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2017年2月

2017年2月27日 (月)

この世界の片隅に

「君の名は」を見に行った時に「この世界の片隅に」もやっていて気になっていたので観てきた。


(http://konosekai.jp/wp-content/themes/konosekai/images/under/special/campaign/cards/img-06.jpg)

 広島を離れて長いが広島弁で困ることはなかった。能年玲奈改め のん の声が主人公すずに驚くほどはまっていた。 ついていけない場面が何回かあった。原作では描かれていて映画化されたときにカットされたようだ。なくてもよかったのだと思う。

 主人公のすずは両親の世代だ(すずは2017年で92歳)。自分の生家は広島や呉のような都会ではないのだけれど、当時、両親や叔父、叔母たちの日常もこの映画のようだったのだろう。

 子供の頃、両親や叔父、叔母から戦時中の話を聞くことがあった。最近はテレビで戦時中の映像を見ることはあるが、どこか遠くの世界で起こったこのように見ている。しかし、身近な人から聞く戦時中の話は映像ほど鮮やかではないがリアルだ。

 この映画は広島、呉が舞台で、登場する人が広島弁で話し、そして、広島弁が自分の言葉だからなのだろうか、両親や叔父、叔母から話を聞いているようなリアルさを感じた。


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2017年2月25日 (土)

言うことが違うことは悪いことか

 現場の人と話していると「管理部門は言うことが変わる」という。

 よくある現場と管理部門との軋轢だ。悪いことに、決して面と向かっては言わない(大人の対応というそうだ...)ので、いつまでたっても問題は解決しない。

 今の立ち位置は、ある時は現場のマネジャ、ある時は管理部門というコウモリ的存在なので、現場のマネジャとして話をよく聞いてみると

  • 去年と言うことが違う
  • 人が変わるということが違う
  • 機会(場所)によって言うことが違う

ということらしい。

はて?と考えた。
「去年と言うことが変わることは悪いのか?」

 「明日は昨日の連続ではない」当然「来年は去年の連続ではない」だから今年変わるのではないか。彼らの中には、「明日は昨日の連続である」という固定観念があるようだ。

 おそらく、自分たちを取り巻く環境は日々変わっていることは分かっている。しかし、「明日は昨日の連続であってほしい」と願っているのではないだろうか。

1

さらに考えた。
「立場が変わると言うことが違うことは悪いのか?」

 組織に属している人、特に官僚型階層組織に属している人は、部署や役職を背負った発言を求められる。 部署が変わったり役職が変わったとたんに言うことが変わる人はよくいるではないか。自分の胸に手を当てればだれでも心当たりがあるはずだ。

 良いか悪いかは措いて、それが窮屈な組織の中で生きていく知恵というものだろう。問題とすべきは、なぜ言うことを変えなければならないのかではないのか。

さらに^2考えた。
「機会(場所)が変われば言うことが変わるのは悪いのか?」

 管理部門の人の言うことが現場Aと現場Bで違うらしい。

 ウチの現場はセブンイレブンやファミマのように規格化された現場ではない。そんな現場に対して同じことを言えという方が酷だろう。現場にいる多くのマネジャは規格化された現場で働いていた人だから、どこの現場に対しても同じ指示やアドバイスをすべきという固定観念があるのではないだろうか。

さらに彼らは言う。
「いうことが違うなら、ちゃんと説明しろ!」

 管理部門の人が現場の人にアドバイスしている場に立ち会ったことがあるのだけれど、ちゃんと理由を説明していた。

 アドバイスする側、される側という当事者ではなく、第三者的な立場で聴いているのでわかったのかもしれない。官僚型階層組織では「暗黙の権力があるので」管理部門の人が悪意なくアドバイスしていても、アドバイスされる側は「アドバイスを有難く頂いている」感じだ。

 管理部門のアドバイスが口頭でしかも量が多いと、理由は忘れられ、具体的な行動の部分だけ伝わっているのではないかと思う。

さらに^2彼は言う。
「口頭で伝わらないのなら、文書で指示せよ。」

 多く人は反対側の経験があって、官僚型階層組織での「文書」の位置付けは分かっているはずなのだが...
さすがに、ここまできたら、「サボタージュ・マニュアル (2014/11/12) 」だろう。

 管理側もサボタージュマニュアルにある、目的が分からない会議を開いて、「方針を伝えたこと」にしているから、方針は現場まで伝わっていない。管理部門の多くの人は、実はこの事実に気が付いているのだが、窮屈な組織の因習に囚われて何もできない。結局、「方針は現場まで伝わったこと」になっている。

原因は、

  • 管理部門は方針に従って、環境を考慮して具体的方策をアドバイスしている。
  • 現場は具体的方策に囚われて、方針まで理解していない。

つまり、現場に方針が伝わっていないことが原因だ。

 さらに、この問題は階層的だから、問題解決を難しくしている。

 厄介なことに方針は管理部門の担当ごとに異なる。当然具体的方策も異なる。現場が方針を理解しようとしても、方針が異なっていることがある。現場からすると、管理部門内は全く考えていないように見えるのも当然である。ところが、管理部門の担当は経営層の理念と環境を考えて方針を決めているように感じる。

 本当に具体的方策を理解しようとすると理念までさかのぼって理解しなければならない。

2

 現場で実行される具体的方策はその現場を取り巻く環境によって変わる。最近は移り変わりが早い。しかし、現場のマネジャの時代感は総じて遅い。

  残念ながら、現場のマネジャが具体的方策→方針→理念を考える環境もないし、習慣もなく、経営層はそれを良しとしている。

  •  現場のマネジャは「明日は昨日の連続ではない」ことを認識する
  •  管理部門は、「理念や方針が現場まで伝わる」環境を作る

ことが必要だ。

では、どうするのか

 分析しただけでは何も変わらないので、コウモリ的立場を利用して、現場と管理部門が建設的な話ができるように活動を始めた。

 簡単には変わらないことは分かっているのだが、本当に少しずつしか進まない。


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2017年2月23日 (木)

昇任する覚悟 <自分だけはできると思ってる?>

 昇任する覚悟ができていないまま昇任試験に合格している人はいる。

 自分の上司を見て、あの程度なら特に自分を変えなくても、もっと上手にできると思っているのだろうか。

 下から見ていると上司の足りないところに気が付くものだ。しかし、立場が変わると景色が変わる。そして、求めらることが変わる。

 足りない上司も昇任試験に受かったときには「自分の上司より有能な管理職になれる」と思っていたのだ。

 古い体質の組織では未だに「管理職」と呼んでいる。しかし、今時の管理職、特に中間管理職に求められる能力は管理能力ではなくマネジメント能力である。古い体質の組織では「管理」をカッコウ付けて呼ぶときに「マネジメント」と呼んだりするのだが、「管理」と「マネジメント」は似て非なるものだ。

 自分の上司を見て、「あの程度なら楽勝でできる」と考えている人は「管理」を考えているから「マネジメント」を学ばない。しかも、古い体質の組織は「マネジメント」を教えないし、「マネジメント」をサポートをしない。「管理職」が「中間管理職」を管理しているからだ。

 昇任試験は、古い体質を変えるために重要なのだ。ところが、昇任試験に関わっているオジサンたちも「管理」されているので、「管理」しやすい人を選ぶから、体質はなかなか変わらない。

 JALやSHARP、東芝、三菱自動車のように存亡の危機にさらされると、組織の体質は変わらざるを得ないのだが、相当の痛みが伴うし、小さな組織は無くなってしまう。


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2017年2月21日 (火)

「指示待ちの部下」の原因は「無能の上司」

「指示待ちの部下」の原因は「無能の上司」だ。 Books&Apps (2016/7/5)

 最近の若い者は、自分で考えないですぐに聞いてくると嘆く年寄りをよく見かける。
かく言う自分もそうだし、同じようなことを言うのは年寄りだけではないような気もする。

この記事に、「社員に自由にやらせて、うまく行っている」という会社の経営者の言葉がある。

「役員は結果が出ないのを、下のせいにして、下は役員のせいにしている。単にそれだけでしょう。」

「指示待ち部下」の影に、「無能上司」あり。

なるほど、単純明快だ。

 自分で考えろと言いながら考えたことを否定する上司、どうせ否定されると考えることを止める部下。ありがちだ。

 上司部下だけでなく部門間でも同じようなことがある。細かいことまで指示する管理部門と何でも指示を求める現場。ありがちだ。

 双方とも相手が悪いという。話すときの主語は「我々」ではなく「あいつら」だ。

 部門間の場合は上司・部下の場合と違って同じ不満を共有する者が多いから、自部門の不満が正しいと思ってしまう。

 必要なのは「細かい指示」ではなく「教育とサポート」


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2017年2月19日 (日)

ここから会社は変わり始めた

ここから会社は変わり始めた 柴田昌治 日経

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柴田昌治氏の本は何冊か読んだ。

 今企画しているオフサイトミーティングは問題顕在化が目的だ。問題が共有できて初めて次の問題解決に移れる。そして問題を解決できるのはさらに先のことだ。

 この本のようには進まない。何年もかかったことが1冊に盛り込まれているので端折っていることは多いのだろう。

 どうやって社員が会社を変えたのか(2013/05/14)に北村三郎氏の右肩上がりの時代の人間観、情報観がある。

右肩上がりの時代の人間観

  • 自己開示はしない方が良い
  • みなと同質な方が良い
  • 上司の指示をきちんとこなす人が有能
  • まじめなのがよいこと

右肩上がりの時代の情報観

  • 情報はお上が持っている
  • 情報は文字で伝えるもの
  • 情報と機密は同義語である
  • 情報は職制を通じて流すもの

忘れていた。
今度のオフサイトミーティングでみんなに伝えてみよう。



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2017年2月17日 (金)

実力以上の給料を受け取るとどうなるのか、教えてもらった話。

実力以上の給料を受け取るとどうなるのか、教えてもらった話。 Books&Apps (2016/7/6)

 いわゆる窓際族のおじさんにどう対するかというお話し。

 若い頃、このおじさん仕事しているのだろうかと思った人はいた。若くて表面的なことしか見えていなかったのかもしれない。仕事は目に見える技能や体力だけで成り立っているわけではなく、経験や人間関係(人脈)な暗黙知が必要だ。だだし、暗黙知は目に見えない。

 ICT分野は特に若い方が技能が高い、しかも、若い方が体力もある。しかし、歳を取ると目に見える部分が減っても、目に見えない部分が増える。だから歳をとって技能が劣っても仕事はできる人がいる。

 問題は、暗黙知は外見からは判断できないということだ。

 ところで、冒頭のブログの観点は2つ。1つは窓際族のおじさんを評価する観点。もう1つは窓際族のおじさんの観点だ。

 窓際族のおじさんを評価する観点では、
冒頭のブログに登場した先輩のように、暗黙知があるかどうかを見極めて仕事のパートナーにする価値があるか判断する。外見から判断できないから話してみるということだろう。

では、窓際族のおじさんの観点では
先輩の言う、
 「実力に見合わない給料をもらうのはやめておけ。」
は正しいと思う。

 給料(報酬)が実力を反映していないことはよくある。 特に給料は、実力に見合う給料をもらえないこともあるし、実力以上の給料をもらえることもある。大きい組織にいると、給料を上げることも、下げることも要求できない。給料は実力とは関係ないところで決まっているのだから。

 人は、実力に見合う給料をもらえないときは怒ったり腐ったり、実力以上の給料をもらっているときは驕ったり、守ったりするものだ。

 歳をとって実力以上の給料をもらっている場合、実力どおりの仕事をすることは困難かもしれない。

 できることは、

  • 驕らないこと
  • 守りに入らないこと
  • 自分の暗黙知を活用すること

かと思う。


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2017年2月15日 (水)

高濃度の学び <今までの方法を変えなくてはならないのか>

「働き方改革」時代の人材開発に求められるもの?:「高濃度の学び」をいかに実現するのか!? NAKAHARA-LAB.net (2017.1.13)

 中原淳氏は、「長時間労働」→「残業時間の短縮・廃止」の流れから、今後「人材開発のための時間圧縮」が起こる。しかし、「人間が何かを学ぶために必要になる時間」は、そう変わらないから、「短い時間」で「高濃度の学び」を提供しなければならないと仰る

 自分の職場を考えると、すでに「人材開発のための時間圧縮」要求はある。技術に関わる仕事をしているから、技術・技能の修得が必要だ。指摘どおり、技能習得に必要な時間は短縮できない。

 暗黙知が含まれている技能の習得を高濃度にするには、高い技能を持つ者と同じ職場で働かせる(徒弟制)しか思いつかない。ところが、高い技能を持つ者の仕事は人材育成だけではないし、高い技能を持つ者は少ないから、一般的にどこ職場でも実行できるわけではないだろう。

 これまでの方針を転換しなければならない時期に差し掛かっているのだろうか。少なくとも、今後の人材育成については検討が必要だ。

  • 時間優先
    確保できる時間で修得できる内容に業務(事業)を特化する。
  • 業務優先
    技能をツールやマニュアルを導入して補う。
  • 人優先
    適性がある分野の技能だけ習得する。 

 業務(事業)を特化する方法は、業務(事業)の再構築だから難しい。事業が傾いているか、強力なトップダウンでないと実現は困難だろう。

 ツールやマニュアルの導入は簡単だが、技術力の低下は避けられない。したがって、将来的にはツールやマニュアルを作る者がいなくなる。アウトソースする方法もあるが、ノウハウ等の暗黙知がなくなるから競争力は無くなるから、将来的にはジリ貧だろう。

 適性がある分野の技能だけ修得する方法は理想的に見えるが、適性がある分野を持った者が程よく分散していれば良いが、集中している場合には、特定の分野だけ適性を持った者がいないという状況が予想される。ある程度の母数が必要だろう。

 技能の修得には時間が必要だから早めに対応しなければならない。問題が顕在化してからでは手遅れになる。


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2017年2月13日 (月)

トヨタの問題解決 <組織の強さの淵源>

トヨタの問題解決 OJTソリューションズ 中経出版

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実業務では問題と解決方策を考えることは多い。
自ら問題に気づいたり、上司から課題として与えられたりすることがある。昇任論文にもよくあるお題だ。

「昇任論文の書き方」のようなHowTo本では、

  • 序文(背景など)
  • 問題提議
  • 解決策
  • 原因確認
    • 解決策の候補
    • 検討
    • 決定
  • 成果
  • 今後の課題

のような構成で書くと良いとされている。

 時間が短い論文試験では、

  • 序文(背景)
  • 問題提議
  • 原因確認
  • 解決策
  • まとめ・今後の課題

は少なくとも書くようにしていた。

 解決策(原因確認、解決策の候補、検討、決定)の精緻な検討は短時間では無理なのでありふれた解決策になりがちだ。

 実業務で問題解決する場合には、誰かが考えた解決策や、検討不足の解決策では問題は解決できないから、自分で時間をかけて検討するしかない。ところが、問題を認識して問題を解決する方法は人それぞのノウハウがあり、残念ながら、上手な人と下手な人がいる。

 人のノウハウに左右されないように問題解決のプロセスを標準化したものが、トヨタで使われている、「問題解決8つのステップ」で、その手順は、

  1. 問題を明確にする
    解決すべきテーマを「重要度」「緊急度」「拡大傾向」などの視点から選ぶ
  2. 現状を把握する
    問題をブレイクダウン(層別)し、「攻撃対象」を見付ける
  3. 目標を設定する
    達成目標は数値で示す
  4. 真因を考え抜く
    問題が起きる真因(真の原因)を「なぜなぜ5回」で突き止める
  5. 対策計画を立てる
    真因をなくす対策案を出し、効果的なものに絞り込む
  6. 対策を実施する
    対策案を決めたら、チーム一丸となって素早く行動する
  7. 効果を確認する
    対策を実行した結果、目標を達成できたかチェックする
  8. 効果を定着させる
    誰がやっても同じ成果を出せるように成功のプロセスを「標準化」する

 プロセスを標準化してあるので、手順を踏めば、効果が出るはずだ。とはいえ、個人の能力により効果の大小はあるのだろう。しかし、能力のない者でもこの手順のとおりにやれば何らかの効果は出る。それが標準化だ。

 恐るべしトヨタである。

 よく考えたら管理者研修などで「問題の解決方法」は教えてもらった覚えがない。
自分が受けた管理者研修は短縮されていたので、長い研修を受けた先輩に聞いてみたけど、教えてもらっていないという。ウチの職場では標準的な「問題解決方法」は教えてくれないようだ。

 それはつまり、組織として標準的な「問題解決方法」を持っていないということだ。

 昔は、それでもよかったのかもしれない。扱う問題の多くは似ていたから、誰かの問題解決方法を参考にすれば解決できたのだろう。 ところが、最近遭遇する問題は、組織内では誰も解決したことが無いことが多くなった。

 昔ながらの、問題解決方法では解決できないのである。

 見方を変えると組織の問題解決能力が低下してるわけだが、多くの人は、この問題を認識していないのか、それとも認識しているのに見て見ぬふりをしているのだろうか。

 いまさら、そんなことを認識したのか!と叱られそうだ。

 せっかくなので、 「問題解決8ステップ」の練習がてら「問題解決能力が低下している問題」の解決に取り組んでみよう。

 10年くらい前に気が付けばよかった。後の祭りだ。


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2017年2月11日 (土)

成功は学べない <他人のマネでは成功しない>

成功は学べない――アパレル3社に見るモデルの違い 菅野寛 日経BizGate (2015/03/11)

菅野寛氏は、ファスト・ファッションで成功している、ZARA、ユニクロ、ローリーズファームのオペレーション、ビジネスモデルを例にして、成功は、外から見えるオペレーションによる成果ではなく、外からは見えにくいビジネスモデルよる成果であるこという。

成功から学ぶ価値があるのは、「表面的な目に見えるアクション」(WHAT)ではなく「深層の成功・失敗要因」(WHY)です。成功あるいは失敗した企業がある意思決定やアクションを行ったという事実は、それ単体ではあまり意味がありません。ましてや、その意思決定やアクションだけを表面的にモノマネするのは最悪です。

 重要なのは「なぜ」その経営者がそのような意思決定やアクションを取ったのか、それを可能にした「要因」は何かという問いです。成功・失敗企業のどこが良いのか、どの特質がどの外部環境と合わさってうまく機能しているのか(機能しなくなったのか)を、深掘りしなくてはいけません。そうやって熟考していけば、一見すると当たり前でも、奥深い要因にたどり着く場合が多いはずです。

 そして、コンサルタント業から学んだことは、

「こうすれば必ず成功する」という成功の十分条件(すなわち"必勝法")は存在しない

だという。

 現場のマネジャを集めたオフィシャルな会議では、よく「好事例発表」がある。正直参考にならない。成功の真の要因は発表されないことが多い(ほとんど)だからだ。

 「失敗事例」の方が参考になるのだが、オフィシャルな会議の場で「失敗事例」を発表するのは、はっきり言って罰ゲームだ。だから、誰の参考にもならない「好事例」が発表されることになる。

 ある取り組みが成果を上げた場合、成功した真の要因が分かっていないマネジャは多い。つまり、自分たちを取り巻く環境やスタッフ、運などの様々な要因で成功しているのだが、取り組みしか説明しない。いや、出来ないのかもしれない。

 当然、よそで成功した取り組みをマネても、成功する確率は極めて低い。そのうちに、取り組むことが自体が目的になってしまい、何のための取り組みかわからなくなる。

 成功の真の要因まで伝えられる組織は強く、表面的な取り組みしか伝えられない組織は弱い。

 成功の真の要因を分析して伝えるのも、よその成功から真の要因を見つけるのもマネジャの仕事だ。

 勉強しないとマネしかできないよなぁ。


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2017年2月 9日 (木)

なぜ三菱自動車は芯から腐ってしまったのか <頭からではなく内臓から腐ることもある>

「なぜ三菱自動車は芯から腐ってしまったのか 共同体意識の強い組織が抱える根っこの病巣」、草食投資隊 :渋澤健、中野晴啓、藤野英人、 東洋経済Online (2016年04月30日)

 渋澤健氏(コモンズ投信会長)、中野晴啓氏(セゾン投信社長)、藤野英人(レオス・キャピタルワークス社長CIO)による鼎談。

頭からではなく内蔵から腐ることもある

藤野:最初に「まじめさ」という話をしましたが、まじめというのは「真の面目」、つまりリアルフェイスのことであり、その人がその人の様であるという意味です。人それぞれに自分の行動原理があって、周りがどう言おうとも、自分の考えに沿って行動する、言うなれば空気を読まないのが、まじめという言葉が持つ本当の意味なのですが、ちょっと曲解されていますよね。
つまり、上から言われたことに唯々諾々と従うのがまじめな人である、というイメージでとらえられています。仮にそうだとすると、今回のような不祥事が起こった時、悪いのは経営陣などの上層部であり、社員は悪くないということになりがちですが、実際には社員も悪ければ、派遣社員も悪い。つまり組織全体が芯から腐っているケースもあります。三菱自動車の場合、そのケースに当てはまるかも知れません。経営陣を変えたとしても、おそらくダメでしょう。そのくらい深刻な状況にあると思ったほうがよい。

渋澤:魚は頭から腐ると言われていますが、時には内臓から腐ってしまうこともある?

藤野:いや、最初は頭から腐るのですが、内臓まで腐ってしまうと、頭を変えても駄目だということなのでしょうね。正直なところ、これは氷山の一角なのか。他の日本企業にも、同じようなことがあるのかどうか、気になります。

 重要なところは、「実際には社員も悪ければ、派遣社員も悪い。つまり組織全体が芯から腐っている」という部分。中間管理職は、あるときは幹部目線、あるときは社員目線を求められる。

 この問題を社員目線で見ると。
 幹部がアホという社員はよくいるものだ。しかし、幹部がアホというならアホに従っている社員もアホだ。「ベンチがアホやから野球がでけへん」と言って本当に辞めたのは江本孟紀氏くらいのものである。

 幹部が不正を要求したときに、幹部の命令だからと不正を行っている社員は、情状酌量の余地はあるが不正の片棒を担いでいることに変わりはない。反対する空気ではなかったという空気を作りだしているのは社員自信だ。

 アホ幹部に対して「アホ」とは言いにくいのは事実だ。
しかし、アホ幹部のアホ命令に諾々と従っているアホ社員ばかりの職場は、三菱自動車や東芝のように頓死してしまう可能性がある。そして、古き良き昭和の昔と違って、その可能性は高い。

 残り数年ならば、アホ幹部の悪行がバレまれませんようにと毎日祈りながら過ごすのも一つの方法だろう。しかし、残りの年数が長いなら、アホ幹部の巻き添えをくらう前に、少なくともアホ幹部に「アホ」といえる職場に変える努力をした方が良いと思う。

 アホ幹部に「アホ」と言いたい人は結構いるもんだ。
 「アホ」と言いたい衝動を昇華させることができたら職場の空気が変わる可能性がある。巻き添えで頓死する可能性と、職場の空気が変わる可能性のどちらに賭けるかは自分次第だ。

###

σ^^)は変わる可能性に賭ける。


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2017年2月 7日 (火)

できる人が会社を滅ぼす <意味・目的・価値を考える>

「できる人」が会社を滅ぼす 柴田昌治 PHP

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 柴田昌治氏は「できる人」の大半は「さばくのがうまい人」だという。そして、「さばく」とは

上司や顧客から降ってくる大量の仕事に忙殺されるあまり、目の前の課題に対して、その課題がそもそも何のために、どういう意味を持つ課題なのかをさておいて、「どうやるか」「いかにやるか」だけを考えるようになってしまっている……これこそが「さばく」ということそのものです。

という。
 これまでの社会で高く評価されていた「優秀な社員」=「できる人」の特徴は

  • 毎日遅くまで残業し、大量の仕事をこなしている
  • 上司が期待する通りの結果を導き出そうとする
  • 目の前の仕事で、人よりも高い実績を上げている
  • 決断が速く、自分が決めた方向へと部下をぐいぐい引っ張っていける
  • 会社から与えられた自部門の数値目標だけは達成しようという姿勢を示す
  • 不具合やさまざまな問題が起こっても、とりあえず事を丸く収める調整能力がある

だという。
 なるほど、異論を唱える人は少ないだろう。特に昭和な人は納得すると思う。

 そして、この「できる人」が陥りやすい問題は

  • 仕事をさばく
  • 上司の的を当てに行く
  • 先入観ですぐに答えを出す
  • 自部門のみのエキスパート
  • 波風を立てないことをなにより優先する

だという。いずれも、変われない組織が抱えている問題だ。

 「できる人」が増えた組織は変化に弱いということは実感として感じる。その組織の中にいると、自分たちを取り巻く環境が変わったことは理解しているのだが変われない「茹でガエル」状態に陥っているのを実感する。

 「できる人」は昨日までの仕事を効率よくこなすのが上手い人達だ。
そして、昨日と明日は連続していると思っている。連続しているという前提があるから効率が良いのだ。

 ところが、今日不連続が発生したら、明日は昨日の連続ではなくなる。つまり前提が崩れるので明日の仕事ができなくなる。今時は、不連続の度合いが大きいから、効率が下がるのではなく全く仕事ができなくなる。 

 明日は昨日の連続ではなくなる可能性に、皆意識的に目をそむけているように感じる。

 幹部に「できる人」が多い組織は特に問題が大きい。環境に対応できない組織になっているからだ。 そして、SHARPや東芝、三菱自動車のように頓死する危険性がある。これは他人事ではない。

 昭和が終わって28年が経過した。未だ昭和の感覚では組織が正常に機能するはずもない。

 唐突だが、日清戦争に日本が勝利したのは明治28年である。その28年前は江戸時代だ。 昭和の感覚で仕事をしている人を日清戦争当時に例えるなら、激動の東アジアにおいて世界の列強に屈しないために国を近代化していた時に、ちょんまげ、大小挿しで尊王だ攘夷だと言っているようなものだ。

 ということは、現在昭和の価値観で働いている「できる人」はもう変われないのだろうか?

閑話休題

 不連続な明日の方針を定めるには、問題解決のような具体論ではなく、 柴田昌治氏の言葉を借りれば、

  • なぜやるのか
  • 何のためにやるのか
  • 価値は何か

という抽象論に一度立ち戻らなければならないのだろう。

 波風を立てないことをなにより優先する「できる人」は多いのだけど、「できる人に」消されても、懲りずに波風を立ててようと思う。


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2017年2月 5日 (日)

老化の宿命をどう乗り越えるか <「老いゆく者」のすべきこと>

老化の宿命をどう乗り越えるか 「老いゆく者」のすべきこと 日経BizGate (2016/11/07)

 老化が進んだ人間にも会社にもイノベーションは無理である。また逆に「子供」に「大人の対応」を求めても無理である。さらに、これらが無秩序に混ざった状態で仕事をしてもお互いが不幸な上に、結果も中途半端なひどいものになることは間違いない。

 組織でも同様である。老化した組織にイノベーションは「無理」で、若い組織とはミッションも異なるというのは人間と同じなのではないか。「経済力」だけはあるから、「道具」をそろえることだけはできてしまう。

 しかしながら金に飽かせて「若作りのためのアクセサリーや車やエステ」に金をかけても所詮「若作りは若作り」である。

 新しいことは次世代に任せ、そのために必要なヒト・モノ・カネとノウハウを提供し、それによって育った次世代に「親孝行」してもらうことを期待する方がよほど世のため人のためになるだろう。

 大人には大人にしかできないことがある。これまでの知識を活かせることに専念し、せめて「若者」の足を引っ張らないことが重要なのではないだろうか。

 新しいことは次世代に任せ、そのために必要なヒト・モノ・カネとノウハウを提供するのは簡単そうで難しい。現世代が次世代をサポートするのは老化した組織では特に難しいと思う。

 現世代は若かったころほとんどサポートされていない。サポートされた経験がないのだから、サポートせよと言われても方法が分からない。さらに、自分で考えて仕事をしなかった人も多い。昔は上が決めたことをこなすだけで仕事ができた。

 自分の頭で考えて仕事をしている人やマネジメントができる人を幹部にすれば、次世代のサポートができるはずだ。しかし、年功序列の壁は高い。

 現場のマネジャが人材育成の議論をすると、ほとんどがテクニカルスキルの向上だ。 技術的な業務だから重要なことではあるのだが。

 人材は、現場で技術力を発揮する者だけでなく、現場の技術者をマネジメントできる人材が重要であることは言うまでもない。ところが、次世代(自分の後のマネジャ)の育成については議論されることがない。

 経営層もまた、現場の技術者をマネジメントできる人材の育成については議論していない。つまり、現場の技術者をマネジメントできる人材を育成しない組織風土ということだろう。

 誰かに議論しろという必要はない。自ら始めればよいのである。しかし、次世代のマネジャの育成について議論を持ちかけると流されることが多い。

 議論するためには、まず自分が考えなければならないし、マネジメントについて学ぶ必要があるからからなぁ。


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2017年2月 3日 (金)

誤信念課題 <大人向けテスト>

 発達障害のテストとしては「サリーとアン課題」が有名だ。(誤信念課題)

 「サリーとアン課題」は子供用で4~7歳で答えられるようになるらしい。大人用の課題もあるらしく、興味があったので早速やってみた。

 この課題は、2012/5/18にNHKの「情報LIVEただイマ!」で放送されたようだが、既にNHKのサイトから消えている。ウェブ魚拓に残っていた。

恵さんの家におじさんが遊びに来ました。
恵さんはお母さんに手伝ってもらって、チーズケーキを作りました。
恵さんは食卓で待つおじさんに言いました。「おじさんのためにケーキを作っているの」。
おじさんは「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と言いました。
ここで質問です。気まずいことを言ったのは誰ですか?
また、なぜ気まずいのでしょうか?

というもの。これを「チーズケーキ課題」と呼ぶことにしよう。

 「まったく悪気なく「ひどいこと」を言ってしまう理由  奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第9回】(2012.12.22)」 にも紹介がある。奥村隆氏の記事では『「おじさんのためにチーズケーキを作っているの」と言った』となっているが、これは誤りだろう。

 答えは、なんとなく(経験則から)分かったのだが、釈然とせず2日間くらい考えていた。そして、わかったことは。

 この問題で尋ねているのは、「気まずいことを言ったのは誰ですか?また、なぜ気まずいのでしょうか?」ということ。重要なのは「なぜ気まずいのでしょうか?」の部分。

 これなら簡単だ。

 人は、善意の行為でも報酬を求めるから、報酬が得られないないと不満を感じる。つまり、「チーズケーキ課題」で、恵さんがおじさんのためにチーズケーキを作るのは善意の行為、それを手助けするお母さんも善意の行為だ。おじさんは、ケーキを作るという善意の行為に対して、「ケーキは大好きだよ。チーズが入っているのはダメだけどね」と、恵さんやお母さんに善意の行為に対する報酬を与えなかった。その結果、恵さんとお母さんが抱く不満が、気まずくなったと原因だと理解できる。

 σ^^)はKYだからここまで考えないと経験則の判断が正しいと思えない。経験則だけで判断するのは不安だから。

 ところが、解説が理解できない。

 気まずいことを言ったのは「おじさん」です。その理由は「恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまうから」です。
 ASDの人は、最初の質問で「おじさん」と答えられない。誰も気まずいことを言っていないと答える。つまり、「チーズは苦手」と恵さんに告げることが気まずいとは感じないのです。恵さんの気持ちに立つことができないからです。

 KYは時々ストレートな発言で周囲を気まずくさせることがある。気まずい雰囲気は感じることができるので、次回は気まずくならないようにしようと思う。そのためには、原因と対策を明らかにしなければならない。

 解説では、「おじさんが恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまう」としている。たしかに、直接的には、恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてしまったのはおじさんの発言だ。

 しかしである、自分がおじさんの立場で、恵さんやお母さんの気持ちを傷つけないようにしようとすると、困ってしまう。何しろ、おじさんは故意に恵さんやお母さんの気持ちを傷つけてはいないのだ。

おじさんにできることは、

  • 恵さんは、自分が嫌いなチーズケーキを作っているかもしれないからチーズケーキは嫌いと言わない。
  • 嫌いなチーズケーキが出されたら無理して美味しそうに食べる。

う~んムズイなあ。
一方、恵さんやお母さんにできることは、

  • あらかじめ、おじさんにチーズケーキは好きか聞いておく。

だ。

 おじさんにできることと恵さんやお母さんにできることを比較すると、おじさんにできることのほうがハードルが高いと思うのはσ^^)だけだろうか?。

 もう少し抽象化すると、世間の常識は「善意の行為は故意でなくても否定してはならない」ということだ。

 善意を施す側が、あらかじめケーキの好みを聞く方がよほど簡単で合理的だと思うのだが、善意を施される側が忖度するのが「普通」のようだ。

 試しに、おじさんの発言は故意ではないではないから、おじさんだけ責めるのは酷ではないかと、娘に聞いたら、娘曰く「へ~~。そんな風に考える人いるんだあ!!」だったので、この考え方は一般的では無いようだ。

 「善意の行為は故意でなくても否定してはならない」ことが世間の常識だということは分かった。しかし、実践する自信はないなあ。このような 状況に遭遇するとピンチだなぁ...

 普通の人は深く考えないでできることなんだけど、こんなメンドクサイことを考える人がいる。そして、失敗しないようにしようとすると、たいてい、即答できなくて固まったように見られる。

 だから、はみ出したくらいがちょうどよい。



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2017年2月 1日 (水)

『男はつらいよ』の幸福論 <寅さんが教えてくれたこと>

『男はつらいよ』の幸福論 <寅さんが教えてくれたこと> 名越康文 日経BP
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 よく考えたら、「男はつらいよ」を映画館で見たのは1、2本くらいだ。ほとんどはテレビをで見ているのだが、家族にチャンネルを変えられてしまうことが多い。
十数年間前病気で3か月くらい休んでいたときにケーブルテレビをよく見ていた。古い邦画が多くて毎日のように寅さんシリーズをやっていたのでたくさん見た。それでも、この本の巻末にある全作品のデータを見ると、記憶がない作品がかなりある。

 後期の作品では満男が重要な役になり最後は満男が主役になっていた。満男はときどき寅さんに哲学的な質問をする。

 よく覚えているのは、三田佳子がマドンナだった『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』だ。大学受験を控えた満男が寅さんに、なぜ勉強するのか尋ねたときの寅さんの答えが秀逸で

満男 「じゃ、何のために勉強するのかな?」
寅  「え、そう言う難しい事は聞くなって言ったろう。
   つまり、あれだよ、ほら
   人間長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。
   な、そんな時オレみてえに勉強してない奴は、
   この振ったサイコロの出た目で決めるとか
   その時の気分で決めるよりしょうがないな、

   ところが、勉強した奴は自分の頭で、
   キチンと筋道を立てて、
   はて、こういう時はどうしたらいいかなと
   考える事が出来るんだ。
   だからみんな大学行くんじゃないか、
   そうだろう。」

と答える。
 以来、子供に同じ質問をされたら寅さんの受け売りをしている。

 一番好きなのは、大地喜和子がマドンナだった『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』だ。大地喜和子は人気マドンナランキングでは浅丘ルリ子、吉永小百合に続いて第3位らしい。

 大地喜和子が演じる芸者ぼたんが詐欺にあって困っているのをなんとかしようと、宇野重吉が演じる絵の大家に絵を描いてやれと言う。寅さんにとっては金も名声も関係なく友達だ。友達が困っているなら一肌脱ぐのは当然のことだ。寅さんがヤクザな商売をしているから義理人情に厚いというわけではなく、現代人が忘れてしまったことなのかもしれない。

 「金のために絵は描けない」という宇野重吉が演じる絵画の大家と、「知り合いが困っているなら助けるのが当たり前」という寅さんの言い分はどちらが正しいというものではないだろう。 金を出すと言う宇野重吉に対して寅さんは、「ゆすり、たかりじゃない」とけんか別れになる。

 最後は、宇野重吉が大地喜和子に絵を送り丸く収まるのだが、最初に見たときには、宇野重吉演じる画家の気持ちが理解できなかった。


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