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2018年5月20日 (日)

バカほど「それ、意味ありますか」と問う <自慢じゃないが、問うよ!>

バカほど「それ、意味ありますか」と問う
若者の思考レベルが"劣化"している

PRESIDENT Online 宮台 真司 (2017/5/1)

 若くはないのだけれど、「それ、意味がありますか」と問う性格だから引っ掛かってしまった。 
若い頃からKYだから、つい「それ、意味がありますか」口に出してしまう。最近は口に出さないように気を付けているのだが、顔に書いてあるようだ。

バカだったのか > 自分?

 宮台真司氏の主張は

  「理不尽なマナー」にも「自動機械」のようになることで、高い抽象度で合理性が判断できる。

かな?

σ^^)の経験則では

  「理不尽なマナー」に「自動機械」のようになれば、高い抽象度に達することはなく、思考停止した機械になる者が多い。

だね。

だから、この記事のリードにある問い

  先輩から「理不尽なマナー」を強要されたとき、どうすればいいか。

に他する答えは、

 「無条件に従うな」

だ。

 この記事の結論の部分は最後の部分

学問の基本は武道や演奏と同じ

なぜか。かつての教育は暗記全盛だった。追いつき追い越せの後発近代化国だったからだ。帝国大学出身の父も論語やルター訳聖書を諳んじていた。私もそうした教育を受けた。麻布中学に入るや「数学は暗記物、お前らが考えるなんて10年早い」と教員に怒鳴られた。暗記で引き出しを増やさなければ思考しても意味がないという考え方を叩き込まれた。

学問の基本は武道や演奏と同じだ。基本動作を反復訓練して「自動機械」のように動けるようにする。そこに意識を使わなくなる分、意識に新しい役割が与えられる。「自動機械」化した自分から幽体離脱し、自分に寄り添って観察する。これを「意識の抽象度の上昇」という。

昨今の若者は「何の意味があるのか」と合理性を問い、合理性がないことをしない。確かに企業内には不合理にみえることが多数ある。だが企業人の初心者が逐一合理性の有無を問うても無駄。合理性を問う前に、先行世代のマナーやルールを自動機械のように振る舞えるくらい身につけたほうがいい。思考する価値のある問題に注力するのはそれからだ。自分はできもしないのにマナーやルールの合理性を問う者は、思考レベルが低い。

抽象度を上げた意識から見れば、「合理的なものが非合理で、非合理なものが合理的だ」という逆説はザラだ。若者が合理性を問うてきたら、そうした世の摂理を開陳すればいい。先行世代自身も自分を見直す機会になる。合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。

 1段目、2段目の、

 学問は武道や演奏とおなじように基本動作の反復練習が必要であり、習得するまでは合理性を問うべきでない。

というのは賛成。

 3段目の、学問を追求するようにすれば、なぜ、価値のある問題に注力することができるようになるのか分からないなあ。 更に、マナーやルールの合理性と思考レベルが低いことの因果関係も分からないなあ。

 もっと丁寧に説明してくれればいいのに。

4段目の、

 合理性は高い抽象度で判断するべきものだ。

はなんとなく分かる。

宮台真司さんに学ぶ「30代の心がけ」3カ条

  1. 「仲間はずれ」を恐れてはいけない
    主体的な行動をとって、「他人の目線」から自由になれ。
  2. 他者に対して想像力を働かせろ
    「指示待ち人間」を脱して、みずから問題提起をしろ。
  3. 必要なことはまるごと「暗記」しろ
    暗記しておくことで、はじめて思考する余裕ができる。

は賛成。

 学問は昨日今日できたものではないし論理的なものだから、多くの先人たちが築き上げてきたレベルに達するためには合理性を問わずに身に着けることが必要。 先人たちのレベルに達して初めて、レベルを高めることができる。

 一方、ルールやマナーは時代とともに移ろいやすい、実社会では昨日今日できたルールも多く、ほとんどは論理的ではなく人の都合だよね。

 なぜ、人の都合で決められたルールの合理性を問わず自動機械のようになると、高い抽象度を得られるのか分からないなあ。
 なぜ、ルールの合理性を問わず自動機械のようになれば高い抽象度を得られるのか分からないなあ。

 論理の世界ではなく、実社会でルールに盲目的に従うと、「ルールに合理性はあるのか?」かという問いを考えなくなるよなあ。  多くの人は論理の世界ではなく実社会で生きているからねえ。

 タイトルの、『バカほど「それ、意味ありますか」と問う』の「バカ」は絶対的なものではくて、たぶん、高い抽象度の意識を持った人から見て「バカ」なのだろう。

 では、ルールの合理性すら問わなくなった者はなんと呼ぶのだろうか? 「バカ以前」かな。  実社会ではこの領域の人は多いよね。

 σ^^)は、高い抽象度の意識を持った者から見ると「バカ」なんだろうけど、「バカ以前」になるくらいなら「バカ」でいいや。


バカほど「それ、意味ありますか」と問う(2) (2018/08/30)


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コメント

宮台氏のこの記事には他のサイトでも非難轟々ですね。
特に若いと思しき人達から...
この文章は実際非常にわかりにくいのですが,
賛成出来る部分がかなり多いので、何がしかの納得できる解釈が可能なはずです。
そこで、何が言いたいのか、よくよく考えてみると、

ルールやマナーについては考えても仕方がない。それを超えたところにもっと価値があるものがあると言いたいのではないでしょうか?
そこにたどり着くためには、ルールやマナーの部分は当たり前に出来ていなければならない。
にもかかわらず,ルールやマナーの合理性をいちいち追求して、それ意味あるんですか?と鬼の首とったように揚げ足取りに邁進する輩に辟易しているのだと思います。

それが何かは私にはまだわからないのですが、そういうものの存在は何となく予感してはいます。
その、より価値のある何かを、伝承できないどころか、
存在を知覚することすら出来ないほどに世代間が深刻に断絶してしまっているのだと思います。

それって意味あるんですか?には2つの使い方があって,
・対象の意味を真剣に学びたいという学びの姿勢
・対象を見下す拒絶の姿勢
がありますが,
後者が増えては世代間で何の学びも生じませんよね。
意味ないと見えるものにも意味があるはず、と
まずは信じて簡単には思考を止めないことが必要です。
宮台氏の言わんとしていることを理解するためにも
それって意味あるんですか?と学ぶ姿勢自体は重要です。
彼の言う、自動化されるべきことは、
後世にとってみれば生活からかけ離れていて自動化は困難なわけなので、
やはり問われ続けるべきことです。

若い世代が新しいものを構築するのは良いのですが、
先代のものを伝承した上で新しいものを創らないと、単なるちゃぶ台返しです。
極端から極端へ走る世の中は、こうした過去を参考にしたフィードバックが働いていないことの裏返しです

仲間はずれを恐れてはいけない...等の教訓も
今の普通の若い人には理解できないでしょう。
上の世代がその意味をもう一度咀嚼しなおして、伝える姿勢が必要です。
そして、下の世代はそれを時間をかけて理解しようとする姿勢をもつことが重要です。

コメントありがとうございます。

宮台氏とは同じ年代なのでこの記事には同感する部分がたくさんあります。
途中の論理展開が理解できないのですが、結論(「30代の心がけ」3カ条)は諸手を挙げて賛成です。
 論理展開が理解できないのに結論が正しいと思うのが気持ち悪かったので、考えてみたのが先の投稿です。

もう一度整理すると、宮台氏の記事への疑問は
 なぜ、学問を追究するようにすれば、価値がある問題に注力できるのか?
 なぜ、マナーやフールの合理性を問う者の思考レベルが低いのか?
です。
私の意見は
 職場においてルールの合理性を問わない者は思考停止する。
です。

 皮肉のような表現にしたのは、宮台氏の記事に「年寄りの驕り」を感じたからだと思います。

【拒絶の姿勢】
それって意味あるんですか?には2つの使い方があって,
 ・対象の意味を真剣に学びたいという学びの姿勢
 ・対象を見下す拒絶の姿勢
があるように
「バカほど『それ、意味ありますか』と問う」にも2つの使い方があります。
 ・対象者を育てたいという育成の姿勢
 ・対象者を見下す拒絶の姿勢

 若者が宮台氏の記事に反発するのは後者の姿勢を感じているからではないでしょうか。
もう少し端的にいうなら「年寄りの驕り」を感じます。

 ご指摘のように、若者も年寄りも、「それって意味あるんですか?」や「バカほど『それ、意味ありますか』と問う」の意味が「相手を見下す拒絶の姿勢」では世代間の学びは生まれないと思います。

 宮台氏は、「対象を見下す拒絶の姿勢」の若者に対して、あえて「拒絶の姿勢」を示すことで、若者たちに自戒を促す狙いがあるのでしょうか。ちょっと難解ですね。

【学問の場と仕事の場】
 宮台氏は学問における「通説」や武道における「型」と「企業内のルール」が同ようなものと考えておられるのかのしれません。

 「通説」や「型」は、長い歴史の中で、多くの人の評価に耐えて生き残っていますから、無批判に受け入れる価値があるかもしれませんが、「企業内のルール」にはそのような歴史はありませんし、批判もされていないことが多くあります。

 つまり、仕事をしていく上で企業のルールをとりあえず受け入れることが有効か否かは、自明ではないと思います。 少なくとも、昨今の大手企業の不祥事は、社員が無批判にルールに従ったことに原因があるように思えます。

 ここが、宮台氏の論理展開に付いていけなかった部分です。

【ルールやマナーを超えたところにある価値】
ご指摘の、「ルールやマナーを超えたところにある価値」はイメージできませんでした。

【若い世代に伝えること】
 歳をとったせいか、若い世代の人には積極的にちゃぶ台を返してほしいと思います。そうすれば、前世代から何を伝承し何を捨てるか明確になるでしょう。
 伝承は伝える側(多くの場合年寄り)と伝えられる側(多くの場合若者)双方が具体的な行動を起こす必要があります。
 伝承すべきことを明確に認識している年寄りは伝えるための具体的な行動をしています。少数かもしれませんが合理的に考えられる年寄りは皆無ではないでしょう。(贔屓目かもしれませんが)
 伝えられる側に必要なのは問う姿勢だと思います。何でも無批判に受け入れる人は先代の劣化コピーにはなりますが、先代から伝承し先代を超えることはできません。

【年寄りに必要なこと】
 アラ定になったら、他人の取るべき行動より、自分ができることを考えるようになったのですが、職場において年寄の役割は、
「それって意味あるんですか?」と尋ねる若者の真意が
  ・対象の意味を真剣に学びたいという学びの姿勢
であっても
  ・対象を見下す拒絶の姿勢
であっても、意味がある理由を真摯に答えることだと思います。
たとえそれが「妥協の産物」や「必要悪」であっても、思考過程を伝えるべきであろうと思います。
経験と自戒を込めてそう思います。

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 コメントをいただき、皮肉じみた投稿から一歩踏み込んだ思考ができました。
 ありがとうございました。

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