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2016年6月

2016年6月30日 (木)

なぜ、あの人の文章はつまらないのか? <学校では教えてくれない文章とことば12 のヒミツ」>

なぜ、あの人の文章はつまらないのか 横山美佐

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 文章を書くことで自分の内側を見つめ、他人のために書くのではなく自分のために文章を書こうという本。

何でも 、自由に 、書いていい世の中で (もちろん 、誹謗中傷はダメ ! ) 、 「書けない 」が起こるのは 、 “衝動 ”より “思考 ”が勝ってしまっているから 。

 最近、凹むことがあって、書けなくなっていた。

 書けば愚痴になり、他人を責めてしまう。他人を責めることや非難する文章は、自分のための文章だけれど、後から読み直すと、後味が悪い。

 きっと、自分の内側を見つめていないのだろう。

 凹んだ件も書いてみることが必要なのかもしれない。

 書くことで自分の内側を見つめことができれば、他人に対する非難を昇華できるかもしれない。


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2016年6月28日 (火)

情熱大陸 2016/06/26 横山由依 <カリスマではないリーダーのありかた>

2016/6/26 の情熱大陸は AKB48グループ2代目総監督 横山由依氏だった

 TBSの番組紹介「カリスマではないリーダーのありかた」とある。たしかに、高橋みなみ初代総監督のリーダーシップとは異なるリーダーシップのように見える。

 とはいえ、1年間の引き継ぎ期間はあったわけだし、創成期を支えたエースといわれる人たちが卒業し、初代総監督の高橋みなみ氏も卒業したから、高橋みなみ総監督と同じようにしなければならないというプレッシャーは無いのだろう。 逆に自分らしさを出すのが難しいのかもしれない。

 番組中の「中間管理職のようだ」というナレーションがあった。 更に、AKB総選挙や握手会などで現役アイドルとして評価されているから、言うなればプレイング・マネジャーだ。

 AKB48グループに「カリスマ」がいなくなったのか、「カリスマ」が不要になったのかは定かでない。しかし、 リーダーシップの形はカリスマ型だけではないので、横山由衣氏のリーダーシップを発揮すればよいのだと思う。

 注目しておこう。


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2016年6月24日 (金)

100点満点を超える <越えるではなく超える>

 教育・訓練を主催するにしても受講するにしても到達レベルの設定は必要だ。

主催する側としては

 教えた・訓練した内容を100点満点として、 到達レベルを95点とするか、60点とするかは、教育・訓練対象者による。 いずれにしても、100点満点が存在する。

 教育と訓練とでは、到達レベルの意味合いが異なる。

訓練では

 正解が用意されているから、100点満点は理想であり、95点の受講生は「優秀」、60点の受講生は「及第」だろう。主催者は、ひたすら100点に近づくように努力すればよい。

 現場のマネジャにとっては、100点満点で95点の「優秀」レベルの部下は頼りになる、最低でも60点の「普通」レベルはクリアしてほしいと思う。

 受講生も、100点を意識しているから、100点を越えることはできない。

教育では

 100点満点は所詮用意された正解だ。誰かが持っている既存の知識・技能や枠組みだから、100点満点は一時的な目標値に過ぎない。

マネジャとしては

欲しいのは、

  • 予め用意された答えがない問題が解決する能力を持っている人
  • 既存の知識を以外の知識・技能を持っている人
  • これらの能力を獲得できる人、獲得する方法を知っている人

いうならば、100点満点で120点取れる、既存の枠を「超越」した人材だ。

 だから教育では、60/100点をクリアしたら次に目指すのは、95/100点ではなく、120/100点ではないだろうか。

 教えられていない答えを、発見できる人、導き出すことができる人。つまり、教える側を超える人が育つかどうか。

人材育成に携わる者にとって重要な視点だと思う。


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2016年6月22日 (水)

データの見えざる手 <ウエラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則>

データの見えざる手 ウエラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則 矢野和男 草思社

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人のハピネス度の見える化ができる「ビジネス顕微鏡」を考えた、矢野和男氏の著書

 「ビジネス顕微鏡」(2015/03/02)では、センサとビッグデータ解析の抱き合わせ商法と書いた。キーワード「センサ」「ビッグデータ」もう一つは「解析」ではなく「人工知能」だった。

 もう10年以上人工知能の研究をされているようだ。σ^^)は30年前の人工知能ブームで止まっている。

 ビッグデータから人の行動を表す方程式を発見したという。そして、人の行動把握にとどまらず、ハピネス度や業績との関係まで、明らかにできるそうだ。 ハピネス度と業績、リーダーシップとコミュニケーションは相反せず、両立する というのは目から鱗だ。

 データを収集することで、人間関係を関係性グラフを使って見える化できるようになるらしい。マネジメントに重要な人間関係は勘に頼しかなかったが見える化できるとメリットは大きい。

 ウエラブルデバイスが欲しくなった。


 

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2016年6月19日 (日)

無印良品 <カリスマなきあと>

無印良品の最悪期に社長就任。現場を歩いて見つけた「6つの病巣」 松井忠三 [良品計画名誉顧問] DIAMOND Online

ここにも→http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160606-00092481-diamond-bus_all

 業績悪化の責任をとって退任した前社長の後に、急遽社長に就任した松井忠三社長は現場を見て、業績悪化の要因が6つ分かったという。

  1. 「無印はこれでいいのだ」という慢心、驕り、
  2. 急速に進む大企業病による「寄らば大樹、危機感の喪失」、
  3. 焦りから短期的な対策に終始する組織、
  4. 「わけあって安い」のコンセプトが希薄化したことによるブランドの弱体化、
  5. 急速な拡大など戦略の間違い、
  6. 仕組みと風土の改革を伴わない中での社長交代

 ところが、「真因」がほかにあることに気が付いたらしい。

それは、「ビジョナリーカンパニーほど陥るカリスマ亡き後の平等主義」だという。

 そうするとどうなるか。取締役会を納得させるには前例主義をとるしかなくなるのである。大企業の前例主義はつとに話題になるが、設立10年にも満たない会社でも、人を尊重しようとするが故の前例主義が根を張るのである。

 

ウチもカリスマがいなくなる。

 「設立10年にも満たない会社でも前例主義が根を張る」は重い。ICT業界では停滞は後退を意味するから致命的だ。

 知らず知らず自分達が変化していることを見付けることは難しい。方々にアンテナを張っておかなければならない。


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2016年6月17日 (金)

反面教師 <他人を責める言葉ではない>

「仕事の報酬とは何か」の中で田坂広志は「反面教師」について説明しておられる。

そして、もう一つ、忘れてはならない心得がある。

「反面教師」として学ぶ。

しかし、この言葉の意味を誤解してはならないでしょう

なぜなら、我々は、この「反面教師」という言葉を、
しばしば、「皮肉」の言葉として使ってしまうからです。

「あの人は、何も学ぶべきものがない、欠点だらけの人物だ」
「だから、あの人から学ぶとすれば、せいぜい、反面教師として学ぶだけだ」

そういった「批判」や「非難」を込めた
「皮肉」な意味あいの言葉として使ってしまいます。

しかし、この「反面教師」といfう言葉の、本来の意味は、
そういう意味ではない。
では、何か。

他人の中にある「欠点」は、必ず、自分の中にも、ある。

そのことを教えてくれる言葉なのです。

そして、この言葉を、その本来の意味そのままに解釈したとき、
我々は、
この言葉を使って他人を「裁く」という過ちから、免れることができる。
そして、この言葉を、
自らの姿を映し出す「鏡」として、使うことができるようになる。

この「反面教師」という言葉。

それは、本当は素晴らしい言葉です。

 視線が外向きで「反面教師」を語ると、どうしても無意識のうちに「批判」や「非難」してしまう。

 視線が内向きになると、自分の中にある残念な部分が見えてくる。

 簡単そうに見えて実は難しい。


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2016年6月15日 (水)

日立論評 2016/4 人工知能という希望 AIで予測不能な時代に挑む

日立評論 2016/4 人工知能という希望 AIで予測不能な時代に挑む

 

←画像をクリックすると日立評論(http://www.hitachihyoron.com/jp/archive/2010s/2016/04.html)に飛ぶ。

画像は紀伊国屋(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-04-4910076010468)にある。


 日立評論は日立製作所の論文誌で、頼むと定期的に送ってもらえる。昔はバックナンバーを探すのが大変だったけど、最近はWEBで公開されているので、探すのが楽になった。

 2016/4月号はAI特集だった。「AIで予測不能な時代に挑む」と題した 矢野和男の論文をDLして読んだ。

 日立製作所研究開発グループ技師長(旧中央研究所主管研究長)の矢野和男氏を初めて知ったのは「ビジネス顕微鏡」(2015/03/02)だった。

 当時はセンサーとビックデータ解析の抱き合わせくらいの理解だったが、理解が足りなかった。「AI」という観点でなく「組織の活性化」と言う観点で見ていたので。←言い訳ですな (^^;

 人工知能をめぐる最近の話題は何といっても、AIを使用した囲碁ソフトAlphaGOがトッププロ棋士に勝ったことだ。

 矢野和男氏は、囲碁のプロ棋士と囲碁ソフトAlphaGOの戦いはAI対人の戦いではなく、人対人の戦いであるという。

 一方の人間は,自分の経験と学習によって力を高める従来のアプローチをとった人である。すなわち,自らの身体や知力で戦う道を選んだ人である。
 他方の人間は,過去のあらゆる棋譜のデータからコンピュータを使ってシステマティックに学び,さらに,そのコンピュータ同士を何千万局も戦わせて,その棋譜からも体系的に学ぶ方法を選んだ人である。
このために,過去の大量データとコンピュータの圧倒的なデータ処理や記憶能力をどうすれば活用できるかを体系的に考えた人であり,そのために身体と知力を使った人である。

つまり、機械VS人ではなく人VS人であると。そして、後者のアプローチを選択するすることで、これまで必要だった深い専門知識がそれほど重要でなくなるという。そして、今後重要になるのは知識ではなくデータであると。

 巻頭の、ヤフーCSO安宅和人氏との対談では、

 ある部分で機械の方が勝れているのは当然です。 だけど,われわれ人間にしかできないこともある。そういう正しいフレームワークでAIを見る人を増やさなければいけないと感じています。

と言われる。

 この先の技術者に必要なことは、

  • 人工知能を作る
  • 人工知能を活用してその先にに行く
  • 人工知能にできないことをやる

だ。人間にしかできないものは何だろうか?。

 ガキの頃鉄腕アトムに出てくる21世紀の世界は夢のようだった。21世紀も10%以上経過したが、鉄腕アトムの世界には追いつけていない。しかし、今後夢の世界が加速し、人工知能も加速するであろうことは間違いない。

 とすれば、技術者に限らず、人間にしかできないものについて考えておかなければならないのだろう。

 「人工知能=怪しげなもの」という認識を変えなくてはいけないのかもしれない。
日立の汎用AI「Hitachi AI Technology/H」を調べてみよう。


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2016年6月13日 (月)

高卒と大卒の差 <学歴信仰?>

FacebookのYoshi品質研究所さんの毎日コラム。2016/5/24は「高卒と大卒の差」

Yoshi品質研究所
2016/5/24
第1350回

以前、私の先輩から「高卒と大卒の差」と言う話をされたことがあります。
年齢が進んで管理職になった際に、大卒と高卒では視野の広さに差が出てくるというもの。どうしても同じ年齢同じ役職でも大卒の方が視野が広いとその先輩は言うのです。
しかし私はその説に違和感を覚えました。確かに「そういう場合」もあるでしょう。でも、「そうではない場合」もあると思います。
重要なのは学歴ではなくて、その会社の中でその人をどうやって育ててきたか?ではないかと思うのです。むしろ高卒で働き始めた人は同じ年齢でも大卒より4年間の実務経験があります。その経験を生かしている人は大卒に引けを取るどころか、もっと実務的な知恵を持っているかもしれない。
ひとくくりに学歴を問う時代は終わったと私は思います。どんな学歴でも社員は同じ社員。そこからの成長は会社が作るものではないでしょうか。

 高卒と大卒を新卒のときに比べると18歳と22歳だから明らかに差がある。20歳前後の4年間の際は大きい。同じ年齢で比べると、若いうちは経験の差が出てくる。

 では歳をとってからはどうかというと、経験の差より、意思決定をした経験と、その経験から得た行動様式や思考様式のほううが大きいような気がする。

 古い体質の組織は、今だ学歴信仰が残っているので、若いうちに意思決定するポジションに就くことが多い。その結果、大卒の方が意思決定する機会や重要な意思決定の機会が多くなりが視野が広く広くなるのではないだろうか。

 つまり、Yoshi研究所さんの先輩の会社は学歴信仰があって、結果として指摘は正しいのではないかと思う。

 実力を重視する会社では違うと思う。
今いる所属は9割が技術者で、全国から集めたメンバーの学歴は高卒、高専、専門校、工大、総合大工学部、理学部とバラエティに富んでいる。 

 彼らに共通するのは、自分で自分の能力を高める方法を知っていることだ。これは、技術系に限らないのではないだろうか。

 この思考様式、行動様式が大学で学んだか否かで決まるとは思えない。

 多様性のある採用は重要だ。しかし、最近、採用の多様性が無くなっているようなので、心配だ。

 とはいえ、学歴信仰は根強い。

 若い人達に、「仕事の出来と学歴には相関は無い」と言うと、戸惑いの表情をみせる。これまで周りの大人が言っていたであろうこととは違うので、困惑するのだろう。

 重要なことは、「自分で自分の能力を高める能力」を獲得すること。




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2016年6月11日 (土)

かなり“攻めている”「ひとみ」事故報告書

かなり“攻めている”「ひとみ」事故報告書 日経ビジネス 2016/5/27

 X線天文衛星「ひとみ」の「異常事象調査報告書」に関する記事が日経ビジネスにあった。

 ライタの松浦晋也氏は、「ひとみ」の事故の直接的な要因である、パラメータ作成時の入力誤りと、作成後の検証漏れを引き起こした原因は、宇宙研の風通しの悪さ、つまり、理学系と工学系の一体感のなさだ指摘する。

 取材の過程で、ある宇宙研関係者から聞いたそうだ。

 「理工一体というけれどね、昔はそんな言葉はなかったんだよ。当たり前に理学系と工学系は緊密に協力していたんだ。ことさらに理工一体と言わねばならないのは、今、それほどに両者の協力関係が崩れているということなんだ」

 はやぶさ2ちゃんと帰ってくるかな...

それはさておき、「製販一体」など「○×一体」は、よく聞かれる言葉だ。

 異なる部門の連携の重要性を示す言葉だが、宇宙研の「理工一体」が示すように「理」と「工」、「○」と「×」の間は風通しが悪く、連携できていないということだ。

 安易に「○×一体」などとスローガンを掲げる前に、この記事のように「○」と「×」の連携が悪い原因について考えなければならないのだろう。


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2016年6月 9日 (木)

基礎の基礎 <自覚すべきは年寄達>

 基礎の基礎(超基礎)ができない世代が増えてきたが、自覚すべきは年寄達だと思う。

  • 電流測定
  • はんだ付け
  • 波長の計算

などの技能は、現場で使うことが少なくなった。

 現場で使うことが多い技能は、できるようにならないと仕事にならないので何年か現場にいると身に着けることができる。 ところが、現場で使うことが少なくなった技能は、特別な訓練をしなければ使えるようにならない。

 たまに、これらの技能が必要になったときが問題だ。そして、原因の多くはこれらの技能を身に着けていない若者達ではなく年寄達だと思う。

 年寄達はこれらの技能を「超基礎」と考えているが若者達は必要のない技能と考えている。

 多くの場合、現場の上司は年寄だ。
年寄達は、今では必須でなくなったこれらの技能を当然のように身に着けているので、若者達も当然のように身に着けていると思っている。あるいは、身に着けるのが当然と思っている。 そして、若者達の技能が足りないのを承知で作業させてしまう。

 当然できない。運が悪いと致命傷になる。

 年寄達が考える「超基礎」の出番が極めて少なければ致命傷にはならないだろう。ところがウチの部署は、時々必要になるので始末が悪い。 しかし、年寄りはこの問題について自覚が足りないので、問題が顕在化する。放っておけば致命傷を負う可能性がある。

 さらに、現場の年寄達より始末が悪いのは現場にいないエライ年寄達だ。
現場の年寄達は「超基礎」を身に着けているので、困ったら昔取った杵柄よろしく自分で作業ができる。 しかし、若い頃に現場を経験していないエライ年寄達は「超基礎」を身に着けていない。知識として知っているだけだ。

 そして、「超基礎」が問題になったときに、「超基礎」が伝承されない理由や「超基礎」の技能習得に必要なコストが分からない。その結果、簡単に、教えればよいとか、できるようにするべきだなどと、机上の空論を言う。

 困ったものだと愚痴をこぼしていても仕方がないので、行動しよう。

現場の年寄達に向けて

  • 年寄の「超基礎」は若者の「超基礎」ではないことを説明する
  • フールプルーフを考える 

を提案しよう。


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2016年6月 7日 (火)

オレがやる! 「負けないリーダー」の仕事術 ―会社で自分らしく生き抜くミドルになれ! ―

オレがやる! 「負けないリーダー」の仕事術 ―会社で自分らしく生き抜くミドルになれ! ―  長野 恭彦 生産性出版

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リーダーシップの源泉はすべて人の「内にあるもの」です。そして、リーダーシップはそれが明確な発言や行動として外に現れているひとつの状態です。したがって、リーダシップを再生または創生する最初の一歩は、ミドルの「内にあるもの」、しかも核になるものを言葉にして外に引っ張り出すことです。

 リーダーシップの普遍的な方法論があるわけではなく、人それぞれの「内なるもの」に従う言動そのものがリーダーシップになるということだろうか。そして、それがメンバーに認められればリーダーになれる。

「社長が嫌い」でいいカバーせよ
大切なことは社長という存在を、○○さんというひとりの「人間」として見るのか、○○代表取締役として自分たちの会社の「代表」としてみるのか、の違いです。
人間であれば好き嫌いは当然生じますから嫌いでも仕方がないのですが、「社長」は好き嫌いで判断するものではありません。「社長」の長所は何か、ついでに短所も見ておくといいでしょう。それは自分の役割や行動に影響するものだからです。

 この観点はなかった。徳のない人はリーダーとして認められないと思っているので、無意識にトップに人徳を求めているのかもしれない。

 「人徳」は個人を対象とするものだから、トップを「人間」として見ていて、「人徳」が感じられない人はトップとして認められなくなっている。

「社長」=リーダーである必要はない。「社長」という役職で考えれば、求められるものは「人徳」ではなく「機能」だから、トップの「機能」を考えることで、自分に求められる「機能」が明らかになるということだ。


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2016年6月 5日 (日)

ケーススタディ <経験に依らない問題解決能力の獲得>

 マネジャクラス、マネジャ候補の研修でのケーススタディは「知識」の獲得だけでなく、その先の「問題解決方法」の獲得まで行うべき。

 複雑で容易に正答を見付けることができない問題の検討には、ケーススタディ(事例研究)が有効だ。正答にたどり着けないにしても得るものは多い。

 ケーススタディの場で得られる他人の成功例や失敗例などの経験談は参考になる。特に知識や経験が少ない場合には有効だ。 他人の経験談は言わば疑似体験だろう。

 演繹法的に事例から法則を導き出そうとする場合には、体験・経験は多い方が良い。自分で体験ができることは知れているので疑似体験で補うことができる。

 マネジャクラスやマネジャ候補の研修では、ケーススタディを疑似体験で終わらせてはならないのではないだろうか。

 つまり、業務経験の少ない若年層なら疑似体験を増やすことは重要だが、マネジャ候補になると、疑似体験を含む事例から正答に近づくことを考える必要があるのではないか。

 問題に直面したときに、過去の(疑似)体験から似たような事例を取り出して参考にする方法で問題を解決しようとすると、(疑似)体験を増やせばよい。 枯れた業界では新人より年寄りの方が問題を解決できるのは、体験の量が多いからだ。

 ところが、経験したことが無い問題に直面したときには、過去の(疑似)体験から似たような事例を取り出して参考にする方法は使えない。 特に、若い業界では、年寄りが多くの経験を持っているとは限らない。 むしろ、現場に近い若手の方が多くの経験を持っていることもある。

 このような業界でマネジメントしようとすると、(疑似)体験が無くても、正答に近づく方法、つまり、「未経験の問題を解決する」能力が必要となる。

 しかし、マネジャになったからといって、いきなり「未経験の問題」が解決できるようになるわけではなく、マネジャになる前に、その能力を獲得しておく必要がある。

 つまり、マネジャ候補のときに疑似体験を集めるだけではなく、「問題を解決する方法」を考えておく必要があるのだろう。

 研修の講師は、単に「知識」の獲得を支援するだけではなく、「問題の解決方法」の獲得に向けた支援を行わなければならないのだろうと思う。 


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2016年6月 3日 (金)

個人を幸福にしない日本の組織

個人を幸福にしない日本の組織 太田肇 新潮新書

太田肇氏は「『みせかけの勤勉」』の正体(2012/0607)」、「頑張ると迷惑な人(2016/05/)」の著者だった。

「国民的美少女コンテスト」のグランプリ受賞者が大成しないことを例に、選択が困難なのではなく、選択に意味がない時代だという。 NHK朝の連ドラのヒロインより脇役の方がブレークするのと同じ構造だろう。

 入試や採用、幹部登用など人を選ぼうとすると、選ぶ人の価値観が色濃く反映される。 昭和元禄といわれた(古いね^^;)時代のように、時代の価値観と、選ぶ人の価値観に差がないときには正しい選別ができるのだろうが、現在のように時代の変化が速い場合、時代の価値観の変化も早い。

 つまり、時代の価値観とはズレた価値観を持った(特に年寄)が、人(一般に若い人)を選別していると言う構図だ。 当然、選別された人は、時代遅れの価値観を持った人が多くなる。 そして、時代の価値観とはズレた人が多い組織は、停滞し、衰退し、ついには破綻する。

 太田肇氏は 日本人が個人より組織を優先し結果的に生産性が上がらない原因として、リーダの資質だけではなく、各階層に問題を持った者がいると指摘する。

 組織内での規制緩和が進まないのは、まえ がきで述べた「扇動型リーダー」のアジテーションや「パラサイト組織人」たちの抵抗だけが原因ではない。いわゆる識者やオピニオンリーダーたちでさえ表面 的には時代の変化を理解していても、事の本質がよく分かっていないことが大きな原因である。

 そのため、「日本企業の強みである組織への帰 属意識やチームワークで勝負すべきだ」とか、「創造的な人材を選りすぐって採用しなければならない」「○○力を備えた自分を選んで入学させ、学生を品質保 証して世の中に送り出そう」といった旧態依然の議論、もしくは従来の延長戦の議論に終始してしまう。

 その、各階層の問題児とは

  • 「先導型リーダー」
    人々の味方を装いながら自分の権力、影響力を強めようとする。
  • 「パラサイト組織人」
    先導型リーダーに追従し甘い汁を吸う。
  • 「組織大好き人間」
    組織にいるとなんとなく安らぐ、仲間と一緒だと心地よい。
    個より組織を優先する「組織の論理」を進んで受け入れ、組織に忠誠を尽くそうとする

 なるほど、思い当るフシがある。

 価値観は時代とともに変化する。そして、組織の活動は組織内で完結することは少ないから外部との関係を考える必要がある。 特にサービス業は顧客なしには組織が存続しない。

 組織の存続と組織への帰属を優先すると、組織の価値観を変えることはタブーになる。 一方で、顧客の価値観は時代と共に変わるから、顧客の価値観と組織の価値観にズレが生じる。

 その結果、組織が存続できなくなる。ということだろうか。

 この本は日本型組織への問題提議だ、そして問題を解決するためには

  • 良好なチームワークには個人の自立こそ必要
  • 社員の自発的な動機付けが大切なので組織や管理職による介入は控える
  • 既成の尺度で評価できないからこそ創造的・独創 的である
  • 人の手で選ぶより神の手に委ねる

という発想の転換が必要だという。

 しかし、率直な感想としては、組織全体が発想を転換するためには、組織が存続できないほどの危機に直面しないと難しいと思う。(JALや日産のように)

 「神の手に委ねる」という境地になるまで時間がかかりそうだだが、まず、自分自身が発想を転換することが必要だ。組織が存続しているうちに。

 「人の手で選ぶより神の手に委ねる」が難しそうだけど、「古い価値観の自分は新しい価値観を創造する者を選べない」と考えれば良いのかと思う。


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2016年6月 1日 (水)

はみだし者 <はぐれないではみだす>

はみだす力,スプツニ子」(2016/04/20) と 「県庁そろそろクビですか,円城寺雄介」(2016/04/29)に共通するキーワードは「はみだし」だ。
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「はみだし」について考えてみた。

「はみだす」は広辞苑では

はみだす

中からおされて、すきまから外へ,ふくれ出る。
定められた範囲から一部が外へ出る。

だ。

「はみだし」のイメージはこんな↓イメージだろうか?

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(みかんの認知絵:http://mikan-ninchie.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-4e25.html を編集しました。)

しかし、これは、「はぐれる」ではないだろうか。

はぐれる

同行の者を見失う。他の人にまぎれて連れの人から離れる。

「はみだす」は集団から完全に分離・離脱していない状態で、完全に分離・離脱すると「はぐれる」はないかと思う。

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(みかんの認知絵:http://mikan-ninchie.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-4e25.html を編集しました。)

 一般的な認識ではないかもしれないが、ここが重要なところだと思う。両氏は「はみだせ」と言うけれど「はぐれろ」と言っているわけではないのではないだろうか。

「はみだし者」VS「はぐれ者」

 集団の中にいると居心地が悪いと感じる人はいる。
集団特有の、常識や空気を感じることができなかったり、しきたり、暗黙の了解を受け入れられなかったりすると、居心地が悪くなる。そして、集団の外側へ押し出される。

 ここで、集団から完全に分離・離脱して「はぐれ」て、他人に頼らない覚悟をすると楽になる。そして、どの集団からも「はぐれ」てしまうと世捨て人か仙人になってしまう。

 ところが人は集団から簡単には離れられないから完全に分離・離脱できない。その結果、集団に属しているような離れているような「はみだし」状態になってしまう。

 「はみ出し者」にとって「はみだし」は決して心地よい状態ではない。集団に入りすぎると居心地が悪くなるし、離れると困ってしまう。 集団は日々変化するので、「はみだし者」は、いつも微妙なバランスを取りながら生きている。

 意識しないで「はみだす」人もいるが、意識して「はみだし者」になるのは、何かのきっかけや相当の決心が必要だと思う。

 スプツニ子氏は先天的な「はみだし」で円城寺雄介氏は後天的な「はみだし」だろう。
後天的な「はみだし」は、「はみだし」の素質がありながら集団に適応している状態だ。このような人は外部から刺激を受けると「はみだす」ことができるようになるのではないだろうか。

 「はみだし者」は、ある時は外部から集団を見て問題定義し、ある時は集団の一員として集団のために行動することができる。

 「はぐれ者」と「はみだし者」の大きな違いは、「はぐれ者」は集団に利益をもたらさないが、「はみだし者」は集団に利益をもたらすとこだ。

組織的には

 「はみだし者」がいると組織が活性化する。「はみだし者」は組織を俯瞰し、組織の悪しき常識に異を唱えることができる。

 「はみだし者」がいない組織は良く言えば均質化、悪く言えば硬直化した組織だ。そして、「はみだし者」がいない硬直化した組織は環境の変化に弱い。

 「はみだす」部分は「はみだし者」によって違う。「はみ出し者」が2人いて、それぞれ違う部分ではみだしていれば、組織は、「はみだし者」が「はみだした」た部分だけ大きくなれる。「はみだし」た部分で成果が上がったらリソースをシフトすることで、環境に適応して組織を変えていくことができる。

 とはいえ、組織と適当な距離を持った「はみだし者」はとても少ないので、「はみだし」気質を持った者を見付けて刺激して「はみだす」ことができるようにしなければならない。
刺激が過ぎると「はぐれ」てしまうので、バランスが必要だ。

 「はぐれ者」(アウトロー、一匹狼)も組織の悪しき常識に異を唱えることができるが、「はぐれ者」は扱いにくい。

 考えなしに一匹狼を集めても、7人の侍のようにはならない。組織にするためには、目的の共有が必要だ。 分かりやすい「はぐれ者」は、映画に登場する用心棒だろう。用心棒は金という分かりやすい目的で組織に組み込まれる。

 「一匹狼」的な人はどこの組織にも1人や2人いるものだ。金で動かない「一匹狼」の能力が必要なら「一匹狼」が組織に片足を入れるだけの大儀が必要だ。

 大儀のない組織では「はぐれ者」は「はぐれ」たままで、組織を活性化する「はみだし者」にはなれないと思う。

マネジャ的には

 「はみだし気質」のないマネジャに「はみだし者」のマネジメントは難しいのではないかと思う。 

 「はみだし者」をマネジメントできるマネジャは少ない。 硬直化した組織では「はみだし気質」の者はマネジャになことは稀だ。「はみださない」者が管理者になることが多く、「はみだし者」を一方的に管理しようとする。これが「はみだし者」が感じる居心地の悪さの大きな要因だ。

 組織が硬直化しているから「はみだす」者がいないのか、「はみだす」者がいないから組織が硬直するのかは卵鶏問題だ。この悪循環を断ち切るには「はみ出し者」が必要だ。

「はみだし気質」のないマネジャは、管理したいのを我慢して

  • 「はみだし気質の者」を見つけて刺激を与えて「はみだす」後押しをする。
  • 「はぐれ者」に大儀を説いて「はみだし」状態に引き込む。
  • 「はみだし者」は触らずそっとしておく。

してみるといいんじゃないだろうか。

 「はみ出し者」が増えると管理できなくなると心配になる管理者もいるだろうが、たいてい「はみだし」たくない者のほうが多いので心配にしなくてもよい。 よほど「はみだし者」を集めないかぎり、目的と手段を取り違えないかぎり、カオス状態にはならないような気がする。

 「はみだし者」のマネジャは注意が必要だ。自分自身が集団の中心ではなく端にいることを自覚していればマネジメントできると思う。 往々にして肩書が付いたりマネジャになると自分自身が「はみだし」ていることを忘れて自分が組織の中心に居ると勘違いしてしまいがちだ。その場合には組織はカオス化する。 


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