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2016年2月 2日 (火)

不良率 <数値を示すことの危うい側面>

Yoshi品質研究所 Facebook

第1212回

品質を語る時に「不良率」なるものを指標に使うことがあります。この考え方そのものを否定するつもりはないのですが、あくまでもこれは「企業内外の数値比較」だけに使ったほうが良いと私は思います。
というのは、「不良率何%だからいい」という考えはあり得ないからです。
もし、自分が購入した商品が不良品だったら?それはそのカスタマーにとっての100なのです。そしてそのことは必ず「嫌な思い出」として記憶に残ります。次からもその企業の製品は欲しくないと思うでしょう。
あくまでも前回の製品よりも品質がいいか悪いかの指標であって、目標値は常に「不良ゼロ」であるべき。これが品質だと思っています。そこを見失うととんでもない間違えた品質風土を作ってしまいます。
ドラマ下町ロケットで医療機器に取り組む姿勢を表現していましたが、そこで言われていたのも性能と品質。不良品が一つでもあると、その不良品を使われた患者さんが死んでしまうのです。
目標値と指標、間違えてはいけませんね。

 「不良率○%で良しとする」は危険である。不良品に当たった人にとっては100%であることを忘れてはならない。
ということのようだ。
「品質」を「事故」に変えるとどの職場にも当てはまると思う。

 ところが、Yoshi品質研究所さんが言いたかったこととは違う「不良率ゼロ」に反応してしまった。

 不良率はゼロにならない、当然事故もゼロにならない。
日本人はゼロを目指し、モトローラは6σを目指してきた。ゼロにならないものに挑戦することで品質を向上させてきたのは事実だ。 技術者は、目標値をクリアしてなお品質を向上させる姿勢がなければ、技術者としての成長が止まる。(終わった技術者になる) この姿勢を端的に言うと「不良ゼロを目指す」なのだが、「不良ゼロ」に引っかかってしまったのである。

 「不良ゼロ」は危うい精神論に陥る危険性があると思う。
「不良ゼロを目指す」は「不良ゼロであるべき」になり「不良ゼロでなければならない」になる。 「不良ゼロでなければならない」は隠ぺい体質の温床だ。

 過去の事故をみるとこのような不毛な精神論が原因であったり、被害が拡大した事例がある。つまり、リスクマネジメントの基本である「リスクを受容する」という選択肢がなくなることだ。この点において、目標値6σとゼロは本質的に異なる。

 経営層や管理者がいう「不良ゼロ」は「気合と根性」であったり「責任回避」であることが多い。 現場に長くいると「不良ゼロ」で嫌な経験を1度や2度でなく経験するので「不良ゼロ」には条件反射で危ういと感じてしまう。

 管理的立場で発言するときには「不良ゼロ」は使わないようにしている。現場の技術者として発言するとき、「不良ゼロ」は成長が止まった後輩にはっぱをかけるときくらいだ。基本的に「不良ゼロ」は使わない。 結局、「不良ゼロ」は嘘くさくならない場面でしか使えないのではないかと思う。

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 「不良率×%以下」といえば「不良率×%だからいい」になり、「不良率ゼロ」といえば「不良率ゼロでなければならない」になる。

 「×%」でも「ゼロ」でも数値を示すことには、危うい側面があるということか。


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