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日記・コラム・つぶやき

2017年3月23日 (木)

若い人たちに話すこと <年齢が1回り以上離れると伝わらない?>

 若い人たちが受ける研修の最後に時間をもらって、彼らに

  • 技術を修得する方法
  • 組織内マイノリティとしての技術者で身を立てるということ
  • コミュニケーションの重要性

などを話していている。「技術の伝承」(2012/12/03)

 元々は技術的な話をしていた。当時講義を受けた奴と酒を飲むと「『こんなの分からない奴はシネ』と言われた。」などと絡まれるのだが、学習するきっかけにはなったようだ。
(「簡単にわかるでしょ♡」と言っただけなんだけど)

 その後10数年前に、若い人たちの気質が変わった時期があって、お願いして話す時間をもらったものだ。

 この講義を止めることになった。

 学校で習うような技術の話ではなく、心構えのような話は年齢差が開きすぎると伝わらない。だいたい1回りが限度だそうだ(出展忘却)。

  経験では、1回り以内なら自分のロールモデルとして話を聴くことができるし、その人の実績も知っているから、素直に話を聴くことができる。それ以上離れると、前世代のオジサンの話だから、自分のこととして話を聴くことができない。「ヘ~そうなんだぁ」のような感じ。

 ときには、何年か経って、「あの時、こんなこと言いましたよね」と言われることがあって、涙が出るほど嬉しかったりする。

 今話している若い人たちは、親子ほど離れているので、彼らからすると、口うるさいオヤジの小言に聞こえているのかもしれない。

 彼らから1回りくらい離れた人が話したほうが良いのだろう。 

 歳は取りたくないねぇ...



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2017年3月19日 (日)

ケースバイケース

 規則には、「やらなくてはならないこと」と「やってはならないこと」がある。
そして、これらの間に「やってもやらなくてもよいこと」がある。「やってもやらなくてもよいこと」は、積極的な人にとっては「やるべきこと」だけど、消極的な人にとっては「やるべきでないこと」だ。

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 問題は、積極的な人と消極的な人が一緒に仕事をするときに起こる。違うタイプの人が、上司と部下、管理部門と現場だったりすると、顕在化する。

 多くの場合は、ケースバイケースで判断することになるのだが(視点2) 、その判断は恒久的なものではない。しかも、判断がその場面限りであることは多く、判断基準には上位の規則や方針、さらには理念といった抽象的な思考が必要になる。

 ところが、普段方針や理念を考えないで規則だけで仕事をしている人は規則に書いてないことをやるのは、不安でしかたないようだ。ケースバイケースの判断を明文化して規則にせよと主張する。他のケースで困ることが明らかなのにだ。

 方針や理念が共有されていないことが問題である。(視点3で見ていない)

 過去に、管理部門が方針や理念を共有せずにケースバイケースで判断したり、ケースバイケースで判断すべきところを無理やり規則にしたことがあった。

 誰も幸せにならなかった。

 管理部門が批判されることが多いのだが、自ら方針や理念を考えないで判断を他人に任せている人も同じように批判されるべきだ。

 「やってもやらなくてもよいこと」が誰でも判断できて、誰でも同じ判断になるように、方針や理念を共有しようと呼びかけるのだが、管理部門と現場の意識の隔たりは大きい。

 管理部門と同列でありながら現場を持っているというコウモリ的立場にいるからだろうか、現場の言い分を管理部門に代弁せよと言われることがある。空気を読まず、普通の人が言い難いことが言える性格もあるのかもしれない。

 彼らの代弁はしないだろう。現場と管理部門が方針と理念を共有しなければ問題は解決しなのだから。


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2017年3月17日 (金)

オフサイトミーティングを企画して分かったこと(3) <48時間メール>

 オフサイトミーティング終了後には、世話人交流会からアイディアをいただいた、「48時間メール」を送ってもらうようにしている。

 48時間メールは、オフサイトミーティング終了後48時間以内に

  • 感想
  • 気づき
  • 「ココだけの話」

などを書いて返信してもらうもので、自分自身の振り返りに有効だ。

 オフサイトミーティング終了後は気分が高揚しているが次第に普通の気分に戻る。普通の気分に戻る前に、ミーティングで聴いたこと、話したことを振り返ることによって、新たな気づきが生まれる。その気づきを参加者で共有する。48時間以上経過すると醒めてしまうので48時間以内が良いのだろう。

 参加者から送られてくる48時間メールを読んでいて気が付いた。

「気づき」に

  • 新たな気づきを書いている人
  • ミーティングの運営への提案を書いている人

に分かれる。

 運営への提案も「気づき」には違いないのだが、

  • 意識が自分に向いている人
  • 意識が自分の外に向いている人

の2種類のタイプの人がいるのではないかと想像している。

 意識が自分に向いている人は、ミーティングをきっかけとして、新しい観点を発見したり、問題解決のヒントを発見する。

 意識が自分の外に向いている人は、ミーティングの運営方法の不備や改善点を発見するのではないだろうか。

 問題を解決するためには、解決策を自分の行動に落とし込まなければならない。 この時に、意識が自分に向いている人は、解決策を自分の行動に落とし込める。しかし、意識が自分の外に向いている人は、解決策を自分の行動に落とし込めず、「○○は××すべき」のようになるのではないだろうか。



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2017年3月13日 (月)

なぜ年寄りは変われないのか

 オフサイトミーティングを企画したら、「愚痴の沼」に囚われている年配の参加者がいた。愚痴をいっても問題は解決しないことはわかっているだろうに。

 なぜ年寄りは変われないのか考えてみた。

問題があるとその解決方法を考えて実行する。

 若いうちは、経験が少ないのでその都度考えて行動するが、年齢を重ねるにつれて、問題解決の成功体験が蓄積してくる。そして、問題を認識するといちいち解決方法を考えなくても行動できるようになる。年の功というやつだ。

Shortcut

 自分を取り巻く環境の変化が緩やかな時代や、変化が予測できる時代には、年の功はとても有効だった。しかし、今時の環境変化は速い。しかも不連続だ。明日は昨日の延長線上に無い。

 このような時代でも問題の解決方法が変わるわけではない。問題を認識したら、真因を分析して、解決方法を考えれば良い。若い頃やっていたように。

ところが、歳をとると考えなくなる。

 自分が知っている解決方法は、今の環境では有効でないことは、なんとなく分かっているのだが、環境の変化に適応するように考えることをしない。そして、ついには、問題が解決できなくなる。

 この段階で、問題を解決するための自分の行動を考えればよいのだが、問題の原因を他に求めるようになる。

 曰く、「環境が悪い」 曰く、「管理部門は現場の状況を知るべきだ」など。

 環境など自分では変えられないことは分かっている。そして、「◯◯は××すべきだ」のように、主語を他人にして語りはじめる。

 若い頃は、自分が行動できる解決策を考えていたのに、歳をとると行動するのは自分ではなく他人になる。

そして、「愚痴の沼」「評論の砂漠」に舞い戻る。

 「昔みたいに自分が行動できる解決策を考えようよ」と言ってみるけど、考え方を変えろと言われて「はいそうですか」と行動できるほど軽くない。それが年寄りというものだろう。


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2017年3月10日 (金)

オフサイトミーティングを企画して分かったこと(2)

 これまで何回か有志を募ってオフサイト・ミーティングを企画していた。参加してくれる人は皆地方にいるので集まれるのは年1回だ。 参加してくれる人の間にはそれなりに、一体感や信頼感が生まれてきて、そろそろ具体的な問題解決の話しができそうだと思っていた。

 来年の布石にと考えて、オフサイト・ミーティングをやってとても良かったですと、少々盛って上司に報告したら、全国のマネジャを集めたらということになった。異動間近だから、来年度にしようかと思っていたら、今年度中にということになり全国から60人を4回に分けて集めることにした。一度に集める人数を増やせば少ない回数で良いのだが、世話人がいない。

 地方の現場から中央の管理部門に集めると、中央側には無意識の権力があるから、世話人は意識して無意識の権力を消さなくてはいけない。無意識の権力を消さないと言いたいことがあっても発言できなくなる人は多い。

 逆に、無意識の権力を気にしない人が多いと愚痴大会、批判大会になる。これで失敗した経験がある。

 少々強行軍だったけれど、2週間で1泊2日を4回開催した。
参加者には、

  1. 問題解決に向けた具体的な検討がしたいという人もいる。
  2. 「評論の砂漠」に囚われている人は多い。
  3. やっぱり「愚痴の沼」に囚われている人もいる。
  4. 無関心な人もいる。

 タイプ1の人がいても、声の大きいタイプ3の人がいると、そちらに雰囲気が引っ張られてしまう。そこを戻すのが世話人の役目なのだが、なかなか難しい。

 タイプ1とタイプ2、3の人は分かれて話をした方が良いのではないかと思うが、タイプ2とタイプ3の人が集まると愚痴大会や批判大会になりそうだ。そんなミーティングの司会は正直やりたくないなあ。

 異動や退職することが決まっていて、目の前の問題が、もうすぐ問題で無くなる人がタイプ4になるのは自然なことだろう。

 今回のオフサイトミーティングで得た教訓は、タイプ2、3、4の人がタイプ1になるためには、数多くのミーティングが必要だから、世話人を増やさなければならないということ。

 今回のオフサイトミーティングを、大きな一歩という人や、ガス抜きという人がいる。

  • これから続けていくなら「大きな一歩」
  • 続けることができないなら「ガス抜き」

ってことか。



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2017年3月 8日 (水)

東京海上日動の広告 <メッセージがハンパない>

東京海上日動の広告がそこいらじゅうに貼ってある。
メッセージがはんぱない。

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ぜひおねがいしますっ。

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失敗は重要ですよね。
失敗しただけではダメで努力が必要ってことだ。

Photo_3

正直100%はキツイ歳になったなあ。ちょっとくらいアソビが欲しい。

Photo_4

これが一番イイネ。ずっと新人でいたいなあ。

全てのパターンは東京海上日動のサイトにある。


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2017年3月 3日 (金)

社内報炎上 <外野が騒ぐこと?>

 居酒屋チェーンや牛角、カッパ寿司を傘下に持つコロワイドの社内報が炎上しているらしい。

 社内報は、経営幹部、店長クラスに向けた内容と、5年前に買収したレインズ社員に向けた内容のようだ。

 「馬鹿」「アホ」がたくさん出てくる内容なので、ネットでは

  • このような資料が公開されることが問題
  • 「馬鹿」や「アホ」という言葉は逆効果

など、斜め上や神目線の意見で炎上しているようだ。

 しかし、「馬鹿」「アホ」と言う表現を丸くして、斜め上目線ではなく叱咤される当事者や風土の悪さを嘆く企業経営者の目線で読むなら、至極真っ当だと思う。

「リーダーは、鬼と仏の間を言ったり期待、是是非非で考える」

とあるように、この社内報はかなり「鬼」だ。

 やり玉に挙げられているレインズは債務超過に陥りコロワイドに買収された過去がある。
東芝の例を引くまでもなく、経営が立ち行かなくなるのは経営層だけでなく社員の意識も大きい。蔵人金男氏の叱咤を見ると、経営破綻というショックを経ても旧レインズの社員は未だ意識が変わっていないということだろう。

 本当に、鬼になるなら、不採算の事業は容赦なく撤退、人員整理なのだろう。
外食産業は超人手不足らしいので、事業を撤退して人員整理しても、クビになった人はどこかの黒っぽい店で雇ってもらえるのではないか。

しかし、

殺生与奪の権は、私が握っている。
さあ、今後どうする。
どう生きていくアホ共よ。

に、鬼と仏を感じる。

 企業を買収しても風土が変わるわけではない。叱咤しても直ちに人の行動が変わるわけではない。大企業の会長に、それが分からないわけではないだろう。

 一企業の社内報に外野が反応しすぎのような気がする。 他所んちの悪がきを親がきつく叱っているのを通りがかりの他人がとやかく言っているのと同じだ。 ってσ^^)...


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2017年2月23日 (木)

昇任する覚悟 <自分だけはできると思ってる?>

 昇任する覚悟ができていないまま昇任試験に合格している人はいる。

 自分の上司を見て、あの程度なら特に自分を変えなくても、もっと上手にできると思っているのだろうか。

 下から見ていると上司の足りないところに気が付くものだ。しかし、立場が変わると景色が変わる。そして、求めらることが変わる。

 足りない上司も昇任試験に受かったときには「自分の上司より有能な管理職になれる」と思っていたのだ。

 古い体質の組織では未だに「管理職」と呼んでいる。しかし、今時の管理職、特に中間管理職に求められる能力は管理能力ではなくマネジメント能力である。古い体質の組織では「管理」をカッコウ付けて呼ぶときに「マネジメント」と呼んだりするのだが、「管理」と「マネジメント」は似て非なるものだ。

 自分の上司を見て、「あの程度なら楽勝でできる」と考えている人は「管理」を考えているから「マネジメント」を学ばない。しかも、古い体質の組織は「マネジメント」を教えないし、「マネジメント」をサポートをしない。「管理職」が「中間管理職」を管理しているからだ。

 昇任試験は、古い体質を変えるために重要なのだ。ところが、昇任試験に関わっているオジサンたちも「管理」されているので、「管理」しやすい人を選ぶから、体質はなかなか変わらない。

 JALやSHARP、東芝、三菱自動車のように存亡の危機にさらされると、組織の体質は変わらざるを得ないのだが、相当の痛みが伴うし、小さな組織は無くなってしまう。


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2017年2月21日 (火)

「指示待ちの部下」の原因は「無能の上司」

「指示待ちの部下」の原因は「無能の上司」だ。 Books&Apps (2016/7/5)

 最近の若い者は、自分で考えないですぐに聞いてくると嘆く年寄りをよく見かける。
かく言う自分もそうだし、同じようなことを言うのは年寄りだけではないような気もする。

この記事に、「社員に自由にやらせて、うまく行っている」という会社の経営者の言葉がある。

「役員は結果が出ないのを、下のせいにして、下は役員のせいにしている。単にそれだけでしょう。」

「指示待ち部下」の影に、「無能上司」あり。

なるほど、単純明快だ。

 自分で考えろと言いながら考えたことを否定する上司、どうせ否定されると考えることを止める部下。ありがちだ。

 上司部下だけでなく部門間でも同じようなことがある。細かいことまで支持する管理部門と何でも支持を求める現場。ありがちだ。

 双方とも相手が悪いという。話すときの主語は「我々」ではなく「あいつら」だ。

 部門間の場合は上司・部下の場合と違って同じ不満を共有する者が多いから、自部門の不満が正しいと思ってしまう。

 必要なのは「細かい指示」ではなく「教育とサポート」


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2017年2月17日 (金)

実力以上の給料を受け取るとどうなるのか、教えてもらった話。

実力以上の給料を受け取るとどうなるのか、教えてもらった話。 Books&Apps (2016/7/6)

 いわゆる窓際族のおじさんにどう対するかというお話し。

 若い頃、このおじさん仕事しているのだろうかと思った人はいた。若くて表面的なことしか見えていなかったのかもしれない。仕事は目に見える技能や体力だけで成り立っているわけではなく、経験や人間関係(人脈)な暗黙知が必要だ。だだし、暗黙知は目に見えない。

 ICT分野は特に若い方が技能が高い、しかも、若い方が体力もある。しかし、歳を取ると目に見える部分が減っても、目に見えない部分が増える。だから歳をとって技能が劣っても仕事はできる人がいる。

 問題は、暗黙知は外見からは判断できないということだ。

 ところで、冒頭のブログの観点は2つ。1つは窓際族のおじさんを評価する観点。もう1つは窓際族のおじさんの観点だ。

 窓際族のおじさんを評価する観点では、
冒頭のブログに登場した先輩のように、暗黙知があるかどうかを見極めて仕事のパートナーにする価値があるか判断する。外見から判断できないから話してみるということだろう。

では、窓際族のおじさんの観点では
先輩の言う、
 「実力に見合わない給料をもらうのはやめておけ。」
は正しいと思う。

 給料(報酬)が実力を反映していないことはよくある。 特に給料は、実力に見合う給料をもらえないこともあるし、実力以上の給料をもらえることもある。大きい組織にいると、給料を上げることも、下げることも要求できない。給料は実力とは関係ないところで決まっているのだから。

 人は、実力に見合う給料をもらえないときは怒ったり腐ったり、実力以上の給料をもらっているときは驕ったり、守ったりするものだ。

 歳をとって実力以上の給料をもらっている場合、実力どおりの仕事をすることは困難かもしれない。

 できることは、

  • 驕らないこと
  • 守りに入らないこと
  • 自分の暗黙知を活用すること

かと思う。


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