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2021年9月

2021年9月24日 (金)

責任あるAI <「AI倫理」は「AIを使う人の倫理」>

責任あるAI「AI倫理」戦略ハンドブック 保科学世/鈴木博和 東洋経済新報社

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「責任あるAI」はいかにも誤解しそうなタイトルなので読んでみた。内容は「AIを使う人責任」なので安心した。

著者によると「責任あるAI」とは

私たちの考える「責任あるAI(Responsible AI)」とは、顧客や社会に対してAIの公平性・透明性を担保する方法論である

だ。

 AIを「人工知能」と訳するので、いかにもAIが人格や知能を持っているように感じてしまう。そして、人間がAIを制御できなくなることに恐れを感じている。しかし、今ブームのAIは意思も持たない。過去の大量のデータ分析、分類してくれるプログラムだ。

 AIは人が作った物だから物自体が責任を持つことは無い。
責任を持つべきは、使う人か作った人で、多くの場合は使う人が責任を持つことになるだろう。車に例えると、車自体が責任を持つことはなく、車を運転していた人、作った会社が責任を負うことになるのと同じだ。

 AIは車などの機械と同じように、人の能力を拡張する。
機械は人の運動能力を拡張できるので、機械を操作出来るようになると、速く移動出来たり、重い物を動かすことが出来るようになる。AIは判断能力を拡張するから、使う人の判断能力が拡張される。

 問題は2点考えられる。
使う人の判断にバイアスがあればそのバイアスも拡張されると言うことだ。
もう一つはAIがバイアスを持ったデータを使って学習し、使用者にバイアスが無くても特定のバイアスが発生する場合だ。

・マイクロソフトのAIを使ったチャットボットTayが不適切発言をするようになった件
・犯罪予測AI

はAIの暴走として、取り上げられることが多い。

 前者は、偏った学習データを学習した結果だ。
昔から情報処理の世界で言われていた、gabage in gabage outは正しい。不適切な発言を学習すれば不適切な発言をするようになる。

 後者は、社会が抱えるバイアスが拡張される例だ。
犯罪予測AIは過去のデータを学習するので、過去の犯罪に地域や人種などのに偏りがあれば、その偏りが拡張されることになる。
それは、犯罪が発生する前から、特定の地域や人種を差別してしていると解釈することもできる。
この問題は入力データを変えればよいというものではなく、現在の社会の歪だから、一筋縄では解決するのは難しい。

 だから、AIを使う側には責任と倫理が求められることになる。
日本人は倫理について議論することが苦手だ。あえて避けている感もある。しかし、倫理の議論をせずにAIを使うことは危険だ。
多くの人が恐怖と感じている「AIの暴走」になる危険性がある。

それは、AIが暴走しているわけではなく、AIが使う者の無責任によるものだ。

結論
「責任あるAI」は「AIを使うもの責任」
「AI倫理」は「AIを使う者の倫理」


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2021年9月15日 (水)

コーチに求められること <部下の指導に求められることと同じ>

王者、恐るべし。 水谷隼[対談アーカイブ]石川佳純 <卓球王国2015年8月号より> 2021/07/11

今から6年前の水谷隼氏と石川佳純氏の対談記事。
卓球はやっていないので、卓球専門誌は読むことがない。
水谷準氏が東京五輪卓球混合ダブルスで優勝したことで、検索結果に現れるようになって読むことができた。

引っかかったのは、両氏がコーチに言及している部分。
水谷隼氏はコーチの重要性について問われ

日本にはあまり良い指導者がいない。日本の指導者は甘いし、努力が足りない。指導者になった時点であとは教えるだけで、そこからスキルを上げるという向上心が感じられない。海外の指導者は、指導者になった時点でゼロになって、そこから勉強してスキルを上げていく姿勢を感じることができます。

とおっしゃる。

石川佳純氏はコーチに求めることを問われ

強かった選手でもコーチとしては別だと思います。選手として成績が良くても良いコーチになるとは思わない。私は今の自分のやっていることを言葉にできない。たぶん言うこととやっていることが違うと思うけど、陳さんはそれを言葉にできる人です。私がわかるように教えてくれるし、向上心もすごい。コーチになって終わりじゃなくて、一緒に成長しようという気持ちがすごい。

とおっしゃる。

現在の卓球界は中国選手が席巻している。選手層の厚さ、国を挙げての育成システムなど要因はあるのだろう。
1人や2人優れたコーチがいるだけでは、これだけ継続して、強豪選手を輩出することはできないから、コーチの育成にについても成功しているのだろう。
両氏もコーチを中国から招いている。

対談の中で両氏が指摘している、

  • 自身がプレーする能力と指導力は別であること。
  • 選手と一緒に指導能力を向上しなければならないこと。
  • 感覚として得たことを、言葉にできること。
  • 相手が理解できるように伝えることができること。

は卓球のコーチだけではなく、部下の育成についても当てはまることだ.

水谷隼氏が日本には優秀なコーチがいないと指摘するのは。
好成績を残した人を、無批判にコーチにし、気合と根性に頼る日本の文化に対する批判なのだろう。
これも、卓球界に限らないことだ。

現場で成果を上げた優秀な人が管理職になって精彩を欠く例は多い。
現場で業務を遂行する能力と管理職に求められる能力は異なるのだが、なぜか現場での野力を評価して管理職に登用する。
マネジメント能力を評価して登用しているわけではないから、マネジメントできない管理職が増える。

定年が延長して中高年は、後進の育成を期待されることが多くなるだろう。
重要なことは、指導する内容が明文化できることだ。気合と根性に頼ってはいけない。


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2021年9月12日 (日)

普通は今だけ

「普通」は今現在において必要なことが「普通」なのだと思う。

ICT業界にいると
「普通」の変化の速さを感じる。
出来るようになるより「普通」が変わる方が速くなったりするので
うっかりすると「普通」が2世代くらい進んでいたりする。

昔、といっても20年くらい前だけど、
IPアドレスの理解は不可欠だった。
パソコンをネットワークに繋ぐためにはIPアドレスを設定しなければならなかったからだ。
ところが、今時はデバイスをネットに繋ぐためにIPアドレスを理解する必要はないし、設定する必要もなくなってしまった。
でも、今も昔もICT技術者ならば知っているのが「普通」だ。ICT技術者としてそれは今でも必要不可欠だから。

若い人たちを相手に
研修しているいると、前の世代の「普通」をどこまで教えるか迷うとことが多い。
年寄りが昔の「普通」にこだわっていると、若い人たちが覚えるべきこと、できるべきことがどんどん多くなって覚えることできることが溢れてしまう。

経験では、
たくさん覚えても使う機会は少ない。
知らないより知っておいた方が良いくらいで、年寄りの「普通を」無批判に受け入れていると、本当に必要なことが分からなくなったりできなくなったりする。

昔の「普通」は教えてくれる年寄りは多いので比較的覚えられる。
ところが、新しいことは教えてくれる人がいないので、自ら調べ、自ら考えなくてはならない。
だから、昔の「普通」を覚える労力はそこそこにして、新しいことを覚えることに労力を割くべきだ。
それは、一生続くのだから。

同じ年代が集まって
「昔は良かったよね」「最近若者は...」は盛り上がるけど、
内輪話にしておいた方がよさそうだ。

「普通」は今現在において必要なことが「普通」なのだと思う。


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