フォト
無料ブログはココログ

書籍・雑誌

2019年11月14日 (木)

自治体職員をどういきるか <使命を考える>

自治体職員をどういきるか 後藤好邦 学陽書房

Photo_20191103224601

 地方自治体職員の方は何冊か読んだ。

 昔は、不親切な窓口と言えば、役所、警察、病院だったし、公務員は親方日の丸の税金泥棒と呼ばれていた。その認識が正しいかったかどうかはわからない。しかし、その認識は過去の認識だろう。

 自治体が抱える問題は様々で、昔とは変わっている。国の助成金頼みで、お上の言うことを聞いているだけではジリ貧だ。斉一的な国の施策で明るい未来がやってくる時代ではなくなっている。だから、地方自治体が重要になっているのだと思う。

 後藤好邦氏もそうだけど、組織の風土改革に取り組んでいる地方自治体職員の方と話すと、自分の使命を考えておられるようだ。少なくとも親方日の丸の役人ではない。

 使命を考えるとき公務員は考えやすい。自分で一から考えなくても既に誰かが答えを見つけている。しかし、自分の行動を考えるときに、自分の頭で使命を考えたのか、他人の考えをパクったのかでは大きな差が出てくる。

 重要なのは、使命に従って行動するすることで、使命を見付けることではない。

 自分の頭で使命を考えて、使命に従って行動しようとすると、職場の空気や組織風土が足かせになって行動しにくいことは多い。そのときに足かせがあって行動しにくくても、なお行動する原動力になるのが使命だ。

 だから使命は自分の頭で考えなければならない。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年11月 8日 (金)

NEWTYPE ニュータイプの時代(2) <経験の価値が無くなる時代>


時代を生き抜く24の思考・行動様式 NEWTYPE ニュータイプの時代 山口周 ダイヤモンド社

Newtype

山口周氏は、

これまで私たちは「経験豊富」という要件を無条件にポジティブに評価してきたわけですが、環境がどんどん変化していくということは、過去に蓄積した経験がどんどん無価値になっていくということを意味します。

とおっしゃる。

 歳をとるとそれなりに経験は増える。昔は年寄りの経験は年の功と言われていたが、現在は単に時代遅れの価値観になっているのだろう。

 しかし、年寄りの経験の中には、時代によらす普遍的な智慧もある。自分が体験したことを成功したか失敗したかに関わらず一般化して考えると、経験を智慧にできる。それを怠ると経験は、単なる事例集だ。

 事例を分析して一般化できる人は事例集も参考になる。特に失敗の事例集は宝の山だ。ところが、単に狭い範囲の事例集になっている年寄りの経験は今後役に立たなくなるのだろう。

 では、智慧を蓄えていない年寄りはどうするか?

 ニュータイプ/オールドタイプの違いは年齢ではなく、思考様式や行動様式だろう。これまで評価されてきた、オールドタイプの思考様式や行動様式をかえることは難しい。これまで40年近く働いてオールドタイプの価値にそれほど変化はなかった。しかし、オールドタイプの価値がこの先30年続くとは思えない。

 これから先オールドタイプの価値が減少してニュータイプの価値が増加する変化は予想より速く進むだろう。

年寄りは、
あと何年も働かないなら、時代遅れのジジイとして生きる道はある。新しい価値を求めないで、今ある資産を取り崩しながら生きるのだ。

 中高年が最も危険だろう。
オールドタイプの価値にしがみついてニュータイプへの転換が遅れると、オールドタイプの価値がなくなったときに、時代遅れのジジイで生きるには残りの時間が長すぎる可能性が高い。

 若者がまず確認すべきは、
自分の職場が安定していると思っているかどうかだろう。
自分の職場が安定していると思っている若者は、ニュータイプへの転換が遅れるだろう。安定している職場を選び、今現在安定していると思えるような職場は、オールドタイプばかりだから。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月31日 (木)

納得しないと動かない症候群

納得しないと動かない症候群 松本幸夫 パンローリング株式会社

Photo_9

 

まず、「アスペルガー症候群との奇妙な一致」の節は、気質と障害を同列に扱うもので、極めて不謹慎だ。

 

 第4章までは、根拠のない主観の羅列だ。
バカほど「それ、意味ありますか」と問う(2018/05/20) に通じるところがある。
あまりに年寄りに阿った内容で途中で読むのを止めようかと思った。

 著者の松本幸夫氏とは3歳違いだから同世代だ。
4章までの若者をこき下ろした部分は、オヤジたちが若い頃に上司から言われたことだ。
オヤジたちは新人類と言われた世代で、それまでの焼け跡世代や団塊の世代とは価値観の違いが鮮明になった世代だ。

 その、新人類世代が親になり、自分の子供の世代をこき下ろしているとすれば笑止千万である。 親の顔が見てみたい。 ^^)

 この本は、第4章までと第5章でずいぶん違う。

 第4章までは、バブル世代、氷河期世代を対象にして、彼らに対する不満に同調した内容だ。 一方、第5章は年長者としてとるべき行動が書いてあって、正直取って付けた感がある。

 よくわからない本だ。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月23日 (水)

求心力 第三のリーダーシップ <このリーダーシップは難しいぞ>

求心力 第三のリーダーシップ 平尾誠二 PHP研究

Photo_8 

 本のタイトル「求心力」に惹かれて読んだ。

 古いタイプのリーダー論のように思う。
“リーダーシップとマネジメント能力を併せ持つリーダーがメンバーを率いて困難に立ち向かい、自分自身とメンバーを成長させる。”
という感じだ。

 この本に書かれていることが「求心力」を持つために必要な条件ならば、この能力を獲得するのはかなり難しいと思う。

求心力を持つための4つの要素(メンバーから見て)

  • 専門性 自分よりよく知っている
  • 人間性 人間的に尊敬できる
  • 一貫性 言うことがコロコロ変わらない
  • 怒ったら怖い なめられない

 全てを兼ね備えることは難しいならバランスを取ることで足りない要素を補うとおっしゃる。

 日本代表に選ばれるような優れたメンバーを率いるには相応のリーダーが必要だ。
しかし、多くの場合は様々な要素を持つメンバーをリーダーの素養があるとは限らない管理者が率いることが多い。

 リーダーシップに目覚めたときにこの本を読むと、このリーダーシップを目指そうと思うかもしれない。しかし、凡人にこのリーダーシップを真似るのは難しいと思う。ジョギングに目覚めたオジサンがオリンピックのマラソンに出るレベルを目指すようなものだ。

 リーダーはメンバーに認められたときに初めてリーダーになることができる。リーダーとして自分の無力さに気づいて、試行錯誤することで、メンバーにリーダーとして認められるのではないだろうか。

 その時のリーダーシップは平尾誠二氏のそれとは異なるのかもしれない。

 「求心力」を獲得する方法は未だ試行錯誤中だ。


最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月17日 (木)

現役高校教師座談会 <「論理」は「文学」で学ばなくても>

特集<特集「文学なき国語教育」が危うい!>現役高校教師座談会 「文学」で「論理」は十分学べる 文藝春秋BOOKS (2019/08/21)

 文藝春秋BOOKSの文學界立ち読みで、高校国語の指導要領の改訂に関する現役高校教師座談会の一部が読める。続きは「文學界」9月号で。らしいので読んでみた。

現役教師曰く

 正直に言いまして、誰もが読めばわかるように書かれているものを、どのようにして高等学校で教えていけばいいのか、考えあぐねている状態です。

と。

 この座談会に参加している教師は皆、偏差値60点以上の高校に勤務しておられる。高校は偏差値で輪切りにされているから、読めばわかる生徒しかいないから戸惑うではないだろうか。

 つまり、この座談会の参加した現役国語教師は現在の国語教育の現場を代表しているとは言い難い。このバイアスがある前提で読むことが必要だ。

 また、

私は、やはり、法律に関する文章や規約などが読める力っていうのは義務教育で身に着けないといけないと考えます。高等学校に進学しない生徒もいるわけですから。それを高等学校に持ち越すことには少し問題があるんじゃないかなと思うのです。

ともおっしゃる。

 正論だ。問題は2つ。

  • 残念ながら義務教育で身に着けるべき能力を高校まで持ち越してしまった生徒に対してどのような教育を行うのか
  • パターンマッチングで高偏差値を獲得し、実は能力を身に着けていない生徒をどのように発見し教育を行うのか

この座談会は、読めばわかる生徒しかいない前提での議論のように見える。それとも、「文學界」が編集したのか?

 高校の予備校化が指摘されて久しい。中学・高校教師は、偏差値を上げること、希望校に合格させることを有料で請け負う塾教師と比較されるから、純粋に生徒の理解、能力の獲得を目標にできない現実はあるだろう。これは、教師だけの問題ではなく保護者の問題でもある。

を読むと、国語の問題に答えるには作品を読む必要はなく出題者の意図を推測することが重要と解説されている。中学・高校の国語教師がこのように指導していないことを期待するが、進学塾に通っていた生徒はこのような対策を行っているだろう。とすれば、偏差値が高い生徒の中には、文章を理解せず高得点を取った生徒が少なからず含まれているのではないだろうか。

 なぜ、高校の国語教師は、この仮定を無視するのだろうか。そして、なぜ、義務教育で身に着けるべき能力を高校で解決せず、大学まで持ち越すのだろうか。

 そもそも「論理」か「文学」かの議論は論点を誤っていると思う。 高校国語学習要領 <問題の所在が誤っている?> (2019/10/11)


読んでも分からない国語の問題



最近の投稿】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月15日 (火)

文學界 2019/9月号 <文学なき国語教育が危ういと文学界隈の人は言う>

文学界 2019年9月 特集「文学なき国語教育」が危うい!

201909

 高校国語の指導要領が改訂され、文学から論理的な文章や実用的な文章へシフトしたようで、方々で議論がおこっている。

 寄稿している人、インタビューを受けている人は、文学の研究者、文芸評論家、作家、国語教師、哲学者、数学者、物理学者で、工学系の人の寄稿が無く残念だ。編集者は理学と工学が同じだと思っていたのだろうか?

 「理系教育にも文学は必要だ」はわかるが、工学では実用文を読み書きする能力は必須だ。仕事柄、技術報告書を読み書きする機会が多い。特に感じるのは、採用間もない若い人はおしなべて、実用文が書けないということ。高等教育を受けていないわけではなく、ほぼ大学を卒業しており、しかも縁故ではなく簡単ではない試験に合格して採用されている。

 大半は訓練すれば実用文が書けるようになるところを見ると学校で教えていないか、あるいは教えたが学生がその能力を獲得していないのだろう。念のため繰り返すが、簡単ではない試験に合格している。

 「文學界」という専門誌の特集だから寄稿した人たちの周りには、文章を読み書きする能力を備えていて文学に興味を持っている人しかいないのだろう。そして、その上での議論なのだろう。

閑話休題

 子供頃から行間が読めないので苦労した。今でも行間は苦手だ。

 紅野謙介氏の「教科書が読めない学者たち」を読んで、紅野謙介氏が数学者の新井紀子氏が嫌いなのは分かった。しかし、結論は直接的に書かれていないようだ。紅野謙介氏の主張は行間に書かれているのだろうが、行間が読めない人間には読むのが辛い文章だ。

 高校で国語の授業を受けたのは50年前で、「こころ」も「山月記」も「枕草子」も「徒然草も」習ったけど、この文章の結論が読めないのはなぜだろう。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月 9日 (水)

AIに負けない子どもを育てる

AIに負けない子どもを育てる 新井紀子 東洋経済新報社

Ai_20190930215601

AIvs.教科書が読めない子どもたち
で紹介されていたRST(Reading Skill Test)のお話。

 新井紀子氏はAIの研究をやめて教育 研究に分野を変えたのかと思ったらそうではなく、RSTを最先端AIに解かせることでAIの弱点や限界を把握しようととしていとのことで、

私はAIへの関心を失ったわけではないのです。RSTを武器に次のステージに進んだだけです。

らしい。
とは言いながら、国語教育の改革への 思いを感じる。

 とある記者にこんなことを言われました。

 「先生の教育論は、スパルタで古臭くて記事になりにくいのですが……」

 そういう了見の新聞社には、記事にしていただかなくて結構です。私は、今書いていることに自信があります。

とおっしゃる。
旧来の国語教育で獲得した、行間を読む能力をフル稼働すると。
「日本語を生業とする新聞屋がそんな了見でいいのか」
のように読める。

 子供の読解力の低さについては、RSTで客観的な結果が示されている。
読解力が無いから暗記している。この事実を国語以外の科目の教師は認識しているが、国語の教師は受け入れられないらしい。国語の教師だけが論理的な思考ができないわけではないだろう。

 推測すると、教師は、生徒が理解することではなく、教えた(授業した)内容のテストで高得点を取ることを目的にしているのではないないだろうか。

 この行動様式は国語の教師も他の科目の教師も同じだろう。保護者から商業主義の塾と同列に扱われるので、同情すべき事情はあるのだが...

 どの教科も穴埋め問題、択一問題、数学の計算問題はパターンマッチで回答できるし、化学や歴史、国語の漢字は記憶だから読解力は必要ない。

 読解力が必要なのは文章問題だ。文章問題が国語と国語以外の教科で異なるのだろう。国語以外の科目の文章問題は読解力がなければ回答できない。ところが、国語の文章問題は、文学偏重の影響で、登場人物の心情など、問題文に記述されていない内容を問う設問がある。(多い)

 合理的に推測できるならまだしも誰かの主観が正解とされていて、文章を読解する能力ではなく出題者の主観を推測する能力が問われる。
つまり、国語のテストで高得点を取るためには読解力は必要ないのだ。

 だから、国語の教師は生徒が読解力が無いことに気がつかないのではないだろうか。

 指導要領が改正されて、国語は高校で「論理国語」が導入され、これまでの、文学偏重が変わるらしい。良いことだ。

閑話休題

 自分のことを考えて見ると、子供の頃からキーワード読みだと思う。
途中のストーリーは合っているけど結論が逆ということがよくあった。今もだ。日本語は文末で意味が逆転するから、文末まで注意して読まなければならないのだが、途中で分かったことにしてしまう。

 パターンマッチで回答できる穴埋め問題も「次の文の[  ]に入る言葉を下の語群から選んで、その記号を解答欄に記入しなさい。」という問題は、語群を見ないで回答したり、記号でなく単語を記入したり、解答欄でなく問題の空欄に記入したり、していた。

 なぜか、テスト終了3分前に気がつく。orz

 子供の頃からパズルが好きで、頭の体操シリーズをよく読んでいた。この手のパズルはパターンマッチでは解けないので、理解して読むようになった。引っ掛けは、論理的にカバーされていない条件にあることが多い。

 おかげで、モードを変えることができるようになった。

 今でも、他人が書いた文章の添削をするときには、モードを変えて読むようにしている。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年10月 3日 (木)

NEWTYPE ニュータイプの時代(2) <量的指標は「意味がある」市場では有効でない>


時代を生き抜く24の思考・行動様式 NEWTYPE ニュータイプの時代 山口周 ダイヤモンド社

Newtype

山口周氏は

「役に立つ」市場では評価指標が収斂するため、いわゆるKPIを設定してそれを改善するという「量的指標のマネジメント」が有効に機能しました。しかし、このアプローチは「意味がある」市場では有効に機能しません。当たり前のことですが「ある人にとっての意味の大小は」数値化できないからです。

 人も組織もオールドタイプなので、量的指標に惑わされている。よその部門がIT人材育成にKPIを導入したという話を聞くと、心配になるエライ人がいて、じゃあウチもということになった。

 そのときに、腑に落ちなかったことがわかったような気がする。人材育成にKPIを導入を導入した部門とは、そもそもビジネスモデルが違うから、求める人材も違う。

 よその部門は専門は別にあって、ITの一般的な知識を持った者の数を増やそうとしていた。ITは専門でないが、質より量を増やすことで組織的なITスキルを向上させる戦略だ。マニュアルが理解できる程度のワーカーならば、市販のテキストを使って教育して、マークシートでテストすれば管理できる。

 一方、ウチはITで食っていて、しかも、必要な人材は専門家そして尖った人材だ。

 そもそも尖った者の評価は難しい。評価指標を考える段になってハタと困るのだ。

 無理やり評価しようとすると、その評価は使い物にならない。 数合わせのためだけの評価になり、不毛な作業が増えることは、わかっていた。わかっていながら止めることができなかった。

 まだ見つけていない数値指標があるのではないかと思っていたからだ。

 なぜ、ありもしないKPIを探していたのか?

 山口周氏は、オールドタイプは「役に立つ」で差別化し、ニュータイプは「意味がある」で差別化するとおっしゃる。

 ウチのビジネスモデルは「意味がある」で差別化しなければならなかったのだ。

 つくづく、自分はオールドタイプだと思う。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年9月25日 (水)

NEWTYPE ニュータイプの時代(1) <ルールより自分の倫理感に従う>

時代を生き抜く24の思考・行動様式 NEWTYPE ニュータイプの時代 山口周 ダイヤモンド社

Newtype

 山口周氏は、コンプガチャの問題や医療系キュレーションメディアの問題を取り上げて、オールドタイプの「ルールさえ守ればよい」という考え方はリスクが高く、変化が早い社会では、自分の倫理観に従って判断するべきとおっしゃる。

 「やらなくてはならないこと」と「やってはならないこと」はルールで、この間に「やっってもやらまくてもよいこと」がある。
「やってもやらなくてもよいこと」なので、やってもやらなくても罰せられることはない。 しかし、やるのか、やらないのか判断しなければならない。これからは自分の倫理感に従うべき。

Photo_20190919230401

 ↑のような図で考えてみた。ルールには「やらなくてはならないこと」(白)と「やってはならないこと」(黒)の間に「やっってもやらまくてもよいこと」(グレー)があって、境目は明確だ。自分の倫理観では「やる」(白)か「やらない」(黒)か、その境界は、ルールの「やっってもやらまくてもよいこと」(グレー)の部分にある。

 ルールは時と場所により変わる。しかも恣意的なルール変更もある。
ルールを作ってそれを運用するのはコストがかかるから、顕在化した問題から法整備される。法整備はいつも現状の後追いだ。つまり、合法だった行為がある日突然違法になる可能性があるということだ。これはリスクが高い。

 特に、サイバーセキュリティの世界は法整備が遅れている。
例えば、ウイルスを作ることは2011年に刑法が改正されるまで違法ではなかった。取り締まる法(ルール)が無かったのだ。
しかし、法ができる前からマルウエアを作り他人のコンピュータに感染させる行為は行ってはならないと考えていた。これが自分の倫理感だ。

 サイバーセキュリティ業界の識者の人は「倫理が重要だ」とおっしゃる人が多い。しかし、その内容は「ルールを守りましょう」だ。冒頭の図でいうと、まるでグレーの部分が無いかのようだ。いや、サイバーセキュリティ業界には倫理観が無いのかもしれない。

 ITやサイバーセキュリティの分野では技術に法整備が追いつかないから、グレーゾーンが広く、やるべきかやらざるべきかを自ら判断しなければならないケースが多い。

 サイバーセキュリティ技術者として、グレーの部分にどう向き合うか。これがサイバーセキュリティ技術者の倫理だ。識者の方、特に人材育成に携わる方には、「ルールを守りましょう」ではない、サイバーセキュリティ技術者の倫理観を教えて欲しい。

 サイバーセキュリティ技術者はオールドタイプでは務まらない。ニュータイプに必要なものは倫理観だ。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

2019年9月17日 (火)

Mobility 3.0 <世界はGoogle帝国になってしまうのか?>

Mobility 3.0 ディスラプターは誰だ? アクセンチュア 戦略コンサルティング本部 モビリティチーム 東洋経済新報社

Mobility30

 コネクテッドカーや自動運転に関わることが多くなった。仕事柄技術に偏りがちなので、おさらいで読んでみた。

〇過去の革命的変化

↓この写真は、自動運転やAIのプレゼンでよく使われる。内燃機関を動力にした自動車によって社会が短期間にしかも劇的に変わった例だ。

↓1900年のニューヨーク5番街

↑(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg/800px-Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg)

↓1913年ののニューヨーク5番街

↑(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg/800px-Ave_5_NY_2_fl.bus.jpg)

〇現在の革命的変化(CASE)

 同じような変化が起ころうとしている。

 自動車業界の変化はCASE(Connected、Autonomous、Shared/Service、Electric)といわれるが、この変化は自動車産業だけでなく、通信、ハイテク、金融、エネルギー業界に及ぶという。

 今のところ、Shared/Searvice分野での変化が先行しているようだ。日本の自家用車の稼働率は数%らしいので、個人で所有するのと同じ利便性が得られるなら所有しなくなるだろう。

 車がセンサーになってデータが集まると新しい事業が生まれる。
急減速や信号の情報などのデータを集めて分析して保険料に反映するのは既存の事業の連続だが、今現在存在しないサービスが出現するのだろう。

〇自動車業界

 通信とビッグデータとサービスという観点では、GoogleとSoftbankが先行しているようだ。

 2017年のSoftbank wordで講演を聞いたときに、通信関係の講演の他にAIと自動運転の講演が多かった。AI関係が多いのはわかったが、なぜSoftbankが自動運転と思った記憶がある。

 その後トヨタとSoftbankの業務提携が発表された。業務提携はトヨタからのオファーだったらしい。それより前にトヨタはSoftbankからの業務提携のオファーを断っていて、その後トヨタが業務提携先を探していたらほとんどSoftbankが業務提携・資本提携していたらしく、だったら大元のSoftbankと業務提携しようとなったらしい。

 最近トヨタが事業転換するというメッセージを発信しているが、自動運転業界に疎いせいか、いまいちピンと来ない。Softbankにイニシアチブを握られている感があるなあ。

 これまでトヨタは業界の頂点にに君臨していたわけだが、業界自体が変ろうとしている。T形フォードによって、馬車も馭者も馬も無くなって、線路が無い場所にも手軽な移動手段が生まれたように。

〇エネルギー業界

 エネルギー業界への影響は盲点だった。
 日産リーフに充電された電力で家に供給するのは知っていたが、今後車がEVになれば、巨大な蓄電池が出現することになる。これを安定しない再生可能エネルギーのバッファとして使うアイディアだ。その向こうにはスマートシティがある。

〇規制の足枷

 CASEは社会インフラを変えるから、業界だけでなく、行政の取り組みが重要だろう。
どこの国でも行政は縦割りになりがちだ。変革期に規制は足枷になるから行政の対応は極めて重要だろう。

 物にフォーカスするなら、これまでのようにガラパゴス化して細々と産業を保護することができるかもしれない。しかし、今重要なのは物よりデータだ。この変革期の対応に遅れると、世界はGoogle帝国になってしまう。



最近の投稿】【最近の書籍・雑誌】【2018の投稿】【2017の投稿】【2016の投稿】【2015の投稿

より以前の記事一覧

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック