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2016年4月

2016年4月29日 (金)

県庁そろそろクビですか

県庁そろそろクビですか 円城寺雄介 小学館

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 佐賀県庁職員の円城寺雄介氏は救急車にiPadを使用したシステムを導入し、救急搬送時のたらい回しを減らした取り組みが有名だ。

2015/2/1にTBSで放送された「夢の扉+」を偶然見た。調べてみると、TEDexFukuoka2013でプレゼンされているようだ。

 円城寺雄介氏はスーパー公務員と紹介されることが多いが、自信のことを「はみだし」公務員と称しておられる。

 この本を読む限り、考え方はいたってまっとうだと思う。まっとうに考え、行動すると「はみだし」てしまうのが役所という組織なのだろう。

 1人で改革に取り組むのは大変だけど、一生懸命取り組んでいると誰かが助けてくれるものだ。それでも八方ふさがりになった時に投げ出すかどうかは、その取組みが私利私欲か大義かで変わるのだろう。私利私欲で行動しているなら投げ出すけれど、大義に動かされているなら、そうそう簡単に投げ出せない。

円城寺雄介氏は終章の中で、

全国各地を回りすごい公務員たちがたくさんいることを知った。役所という堅い岩盤の下にはマグマのような熱い公務員たちがたくさんいる。きっかけさえあれば彼ら彼女らはいつでも飛び出してくるのだ。

と書いておられる。

そして、「きっかけは自ら見つけられる。」と言いたいのではないかと思った。


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2016年4月27日 (水)

「不正」の元凶は「技術屋の頑固さ」か?

 家電の世界では「ニクイね三菱」と杏ちゃんは言うけれど、自動車の世界では、「ヤバイね三菱」だ。

 その中で気になる記事を発見した。

なぜ三菱自動車は不正に走ったのか 「技術屋の頑固さ」が落とし穴 TImediaビジネスONLINE 窪田順生 2016/4/26

 三菱自動車の体質の元凶は「技術屋の頑固さ」だと窪田順生氏は指摘する。

相川社長のエピソードを基に

 なぜ「徹底的なセクショナリズム」が蔓延(まんえん)するのかといえば、「個」が腕に覚えがあるからだ。他人の仕事に口出しをしない。その代わり、オレたちのやり方にも口を出すな――。そんな「頑固な技術屋魂」が、「ミスを上に報告しずらい空気」を生み、「報告できないミスを隠蔽してしまえ」という不正につながった可能性はないか。

 「技術」こそが社会の発展を支えてきたという考えが強い日本では、「職人」というだけでなにやら聖人君子のようにあがめたたられることが多い。頑固だが、自分たちの技術に誇りをもっているので、とにかく「不正」などに手を染めるわけがない、と思われている。

 個人的には「果たして、そうなのか」と首をかしげる。「頑固な技術屋」だからこそ、柔軟な対応ができず「自分の欲しい答え」がどうやってもでないときに「不正」に走ってしまうのではないのか。

と論じる。

 窪田順生氏の主観だから正否を議論しても無意味だ。ただ、技術屋的に言うならば、相川氏個人の事例だけを基に技術者全体の問題に展開してよいのかという疑問がある。

 相川氏という1個のサンプルをもって技術者全体の性質を論じられるのは、技術者の端くれとしては、はっきり言って心外だ。

 この記事を書いた、窪田順生氏はジャーナリストのようだけど、ねつ造記事を書いた某新聞社の記者がいたことを論拠に、「窪田順生氏を含むジャーナリストは皆、ねつ造記事を書く」と断定するようなものだろう。

 技術者には、工学倫理、技術倫理が必須である。三菱自動車にはこれらの倫理感が欠けていた技術者がいたことに間違いはないだろう。

 では、ジャーナリストには、倫理観は必要ないのだろうか。


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2016年4月25日 (月)

セブン&アイ鈴木会長を辞任をめぐる記事

セブン&アイ鈴木会長を辞任をめぐる記事

 注目したのは後継者の育成という観点。

 鈴木CEOは、セブンイレブンを一代で創っただけでなく、「コンビニ」という業態を創った経営者だから、その後継者となるには超えなけれならないハードルは高くなるのだろう。

 鈴木CEOがイトーヨーカ堂からコンビニ事業を反対されたように、次世代の経営者は前世代の経営者を否定しなければ前世代の経営者を超えることはできないし、事業を成長
させることはできない。

 一方で、経営トップの意向を慮る取り巻きが増える「忖度病」も言い換えれば、経営トップの経営方針が行き渡っている状態ともいえるのではないだろうか。(ゴマすりばかりが増えて裸の王様状態になっているのは論外だけど。)

 経営トップの経営方針を極めると必然的に「忖度病」的になる。とすると、「忖度病」の中から経営トップや経営方針を否定し、しかも成果を残す者が現れなければならない。

 つまり、経営トップや「忖度病」に罹った取り巻きが、神格化された経営トップや経営方針を否定する者の存在を許し、成果を上げるための機会を与えられるかが問題だ。

 しかし、経営方針を徹底すると同時に経営方針を否定する者に機会を与えることは大きな矛盾だ。

 そして、普通の人間は、他人や他人の信念を否定することができるが、自分や、自分の信念を否定されることは受け入れがたいものだ。

 しかも、今現在成果を上げている経営方針の否定が全て正しいわけではない。むしろ間
違っていることのほうが多い。その中から成長をもたらす否定を見極めなければならない。

 と考えると、成功した企業が世代を超えて継続していくためには、多様性を失わないこ
とが必要なのではないか。

 とはいえ、多様性がありながら経営方針を徹底することは難しい。どちらかに振り切ることはできないだろうから、内部、外部の環境に応じてバランスをとらなければならないのだろう。

↑歯切れが悪いなあ...。


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2016年4月23日 (土)

トランジスタ技術2016年4月増刊 - FPGA電子工作スーパーキット -

トランジスタ技術2016年4月増刊 (1)MAX10(2)ライタ(3)DVD付き! FPGA電子工作スーパーキット

 トラ技2015/11でアナウンスされていた、MAX10付増刊号がようやく発売されたようだ。

 MAX10搭載ボード、JTAGライタ基板、DVDが付いて、4,860円らしい。 基板はマルツでも売っていて、 MAX10搭載ボードは 5,980円、TAGライタ基板は 3,480円 だから、トラ技増刊の方がお買い得かもしれない。 ただし、トラ技増刊のオマケにはSDRAMが載ってない。

 マルツのボードは

  • MAX10 10M08SAE1448G
  • 48MHz 発振器
  • SDRAM 32Mx16
  • フルカラーLED x1
  • SW x1

だから、BeMicro Max10より見劣りがするなあ。

 BeMicro Max10は買ったけど、MAX10に対応したQuartusIIが64bit環境でないと動かないのでそのままになっている。

連休中にせめてLチカまでは何とかしよう。


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2016年4月20日 (水)

はみだす力

はみだす力 スプツニ子 宝島社

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 スプツニ子氏は情熱大陸(2013/11/17)で初めて知った。情熱大陸で見た記憶はあるのだが、正直あまり鮮明に覚えていない。今話題のMITの助教授になった現代アーティストがくらいの感じだった。

 この本は初版が 2013/11/18 だ。スプツニ子氏の幼少期から情熱大陸の少し後くらいの内容が書いてある。当時、書店で見かけた記憶はあるがスルーした。

 スプツニ子氏は2016/4からNHK Eテレのスーパープレゼンテーションのナビゲータをやっている。残念ながらコメントは至極まともで「はみだし」た感がいまいちだ。毎週見かけるようになったので、この本を読んでみた。

 スプツニ子氏は世の中を斜に見ている感がある。常識やモラル、権威を小ばかにした内容をテクノロジーで表現している感じだ。特に、社会や人々の心に潜む性差別(男尊女卑)を意識して取り上げているようだ。

 28歳(出版時)にして自己啓発本のような内容が書けるのは、幼少期からアメリカンスクールまでに体験した、集団からの疎外感から得たものだろうか。普通の人達の集団から「はみだし」ている者が、その集団を観測している感じだ。集団の中にいると観測できない真実が集団の外に「はみだし」た者からは観測することができる。

 しかし、ネットを通じて積極的に支援を求めたり、MITから招へいされるくらいだから、完全に「はみだし」ているわけではなさそうだ。 「はみだし」を超えて普通の人達の集団から完全に分離すると、普通の人達の集団から無視される。

 この「はみだし」具合が微妙でちょうどイイ感じなのだろう。

 

 「はみだし」者が「はみだし」ているうちは創造的に振る舞えるけれど、自分の周りに世界ができてくると、「はみだし」者は苦しくなってくる。そして創造性がなくなり、ただの変な奴になる。

 スプツニ子氏は自ら「はみだして」いるのだろう。そして、自ら「はみだして」いるうちは「スプツニ子」でいられるのだろう。 いつまで「はみだして」いられるか楽しみだ。(上から目線だ^^;)

 ところで、この本の冒頭に

どこにいても、浮いていてなじめない人。
けれど、自分を抑え込んでまでまわりに合わせるのがツライって人。
       -略-
逆にいつも人の顔色を気にしていて周りに流されてばかりの人。
それでいて、「平凡」な自分「普通」の人生で終わるのがこわい人。

に読んでほしいと書いてある。

 好き・嫌いにかかわらず集団の中にいる人が「はみだす」のは、かなり難しいのではないだろうか。「はみだし」は、たいてい自ら望んだ結果ではなく、生まれ持った性質や生まれ育った環境、人間関係など、自分ではいかんともしがたいことが原因だ。

 集団の中に入りすぎてイタイ思いをしたり、集団から離れてサミシイ思いをしながら、ちょうどいい距離を見つけてきた。それが「はみだし者」ではないだろうか。


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2016年4月18日 (月)

「上を目指したくない」というキャリア

「上を目指したくない」というキャリアを軽蔑してはいけない 
2016/4/4 「会社と社員を円満につなげる人事の話/ユニティ・サポート小笠原隆夫」

 上を目指すかどうかは個人の価値観、いや人生観だと思う。

 「上位の役職」を目指すことのみを良しとする組織では、個人の人生観は無視され、「上」を目指さない者は異端児扱され、意欲や覇気がないと評価される。 評価が一方的だと文句を言っても始まらない。相手は人生観の相違を認めない人達だ。

 「ピーターの法則」が正しいとすると、上を目指すことは無能レベルに近づくことだ。
何故、皆好き好んで無能レベルをめざすのか不思議だが、それも一つの人生観なので他
人に自分の人生観を強要するつもりはない。(当然、他人の人生観を強要されたくはない。)

 上を目指さない人の評価が低くなる組織はキャリアパスが硬直化しているのだろう。また、上を目指すとキャリア・チェンジが必要になることが多いが、キャリア・チェンジのための支援が無いのだろう。

 キャリア・チェンジを支援する仕組みがあれば、多くの者が優秀なマネジャになるのだが、キャリア・チェンジを乗り越えられない者は無能レベルに達してしまう。

 つまり、現場で能力を発揮している人は、

  • 上を目指さないで、低い評価でも現場で能力を発揮するか、
  • 上を目指して、無能レベルに達して低い評価をうけるか

の二択を迫られるわけだが、どちらにしても不幸だ。

 もちろん、上を目指しても無能レベルに達しない人はいる。
上を目指す人も、上を目指さない人も、能力や成果で評価するべきで、人生観で評価しないようにすれば良いだけだと思う。

 組織の中で異なる人生観を持ち続けるのは苦労も多く揺れることもあったが、病気で入院したことをきっかけに揺れることがなくなったような気がする。

 自分の人生は自分で決めるとツッパって生きてきてよかったことは、他人の人生観が受け入れられないとしても、頭から否定しなくなったこと。

2016年4月16日 (土)

ブログを書き続けること

ブログを書き続けることを通して「教える」技術が磨かれる 2016 年 3 月 9 日  05:00  by 大橋 悦夫

 大橋悦夫氏は、ブログを書き続けることのメリットは

もちろん、多くの人に読んでもらえれば、書いた側としてもうれしいですし、書きがいも出てきます。自己重要感が満たされうる、というメリットが挙げられます。 でも、それ以上のご褒美は、記事としてまとめる過程で自分の知識が整理され、理解がより深まることです。

と書いておられる。

Yoshi品質研究所 さんは、Facebook で、毎日コラムを投稿しておられる。1300回のコラムで、毎日コラムを書くことのメリットについて

要は「コラムを続けることで絶えず周囲を観察する目」が養えたのかなと思ってます。

と書いておられる。

 σ^^)もまったく同感で、ブログを書くために、 周囲を観察して、考えたこと頭の外に出して書き留めておくことで、思考が整理され、思考が深まることが最大のメリットだと思う。

 1年前、2年前の投稿を読み直してみると、思考が深まったと感じるものや、全く進歩していないものなどがある。 書き留めておくことで、同じテーマを長期間に渡って継続して考えることができる。 書き留めておかなければ、一から思考を始めなければならない。

 もう一つは、毎週読んだ本の感想(書評ではない)を書くことにしているので、毎週本を読むようになったということ。


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2016年4月14日 (木)

効果10倍の<教える>技術 --授業から企業研修まで

効果10倍の<教える>技術  --授業から企業研修まで 吉田信一郎 PHP新書
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非常に参考になる 良い本だ。
長年釈然としなかったことが分かった。

専門家や講師の話を聞いた後に、質疑応答ないし話し合い(協議)の時間を設ける場合もありますが、現状ではそれらも申し訳程度にしかやらないか、効果的な進め方を知っている人はほとんどいないので、ピントが合った質疑応答や話し合いが行われることは少なく、したがって欲求不満を起こしてしまう人も少なくありません。

 この形式が日本における「学び」の中心的な流れとしてずっと続いているのは、目標自体を明確にしないことと、それを実現するための方法をしっかり考えないがゆえの結果です。

「いいことを」を聞かせさえすれば、あとはそれを聞いた各人の問題だという「間違った前提」ないし「悪い習慣」を引きずっているからです。

 方々で講義・講演しているけれど、自分がやっている講義・講演は「間違った前提」によるものだということが分かった。ちょっとづつ良くなってきたと自画自賛していたけれど、そもそも、前提が間違っているということだ。

「学び」は、情報を受け身的に受け入れるだけで成り立つ者ではありません。主体的に知識やスキルを一人ひとりの生徒や受講生が創りだすプロセスです。

 受講生の多くは「間違った前提」で聴いているから受け身だ。主体的に知識やスキルを創りだしている受講生は圧倒的に少ない。自分も講義を聞く側であれば、受け身になっていると思う。

 主体的に学んでいる人も何人かはいる。しかし、主体的に学んでいる人が1人、2人増えたと言って喜んでいても、圧倒的に少数であることは変わりない。

 この本は、ハウツー本ではないので、具体的な方法が書かれているわけではない。具体的な方法は受講者と講義内容に合わせて考えなくてはならない。

 講義の方法を変えなくてはならないことは分かった。しかし、問題が大きすぎるので具体的な方法は今すぐ思いつかない。

とりあえずは、

  • 「いい話」を聴くことが学ぶことではない
  • 「学ぶ」ことは、受講者が主体的に知識やスキルを創りだすこと

を考えて講義をやろうと思う。

もう一度この本を読もうと思う。

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 この本は電子書籍で買った。読み始めると、図表が黒塗りで見えない。我慢して読み進めるとすべての図表が黒塗りになっていた。

 壊れているようなので、楽天booksにメールしたら、「症状は確認したけど修正完了日時は分からない」という返信メールが反ってきた。

いい本なのに残念だ。修正されたらもう一度読もう。


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2016年4月12日 (火)

cocologの広告を消してみた

 ここ(cocolog)でblogを書き始めて4年半が経過した。blogはどこでもよかったのだが、NIFYのアカウントを持っていたので、考えなしにここで始めた。

 @homepageが廃止になったので、NIFYホームページ(LaCoocan)に移ったら料金が安くなった。安くなったので、無料のcocologベーシックからcoco-logプラス(450円/月)に変更した。

 容量が5GB使えるようになるが、画像をたくさんアップロードしてないのであまりうれしくない。1MB以下のファイルしかアップロードできないという制限が緩和されると動画をアップロードしやすくなるのだが。

 それでも、プラスに変更したのは、ケータイ、スマホで表示したときの広告がなくなること。

 普段はパソコンでアクセスしているので広告は出ないのだが、スマホで見ると広告が出るので嫌だなと思っていた。

 良い機会なので、プラスに変更して広告が出ないようにした。

 スッキリしたので満足。


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2016年4月10日 (日)

批評家の言うことを聞いてはいけないのか

シベリウス『批評家の言うことを決して聞いてはいけない。これまでに批評家の銅像が立てられたためしはない。』 Inquiry

 キャッチーなタイトルだ。 この記事は、偉人の発言(格言)を引用して著者の主張を刷り込んでいるが、詰まるところ、趣旨は、

「後知恵で批評する疑似批評家の批評は気にする必要はない」

だろう。

 批評家が忌み嫌われるのは、批評家が当事者目線ではなく、神目線で語るからだろう。 批評が正しいとしても、凡人はつい、「じゃお前やってみろ」とか「お前に言われたくはない」と言いたくなる。

 でも、疑似批評家の後知恵批評であっても聞いてみるメリットはあると思う。 自分の行動を自分自身で客観的に判断するのはとても困難だ。どうしても第三者の客観的な批評が必要になる。

 世の中には、正しい批評ができる(正当な)批評家人ばかりとは限らず、疑似批評家もいる。正当な批評家も門外の分野では、疑似批評家になったりするので、正当な批評家だけの批評を聞くことはできない。批評を聴こうとすると、正当な批評家、疑似批評家両方の批評を聞かざるをえない。

 ならば、必要なことは、その批評を、自分の次の行動に参考にすべきか、無視すべきかを判断すること。 つまり、峻別すべきは批評家(人)ではなく、批評そのものの妥当性ではないだろうか。

 問題は、どうやって自分に対する批評を冷静に聴くかである。

 批評されている自分も神目線になると良いと思う。 一人の自分を神目線にして批評家側に立って、もう一人の自分を批評を聴く。そのとき、意識を神目線側の自分に集中して、批評される自分の意識をOFFしておくと、結構冷静に批評を聴くことができる。 (あんまり、酷い批評が続くと、ふと批評される自分に意識が戻って、「オメ~に言わたかネーよ!」になったりするのだが...修行が足りない)

 この技ができるようになったからといって、安易に他人を批評してはいけない。

 人は、他人からの批評を素直に聴けないのが、普通だ。


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2016年4月 8日 (金)

人工知能は人間を超えるか -ディープラーニングの先にあるもの-

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの 松尾豊 角川

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 著者の松尾豊氏の人工知能への思い入れが伝わる。

 「人工知能」や「AI」と聞くと怪しさを感じるのは、第2次ブームを知っているからだろうか。 当時、通信システムの保守をしていたので、障害探索にAIが使用できないだろうかと考えた。 折しも、パソコンで使えるエキスパートシステム構築ソフト販売されていた。

 ものの本を読むと、満足に動くようになるには、ルールが200必要と書いてある。 ルールを書き出してみたが、自分の頭からは200もルールは出てこなかった。ルールが無いわけではないのだが、明文化することができないのだ。 周りの人のルールも使おうと考えたが、やはり出てこない。

 このとき、知識、特に常識を頭の外へ出すのは極めて困難だと知った。

 インタビューしながらその人の知識を明文化する人(その本ではナレッジエンジニアと呼んでいた)が重要だと書いてあった。 今考えると、いかにもヒューマンコミュニケーションスキルが重要だ。 当時はKYを自覚していなかったので、その試みは失敗した。

 それ以来、AI=机上の空論、怪しげなものという認識を持つようになった。

 2007年にBonanzaが渡辺竜王と平手で指した時は衝撃だった。そして、今年(2016年)Deep MindのAlphaGoが囲碁のプロ棋士に勝った。 2014年に囲碁ソフトDolbaramが4子で張治勲25世本因坊に勝ったのを見て、囲碁ソフトもかなり強くなったと思ったが、その後1年以内に平手で、プロ棋士に勝つとは思わなかった。しかも、勝った相手は、世界ランキング1位だったこともあるイ・セドル九段だ。

 囲碁界は大きな衝撃だったようだが、人工知能を研究している人達は意外にも冷静だ。 冷静な理由はこの本を読むと分かった。 まだ、人間にとって変わるレベルではない。 特定分野で人間の能力を上回ったに過ぎない。 人工知能の研究者が目指しているのは、汎用人工知能だから、囲碁で人間に勝ったからといって、小躍りして喜ぶほどのことではないらしい。

 囲碁も将棋もソフトは詰将棋や局所的な生死は強いが、大局観が苦手で、序盤、中盤が弱いと言われていた。大局観は詰まるところ形勢判断だから、大局的な形勢判断ができるようになったわけだ。 人間でも難解な大局観という概念の符号化に成功したということだろう。

 形勢判断は評価関数で行うが、評価関数は棋力や棋風だろう。これまで囲碁・将棋ソフトの作者が作っていた、評価関数を機械学習でそのパラメータを決められるようになったわけだから、これから、人間が思いつかなかった戦法が見つかるかもしれない。

 今後、ディープラーニングのコストが下がってきて、常識の符号化ができるようになったら、専門家が素人に専門的な知識を伝えやすくなるだろう。 専門家の説明が分かりにくい原因は、専門家と非専門家の常識が共通していないことだから、共通の常識のレベルまで 下げて説明すれば伝わるはずだ。


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2016年4月 6日 (水)

撤退戦 <縮小する事業はどう選ぶか>

 人が減って仕事が増えたとき、つまりリソース以上の業務量がありながらリソースを増やすことができないときマネジャはどうすればよいのか?

 ウチは業種ICTで、分野もレイヤも広い。 物理層からアプリケーション層まで扱っていて、技術分野も広い。 人が減って業務量がリソース以上になって、しかもリソースが増える見込みがないときには、どれか事業を止める決断をする。
これがセオリーだろう。

 ところが、ウチのエライ人は止める事業を選択する際に、難易度で分けようとする人が多い。  簡単な作業はアウトソーシングして、難しい作業だけ残すというのだ。
一見尤もらしいが、たいてい失敗する。 それは撤退戦だからだ。

 レイヤ間はインターフェースが規定されていることが多いので、止める事業をレイヤで分けることは容易だ。また、「無線」と「交換(古い^^;)」、「情報処理」のように技術分野で分けるのも容易だ。

 ところが、技術的な難易度は連続しているため、難易度で分けようとすると、技術者の成長、技術の伝承ができなくなる。

 簡単な作業をアウトソーシングすると、新人はいきなり難しい作業から始めなければならなくなる。

 簡単な作業はマニュアルを作ると、作業はできる。 しかし、技術力が向上するわけではないので、マニュアルでできる簡単な作業をいくらやったところで、マニュアルに無い、難しい作業ができるようにはならない。 また、簡単な作業をやっていないので、技術の伝承も困難だ。

 つまり、やる、やらないを技術の難易度で分けると、難しい作業ができる人がいるうちは良いが、いなくなった時点で事業が存続できなくなる可能性が高い。 そして、その組織・部署から技術が失われる。

 組織・部署が一旦技術を無くすると、復活には20年が必要だという。 技術を獲得するために10年、それを次の世代に伝承するのに10年が必要だからだ。リソースが足りない状況では、20年など悠長なことは言っていられないから、技術を無くした時点でその事業を再開できなくなる。

 技術で売っている部署において、「簡単な作業はやらない」は、撤退戦の始まりだということだ。

 撤退戦を承知の上で、将来事業を止める(難しい作業も止める)ことを見込んで、難易度で分けるというなら良いのだが...

 どうも場当たり的のように感じる。 昔、別の事業で一度失敗しているのに、同じ轍を踏もうとしているように感じる。失敗から学ばなければならない。

 撤退戦は最後まで指揮しなくてはならない。最後まで指揮しない撤退作戦は無策に等しい。


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2016年4月 4日 (月)

GPSロガー <バラしてみたい>

とくに使う目的はないのだけれど、GPSロガーをポチッた。
Igatu1

晴れてないと、GPSのキャリブレーションができないらしい。そんなに感度悪いのか?
Igatu2

バラしてみたいけど、もう少し調べてから。

2016年4月 2日 (土)

発達障害の素顔 <脳の発達と視覚形成からのアプローチ>

発達障害の素顔 脳の発達と視覚形成からのアプローチ 山口 真美 ブルーバックス新書

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「まえがき」が現代ビジネスの、豊かな「個性」としての発達障害 〜多かれ少なかれ誰もがもっている 山口真美 (2016/02/18) にある。

 この分野の研究はかなり進んでいるようだ。
発達障害と呼ばれる特性と脳の働きの関係は解明されてきている。しかし、ある程度適応した人や適応できない人に対するケアや対応については書かれていない。(当然だ)

 他人と話す際に、相手の顔を見て話すのは正直苦手だ。
山口真美氏が指摘するように、日本人は会話する際に視線を合わさないので、視線を合わさないように、しかも、相手の顔(表情)から感情を読み取りながら会話しなければならない。 これは、極めて難しい。

 相手の顔を見ようとすると「ガン見」になるし、感情を読み取ろうとすると会話ができなくなる。会話しようとすると、相手の顔が見えなくなる。(見なくなるのではなく、相手の顔が意識から無くなる感じ) 周りの会話に付いていこうとすると、どれかが疎かになる。

 会話をしながら、視野の端っこにいる人を注視しないで行動を把握し、隣で話している人達の会話も聞くなんて芸当は到底無理だと思う。

 例えば「りんご」といわれたら、自閉症者はあらゆる事例をサーチして、どんな種に属しているかまで考え出す。あらゆる可能性をひとつひとつつぶしていく、すべての可能性の情報処理を行うため、情報処理が極めて多量となる。結果として処理に時間がかかるが、最終的には解へと到達するのである。自閉症者は先入観でトップダウンに判断を絞らず、機械的でフェアな見方をしているがために、時間がかかるといえよう。

 「そもそも論」は好きな方だから、会話中に難しい質問をされると、脳内会議が始まってしまう。山口真美氏がいう多量の情報処理を行っている状態だ。困るのは、コミュニケーションが止まってしまうこと。 娘たちには「ねえ、聞いてる?」とか「脳内会議やってんの?」とか言われ、挙句に「そんなに真面目に考えなくていいから」と言われる。

 困るのは、コミュニケーションが滞らないように、情報を処理しようとするとたいてい脊髄反射になることだ。
後で独りになって脊髄反射した情報処理が正しかったのかを考えると、歳を取ったせいか、経験があることなら誤ることは少なくなったが、経験がないことを脊髄反射で答えてしまうと後悔することが多い。

 脳内会議する人(ときどき会話がストールする人)に即断・即決を求めると危険だと思う。

 こういう点を考慮に入れると、自閉症者に対しては学習の仕方だけでなく、テストの設定にも気を遣う必要がある。回答までに費やす時間がはるかに長いことを前提にして、能力を評価すべきといわれている。含みを持たせた表現は禁じ手だ。

 日本の教育と能力評価は、知識の量と知識を短時間で引き出すことを偏重しているから、最初から覚えろと言われたら、定型の人以上の能力を発揮できる人もいるようだ。

 興味がないことはさっぱり覚えられない(覚えようとしない)性格で、考え始めると時間がいくらあっても足りないので、学校の成績は良くなかった。特に、漢字、英単語、年表は覚えられないので壊滅的だった。

 「記憶に頼るのはアホのすること」と思っていたが、社会に出て、本当に頭のいい人は、記憶能力と思考能力両方優れているということが分かった。

 興味があることしか覚えられないのなら、興味がある分野で勝負すればよいということだ。 友人から「お前は趣味と仕事が連続している」と言われるのだけれど、興味がある分野の仕事に就けて本当にラッキーだったと思う。


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