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2019年2月19日 (火)

なんで社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメなの? <相対敬語> 

はてな匿名ダイアリーに,

  なんで社内の人を「さん付け」して呼んじゃダメなの? (2/14追記)

という投稿があって、そこらじゅうでネタにされている。

 結局、コメントした人たちは投稿者を納得させられなかったようだ。  コメントの多くは、以下のとおり。

〇常識だから

 そもそも、投稿者は常識に疑問を持っているので、「常識だから」では納得できないよね。

〇謙譲語だから

 投稿者は謙譲語も不要と主張している。
問題は謙譲語の存在ではなく、場面に合わせて尊敬語と謙譲語を使い分ける相対敬語が常識とされていることだろう。 
ちなみに、常に尊敬語を使うのを絶対敬語というらしい。 初めて知った。

 相対敬語については、

  現代日本語は本当に相対敬語なのか

の解説が分かりやい。 そして、「言葉のレシピ語楽」によると、相対敬語が定着したのは昭和中期以降で、それまでは絶対敬語だったらしい。

 日本人が場面に合わせて尊敬語と謙譲語を使い分けるようになったのは、つい最近ということだ。 言葉は時代とともに変わるから、昭和中期以降は相対敬語を使った方が都合が良い社会に変わったのだろう。 だから、相対敬語は日本人にとって変えてはならない常識やルールというわけではなさそうだ。 統一すべきという投稿者の主張はあながち荒唐無稽ではない。

〇身内だから

 相対敬語では「身内」の概念が重要になる。
投稿者は「身内=肉親」くらいの定義なのかと思う。 しかし、「身内」を若者言葉でいうと「うちら」くらいではないだろうか。

 若者も、会話の中で、「うちら」と思っている第三者のことを言うときには呼び捨てにするのではないだろうか。 当然、「うちら」の範囲は個人によって変わる。

 昭和中期では、多くの人が会社の同僚や上司を「うちら」と思っていたが、最近の若者は、会社の同僚や上司を「うちら」と思わなくなってきたということだろう。

 それは、時代が変わって社会が変わっているのだから自然なことだろう。 今後相対敬語は無くなるのかもしれない。 

〇「どっちかに統一しろよ」

 相対敬語は謙譲語の言い回しもさることながら、話している外部の人と、話に登場する内部の人の関係が濃厚な場合には謙譲語を使ってはいけないなど、場面に合わせてた使い方が難しい。 これをを見様見真似でマスターするのは結構大変だから、若いときは「どっちかに統一しろよ」と思ってしまうのも無理はない。

 尊敬語と謙譲語とを場面によって切り替えると考えると難しいが、簡単な方法は、身内の人が部外の人に自分のことを言う時のように言えばよい。

たとえば、担当者の自分(サトウ)と上司のスズキ課長が客先で説明する場合、

  • サトウさん : 「担当の私サトウがご説明いたします。」
  • スズキ課長: 「課長の私スズキがご説明いたします。」

と言うだろう。 サトウさんが上司のスズキ課長のことを言うとき、スズキ課長が担当者のサトウさんのことを言うときも同じように言う。つまり、

  • スズキ課長がサトウさんのことを言う場合: 「担当のサトウがご説明いたします。」
  • サトウさんが上司のスズキ課長のことを言う場合:「課長のスズキがご説明いたします。」

と言えばよい。

 外出中の電話を取る場合には、留守番電にメッセージを録音するならどう話すか考えるとよい。

  • サトウさん :「サトウです。ただいま外出しております。」、
  • スズキ課長:「〇〇課長のスズキです。ただいま外出しております。」

と言うだろう。 サトウさんがスズキ課長の外出中に電話を取ったら、スズキ課長の留守電メッセージのように「課長のスズキはただいま外出しております。」と言えばよい。

 身内の人はちゃんと敬語が使えることが前提だが。

閑話休題

 若者だけでなく年長者にも相対敬語が使えない人は少なからずいるように感じる。 
マネジャの観点では、好きでも嫌いでも相対敬語が使えるようになってほしいと思う。

 相対敬語が使えない人に共通しているのは、自分が話している相手側の観点が無い。
更に経験では、相対敬語が使えない組織は組織内での上下関係が重要視される傾向にあるようだ。 例えば、役所や大企業などの階層型、官僚型の組織などだ。

 つまり、外部との関係より身内の関係の方が重要と考えている人は相対敬語が使えない。 言い換えれば、顧客志向ではなく、組織内での自分のポジションが重要と考えている人は相対敬語を使わないということだ。

 外部の人の立場で、身内に敬語を使う人を見ると、この会社も官僚的なんだろうな、組織内の都合の方を優先するんだろうなと思ってしまう。 また、担当と話を詰めても組織としての総意ではないんだろうなと思ってしまう。

 将来、個人と組織との関係が現在のように濃厚・従属的な関係から希薄・対等な関係に変化していくと、それに伴って相対敬語は使われなくなるのだろう。それは自然なことだ。

 しかし、外部との関係より内部での関係の方が重要だから相対敬語が使えないのとは根本的に違うと思う。 相対敬語が使えない理由を考えてみると、組織の歪が見えてくるかもしれない。


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2019年2月17日 (日)

『地頭がいい』のは悪なのか?

 はてな匿名ダイアリーに 『地頭がいい』のは悪なのか? (2019/02/04) という投稿がある。

 IQ138でADHDと診断されている大学生の投稿。 高3の夏休みから受験勉強を開始して、塾・予備校を遣わず有名国立大学に合格したという。 

 彼の主張は、努力した人が褒められるのは分かるが、元から頭が良い人間は忌み嫌われ、努力マウントを取られるとに納得がいかないという。 そして、自分のような劣等感の塊が出てこないようにな教育が進むことを願うという内容。

誤解している?

  • 学校の成績が良いからといって「頭が良い」とは限らない
  • 忌み嫌われている原因は「頭が良い」だけとは限らない
  • 努力は「努めて成績を上げること」だけではない
 「地頭」はgoo辞書によると、
大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力などをいう。
だから、高3の夏休みから受験勉強を開始して、塾・予備校を遣わず有名国立大学に合格したのと、地頭が良いのはちょっと違うような気がする。

頭の良さと嫌われること

 「頭の良さ」が「記憶力、論理的思考能力の高さ」だとする。人に好かれるか、嫌われるかは、「記憶力、論理的思考能力の高さ」より、コミュニケーション能力の方が重要だろう。 つまり、頭が良いから嫌われているのではないだろう。

 投稿者は自分のことを劣等感の塊と表現する。
他人に褒められるかどうかにおいては、「記憶力、論理的思考能力の高さ」より問題解決能力やコミュニケーション能力が重要だろう。

 おそらく、投稿者は人間を評価する際の評価軸が「頭の良さ」しかないのだろう。現在の学校教育や、社会の常識ではそう考えるのも仕方ないかもしれない。 ところが、世の中は複数の評価軸で人を評価しているのだ。

 忌み嫌われると感じるのは「頭の良さ」以外の能力が致命的に低いのではないだろうか。

「努力」

 「努力」は「成績を上げる」だけではない。 広辞苑によると、「目標実現のため、心身を労してつとめること」だ。つまり、学校の成績を上げるために「努力」する必要が無いのであれば、他のことで「努力」すればよい。

 問題は、学校の成績に限らず「努力」したか、していないかだ。 
「努力」した者が「努力」していない者に対してマウントするのは理不尽ではない。

1つの評価軸

 社会人でも1つの評価軸に拘泥する人はいる。
典型的な評価軸は学歴や年収、容姿などだ。 評価軸にすることが悪いわけではない。これら1つだけを評価軸として使うことが問題だ。

投稿者にアドバイスするなら

他人を評価するときに

  • 頭が良い
    の他に
  • 創造力がある
  • 説明が上手い
  • 手先が器用
  • 足が速い
  • ケンカが強い
  • 歌が上手い
  • 人付き合いが良い
  • 思いやりがある
  • 金払いが良い

 などの評価軸で他人を評価してみるといいんじゃないだろうか。
そうすると、世の中の人は2種類に分類できないことが分かる。

 自分も世の中の人から多くの評価軸で評価されているから、忌み嫌われている評価軸以外の評価が上がるようにすればいいんじゃないだろうか。 そうすると、「嫌味なところはあるけど、良いところもある」という評価になると思う。

 そうすることが努力だ。


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2019年2月14日 (木)

大人の誤信念課題(2)

以前に、大人の誤信念課題について書いた。 誤信念課題 (2017/02/03)

 元はNHKの「情報LIVEただイマ!」2012/5/18に放送された内容のようだ。 ここに魚拓がある。

誤信念課題の大人用のテスト

恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。
ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?
また、なぜ気まずいのでしょうか?

に対する解説

気まずいことを言ったのは「おじさん」です。その理由は「恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまうから」です。
ASDの人は、最初の質問で「おじさん」と答えられない。誰も気まずいことを言っていないと答える。つまり、「チーズは苦手」と恵さんに告げることが気まずいとは感じないのです。恵さんの気持ちに立つことができないからです。

この解説は合理的でないと思っている。

実は
30年くらい前に、似たような場面に遭遇したことがある。
いきさつはこうだ。

とある人が腕時計が壊れたと言っていた。
その人の誕生日にサプライズで腕時計をプレゼントした。
すると、その人はプレゼントした腕時計が気に入らなかったらしく「返品してこい」と言った。
腹が立ったので、その腕時計をごみ箱に捨てた。

時は流れ
2017/02/03に考えたことは、

 「故意でなくても、相手の善意は否定してはならない」という常識は合理的でない

ということ。 
つまり、30年前には確かに腹を立てたわけだが、それはお門違いだったということだ。

さらに、時は流れ
懲りもせずサプライズでプレゼントしようと思った。
30年前にそばにいて一部始終を見ていた人に相談したら、「やめといたら」と言う。

 相談した人は、常識的な人なので、

 「故意でなく、相手の善意は否定する人」に対してサプライズは良くない

と考えたのだろう。合理的な助言だ。

 でも、やっぱりサプライズでプレゼントすることにした。

 考え方が変わったわけではない。善意に対して感謝を求めなければ良いのだ。

 善意は自分の意志に基づくものだから、相手の行動で左右されるものではない

と考えた。

そして、ちょっとドキドキしながら、サプライズでプレゼントしたら、「ありがとう」と言われた。

Motherhouse1

この30年間で
成長したのは、プレゼントしたほうか?それともプレゼントされたほうか?
それはまだわからない。



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2019年2月13日 (水)

「タダでやってよ問題」にエンジニアはどう対応すべきか?

「タダでやってよ問題」にエンジニアはどう対応すべきか?澤円からの答え エンジニアtype (2019/01/15)
(https://type.jp/et/feature/9638?fbclid=IwAR3Gxs17Js0uyOC-E4xLqnpKn9M8xR3CUJKHibjz4LdhrWBTRvHoJ4Y2aOw)

 日本では知識や技術など目に見えないものに金を払う習慣がないことが原因だと思う。

テレビの修理を頼んだら、部品は安かったが出張費と技術料が高すぎる。 東京くらしWEB (2018/5/11)
(https://www.shouhiseikatu.metro.tokyo.jp/sodan/faq/main/191.html)

↑もよく見る苦情だ。 昔新聞の投書欄でも同じような苦情を見たことがある。簡単にいうと、「300円の部品を交換するのになぜ2万円もかかるのか?」ということだろう。

 整理すると、
この例は出張修理なので、修理代の内訳は、部品代と交通費、技術料だ。

  • 部品代と交通費の額には関係はない。
    部品代が安価(300円)だからといって交通費が安価であるとは限らない。
      
  • 部品代と技術料には関係はない。
    部品代が安価(300円)だからといって技術費が安価であるとは限らない。

修理するためには、

  •  故障した部品の探索・特定
  •  故障した部品の交換
  •  ↑の知識技能の習得

が必要だ。 しかし、テレビの修理は切れた電球を交換するような誰でもできる技能ではなく、専門の知識・技能が必要な作業だ。 しかも、この知識・技能を修得するためにコストが必要になる。 つまり、専門的な知識・技能を使う作業は高価になる。 少なくともファーストフードやコンビニのバイトより時間単価は高いということだ。

 実作業時間が短くても対価は拘束時間で計算されるので、移動時間も賃金は発生している。 つまり、移動時間に専門的な能力を発揮したら得られる賃金を支払う必要があるということだ。

 「300円の部品を交換するために2万円必要だから、使い捨て社会になる」という意見も良く聞くが、それは技術者の責任ではない。むしろ技術の価値を認めないユーザと、製品を売るために技術料をサービスしている経営の責任だ。

 つまり、部品代が安いからといって修理代が安い訳ではない。

 日本はまだ、技術はどこかからパクって安く製品作って売るというパクり根性が変わっていないのだろう。

それはさておき、

 パクり根性が蔓延している組織では、技術者は対価を請求するどころか、不当な搾取を拒否できないことが多い。

 拒否するためには、澤円氏がおっしゃるように

  • スキルを磨くこと、
  • 対価が請求できるスキルを言語化すること

が必要だと思う。

 そして、何より、

  • ★ 技術で喰っていく覚悟

が特に重要だと思う。 

まず、技術者自身が「技術は自分の食扶持」という意識を持たなければ、知識・技能の搾取を拒否することはできない。



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2019年2月11日 (月)

裸でも生きる3 輝ける場所を探して

輝ける場所を探して 裸でも生きる3 ダッカからジョグジャ、そしてコロンボへ
 山口絵理子 講談社

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 忘年会が
お開きになって、後輩と話しながら帰った道すがら、後輩がマザーハウスのバッグを買ったと言う。

10年くらい前に山口絵理子氏を何で知ったのか忘れてしまったけど、「裸でも生きる」を読んだら感銘を受けたので、当時同じ職場にいたその後輩に「読んでみたら」と渡した。 その後輩も「裸でも生きる」を読んで感動したらしく、マザーハウスのバッグを買ったとのことで、ちょっと嬉しかった。

検索すると、この本が出版されていたので読んでみた。

 マザーハウス
「裸でも生きる1,2」から10年を経過して立派なブランドに成長したように見える。 なにより、山口絵理子氏の理念「発展途上国から世界に通用するブランドをつくる」が実現できているようだ。

理念が実現できて経営が軌道に乗ったら、人は守りにに入りそうなものだが、「裸でも生きる3」を読むと、新しいことに挑戦し続けている姿が見える。 まだまだ、発展途上国はたくさんあるし、世界に通用する素材も技術もたくさんあるから、山口絵理子氏にしてみれば「発展途上国から世界に通用するブランドをつくる」は道半ばなのだろう。

 この本やブログを読むと、
「結果よりプロセスが大事」という言葉が出てきて、ちょっと困惑してしまった。

いくら、良い素材や高い技術があっても、それを形にして顧客に買ってもらわなければ商売として成り立たない。 しかも、山口絵理子氏は発展途上国への援助という理由で売れることを潔しとしない。 社会起業家と評されることにも抵抗があるようだ。

であれば、プロセスも大事だけど売れたという結果の方が大事ではないか。少なくとも経営者なら製品が売れなければ会社も、発展途上国の社員も養えないと考えるのではないかと思った。

先進国からの援助でもなく、大資本への労働力の提供でもなく、発展途上国の良い素材、高い技術で製品を造りそれを売って正当な報酬を得る仕組みを創るときに、プロセスの方が大事だということに気づかれたのかもしれない。

 「裸でも生きる3」は、
インドネシアやスリランカの職人さんとの交流が多く、経営者ではなくデザイナーとしての目線、0を1にする人の目線で書かれている。

この本を読んで感じたのは、山口絵理子氏の「職人を見る目」だ。きっとこれが10年間の成長なのだろうか。

 話は変わるが、
職場では「成果を上げよう」と言っている。 時々「プロセスはどうでもよいのか?」と言う人がいるのだが、そんなことはない。 むしろ、正しいプロセス踏まなければ成果は得られないから、プロセスは重要だと思っている。

今は、良いプロセスだけで満足するのではなく、それを成果につなげることが重要という意味で「成果を上げよう」と言っている。

 山口絵理子氏は
結果を出しているので、堂々と「プロセスが大事」と言えるようになったのかもしれない。
残念だがウチはまだ「成果を上げよう」と言わなければならない。



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2019年2月 8日 (金)

プログラミング教育

 60年足らずの人生だけど、最も獲得してよかったと思う能力はプログラミング能力だと思う。

 技術系の仕事ではプログラミング能力は必須だ。 しかし、職場の研修やOJTで、教育やトレーニングしようとするとなかなか難しい。

 職場でのプログラミング教育の問題は

  • プログラミング能力獲得の目的があいまい
    誰もが職業プログラマになるわけではないから、手段としてのプログラミングを教えるべき。
  • 講師がプログラミング能力獲得方法を形式知化していない
    プログラミング能力を持っていても、その能力の獲得方法を形式知化していない者は他人に教えられない。

ことだと書いた。(プログラミングの講義(2019/02/01))

 この問題は、これから始まる小学校で始まるプログラミング教育でも言えることかもしれない。

 唐突だけど、

 プログラミングの技能を車の運転に例えるなら、多くの人は問題を解決するための手段として運転技能を獲得している。 問題解決とは、目的地に移動するためや荷物を運ぶためとか趣味としてのドライブとか。

 もちろん、バス・タクシーの運転手、トラックの運転手、F1ドライバーなどの職業ドライバーになろうとすると一定レベル以上の運転技能が必要なことは言うまでもない。 職業ドライバーには、安全に運転する、操縦しにくい車を運転する、速く運転する技能が求められる。

 それらと比べて、普通の人は最低限の運転技能があればことが足りということ。

 普通の人にとって重要なのは、どこに行くのか、なぜ行くのかだ。 そして、車で移動することが合理的であれば運転する。 当然、徒歩や列車で移動することが合理的なら車は運転しない。

 プログラミングに置き換えると、必要のないコーディングはやらない。アプリケーションソフトで問題が解決できるならアプリケーションソフトを使う。 Excelのような汎用ソフトを使うことが合理的ならば汎用ソフトを使えばよい。

 重要なことは、

 どの問題をプログラムで解決するのかを分析すること。 解決手段(既成アプリ、アプリ作成)を考えること。 そして、プログラミングが必要であればアルゴリズムを考えることだ。

 注意しなければならないことは、

 趣味で車を運転する人がいるように、趣味でプログラミングしている人がいる。
プログラミングすること自体が目的の人だ。 このような人に、教えてもらうときには注意した方が良い。 プログラミングは手段ではなく目的だからなぜプログラミングが必要かは教えてくれない。

 さらに重要なことは

 それと、何か聞いてみて、ちゃんと言葉で説明できない人は、人に教えることができないと思って間違いない。 プログラミング言語は曖昧さを排除した言語だ。 母語で明確に説明できない人は抜けのないアルゴリズムを考えられないし、正確なコーディングができないと思って間違いない。


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2019年2月 6日 (水)

学びを結果に変える アウトプット大全

学びを結果に変える アウトプット大全 樺沢紫苑 サンクチュアリ出版

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 樺沢紫苑氏の「アウトプット」とは「話す」「書く」「行動する」らしい。
そして、

アウトプットして初めて「現実世界」を変えることができます。

とおっしゃる。

 思っているだけ、知っているだけでは誰の役に立たない。 できる能力があっても誰の役にも立たない。 やった結果があって初めて誰の役に立ち、現実世界に影響を与えることができるということか。

 インプットは自己学習のように自分だけで完結することが多いので一人でできる。 一方、アウトプットは誰かのインプットにならなければ意味をなさないことが多いので一人では完結しない。

 異動してきた人が挨拶で抱負を述べるときに「勉強させていただきます」と言う人を見かける。  本人は謙遜しているのだろが、新入社員ならまだしも、結構なおじさんも言う。

 思わず、「アンタの仕事は勉強することぢゃなくて、成果を出すことだろーがっ!」と密かにツッコミを入れている。

 勉強(インプット)は目に見えないけど、成果(アウトプット)は目に見えて、誤魔化しがきかないから明言したくないという心理が働くのかもしれない。



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2019年2月 4日 (月)

FM用ディスクリコイル

部品箱をごそごそしていたら未使用の↓こんなのが出てきた。

107discricoil Dsv107wd

FMの検波に使うディスクリミネータ用のコイルだ。 TOKOのDSV-107DWらしい。ネットを探したがデータシートは見つからなかった。 

パッケージの裏に必要な情報は書いてある、接続図を見ると、フォスター・シリー用のコイルで検波用のダイオードが内蔵されていてる。

Dsv107wd_schematic 

 似たようなコイルある。おそらく455kHzのディスクリ/レシオ検波用コイルだろう。これも、ネットで情報を見付けることができない。 なんで2つもあるんだろう?。

L114010050_455khz

 内部の接続が気になったので開けてみようかと思って底面をみると

L114010050_455khz4

あれれ、ちょっと膨らんでる。いかにもドライバーを突っ込んだように。

すぐに抜けた。

L114010050_455khz3

コンデンサを内臓しているが、ダイオードは内蔵していない。コイルの抵抗を測ってみると2次側のタップはセンターではない。 どうやらFM復調用ではなく複同調のIFTのようだ。

ついでに↓こんなのも出てきた。

Discricoil

テレビの基板から外した記憶があるので、テレビ音声の検波用だろう。 とするとレシオ検波用か?

 FMのディスクリコイルはM結合された複同調で2次側のセンターに繋がったコイルが必要なので巻くのは面倒だし、調整も面倒だ。

 1980年代にはFMラジオはIC化され、セラミックが使われるようになって無調整化できるようになったので、フォスター・シレーやレシオ検波は使われなくなった。 だからこのようなIFTも使われなくなった。


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2019年2月 1日 (金)

プログラミングの講義 <言語仕様とIDEの使い方ではない>

 ★ 言語仕様の解説と開発環境(IDE)の使い方と例題を体験するだけで良いのか?

 プログラミングの講義を頼まれた若い人が集まって実習をどうするか話していた。
聞くとはなしに聞いているとなかなかまとまらないようだ。割り当てられた短い時間で、プログラミングができない人をログラミングができるようにすることはかなり難しい。

 話している人たちは職業プログラマーではない。
もっぱら作業を自動化、効率化するためにプログラムを作っている人たちだ。

 講義する相手も職業プログラマーではない。
作業を自動化効率化する手段として、プログラミング能力を獲得したい人だ。

〇教えることを言葉や図表にして説明できるのか?

 「君達はどうやってプログラミングができるようになったの?」と聞いてみた。
Hello wordを教えてもらったあと、課題を与えらえてクラスメイトと一緒に試行錯誤して覚えたらしい。

 なるほどスパルタだ。

 おそらく、体系だって教えてもらったのではなく、試行錯誤の中から学んだのだろう。
試行錯誤して学ぶことは重要だ。しかし、試行錯誤の結果は暗黙知になることが多い。
そして、暗黙知を伝えることは難しい。

 技能を伝えようとすると、言葉や図表で表すことができる形式知にする必要がある。
彼らが教えてもらった教師も、プログラミング能力の獲得方法が形式知化できていないから、言語仕様だけ教えて、後は課題を与えることしかできなかったのだろう。

 教えてもらっていないことは、教えることができないのだ。

 自分がプログラミングできるようになった過程を、言葉にして説明するか文書にしてみると良いとアドバイスした。

★ 暗黙知は形式知化しなければ伝えることはできない

〇 問題解決手段としてのプログラミング

 ソフトウェア開発が主業務ではない人がプログラミングするときの手順は

  1. 問題を分析
  2. プログラムで解決する問題の明確化
  3. アルゴリズムの決定
  4. コーディング
  5. テスト(不合格なら前に)
  6. 評価

だ。 業務でプログラムを作っていない人や、1人でプログラミングしている人は、上記のステップを意識していないことが多い。

 分業しようとするとステップ間で、決定事項を誤りなく伝えなければならないから、それぞれのステップでアウトプットを明文化することが必要で、そのために、共通のフォーマットや図表が必要になる。

 要件定義書とかプログラム仕様書は分業する上では重要で必ずアウトプットする必要がある。 しかし、1人でプログラミングする場合には途中のステップでアウトプットするのは面倒だし、このステップを意識していないことも多い。

 良く言えばアジャイル型開発だが、そもそも、それぞれのステップが渾然一体となっているので分離することができないだけとも言える。

 プログラムは作れるけど、特定の言語や特定の開発環境にこだわる人はたいていこのタイプだ。 このタイプの人は、プログラミングの過程を形式知化できないので、人に教えることができない。

 プログラミングの講義と言いながら教えていることが、開発環境の使い方だったりする。 さすがにこれだけでは役に立たないので例題を与える。 具体的な質問をすると具体的に教えてくれるが、抽象化していないので応用が効かない。

 つまり、教えられる人はいつまでたってもプログラミングできるようにならない。

 そういえば、彼の案件も言語が指定(C#されている時点で怪しい。C#とVisualStudioの使い方を教えてお茶を濁そうとしているのか?
 言語仕様と開発環境は誰かが形式知化しているから人に教えることができる。 そのほかの部分が形式知化できていないので他所に振ったのか?

★ プログラミングを教える人は暗黙知を形式知化すること

〇 教えることは、言語仕様や開発環境の使い方なのか

 言語仕様を教えたらプログラミングができるようになると思っている人が残念ながらまだいる。コーディングとプログラミングを混同しているのだ。だから、プログラミングの講義の内容が言語仕様と開発環境の説明になったりする。

 職業プログラマーでもなく仕様をプログラミング言語で記述するコーダでもなく、欲しい能力は、問題を解決する手法としてのプログラミング技能という人は多いだろう。

 つまり、すべての人に職業プログラマが必要とする知識・能力が必要ではなく、与えられたり発見した問題を分析して、問題を解決するアルゴリズムを考えて、場合によってはプログラミング言語を使用してソフトウェアを作ることが求められている。

 だから、多くの人にとって、言語仕様やIDEの使い方はプログラミングの極々一部の些細なことで大したことではない。

★ 「プログラミング教育=言語仕様、IDEの使用方法の説明」ではない!

 もちろん講師が用意した例題を解いてみることでもない


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2019年1月30日 (水)

かかわると面倒くさい人

かかわると面倒くさい人 榎本博明 日本経済新聞出版社

Photo_3

タイプ1
過敏で傷つきやすい
タイプ2
強烈な比較意識をもつ
タイプ3
自己中心的で相手の心に関心がない
タイプ4
自己防衛意識が異常に強い
タイプ5
劣等感を隠しもつヒーロー
タイプ6
自分の判断力に自身がない
タイプ7
自身がなく、甘えが強い
タイプ8
「謙虚な自分」を売り物にする
タイプ9
取捨選択ができない
タイプ10
過去の肩書だけが自分の支え

 例示された10のパターンを読むとどれかのパターンに当てはまってしまう。 だから、他人を鬱陶しいと思う反面、他人から鬱陶しい奴と思われているのかもしれない。(う~ん自信があるなあ)

 多かれ少なかれ鬱陶しさは誰にもあるものだとすると、許容範囲にあるか、周りの人に迷惑をかけるレベルかはどこで差がつくのだろうか?

 欠点に気づき欠点に向き合っているかどうかではないだろうか。

 とうに人生の折り返し点を過ぎたが、未だ克服できない欠点は一生克服できないかもしれない。 克服できない欠点に向き合うことは辛いけれど、向き合うことを止めて逃げたり、隠したり、開き直ったりすると迷惑レベルの鬱陶しさになるのだろう。

 自分の欠点や弱点を指摘してくれる人を避けないようにしよう。 Mではないので辛いけど。


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