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よしなしごと

2018年7月13日 (金)

他人を評価  客観的に

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。

ヒラメ部下

 管理職は業務として部下を評価しなければならない。 その評価により、給料が増減したり、昇任に影響したりする。

 部下にしてみれば殺生与奪を握られているともいえるから、上司と意見が食い違ったときに、忠言することをためらったり、明らかに誤っている命令を実行したりすることがある。

 年功序列型組織のように役職が実力で決まっていない組織では、上司の評価が悪くなると挽回のチャンスがなくなるので、上司の評価を気にするようになる。

 そして、上司の評価をことのほか気にするヒラメ部下が増殖する。 ヒラメ部下は評価は良いが仕事はできない。

ゴマすり上司、ダンゴ虫同僚

 この弊害を防ぐ手法として360度評価がある。 
ヒラメ部下が発生する原因は、評価が対象でなく、上司→部下の一方向で評価されているからだ。 そこで、非評価者は上司だけでなく、同僚、部下からも評価されるという仕組みが360度評価だ。

 合理主義の欧米人が考えそうなことだが、360度評価で全てが解決するとは限らない。

 上司が部下を評価するとヒラメ部下が発生するように、部下が上司を評価するとゴマすり上司が発生する。 デキナイ自覚がある上司は部下に阿ることで評価を上げようとするのだ。

 親身になって相談に乗るとか、職場の労働環境を改善するとか建設的な行動ならまだ良いのだが、命令に手心を加えたり、厳しい目標を設定しないなどは業務に支障が生じる。
ゴマすり上司は評価は良いが、その部署の業績は悪化する。

 同僚を評価する場合は互いに悪評価しないように談合するダンゴ虫が発生する。 
同僚が失敗した時に悪い評価しない代わりに、次回自分が失敗した時に悪い評価をしないように取引する。

 ものの本によると、3年に1回くらいの頻度で抜き打ち的に360度評価すると良いらしい。

信頼関係と公正性

 人の評価は、評価者と非評価者との信頼関係とフェアな評価にかかっている。
ヒラメ部下が発生している職場は、おそらく、評価者が信頼されていないかフェアな評価がされていない。

 理想的にはフェアな評価ができることを昇任の要件にすることだ。 しかし、一人でも見逃すと悪貨は良貨を駆逐するので、ヒラメ部下が大発生する。 本当にフェアな評価ができている組織はどれくらいあるのだろうか?

 ヒラメ化した人を責めても詮無いことだ。 非合理的な組織においてはヒラメ化することが合理的だから。

 上司が部下を評価する場合も、逆に部下が上司を評価する場合でも、 他人を評価するときに主観が入ると力関係が生じる。 力関係はその職場の雰囲気大きな影響を与える。

 多くの職場は管理職が権限を持っているから、職場の空気は管理職が作り出している。 360度評価を実施して力関係が逆転したら、職場の空気は部下が作り出すことになる。 

 どちらが作り出した方が良いかは一概には言えない。

 ただ、ヒラメ、ゴマすり、ダンゴ虫が多い職場は概して空気が悪い。

360度評価されてみた

 以前、 自分の評価を部下と同僚にお願いして、自主的に360度評価をやってみたことがある。 誰が書いたか分からないようにするために、無記名で、パソコンで入力し、利害の無い第三者を経由して評価を集めた。

 酷評されたらどうしようと思わなかったわけではない。しかし、思いの外建設的で、評価も悪くなかったので安心した。 評価が甘くなるのは仕方ないだろう。心を鬼にして上司を評価する動機は無いから。

 ある部下が評価を直接を持ってきてくれて評価について詳しく説明してくれた。 この部下の評価はストレートで分かり易かった。 以降、自分の判断に自身が無いときや判断に迷ったときには、その部下に相談していた。

まとめ

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
     上司は評価したいが、部下には評価されたくないと考えるなら、黙っておいた方が良い。最初は客観的評価でも誹謗中傷に発展する可能性がある。
      
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。
     人の評価を自分の心の中に留めるなら主観的な評価で良いが、誰かに知らしめるなら、その評価が客観的か、主観的か自分に問うことが必要。
     主観的な評価は、少なくとも公の場で外に出すべきではない。主観的評価は他人を惑わす。


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2018年6月18日 (月)

管理部門はなぜ現場のサポートができないのか

 現場のマネジャが集まる会合に出席したらミスのチェックの話になった。
現場のマネジャが技術レポートをどうやってチェックするかという問題だ。

 たいてい技術レポートを書く人の方がマネジャより詳しい。 たたき上げのマネジャなら技術レポートを書いたことがあるからハマりどころも分かっていてチェックできるだろう。 しかし、技術レポートを書いたことがないマネジャが多い(ほとんど)から、読んだだけでは理解できないレポートをチェックしなければならない。

 しかも、その技術レポートはクオリティが必要だから、間違いの指摘があったら直そうという気楽なレポートではない。

 管理部門の人は演習を用意していて、ミスの多い架空の技術レポートを配って参加者にミスを見つけろとおっしゃるのでやってみた。

 そのような技術レポートを書いたこともあるし、チェックしたこともあるので、ミスは簡単に見つけられるだろうと思ったら全て見つけられなかった。 orz

 管理部門の人がミスの解説してくれるのだが、「正直全部見つけるのは無理!!」と思った。
技術レポートを書いたことも、チェックしたことがあっても全部見つけるのは無理と思ったくらいだから、書いたことがない人はかなり難しいと思う。

 そして、管理部門の人は理不尽にもおっしゃる

  • ミスを見つけられない場合の影響は大きい
  • ちゃんと見ればわかる
  • 自分も見つけられたから見つけられるはずだ
  • ミスを見つけられなくては困る
  • 最近の若者はミスが多い

最後にマイクが回って来た。

 最近考えている、ヒューマン・エラーのことを話そうと思っていたのだが、あまりに理不尽なので、

  • 何かにつけて若者の気質を原因にしてはいけない
  • 気合と根性やべき論ではミスは減らない
  • チェックする人もミスする
  • 我々はミスを減らす具体的方法を知らない
  • 現場からミスを減らす風土が無くなりつつある

など発言した。 すっかり管理部門の人に対する反論になってしまった。

 会合が終わってから考えた。

 ミスの原因などの解説を聞くと理解はできる。 しかし、理解したところでミスを減らす行動ができるわけではない。 ミスの原因が分かるのは後知恵だからだ。

 簡単に言うと、管理部門の人は「発生したミスの指摘はするがミスを減らすサポート」をしていないということだ。

 残念ながら、自分にも思い当たる節がある。
サポート部門にいたときは、ミスを減らすサポートについてあまり気にしていなかった。
管理部門の人たちに対して感じた理不尽さは、自分に対する指摘でもあることに気が付いた。

 なぜミスを減らすサポートができないのか考えた
技術レポートをのチェックは暗黙知の部分が多く、「チェック方法を具体的に教えてくれ」と問われると困ってしまう。

 一部は形式知になっているものの、その形式知の妥当性を評価していないないし、体系化していない。 経験がない人にそのような不十分な形式知を伝えるとチェック漏れが増えそうだ、と思ってしまう。

 つまり、管理部門もサポート部門ももちろん経営層もミスを減らす方法を知らないのだ。
厄介なのは、ミスを減らす具体的な方法はもちろん、具体的な方法を見つける術も知らないことだ。

 だから、方法論は指示できないが、顕在化した問題は明らかになっているから、「ミスを無くせ」のような気合と根性の指示になってしまう。

 ミスが顕在化するのは現場だから、現場での活動は重要だ。 しかし、管理部門もサポート部門もミスを減らすためにすべきことはたくさんある。

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 サポート部門にいるときには気づかなかったが離れてようやく気づいた。


2018年6月14日 (木)

つくばエクスプレス 20秒早発の謝罪

 2017年11月14日に、つくばエクスプレス(TX)の下り列車が南流山駅を定刻より約20秒早く発車したとして、TXを運営する首都圏新都市鉄道が謝罪文を発表していたらしい。

この謝罪は外国もメディアで取り上げられたこともあってか、ネットでは、遅れではないとか、20秒は細かすぎるとか、謝罪文化だとか総じて批判的な意見が多い。

 そのなかで乗り物ニュースは早発が鉄道運輸規定に違反する行為と解説している。さすが乗り物ニュースだ。

 東洋経済は早発が発生する前に、つくばエクスプレスの事故の多さに着目している。 20秒の早発に対する謝罪広告は事故の多さと無関係ではないだろう。

 東洋経済は、2017/8/21の記事で、

TXは茨城県など沿線自治体の出資によって第三セクター方式で設立された。設立当初は西武鉄道や東京地下鉄(東京メトロ)などの鉄道各社からの出向者や転職組に支えられていた。
前出のTX社員は「西武からの出向者が各部署で目を光らせていた」と当時を振り返る。出向者は事あるごとに「西武ではこうやっている」と話し、“西武流”が職場に規律をもたらしていた。
だが、近年は西武からの出向は減り、逆に畑違いの業界からの中途採用や新卒採用が増えている。その過程で、組織のタガが緩み始めたとも考えられる

と報じている。

 つまり、これまで現場主導で保ってきた安全意識が風土として根付く前に低下しているということだろう。 組織風土を作りそれを維持するのは難しい。

 これは、現場にとっては切実な問題だ。

 さらに、東洋経済は

の記事で

早発以外の運行トラブルとして、TXは2015年から2017年にかけ3回のオーバーランを起こしている。その原因はいずれも運転装置の切り替えミスでブレーキ操作が遅れるという基本動作に関連したものだった。これまではトラブル発生の都度、「基本動作の励行の再徹底」といった精神論的な対策にとどまっていた。

しかし、JR西日本の言う「ヒューマンエラーは結果であり、原因ではない」という考え方に照らせば、基本動作を再徹底しても問題は解決しない。エラーの原因を探る必要がある。TXは運転装置の切り替え間違いという部分に着目し、すべての列車の運転台に運転状態が表示されるよう改修を施すことを決めた。5月15日までに完了する予定だ。

と報じている。

 安全意識を現場の組織風土にしてそれを維持するのが現場の問題だとすると、「基本動作の励行の再徹底」では事故は防止できないことを認識するのは、経営層の問題だ。

 現場と経営層両方がこのことを認識し、実行して初めて初めて重大な事故を防止することができる。

 「たかが20秒ではない」と考えている人がつくばエクスプレスにはいるのだろう。

 翻って、
ウチは人様の命に係わる業務ではない。 しかし、

  • 失敗を防止するための具体的な行動が伝えられなくなった現場
  • 失敗に対して注意喚起しか思いつかない管理部門

という、構造的な問題は同じだ。

 「たかが20秒ではない」


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2018年5月 6日 (日)

失敗の防止 <とどの詰まりは風土>

 失敗への対応は、個人、組織を問わず大きな課題だ。

 個人では、失敗の原因を考える人と対策を実施する人が同じだから、考え方や心がけ次第で失敗が減ったり被害を回避できたりする。 ところが組織では原因を考える人と対策を実施する人が異なることが多いから、原因は分かっていても失敗が減らなかったり、失敗したときに防げるはずの被害を被ったりする。

 組織的な失敗の防止、被害の回避について考えてみた。

よく見かけるのは、 管理部門が失敗の原因と対策を考え、現場が実施するパターン。 これは、たいていうまくいかない。 原因は。

原因1:管理部門が神目線になっている

 原因を究明するために事実の検証をする場合は後知恵になりやすい。
客観的に考えるために第3者的な観点は重要だ。事実としてとらえられるわずかな兆候を察知して対策することが可能になる。 ところが、客観性をこえて神目線になると、事実が無い状況で次に起こる失敗さえ防ぐことができると考えてしまう。

 神目線になった人は、失敗の対策として「思い込みで作業しない」などとおっしゃる。
しかしである、そもそも思い込みで作業している者は自分の行動が思い込みによるものかどうか判断ができない。

 思い込みで作業していることが認知できると考えるのは、現場の作業を神目線で見ているからだ。つまり、思い込みで作業している者がいて、このまま作業を続けると失敗してしまうのが分かるのは神くらいのものということだ。

 思い込みで作業をしている者を第三者が認知するにはどうするかが本当の対策だろう。

原因2:現場が責任転嫁しようとする

 管理部門が思い込みで作業しないように指示するのは、現場で作業する者からすると管理部門の責任逃れのように感じる。 ところが、現場の管理者は、管理部門の指示どおり作業したその上での失敗だという理由で責任転嫁したいという誘惑に駆られる。 誘惑に負けると責任逃れの指示と思っても素直に実行してしまう。

 いくら責任転嫁したところで、現場で失敗が起こり、被害が出た場合には、現場の管理者が後始末をしなければならないことに変わりはない。

 しかし、悪運が強ければ被害に合わないのである。 その結果、人は易きに流れる。

原因3:職場の風土

 失敗の防止や被害の回避は、管理部門、現場の管理者、現場の作業者が失敗の防止を自らのこととして捉えられるかにかかっている。それはおそらく職場の風土に根差している。 とても厄介だ。

 失敗は無いことになっていて、しかも減点主義の職場は、失敗の原因究明や失敗の対策を自らのこととして捉えられない。

 このような職場で、失敗事例から真因を究明し、数ある問題の中から解決すべき課題を決めて、課題を解決する対策を立案し、対策を実施し、効果を検証するのは、口で言うほど簡単ではない。

 人は、風土や職場の雰囲気、リーダーからの強い要請がなければ、これらの行動をしようとしないものだ。

 言い換えれば、組織的に失敗を防止し、被害を回避しようとするなら、各階層にリーダーシップを発揮する者が必要ということだろう。 評論家ではなくリーダーがいれば、職場の雰囲気が変わる、職場の雰囲気が変わると風土が変わる。

 旧国鉄で働いていた人に指差し呼称のことを聞いてみたら、どの職場でもあらゆる場面で必ず指差し呼称しているそうだ。 人の命を預かる仕事で、しかも歴史もあるから、そういう風土ができているのだろう。  とあるところで、失敗の防止の話をしたときに、作業時に指差し呼称している人に手を上げてもらったら、1人だけ手を上げた... 残念ながらそういう風土だ。

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 またまた、とあるところで「失敗を防止しようとする風土が無い」と発言したら、体制批判だという意見があったらしい。(陰で ^^;)  批判を恐れずに問題点を指摘しただけではなく、合わせて具体的な提案もしたのだけれど...

 人は問題点を指摘したところで考え方が変わるわけではない。 でも、1人にでも届いていればそこから広がるだろう。きっと。


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2018年4月28日 (土)

〇〇の神様の仕事が無くなったら

 若い人は知らないだろうが、昔、通信士という職業があった。
今みたいに世界中どこでも携帯で話ができなかったから、離れた所にメッセージを送ろうとすると電波を使ってモールス信号で電報を送信したり受信したりしていた。(無線電信という)

 モールス信号の送受信は特殊技能だ。また、電波は貴重な資源だから扱うには専門知識が必要だ。無線の専門知識とモールス信号の送受信技能を持っていると認められた者が無線通信士で、国家試験を受けて無線従事者免許を取らなければならない。

 オヤジが三十数年前に就職した頃には無線電信の重要性は極めて低くなっていた。それでも職場にはまだモールスの神様と呼ばれている人がいた。しかし、通信手段は電話とFAXに変わっていたから、卓越した技能を使う仕事は無くなっていて、閑職に回されている神様がいた。

 一方で、無線の専門知識を生かして移動体無線や無線多重などの無線関係の仕事をしている人もいた。

 その頃はまだ、再教育するだけの時間的余裕もあったし、教育・訓練専門の部署で再教育を受けることができた。 閑職に回されていた人は再教育を受けなかったのだろう。

 特殊技能は技術の進歩の前にして、ある日突然価値の無い技能になったり、ある日突然専門知識が価値の無い知識になったりして、〇〇の神様と呼ばれていた人がある日突然普通の人以下になってしまう。

 技術を扱う仕事をしていると、そういう例を目の当たりにしてきた。

 今、特殊技能や専門知識をメシのタネにしている者にとっての脅威はAI技術だ。特殊技能や専門知識の価値が無くなる速度は30年前より速い。 遥かに速い。

 30年前と決定的に違っているのは、必要とされなくなった者の受け皿となる仕事は無くなっているということ。 閑職は無いし、専門的でない単純な仕事は真っ先に効率化されているかアウトソーシングされている。

 では、昔、電信技能の価値がなくなったときに無線の専門知識に価値を見出したように、別の特殊技能や専門知識を習得する方法はどうか?

 残念ながら、仕事が無くなってから、別の技能や知識を習得するのでは遅い。
特殊技能や専門知識の習得にどれだけの時間と労力が必要だったか思い出してみると良い。今時は人が技能や知識を習得する速度より、特殊技能や専門知識の価値が無くなる速度の方が速いのだ。

 特殊技能や専門知識の価値がなくなる前に別の特殊技能や専門知識の習得を始めておかなければならない。 因みに、マネジメントも技能と知識が必要だから、技術で食えなくなって始めたのでは遅い。技術屋崩れが使えないのはこのことに気が付いていないからだろう。

 困るのは、AIで業務を効率化して、浮いた人員を配置換えして別の仕事をさせようと考える管理者だ。今時、再教育していたのでは間に合わないことを、多くの管理者は気が付いていないようだ。

 AIで業務を効率化するのは良いが、簡単にクビが切れない職場では、食えなくなった者の仕事を考えておかなければならない。

 さもなければ、仕事のない神様だらけになってしまう。


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2018年2月20日 (火)

「気をつけろ」が有効なのは気を付ける方法を知っているとき

 幼いころから注意散漫な性格だから「気を付けろ」とよく言われた。大人になってからは注意喚起という「気を付けろ」をよく聞いた。

 「気を付けろ」について考えてみた。

 「気をつけろ」と言うのが有効なのは、言われた人が気をつける理由と、気をつける方法を知っているときにだけ有効だ。

 例えば、小学校低学年くらいの子供が1人で出かけるときに、「道路を渡るときに気をつけろ」と注意して有効なのは、その子供が

  • 道路を横断するとき車に轢かれるかもしれない。

ことを認識していて。

  • 道路の横断は横断歩道を渡る。
  • 信号が青だったら次の青になって渡る。
  • 右を見て、左を見て、もう一度右を見て、手を挙げて渡る。

を知っているときだ。

 大人は「気をつけろ」しか言わない。情報提供という体裁の「気を付けろ」もある。そして問題が発生すると「気をつけろと言ったじゃないか」と言われる。

 でも、問題が発生するのは、「気をつけろ」と言う人が気をつける方法を知らないのと気をつける方法を教えないからだ。


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2018年1月31日 (水)

ヒューマン・エラー <「気を付けろ」が有効なのは>

 仕事をしているとヒューマン・エラーが原因で事故が起こることがある。(「事故」は「交通事故」の意味ではない)

 航空業界や医療業界のように人の命に関わるような事故ではないが、事故が発生する管理職や管理部門は何かと大変だ。

 とある人から「部下に注意したのにヒューマン・エラーが原因の事故が起きた」という話を聞いた。引っかかったのは、「注意したのに」という部分だ。

 注意することで事故が減るのは、注意された人が、なぜ事故を防止しなければならないのか、どうやって事故を防止するのかを知っている時にだけ有効だ。

 事故は起きても仕方ない。事故を防止する具体的な方法を知らない者に対して単に「気を付けろ」と言っても効果は無い。 「気を付けろ」と言う側の気休めだ。

 経験則では管理職は単に「気を付けろ」と言うことがある。
若い頃、何度か失敗はした。致命的な事故は無いけど事故になったこともある。
そんな粗忽者だから「気を付けろ」と言われていたのかもしれない。でも、捻くれ者だから、「気を付けろって何に気を付けろって言うんだヨ!」と思っていた。

 中間管理職になっても、あい変わらず上からは「気を付けろ」と言われる。そして、部下に対して「気を付けろ」と言う立場になった。

 中間管理職になって分かったことは、当時の上司は事故を防止するための具体的な行動が分かっていなかったのだろうということ。おそらく上から言われた「気を付けろ」をそのまま部下に言っていたのだろうということ。そして、その上も分かっていないのだろうということ。

 実は、この構造は今でも変わっていないと思う。組織として事故を防止するための体系的な知識が無いのだ。研修もいくつか受けたことがあるけど、ヒューマン・エラーや危険予知、危機管理、事故防止について教えてもらったことはない。

 当時の上司も事故防止に関する教育は受けていなかったのだろう。だから「気を付けろ」と言うしかなかったのだろう。 そして、無知の連鎖が起こっている。

 誰も教えてくれないので勉強してみた。
人の命に関わる航空業界や医療業界の取り組みは参考になる。昔と違ってネットが使えるから情報はたくさんある。事故防止は最先端のICT技術とは違って歴史は長いからセオリーがある。

 まず、事故防止のセオリーを知らなくては話にならないと思う。 勉強して実践すれば無知の連鎖が止まるだろう。

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 つづくかも


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2017年11月13日 (月)

スペシャリスト

 これまで、スペシャリストを目指してきた。技術に携わる職業だからスペシャリストを目指しやすい側面もある。それでも、必要とされる知識や技能は時代と共に変わり、しかも変化の早いICT業界にいるとスペシャリストであり続けることは簡単ではない。

 スペシャリストは昔の職人のように頑固一徹、仕事のやり方は変えないというイメージがある。しかし、技術や環境の変化が速い業界にいると、頑固一徹ではやっていけない。むしろいかに早くいかに速く変われるかが重要だ。

 定年が近づいてきてようやく、スペシャリストであり続けるために必要なことが分かってきた。 もう少し早く分かっていれば、もう少し可能性も広がったのにと思うが、こればかりは仕方がない。理解が遅いのは生まれつきだし、教えてくれる人もいなかった。

 定年しても、人生はの残り人生は長いので、今までに分かってことを書いておこう。

◯なぜスペシャリストを目指すのか?

 簡単に他の人に置き換えられる人になりたくないと思っていた。と言えばカッコイイが、
注意散漫な性格だから、誰でもできる仕事を間違えないでやるのは苦手だ。苦手を超えて能力が低い。
 このような性格でも、認められて仕事をするには、簡単に他の人に取替えられない能力を持つしかないと思っていた。(今でも思っている)

◯スペシャリストの価値

  スペシャリストの価値が

 価値 = 希少性 × 能力

とすると、希少性を高めるのは競争をしないブルーオーシャン戦略、能力を高めるのは競争に勝つレッドオーシャン戦略だ。

希少性を高めるには

 希少性を高めるには、周りより早く能力を獲得すればよい。周りの誰も取組んでいないことに挑戦する。周りが勉強し始めてからでは遅い。

 周りの様子をみてから勉強を始めると効率が良い。自分に向いていないことも早い段階で分かる。しかし、能力を獲得したときには希少性はない。 一方、周りが取り組んでいないことを勉強するのは時間も金も必要だ。 さらに、時間と金などのコストをかけてモノにならないこともある。(よくある。) モノににならないことにはコストはかけにくいから、興味がある分野から始めると良い。

 希少性がある職場に変わる方法もある。技術者ばかりの職場では希少性は無くても、技術者がいない職場に変わると希少性は相対的に高くなる。

  • 周りより早く勉強を始める
  • 興味がある分野から始める
  • 希少性がある職場に変わる
能力を高めるには、

 能力を高めるには、時間と金をかけることが重要だ。仕事の合間ではなく学習の時間を確保すること。学習に必要な書籍や教材、セミナーなどに金をかけること。つまり自己投資すること。自己投資すれば必ず能力が向上するものではないが、能力が高い人はたいてい自己投資している。

 学習を始めて能力が向上して、平均レベルになるとも安心するものだ。しかし、学習をやめてはいけない。もう少し先まで、平均レベル以上まで能力を高めることが重要だ。

 学習は知識に偏りがちだが、できること、つまり技能も習得すること。
学校教育で技能を教えてくれるのは逆上がりや水泳、楽器の演奏くらいだ。これらが上手にできても評価は低いので、学校教育では知識の獲得に偏りがちだ。 しかし、現場では理論を知ってしかも実際にできることが求められる。

  • 身銭を切る
  • 平均より上までやる
  • 知っているだけでなくできるようになる

◯スペシャリストであり続けるには

 スペシャリストの価値は時間とともに変化する。最初は誰もいない分野でも、後から参入してくる方が速く能力を獲得できるから、希少性は時間と共に、加速度的に、低下する。

 知識・技能が汎用化、自動化されると、誰でも高い能力を持てるようになる。技術の移り変わりが速い業界では、苦労して高い能力を獲得しても一夜にして陳腐化してしまうことがある。(よくある)

 つまり、希少性がある分野を開拓して第一人者になったとしても、高い能力を獲得したとしても、生涯その価値が長く持続するわけではない。 開拓した分野に誰かが参入してくる前に別の分野を開拓する。汎用化、自動化される前に、別の能力を獲得することが必要だ。

 新しい分野に興味がなくなったり、能力を獲得する意欲がなくなったら、スペシャリストとしての旬は過ぎていると自覚すべきだ。 それでも、複数の能力を獲得していれば、能力の組み合わせが新しい分野、新しい能力になるので、小さいコストで価値を保つことができる。 新しい能力を獲得するまでの時間稼ぎに使える。

  • 変わり続けること
  • 複数の能力の組み合わせる


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2017年11月10日 (金)

変わろう <そんなに苦痛ではない>

 最近方々で「変わろう」とか「変えよう」とか言っているような気がする。

 変わるのはこれまで慣れ親しんだ考え方だったり、変えるのは仕事のやり方だったり。

 人はそんなに簡単に変わらないし、他人は変えられないのは分かっている。かつて自分もそうだったし、今でも変わることに躊躇することはたくさんある。それでも変わらなければならないと思うのは、自分や今の職場が提供している価値が低下しているのではないかと思うからだ。

 時代の流れや上の気まぐれで変わらざるをえないことの方が多い。
宮仕えが長くなると、変化に抵抗しながら抵抗しきれない変化を受け入れる術を身につけているような気がする。それが、一番楽なのだ。

 ツブシが効く人は、流されてていても能力を発揮できるから仕事ができる。だから、流されなければやってられない職場はゼネラリスト志向になるのだろう。ゼネラリストを目指すことは悪くはない。でも、変わらないために、その能力を上司などの無理難題の対応に費やすのは勿体無いと思う。

 スペシャリストはツブシが効かないと言われる。
自分のことを考えてみると、ツブシの効かないヤツだろう。スペシャリストを目指してきたこともあるが、それ以上に潰されたくないと思っている。流されて潰されるのは苦痛だから陰に日向に抵抗する。実にネガティブだ。

 必要とされる知識や技能は時代と共に変わる。変化の早い業界にいるとスペシャリストであり続けることは簡単ではないから、昔スペシャリストだった人は多い。

 習得した知識や技能が必要とされなくなってきたことが分かっても、自分を変えることができないのだろう。

 ゼネラリストのようにツブシは効かないのだから、必要とされる能力を習得するか、今持っている能力を必要とされる部署に変わるしかない。ところが、スペシャリストの中には、このことが分かっていながら変われない人がいる。多い。

 ところが、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えて、自ら変わってみると、そんなに大変では無いし、苦痛でもないような気がする。

 人は他人から変化を求められるのは苦痛だけど、自ら変わるのは苦痛ではない。


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2017年10月31日 (火)

ブルーオーシャンは自分で「つくれ」 <年寄りの優位性>

ブルーオーシャンは自分で「つくれ」! kikka(上田涼子) 2016-08-12
https://ameblo.jp/citrus-blossom/entry-12189164560.html

上田涼子氏は

つまり、
あなたがこれまで得た知識や経験の中から
今いる業界の「非常識」を発信すれば
そこはレッドオーシャンではなく
ブルーオーシャンに「かわる」んです。
(いわゆるヒジョーシキ!ではなく、
空白その業界にいる人が「普通は知らないこと」です)

とおっしゃる。

 この発想はなかった。 無意識にブルーオーシャンを探していたようだ。
ブルーオシャンを探すときに、誰もスキルを持っていない分野を探そうとして、世の中の動きを早くキャッチして早くスキルを習得することばかりを考えていた。
スキルベースで考える技術屋の悪いところだ。

自分を活かせる「場(業界)」を変えるのも
ブルーオーシャン戦略のひとつですが、
ゼネラリストならこれまで増やした引き出しで
目の前の海(今いる業界)の色を
赤から青に変えることができるんじゃない?

 新たにスキルを習得しなくてもブルーオーシャンは自分で創り出せるようになるのではなかという。既に持っている複数のスキルの境界に移動してみると新しい。海が見えてくる。

 例えば、若い頃から電子回路、マイコンで遊んでいたから基礎知識はある。今どきのメモリをジャブジャブ使う富豪プログラミングではなく、メモリ空間数キロのプログラミングもできる。 しかも、Linuxも使えるぞ。 この境界に移動するとIoTではないか。

 それなりにかじったこと、かじった分野は多い。一流レベルに達することができなかった分野でも、組み合わの数だけは多い。年寄りの優位性だ。

 イノベーションは技術革新とは限らない。今までになかった技術の組み合わせでも良い。つまり、今まで存在していなかったものを作り出せればよい。

 頭ではわかっていることなのに、理解できても身になっていなかった。


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