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2019年12月

2019年12月31日 (火)

2019年総括

 今年の目標は

  • 新しいことを始めよう
  • 組織風土を変えるために行動しよう 
  • 次のキャリアを探そう

だった。

〇新しいこと

 技術的なことで新しいことを始めたかったのだが、部品を買っただけで終わってしまった。

〇組織風土改革

 ここ何年か地方のマネジャーが集まるオフサイト・ミーティングを開いていたのだが、今年は開催できなかった。たぶん来年はイベントがあるので開催できないだろう。ここ数年来取り組んできた組織風土改革のは残念ながら未達だ。

 でも、悪いことばかりではない。プロジェクトでなるべくリーダーシップを発揮しないようにしたら、リーダーシップを発揮する人が出てきた。後は次世代の時代だ。

〇次のキャリア

 今年キャリアの考え方が変わった。
これまでは、定年で労働人生は終わり、完全にリタイアして年金で暮すか、年金の不足分を得るために補助的な仕事に就く。ところが、定年してから10年働かなければならない時代になってきた。10年は長い。
給料が下がるのはしかたないにしても、同じ働くなら補助的な仕事ではなく、40年働いて得た専門性や経験を活かした働き方があるのではないかと思うようになった。


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2019年12月29日 (日)

「察する文化」が日本語をダメにする!? <マークシトとスマホが原因>

「察する文化」が日本語をダメにする! 他者に伝達するという言語の本質を理解しよう【出口式「論理エンジン」の考え方】(2019/12/13)

 日本語をダメにする! はセンセーショナルだけど、日本の「察する文化」は最近始まったことではないだろう。とすると、最近、日本語読解力が低下したのは「察する文化」以外の要因ではないだろうか? と考えた。

 結論は、文章を作成するときに、提示された選択肢から選択するようになったことだと思う。

〇マークシート方式の入試

 マークシート方式の試験は、同じパターンの過去問から似た答えを見つける方法が効率が良い。なぜこの方法の効率が良いかというと、考えなくてよいからだ。過去問と正解パターンを記憶すればよいので、読解力や理解力が劣っていても何とかなる。入試に合格させることが目的の学習塾に適した方法だ。

 つまり、入試がマークシート方式になった結果、問題文を読んで理解して、正解を考えて、それを文章にして記述する必要は無く、問題文からキーワードを拾って、選択肢からそれらしい答えを選ぶようになってしまった。

〇デジタル・デバイス

 最近は、手書きで文章を書くことが無くなってきた。ほぼ、パソコンやスマホなどのデジタル・デバイスで文章を作成している。これらのデバイスで文章を作成するときには、入力したかなを漢字に変換する、かな→漢字を行う必要ががある。

 パソコンを使って文章を書き始めたのは35年くらい前だった。当時は、漢字を1文字づつ変換する単漢字変換だったから、頭の中で文章を考えて、考えた文章に必要な漢字を1文字づつ変換していた。この頃はまだ、一から文書を考えて書いていた。

 その後、かな→漢字変換機能は進化し、変換の単位は漢字から熟語、分節になり、変換精度も向上し、さらに次の分節も予測してくれるようになった。

 最近は、頭の中できちんとした文書を考えなくても、かな-漢字変換機能が提示する分節や単語を選ぶと文章が作れるようになってしまった。

 つまり、デバイス・デバイスを使うと、自分の頭で伝えたいことを考えて、伝えるための論理構造を整えて文章にして、それを記述する必要はなく、伝えたいことを漠然と考えて、自分の考えていることに近くなるように、デジタル・デバイスに表示される選択肢から選べばよくなった。

〇結論

 日本語の読解力が低下したのは、入試やデジタル・デバイスを使った文章作成で、日本語を積極的に考える必要が無くなったのが原因ではないだろうか。



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2019年12月27日 (金)

失敗によるマイナス評価を恐れる人達

失敗を恐れるのではなく、失敗によるマイナス評価を恐れる人達 (2019/12/21)

 植松電機の植松努氏は、失敗を恐れる人達は、失敗を恐れているのではなく、失敗によるマイナスの評価を恐れているのだとおっしゃる。

そして失敗しないためには、

失敗をしないためには、必勝法があります。
(1)なにもしない
(2)できることだけやる
(3)誰かの言うとおりにする
です。

これをやると、失敗しないです。
しかし、
(1)なにもできなくなる
(2)成長できなくなる
(3)考える力を失う
になります。

 若かった頃、こういう行動をしていたことがある。上司がこういう性格で、何かにつけ責任がどうのこうの言われると、つい、まあいいかと思ってしまうようになる。その頃は窮屈で仕事が楽しくなかった。

でも、

  • なにかする
  • できないことをする
  • 自分で考えてする

ようにしたら、そんなに窮屈ではない。失敗したら「それ見たことか」と言われるけど、元々そんなことを言う人たちに褒められるのを期待していない。

 コツはスルーすればよいのだ。否定してはいけない、にっこり微笑んでスルーすればよい。



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2019年12月25日 (水)

転職の思考法 <専業主婦と住宅ローンは転職の自由を失う>

転職の思考法 北野唯我 ダイヤモンド社

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 昭和の価値観に対するアンチテーゼだ。

 コンサルタントとして登場する黒岩仁が、転職を考えている会社員の青野に転職の考え方をレクチャする物語として描かれている。黒岩仁がレクチャする内容は、著者の北野唯我氏の考え方だが、物語の登場人物の言葉として記述することで、受け入れやすくなっている。

いつでも転職できるような人間が、それでも転職しない会社。それが最強だ。そんな会社だけが今の時代を生き残れる。

と黒岩仁が語る一節がある。

 確かにそうだ。
能力が高い人がいて、なぜ転職しないのか直接訊いたことがある。その人や部門が成長していているときの仕事のおもしろさは、給料には変えられないようだ。つまり金のために働いていない。逆に言えば、金のために働いていない人は、おもしろい仕事がなくなったら転職してしまうのだろう。

 この物語で転職しようとしている青野は30歳で独身だから、金のために働らかなければならないという制約がない。経験では、家族を扶養していたり、多額のローンを抱えていると、金のために働かざるをえないと考えたことがある。しがみつこうとするのは心の弱さだ。

 能力が高く、金のために働かなくてよい人は、おもしろい仕事がなくなれば転職してしまう。これは今も昭和の時代も変わらない。だから、昭和の価値観では、住宅を購入するために借金すること、家事労働と収入を得るための労働を分業するために専業主婦になることが良しとされた。この価値観を受け入れると、金のために働かざるをえなくなるから、能力が高い人におもしろい仕事を与えなくても引き止めやすくなる。

 専業主婦と住宅ローンは転職の自由を失うことを、誰も教えてくれなかったんだよな。


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2019年12月23日 (月)

最近の若者は文章が書けない?

 最近の若者は文章が書けないという指摘をよく耳にする。それは、実感するのだけれど、少々違和感を感じる。

 自分が若かったころを思い出すと、全く文章が書けなかった。上司に「お前の文章は、よく読めば分かる」と言われたときに、多少問題はあるけど分かるのだと安心した記憶がある。「よく読めば分かる」は「ちっとも分からない」の意味だと分かったのはずいぶん後のことだ。

文章を書く能力は就職して身に付ける

 文章を書く能力は学校を卒業したら身に付いているものではない。だから、就職直後に十分な文章能力を持っている人は、極めて少ないと思う。そして、それは昔から変わらないのだと思う。

 では、昔と今と何が違うのかというと。ITの発達で、文章を考える機会が減ったのだと思う。昔は、手書きかタイプライタで文章を書いていたが、今時はワープロかエディタだ。手書きやタイプライターで文章を書くと修正が大変だから、頭の中で文章を考えて、推敲してから文字にする。一方、ワープロやエディタで書くときには、とりあえず思いついたことから書いて、編集機能を使って推敲して文章にする。

 修飾関係が複雑な文章を頭の中で考えるのは大変だ。短文ではなく修飾関係がある文章を頭の中で考えられるようになると、文章を書けるようになると思う。

 働くようになって書く文章には、たいてい目的がある。それが、業務の一部であれば、文章のスタイルや用字・用語に決まりがあるから、それを真似ることから始めて、練習すると仕事で使える文章が書けるようになる。つまり、最初から文章を書ける若い人たちがいるわけではなく、働き始めてから、文章能力を獲得するのだと思う。

 働き始めてからしばらく経過しているのに、文章が書けないのは、良い指導者がいないか、自ら学習していないのだろう。

文章を書くための指導者

 経験では、拙い文章を添削してくれるのは上司だった。添削してくれるのだが、添削した理由を教えてくれる人はいなかった。いちいち説明するには時間が足りなかったり、経験や暗黙知で添削しているので説明できなかったりするから、無理もないことだ。

 しかし、添削される側は、誤字・脱字を除いて、なぜ添削されたかわからないから、何度も同じように添削されていた。そのうち、直されないようにしようとせず、直してもらうことを前提に書いていた。典型的なダメな奴だ。

 ダメな方法でなんとか乗りきっていたのだが、他人の文章を添削する側になって困ってしまった。添削に自信はないし、直した根拠訊かれると答えられない。とうとう、困って文章の書き方本を読んだ。そして、分かったことは、書き方には法則があるということだ。学校の先生も、職場の上司も教えてくれなかったけど、ちゃんと法則があった。

添削した理由を説明する

 最近の若い人は文章が書けないと嘆いている人は、他人の文章を添削するするときに、直した理由まで説明するとよいと思う。嘆いているだけでは、何一つ変わらない。

 他人の文章を添削するときには、よほど時間が無いときに以外は、直した理由を説明している。助詞も明らかな間違い以外は説明している。「の」や「で」は意味が多いので説明が大変だけど、自分のためでもある。


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2019年12月19日 (木)

緊急ではないが重要な仕事 <重要な仕事をやる>

自己啓発本の古典、スティーブン・コヴィー の7つの習慣に、時間管理マトリックスという、緊急度と重要度のマトリックスがある。

重要度/緊急度 緊急 緊急ではない
重要
第I領域

・危機や災害、事故、病気
・締め切り直前のタスク
・クレームへの対応
・直前に迫った会議の資料づくり
第II領域

・人間関係づくり
・体力づくり
・スキルアップ(自分を磨くこと)
・準備や計画
・適度な息抜き
重要ではない
第III領域

・無意味な電話やメールへの対応
・突然の来訪への対応
・多くの会議
・無意味な接待やつきあい
・多くの報告書
第IV領域

・暇つぶし
・長時間、必要以上の息抜き
・だらだらとした電話
・世間話
・その他、無意味な活動

 7つの習慣は覚えていないけど、このマトリックスはよく覚えている。

 仕事がたくさんのあるときに、どの仕事を優先するかは悩ましい。そのときに、本当に注力しなければならないのは緊急ではないが重要なこと(第II領域 )らしい。

優先すべきは重要度

 重要で緊急な仕事は最優先せざるをえない。問題は、緊急ではないが重要な仕事と、重要ではないが緊急な仕事のどちらを優先するのかである。フランクリン・コヴィー先生は緊急ではないが重要な仕事をやるべきだとおっしゃる。

 緊急ではないが重要な仕事を放置すると、重要で緊急な仕事になる。しかし、重要な仕事は緊急ではない間に手を付けておけば余裕を持って仕事ができるから、重要で緊急な仕事になる前に片付けることができる。

 では、重要ではないが緊急な仕事はどうするかというと、やらなくて問題がないならやらない。どうしてもやらなければならないならアシスタントや部下に任せて、重要度が高い仕事をやる。これが基本だ。

緊急度を優先すると

 いつも仕事に追われて追われている人は、緊急度が高い仕事を優先しているようだ。いつも緊急度が高い仕事をしているから余裕がなく、出来栄えも悪く、判断を間違うこともある。忙しさを言い訳にするが、重要ではない仕事をやるから忙しくなることに気づかないようだ。

 上司がこのタイプだったら部下は大変だ。放置されていた重要で緊急ではない仕事を振られる。その仕事は重要で緊急な仕事になっているから、出来栄えが悪くなったり、納期に間に合わなくなったりする。 

緊急度を優先する上司の特徴

 観察していると、このタイプの上司の特徴は、上司が一番忙しくしていることだ。そして、その部署は皆いつも忙しく働いているが、仕事の出来栄えが悪いことが多い。

 このタイプの上司は、重要で緊急な仕事を終えたときに、自分がやるべき仕事ではなく、できる仕事に手をつけているようだ。上司としての立場を理解していないのだが、立場を理解せず緊急の仕事ばかりやることを良しとする管理職がいるのだ。

 緊急ではないが重要な仕事をやらないと長期的な観点が無くなるので、仕事は、目先の利害にとらわれ、場当たり的になる。場当たり的でも対応できない案件は問題が顕在化するまで先送りされる。そして、重要で緊急な仕事になる。...エンドレス。

どうするか

 ちょっとワガママに「この仕事は重要じゃないからやらない」と言ってみるところから始めてみる。



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2019年12月17日 (火)

岩田さん <改革が必要でも全否定してはいけない>

岩田さん 岩田さんはこんなことを話していた ほぼ日刊イトイ新聞

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 天才プログラマーにして、経営者として任天堂を立て直した経歴を持つ岩田聡氏は同年代だ。

世の中のありとあらゆる改革は現状否定から入ってしまいがちですが、そうするとすごくアンハッピーになる人もたくさんいると思うんです"

とおっしゃる。これが岩田聡氏らしさなのだろう。

 改革は現状を否定することから始まり、改善は肯定することから始まる。だから、改革するなら現状は否定せざるを得ない。大切なことは、過去まで否定してはならないということだろう。

 開発が頓挫しかかっていた「MOTHER 2」の支援に入って、言った言葉は有名だ。

「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと 2年かかります 。いちからつくり直していいのであれば 、半年でやります 」

と言ったそうだ。文字にすると、イケ好かない奴のようだ。天才プログラマに任せればこんなの苦もなくできますケド。何か?のようにも感じる。しかし、その場に居合わせた糸井重里氏によると、全く威張った風もなく、相手の自由を尊重する姿勢だったらしい。

 若い世代には、未だ昭和の価値観から離れられない年寄りに未来を訊くなと言ってる。昭和の価値観から離れられない年寄りとは、昭和の最後の10年と失われた30年を働いて、今アラ定の自分達の世代だ。昭和の価値観で機能不全に陥っているから、意識改革しなければならない。

 岩田聡氏なら、だからといって「昭和の価値観はダメだ」と全否定してはいけない、とおっしゃるのだろう。確かに、全否定されたらオヤジ達は立つ瀬が無い。ダメなのは、若い世代の人たちが、この先を昭和の価値観で生きようとすることで、年寄りのこれまでの人生を否定することではない。

 自分自身は未だ昭和の価値観を引きずっている。そして、この価値観を否定しなければ次の10年を生きていけないと思っていから、年寄りに未来を訊くなと言っている。しかし、自分の価値観を否定するのは勝手だが、同年代の他人の価値観まで否定してはいけないということだ。

 全否定すると、共感は得れない。


ほぼ日刊イトイ新聞第三章までフリーで公開されている。(2019/11/16)


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2019年12月15日 (日)

問題解決法を知らない人

 問題解決法にセオリーがあることを知らない人が結構いる。

  • 問題解決には一般的なセオリーがある。
  • 問題解決法を知らない人は場当たり的に対応する。
  • 問題解決法を知らない人がマネジャーになると組織が問題先送り体質になる。
  • 問題解決法は若いうちに学ぶべき。

問題解決法

 問題が発生したときに、解決すべき問題の決定や原因の追求、解決策の優先順位の決定など苦もなく決定・実行できる、問題解決能力が高い人がいる。このような人は、「問題解決法」を振り回しているようには見えない。経験に裏付けられた暗黙知があるのだろう。

 暗黙知は伝えにくいし、学びにくい。なぜその解決策を思いついたのか、尋ねても明確な答えが返ってこなかったりする。考えてみれば、先輩や上司から教えてもらった問題解決法は業務に特化したものだから、業務が変わったり昇進すると使えなくなる。

 昇進したときの研修でも教えてもらってない。だから、問題解決法をマネジメントに必要な能力の一つとして勉強し始めた。分かったことは、一般化された問題解決法があって、業務や役職などの自分が置かれた環境に適用すればよい。問題解決法自体は汎用的だから、業務や業種、役職が変わっても使える。

問題解決法を知らない人

 問題解決法を知らない人は、問題が発生したときに場あたり的に対応する。もちろん、問題発生時の一次対応は重要だ。一次対応を誤ると被害が拡大する。眼の前にある顕在化した問題が沈静化するのは目に見えてわかるから、場当たり的な対応がうまい人は、問題解決能力が高いと評価されていたりする。

 それに比べて、問題の真因を発見して対策を実施するのは、地味で効果も見えにくいから評価されない。しかし、顕在化した問題にその都度対応するより、問題を解決すれば、顕在化することもなく対応の必要もない。

 組織的な対応が必要な対策を実施するには、それなりの権限が必要だ。逆に言うと、権限に応じた問題解決能力を持たなければならない。

 権限が少ない担当者ができるのは自分1人でできる対策が多い。問題解決のセオリー通りに考えて対策を実行するのと、場当たり的に対応するのは、同じように見える。同じことも多い。

 権限が少ない担当者のときに場当たり的な対応が上手くなった人は、
昇進して権限を得てもやはり場当たり的な対応で乗り切ろうとする。
その結果、チームや部署、部門全体が場当たり的な対応しかせず、問題は解決されず放置されることになる。
そのときに、場当たり的な対応が下手な人は問題を先送りにする。
そして、チームや部署、部門全体が問題先送り体質になる。

問題解決法はいつ学ぶのか

 何年か前に、ミドルマネジメントを対象にして、解決しやすさそうな問題を選んで、問題解決能力の獲得に取り組んだ。しかし、残念なが達成できなかった。ミドルマネジメントが行動を起こそうと思うような動機付けもできなかった。

 何十年も場当たり的な対応や先送りで過ごしてきた人の行動様式が一夜にして変わることなどないから、問題解決能力は若いうち獲得する方がよい。しかし若いうちは担当業務の能力を向上させることを優先するから、初めて昇進して部下を持つ頃にトレーニングするのが効果的だと思う。

 定期的に同じ問題が顕在化する職場は、問題解決法を知っている人がいない職場だ。そのような職場では、問題解決法を教えてくれる人はいないので、自分で学なければならない。これから先、場当たり的な対応や問題先送りで過ごすより、はるかに建設的だ。そして、マネジメントするようになったら周りを幸せにできる。



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2019年12月13日 (金)

マネジメント能力が獲得できない人

 技術屋崩れのマネジャーは使えないことが多いと思う。自分が技術で生きて来たからなのか、自分が技術者崩れの使えない管理者になる恐怖感があったからなのか、それはわからない。

 なぜ使えないマネジャーになるのか考えてみた。

 一般的には専門的な能力が高ければマネジメント能力が高いとは限らない。

 何年か前に仕事をマネジメントに変えて人を観察するようになってわかったことは、汎用的な能力が高くても、やはりマネジメント能力が高いとは限らないこと。

 事務処理能力が高く、凡人2人分の仕事をするような人が、その能力を評価されて昇進する。そして、部下を2人持つと周りは部下を含めて3人で4人分の仕事を期待する。ところが、3人分の仕事も危うい状態になるのである。

 なぜか? 昇進する前のように2人分以上の仕事をしようとするからだ。

 昇進する前に2人分の仕事ができたのは、2人分の仕事ができるような環境を作っている人がいたからだ。つまり、マネジャーがいたおかげで2人分の仕事ができていたのだ。しかし、2人分の仕事ができる人はマネジャーの仕事に気がつかない。

 チームで仕事をするには調整やコミュニケーションなどたくさんのロスがある。方向性が揃っていなかったり、目標が共有されていなかったり、モチベーションが維持できなかったりすると、チームは簡単に人数分の仕事ができなくなる。

 このとき、昇進する前に2人分の仕事していた人は、頑張って3人分の仕事をしようとする。ところがマネジャーがいないから3人分はとても無理で、2人分はおろか1人分の仕事も危うくなるのだ。

 観察してわかったことは、トップが最も働いているようなチームは、たいてい人数分の仕事ができない。

 マネジメント能力を獲得するために必要なことは、自分の頭で考えることだと思う。そして、マネジメント能力は昇進した後からでも獲得することができる。

 命令されたことを他人の倍の速さでやるより、命令の意味が考えられる方がマネジメント能力を獲得しやすいと思う。


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2019年12月11日 (水)

なぜ残業を減らしたのに、会社が儲かるのか? <働き方改革は改善活動なのか?>

なぜ残業を減らしたのに、会社が儲かるのか? 萩原京二 クロスメディア・パブリッシング

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 東洋経済主催の働き方改革セミナーで萩原京二氏の講演を聞いた。オマケでこの本を貰ったので読んでみた。このセミナーは萩原京二氏の基調講演とDropboxの活用だった。

 最近はなにかにつけ「働き方改革」だ。「働き方改革」にICTは不可欠なのだから、IT関係の展示会でも「働き方改革」関係の展示は多い。このセミナーもDropboxがサービスしているコラボレーションツールの紹介とDropboxを利用した情報共有事例の紹介が多かった。

 講演を聞いて気になったのは「働き方改革」のセミナーなのに内容は「改善」だったこと。間違いかと思ったら、

  働き方改革(制度の導入)=改善活動=助成金の活用

らしいので、間違いではないようだ。

 言葉遊びをしているわけではなく「改革」は現状の否定から始まり、「改善」は現状の肯定から始まる。似ているが、全く違う取り組みだ。

 戦後の焼け野原から世界有数の経済大国にした昭和の働き方を否定して、令和から先の働き方に変えるのが「働き方改革」だろう。もっとも、音頭取りの厚労省の「厚生労働省の業務・組織改革のための緊急提言」も内容は改善の提案だったから、昭和の働き方を否定しようと思っている人は少ないのかもしれない。

 この本の読者は経営層を想定しているようだ。「働き方改革」で困っている経営層(高齢)は、昭和の働き方で成功体験があるから、昭和の働き方を簡単には否定できないだろう。であれば、昭和の働き方を否定しない「改善」の方が受け入れられるということだろう。

 萩原京二氏は社会保険労務士として会社を経営しておられる。
社会保険労務士の仕事は現在の働き方を前提としているから、現在の働き方(昭和の働き方)を否定できないのだろうか。

 つまり、昭和の働き方で成功した経営者は昭和の働き方を否定できないから、改革の提案は受け入れられにくいが、改善は受け入れられやすい。昭和の働き方でさんざん「カイゼン」してきたから。

 そして、東洋経済の読者を考えると、ITに疎い経営層が浮かんでくる。あのセミナーも東洋経済が想定したターゲットに対しては現実的な内容だったのかもしれない。

 しかし、ICTに疎い経営者が、クラウドを利用した情報共有と、残業時間管理で「働き方改革」するぞとケツを叩いても、若い人たちは生温かい目で見ているのではないだろうか。



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2019年12月 9日 (月)

検索は自分の頭で考えるための手段

 Twitterで原田朱美氏の「検索で得た情報の価値」のスレッドを読んでみた。Twitterの長文は読みにくいなあ。

 原田朱美氏は、webを使って調べて書く授業をされていて、大半の子が検索で出てきた情報の価値を判断できないとおっしゃる。

 大学受験や資格試験を受験する時に過去問を集めた問題集を使う人は多い。過去問集は唯一の正解を集めたものだ。正解が目の前にあるなら、自分の頭で考えて理解するより覚えてしまう方が簡単だ。事実、覚えてしまえば何とかなことも多い。ところが、社会に出ると唯一の解は無いし、たくさんある解の中で最善の解は時と場合により変わるから、過去問集は役に立たない。

 若い人達は検索結果で唯一の解が得られると思っているのだろう。だから、検索結果を評価しないでコピペしてしまう。

 「検索は自分の頭で解を考えるための手段である」ということを、年長者は教えなければならないのだと思う。



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2019年12月 6日 (金)

責任 <ごめんなさいではなく、ちゃんとやること>

 責任について考えてみた。

  • 責任は謝罪することではなく、ちゃんとやること
  • 「ちゃんとやる」には能力が必要だから、マネジャになっても勉強が必要

 スーパー大辞林によると責任は

  1. 自分が引き受けて行なわなければならない任務。義務
  2. 自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。

平たく言うと、1.は「ちゃんとやる」ことで、2.は「後始末」のことだ。ところが、「責任をとる」=「辞任する」や、「説明責任」=「謝罪」で使われることが多い。相手を糾弾したり、叱責する場面で使われる言葉になってしまった感がある。

 役職が上がって肩書が付くと、漏れなく責任も付いてくる。そういう人と話をすると責任を持つと言う人が少ない。「責任が持てない」とか「責任に取れない」とかとかく逃げを打つ。つまり、失敗を叱責されたり、攻撃されたり、部下の尻拭いをしたくない。ということだ。

 稀に、「責任は俺がとる」という人がいる。立派だ。しかし、その人は「ちゃんとやる」と言っているわけではなく、潔く謝罪すると言っているだけだ。社会人として、潔く謝罪する前に、やるべきことを「ちゃんとやって」ほしいと思う。

 なぜ、「ちゃんとやります」と言えないのか考えてみた。

 「ちゃんとやる」には能力が必要だ。自分の仕事に責任をもって「ちゃんとやろう」とすると、担当者業務をこなす能力が必要だ。さらに、管理職になれば管理能力やリーダーシップ、マネジメント能力が要求される。

 しかし、責任を「謝罪すること」と考えると特に能力は必要ない。問題が起きたら潔く謝罪すれば良い。下手を打つと炎上するけど、潔く謝罪すれば逆に株がが上がることもある。結局、能力がない人は、責任=謝罪しか方法は無いのだ。

 違う観点では、責任=謝罪が常識になっている組織は、能力がない者がそのポストに就いているということだ。

 現場のマネジャーとヒューマンエラーの話をすると、ヒューマンエラーが原因で被害が発生した後の後始末の話しになる。マネジャーの責任として、後始末は必要だ。しかし、エラーが発生しないように「ちゃんとやる」ことがおざなりになっているのではないだろうか。

 「ちゃんとやる」には能力が必要だから、マネジャになっても勉強が必要なのだと思う。


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2019年12月 4日 (水)

新 ・敬語論なぜ 「乱れる 」のか <慣用には寛容が肝要だ>

新 ・敬語論なぜ 「乱れる 」のか 井上史雄 NHK出版

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 この本は、敬語の使い方が書いてあるHowTo本ではない。どちらかと言うと「日本語が乱れている」「敬語の誤用だ」と言う人向けの本だ。 最近の若者(といっても立派な社会人だが)は敬語が話せない。という話を聞いた。電話で話すときに顕著らしい。

 最近の若者は、知らない人と電話で話す機会はない。電話でのコミュニケーションは相手の顔が見えないし、リアルタイムだから使い慣れない敬語を使うのは、なおさら難しいのだろう。

 若い人たちに話す機会があって、10年くらい前からマニュアル敬語の「~になります。」が気になっていたので、技術者が技術の説明をするときは、ぼかさずに言い切ろう。と言っていたのだが、時代の流れには抗えないようだ。
井上史雄氏は

 それぞれのマニュアル敬語には 、発生と普及の理由がある 。むげに否定することはできない 。ほかの人の論理を思いやる温かさ 、受け入れる鷹揚さが人生には必要である 。

とおっしゃるのだが、丁寧に言おうとしているのか、ぼかしているのか。自分の説明に自信がないからといって、安易にぼかし言葉(マニュアル敬語)を使ってはいけない。

 敬語は修飾語獲得するらしい。だから採用直後の若者が敬語が使えないのは当たり前だ。その後使えないのは、職場で教えていないから、職場で正しい敬語が使われていないからなのか。

 井上史雄氏は

そもそも敬語には大らかに接するのが得策だ 。敬語を使えない人に会ったら 、飾らない 、親しみやすい人だと受け取ろう 。間違った敬語であっても 、懸命に敬意を示そうとしていると 、善意に取ればいい 。かつての誤用はいずれ慣用として認定されるから 、その新しい敬語を採用する人がいてもよい 。慣用には寛容が肝要だ 。

とおっしゃる。

 でもね、そんなに寛容な年寄りばかりじゃないからなあ。


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2019年12月 2日 (月)

9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ


9時10分前を理解できない若手を生んだ日本語軽視のツケ  河合 薫 (2019/11/19)

 帰国子女だった河合薫氏は中一で帰国して会話には困らなかったものの、高校の現代国語の校内実力テストで、長文問題を何度読んでも理解できなかったそうだ。

 漢字が読めないとか、読めない字があるとか、そういったことじゃない。ちゃんと音読できるのに、意味が分からない。古文でもなければ漢文でもない。ただの現代文。なのに書いてあることが、ちっとも理解できなかった。生粋の日本人なのに、なぜか日本語が理解できない。漢字が読めないことを笑われても気にならなかったけど、日本語の文章が理解できないという現実はかなりショックだった。

河合薫氏のように日本語の文章が理解できないことを自覚することは稀だろう。会話ができているから、なるべく文章を読まないで済むようにすれば生活は困らない。

 この歳になって自分は文章が読めるのか考えてみると、キーワード読みだと思う。子供の頃からそうだった。ストーリーは合ってるけど結論や結末が違っていたり、穴埋め問題のテストで問題文をきちんと読まないから、記号で答えるところを単語を書いたり、答えを回答欄に書くべきところを問題文に直接書いたりだった。

 小学校5年生くらいだろうか、多湖輝先生の頭の体操シリーズにハマった。パズルはロジックを考えて読まなければ答えは分らないから、ロジックを考えて読むモードに気付いた。でも、普通はキーワード読みだ。

 歳を取って他人が書いた文章を添削するようになってからは、意識してロジックまで考えて読むモードにスイッチを切り替えて読むようにしている。歳をとっても訓練すれば読んで意味がわかるようになるものだ。このブログを書いているのも訓練の1つだと思う。

 ところで、

 そもそも国語の先生は読めても理解できない生徒がいることを認識していないところが問題ではないだろうか。

 現役高校教師座談会 <「論理」は「文学」で学ばなくても> (2019/10/17)

 体育の先生は運動オンチの生徒の気持ちは分からないだろう。しかし、運動オンチの生徒の存在は認識できる。あとは、指導方法の問題だ。
ところが国語の先生は、読めても理解できない生徒の存在を認知していないので、指導方法以前の問題だ。

 これを職場で教育しないといけない。


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