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2017年11月28日 (火)

教える能力 <自助努力に頼りすぎ>

 教える能力について考えてみた。
研修の講師をやることがあるが、職業教師や職業講師ではないし研修部門に勤務しているわけでもない。残念ながら教える能力を教えてもらったことはない。(言い過ぎました。今年1回講義を受けました。 ^^;;)

 なにかを伝えようとするときに相手に伝わる量は

 伝わる量 = 教える能力(発信側) × 学ぶ能力(受信側)

 教える能力 = 形式知×教える技術

だと思う

 専門的な内容や講義マニュアルができていない内容などの講義は知識や技術、経験を持っている人に講師を依頼することがよくある。

 外部講師を依頼する場合に注意しなければならないことは、「教える技術」が高いとは限らないことだ。 講義をこなしている人は教え方が上手な人が多い。しかし、専門分野の高い知識、技術を持っていることと「教える技術」を持っていることとは別物だ。

 講師の「教える技術」が低い場合には、受講者の「学ぶ能力」が高くなければ、効果のない講義になってしまう。OJTのように1:1のマンツーマンではなく、1:Nの講義形式では、講師の「教える能力」が向上すると研修の効率が上がる。当然、「教える能力」が低ければ研修の効率は下がる。

経験では
 手っ取り早く「教える能力」を上げるには形式知を増やせばよい。形式知は、本来の仕事の能力も上げることができるので一石二鳥だ。

 ところが、職業教師や職業講師でない者が「教える技術」を習得することは困難だ。

 理由は3つ、

  1. 講師は本来業務ではない
     講師は本来業務ではないと思っているので「教える技術」が低いのは仕方がないと思っている。だから、教えられる側(受講者)が努力すべきと思っている。無理もない、本来業務でもなくロハで講師を引き受けた上に上手に教えることを要求されるくらいならお断りしたい。これが本音だ。
     
  2. 「教える技術」が無くても本来業務は困らない
     「教える技術」が無くても本来業務は困らないことが多い。特に良いマネジャがいる場合には「教える技術」を持たなくても成果は挙げられる。 さらに、教えることは本業ではないと開き直ることができる。
     
  3. 教える側の優位性
     教える側、教えられる側という立場的な関係もある。社会通念上教える側が上位だから下位の教えられる側が努力すべきと考えてしまう。
     知識や情報を伝える作業と考えれば上位も下位もない。双方が能力を向上するべきなのだが。

 長い間講師をやっているが、正直に言うと、最近までこのように考えていた。
教え方が悪いと言われたときに、自分の教える能力を向上させる努力をしないための言い訳だ。

 マネジメントを始めたころから徐々に意識が変わったと思う。
変わったのは、

  • 「教えることは本業ではない」と言えなくなったこと、
  • 講義の成果を考えるようになったこと
  • 「教える技術」が低いことが受講者の貴重な時間を奪うことになると考え始めたこと、
  • 講義は目的でなく手段と考えるようになったこと、
  • 等等

マネジメント的には
 職業教師、職業講師、研修担当でない人の「教える能力」を向上させるのはかなり難しいと思う。

 まず、本人が「教える能力」が低いことを認識しなくてはならない。
人は言い訳を考えるのが常だから、能力が低いことを指摘されたら素直に直す者ばかりではない。

 マネジャは「教える能力」が低いという事実を伝えれば良いわけでもない。
注意、助言を与えれば良いというものではなく、マニュアルを与えたり、リハーサルを行う、手本を見せるなどの訓練が必要だ。

 つまり、『「教える技術」を教える能力』を持った人が必要だということだ。 しかし、アドバイスだけであとは自助努力に頼る管理者は多い。ハッキリ言ってマネジメントの手抜きだ。

コミュニケーション能力
 人に何を教えることはかなり高度なコミュニケーション能力が必要だと思う。
自分のコミュニケーション能力が低いからそう感じるのかもしれないのだが、受講者に伝わったかどうかの反応を見ながら講義するのは、口で言うほど簡単ではないと思う。

 日本人の反応は薄いし、分からなくても「分かりません」と言う人は極めて少ないから、表情や仕草を読み解かなければならない。コミュニケーション能力が低い者にはハードルが高い。

 さすがに、受講者が寝ると良くわかるが、そうなっては手遅れだ。

講師を命じる立場にある人
 コミュニケーション能力が低い人を講師にする場合には、特に注意しなければならない。
教育効果が上がらないだけではない、受講者の貴重な時間を奪っている。

 「ありあわせの資料でテキトーにやっといて」と言われると、「オメーがやれ!!」と思ってしまう。

 講師を命じる立場にある者は、コミュニケーション能力の低い人が何に困っているのか分からないなら、彼らを講師にしてはいけない。

 講義が上手くできなかった講師にも、受講者にも罪悪感があるが、講師を命じた者に罪悪感は無い。これが一番の問題だ。


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