • 感想
  • 気づき
  • 「ココだけの話」

などを書いて返信してもらうもので、自分自身の振り返りに有効だ。

 オフサイトミーティング終了後は気分が高揚しているが次第に普通の気分に戻る。普通の気分に戻る前に、ミーティングで聴いたこと、話したことを振り返ることによって、新たな気づきが生まれる。その気づきを参加者で共有する。48時間以上経過すると醒めてしまうので48時間以内が良いのだろう。

 参加者から送られてくる48時間メールを読んでいて気が付いた。

「気づき」に

  • 新たな気づきを書いている人
  • ミーティングの運営への提案を書いている人

に分かれる。

 運営への提案も「気づき」には違いないのだが、

  • 意識が自分に向いている人
  • 意識が自分の外に向いている人

の2種類のタイプの人がいるのではないかと想像している。

 意識が自分に向いている人は、ミーティングをきっかけとして、新しい観点を発見したり、問題解決のヒントを発見する。

 意識が自分の外に向いている人は、ミーティングの運営方法の不備や改善点を発見するのではないだろうか。

 問題を解決するためには、解決策を自分の行動に落とし込まなければならない。 この時に、意識が自分に向いている人は、解決策を自分の行動に落とし込める。しかし、意識が自分の外に向いている人は、解決策を自分の行動に落とし込めず、「○○は××すべき」のようになるのではないだろうか。



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2017年3月15日 (水)

コミュニケーション技術

コミュニケーション技術 篠田義明 中央公論新社

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 作文技術とか文章の書き方のような本はずいぶん読んだのだが、この本はタイトルがコミュニケーション技術だったので読んでなかった。

 若い人たちには、「理科系の作文技術 木下是雄 中央公論」を進めている。

 この本はHowTo本だ。理科系の作文技術のように心構えについては触れていない。この本に書いてあるように書くと伝わるように書ける。伝える内容があるかないかは別問題だけど。

 「日本語の作文技術 本田勝一 朝日文庫」も技能の解説本で、1つ1つの技能について詳細に説明してある。この本は、詳細には説明していないがその分楽に読める。



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2017年3月13日 (月)

なぜ年寄りは変われないのか

 オフサイトミーティングを企画したら、「愚痴の沼」に囚われている年配の参加者がいた。愚痴をいっても問題は解決しないことはわかっているだろうに。

 なぜ年寄りは変われないのか考えてみた。

問題があるとその解決方法を考えて実行する。

 若いうちは、経験が少ないのでその都度考えて行動するが、年齢を重ねるにつれて、問題解決の成功体験が蓄積してくる。そして、問題を認識するといちいち解決方法を考えなくても行動できるようになる。年の功というやつだ。

Shortcut

 自分を取り巻く環境の変化が緩やかな時代や、変化が予測できる時代には、年の功はとても有効だった。しかし、今時の環境変化は速い。しかも不連続だ。明日は昨日の延長線上に無い。

 このような時代でも問題の解決方法が変わるわけではない。問題を認識したら、真因を分析して、解決方法を考えれば良い。若い頃やっていたように。

ところが、歳をとると考えなくなる。

 自分が知っている解決方法は、今の環境では有効でないことは、なんとなく分かっているのだが、環境の変化に適応するように考えることをしない。そして、ついには、問題が解決できなくなる。

 この段階で、問題を解決するための自分の行動を考えればよいのだが、問題の原因を他に求めるようになる。

 曰く、「環境が悪い」 曰く、「管理部門は現場の状況を知るべきだ」など。

 環境など自分では変えられないことは分かっている。そして、「◯◯は××すべきだ」のように、主語を他人にして語りはじめる。

 若い頃は、自分が行動できる解決策を考えていたのに、歳をとると行動するのは自分ではなく他人になる。

そして、「愚痴の沼」「評論の砂漠」に舞い戻る。

 「昔みたいに自分が行動できる解決策を考えようよ」と言ってみるけど、考え方を変えろと言われて「はいそうですか」と行動できるほど軽くない。それが年寄りというものだろう。


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2017年3月10日 (金)

オフサイトミーティングを企画して分かったこと(2)

 これまで何回か有志を募ってオフサイト・ミーティングを企画していた。参加してくれる人は皆地方にいるので集まれるのは年1回だ。 参加してくれる人の間にはそれなりに、一体感や信頼感が生まれてきて、そろそろ具体的な問題解決の話しができそうだと思っていた。

 来年の布石にと考えて、オフサイト・ミーティングをやってとても良かったですと、少々盛って上司に報告したら、全国のマネジャを集めたらということになった。異動間近だから、来年度にしようかと思っていたら、今年度中にということになり全国から60人を4回に分けて集めることにした。一度に集める人数を増やせば少ない回数で良いのだが、世話人がいない。

 地方の現場から中央の管理部門に集めると、中央側には無意識の権力があるから、世話人は意識して無意識の権力を消さなくてはいけない。無意識の権力を消さないと言いたいことがあっても発言できなくなる人は多い。

 逆に、無意識の権力を気にしない人が多いと愚痴大会、批判大会になる。これで失敗した経験がある。

 少々強行軍だったけれど、2週間で1泊2日を4回開催した。
参加者には、

  1. 問題解決に向けた具体的な検討がしたいという人もいる。
  2. 「評論の砂漠」に囚われている人は多い。
  3. やっぱり「愚痴の沼」に囚われている人もいる。
  4. 無関心な人もいる。

 タイプ1の人がいても、声の大きいタイプ3の人がいると、そちらに雰囲気が引っ張られてしまう。そこを戻すのが世話人の役目なのだが、なかなか難しい。

 タイプ1とタイプ2、3の人は分かれて話をした方が良いのではないかと思うが、タイプ2とタイプ3の人が集まると愚痴大会や批判大会になりそうだ。そんなミーティングの司会は正直やりたくないなあ。

 異動や退職することが決まっていて、目の前の問題が、もうすぐ問題で無くなる人がタイプ4になるのは自然なことだろう。

 今回のオフサイトミーティングで得た教訓は、タイプ2、3、4の人がタイプ1になるためには、数多くのミーティングが必要だから、世話人を増やさなければならないということ。

 今回のオフサイトミーティングを、大きな一歩という人や、ガス抜きという人がいる。

  • これから続けていくなら「大きな一歩」
  • 続けることができないなら「ガス抜き」

ってことか。



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2017年3月 8日 (水)

東京海上日動の広告 <メッセージがハンパない>

東京海上日動の広告がそこいらじゅうに貼ってある。
メッセージがはんぱない。

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ぜひおねがいしますっ。

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失敗は重要ですよね。
失敗しただけではダメで努力が必要ってことだ。

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正直100%はキツイ歳になったなあ。ちょっとくらいアソビが欲しい。

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これが一番イイネ。ずっと新人でいたいなあ。

全てのパターンは東京海上日動のサイトにある。


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2017年3月 6日 (月)

東芝解体 東洋経済 2017/2/4

東芝解体 東洋経済 2017/2/4
20170204

 東芝は不正経理問題が解決する前に巨大損失が明るみに出て債務超過の可能性も出てきた。NETではリーマンショクの時に共に赤字に転落した日立と比べる記事を多く見かける。

 東芝のことはもはや眼中にない!? 日立は構造改革を断行 長年のライバルに差がついた 産経ニュース (2016.1.1)にあるグラフが分かりやすい。

 構造改革した日立は復活して以来黒字を確保しているが、不正経理をした東芝はギリギリ黒字を確保していた。そして、不正経理と巨額損失が明るみに出て今は存亡の危機だ。

 日立の川村相談役(前社長)が断行した構造改革の成果という評価が多い。
おかしくなったと感じた時に構造改革すれば生き残れるが、不正をしないまでも問題を先送りすると危機が訪れるということだろう。

 組織の内部にいると組織がおかしくなっているのを感じないことが多い、不都合なことは見えても見ないのが人間というものだから、問題が顕在化するまで気が付かない。(気が付かないふりをしている。)

 東芝の歴代社長の責任を問う記事は多いのだが、上に逆らえない企業風土だったという指摘も多い。 しかし、リストラされた社員や売却された事業部の社員にとっては、職を失うのだから、社長が悪かろうが、企業風土が悪かろうが はっきり言って関係ない。

 東芝から学べることは、おかしいと思ったら声をあげておかなければ手遅れになるということだろうか。とりあえず声をあげれば自分自身が客観的になれる。


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