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書籍・雑誌

2021年6月 6日 (日)

不屈の棋士 <AIの捉え方と情報リテラシ->

不屈の棋士 大川慎太郎 講談社

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★ アマチュアより強いというだけではプロ棋士として存在できなくなるのと同じように、教えられたことを真面目にこなすだけでは、労働者として存在できなくなる。

〇人工知能?

 昨今何かと、人間vsAI(人工知能)という切り口で語られることが多い。しかし、現在のAIは知能ではなく単に過去の大量のデータに基づく推測だ。自ら何かを創り出しているわけではない。

 インタビューの中で棋士から「新手」という言葉が多く出てくる。
ソフトが指す「新手」は膨大な候補手からこれまで着目されていなかった一手を発見したという意味だ。一方、棋士が指す「新手」は自らが創り出した一手だ。

 既に存在するものの中から見つけるのか、存在しなかったものを作り出したのか、この差は大きい。例えるなら、無名の画家を見つけ世に出す画商と無名の画家との関係に似ている。創造しているのはいうまでもなく無名の画家だ。

 ソフトが棋士を上回ったという評価を受け入れられないのかもしれない。

〇AIvs棋士

 世間は、人工知能 対 人間という文脈で捉え、その代理戦争としてAIvs棋士の対局を見ている。しかし、将棋ソフトはSFに登場する人工知能には遠く及ばない。ドラえもんを考えると、将棋ソフトはドラえもんを構成するごく一部のパーツにすぎない。(おそらくドラえもんの意思決定には、将棋ソフトの手法は用いられないだろう)

 電王戦の報道でマス・メディアは、DENSOのロボットと棋士が対局している映像を流した。気味が悪い絵面だがインパクトはある。しかし、機械vs人間になってしまった感がある。

 AIvs棋士ではなく、将棋ソフトを作った人vs棋士という文脈で評価するのが適当だ。しかし、それでは興行的にウケないので、ソフトを人工知能に仕立てた方が儲かるから仕方がない。

 インタビューの中で登場する、ボナンザの作者、保木邦仁氏やポナンザの作者、山本一成氏はもっとフォーカスされて良いと思う。多くの棋士がソフトとの対局を異種格闘技に例えるが、プロ棋士とプログラマーとの闘いだからそう感じるのは当然だろう。

 もう一方の主役は機械ではなく、プログラマーなのだ。

〇自力

 棋士にも、ソフトを積極的に使う人、消極的に使う人、拒否感を示す人がいる。

 インタビューを読むとプロ棋士は「自力」にこだわるようだ、盤に向かうと誰かに助けてもらえないから自力で解決することが身に染みているのだろう。

 年齢によってソフトの捉え方が異なるようだ。ソフトは人間が作ったツールで、それ以上でもそれ以下でもない。ツールであれば、本を読んで勉強すること何ら変わりはないから、ツールを使って勉強することに抵抗はないだろう。 ところが、ソフトはツールではなく知能を持つものと捉えると、ソフトを使った勉強は自力ではなくなるのだろう。

〇情報リテラシー

 情報リテラシーが影響しているのかもしれない。
将棋ソフトは単にプログラムでそれをツールとして使うのは若手棋士に多い。一方、将棋ソフトは人工知能で、将棋を教えてくれる人格を持った存在して扱うのはベテラン棋士に多い。

 将棋ソフトはツールで、自分が考えるための道具や環境と考えていれば使うことに躊躇はないだろう。未知の一手を発見するのは自分だから。 ところが、将棋ソフトを知能や人格を持ったものと考えると、将棋ソフトが示す新しい一手は、人工知能が知っているのだから未知ではなくなる。それは自分が発見したとは言えないから、自力にこだわる棋士は使うことを躊躇する。

 若いころから将棋一筋で高等教育を受けず修業をしていたベテラン棋士の情報リテラシーは高くないようだ。最近は大学に進学する棋士も多いようだ。高等教育を受けた方が情報リテラシーを学ぶ機会も多く、将棋ソフトは知能ではないことが理解できるのではないだろうか。

〇一般社会では

 工業分野ではAIはロボットと共に使われるようになってきた。工業分野では運動を伴うことが多いのでロボットと共に使われることが多く、将棋ソフトほど知能を感じないのではないだろうか。

 AI+ロボットが人間より上手に作業をこなすようになると、人はAI+ロボットに学んで自分の技能を向上させることができるのだろうか?

 多くの人は、自分の技能を向上させるより、AI+ロボットを使うことを選ぶだろう。 すると人間は、

  • AI+ロボッが作業しやすいように、作業の下準備や環境の整備などの下働き
  • AI+ロボットを使う企画やAI+ロボットの性能を上げること

など、AI+ロボットが苦手とする、人間にしかできない考える仕事をやることになる。

 ところが、これまでの日本は工業化を進めた結果、考えないで前例やマニュアルに従って作業をしていた人が多かった。AI+ロボットが職場にやってきたときに、これまで考えて仕事をしていない人が、いきなり考える仕事に変わるのは難しい。だから、下働きの仕事をせざるを得ない。ところが、下働きの仕事は人が余るし、賃金は低い。

 これがAIに仕事を奪われるということだ。

 知らない間にもう来ているAI社会で、仕事を奪われる大人は多いだろう。そうならないように、次の世代のを教育しようというのが、DIGAスクール構想だ。

〇将棋界に学ぶ

 将棋界は一般社会と比べて早くAI社会が到来した。
そこで分かったことは、棋士という仕事は無くならないということだ。しかし、これまでのようにプロ棋士になれば一生食べていける時代は終わったようだ。

 AIの登場で、棋士はゲーム・プレーヤーとしては最強ではなくなり、ゲームプレーヤとしての価値は低下したから、アマチュアより遥かに強いという理由だけで存在するのは難しくなった。

 だから棋士は人間にしかできないことは何かを考えざるを得なくなっているようだ。それは、

  • 人間とのコミュニケーションが必要な、指導や普及
  • 感情を持った人間同士の対局での勝利
  • 棋力の向上
  • 後世に残る棋譜を遺すこと

など人様々だ。

 その活動の価値を一般人も認めれば、プロ棋士として存続できるだろう。しかし一般人がその価値を認めなければプロ棋士としては存続できない。

 一般人にとって、棋士がおかれた状況は、明日は我が身だ。

 AI+ロボットは急速に普及する。単純作業の能力はどんなに真面目な人間でもは比べ物にならないから、AI+ロボットに無い人間の価値を考えなくてはならない。

 アマチュアより強いというだけではプロ棋士として存在できなくなるのと同じように、教えられたことを真面目にこなすだけでは、労働者として存在できなくなるということだ。


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2021年4月30日 (金)

オードリー・タン 自由への手紙 <AIとロボット。「それの何がいけないんですか?」>

オードリー・タン 自由への手紙

語り:オードリー・タン
編者:クーリエ・ジャポン編集チーム
株式会社講談社

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「生物学上の年齢で人を区別してはいけない」
「その人の生き方や社会的期待に働きかけるべきだ」

オードリー・タン氏は多様性を受け入れなければ存在できないマイノリティー台湾の象徴なのかもしれない。

それはさておき、オードリー・タン氏は、「今後、人間の仕事はAIやロボットに取って代わられるのではないかと危惧する人々がたくさんいる」と問われ

「それの何がいけないんですか?」

と答えている。

 また、

 AIについての話は労働力や労働の質が本題ではありません。すべては、私たちがどこに価値を置くかによるという議論だと思います。
 もしも自主性や相互関係、共有の価値観などを大切にするのであれば、AIは単に補助的知能です。整然として正確に機能する、良いものだと見なされるでしょう。自分を助けてくれるのですから。

 もしも何か特定のスキルセットこそ、自分と切り離せないものだと考えているなら、AIは脅威となるでしょう。
「この仕事のこの技術こそ、自分である」
 それがプログラミングであれ、文章を書くことであれ、データ分析をすることであれ、何らかのスキルセットを重視している場合、ロボットは仕事を奪い去る敵となり、不安が生まれます。
 私自身にスキルセットはありません。だから少しも心配していないのです

 オードリー・タン氏は、「自分にスキルセットはありません」とおっしゃるが、一般人がスキルセットとして重要視するスキルを簡単に獲得できる能力があるからそう言えるのだろう。 天才ならではの感覚かもしれない。凡才は苦労して獲得したスキルに固執しがちだ。

 オードリー・タン氏とは比べ物にならないくらい凡才だけど、実はAIは脅威と捉えていないし、過去に獲得したスキルにも固執しない。

 これまで40年働いてきた経験では、スキルを獲得するには時間と金とエネルギーなどのリソースが必要だ。

 少ないリソースしか投入できなければ、当然高いスキルは獲得できない。仕事をしながらでは潤沢なリソースは投入できないから、高いスキルを獲得できなかったし、スキルを獲得する前に投げ出したこともある。それでも、獲得したスキルに固執しないのは、他人とは違うスキルを獲得していたからだと思う。

 スキルに希少価値があれば、絶対的なレベルは低くてもよい、そして、希少価値がなくなったらそのスキルに固執せず、他の希少価値があるスキルを獲得すればよい。

 この戦略を意図していたわけではない。興味の赴くままにと言えばカッコ良いが、生来の好奇心と、飽きっぽさがあったから、普通の人が着目しない隙間のスキルに飛びついていただけかもしれない。

 ロボットとAIが普及しても隙間は必ずある。その隙間のスキルを獲得すれば良いのだ。歳を取ってもそれは可能だと思う。だから、ロボットとAIは大歓迎だ。


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2020年12月 7日 (月)

定年後も働きたい。

定年後も働きたい。 人生100年時代の仕事の考え方と見つけ方 松本すみ子 ディスカヴァー・トゥエンティワン

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人生100年時代という言葉がよく聞かれるようになった。来年から人生100年時代になるわけではないとはいえ、60歳のオジサンの平均余命は22.84年だ。60歳の定年後5年再雇用で働くと18年くらい隠居生活が待っている。18年は結構長い。定年が5年延びても素直に喜べない。

 先輩たちのような生き方はもうできなくから、生き方を変えなくてはならない。そのためには、まず、オジサンが意識を変えなくてはならないのだろう。

 松本すみ子氏は、

  • 長寿とは、何もしない時間が長くなることではなく、社会のために生きる時間が長くなること。
  • 働きたければ、再雇用だけを当てにせず、自分から動くことが大切。
  • 自分の経験と知恵を生かせる職場や環境を探そう。
  • 即戦力として自分自身を生かせる機会を探そう。
  • 定年後の生き方が定まっていないなら、むやみに焦らず、悩む時間を意識的に作ろう。
  • ただし、考える期間はせいぜい半年から1年に。それなりに悩んだら、まずは動いてみて、そこから軌道修正していこう。

とおっしゃる。

 この本では触れてないのだが、ローンはとても重要だ。50歳を過ぎて、あるいは60歳を過ぎてから、真剣に次の仕事を考えようとした時にローン残額の制約は大きい。

 35年の住宅ローンを組んでいると60歳で返済が残っていることが多く、退職金で一括返済すると老後の資金が足りなくなるので、次の仕事を選ぶ時に、収入で選んでしまう。 いきなり収入が1/3になるとローンが支払えなくなるから、働かないおじさんと言われようが妖精オジサンといわれても我慢してしまう。

 一番の問題は、35年ローンを組むのが30代~40代の定年ははるか先と思っている世代だ。 そして、定年が現実味を帯びてきたときには手遅れになっている。

閑話休題

 60歳で定年して65歳まで働くとしたら、5年再雇用で働くほうが収入は多くなるだろう。 しかし、70歳まで働くとしたら、65歳で再雇用が終わったときの市場価値を考えなくてはならないだろう。

 まあ、今時だから、5年先のことなんてわからないんだけどね。


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2020年10月14日 (水)

ルビィのぼうけん

ルビィのぼうけん リンダ・リウカス作 鳥居雪訳

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 この絵本は、新しいことを覚えるのが好きな女の子、ルビィ(Ruby)、変わり者と呼ばれているペンギンたち、孤独が好きな雪豹(Snow Reopard)、ときどきオジャマ虫を育てている狐、カップケーキを作っているロボット、ニシキヘビがペットのジャンゴが登場する。

 IT業界にいる人は思わずニヤリとしてしまう。 そうそう、仕事で旅行にでかけているルビィのお父さんの写真は、まつもとさんに似ている。 もし、主人公がパールちゃんだったら、おばさんだから、物語が変わってしまう。

 この絵本は、リンダ・リウカス氏は子どもたちが「プログラマー的思考」ができるようになるために書いたようだけど、文科省がはじめた「プログラミング教育」の「プログラミング的思考」で参考にされているようだ。

 この本の「プログラマー的思考」にある要素のうち、「プログラミング的思考」で扱いにくい要素があるようだ。
「データ構造」「抽象化」「関数(一般化)」「デバッグ」が扱いにくく、「シーケンス」「小さく分ける(分解)」「ループ(繰り返し)」「アルゴリズム」は扱いやすいようだ。

 大人向けの部分に書いてある、「れんしゅう1」から「れんしゅう22」までのすべての要素を継続的に教えると「プログラマー的思考」ができるようになるのだけど、一部それも単発では「プログラマー的思考」は無理だと思ってしまう。

閑話休題

 大人向けの解説に↓こんなのがある。

Algorisms

 最近モヤモヤしていたことだ。

 プログラミング教育でよく使われる、code.orgの古典的な迷路(angry birds)アルゴロジックはアルゴリズムを題材にしたものだ。 これらサイトでは正解すると少ないステップ数があることが示される。

 それはそれで良いのだけれど...少ないステップ数のアルゴリズムの方が良いアルゴリズムと教える人がいる。

2s

↑これより、↓これの方が良いのだと。

1s

「ルビィのぼうけん」の解説にあるように

異なったアル ゴリズムは、それぞれの用途によって使い分けるものです。

なのだ。

 一般的には、簡潔なアルゴリズムの方が最適であることは多い。しかし、プログラムを高速化するときに、ループを展開して順次処理にするのは常道だから、簡潔なアルゴリズムがいつも最適とは限らない。

 状況や場面によって最適のアルゴリズムは異なるから、状況や場面に合わせて選択しなければならない。 だから、複数のアルゴリズムを考えられる、頭の柔らかさ、発想の柔軟さがとても×2重要だ。

 教える人は、迷路の問題のアルゴリズムを教えるときに、「最小ステップが最適だ。」ではなく、「少ないステップにするにはどうしたらよいか?」という問いかけが必要なのだと思う。


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2020年9月27日 (日)

面白いことは上司に黙ってやれ

面白いことは上司に黙ってやれ 日本発の新ビジネスを生み出すには? 春日知昭 光文社

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 タイトルの「面白いことは上司に黙ってやれ」についてはあまり書いてない。

 春日知昭氏は、どこかの企業に所属していたとしても、それはその人の一つの武器にすぎなくて、大事なのは「自分株式会社」とおっしゃる。 転職するとよく分かる、退職するとそれまで持っていた武器はなくなるけれど、どこに行ってもついてくるものそれが「自分株式会社」だだろう。

閑話休題

 春日知昭氏は、

僕は、木も見れて森も見れる人になりたかったし、そういう上司が欲しかったのだ。ソニーのファウンダーの人たちは両方できていたのではないだろうか。でも、組織的な二世、三世の人たちからはそれを感じなかった。木も見れて森も見れる人を上司にしたいと思って探し続けたのだけれど、結局最後まで見つけられなかった。

とおっしゃる。

 春日知昭氏が言うように、「木も見れて森も見れる人」は少ない。先天的に「木も森も見れる人」はいないのではないかと思う。何も考えなければ、木か森か興味がある方を見てしまうのではないだろうか。だから「木も森も見れる人」になるには自ら努力してあえて興味がない方にも目を向けなければならない。

 もっと簡単な方法は、信用できる人に任せる方法だ。
木も森も細部まで見ることは難しい。SONYの創業者井深大氏も盛田昭夫氏も細部まで見ようとせず、細部まで見える人を見出すことができたのではないだろうか。

「木も見れて森も見れる人」は少ないし、目指したら必ずなれるものでもないだろう。
SONYの組織的な二世に「木も見れて森も見れる人」がいなかったのは、「木も見れて森も見れる組織」にしようとしていたのではないだろうか。

 そして、いつの間にか「木も見れて森も見れる組織」を維持することができなくなるのは、世の常だ。


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2020年9月 7日 (月)

サラリーマン絶滅世界を君たちはどう生きるか?

サラリーマン絶滅世界を君たちはどう生きるか? 三戸政和 プレジデント社

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日本の労働生産性の低さの原因と言われている

  • 新卒一括採用
  • 年功序列
  • 終身雇用

の3点セットははもう維持できないと言われて久しいが対応できない企業も多い。三戸政和氏はコロナ禍でこの動きが加速するであろうとおっしゃる。

 コロナ禍でエッセンシャルワーカー以外の働き方はオンラインへシフトするだろう。 3点セットが染みついている会社はいきなりオンラインするのは難しい が、会議はオンラインにしやすい。

 三戸政和氏は、

 従来のリアルな会議では、発言せずにいるだけの人もなんとなくその存在が許容されていたが、テレワーク環境ではもう許されない。 オンライン会議において発言しない人間は、画面上のドットの塊でしかな く、メンバーの意識に上ることはない。
これまでのリアルな場では、身体がリアルだったため、いるだけでもその存在が感じられたが、そんなリアルな会社や会議室という場はもうなくなるのだ。

とおっしゃる

 目的が無く昔からやっていたからという会議は止めればよい。エライ人たちの目的もない会議で発言する内容を根回しする会議も止めればよい。 目的がない会議に発言することもなく出席することでステータスを感じていたオジサンはさみしいだろうが、何ら有効な意思決定をしていないのだ。

 目的のない会議をオンラインにしたら、出席者が全員「画面上のドットの塊」になってしまう。


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2020年8月29日 (土)

経営戦略としての異文化適応力

経営戦略としての異文化適応力 宮森 千嘉子、宮林 隆吉 日本能率協会マネジメントセンター

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ヘールト・ホフテード博士が提唱する6次元モデルは民族を

  1. 権力との関係
  2. 個人と集団の関係
  3. 男性・女性に期待される役割の違いと動機づけ要因
  4. 知らないこと、曖昧なことへの対応
  5. 将来への考え方
  6. 人生の楽しみ方

の6つの要素でスコア付けして、文化の違いを理解するというもの。

異文化を理解するには、住んでみることよりスコアの違いを理解することが必要だとおっしゃる。

 日本人の特徴は、男性性、不確実性の回避、安定志向のスコアが高い。

6

  • 男性性(95):弱者や生活の質より競争原理における成功や地位を重視。
  • 不確実性の回避(92):不確実で曖昧な状況に脅威を感じ、それを避けるために仕組みを形成する。
  • 長期的(88):基幹的で現在を大事にするより、実用的で将来に備える。

悪く言えば、弱者に厳しく、リスクを取らず、問題を先送りにするという特徴がある。

著者は

世界中の大学やビジネススクールで教えている経営理論は、主にアングロサクソンの学者が考え出したものであり、コンテスト型文化圏では機能します。しかし、それがどこの国でも通用する普遍的な価値観だと思い込んでしまうという落とし穴があります。他国で生まれた理論を導入するには、それぞれの国の特性を踏まえたソフトウェアの導入が必要です。

とおっしゃる。

 ビジネス書の中には、欧米で流行っている(最先端?の)理論を紹介して、だから日本はダメだのような内容のものがある。

 個人的には、アングロサクソンの理論は論理的に説明してあるし、行間を読まなくても理解できる内容が多いから受け入れやすい。 おそらく、自分個人の6次モデルのスコアは日本人の平均からずれていて、それが生きにくさの要因かもしれない。
国外で暮らしたこともなく、日本人以外の知人もほとんどいないから、欧米人と同じようなスコアとは考えられない。日本人のパターンからちょっとズレているのだろう。

 アングロサクソンの人たちに対する問題提起のような本を読むと、そんなの当たり前じゃないかと思うことがある。
きっと彼らも、隣の芝生は青いのだろう。

 個人の6次モデルによるスコアを測定するテストはないのだろうか?


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2020年8月14日 (金)

コロナ禍の現実に立ち向かう人の声 <コロナ・リスクを絶対的基準にする>

コロナ禍の現実に立ち向かう人の声 SCHOLAR CONSULT

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 コロナ禍に立ち向かっている60人の一言を集めた冊子。スコラコンサルトのページ(http://www.scholar.co.jp/m_news )から申し込めるようだ。

 前向きな人たちばかりだから、読んでいてポジティブな気持ちになれる。

 環境変化に振り回されるのではなく、止めることの順位を考えなければならないのだと思う。 止めることの順位は、残さなければならないことの順位と同じだから、その組織の目的・理念の再確認、再定義が必要だと思う。

 新型コロナウイルス感染を過剰に恐れるだけでは、「新しい生活様式」は実現できない。 新型コロナウイルス感染のリスクを考慮しても対面で行わなければならない業務もある。逆に、感染リスクを負わない方法に変えたり、その業務を止める選択肢もあるだろう。

 業務は相互に関連しているから、残すべき業務の順位を考えることは難しい。しかし、新型コロナウイルスへの感染という絶対的なリスクが現れたと考えれば、感染リスクと比較することで順位付けができるのではないだろうか。



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2020年8月 6日 (木)

コロナ後の世界

コロナ後の世界
著 者 ジャレド・ダイアモンド
    ポール・クルーグマン
    リンダ・グラットン
    マックス・テグマーク
    スティーブン・ピンカー
    スコット・ギャロウェイ
文藝春秋

 

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 新型コロナウイルスの流行で皆不安になっていて、自分たちや自治体、政府を非難する人が増えた。 これらの人たちは、自分の意見に自信が無いのか、考えていないのか、他人の意見を鵜呑みする人が多い。 そして、自分の意見が無い人は、何かにつけ「海外では」とか、「諸外国では」と言う。 最近国会中継を見ることが多かったのだが、野党も政府も「海外では‥」と言う。

 そこまで、人真似する必要があるのかと思う。

 この本に登場する識者の、日本のコロナ対応の評価は、そこそこ良い。ネット民や野党議員が言うようにダメダメではないようだが、なぜか良い評価には触れないようだ。

 この本で1か所だけ引用するならば↓だ。

この新型コロナウイルスの流行拡大において、あえてポジティブな側面を見出すとしたら何か?
それは、私たちに深く考えるきっかけを与えてくれたこと。

あっ。これって後書きだから、日本人が書いてる。



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2020年7月17日 (金)

コロナに思う <すべてオンラインにはならない?>

コロナに思う テレビ東京ワールドビジネスサテライト 中央精版印刷

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テレビ東京のWBS内で放送している著名人によるリレーメッセージ「コロナに思う」を本にしたもの。

楠木健は

オンライン飲み会を皆がするようになったのも、人間の本性 がそうしたコミュニケーションを求めるからです。しかし、コロナ騒動が収束すれば、オンライン飲み会は定着しないでしょう。やっぱり人間の本性に反しているからです。会議や打ち合わせもすべてがオンラインに移行するわけではない。サシで会って話さなければ伝わらないことがいっぱいある。

とおっしゃる。

 新型コロナウイスるの影響でオンラインでのコミュニケーションが増えて、オンラインに変えても問題が無いことがわかったこともたくさんあった。オンラインで飲み会ができるとは思わなかったけど。

 自粛当初、アフターコロナの世界はリモートに変るという意見が多かった。しかし、最近になって、全てオンラインにはならないという意見が見られるようになってきた。

 人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできている──霊長類の第一人者・山極京大総長にチームの起源について聞いてみた サイボウズ式 (2017/9/27) ←よく見ると3年前の記事だ。さすがサイボウズ

 感覚的にだが、全てオンラインにはならないのだろうと思う。
「情報」を共有するには、オンラインで十分だ。全てではないだろうが「感情」も共有することができる。例えば映画やアーティストのライブもオンラインで見ることができて、「感情」も共感できている。

 しかし、「共感」をオンラインで共有するのは難しいのではないだろうか。他人が思っていることを感じ取るには、音声と映像だけでは難しい。音声の遅延がなくなっても、映像が高画質になっても、空間を共有しなければならないモノがあるのだろう。残念ながら、それが何かはまだ分からない。

 オールドタイプの人間はこれまで「共感」共有するには空間を共有するしか方法が無かったからかもしれない。
ひょっとすると、ニュータイプの人間は、音声と映像だけで「共感」を共有できるようになるのかもしれない。

 オンラインのオフサイトミーティングに参加してみることにした。さて、オンラインでのジブンガタリで共感できるのだろうか。


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