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日記・コラム・つぶやき

2017年5月27日 (土)

ツブシがきく <違和感がある言葉>

 「ツブシがきく」よく聞く言葉だ。
「どこに行ってもツブシがきく」とか「専門分野を極めると、ツブシがきかなくなる」とか。

 「ツブシがきく」とは、「異る分野や部署でも有能でいられる」くらいの意味だろうか。
最近聞く「ツブシ」はネガティブな意味で使われることが多いような気がする。

 今の部署はかなり特殊な領域なので専門性は高い。しかも、 成果をあげようとすると狭い領域の能力を高めなけれならないので、今の部署に長くいると「ツブシがきかなくなる」というのだ。

 専門性の高い部署で狭い領域の能力を高めようとすると、本当に「ツブシ」がきかなくなるのか考えてみた。

「ツブシ」って何だろう?

 「ツブシがきく」という人には、ゼネラリスト信仰があるのではないのだろうか。スペシャリストは冷遇されると言いたいのだろう。

 今の職場は、確かにスペシャリストのキャリアパスは少ない。いや無い。 スペシャリスト用のキャリア・パスが必要という人は多いが改善される気配も無い。 スペシャリスト用のキャリア・パスを設計するのは、「ツブシ」のきいた連中だから、「ツブシ」のきかない連中のことまで構ってられないのだろう。 そう考えると、スペシャリストは確かに冷遇されているのかもしれない。

「ツブシ」の前提

 「ツブシ」がきく、きかないの話をする人は、社会情勢や技術動向などの業界や職場を取り巻く環境、仕事への価値観、組織の構造は現状のまま変わらないことを前提にしているようだ。 一方で、仕事の分野や部署が変わるのは、自分を取り巻く環境の変化で、職場や業界を取り巻く環境の変化に比べたら微々たる変化だ。

 業界や職場を取り巻く環境が未来永劫変わらないなら、いわゆる「ツブシ」がきいた方がいいこともあるだろう。しかし、将来、業界や職場を取り巻く環境がどのように変わるのか分からない。 業界や職場を取り巻く環境が変わったら「ツブシ」などきかなくなるのではないかと思う。

 つまり、業界や職場を取り巻く環境の変化を考えると、スペシャリストを目指していない人も「ツブシ」はきかない。そして、業界や職場を取り巻く環境は確実に変わり初めている。

環境変化と「ツブシ」

 業界や職場を取り巻く環境が変わっても有能でいられるために必要な能力は、「新しいことを学ぶ能力」と「マネジメント能力」ではないかと思う。

 「新しいことを学ぶ能力」があれば、自分を取り巻く環境が変わっても対応できる。そして、「マネジメント能力」があれば学んだことを成果にできる。

 よく考えると、この2つの能力は、スペシャリストに不可欠な能力だから、スペシャリストとして認められるようになれば、環境の変化には対応できる能力を持っているということではないだろうか。

本当の「ツブシ」

 既に始まっている環境の変化でも「ツブシ」がきくためには、スペシャリストかゼネラリストはは関係なく、「新しいことを学ぶ能力」と「マネジメント能力」を持っていることが必要。 これらの能力が本当の「ツブシがきく」人の条件だ。

 現状に付いていけなくなった、「昔スペシャリスト」も、環境が変わらないことを前提にした、いわゆる「ツブシがきく」連中も、業界や職場を取り巻く環境が変化する時代では「ツブシ」はきかない。


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2017年5月21日 (日)

やらない限り始まらない

みなに告ぐ(笑)。やらない限り始まらないよ。
(https://ameblo.jp/juno-career/entry-12271304764.html)

やらない限り、絶対に始まらないのだ。

これは事実。みんな知っているけど認めたくないこと。

 ちょっと大きなオフサイト・ミーティングを企画したら、「とても良かった。こんなことは、あなたしかできない」などとお世辞か本音かわからない意見を聞いた。 でも、この企画の前に何回かの失敗をしているから、σ^^)が特別な能力を持っているわけではなさそうだ。 結局、失敗するかもしれないけどやってみよう、とか、失敗したけどもう一度やってみようと思ったかどうかの違いだけだと思う。

 つまり、「誰々さんにしかできない」と言うのは誰々さんを褒めているわけではなく自分への言い訳ってことなんだろう。

それにね、動かない人に、助言できることはないのよ。

これも事実。「それを言っちゃぁおしめ~よ」^^)な気もするけど...

 経験と自戒で考えると、動かない人に助言しても99%効果は無いと思う。自分もそうだ。

 自己啓発本を読むことが多い。自己啓発本にはすばらしい助言がたくさんちりばめてある。もし、助言が有効なら大成功を収めているか、人格者になっているだろう。

 ところが、相変わらず普通のオヤジなところを見ると、他人の助言はほとんど効果は無いのだろう。

 でも、全く効果が無いわけではなくて、助言が有効な「時」があるのだと思う。

 「時」を見極めるのは難しい。毎日見ている(つもりの)部下や、自分の子でも「時」を見て助言するのは難しいと感じる。

 その「時」だと感じたら、躊躇しないで助言するのが良いと思う。

 気をつけなければならないことは、相手は助言どおりに行動しないし、助言に即効性は無いからすぐに行動しないこと。それが普通だと肝に銘じておかないと「せっかくあなたのために助言したのに」のような恩着せがましいウットウしい奴になってしまう。

 本を読んで分かったことは、文章での助言にも良いことがあるということ。

 文章は時間と空間を超えるので、直接会うことができない人に助言したり、助言されたりすることができる。特に時間を超えて助言を受けるのは貴重だ。歴史上の偉人から助言を受けることもできる。過去の偉人の名言も自分に宛てた言葉だと思えば、有効な助言になる。

 さらに、誰かに宛てた助言をブログなどに書いておくと過去の自分から助言されることもある。

 ということを期待して書いておく。


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2017年5月18日 (木)

Japan IT Week 春 2018

Japan IT Week 春 2018」を見てきた。

【IoT&M2M展】

 去年閑古鳥状態だったIoT展は大盛況だった。
つなぐモノやつないだ後のシステムは新しいものはない。モノをインターネットにつなぐといっても回線がいる。ところが無線回線のカバーレンジを考えると、Wifiの次は3G/LTEだ。しかし、全てのモノに3Gを持たせようとするとコストを考えると難しいし、全てのモノに3G3Gの帯域が必要とは限らない。ということで、去年は3G回線が余っているキャリアだけ盛り上がっている感じだった。

 今年は、Wifiと3Gの間(1km~数十km)で、低速、省電力LPWAのサービスが立ち上がっている。SONYが最近発表したLPWAは、20mW、80bpsで100km届くという。中部電力と実施していた実証実験では見通しで40km、見通し外で15km通信できたそうだ。

 LPWAはボタン電池や、太陽電池で動作する。企画は乱立してるけどサービスは始まっているようだからセンサーネットワークが普及しそうだ。

Lpwa1

【組み込み展】

 組み込み展はガラガラだった。ブース前のミニセミナーに人だかりがある(O_O)と思ったら、出展者のカードを下げてる(^^;

 どこのブースも同じような展示だ、隣接分野の人たちはIoT展に出展しているのだろう。どのブースも似ているから発見がないし刺激がない。

【ストレージ展】

 

 ストレージ展で聞いた話では、今時50Pbが現実的な値で、今後SSDになるだろう。とのこと。SSDを重要なストレージに使って大丈夫か?と思った。

 SONYが産業用SDカードを展示してた。専用のF/Wを開発して書き換え回数を減らすことで、寿命を倍にしたそうだ。SDカード内に診断ツールが入ってるそうだ。

 SONYがSDカードを売るようになるとはね。

Sonysd

【その他】

 アプリケーション関係ではBIという単語を多く見かけた。
Business Intelligence だそうだ。こコンセプト自体は昔と変わらないけれど、端末でもサーバでも扱えるデータの量が増えている。

 空中浮遊ディスプレイを2か所で展示していた。
このディスプレイは画面より手前で結像するので浮いて見える。立体的に見えたり、反射による映り込みがないないのだそうだ。
Ddisplay

 職場の人に「展示会行かないの?」と聞くと、反応がイマイチだ。
自分の領域に閉じこもっている人にとっては展示会に行かなくても良い。しかし、新しいネタを捜している人にとっては、隣接領域や他業種のブースを見て話を聞くことで、知識と刺激を受けることができる、良い機会だと思うのだが。


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2017年5月15日 (月)

新卒エンジニアが1年間で上司に感じた5つのこと(2) <先輩君へ>

エンジニアを指導する立場の人こそ読んでほしい、新卒エンジニアが1年間で上司に感じた5つのこと
(http://qiita.com/H_Crane/items/22ea96300dda82ec5b02)

 「新卒エンジニアが1年間で上司に感じた5つのこと(2017/05/11)」で、この投稿は釣りではないか(新人にしてはあまりに上から目線すぎる)と思いながらもマネジャの立場から新人君に向けて書いたので、釣られたついでに、マネジャから先輩君に向けて書いてみる。

 件の記事に対するコメントは、賛否両論だが肯定的なコメントも少なからずある。真面目にコメントしているのは新人の教育係りをやっていた先輩君であろう。そして、多少なりとも身に覚えがあるのだろう。

 先輩君も新人の頃に多少なりとも同じことを思ったではないのだろうか。
そして、新人を教える立場になると、自分が新人だった頃に教えてくれた理不尽な先輩のようになっていることに気づいているのではないだろうか。

 問題の根本は、

先輩や上司は問題に対する正解を知っていて、しかも教えるスキルを持っている。そして先輩や上司は新人に教える義務がある。

ことが前提前提になっていることだ。

 昔は、新人が即戦力にならないことや誰もが教えるスキルを持っていないことを皆知っていた。余裕がある時代だったから、基礎知識や業務に必要な基礎的なスキルの習得は、外注するか、教育・訓練専門の部署に任せていた。だから、現場はノウハウを教える(経験させる)だけでよかった。

 ところが、時代が世知辛くなると、教育・訓練の予算は削られ専門部署は縮小された。そこで経営層が思いついた言葉が「即戦力」と「OJT」だ。

 つまり、新人は必要な基礎知識を持っていて、全ての人が教えるスキルを持っていることにした。おまけに、マネジャたるもの部下の育成は義務だと言い出した。おまけに、学校もこの流れに便乗して「即戦力人材を供給する」などと言いだした。ところが、「即戦力」と言いながら、十分に基礎を教えないで実務を教えるから、既出問題の正解の記憶力が優れた新人君は自分は即戦力だと誤認してしまう。

 その結果、即戦力の自分に教えられない先輩・上司がタコだと勘違いする新人君と、新人に教えるのは現場の義務とばかりに問題を現場に押し付けた経営層の板ばさみになっているのが、現場の先輩君というわけだ。「ググれカス」と言いたくもなるものだ。

 じゃあ、先輩君にはまったく問題がないのかというとそうではない。
先輩君に足りないのは「教えるスキル」だけではなく「暗黙知を形式知化する能力」だ。

 「教えるスキル」不足は仕方ないとしよう。「教えるスキル」が無くても仕事はできるし、「教えるスキル」の向上は後回しになるのはやむをえない。目先の仕事は優先せざるを得ない。

 問題は「暗黙知を形式知化する能力」不足だ。
実業務で得た暗黙知は形式知にしなけれ人に伝わらない。

伝わる知識=形式知×伝える能力

だから、形式知が無ければ、いくら伝える能力があったとしても伝わらない。ゼロに何を掛けてもゼロのままだ。

 「暗黙知の形式知化」ができない人の教え方は、「やってみせる」ことだけだ。「貸してみ。こうやってやればできるんだよ~」とやってみせるのだが、教えられる側は理解していないから抽象化できない。抽象化できないから応用が利かない。

 つまり、暗黙知は形式知にしなければ伝えることができない。形式知は抽象化しなければ応用が応用が利かないということだ。

 先輩や上司は自分が持っている「暗黙知」を「形式知」にしようよ。
たぶん、新人君に疎まれながら教えるよりはるかに創造的な作業だ。何より自分のためになる。「暗黙知の形式知化」ができれば、形式知化した情報を新人君に与えて「後はガンバレ」と言ってもよい。「ググれカス」というより伝わる知識ははるかに多い。



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2017年5月11日 (木)

新卒エンジニアが1年間で上司に感じた5つのこと

エンジニアを指導する立場の人こそ読んでほしい、新卒エンジニアが1年間で上司に感じた5つのこと
(http://qiita.com/H_Crane/items/22ea96300dda82ec5b02)

この記事を書いた新人君は

  1. 「本当にそれググった?」って聞き返さないで欲しい
  2. やたら「同じミスはするな」って言わないで欲しい
  3. 意見やツールの押し付けをしないで欲しい
  4. もっと褒めて!
  5. 「わからないことはすぐ聞いて」という人ほど聞くと怒る

と思ったらしい。

 昔の人はRTFMと言った。昔、通信設備の保守をやっていたときは「取説(取扱説明書)読んだのか?」だった。
 そして、つい最近まで「ググれタコ」と思っていた。東京でぐぐっても、地方でググっても結果は同じだと。最近になってよく考えたら、検索結果として出力されるデータは同じでも、そこから得られる情報は人によって違う。データを情報にできる人とできない人がいると考えるようになった。

 「RTFM」も「取説読んだか?」も「ググったか?」も、その真意は、「正確な情報を基に自分で考えたか?」であろう。決して、マニュアルや取説を「読む」ことでも「検索」することでもない。

 先輩や上司が業務に従事した期間が長いからといって、その業務を全て明文化できるわけではなく、暗黙知による部分も多い。(KKDだけで乗り切っているツワモノもいるけれど。)

 新人君に暗黙知でやっている部分の質問をされたら、正直なところ大変困る。
暗黙知を明文化するのはとても難しい。暗黙知の前提となっている基礎知識から順を追って説明しようとすると気が遠くなってしまう。しかし、基礎知識を理解しているなら、対話によって暗黙知を伝えることができるのではないかと思う。

 ところが、新人君は基礎知識を理解していないことが多い。
そこで、「基礎知識は理解しているかな?理解していないのなら、まず基礎知識を理解してね♡?」という意味を込めて「ぐぐったか?」と尋ねてみる。そして、「ググったか?」に対する返答を聞いて、暗黙知を伝えられるかどうかを判断しているのではないだろうか。 「ググったか?」と何度尋ねても、暗黙知を伝えられるレベルにならないと「ググれカス」とか「ググれタコ」になる。(こういう言い方がいいわけではないのだけれど) (^^;

 重要なことは「検索」することではなく、検索結果の内容を自分の頭で考えること。

 新人君たちは学校でも塾でもお客様扱いで教えられたのではないだろうか。 特に塾は金をもらって教えているので本当に「お客様」だ。

 ところが、現場に出たら、塾の先生のようにわかりやすく教えてくれる先輩や上司は稀だ。先輩や上司は指導・教育のプロではない。自分の業務はプロだが、教えることはプロではない。 そのプロではない人にプロの対応を求めているのではないだろうか?

 もし、オヤジが新人君から「先輩や上司がちゃんと教えてくれません」のような相談を受けたとしたら何と答えるか考えてみた。

  1. 「本当にそれググった?」って聞き返さないで欲しい
     「本当にそれググっ(て自分の頭で考え)た?」という意味かな。
     君の理解度が、先輩が短時間で教えられるレベルに達していないのだと思う。 君の理解度が足りない場合と、先輩が要求するレベルが高すぎる場合が考えられるけど、ググった結果を鵜呑みにするのではなくて自分の頭で考えてから相談してみたらどうだろう。
    ★技術で食っていくために必要なことは、自らの頭で考える習慣。
     
  2. やたら「同じミスはするな」って言わないで欲しい
     「ごめんなさい」「どうしたらいいですか」で済ましていないかな。
     先輩や上司は、失敗した原因の特定は得意だ。自分たちも失敗しているから。
     その後の失敗しない方法を自分で考えているかな。失敗しない方法は知識として教えてもらうものではなくて、自分で考えて習得するものだと思う。
    ★ミスしない方法は教えてもらうものではなく自ら学ぶもの。
     
  3. 意見やツールの押し付けをしないで欲しい
     「なんでこんなことやってるの?」と思う感覚はとても重要なので持ち続けてほしいと思う。
     いっそのこと、自分の意見やツールで通してみたらどうだろう? その意見やツールのほうが有効なら変わるのではないだろうか。
     そこまで強硬手段に出れないのなら素直に聞いておいたほうがいいと思う。人間関係は重要だから。
    ★先輩や上司は常に正しい判断や行動をするわけではない。
     
  4. もっと褒めて!
     キモッ!! 
     技術者が褒められるのは「結果」だ。過程や取り組みを褒められてもメシは喰えない。それは、新人も先輩も上司も、年寄りも同じことだと思う。
    ★技術者として食っていくなら「結果」で褒められるという気概を持つこと。
     
  5. 「わからないことはすぐ聞いて」という人ほど聞くと怒る
     「わからないことはすぐ(調べて自分で考えてから)聞いて」という意味かな。
    ★先輩や上司はすべての正解を持っているわけではない。
     

 新人君がこれまで接してきた「先生」は正解をすべて知っていて教えることができたけれど、先輩や上司は正解を全て知っているとは限らない、正解を知っていても教えることができるとは限らない。
 この事実を前提にすると、先輩や上司の不可解な言動が理解しやすくなると思うよ。

閑話休題

 この記事を読んだときに違和感を感じた。何度か読み返してみてわかったのは、随所にちりばめられた、

  • あなたにメリットがあります。
  • あなたにとってメリットは大きいと思います。
  • お互いのためになりません。

という文言。そして、後書きの

上の意見は甘えだと思ったあなた、その段階であなたの指導レベルはそこで終わりだと思います。
「俺が若い時は誰も教えてくれなかった」だの過去を引き合いに出される方も同じです。さぞ苦労されたのかもしれませんが、その苦労をあなたは後輩にさせることに意味があるのですか?

指導する側・される側が、それぞれお互いの気持ちに立って、歩み寄っていくことが大切だと思っています。

は、オヤジの感覚では、かなり上から目線だ。新人君の台詞ではないような気がする。

 釣りかな?



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2017年5月 8日 (月)

主観的誤認と客観的誤認

 とある人に「誤認には主観的誤認と客観的誤認がある」と言われた。
主観的誤認という言葉は初めて聞く言葉だ。その時はなんとなく分かった気分になたのだが、よく考えてみると分からなくなった。

 そもそも、「誤認」とは「誤った認識」だから主観的なものだ。
「真実」が存在して、その「真実」とは異なった「認識」これが「誤認」ではないだろうか。とすると、「認識」するのは「客体」ではなく「主体」だから「誤認」は「主観」にしか存在しない。
故に「誤認」=「主観的誤認」であって、「客観的誤認」は存在しないのではないだろうか?

 Wikipediaの「客観的知識と主観的知識」の説明に、もっともよく知られる用語法として、

ある主張が有する論拠との関連で用いられ、この場合には、客観的知識とは十分に根拠付けられた知識を言い、反対に主観的知識とは不十分にあるいはほとんど根拠付けられていない知識を言う。

とある。

 「主観的知識」と「客観的知識」はこの定義に従うとして、「誤認」は「知識」と「認識」が異ることとすると、
「客観的誤認」は十分に根拠付けられた知識≒真実と当事者の認識との相違
「主観的誤認」は不十分あるいはほとんど根拠付けられていない知識と当事者の認識の相違
と考えると、どちらもあるだろう。

 「主観的誤認」の許容度は人や分野によって異る。

 工学の分野では、誤認は重大な事故につながるので「主観的誤認」に対する許容度が狭い。例えば、根拠付けられていない知識に基づいた判断は、福島第一原発のように重大な事故につながる。 したがって、「主観的誤認」は「単なる思い込み」だ。

 科学や哲学の分野では、「客観的誤認」も許容しない。この分野は物事の真理を追究する学問だから、主観であれ客観であれ誤認を許容しない。

 法学や文学の世界では、「主観的誤認」を許容する。この分野は人を扱うのでほとんど主観なのではないか。つまり、「客観的誤認」は稀であり、「誤認」≒「主観的誤認」なのではないだろうか。

 件の、「誤認」には、「客観的誤認」と「客観的誤認」があると言った人は法学の人らしい。真実ではなく人を相手にする分野の人は「主観的誤認」を許容できるのだろう。

 習い性で「主観的誤認」を可能な限り排除しようと考えてきたので、「主観的誤認」を容認することを前提に考えるのは、かなり難しい。

 う~ん やっぱり相容れないなあ。


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2017年5月 2日 (火)

はとバス <1か月半の研修で実践投入>

今年90歳になる母が田舎から出てきたので、はとバスに初めて乗った。
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皇居→お台場→東京タワー→浅草のお上りさん用1日コースだ。

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↑二重橋(奥の橋が映っていない)

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↑東京タワー
35年前に初めて東京タワーに上ったときには中野サンプラザが見えていたと思うのだが、今日は見つからなかった。

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↑金龍山浅草寺 おみくじはは凶

 ガイドさんは新人で1か月半研修して今日が2回目の搭乗とのことで、とても初々しい。アドリブがぎこちないのと、ときどき右手と左手を間違えるのはご愛嬌だ。

 今日のコースは行く先々で他のコースのはとバスがたくさん止まっていて、先輩のガイドさんや運転手さんのサポートとアドバイスをもらっていた。

 新人を実戦投入するにはちょうどいいコースなのかもしれないが、それにしても1か月半の研修で実戦投入できる、教育システムがあるのだろう。


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2017年4月29日 (土)

ピーターの法則と人材育成

 エライ人が集まる、とある会議に出席した。

 どこの職場でも人材育成は顕在化している大きな問題だ。
端々に「人材育成」というキーワードは出てくるけれど、現場の人も管理部門の人も、問題を指摘するだけで、解決に向けた次のステップの議論にならない。

 解決に向けた次のステップの議論を始めると、現場も管理部門も研修担当も入り乱れてカオス状態になることは必至だ。 エラくなる人は皆さん分別をお持ちのようだ。

 結局、現場のエライ人も管理部門のエライ人も、自分が取るべき行動まで明らかにしないから「大変だね」と皆さん評論者だ。

 エライ人達が考えないツケは、下に落ちてくるのだけど、次にエライ人も上に倣って問題を指摘するだけだ。ちょっと目端の利く人は余計な仕事が降ってこないように、しかも自分の評価が下がらないように上手に予防線を張っている。(こういう人がエライ人になるんだろう。)

 エライ人と次にエライ人が巧くかわすので、さらに下に落ちる。この辺りになると本気で問題解決を考えて行動しようとしている人がいて、問題解決のために行動している。ところが権限が無いので制約が多く、活動は限定的だ。

 ピーターの法則どおり、エライ人、その次にエライ人達の階層は無能レベルに達した人で占められている状態だろう。 しかし、ピーター先生によると、どの階層にも少数だけど無能レベルに達していない人はいるらしい。

 無能レベルに達していない人達が、さらに上の階層に行くには、「引き」と「押し」が必要だ。また、無能レベルに達した人でも、まだ無能レベルに達していない人を、引いたり押したりできる。

 「引きと押し」これが階層組織で無能レベルに達した者にできる人材育成では無いだろうか。

 などと、無能レベルに到達した感をひしひしと感じながら、考えていた。



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2017年4月26日 (水)

踏み出す人の「かかとを踏む」善人に、近づいてはイケナイ

踏み出す人の「かかとを踏む」善人に、近づいてはイケナイ  (http://ameblo.jp/juno-career/entry-12267350036.html)

 「かかとを踏む人」に悪気がないのがよくないよね。

 「君のためを思って言ってるんだからね」などとわれると生来のへそ曲がりだから、シラケてしまって「せわじゃほっとけ」と思わず言ってしまう。最近は歳をとって成長したので口には出さなくなった。(顔には出ているらしい^^;)

 「かかとを踏む人」は親とか上司や同僚など親しい人で、「君のためな人」と違って本気で心配して、本気で思いとどまらせようとしているから厄介だ。

柴田朋子氏のいう

それでもその道に行きたいと決めた自分を信じて、そういう善人と勇気をもって距離を置く、

そこからがあなたの冒険の始まりだと思う。

はそのとおりだと思う。

 誰より先に「かかとを踏みそうな人」に相談するのは、かかとを踏んでほしいと願う「弱い自分」がいるからだろう。たいていは、「かかとを踏む善人」の忠告を受け入れたほうが安心できるし楽だから。

 「かかとを踏む善人」と距離を置くのは、言い換えれば一歩踏み出すことをためらっている「弱い自分」と距離を置くことだろう。

 「弱い自分」と距離を置くには、まず「弱い自分」を客観視するために「弱い自分」に向き合わなければならない。これはツライことだ。つらくても、決して「かかとを踏みそうな人」に助けを求めてはいけない。

 「弱い自分」を克服する必要はなくて「弱い自分を」受け入れることができれば、「弱い自分」と仲良しの「かかとを踏む善人」と距離を置くことができる。 そして、一歩踏み出すことができる。


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2017年4月11日 (火)

「話し方」の講義 <わかるように話すという意識>

 新任者研修に「話し方」の講義があったので受講した。

 部内外の専門家、非専門家を相手に、概要的な内容や専門的な内容の講義をやっている。しかし、「話し方」の講義を受けたことはなく、見よう見まねで話していたので、良い機会と思い受講した。

 学んだことをまとめておく。

  • 相手にわかるように話すことを意識する。
  • 文章を読むように話さない。
  • 自己紹介はテーマを絞る。

文章を読むように話さない

 証明書を請求される方は、認印でよいので印鑑と、3か月以内に作成された住民票と、本人確認に必要な運転免許証や健康保険証等と、収入印紙代として300円を持参して、 窓口で申請してください。

のように話すと伝わらない。

証明書を請求される方は窓口で申請してください。
その際に必要なものが4つあります。
1つ目は、印鑑。認印でけっこうです。
2つ目は、住民票。3か月以内に作成されたものが必要です。
3つ目は、運転免許証や健康保険証など。本人確認に使います。
4つ目は、300円。収入印紙代です。

のように、全体→部分→詳細の順で話さないと相手には伝わらない。

 文章のアウトラインを考えるときと同じだ。
 紙に書いた文章は、読み手のペースで読めるし、読み返すこともできるから、1文が長くても伝わり易い。しかし、話す場合には、言葉は次々に消えてしまうから、「1センテンス1情報」にしなけれ伝わらない。

 まるで文章を読むように話す人がいる。それも結構複雑な修飾関係だったりすると、きっと頭がいい人なんだろうと思う。しかし、たいてい1度聞いても理解できない。

 日本語は、述語が後になるから、すべてを聞いてから文を組み立てなければならないという特徴がある。主語と述語の間に修飾語や修飾句、修飾節がたくさんあると、すべてを覚えきれない。その結果、修飾関係が理解できなかったり、主語や述語がわからなくなったりして、正確に伝わらない。

 多重の修飾関係にならないようにするのがキモということだろう。

自己紹介はテーマを絞る

 新年度は特に自己紹介をする機会が多い。たいては、氏名、出身地、趣味、特技などを列挙するスタイルだ。列挙するスタイルが悪いわけではないが、テーマを絞ると印象に残る自己紹介になるのだそうだ。

 持ち時間が60秒だとすると、1つのテーマに40秒を使い、残りの20秒でその他を列挙すると良いのだそうだ。 そして、与えられた時間を守るために時間感覚が必要で、そのためには完璧な準備が必要だ。

 スピーチなどは3分で終わらせることが重要だ。結婚式の主賓挨拶などは、誰も聞いてないことが多いので短くまとめたほう良い。(博多華丸氏も言っているように)

 その際に、2分30秒分の内容を完璧に準備して、残りの30秒分は今日(最近)の話題にすると、活き活きとしたスピーチになるのだそうだ。そして2分55秒で終わることが重要。

 これまでの自分の講義を振り返ってみると、慣れているネタの講義は時間前に終わることができる。質問時間が必要なら質問も含めて時間内に収めることができる。

 時間内に収まらないのは、伝えたいことが多すぎるのではなく、伝えたいことがまとまっていないのだと思う。 話していると、聴衆に伝わったかどうか自信がないからつい冗長になってしまい、時間が足りなくなるようだ。

相手にわかるように話すことを意識する

 講師の先生が最後に仰ったことは、
 「話す楽しさ、伝わった嬉しさを味わう」
ということ。

 伝わったことが実感できたときは、長時間話し身体的に疲れても心地よい疲れだと仰る。確かにそのような経験はある。

 話しても伝わらないと嘆くのではなく、聞いている人がわかるような話し方を意識しようと思う。


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