フォト
無料ブログはココログ

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年11月

2016年11月29日 (火)

福澤諭吉 <国を支えて国を頼らず>

福澤諭吉 国を支えて国を頼らず 北康利 講談社

Photo Photo_2

 言わずと知れた私学の雄、慶應義塾の創設者である。

 もう一方の雄、早稲田との違いは、三田会 という学閥学閥が目に見えるような形で存在していることか?

 福澤諭吉が門閥をが忌み嫌っていたことは有名だけれど、期せずして慶應義塾の学閥が出来上がったわけだ。門閥にしても学閥にしても、個人を評価していないことには違いはない。尤も、生前また没後福沢翁の薫陶を受けた者が、学閥ができるだけの人材を輩出したのはまぎれもない事実だ。

 新しい国を創る気持ちは、明治維新の偉人たちと変わらない。しかし、幕府側にいながら維新後手のひらを返したように政府の高官に就くをことを潔しとしなかった。この精神が、「国を支えて国を頼らず」なのだろう。

 「坂の上の雲」が明治を戦争という観点から描いた本とすると、この本は、明治を教育から描いた本だと思う。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌

2016年11月25日 (金)

本当の「商品」

田坂広志氏のメールマガジン 風の便り 第65便は「本当の「商品」」

=======================================================
 田坂広志 「風の便り」 四季  第65便
=======================================================



 本当の「商品」



 若き日に、優れた上司から、
 大切なことを学びました。

 ある調査会社が、その上司に、仕事を求めてきたのです。
 そこで、その会社の部長と担当者に会うことになりました。

 しかし、先方との会合が始まっても、私の上司は、
 その部長と雑談をするだけで、本題に入りません。

 相手も、その雑談に、快く相づちを打つだけです。
 そして、若い担当者は、黙って側に控えているだけです。

 しかし、その担当者には、なぜか、眼光の鋭さを感じます。
 妙な存在感があるのです。

 そのうち、予定していた時間が過ぎました。
 すると、上司は、
 その雑談だけで、会合を終えたのです。

 しかし、先方を見送って部屋に戻るとき、
 その上司は私に言いました。

  あの会社に、例の調査を頼んだらどうかな。

 突然の切り出しに、少し戸惑いながら、
 私は聞き返しました。

  しかし、あの会社の調査能力は、先ほどの会合では、
  ほとんど分からなかったのですが。

 そのとき、この上司が語った言葉が、忘れられません。

  その点は大丈夫だろう。
  あの若い担当者、
  いい面構えをしていたからな。


 このとき、私は、大切なことを学びました。


 我々が、顧客から仕事を得るとき、
 買って頂くのは、「商品」ではない。
 買って頂くのは、「人間」である。


 そのことを学んだのです。



 2003年1月23日
 田坂広志

 難しいなあ。

 調査会社の部長のように、自分自身が買ってもらえる「人間」になるだけではなくて、部下を買ってもらえる「人間」に育てなければならない。さらに、若き日の田坂広志氏の上司のように、買える「人間」かどうかを見抜く力を持たなければならない。

 買ってもらえる「人間」かどうかの指標は、「アウトプットの期待値」ではないだろうか。その業務に必要な要素の能力がいくら高いとしても、アウトプットできなければ役に立たない。

 要素の能力は客観的に測ったり推し量ったりることが可能だ。ところが、「アウトプットの期待値」を客観的に測ることは難しい。

 スキルアップしようとすると、書籍やセミナーなどを利用すると、一人でも取り組むことができる。 一人で取り組んで当然という考え方もある。 ところが、アウトプットを向上させようとすると、スキルだけでは解決できず。より幅広い見識が必要だ。

 自分自身のアウトプットを向上しようと考えて、実際に取り組くんだことがある人は、人がアウトプットを向上させようとしているかどうかが分かるのだろう。

 例えば、上司と顧客の雑談を脇で聴いているときにもそれは表れるのだろう。そして、若き日の田坂広志氏の上司のように、雑談を脇で聴いている人の力量も推し量れるようになるのだろう。


最近の投稿

2016年11月23日 (水)

会社の老化は止められない <対応は自分の頭で考える>

会社の老化は止められない 細谷功 日経ビジネス文庫

0qfqvvht3ein1fidl8lppg

 ウチの職場の問題をすべて説明してもらったような気がする。
細谷功氏は会社を、立ち上げ期、成長期、成熟期、衰退期?に分類し、成熟期、衰退期を老化期と呼んでいる。ウチは既に衰退期に入っているのではないかと思う。

 日経ビジネスのサイトに「やりましたか?会社の老化度チェック」がある。高得点取れそうだ。

未来を開こうとする若い世代を自分たちの価値観でしばり、いつまでも支配下に置こうとする老人がいたとしたら……相関場得れば、会社が自らの廊下に自覚的でないことがもたらす害の大きさが分かるだろう。

 自分も含めて歳よりは老害という自覚が無い。一番困るのは、老害を自覚せず頑張る老人だろう。σ^^) 自分か?

 退職前の老人が重要な意思決定をしなければならないポストにいることも問題だ。

 会社の老化が弊害をもたらすのは、老化そのものが悪いわけではなく、「老化」を前提としない営みを続けようとすることによる。

 「老化」を前提にした経営を考えればよい。それには、パラダイムシフトできる世代に、交代することが必要だと思う。 おそらく外的要因がなければ(黒船が来なければ)世代交代は無理だと思う。

 であれば自分の部署だけでも世代交代するしかないのだろう。組織の構造は変えられないから、自主的に権限を委譲することになるのだろう。

 しかし、老化が始まっている人や、アンチイノベータ、オペレーション型人材に権限を委譲しても混乱するばかりだろうから、オペレーション型人材の割合を減らして、イノベーション型人材の割合を増やすことから始めてみよう。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌

2016年11月21日 (月)

マニュアル <使うこと自体は悪いことではない>

マニュアルについて考えてみた。

 マニュアルには、

  • 経験の少ない者でも一定のサービスが提供できる。
  • 個人差によるサービスのバラツキを少なくすることができる
  • 普段経験することが困難な緊急時の対応に有効である。
  • 組織や個人の暗黙知を形式化したり、ノウハウを伝承することができる。

などの効果がある。気をつけて運用すれば、マクドナルドやトヨタの例を引くまでもなく極めて有効なツールだ。

 マニュアルが文字どおり手順書であれば良いのだが、「作業要領」になり、「作業規則」になってしまうと、改訂が極めて困難になる。

 このように、運用を間違えると、マニュアルが教条的になり、現状からズレた非効率的な手法を強制されるから、個人が勝手にマニュアルを変えて運用するようになる。

 この時点で、状況に合わせてマニュアルを改訂すればよいのだが、教条的な運用になっていると、マニュアルは改訂されない。その結果、変更してはならない重要な部分や手法までも勝手に変更されるようになり、東海村JCOのように大きな事故につながる。

経営側と現場の思惑

 先を見ない、刹那的な経営者やマネジャは、唯一無二のサービスが提供できる者を育てるより、マニュアルを使って全員がそこそこのサービスを提供できるようにしたいと考えるようだ。自分がそのポストに長く止まらないのであれば、マニュアルのアップデートも真剣に考えなくてよいから、お手軽に成果が期待できるのである。

 マニュアルは、ノウハウなど暗黙知の形式知化であるから、作成には多くの労力が必要だ。最低でも暗黙知を持っている者と、それを形式知にする者と、ドキュメント化する者が必要である。どれかが欠けても使えるマニュアルはできない。

 ところが、お手軽成果が欲しいマネジャはマニュアル作成を1人に任せがちだ。前述の3つの能力を併せ持つ者は極めて稀だからマニュアルを1人で作ると使い物にならないことが多い。

 使い物にならないマニュアルができても、お手軽成果が欲しいマネジャは、マニュアルを作ったことが成果だと主張する。使い物にならないマニュアルなど成果になろうはずも無いのだが、それを成果と認める風土があるのだ。

 いきおい、マニュアル=胡散臭い物、使い物にならない物という考え方になる。

 しかも、マニュアルが「作業規則」として運用にされようものなら、作業に支障を生じる。しかも、容易に改訂できない。

 業務の妨げとなるマニュアルを多くみていると、とりあえずマニュアル作りには反対しておいた方が、相対的に害が少ないと思うようになる。

 悲しいかな、このあたりが、トヨタと違うところだと思う。

マニュアルを有効に使うには

  • マニュアルを使う目的を共有すること。
  • 現状に合わせて随時更新すること
  • 運用の主体は現場であること。現場が作り現場が更新する。
  • 単なる手順書ではなく組織の智慧を伝えるものであること
  • マニュアルから先人の智慧を学ぶ文化を持つこと

 能動的であれ受動的であれカイゼン運動の主体は現場だ。
 当然マニュアルも、お上から与えられたマニュアルを使うのでではなく、マニュアルを使う現場が作成し現場に合わせてアップデートするべきだ。

 と、そもそも論を持ち出すと、嫌がる人が多いんだよね...


最近の投稿】【最近のよしなしごと

2016年11月18日 (金)

「うちではできないのか?」 <部下ではなく自分に問いかけること>

 よそが目立つことをして評価されたとき、「うちでもできないのか?」とか「よそより先にやって然るべきだろう」などというエライ人がよくいる。(一般論ですよ)

 自分たちにできる能力が有るのに、なぜできないのか?
それは、新しいことにチャレンジしない風土になっているからだ。そして、その風土を作っているのは、たいてい「うちでもできないのか?」と言っているエライ人だ。

 考えなければならないことは、現場に能力があるのに、なぜチャレンジしようとしないのかということだ。

 問題は経営層のマネジメントの不全だ。

 経営層のマネジャは「うちでもできないのか?」を現場ではなく自分に問いかけなければならない。そうしなければ、よそが目立つたびに「うちでもできないのか?」と不毛な問いかけをすることになる。

 よそがやった後なら、「うちでもできないのか?」は誰でも言える。
よそより先にやろうとするなら、現場が新しいことにチャレンジできるようにしなければならない。
経営層のマネジャは、現場が日常業務以外の

  • 新しいネタにチャレンジできる環境を作る
  • 新しいネタにチャレンジしたことを評価する
  • 新しいネタにチャレンジした成果を認める

ことが必要だ。

 部下に顔を潰されたくなかったら、部下が顔を潰したくないと思う上司にならなくてはならない。


 よそが目立つことをして評価されたとき、「うちでもできるよ」とか「うちでも思いついていた」という現場はよくある。(一般論ですよ)

 できる能力があるのに、なぜできないのか?
それは、新しいことにチャレンジしない風土になっているからだ。そして、その風土を変えようとしないのは、たいてい現場だ。

 エライ人に「うちでもできないのか?」と聞かれれば、現場は「当然できますが、問題があります。」と、問題点をいくつも挙げる。チャレンジしていない、失敗していないのに、問題点を先に思いつく。ハッキリ言って言い訳だ。

 考えなければならないことは、自分たちに能力があるのに、なぜチャレンジできなかったかということだ。

 問題は現場のマネジメントの不全だ。

 現場のマネジャは「なぜチャレンジしなかったか?」を自分たちに問いかけなければならない。そうしなければ、自分たちが新しいことにチャレンジすることはない。

 よそがやった後なら、「うちでも思いついていた」は誰でも言える。
よそより先にやろうとするなら、自分たちが新しいことにチャレンジできるようにしなければならない。

現場のマネジャは、自分たちの日常業務以外の

  • 新しいネタにチャレンジできる環境を作る
  • 新しいネタにチャレンジしたことを評価する
  • 新しいネタにチャレンジした成果を経営層に認めさせる

ことが必要だ。

 自分の顔を潰されたくなかったら、上司の顔を潰さないこと、部下の成果が評価されるようにすることが必要だ。


最近の投稿

2016年11月16日 (水)

若きエンジニアへの手紙 

若きエンジニアへの手紙 菊池誠  ダイアモンド社

Photo

私が君のために言っておきたかったことは、研究とか技術開発の、その日その日の仕事というのは、人間の「知る喜び」につき動かされる、非常に単純で活動的な振る舞いだということです。
むしろ動物的と言ったほうが良いかもしれない。知的と呼ぶには、あまりにも原始的な、衝動的な、活力に根ざしているということです。
しかし、本物は、そんな姿なのです。

 元ソニー中央研究所所長だった菊池誠氏の体験をわかりやすく綴った本。技術者を目指す学生に向けたメッセージ。

 トランジスタを発明したショックレー博士との話題が多い。
ショックレー博士の晩年については、わずかに触れられているだけだ。
ショックレー博士がトランジスタ{製品化|量産化}のために、博士号を持っている者を集めて、ショックレー半導体研究所を立上げたけれど、成果を残す前に多くの人が離反してフェアチャイルドを立上げ、半導体メーカーの礎を築いた。その中に、後にインテルを興すゴードン・ムーア氏とロバート・ノイス氏がいたことは有名な逸話だ。

 ショックレー博士が優生学に傾倒していたことや、偏執的な管理手法が災いして管理者として業績を残せなかったというイメージがあるので、トランジスタ発明までの話は新鮮だ。

 菊池誠氏は研究者としてのショックレー博士と交流していたのだろう。

 菊池誠氏は脚本家と表現している。研究を見守り、時にヒントを与える人が、研究のマネジャにふさわしい人なのだろう。ところが、近視眼的に成果を求めたり、流行りのテーマに群がったりしがちだ。

 研究が大きな成果につながるかどうかは、よく分からない。研究者ではなくマネジャならばなおさらだ。

 研究者が「知る喜び」に突き動かされて研究できる環境を整えることがマネジメントの第一歩なのだろう。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌

2016年11月14日 (月)

iPhone5ガラス交換

 娘がガラス割れiPhone5を持っているのだが、なかなかくれない。当の娘はiPhone6,iPhone7と乗換えて、ガラス割れiPhone5を長い間放ってあるので、ガラスを交換してみることにした。

Brokenglass

 iPhoneのガラスはAmazonやヤフオクでたくさん売っている。ガラスだけとガラス+LCD+デジタイザがセットになったディスプレイモジュールがある。ガラスだけは1,000円以下、ディスプレイモジュールは3,000円前後だ。

 ガラスだけ交換するのは大変らしい。
ガラスとLEDパネルは前面接着剤で貼ってあるので、接着剤をドライヤーで温めながら割れたガラスをはがさなければならないらしい。失敗した人もいるようだ。

でも、あえて、ガラスだけ交換してみることにした。

Glass Tool

 工具付きで510円だった。(ワイヤ付にすればよかった)

 分解しなくても交換できるらしいが、念のため本体からディスプレイモジュールを外して作業することにした。

Photo

 こじるとLEDに傷がつくのでLCDには触れないように気を付けながら、ガラスを温めて水平方向に押すとガラスの端から気泡が入ってきて割れたガラスが外れる。

 すべてガラスが外れると、接着剤が残っているので、剥離剤(アルコール)で接着剤を除去する。

この時点で、仮組してLCDが壊れていないことを確認すると、

Lcdbroken

あらら、LCDが割れてる。 無理に剥がしたときにLCDに力がかかったのだろう。;_;)

とここまで1日仕事だった。

 ガラスが割れていてもディスプレイもタッチパネルも使えたのに、ディスプレイが映らなくなったので使えなくなってしまった。510円と1日が無駄になった。

 仕方ないので
 ディスプレイモジュール(2,980円)を買った。
Displaymodule Photo_2

分解と逆に取り付けるだけ。

 iPhoneはネジの種類が多く、どこから外したか分からなくなる。 iPhoneは長さの違うネジが使われているので厄介だ。 どこから外したか分かるように、ガムテープに貼っておいた。 

30分もかからず修理完了。フロントパネルは新品だ。

Iphone5

わかったこと

  • ガラスの交換は練習が必要
  • 2000円節約するために1日必要になる。
    ワイヤーを使うともっと簡単かも。1発勝負だと同じか?

 結局

  • 練習できてリペアが趣味なら
    ガラスだけ交換(1000円以下)相当楽しめる。
  • 分解できるなら
    ディスプレイモジュール交換(3000円くらい)1発勝負でもOK
  • 自信が無いなら
    素直にショップで修理

するのが良いと思う。

 ちなみに、このiPhoneを使う予定はない。


最近の投稿

2016年11月12日 (土)

IPカメラ JPT3815W-P2P <とりあえず開けてみた>

安物のIPカメラ(JPT3815W)を買った。
Jpt3815w
5,000円でWifiで、ネットワーク越しに監視ができて、パン・チルトもできる。

開けてみた。
Jpt3815w_mb

ほとんどはドーターボードで実現しているようだ。

メインボードの表面に実装されているデバイス
U8_fr9886
FR9886(Fiti)の 23V,2.5A Step Down DC/DC Converter

メインボードの裏に実装されているデバイス
U1_es8388 Md8002a
ES8388(EverestSemi.) Low Power Stereo Audio CODEC (左)
8002A 3W Audio Amplifier(右)

U7_uln2803 u6_hc259
ULN2803(UnisonicTech.) 8ch Darlington Sink Driver(左)
74HC259(NXP Semi.) 8-bit addressable latch (右)

ドーターボード(緑の基板)

Wifimodule

TopLinkのTOP-AP01-38(http://www.toplinkst.com/html_products/RT5350-wifi-routerAP-module-48.html)に似ている。

データーシート(http://www.toplink-tech.com/Uploads/file/201501/20150107150029_0625.pdf)

表面に実装されているデバイス

Rt5350f

  • RT5350(Ralink) Wifi SoC
  • WifiのAPやルータを作るために必要な機能がすべてそろっている。
  • CPU:MIPS 24KEc 360MHz  GPIO, SPI, I2C, I2S, PCM,UART, and JTAG
  • Wifi:802.11n 1T/1R BBP/MAC 2.4GHzRF/PA/LNA
  • WEP64/128, WPA, WPA2, WAPI engines
  • USB:USB2.0 Host/Device x1
  • Boot:ROM, FLASH
  • Ether: 5port FirstEtherSW, FirstEther UTP port x 5

裏面に実装されているデバイス

25l6306e16m_sdram

MX25L6408E(Micronix) 64Mb SPI Flash Memory(左)
→16x16 SDRAM(右) ってまんまやんけ。

このFlashにFirmwareが入っているんだろう。

RX、TXといういかにもシリアル端子がある。
なぜか文字が逆?? パチモンか?

Txrx

RT5350は「コインサイズLinux」のVoCoreにも使用されているし、OpenWrtがサポートしている。つまり誰が作っても同じということのようだ。

ということでHardwareのHackはあまり面白くない。


最近の投稿

2016年11月10日 (木)

電話マナー <もしもしプロトコルが喋れない>

 最近「もしもしプロトコル」が喋れない人が増えているのではないかと思うことがある。

 今の部署は現場のサポート業務なので現場から電話がかかってくる。昔はそうでもなかったのだけれど、最近「もしもしプロトコル」が喋れない人が増えているような気がする。

もしもしプロトコル?

 通信プロトコル解層(OSI 7Layers model)を習うときに電話に例えて説明されることが多い。「もしもしプロトコル」は3層以下に電話を使用した際の4層(トランスポート層)5層(セッション層)のプロトコルだ。

 平たく言うと電話をかけるときのマナーだ。(わざわざ難しく言うな/☆(o_o)

 典型的な「もしもしプロトコル」は

トランスポート層
S:> もしもし
R:< ○○(部署)○○係○○と申します。
S:> わたくし、○○(部署)の○○と申します。
   -聞き取れなかった場合-
S:> ○○(部署)○○係でしょうか?
R:< はい。そのとおりです。担当○○と申します。

セッション層
S:> ○○の××について教えていただきたいのですが。

R:<はい。○○の××については、~~

S:> 確認させてください。
R:< はいどうぞ。
S:< △△は××ということでよろしいですか?
R:< そのとおりです。
S:< □□は○○ということでよろしいですか?
R:< ちがいます。□□は××です。
S:> 分かりました。□□は××ですね。
R:< そのとおりです。

S:>ありがとうございました。

こんな感じだ。

 「もしもしプロトコル」は新人研修のときに電話対応マナーとして習ったはずだけれど、知っているだけで、喋れない人が増えているような気がする。

 今時、携帯は1人1台の時代になっている。また、未成年で携帯を持った年代は30歳を過ぎている。 「もしもしプロトコル」が喋れない人が増えたのは、携帯の普及の影響が大きいのではないかと思う。

 携帯は誰から電話がかかってきたか表示されるから口頭で確認しなくても分かる。また、携帯を1人1台持っていると、話したい相手以外の人が携帯に出ることはめったにないから、口頭で相手を確認する必要はない。

 昔、オヤジの世代は黒電しかなかったから、彼女に電話しようとすると、彼女の家族が電話に出た時のシミュレーションを行ってから電話をかけたものだ。とくに、お父さんが出たらどうするかは大きな問題だった。「もしもしプロトコル」が喋れない男だと「なんだあの野郎は!!」と言われてしまう。

 今時は、携帯の普及に伴って「もしもしプロトコル」を省略しても良いケースが多くなっているのだろう。 ところが、職場では、誰が電話に出るか分からないし、電話番号表示機能が無い電話機もまだ多い。 まだ、「もしもしプロトコル」はとても重要なのである。

 さらに、「もしもしプロトコル」が喋れないことより重大な問題があるのではないかと思う。

 「もしもしプロトコル」が喋れない人は、総じてペイロード(話す内容)がダメダメだ。
問い合わせをするならば、5W2H等の要点は予め用意しておくべきだけれど、「もしもしプロトコル」が喋れない人は、用意していないことが多い。

 電話を受けた側(サポートする側)があれこれ聞き出してようやく問題の概要が分かる。という質問者がいる。

 企業のお客様相談窓口のように、素人VS専門家ではなくて、質問する側も専門家として仕事をしているわけだから、サポートする側は相談してくる人が素人のようだと、困ってしまう。

 質問をしている現場の人達も、一方では、顧客からの問い合わせを受ける立場だから、顧客に対しても「もしもしプロトコル」が喋れていないのではないかと心配になる。

 顧客から、専門家ではなく、単なる「技術バカ」と評価されているのではないだろうか。


最近の投稿

2016年11月 8日 (火)

修身教授録

修身教授録 森信三 致知出版社   
Photo

 哲学者で教育者の森信三先生が昭和11年、12年に大阪師範学校で講義された修身の講義録である。 この時期教育現場に対しても当局から相当の圧力があったことは想像に難くない。文部省の督学官の視察があり通達どおりの授業を行っていないことが明るみに出た場合でも、職を賭して、教えるべきことを全うする姿勢で講義に臨まれたようだ。

この姿勢は

「教育とは流水に文字を書くようにはかない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」

という言葉に現れている。

 若い人の前で話す内容に迷っているときにこの本を読んだ。
人には、建前や、大ぴらには言えない本音、正しいと思いながら自分が実践できていないこと、他人・他所属とのしがらみがあり、人前で話すには、これらのしがらみと折り合いをつけなければならない。 この本を読み、これらのしがらみがいかに些細なことであるかと思い至り、正しいと判断したことを伝えようと考えるきっかけとなった。

 この本を読むきっかけは、中村文昭氏が講演で紹介された森信三先生の言葉

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。 しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」

である。

 中村氏の講演を聴講後、この言葉と森信三先生について調べるうちに「修身教授録」を知った。 森信三先生とは面識は無いが、時代を超えて「逢うべき人に、逢うべきときに」出逢ったように思う。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌

2016年11月 6日 (日)

オフサイトミーティングを企画して分かったこと <信頼関係以上の話はできない>

 オフサイトミーティングを企画して分かったことは、参加者の信頼関係以上の話はできないということ。

  • 初対面の場合、互いに敵意が無いという信頼関係
  • 上位の者が参加する場合、無意識の権力で害を与えないという信頼関係
  • 参加者が解決しようとしている問題が共通しているという信頼関係

 オフサイトミーティングを企画して何回か失敗した。その結果

  • いきなり知らない同士腹を割って話せと言われても無理な話だ。
  • 利害関係があるのに本音を話せと言われても無理な話だ。

ということが今更ながら分かった。

 改めて言われなくても分かることだけれどミーティングを企画すると意外と実現できない。

 信頼関係は相互に相手に敵意が無いことが分かってはじめて築くことができる。そもそも、相手を知らない場合には、警戒するのが人の本能というものだ。 初対面の人と世間話をするときには、野球と、政治の話をしてはならないと言われる。初対面の人とは世間話さえ警戒するものだ。

 つまり、相手の人となりを知らなければ、世間話以上の話はできない。

 他部門など利害関係がある場合には本音が話せない。好き好んで自分を不利な立場にする者はいない。しかし、部門間の利害関係のように対等な利害関係の場合は、直接会って、話して、人となりを知ることで越えられるような気がする。

 見落としがちなのは、上司と部下など職階上の上下関係、本店と支店など組織的な上下関係の上の立場の者だ。 参加者が上の立場の者と 面識もあり、人となりも知っていて、敵意が無いことも知っていたとしても、直ちに本音が話せるわけではない。

 上の立場の者には「無意識の権力」がある。無意識だから、意識してその権力を行使しないことを示さなければ、参加者は本音は話せない。

 官僚型の組織、階層型の組織では「立場」から強力な無意識の権力が発生する。

 「今日は無礼講で」を信じて本音を言うのは、空気が読めない人か、自爆覚悟の発言くらいのものである。

 直接会って、話して、人となりを知り、互いに敵意が無いことを確認する方法は、自分ガタリやモヤモヤガタリ等がある。

 上の立場の者が参加する場合には、その人が、無意識の権力を行使しないという信頼関係を築かなければならないが、面識がない場合にはかなり難しいのではないだろうか。上の立場の者が参加するには、参加者と信頼関係を築いてておくことが必要である。

 自分を振り返ってみると、参加者と信頼関係が築かれているかは、よく分からない。未だ手探り状態だから、信頼関係を築く具体的な方法は分からない。(飲み会に参加するというレガシーな方法は思いつくけれど。)

 オフサイトミーティング形式のミーティングで問題解決しようとする場合には、互いに参加者の考え方や立場の違いを理解した上で、互いに協力して問題を解決しようとしているという信頼関係がなければ、問題解決は到底無理だ。

 オフサイトミーティングに限らず、多くの人が失敗するのは、信頼関係が構築されていないのにいきなり問題解決を目的としたミーティングに「本音」を持ち込もうとしている場合だと思う。


最近の投稿】【最近のよしなしごと

2016年11月 4日 (金)

成果を明確にしない仕事

 「成果」を明確でない仕事のオーダーをうけることがある。
「オーダーを出す側」は上司だったり上位の部署だったり。

 「成果」が明確でない場合、特に実施部署の「成果」に直結しない場合には、実施部署は最低限の仕事をするようになる。最低限の仕事が職務倫理的にどうよという指摘はあるが、実施部署とすれば「成果」にならない仕事に貴重なリソースを使う事のほうが職務倫理に反していると思っている。

問題は2つ

1. 「成果」が明確でないが、実は全体の「成果」に繋がっている場合。

 実は全体の「成果」に繋がっているが、実施部署としては「成果」が明確でないことはある。 組織の風通しが悪く、オーダーを出す側の説明が足りない場合や、セクショナリズムが横行し、部門最適になっている場合などだ。

 全体の「成果」に繋がっているのだから、本来なら最大限の仕事をしなければならないところだが、実施部署は最小限の仕事しかしないので、当然全体の「成果」はあがらない。「成果」があがらないばかりか、その仕事は無駄になる。

2. 最低限の仕事しかしなくなること

 実施部署は「成果」に繋がらないと最低限の仕事をするようになる。そして、いつも最低限の仕事をしていると、いざという最大限の仕事ができなくなる。 これは人の優劣ではなく人間の特性だと思う。

 解決策は簡単である。「成果」を明確にすればよい。実施部署の「成果」でない場合は、全体の「成果」であることを明確にすればよい。 ところが、世の中そんなに簡単ではないので「成果」を明確{にしない|できない}ことはある。オーダーを出す側のマネジメント不全であるとか、セクショナリズムが横行しているとかだ。そこで、ミドル・マネジメントの出番になるわけだ。

良いマネジャ
 オーダーを出す側の真意を理解して、実施部隊のモチベーションを上げる。
オーダーを出す側の「成果」と自部署の「成果」共にをあげる方法を考える。

普通のマネジャ
 自部署の「成果」になることに応じて投入するリソースを変える。
自部署の「成果」になるなら最大限の仕事、ならないなら最低限の仕事をしておいて、「オーダーが良かったら成果があがったのに」と、後からオーダーの不備を指摘する。

悪いマネジャ
 リソースを増やすでも減らすでもなく対応する。オーダーした側の「成果」はあがらないし、自部署の「成果」もあがらないので、結局、リソースの無駄遣いになる。モチベーションも上がらないから、このような仕事が続くとじり貧だ。

 着地点を見付けるのはミドル・マネジメントの仕事だ。重要なことは、求められているのは「成果」であるということ。

 組織は相似形だ。特に階層型の組織はその傾向が強い。

 トップが××なら、部門のトップも××、部署のトップも××になる。(××は記号。バツではない^^)
 トップから「成果」が分からないオーダーが下りてきたら、部署のトップも「成果」が分からないオーダーを出す。当然ミドルのマネジャも...

 逆に、ミドルのマネジャが「悪いマネジャ」のような対応しているなら、その組織全体が「成果」を求める体質ではないということだ。


最近の投稿】【最近のよしなしごと

2016年11月 2日 (水)

すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。

すべての「学び」の前に鍛えるべきは、「教わる力」である。 牧田幸裕 ディスカバー・トゥエンティワン

Photo

前書きで

  • 新聞やビジネス誌を熱心に読み、勉強会にも参加しているが、ビジネススキルが身につかないビジネスパーソン
  • 自分の「教える力」を鍛えたのに、部下が育たないと頭を抱える部門リーダー
  • 合格を目指して勉強を頑張っているのに、模擬試験で結果を出せない受験生
    いくら教えても、なかなか子どもの成績が伸びないことに悩むお受験ママ
  • ゴルフ雑誌を読み、レッスンを受け「目から鱗が落ち」まくっているにもかかわらず、一向にスコアが良くならないゴルファー

のような人に対して解決策が提示できると書いてある。

 ビジネスパーソン、受験生、ゴルファーは「教わる力」を習得しなければならない人で、部門リーダーとお受験ママは「教わる力」を教えなければいけない人だろう。

 この本は「教わる力」を習得しなければならない人向けかなと思う。「教わる力」を教えなければいけない人にとっては物足りないような気がする。

 「教わる力」は目新しい考え方のようだ。しかし、
外山滋比古先生は「思考の整理学」(2016/10/13)の中で教えてもらわなければ学べない学生を「グライダー型人間」と称して、そのような学生がふえること嘆いておられる。

 「教えられる力」を身に着けると「グライダー型人間」になる思う。外山滋比古先生は何と仰るだろうか?

 もっとも、この本を読んで「教わる力」が習得できるなら、それは「教わる力」ではなくて「自ら学ぶ力」を習得したということだと思うのだが...


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »