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日記・コラム・つぶやき

2017年9月22日 (金)

スペシャリストとプロフェッショナルの違い

スペシャリストとプロフェッショナルの違い」 トライバルメディアハウスNews 共感・思ふこと 2012.05.08

 スペシャリストvsゼネラリストの議論はよくある。そこにプロフェッショナルvsアマニュアいう軸を加えて2軸で考える。そして、市場価値があるのは、Professional かつ Specialist と Professional かつ Generalist。つまり、プロフェッショナルであることに市場価値があって、スペシャリストかゼネラリストかは問わない。

Provsama
(http://www.ikedanoriyuki.jp/?p=3113)

池田 紀行氏は

ビジネスの世界であれ、スポーツの世界であれ、エンターテインメントの世界であれ、「プロの仕事」か「アマチュアの仕事」かを評価するのはいつだって「顧客」なのです。仕事は顧客が満足して初めて「プロの仕事」になります

と仰る。

 まずプロフェッショナルであることが前提で、スペシャリストかゼネラリストかは志向の違いに過ぎないということだ。

 周りを見ると、技能を高めるべきとか、スペシャリストのキャリアパスがないなどの議論は多い。ところが、顧客に価値を提供しているのかの議論が無い。

 彼方此方で、顧客における価値の話をするのだけれど反応はイマイチだ。
これまで議論してこなかったから、不意を突かれた感じなのだろうか?。

 「特定の部門の勤務が長くなると将来に別の部門に異動したときに困るのではないか?」という不安や意見を最近よく聞くようになった。スペシャリスト志向はリスクが高いのではないかという心配だ。

 その都度、「将来その別の部門は存続しているの?」と質問するのだが、質問に答えてくれる人はいなくて、たいていフリーズしてしまう。 彼らは、将来別の部門が顧客にとって価値があるのか、また将来に亘って顧客に価値を提供し続ける方法を考えたことが無いのだろう。

 十数年前に新しい部門を立ち上がった当初は、顧客と顧客に提供できる価値を考えていた。たいそうなことではなくて部門の存在価値と同じだから考えざるを得なかったのだ。 当時は、漠然としたイメージはあったが「顧客に提供できる価値」のような「言葉」こなっていなかった。

 日々が経過し、部門の立ち上げ時代を知らない人たちが増えたら、「顧客に提供できる価値」や「部門の存在価値」について語られることがなくなった。

 「部門の存在価値」を考えなくても部門は存在しているし、「顧客に提供できる価値」を考えなくても日々の仕事は存在する。 そして、自分や自部門を客観視しなくなり、視点が組織の内に向かう。そうすると、組織内での立ち位置や、スペシャリストvsゼネラリストの議論しかできなくなる。

 組織の老化とはそういうものだろう。
ところが、顧客にとっては、スペシャリストであろうがゼネラリストであろうが関係ないのである。

 部門の立ち上げのときに考えていた「部門の存在価値」はなぜ次の世代に受け継がれなかったのか考えた。 当時は、「部門の存在価値」は共有されていたが、暗黙知だったように思う。分かりやすい言葉や図で表現しなかった、つまり、形式知化していなかったのだろう。

 形式知化していない知識は継承されない。

 暗黙知は時間と空間を共有しなければ伝えることはできないから、部門が急激に拡大したら暗黙知は伝わらない。 一方、形式知は、時間と空間を共有しなくても伝わる。

 SONYの設立趣意書(https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html)や、松下(Panasonic)の企業理念(http://www.panasonic.com/jp/corporate/management/code-of-conduct/chapter-1.html)は、今でも誰でも見ることができる。

 顧客における価値を考えないで

  • 自部門内でのスペシャリストvsゼネラリストを議論する者
  • 将来に亘り無条件に組織が存続すると考える者

が増加した原因は何か?

 部門を立ち上げた人たちは時間と空間を共有することで暗黙知を共有できた。しかし、暗黙知を形式知できなかったことが原因だと思う。

 部門が立ち上がった当時、周りの人と暗黙知を共有していた記憶がある。今、自分がなすべきことは、暗黙知の形式知化とそれを次世代に伝えること。

 あとは方法論かぁ。(^^;


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2017年9月10日 (日)

ググれカス <ググったらカス>

「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。 熊代 亨2017/6/2

 「ググれカス」から「ググったらカス」になっているというもの。

 すぐに他人に質問する人は「ググれカス」と言われる。「まず自分で調べろ」という意味だ。

 以前はgoogleで検索すると、比較的容易に目的の情報を見つけることができた。 googleはロボットで収集した情報を独自の順位をつけて表示するしくみだから、googleの順位を信用して順位が高い順に情報を精査するのは良い方法だった。

 検索結果にユーザと関連が深い広告を表示し、広告収入を得るのがgoogleのビジネスモデルだったが、最近は、自サイトを検索上位に表示させるテクニックが商売になる時代になってきた。 googleは恣意的でなくても、検索される側が恣意的に検索結果上位に表示させる工夫をしているから、ユーザにとって検索結果は恣意的だ。

 つまり、googleの検索結果で順位が高い情報にはノイズが多く、「ググったらカス」が表示されるというわけだ。

 複数の検索キーワードを指定するなどの方法でノイズを減らさなければ、目的の情報にたどり着けないようになった。つまり、「知識を手に入れるための知識」が必要になっているということらしい。

 「知識を手に入れるための知識」に自信が無い人は、いっそ情報源をGoogleやインターネットに頼らず、図書館や書店に通ったり、新聞やテレビといったマスメディアに頼ったりしたほうが良いのかもしれません。

は笑えない冗談だが、「ググる方法」は今や情報リテラシーなのかもしれない。

 ググる(2016/07/29)や 「ググる」の功罪(2016/07/04)で書いたように、googleは大量のデータからキーワードに対する検索結果を表示してくれるサービスであって、ユーザが欲しい情報を見つけてくれるものではない、ましてや自分にない知識を教えてくれるものではない。googleは機械であって先生ではないのだ。

 googleは強力な機械だから、この機械を使う方法を知らなければならないということだ。
簡単な方法は、検索結果をコピペせず自分の頭で解釈して使うことだ。これだけでgoogleという機械が使えるようになる。



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2017年9月 8日 (金)

デジタルが全てを破壊したフォントのはなし <変化できないものは消え去る>

デジタルが全てを破壊したフォントのはなし。 PRETTZ MAGAZINE 2017年7月29日

 文章にはその内容と見え方(版組)がある。
昔LaTeXを使っていたころ、TeXを使うメリットとして「内容」と「版組」の分離はよく言われていた。 それまでは一太郎を使っていたので考えたことがなかった。

 さらに、ユーザがフォントを選べるようになって初めて、デジタル・データ化された符号としての文字と人間が視認できる文字の姿形の違いを認識した。

文章が

 文章 = 内容 + フォント + 版組

とすると、いわゆるデジタル化により、デジタル・データ化し易い「内容」を媒介する媒体は紙からNETや電磁的記録媒体に変わり、「見え方」も印刷から電気的なディスプレイに変わった。

デザイン業界の人は

文章 = 内容 + (フォント + 版組)←分離不可

と思っている人が多かったわけだ。

だから、

デジタルの戦いに背を向けた写研と、真っ向から向かい合ったモリサワ。

デザイン業界にいる人はこのような対立軸に感じるのだろう。

 もう少し違う観点で見ると、

 そもそも、普通の人々にとって「文章」を扱うときに不可欠なものは「内容」で、「フォント」や「版組」は必要最低限で良かったということではないだろうか。

 デジタル化しようと考えたときに、「内容」をデジタル化することのメリットの方が「フォント」や「版組」の「美しさ」より重要だったということだ。 もちろん、 内容のデジタル化<「フォント」や版組の美しさ という場面はあるだろう。そのような場合は、美しいフォントと職人技が必要になる。 逆に言うと、そのような場面でしか、美しいフォントと職人技は必要とされないということだ。

 つまり、デジタルの戦いというけれど実際は、

  • フォントと版組が分離できるか、できないか
  • フォントと版組の美しさを優先したか、内容のデジタル化を優先したか

の違いと観ることができる。 

 デザインには疎いので、 フォントと版組が本当に切り離せないのかは分からないのだが、歴史的に見ればCPUパワーは数々の不可能を可能にしてきた。

 「フォント」と「版組」が分離不可能で「内容」のデジタル化よりも重要であり続けるなら、写研のアプローチは正しいのだろう。 競合他社より「美しいフォント」「美しい版組技術」を持っていることは貴重な資産になるから、これらをデジタル化したフォントを公開しないという戦略は合理的だ。

 しかし、「内容」のデジタル化が重要であれば、競合他社より「美しいフォント」「美しい版組技術」を持っていることは貴重な資産にならないから、デジタル化したフォントを公開する戦略の方が合理的だ。

 デジタルが全てを破壊したわけではなく単に経営戦略の話ではないのかな?

 ルールや価値観が劇的に変わるのは、アナログ時代にもあったことだ、そして、変化に対応できない者は忘れられる定めもアナログ時代から変わらない。

閑話休題

 技術屋なので、美しい「版組」を実現する職人技の方に注目してしまう。

 既存のルールや価値観の中で成功しているものは、変化に追従できないことが多い。しかも、変化の兆しに気が付き警鐘を鳴らすものは異端児扱いされる。

 技術・技能を売りにしている場合も同じだ。技術的な優位性に捉われて、その技術・技能の必要性に目を向けないことがある。 いくら技術的に優位であっても、その技術・技能に必要性がなければ、あるいは、技術が低コストで代替できるなら、職業として成り立たなくなる。

 高い技術・技能を持っている者ほど、その事実を受け入れられない。その結果、記事中に引用されている、「 オレ達はオレ達のプライドに殺される」ことになる。

 「高度な〇〇」のような謎フレーズに惑わされてはならない。求められているのは〇〇の必要性だ。ここを見誤ると10年後にはお飯食い上げになる。

 変化の兆しに気が付いた者は異端児扱いされても警鐘を鳴らさなければならない。

 現在高い評価を得ている者(高度な〇〇を持っている者)には、 異端児が単に異端児なのか救世主なのかの判断はできないと思う。


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2017年9月 4日 (月)

「昔のソニー」をありがたがる風潮への違和感 <読者の需要がある>

「昔のソニー」をありがたがる風潮への違和感 東洋経済 ONLINE 2016年10月31日

 OBが現役に対して口を出すのは今に始まったことではない。 特に実績を残しているOBの口出し(助言)は厄介なものだ。 経営状態が悪くなったときでも「大きなお世話」とは言いにくい。

 冨山和彦氏が指摘するように、OBの時代と現在は違うことが多いから、指摘が正しいとは限らない。多くのOBは成功体験を一般化・普遍化しないで語っていることが多いので参考にならないことは多い。

 東洋経済ONLINEの記事を読んでいる人が皆SONYの株を持っているわけではないから、正直業績が良かろうと悪かろうと大して関心はない。むしろ昔のスピリトを失ったことの方が関心がある。

 親方日ではないSONYがが役人の妨害にも負けず成長し、他社からモルモットと揶揄されながらも成功したストーリーを見ていた世代は少なからず思い入れがある。 だから、同じ思い入れがあるOBの話を聞きたがるのではないか。

 つまり、OBの話は読者の需要があるのだろう。

 平井社長は就任時ネガティブな報道もあったが方法はともあれ黒字化した。経営者としての責任は果たしているわけだ。 それでも、「エレキ回復」を唱え続けるのは、OBや成長時代を共有したユーザに配慮してのことなのだろうか。

 SONYのWebサイトの企業情報には、井深大ファウンダー・最高相談役が起草した設立趣意書がある。有名な、

真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」

(https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html)

はまだ掲載されている。
もっとも、設立趣意書はSONYの「歴史」で紹介されていて、現在のミッション/ビジョンは

ミッション
ユーザーの皆様に感動をもたらし、人々の好奇心を刺激する会社であり続ける。
ビジョン
テクノロジー・コンテンツ・サービスへの飽くなき情熱で、ソニーだからできる新たな「感動」の開拓者になる

(https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/vision/)

今風になっている。

 おそらく、設立趣意書の精神は、井深大氏、森田昭夫氏ら創業者が存命中、創業者に薫陶を受けた世代が現役だった頃は求心力だったのだろうが、創業者を知らない世代にとっては足かせになっているのではないだろうか。

 冒頭の記事の中で冨山和彦氏は

 大事なことは、どうやって優秀な学生が、古くて大きな会社に入らないようにするか、だと私は思っています。これは、国の政策として、とても大事なことです。

とおっしゃる。大事なことだと思う。

 しかし、古くて大きな会社の親方は日の丸だったりするので、国の政策にするのは難しいだろうな。国の役人は自己否定できないから。


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2017年9月 1日 (金)

35年ローン <不良資産になる>

昭和の遺物「35年ローン」がサラリーマンを破滅に追い込む NEWSポストセブン 2017/07/29

 しかし、もはや35年ローンの役割は完全に終わった。というよりも、サラリーマンを破滅に追い込むシステムに変貌しつつある。その理由は、ここまで申し上げてきたとおり。

(1)35年の安定収入を見込める者はごく少数
(2)住宅価格は今後右肩下がりで下落していく

 この二つに尽きる。そして、この二つの条件が今後覆る見通しは少ない。

 御多分に漏れず35年ローンを組んだくちだが、この指摘は正しいような気がする。
35年先のことまで深く考えなかった。 (^^;

 団塊世代の先輩たちは住宅ローンの返済はずいぶん簡単だったようだ。毎年給料は上がるし、土地やマンションの価値も上がる。

 予定より早く返して、しかも土地の資産価値は買った時より高くなっていた。とか、買ったマンションを売って引っ越すたびに高いマンションが買えたという話を聞いたものだ。

 右肩上がりの時代はとうに終わっているけど、人の考え方は変わらない。

 今後、郊外の戸建ては迷惑資産になるらしい。

郊外・庭付きの実家が「迷惑資産」になるワケ  東洋経済 2014/12/15

そりゃそうだ、人口が減って、夫婦そろって正社員なると、通勤が便利な所に住むから、郊外に住んでるのは年寄りばかりだよな。


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2017年8月22日 (火)

エンジニアと名乗るからには頭を使え!

Yoshi品質研究所の毎日コラム第1590回

Yoshi品質研究所 Facebook 2017/08/03

第1590回

エンジニアと名乗るからには頭を使え!
昔、私の先輩に言われた言葉です。
最近「エンジニア」と名乗る「オペレータ」が増えてきている気がします。単純に言われたことだけやるとか、図面をトレースするだけというような仕事をしているのに、「自分はエンジニアです。プライドがあります」と言うような人のことです。
かわいそうなのは、近い将来この手の人に「仕事はなくなる」と言うことです。ここ10年ほどで一気にCADなども発展し、モデファイ設計の領域ではもはや機械任せでも図面が書けてしまう時代。そうなると「自称エンジニア」を高く雇うくらいならば、CADのお絵かきを出来る「オペレータ」を安く雇ったほうが企業としてはコストダウンになります。
それに気づかずに、「継続的に頭を使い続ける」ことを止めてしまったら、エンジニアは存在価値がなくなってしまうわけです。
機械では生み出せない「創造力」こそがエンジニアの価値なのですから。


 「技術で食っていく決心」をしていない者はどうしても易きに流れるので「オペレーター」になりがちだ。 Yoshi品質研究所さんの例は設計だが、技術に携わる職業全般に言えることだと思う。

 「技術で喰っていく」ためには、日々新しい技術を追いかけて、日々技術力を磨かなければならない。この作業は「エンジニア」である限り続く。自転車と同じで止まってしまうと倒れる。 その時が、仕事を初めてから3年後なのか、10年後なのか、20年後なのかは分からない。

 唯一言えるのは「技術で食っていく決心」をした人ほど長続きするということだ。

 気力や体力がなくなってこの作業を怠ってしまうと「終わったエンジニア」になる。
そして、「終わったエンジニア」であることを自ら認めるのはツライから「自称エンジニア」になって「オペレーター」の仕事しかできなくなるという構図だろう。

 それでも昔は「自称エンジニア実はオペレーター」でも仕事があった。しかし、「自称エンジニア実はオペレーター」のコスパは非常に悪い。しかも、最近は、自動化、機械(AI)化が進んで、人間にしかできない仕事は少なくなっているから、「自称エンジニア実はオペレーター」の仕事が「オペレーター」や機械(AI)にとって変わられる。

 猶予はない。

 更に、これまで「エンジニア」の仕事だった領域も機械(AI)に浸食される。
つまり、「技術で食っていく決心」をしている人でも、今後、機械(AI)にはできない能力を見つけ、習得し、磨かなければならないということだ。

 その能力とは、「自分の頭で考える力」だと思う。Yoshi品質研究所のいう「創造力」も同じだ。

 この能力は先天的な要素が大きいような気がする。しかし、後天的に獲得できないというものではないような気もする。

 では「創造力」をどうやって獲得するか?

 たぶんつづく


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2017年8月20日 (日)

MOMO初号機打ち上げ報道と確証バイアス

MOMO初号機打ち上げ

 満足な結果ではなかったけれど。今は失敗することが大きな財産だと思う。H2Aも何度も失敗して今がある。 H2Aは税金だからかなりのプレッシャーだけれど、民間企業だから国民から非難されることもない。

 ノウハウは失敗から得られる。そしてノウハウを公共機関ではなく、民間企業が持つことの意味は大きいと思う。

 将来、マイ人工衛星が持てるようになると考えると、楽しくなるよね。

###

 ところで、この報道が日本と米国で違うことが話題になっている。元はTwitter(https://twitter.com/ChoiChoiAdv/status/892344537154109440/photo/1)。

ホリエモンのロケットの打ち上げ結果の日本とアメリカの報道の違いにメディアの質を見た(←http://temita.jp/twitter/51650)

日本のメディアは「失敗」で米国のメディアは「部分的成功」と報道したという。

 なんでもかんでも米国の方が良いというわけではないだろう!と思ったら。ちゃんと調べている人がいた。

ホリエモンロケットは「失敗」だったのか、部分で全体を語らない(←http://www.netlorechase.net/entry/2017/08/04/080000)

結論は

①「失敗」の表現を見出しに使った3紙は時間的に速報扱いであり、その状況では「失敗」という言葉を使うこともありうるだろう。

②アメリカメディアで「partial success(部分的な成功)」というような、好意的な見出しをつけているのはEngadgetの一記者だけであり、アメリカ全てのメディアがそのような表現を使っているわけではない。

③過去の日本の打ち上げ失敗に関しては「失敗」の表現を使っており、記事見出しだけで、日本とアメリカのロケット開発の温度差をはかることは難しい。

確証バイアスのせいで、日本の報道はダメと書くと同調する人が多い。


タイトルが「認証バイアス」になっていた。正しくは「確証バイアス」(2017/8/22)


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2017年8月17日 (木)

炎上記事のコメントを読んでみた

東洋経済ONLINEに「役職者を「さん付け」する会社が崩壊するワケ 江口克彦 :故・松下幸之助側近 (2017年04月14日)」という記事があって コメントが炎上している。

【考察】

 コメントはほぼ否定的な意見だ。 文章が短い人(Twitter風)はおそらく若い人で、脊髄反射で書いているのか、根拠がないと反論しながら、その反論にも根拠がなかったりする。

 主観的な意見に主観的な反論をしているので、双方言いたいことを言い放しの感は否めない。

 コメントを分類すると。

  • 「さん付け」でうまくいっている例がある
  • 因果関係が検証不足
  • 海外企業では敬称で呼ぶ習慣はない
  • 松下幸之助側近という肩書って何
  • 肯定的な意見

 

〇 「さん付け」でうまくいっている例がある
 「さん付け」で上手くいっている会社を挙げている人は多い。
「さん付け」で上手く言っている会社を1社挙げて反論するのは、この記事が「さん付け」で上手くいかなかった例を3社挙げているのと同じで根拠としては弱い。

 

〇 因果関係が検証不足
 因果関係が検証できていないという意見も多い。
江口克彦氏は

ですから、「さん付け」をやめたことだけが「発展の要因」とはいえません。

と書いておられるから、「さん付」⇒「業績悪化」の因果関係は未検証であることが分かる。
 冒頭に「筆者の34年におよぶ経営者としての経験から言えば、」とあるように、 江口克彦氏の34年に及ぶ経営者としての経験則を支持するか、支持しないかだ。

 主観的な主張だから支持できないという主観的な反論でよいのだが、江口克彦氏の主張が誤っていると反論するならばそれなりの反証は必要だろう。客観性を求めるなら、コメントにあったように、多くの企業の「呼称」と「業績」の関係を調査するなりしなければならない。それができないならば、反対意見もまた主観的だ。  

〇海外企業では敬称で呼ぶ習慣はない

 この記事を読むと海外企業のことは眼中になくて、「国内企業においては」という暗黙の前提があるのではないだろうか。
 想定外されていない海外企業を例に挙げて反論しても議論にならない。

〇松下幸之助側近という肩書
 どう名乗ろうと勝手だと思う。相手の肩書だけで人格まで否定するのは、2ch的だなあ。少なくとも江口克彦氏への反論ではなく、単に相手を叩こうとしているだけのように見える。
 (肩書までみて記事を読んでいるのはスゴイな、肩書は気にしていなかった^^;)
 
〇肯定的な意見
 肯定的な意見は少ないのだが

NO NAMEf1b72ef5eaa6
おいおい、この記事の否定をしてる奴等よ
オマイらは表題しか読んでないのかい?

オマイらが否定の為に挙げてる企業はいずれもそもそもで意識が高い位置に有るのでは無いのかね?
筆者も書いてる、全てがこの呼び方一つで変わった訳では無いと

でも、家族みたいなぬるま湯に浸かっている人間達の意識を変えるのに

たった一つ呼び方を変えるだけでも充分な効果が得られたと言ってるじゃないか

勿論、否定側の言う様に筆者の方にも言い切り過ぎて無いか?と言う部分はあるけど

実体験と言う点で、筆者が自信を持って書いてる、ただそれだけの話し

全ての企業が当て嵌まる訳が無い、でも、藁にもすがる状態であるのなら
情で織られた藁で無く、理智を持ってして織られた藁にすがるべきだと書きたかったのだと自分は感じた。

冷静な解釈ですね。この意見に賛成。

【オヤジ的には】

 江口克彦氏は経営者的な立場でこの記事を書いておられる。

 自分の立場(ミドル・マネジメントで考えると。

  • 優先的に解決すべき問題が「役職にある者の責任感の欠如」にあるなら、「肩書」で呼んでみる
  • 優先的に解決すべき問題が「風通しの悪さ」なら、「さん付け」で呼んでみる

でいいじゃないだろうかと思う。 効果がなければ他の対策を考える。
ミドル・マネジメントにとって重要なことは問題を解決することでスローガンじゃないから。

【経営者的には】

 経営者的には部下に対して

「部長」「課長」と呼ぶ際には「あなたは部長としての自覚がありますか」「責任感がありますか」という意識をこめて呼べばよいのです。

が言いたいのだろう。

【部下的には】

 でも、あなたは部長としての自覚がありますか」「責任感がありますか」なんて経営者が直接部長に言えよ!と思ってしまう。 そもそも、部長としての自覚がない者、責任感がない者を昇任させるなよ!と思う。  たぶん、自覚や責任感がない課長、部長も若いころはそう思っていたはずだけど。

【まとめ】

 この記事のタイトルは、煽りでも釣りでもないと思うのだが、書いた人とコメントした人の、ジェネレーションギャップを感じる。 文章が短い人(Twitter風)はおそらく若い人で脊髄反射で書いている。文章が長い人は役職についている人だろう。

 若い人からすると、江口克彦氏の主張は前世紀の遺物のような時代遅れの認識のように思うだろう。でも、とりあえず批難する前に、

〇 筆者の世代を考えてみる
 この世代は終戦の焼け跡から日本を復興し、成長させ、バブルに踊って、20年無策で、今はちゃんと年金をもらっている世代だから、未来への希望があった世代だ。そしてその時代での成功体験がある。そういう背景がある人の意見だと思って読む。
  
〇事実は事実として受け入れる
 業績が悪かった事業を立て直したという事実は事実として認める。つまり、それなりの実績を残している人だから、全く根拠のない主張ではなく、少なくとも熟慮したことがあると考えるのが妥当だろう。
 問題は、その成功例が現時点において効果があるかどうかだ。
 
〇主張の正否ではなく、自分はどう行動するかを考える
 この記事は主観的な主張だ。しかし、客観的事実に基づかない主観的な主張はすべて取るに足りないというわけではない。経験が豊富な人は暗黙知も多い。しかし、暗黙知は論理的に説明できないことは多い。
 経験則ベースの話の正否を論理的に判断するのは難しい。事実、批判的なコメントは多いが、論理的に誤りを指摘したコメントはない。

 せっかく、貴重な時間を使って読んだのなら、主張の正否を考えるのではなく、この記事の主張である、

  •   「役職の自覚や責任感のない上司にどう対応するか」

を、自分ならどうするか? と考えればよいのではないだろうか。そして、

  • 江口克彦氏の主張のように「〇〇課長」と肩書で呼ぶのも良いし、
  • 無視して責任感がある上司と話しをするでも良いし、
  • 自分が課長になったらどうするかを考えるのも良い。  

自分がとるべき行動を考えるたとき、おそらく正解はない。環境が違うから。

このときに、「社長が××すべき」のように他人の行動ではなく、「自分なら〇〇する」のように自分の行動を考える。

 きっと、その方が「コイツアホか!」のようなコメントを書くより、10倍役にに立つと思う。


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2017年8月16日 (水)

「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」への批判意見

「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」への批判意見をまとめてみた  残業ゼロのIT企業AXIA社長ブログ  2107.7.20

エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか 2017/7/18 への批判意見のまとめ。

 このネタは定期的に登場するので、米村歩氏は予防線を張っていたようだけれど、それでもかなりの反論があったようだ。

 はてなブックマーク - 「エンジニアは業務時間外でも勉強するべきなのか」

 批判派の人は米村歩氏に対してではなく、自分の会社、自分の上司を思い浮かべて反論しているんじゃないだろうか。米村歩氏の意見が正論だとわかっていても、自分が置かれた環境を考えると、文句が言いたくなるのだろう。

 とすると、やはりこの業界、黒い会社は多いんだろうなと思ってしまう。

 キャリコネが反論していないのは、あまりに正論だったからか?

###

 35歳限界説(ウチでは、40歳限界説)という伝説がある。これが本当だと仮定する。

 米村歩氏の主張は、35歳で限界を迎えた燃え尽きた人は会社からいなくなることを前提にしているのだと思う。

 業務時間外でも勉強する人は35歳で燃え尽きないので会社に残る、35歳で限界を迎えた人は会社を去り、新人が入ってくる。35歳で燃え尽きない人の労働条件を良くしておけば、燃え尽きない人が増えて会社の業績も上がる。麗しいモデルだ。

 ところが、これが年功序列の組織だと、35歳で燃え尽きても辞めないでよい。
「簡単にマネジメントができると思うなよ」と米村歩氏は仰る。これは本当に本当に正しい。でも燃え尽きた人は残る。

 燃え尽きる人は燃え尽きない人より圧倒的に多いから、年功序列の組織では、ほとんど燃え尽きた人になる。しかも、マネジメントもできない人も多い。

 誰が仕事をしているかというと、燃え尽きる前の若い人と少数の燃え尽きていない人。そして、燃え尽きた人(例えば理不尽な批判をしていたような人)が仕事の邪魔をする。

 これって、黒い会社以上に真っ黒じゃないだろうか。。



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2017年8月10日 (木)

テック・ギークと確証バイアス

SUGEEE!けどトゥーマッチ…10歩先を行ってしまう技術大国ニッポンの悲しさ 河崎 環citrus 2017.05.12

 河崎環氏は仰る

そう、日本企業はどうもテック・ギーク(技術オタク)であり、海外企業のような派手なマーケティングの陰に隠れてしまう。携帯テレビや電子マネーなど、日本が早すぎて海外が10年ほど経って追いつき、しかも後発の方がウケるというケースは珍しくありません。日本ってば、ついオタクマインドを追求して10歩先を行ってしまい、時代に早すぎて勝機を逃しまくる子なのです。

 そう、富士通が指紋認証機能を付けたのが2003年でAppleがTouchiIDをiPhone5Sに付けたのが2013年ということを言ってるらしい。

(↓カメラの下の□が指紋センサー)
F-10D

 そう、よくある指摘だけど...
Appleと富士通のスマホだけを比較して、日本企業が技術オタクと決めつけるのはいかがなものだろう?と直感的に思ってしまった。

 日本企業がテック・ギークいうよくある主張をきちんと検証しなまま後追いしてアルアル感を醸し出ている?

日本の製品開発は、もともと日本が人口1億3000万人の大きめの市場であることや日本語という分厚い語学的障壁も手伝って、基本的にマーケット照準を国内に定めていて、初めからまず世界で売るためのプランニングはあまり見られません。はなっからガラパゴス内で使うことを前提としているのです。

この指摘もよくあるけど...

 携帯電話の場合は、NTT(日本)が通信規格争いで負けたという事情がある。親方日の丸電電ファミリーの優等生富士通が親方の意向に逆らって、日本とは違う世界で使える通信規格の製品を作れるはずもない。 

 反対に、昔のSONYは、最初から世界で売るつもりでいた。そして、世界で認められる企業になった。企業イメージは「技術のSONY」」、テック・ギークで売っていた。(今は違うけど。)

 という反対意見は検証していない。

 自分の主張に合う情報を選択的に集める傾向のことを、確証バイアスというらしい。

 しかし、河崎環氏が想定している読者は、悪く言えば暇つぶしに記事を読む人だろう。(σ^^)もそうだ) 少なくとも「日本企業が世界市場で後れをとる理由」について真剣に考えている人を想定しているわけではないのだろうから、確証バイアスがかかっていても目的は達成しているのかもしれない。

 読者の立場では、
確証バイアスがかかった主張かどうかを判断できるようになりたいものだ。
自分に確証バイアスあると、確証バイアスがかかった記事を集めてしまう。


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