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2018年11月

2018年11月30日 (金)

ずれた反論 <わざとずらすヤツは厄介だ>

NHK高校講座 ロンリのちから(19) ずれた反論
スクリプトは→(https://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/ronri/archive/resume019.html)

 たまたま休みだったので、何気無しにEテレを見ていたら、ロンリのちからをやっていた。一般社会では、ずれた反論はよくある。 社会に出る前に論理的思考ができるようになっておくのは重要だ。さすがEテレ。

 非論理的な人はずれていることを認識していないし、ずれた反論をするのがカッコイイと勘違いしている人も見かける。

反論がずれるのは↓のような場合だろう。

  • 感情的になっている
  • 議論するつもりが無い
  • わざとずらしている。

感情的になっている

 自分が咎められたときに、「お前もやっているじゃないか」という反論。
 論理的な正解を求めているわけではなく、咎められたから感情的になって反論しているだけだ。
 感情的になって論点を無視して反論するからずれる。

議論するつもりが無い

 よくあるのは「お前が言うな」という反論。
議論するつもりはなく相手を叩きたいだけだけだ。
特にネットは多いように気がする。

わざとずらしている。

 会議などでわざとずらす輩が一番厄介だ。
 わざとずらす輩は賢い奴が多い。

###

 なぜ意図的にずらすのか考えてみた。

 わざとずらす輩は議論したくないのだろう。
 会議は、論点を明らかにして議論して正解なり最善策を見付けるのが目的だ。 ところが、正解なり最善策が見付かると、行動しなくてはならないし、それまでの考え方や行動を変えなくてはならないことがある。

 意図的にずらす輩は、賢いが故に結論が早く見えて自分のやるべきことが分かる。 
だけど、それをやりたくないのだろう。

 一般的には、生産性の低い組織には、ずれた議論が多い。 逆に言うと、ずれた議論が多い組織は、正しい議論、合理的な行動ができない組織だ。

 「組織」を「人」に変えても同じ。



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2018年11月28日 (水)

発達障害 <グレーゾーンを認識する>

発達障害 岩波明 文藝春秋

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 「発達障害」という言葉はメディアで多く取り上げられるようになってきた。 

 岩波明氏は、

特に問題だと思うのは、業務におけるパフォーマンスの問題と発達障害を安直に結び付けてしまうことです。もちろん、仕事がうまく進められなかったり、失敗を繰り返したりしてしまう背景には発達障害の特徴が隠れている可能性もあります。しかし、あまりにも拙速かつ無責任に障害を持ち出すことで、働く人それぞれの個性を見極め、能力を活かし、育てるといった社員育成の視点が軽視されてしまうのではないかと危惧されるのです。

とおっしゃる。

 「発達障害」という言葉が一般的になっても、サポートできる人が増えたわけではないし、人事が適材適所になるわけでもない。 もっと困るのは、自分がグレーゾーンだという自覚なく昇任した人がクラッシャー上司(2018/05/10)になることだろう。

 ASDとADHDの人の能力については

 いわゆる「天才」と呼ばれる常人とはかけ離れた能力をもつ人たちは、明確な診断がつくかどうかは別として、発達障害的な特徴を持っていることがかなりの割合で認められる。これは特に自然科学と芸術の分野で顕著であり、ASDの特徴を持つ頻度が高い。
 一方で、ADHDの特性を持つ人は、その過剰な集中力により、デザイナー、イラストレーター、小説家などの専門分野において才能を示すことがしばしばみられる。

らしい。

 芸術や自然科学には関係ない職場でなくても、調査や研究、プログラミングなど高い集中力が活かせる職場はある。 だからグレーゾーンの人でも高い能力を発揮できる可能性はある。 

 しかし、経験則ではグレーゾーンの人が高い能力が発揮できるかどうかは運次第だと感じる。

 芸術家のように個人で仕事ができる職業ならば人間嫌いのような対人関係構築・維持能力の低さはキャラクタの一部としてとらえられる。 しかし、たいていの職業では対人関係が重要だ。 重要どころか対人関係を構築・維持する能力(対人関係能力)が許容値に入っていなければ、そもそも能力が評価されない。 よく聞く「適材適所」は対人関係能力を持つ者が対象だ。

 対人関係能力に着目して特殊能力が発揮できる条件を考えてみた。

 当然のことだが、対人関係は人と人との間で存在する。 
そして、対人関係を構築・維持できるのは、関係する2人の対人関係能力の総和が閾値を超える必要があるのだと思う。 

↓のように、対人関係能力の総和が閾値を超えると、高い能力が発揮できるようになる。

Photo

↓のように、一方の対人関係能力が低くてももう一方の対人関係能力が高ければ、対人関係は構築できるし持続できる。 

Photo_2

しかし、↓のように、相手の能力が普通以下だったら対人関係を構築することはできないから、高い能力は発揮できない。

Photo_3

 つまり、特殊な能力が高く、対人関係能力が低い者がその能力を発揮できるかどうかは、相手次第、環境次第ということだ。

 特殊な能力が高く、対人関係能力が低い者の戦略は3つ。

  1. 自分の能力を評価してくれる対人関係能力が高い人が現れるのを待つ。
  2. 自らの対人関係能力を向上させる
  3. 自分の能力を評価してくれる対人関係能力が高い人を探す。

 

1. 自分の能力を評価してくれる対人関係能力が高い人が現れるのを待つ。

 この戦略は対人関係を自分から開始しない受け身だから成功するかしないかは運次第だ。戦略が無いとも言う。 過去の自分を考えるとこの戦略だったような気がする。

2. 自らの対人関係能力を向上させる。

 能動的に対人関係を開始するところが1の戦略とは根本的に違う。

 高い能力を獲得する必要はない。 許容値に入ればよいのでHowTo本を読んでできそうな項目から始めてみるとか、人と会話する機会を増やすなど。 (世間話の難度は高い)

 経験では、部外の人と話す機会を増やすために技術系の展示会に行って世間話の訓練をしたら、名刺交換してもらえるくらいなった。

3. 自分の能力を評価してくれる対人関係能力が高い人を探す。

 この戦略も能動的だ。 能力を評価してくれそうな人を探してマネジメントをお願いする。

 当然、評価してもらうだけの能力があることが前提だ。 マネジメントをお願いできるくらいなら最低限の対人関係能力はクリアしているのかもしれない。

まとめ

 特殊な能力が高く対人関係能力が低い人は 「自らの対人関係能力を向上させる」という戦略がよさそうだ。

 目標とする対人関係能力は高いレベルでなくて良い。 最低限レベルをクリアすれば良いので、決して無理ではないと思う。



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2018年11月26日 (月)

もし部下が発達障害だったら <もし自分がグレーゾーンだったら>

もし部下が発達障害だったら 佐藤恵美 ディスカヴァー・トゥエンティワン

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グレーゾーンと管理職

 グレーゾーンでなんとかやってきて、管理職(上司)になった人は参考になると思う。

 グレーゾーンの人がこの本を読むと改めて自分の足りないところと、適応したところ(代償的機能)が分かってくる。 目立った問題が発生していないグレーゾーンの人は今の仕事が向いてるか、周りの人にサポートしてもらっているのではないか。

 管理職になると向いてない仕事もやらなければならないし、サポートも受けにくくなる。 何より部下をサポートしなければならなくなる。

 管理職をやる上で、他人の心情を察することができないことは致命的だ。

 サポートが受けられない状況で向いてない仕事や他人の心情を察する仕事をやらなければならなくなると問題が顕在化する。

クラッシャー上司 (2018/05/10)

 問題が顕在化したときに最も困るのは、グレーゾーンの人がクラッシャー上司化することだろう。 長く仕事をしていると一度や二度見たり聞いたりしたことがあるだろう。 部下を次々と病院送りにする上司だ。

 一種の代償的機能なのかもしれない。自分が傷付かないようにすることが周りを傷付けてしまう。 階層的で縦割りの組織は管理職に権限が集中力しやすいから影響が大きくなりがちだ。

 特にグレーゾーン上司とグレーゾーン部下の組み合わせの場合は双方とも相手の心情を理解しようとしないので、どちらかが健康被害に至る可能性が高い。

 また、グレーゾーンのクラッシャー上司は「合理的配慮」ができない。 自らの保身を図ることはできるけれど。

佐藤恵美氏は

発達障害の特徴を持つ人は、自分自身の特徴について的確に理解することがとても大事です。「自分はこういうことにこだわる傾向がある」とか「聞き取ることが苦手だ」などを知っていることによって、いたずらに自分を責めたり、防衛的な気持ちから周囲に攻撃的・他罰的になったりすることなく、自分が最もうまく働ける方法を工夫したり調整したりする方法を見つけていける出発点になるからです。

とおっしゃる。 これは今までなんとかやってきたグレーゾーンの人にも当てはまる。

 診断を受けなくても、自分にそのような気質があると認識すれば自分を客観視する際にバイアスをかけることができる。 自分を客観的に認識できれば対策ができるようになる。

もう一度、グレーゾーンと管理職

 特に、管理職に求められる能力が欠けているなら、昇任には慎重になった方が良い。 「発達障害」という言葉は広まったが、誰でも無条件にサポートしてくれるわけではない。

 組織は人を正確に判定しているわけではない。特定分野で高い能力を持っている人が、周囲のサポートを受けて成果を上げた場合、サポートを受けた能力までも高いと誤認されることは多い。

 管理職に必要な能力のサポートを受けた人はサポートが無ければ管理職に必要な能力が足りない。 当然のことだが、管理職に必要な能力が足りなければ業務に支障が生じる。

 しかし、自分の能力を客観的に認識していれば、足りない能力を補ってもらうことができる。 補ってもらうのは、上司であったり、同僚であったり、部下であったりだ。

 能力を補ってもらった場合、世の中はギブアンドテイクだから、少なくとも補ってもらった分は得意な分野で貢献しなければならない。

その覚悟が無いなら、管理職にはなるべきではないと思う。



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2018年11月24日 (土)

高専ロボコン2018

 NHKで高専ロボコン関東甲信越地区予選をやっていた。

 今年のお題はペットボトルを投げて8つの台に立てるというもの。ルールブックには、ボトルはフリップ(宙返り)させなくてよいとある。 しかし、フリップにこだわるチームもある。

 高専ロボコンは手動操縦ロボットだったが、今年から自動制御ロボットが導入されたようだ。 

 最近のABUロボコンを見ていると東南アジア諸国との差が気になる。 インターネットは地域格差を解消したから、情報や部品が無いとか、あっても入手できない時代ではなくなっている  アイディアとそれを形にする能力、創造力で勝負できる時代になったということだ。 それが、ABUロボコンでの日本の低迷の一因なのだろう。

閑話休題

 関東甲信越地区予選は、東京高専Bが優勝、産技高専荒川キャンパスAが準優勝。
全国大会出場はこの2校と推薦で群馬高専Aと長岡高専Bが出場する。

 長岡高専Bのアイディアはトランポリン。 手動ロボットが投げたボトルを自動ロボットがトランポリンで弾いて台の上に立てるというもの。 残念ながら地区大会では立てることができなかったが、わざわざ難しいアプローチで挑むのが高専ロボコンの醍醐味だ。
(長岡高専Bだけでなく長野高専Aもトランポリンだった。)

 技術を職業にすると課題を効率良く確実にクリアすることを求められる。 言い換えると、いかに100点満点に近づけるかというアプローチだ。 一方、自ら課題の難度を上げるのは100点満点を超えようとするアプローチだ。

 わざわざ課題の難度を上げるのは、金を儲けなくて良いという環境が与えられた若者の特権だ。 オヤジ達は「技術の無駄使い」と言うけれど、かなり羨ましかったりする。

 11/18日のサイエンス・ゼロでも高専ロボコンを特集していた。
都城高専Aはトランポリンで一番高い台に立てることに成功していた。 試合には負けたけど優勝したような喜びようだった。

 全国大会は11/25日に生放送するらしいが見れそうにない。12/24日に収録版の放送を見ることにしよう。


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2018年11月22日 (木)

自分が老害になっていないか確認する12の項目

自分が老害になっていないか確認する12の項目 成迫剛志の『ICT幸福論』 2018/11/07

チェックリストを引用すると、

  1.  自分の価値観での評価に偏りがちであり、反対意見を聴くことが少ない。他人の話を遮って持論を長々と語ってしまう。
  2.  評論家的なポジショントークが多くなり、具体的なActivityについて自ら手を染めることが少ない。
  3.  他人の意見に対して、まず否定的なことを言ってしまう。ただし、著名人の意見には絶賛しがちである。
  4.  現在の事象を、過去の事象の再来として扱うことを好み、過去の経験の枠から離れた思考をすることができない。
  5.  本質の議論ではなく、議論のすり替えを行うことで自分が議論に負けないようにすることがある。
  6.  ネガティブなニュースに対して、自分は以前から"そう思っていた"、"最初からそう言っていた"と言ってしまうこと、発信してしまうことが少なくない。
  7.  苦労なき成果を認めることができない。結果よりもプロセスを重視しがちである。
  8.  現場離れした原理主義的な発言が多くなり、現場の面々から鬱陶しく思われていることに気づけない。
  9.  多忙を理由に約束や時間にルーズになりがちである。
  10.  肯定派の中でちやほやされることを好み、否定派との交流を持つことを避けがちである。
  11.  外部との交流を重視し、内部の状況把握やヒアリングを疎かにしがち。ゆえに、外部の知見を内部に持ち込めず、また内部の本当の困りごとを理解できていない。
  12.  直接または間接的に所属している組織に関してネガティブなことを外部で言ってしまう。内部で指摘したり、改善したりしていないにもかかわらず、何故か外で毒を吐いてしまう。

これって、老害というか誰でもあるんじゃないだろうか?

 老害にならないようにするにはどうしたらいいんだろうか? 対策はどうするの? 

 老害と言うくらいだから原因は加齢ということか。 加齢が原因ならば若いときを思い出して行動すると老害が予防できるのではないだろうか。

 だけど、若いけどこういう特性をもった人はいるからなあ...

 あるあるで終わる話って、「評論家的なポジショントークが多くなり、具体的なActivityについて自ら手を染めることが少ない。」ってことか?


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2018年11月20日 (火)

謝恩会 <人材育成への本気度が分かる?>

謝恩会は広辞苑によると、

感謝の意を表すために開く会。多く、学生が卒業時に教師に感謝して開く会をいう。

らしい。

 生徒たちが自分たちを毎日指導してくれた教師に対して感謝の意を表すのは日本の麗しき伝統だ。 だから、師弟関係は家族関係、友人関係、とは違う特別な関係になるのだろう。

 教師が「師」であろうとするなら、学生の感謝の意は受け止める。つまり謝恩会には万難を排して出席するだろう。 逆に、教師が謝恩会を欠席する行為は、学生に対して師弟の関係ではないと公言しているようなものだ。

 では、毎日接していない講師や直接指導していない総務、庶務、企画部門などの裏方はどうか?

 講師や裏方は教師と同様に重要で、教育の目的を達成するためには欠かすことができない存在だから、講師や裏方に対して学生が感謝の意を表すのは当然である。

 とすると、感謝の意を表された講師や裏方が謝恩会を欠席する行為は、学生に対して関係を持ちたくないと公言しているようなものだ。 つまり、講義を依頼されたからとか、業務だからという理由で関わっただけで、学生を指導・教育するつもりはないという意思表示だ。

 組織内の研修ではどうか?

 昔に比べて人材育成は重要だと言う人は多い。 実際に多くの研修を行っている組織もある。 表向きには...

 謝恩会や懇親会に出席した人を見ればその組織がどれだけ人材育成を本気で考えているかが分かるのかもしれない。

2018年11月18日 (日)

uPD78310ワンボードマイコン

 ヤフオクに「ワンボードマイコン(16bit uPD78310) 600円」が出ていた。 uPD78310ってなに?だけど、残り時間が無かったのでとりあえず落札しておいた。

 uPD78310を調べてみたら NECの78K/IIIシリーズらしいことが分かった。

Upd78310g

 78Kシリーズの系譜は、「【マイコンデータ室】NECエレクトロニクスの系譜(1)「8ビット~16ビット」《修正あり》」日経XTECHにある。

 簡単に言うと、祖先はZ80互換のuPD780で、それをワンチップ化したのが78K/0シリーズ、78K/I、78K/IIと8bitで高機能化し、78K/IIIで16bitになって、78K/IVは16bitのミドルレンジで最近まで生き残っていたらしい。

 今は78K0Rをコアとして78KとR8Cを統合してRL78Kシリーズになっている。

 落札したボードは、uPD78310Gを使ったシンプルなボードで、F/W用のEPROMが載るようになっている。

Kpc4494v0

 開発環境を探すと、なかなか見つからない。
 アーキテクチャはZ80を踏襲しているのだが、さすがにハンドアセンブルは面倒だ。 
ホビー用ではなかったようだから、freeのコンパイラが無い。

 78Kは78K/IVシリーズが最後まで残って、そして78K/IVは78K/IIIの上位互換らしい。ならば78K/IVの開発環境が使えるのではないか?  ひょっとしたらRenesasのサイトにあるかもと思い、探してみると78K/IVの開発環境があった。

 ところが、日本のサイトはリンク切れになっていてDLできない。 

 USのサイトからCC78K4がDLできた。アセンブラソースを出力して修正して、78K/III用のアセンブラでアセンブルすれば、そんなに大変ではないだろう。

 ところが、78K/IVのCコンパイラCC78K4のパッケージは古い。

 64bit版Windowsではインストーラが動作しない。 しかし、なんとかインストーラは動かすことができた。

 ところが、インストールにはプロダクトIDが必要らしい。 orz

 昔は、評価版とか機能制限版はなかったからなあ。

 困った、コンパイラが無い。


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2018年11月16日 (金)

リーダーの力に依存する「コントロール型の組織

リーダーの力に依存する「コントロール型の組織 組織改善研究所  2018/03/18

投稿者の 初瀬川達郎氏は

組織が成長するには
段階があります。

形成期(フォーミング)
 ↓
混乱期(ストーミング)
 ↓
規範期(ノーミング)
 ↓
変革期(トランスフォーミング)

とおっしゃる。

 そしてリーダーによる支配的な組織はフォーミング状態で、この状態の組織はリーダーの能力に依存すると。

 この状態を脱するためには、リーダーはコントロールを手放すのだとおっしゃる。
そうすれば組織はストーミング状態になって次の段階に進むのだと。

 現実は、コントロールは手放せないものだと思っている人は多い。
リーダーではなく管理者は、そもそもコントロールするのが仕事だからコントロールを手放すと仕事が無くなってしまう。 そう考えると組織のコントロールを手放せる人は極めて少ないのだろう。

 もう一つ問題があるのは、コントロールされたいと思っている人も多いということだ。

 普段管理者にコントロールされ慣れている人はコントロールが無くなると不安になるのだ。 だから、リーダーや管理者がコントロールしている組織のコントロールを手放すと、混乱(ストーミング)にならず停止(ストール)してしまう。

 混乱(ストーミング)になるためには真のリーダーが必要なのだと思う。
###
 コントロールする人はリーダーではないと思うのだが、定義が違うのか?

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2018年11月14日 (水)

「人間力」を磨いてきた人を処遇できるのか

本書を広く薦めることで、自らクビを絞めることになる!? (2018/11/03)

私は本書で示されている「人間力」を持つ若者が多く市役所に入職してくれたのなら、とても心強いと感じます。

でも、そんな若者を今の多くの市役所は採用時に正しく評価できるでしょうか。

そんな若者に対して、今の多くの市役所は、彼らにとって価値ある経験を提供できるでしょうか。

本書で掲げる「人間力」を磨いた学生を、正確に評価し、(お金や身分保障ではなく成長の機会など)相応の対価を用意できる自治体が生駒市以外にどのくらい多くあるのか、私のような現役の公務員でも正直約束するのが難しいと感じています。

 このブログを書いておられる島田正樹氏はさいたま市役所職員として勤務される傍ら、NPO2枚目の名刺で活動したり、公務員キャリアデザインスタジオなどを主宰しておられる。

 この本とは「公務員面接を勝ち抜く力 小紫雅史 (2018/11/12)」のことだ。

 役所という枠にとらわれない活動をしておられる、島田正樹氏にして冒頭の感想である。
真面目に考えるからこその感想かもしれない。

 島田正樹氏の懸念は2点

  • 「人間力」を磨いた学生を、正確に評価できるか
  • 「人間力」を磨いた人材を、に相応の対価を用意できるか

だ。

 「人間力」を磨いた人材に対して採用時の人物の評価や採用後の仕事の評価を行うときに、古い時代の価値は使えないから、「価値があること」を再定義して、それを組織の中に浸透させなくてはならないだろう。

 つまり、組織の風土改革が必要だということだ。 風土改革は一朝一夕にできるわけではないから、「人間力」を磨いた人材が直ちに活躍できない。 これが島田正樹氏の懸念だろう。

 おそらく小紫雅史氏もその懸念は分かっておられるのではないだろか。 20年、30年間組織が求めるように働いてきた人の働き方は短期間では変わらない。

 しかし、今後環境の変化は外圧として作用するので一から風土を変えるより早く変わるのではないだろうか。 そのときに重要なのは現場を変える若い人達の力だ。 

 古い価値観の幹部はトップダウンで対応できる。 しかし、トップダウンは往々にして現場まで届かない。 だからこそ、現場に「人間力」を磨いた人材が必要なのだろう。

 小紫雅史氏の著書(「公務員面接を勝ち抜く力」)は、「公務員に安定を求める人は応募しないでほしい」とも読める。

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 御多分に漏れずウチでも優秀な人材が欲しいという要望はよく聞く。
しかし、「優秀な人材」の定義は昔のままで、外見のスペック重視だ。 「人間力」を磨いた人材がいたとしても、その人は「優秀な人材」ではない。

 「優秀な人材」が採れたとして、彼らをどのように育成するか。 どのようなキャリアパスを提示し、どのような成長機会を与えるかについては議論は少ない。

 50年以上前の価値観に縛られた錆び付いたキャリアパスとお仕着せのやりがいを与えようとする。 若い人達は、とても10年先に成長した自分の姿は想像できないだろう。 特に「人間力」を磨いた人には。

 よく考えてみると、はるか昔の価値観を評価もせず受け継いで、価値観を変えなかったのは我々の世代だ。

 だから、安定しているからという理由でこの職場を選んだ人が入ってくる。
そして、年寄りは自分の価値観が正しいと安心するのだ。

 偶然「人間力」を磨いた人が入ってきても、寄ってたかってスポイルしてしまう。
そして、年寄りは自分の価値観が正しいと安心するのだ。

 社会が安定している時代に安定を求めることは悪いことではない。しかし、社会が変わろうとしているときには、変化に対応して挑戦することが求められる。 

 年寄りは古い価値観を持っていても生駒市のように変化を求められないだろう。 しかし、変われないとしても、せめて多様な価値観を許容することが必要ではないか。

 価値観を変えなくてよい。 安定か挑戦かの2択でなく、自分とは異なる価値観を認めることから始めればよい。


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2018年11月12日 (月)

公務員面接を勝ち抜く力 <面接のノウハウ本ではない>

公務員面接を勝ち抜く力 小紫雅史  日本実務出版

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 読み終わったあとの感想は、「役所の仕事って面白そう」。
希望が湧いてくるというか、楽しそうというか、やり甲斐がありそうな仕事というか、役所の仕事って面白そうという感じだ。

 生駒市の採用倍率が関西1位になるのは納得である。

 タイトルは地方自治体職員を志望する人向けだが、対象はもっと広ろく、いろいろな人に向けたメッセージが含まれていると感じる。

  • 生駒市職員になろうとしている人に向けたメッセージ
  • 安定しているという理由で自治体職員を選ぶ人に向けたメッセージ
  • 地方自治体職員になろうとしている人に向けたメッセージ
  • 地方自治体現役職員に向けたメッセージ
  • 生駒市長としての施政方針演説
  • 今後変化する社会を担う人へのメッセージ

など

 小紫雅史氏の未来に対する認識は賛成だ。
生駒市だけに訪れる未来ではなく、全国の地方自治体や民間企業にも訪れる未来だ。つまり、どこにでも、誰にでも訪れるであろう未来だ。

 そして、この本に書かれたことは小紫雅史氏が首長を務める生駒市のあるべき姿に留まらず。日本の自治体のあるべき姿だ。

 

 だから、 生駒市を受験しようとしている人でなくても、まるで自分に向けて書かれた本のように感じるのだろう。

 トップが将来展望と役所のあるべき姿を内外に示すというのは、簡単そうだが、それほど簡単ではないだろう。 いくら麗しいビジョンを語っても、既得権にしがみつく反対勢力や抵抗勢力はいるものだ。  おそらく、市役所職員の中にもいるだろう。

 人間はそんなに簡単に変われるものではない。20年30年働いてきて染み付いた価値観は一晩では変わらない。 抵抗勢力を変えるのは難しいから、将来職員となるであろう若者の考え方を変えたり、価値観が同じ受験者を増やそうという戦略なのだろう。

 また、生駒市民がこの本を読むと、オカタイ役所が変わるのではないかと期待するのではないだろうか。 そうすると支持率も上がって一石二鳥だ。下世話な話になってしまった。(^^;

 将来起こることには目を向けたがらない人は多い。 しかし、予想した未来がやってきてからではできることは限られている。

 例えば、少子高齢化社会は必ずやってくる未来だ。市役所は特に影響が大きいだろう。 ところが、ピンときていない職場や職員は多いのではないだろうか。 さらに、自分の職場は地方自治体ではないから関係ないと思っている人も多いのではないか。 

 これまで組織の中から外を見てきた人は、外から自分たちの組織を見ることができないから、少子高齢化社会になったときの影響を客観的に考えることができないのだ。

 自分の職場を客観的に見ることができない人は、根拠無く楽天的だ。

 この本に書かれているようなことを、50過ぎのおじさんに話してみると一様に反応が薄い。 確かに現職でいる間は影響はないだろう。 しかし、定年退職した後には必ず訪れる変化で、しかも、そのときにはまだ働いているから少なからず影響は受ける。 それが、想像できないのだろう。

 いや、想像できるような説得力がないのだろう。そこが、アラ定のオヤジと小紫雅史氏との情報発信力の違いかもしれない。

 50過ぎのおじさん達は変わることが難しくのなら、若い人たち働きかけよう。


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2018年11月10日 (土)

減点法で評価する管理者 

 現場にいたときは、自分の強みとか弱みとか考えたことは無かった。
興味の趣くままに仕事をする「使えない奴」だったように思う。たまたま興味と時代が一致したのは運が良かった。

 マネジメントするようになって分かったことは、↓このような人が「優秀な人」とされている。

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 チームとして成果を上げようとすると、何でも卒なくこなす人はありがたい。
チーム全員がこのような人だと、仕事によってアサインする人を考えなくてもよいので楽だ。 

 でも、成果は高が知れている。良くて及第点。均一性が災いしてモチベーションが下がると成果も上がらない。

 マネジャとしては、成果を上げるために高い能力を持ったひとが欲しい。しかし、幅広い分野で能力が高い人などいない。 高い能力を持った人はたいてい「尖った人」だ。

 「尖った人」は一般の人より劣る能力があるものだ。
それが致命的に劣っていなければ、スペシャリストとして活躍できるのだが、致命的に劣っている場合「変な人」になってしまう。特にコミュニケーション能力が劣る場合は顕著だ。

 管理職と呼ばれる人には、マネジャと管理者がいるようだ。

 管理者は減点法で評価したがる。
「尖った人」は能力を発揮する前に劣る部分が目に付くので、「劣る人」として評価される。しかも致命的に能力が劣っていると「どうしようもないヤツ」と評価する。

 成果を考えず、仕事を卒なくこなすことを考えている管理者にとっては「劣っている人」は排除すべき対象だのようだ。

 下の図なら「尖った人(青)」も「尖った人(赤)」も許容レベルを下回っている分野があるので「どうしようもないヤツ」だ。

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 マネジャは加点法で評価しようとする。 マネジャは成果を考えるので優れた部分を探そうとする。 劣る部分は誰かがカバーすれば良いのだ。

 下の図のように、「尖った人(青)」と「尖った人(赤)」が互いに補完すれば高い能力を発揮できるはずだ。

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 「尖った人(青)」と「尖った人(赤)」が補完し合って仕事をしていて、「尖った人(青)」が首尾よく成果を挙げた場合誰を評価するのか?

 マネジメント的には成果を上げた「尖った人(青)」とそれをサポートした「尖った人(赤)」だ。 そして、組み合わせたマネジャも。σ^^)

 ところが、減点法で評価したがる管理者は、「尖った人(青)」も「尖った人(赤)」も評価しない。 
「尖った人(青)」は助けてもらっているから自分の成果ではないという。
「尖った人(赤)」の助けたことは、間接的だから成果ではないという。
つまり、一人で完結しなければ評価しないのだ。 ?_?)

 そんな仕事今時ないだろう。

 では、誰を評価するかと言うと「頑張った人」らしい。
つまり、成果に対してどのような役割を果たしたかという客観的な事実は関係なくて、「頑張りました」という主観的な主張が重要らしい。

 主観的な評価をする人の共通点は、他人の評価を異常に気にする事だ。だから評判や過去の評価を気にする。  まるで、良い評価するのを恐れているようだ。

 評判や過去の評価に左右されず客観的な事実を基に評価するのを阻んでいるのは、自分の弱い心だろう。


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2018年11月 8日 (木)

蜘蛛の糸

 ようやく座れた電車の座席でうとうとしながら蜘蛛の糸のことを考えていた。

 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」誰でも一度は読んだことがあるだろう。あの蜘蛛の糸だ。
蜘蛛の糸は縁のことらしい。 地獄から脱出できた人とできない人の差は半端なく大きい。 でも蜘蛛の糸を登れるかどうかの差は極々わずかなのだろう。

 昔蜘蛛の糸に掴まったことがある。
地獄にいた訳ではない。ようやく見つけた居場所だった。

 登ると違う世界が開けていた。
他に掴まっていた人を蹴落としたりはしていない。そもそも人に興味がないので誰が掴まっていたのかさえわからない。

 違う世界は楽しい。普通にしていなければならないことを除いては。

 ある日偶然通りかかった路地で何気なく塀の隙間を覗くと下の方に昔いた世界が見えた。そこには昔の自分がいるではないか。 相変わらず駄目な男だ。

 しばらく見ていると昔の自分ではなく、自分に似た男だと気がついた。

 偶然、蜘蛛がいたので糸を貰って自分に似た男に垂らしてみた。

 すると、閻魔様に見つかったらしく使いの木偶がやってきて、今すぐ蜘蛛の糸を切ってその男を地獄に落とせと言う。 なんでも、その男は昔、閻魔様に無礼を働いたことがあるらしい。

 相手が閻魔様でも理不尽な指図をされる筋合はない。
使いの木偶では話にならないので閻魔様に会いに行くことにした。

 訴えた。蜘蛛の糸を登った自分が糸を切ったらカンダダと同じではないかと。

 その男が蜘蛛の糸を掴むかどうかはわからない。掴んだとして登れるかどうかはお釈迦様ではないのでわからない。 無事登れても閻魔様には許してもらえないだろう。

 閻魔様は仰る。一生その男の面倒を見るのかと。

 全ては偶然だ。偶然昔いた世界を覗き、偶然その男を見つけ、偶然蜘蛛がいた。全ては偶然だ。

 などと、訳の分からないことを言っていたら、電車が止まるときにの揺れで目が覚めた。 3つ先の駅だった。


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2018年11月 6日 (火)

なぜ、企業は不祥事をくりかえすのか

なぜ、企業は不祥事をくりかえすのか 樋口晴彦 日刊工業新聞社

Photo

 有名な事件・事故の発生原因とメカニズムを分析した本

 Amazonの書評の中には、著者が所属する組織に関する記述が無いという指摘がある。
しかし、それは無理というものだ。 細部まで知っているだけに公開するのは難しい。それが組織人というものだ。

 この本では事故を分析して原因とその関係が示してあるが、背景となる原因全てを挙げてあるわけではないだろう。 部外者の著者が知りえない原因もあるだろうし、取り上げると本質が見えなくなることもあるだろう。 ちょっと詳しい部外者くらいがちょうど良いのだろう。

 そう考えると、組織で事故や不祥事の調査委員会のメンバーを見たら、その組織の事故防止、不祥事防止への本気度が見えてくるのかもしれない。

 環境の変化は見落としがちな要因だ。

  • 「上尾保育所における児童死亡事故防止」における、コスト削減の影響
  • 「東京ドーム遊戯施設「舞姫」の死亡事故防止」における、
  • 「東海テレビ「ぴーかんテレビ」放送事故防止」
  • ベネッセ情報流出事件

に共通する原因は、「コスト削減」だ。その結果、社員の労働か悪化したり、バイトやアウトソーシングによる、「モラル低下」が事故につながっている。

 「衣食足りて礼節を知る」の例えは、一見事故には関係が無いように思えるが、実は事故への第一歩なのかもしれない。

  • 最近雑用が増えて仕事に余裕が無くなった。
  • 仕事は増えたのに人は増えない。
  • 残業縮減で仕事に余裕が無い。

も事故や不祥事の第一歩なのかもしれない。


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2018年11月 4日 (日)

「強者の理論」 <この違和感は何だろう?> 

「あなたと一緒にいると惨めになる。」強者の理論と向き合う  (2018/08/18) 

入谷佐知氏のブログ。 

「自分は強者で、正論で生きてて、しんどいひとの心のありようを理解しづらい人で、ナチュラルに強者の理論を押しつける奴なのかもしれない」

と悩む心情が綴ってある。

 「『強者の理論』に傷つけられた」という「弱者の理論」を強者が聞くと、強者は「弱者の理論」に傷つけられる。

強者vs強者の関係は間合いを取って傷つかないようにすることができる。
弱者vs弱者の関係は依存しあって傷つかないようにすることができる。
弱者vs強者の関係は互いに傷つけ合う。

「強者の理論」に対する違和感

 若者の自殺に関してサッカー選手の発言が物議を醸したことがあった。 この発言を、「強者の理論」という人は多いようだ。 しかし、表面的ではないかと思う。

 便宜上

  • 努力して望む結果を得た人を「強者」
  • 努力すらできない環境で臨む結果が得られない人を「弱者」

と呼ぶことにする。

 「強者に弱者の持ちは分からない」と言う人は多い。
しかし、
 「弱者に強者の気持ちは分からない」と言う人は少ない。
本当のところは、強者も弱者も互いの気持ちは分からないのだ。

 ところが、よく考えると強者を攻撃しているのは弱者ではなく、どちらの気持ちも分からない、他者と間合いを取っている人ではないだろうか。

 自分は傷つかないようにしている人が、強者vs弱者の理論にすり替えて強者を傷つけているだけではないだろうか。

 そうすることで、傷つかないようにしている大勢の賛同が得られる。

これが、「強者の理論」に対する違和感だ。

「弱者の理論」に対する違和感

「強者の理論」が気になっていたら同じような記事を見つけた。

人を傷付ける発言の多い友人 諭すような女性の『言葉』に、考えさせられる (2018/5/31)

これは「弱者の理論」だ。

 良い悪いは別として、他人と間合いが取れず、言動で、意図せず他人を傷つける人はいる。 傷ついた人は「強い言葉」と言うが、強い言葉を発した意識はないことが多い。

 このマンガのように、悪意無く「人を傷つけている人」が、他人から忠告されたり、他人を傷つけたことが分かると、他人を傷つけた人は、その事実を知ると傷つくものだ。(冒頭の入谷佐知氏のように)

 「傷つきやすい人の気持ちが分からない」と言う人は他人を傷つけやすい人の気持ちが分からないのではないか。

人を傷つける人は、
 相手の気持ちが分からないから、本当のことを言いがち
傷ついた人は
 傷つけた人の気持ちが分からないから、正論を言いがちだ

どちらの人も同じように見える。  どちらも相手の気持ちが分からず、どちらも相手を傷つける。 

 この問題は
 傷つけた人=加害者
 傷つけられた人=被害者
では片付かない問題を秘めていると思う。

 これが「弱者の理論」に対する違和感だ。

弱者も強者も

 入谷佐知氏の

 誰かと話すとき「理解できない」という前提から常にスタートできるから。

は重要だと思う。それは弱者も強者も同じだ。傷つける人も傷つけられる人も同じだ。

 「自分は他人に理解されない」より「自分は他人を理解できない」の方が重要だと思う。

 


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2018年11月 2日 (金)

事故の原因分析 <「なぜ」が足りない>

 ある人と「事故」について話していると、どうも話がかみ合わない。

 その人は、「事故」をミスにより物理的な支障が発生することと定義しているようだった。 こちらの定義は、ミスにより問題が発生することで、抽象度が合っていなかった。

 それはさておき、

 その人は、基本が守られていないことが「事故」の原因だという。そして、現場の担当者に対して、基本を守るよう指導したという。

 かなり大きな違和感を感じたので、電話を切って考えてみた。

 「基本が守られていない」は事実なのだろう。 それは何度目かの「なぜ」から導かれた答えだろうから、間違ってはいないはずだ。

 ただし、「なぜ」は続く。

「なぜ、基本が守られないのか?」

  • 作業が立て込んで、うっかり手順を飛ばしてしまったとか、
  • 納期圧力に負けて、手を抜いたとか、
  • ヤバいと知りつつ、前回もOKだったから今回も大丈夫と思ったとか、
  • 周りの人も、手を抜いているから、大丈夫と思ったとか、
  • そもそも、基本を教えられていないとか、

「スキル不足」や「うっかり」「近道行動」「規則不遵守」など正にヒューマンエラーだ。

 どうも、「なぜ、基本が守られないのか?」が考えられていないようだ。

 「基本を守れ」と言われた現場の人に反論はないのだろうか?と考えた。

 自分が現場にいたときなら「現場の実情も知らないで正論ばかり言うな!」と思っただろう。(経験がある。) 現場の担当者には基本が守れない事情があるのだ。

 つまり、「基本を守れ」はともすれば体の良い精神論になる。 現場を経験したことがあるなら、幾度となく経験しことがあるだろう。 

 「基本を守れ」と言うことは重要だが、それと同じくらい基本が守れるような仕組みを提供することが重要ではないだろうか。

 現場を知らない管理者が精神論を振りかざすのは無理もない現場の事情を知らないのだから。(肯定はしてないけど) しかし、現場の管理者や管理部門に現場を知っている"叩き上げ"はいる。

 現場にいたとき精神論で困った彼らは、なぜ、管理部門に異動したり管理者になると、精神論を振りかざすようになるのだろうか?。

 きっと、管理部門、管理者は精神論を振りかざさるをえない要因があるのだろう。

 この問題は経営レベルでの「なぜなぜ分析」が必要な問題だ。


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