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よしなしごと

2018年9月13日 (木)

「オレは聞いてない」 <有効な判断をしていないだけ>

コミュニケーションコストの増加で老化が加速 日経BizGate (2016/10/24)

 「会社の老化は止められない」(2016/11/23) の「コミュニケーションコストの増加は止められない」の項を抜粋したもの。 この本は、至極真っ当なことが書いてあるのだが、素直に認められない年寄りは多いと思う。

 例えば、
 「ほうれんそう」教に毒された管理者が言う「オレは聞いてない」は長く勤めていると一度や二度聞いたことがあるだろう。  しょっちゅう聞いているならその組織はかなり老化が進んでいる。らしい。

 冒頭の記事中に「オレは聞いていない」を可視化した図がある。

Photo

細谷功氏によると

インフォーマルなルートで重要人物には伝わっているが、組織図上で重要な役割を果たしていると思っている人に伝わっていないというのが図の左下の領域である。この状態になったときに「オレは聞いていない」という発言が聞かれるわけである。

 内容より器を重視するのは老化現象のなせるわざで、なおかつ、なぜ連絡が来ないかといえば、「言っても価値がないから」である可能性が高い。

 とすれば、本人としては自分の正当性を主張しているつもりでも、実際は「役割にふさわしい仕事をしていない」ということを自ら広める言動になっている。それに本人が気づいていないわけで、このような喜劇もまた老化のなせるわざといってよいだろう。

らしい。

部下の立場で考えてみる

 自分で判断しかねる案件があった場合、誰に相談するかというと、有効なアドバイスをくれる人や実質的に判断をしている人など、相談する価値がある人だ。 逆に言うと、誰からも相談を受けない人は、相談する価値が無いと思われているということだ。 細谷功氏の指摘は正しいと思う。 

 相談する価値がない人は、指摘はするが建設的な意見は言わないことが多いので判断の参考にならない。 なので相談したくないのが本音だ。 ところが、老化した組織は「オレは聞いていない」とスネる者を無視できない仕組みになっていることが多いので、判断には寄与しない無駄な仕事が増えるのは細谷功氏が指摘するとおりだ。

 日本のホワイトカラーは生産性が低いと指摘されるのは、このような判断には寄与しない仕事に時間を費やしているからではないだろうか。 働き方を改革するには、判断に寄与しない仕事を止めれば良い。 ITシステムなどを導入しなくて良いからコスパは最高だ。 

 「オレは聞いてない」の大合唱になるんだろうな。

上司の立場で考えてみる

 上司といっても多くの人は中間管理職だから部下の側面も持っている。 「オレは聞いてない」という上司に理解を示す中間管理職は少ないだろう。 

 理解を示す人は「オレは聞いてない」と言っている自覚症状がある人くらいだ。 それなのに、上司になってポジションが上がると、なぜ「オレは聞いてない」と言い始めるのか?

 それは、部下や部署の成果が上がるような意思決定をしていないからだ。 能力を超えるポジションに上がったという事情はあるのかもしれない。

 マイクロマネジメント(管理)しかできない者が成果が上がるような意思決定ができないのは組織的に中間管理職にマイクロマネジメントしか求めていないことも原因だろう。

 マイクロマネジメントしかしていない中間管理職が急に、部下や部署の成果が上がるような意思決定をしようと思っても難しいだろう。

 だから、最初に中間管理職になったときから(なる前から)、部下や部署の成果が上がるような意思決定することを優先しなければならない。

これから中間管理職になる人の立場で考えてみる

 中間管理職は上司と部下という2面性があるから、部下の立場として「オレは聞いてない」野郎を黙らせるテクニックは重要だと思う。 「有効な意思決定ができない者は黙ってろ」と正論を言っても始まらない。

 しかし、上司の立場として優先すべきは、有効な意思決定をすること、有効な意思決定ができる能力を身に着けることだ。

 「オレは聞いていない」と言われないことを優先する世渡り上手な人は将来「オレは聞いてない」という管理職になる可能性は高いと思う。

###
 「オレは聞いていない」と言われたときに、せめて「コイツアホか」が顔に出ないようにしようと思う。 (^^ゞ


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2018年9月 7日 (金)

「ゆとり教育」 <間違っていたのは親の行動では>

過去の遺物となった『ゆとり教育』 母親世代は「間違いだった」と厳しい指摘
しらべぇ (2018/09/01)

 ゆとり世代は何かと批判されることが多い。しかし、多くは批判する側が志向停止していると思う。 この前出席した会議でも、問題の原因をゆとり世代の気質だと言う人がいたので、「なんでもゆとり世代に原因を求めてはいけない」と発言した。

 ゆとり世代を育てた世代なので、ゆとり世代を否定するのは、自分の育て方を否定すること。つまり、天に唾する行為だ。

 うちの娘1号はゆとりお試し規格、娘2号はゆとりフル規格。だから、ゆとり世代への批判は他人ごとでは無い。

 ゆとり世代を育てた当事者として、ゆとり教育を考えてみた。

【結論】

 詰めこみではなく考える力を付けようとする取り組みは良かった。
 悪かったのは、親世代の対応だ。

【「ゆとり教育」が始まった頃】

 娘2号の授業参観に行ったことがある。算数の授業で先生が教えていたのは、解法はたくさんあるということ。効率良く正解を求める方法ではなかった。 

 親世代は教育を偏差値でしか評価できなかった。自分達が偏差値で評価されてきたからだ。 そして、親世代は偏差値を上げる方法は詰め込んで記憶する方法しか知らなかった。
 だから、親世代は子供達が偏差値で評価されることが変わらない状態で、自分の子供だけ偏差値が下がるかもしれない「詰め込まない教育」を受け入れることがきなかったのだ。

 偏差値が下がってもこの先子供が生きてく上で重要なことを学んでくれたら良いと、全ての親がそう考えたら良かったのだが、自分から変えることができなかった。 囚人のジレンマだ。

 親世代は、学校が詰め込まない分、塾や習い事などで詰め込んでしまった。
塾は、教育機関ではなく私企業だから顧客である親のニーズに応えてくれてくれる。  親のニーズは子供が理解することではなくて偏差値が上がることだ。

 理解することは難しいし、答を憶えるのは気合いと根性だ。優秀な塾は、裏ワザ宜しく効率良く正解を見つける方法を教えてくれる。皆が知ってしまったら裏ワザでは無くなるけど。

【そして今】 

 子供達が受験や就職するようになっても相変わらず偏差値で評価されていたから、結果的には親の戦略は正しかったのかもしれない。 というか、偏差値という評価基準を変えないようにしていたのは親世代だ。

 ところが、今彼女達が直面しているのは時代の変化だ。 親世代が変わらなかったツケがゆとり世代に廻っているとも考えられる。

 親世代は、働き方改革と聞いて「そんなのできねーよ」と言っている。 しかし、ゆとり世代は子供がいても共働きする必要があるから、働き方は改革せざるをえない。 改革を邪魔しているのは子育てが終わった親世代だ。

【今後は】

 ゆとり世代は、親世代と違って、20代前半までの偏差値で人生が決まる可能性は低くなった。 むしろその後どう生きるのがの方が重要だ。

 とすると、必要な能力は、

  • 先生に言われた宿題をこなすことより自ら学ぶ力
  • 記憶した正解の中から答えを探す力より、正解が無い問でも最適解を導ける力

だろう。

 いずれも親世代では重要視されなかった能力だ。

 ゆとり世代は、親世代同じようには生きられない。
女性は母親のように専業主婦になれないし、男性は定年まで同じ職場で働き続けることはできない。そもそも定年という概念はいつまであるのか分からない。

 さらに、彼女達が育てられた時の価値観で彼女達の子供を育てることはできないだろう。 彼女達の子供は人生100年時代を生きるのだ。何が子供の将来に役立つのか予想できない。

【親世代は】

 ゆとり世代は「ゆとり教育」を受け入れるしかなかったので、彼女達に罪は無い。 制度を受け入れられなかったのは親の世代だ。受け入れらないどころか抵抗したのだと思う。

 「これだから、ゆとり世代はっ!」と言わないで、ゆとり世代が新しい価値観を受け入れて変わるのをサポートしよう。 それが親世代から見ると評価できない価値観だとしても。

 彼女達が子供の頃に価値観は多様だということを教えなかったのは親世代なのだから。



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2018年8月14日 (火)

昇任試験 <自分に向き合う>

 今年も昇任試験の季節がやってきた。

 空気を読んだ「こと」にして昇任試験を受ける人がいる。 昇任の希望を聞くと昇任に前向きでないようだ。 昇任すると技術的な仕事に携われなくなる可能性が高いことが理由だ。技術志向の人に多い。 そういうキャリアパスが無いという事情はある。かつて自分もそうだった。

 受験が任意だった頃から、受験しなくてはならないという空気があって、受験しないことを選択すると面倒なことになりそうな雰囲気があった。 しかし、ちゃんと理由を説明して受験しないと言えばそれ以上追及されることもなかった。 (当然だ。自分の希望は自分が決める)

 結局、空気を作り出しているのは、受験圧力ではなく、空気を読んだ「こと」にしている人たちなのだ。

 そして、彼らは受験しない決心、あえて昇任しない決心ができない。

 問題は、本当は昇任の意欲が無いのに試験に合格してしまう人だ。
生真面目な人は答案用紙を前にして「始め」と言われると、つい全力を出してしまう。 そして、不本意ながら試験に合格してしまう。

 彼らは、昇任しない決心をしていないし、昇任する決心もしていない。 そして、大事な場面で嘯く。 

 「本当は合格するつもりはなかったんだけど、合格してしまった」と

 以前に、論文試験(2015/08/19)で、昇任試験を受けるなら自分に向き合うことが必要だと書いた。 もちろん、昇任するかしないかは本人の自由だ。 しかし、昇任しないとしても、受験しなくても、自分に向き合うべきだ。

 空気を読んだ「こと」にして受験するのではなく、受験しない理由を説明するべきだ。
その理由が却下され、受験を命じられるなら受験すればよい。

 自分に向き合っていれば、意にそぐわず昇任したときに、逃げないで仕事に向き合うことができる。

 なにより、周りを不幸にしなくて済む。



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2018年7月29日 (日)

勉強会(3) <理解あるスポンサーは皆無ではない>

勉強会に参加した。

 技術で食っていくなら自分でスキルを向上させて、せめて職場内でもOnly Oneになりたいものだ。  ところが、業務時間内に職場のモノやカネを使っているうちは、いくら才能に恵まれていてもOnly Oneになれないようだ。

 周りがやっていないことを、周りより先に始めなければならない。

 今時は、「業務時間外に勉強しろ」と言うと風当たりが強くなってきた。
それでも、時間やカネを自分のために投資しようという人を応援するために勉強会を主宰している。 気が付けば8年目だ。われながらよくく続いていると思う。

 最初のころは活動費を得るためにスポンサー(職場の上司)に営業活動をしていた。 気が付いたことは、理解があることは技術スキルには関係が無いということ。

 最近はスポンサー営業はしていないのだが、毎年、何かの足しにとご芳志を下さる方がいる。有難いことだ。

 技術力の低下を懸念する人は多い。技術力低下による失敗を責める人も多い。「〇〇ができるようにしろ」と命令するだけの人も多い。

 無邪気なのかご無体に仰る方は多い。 しかし、技術力を向上させるにはコストが必要だということを知っている方は少ないように感じる。

 理解あるスポンサーが皆無ではないことが救いだ。



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2018年7月27日 (金)

研修内容を還元すべきか?  <還元は目的ではない>

 研修を受けたときに、職場に戻って研修内容を還元するするように指導する人は多い。 研修に参加した人の中には、研修が終わる前に還元のスケジュールが決まっていたりする。

 職場を代表して研修を受けたら、研修を受けていない人に還元するのは当然なのだが、盲目的に還元すれば良いわけではなく、

  •  技術力向上を目的とした研修では、職場への還元より、受講者の知識、技能の定着、暗黙知の獲得を優先すべきである。
  •  受講者の知識、技能の定着、暗黙知の獲得を目的に講義をするならば、他人が作成した資料、開発環境をパクるべきではない。 

が重要だと思う。

 研修には目的が必ずある。

 その研修の目的が知識習得ならば、

研修で配布された資料を配布して補足説明すると効果があるだろう。

しかし、その研修の目的が技能の修得ならば、
技能が定着していない者が教えても効果は極めて少ない。 少ないどころか、教えてもらう人の時間を無駄にするから逆効果だ。

 技術は知識だけでなく、技能と経験に基づく暗黙知が必要だ。

 例えば、逆上がりができない親が本で勉強して、子供に教えることに効果があるのだろうか。 子供はいつかできるようになるが、それは、親のアドバイスではなく、子供自身がコツを掴んだからだろう。 つまり、親のアドバイスはほぼ無意味だ。残念ながら「ガンバレ」と「練習を継続させる強制力」くらいの意味しかない。

 技術力=知識+技能+暗黙知 とすると。

 その研修の目的が技術力の向上であれば、受講者が職場に帰って行うべきことは、知識、技能の定着と、経験を積むことである。 
研修の内容をもう一度なぞってみたり、自ら設定した課題に挑戦するなどの経験をとおして知識、技能を定着させ暗黙知を得ることである。

 研修内容を還元する際に人に教えることで、知識、技能が定着すると主張する人も多い。
この主張は正しいと思う。 経験では、他人に講義しようとすると、少なく見積もっても準備は講義の10倍以上の時間が必要だ。 この時間で、自ら考え、体験することで知識、技能、暗黙知を得ることができる。 だから、人に教えることが有効なのであろう。

 ところがである。

 現場は忙しいので、講義資料、実習環境などをくれという輩が少なからずいる。

 研修内容を還元することの最大の目的は「受講者が、知識、技能を定着させ暗黙知を得ること」だが、「講義すること」になっている。 「講義すること」が目的だから、他人が作成した講義資料や実習環境をパクった方が効率が良いというわけだ。 

 経験すると分かることだが、他人の資料をパクって教えられるのは、資料を作った人と同等以上の知識、技能、暗黙知を持っている場合くらいだと思う。 (それとパクられることを前提に作ってある資料)

 講義することが重要というならば、「安易に他人の資料をパクるな」と教えるべきだろう。
そして、講義の準備に必要な時間の捻出をサポートすべきだろう。

 研修の目的が、受講生のスキルアップなのか、職場への還元なのか、よく考えることが重要だ。

結論

  •  技術力向上を目的とした研修では、職場への還元より、受講者の知識、技能の定着、暗黙知の獲得を優先すべきである。
  •  受講者の知識、技能の定着、暗黙知の獲得を目的に講義をするならば、他人が作成した資料、開発環境をパクるべきではない。

2018年7月13日 (金)

他人を評価  客観的に

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。

ヒラメ部下

 管理職は業務として部下を評価しなければならない。 その評価により、給料が増減したり、昇任に影響したりする。

 部下にしてみれば殺生与奪を握られているともいえるから、上司と意見が食い違ったときに、忠言することをためらったり、明らかに誤っている命令を実行したりすることがある。

 年功序列型組織のように役職が実力で決まっていない組織では、上司の評価が悪くなると挽回のチャンスがなくなるので、上司の評価を気にするようになる。

 そして、上司の評価をことのほか気にするヒラメ部下が増殖する。 ヒラメ部下は評価は良いが仕事はできない。

ゴマすり上司、ダンゴ虫同僚

 この弊害を防ぐ手法として360度評価がある。 
ヒラメ部下が発生する原因は、評価が対象でなく、上司→部下の一方向で評価されているからだ。 そこで、非評価者は上司だけでなく、同僚、部下からも評価されるという仕組みが360度評価だ。

 合理主義の欧米人が考えそうなことだが、360度評価で全てが解決するとは限らない。

 上司が部下を評価するとヒラメ部下が発生するように、部下が上司を評価するとゴマすり上司が発生する。 デキナイ自覚がある上司は部下に阿ることで評価を上げようとするのだ。

 親身になって相談に乗るとか、職場の労働環境を改善するとか建設的な行動ならまだ良いのだが、命令に手心を加えたり、厳しい目標を設定しないなどは業務に支障が生じる。
ゴマすり上司は評価は良いが、その部署の業績は悪化する。

 同僚を評価する場合は互いに悪評価しないように談合するダンゴ虫が発生する。 
同僚が失敗した時に悪い評価しない代わりに、次回自分が失敗した時に悪い評価をしないように取引する。

 ものの本によると、3年に1回くらいの頻度で抜き打ち的に360度評価すると良いらしい。

信頼関係と公正性

 人の評価は、評価者と非評価者との信頼関係とフェアな評価にかかっている。
ヒラメ部下が発生している職場は、おそらく、評価者が信頼されていないかフェアな評価がされていない。

 理想的にはフェアな評価ができることを昇任の要件にすることだ。 しかし、一人でも見逃すと悪貨は良貨を駆逐するので、ヒラメ部下が大発生する。 本当にフェアな評価ができている組織はどれくらいあるのだろうか?

 ヒラメ化した人を責めても詮無いことだ。 非合理的な組織においてはヒラメ化することが合理的だから。

 上司が部下を評価する場合も、逆に部下が上司を評価する場合でも、 他人を評価するときに主観が入ると力関係が生じる。 力関係はその職場の雰囲気大きな影響を与える。

 多くの職場は管理職が権限を持っているから、職場の空気は管理職が作り出している。 360度評価を実施して力関係が逆転したら、職場の空気は部下が作り出すことになる。 

 どちらが作り出した方が良いかは一概には言えない。

 ただ、ヒラメ、ゴマすり、ダンゴ虫が多い職場は概して空気が悪い。

360度評価されてみた

 以前、 自分の評価を部下と同僚にお願いして、自主的に360度評価をやってみたことがある。 誰が書いたか分からないようにするために、無記名で、パソコンで入力し、利害の無い第三者を経由して評価を集めた。

 酷評されたらどうしようと思わなかったわけではない。しかし、思いの外建設的で、評価も悪くなかったので安心した。 評価が甘くなるのは仕方ないだろう。心を鬼にして上司を評価する動機は無いから。

 ある部下が評価を直接を持ってきてくれて評価について詳しく説明してくれた。 この部下の評価はストレートで分かり易かった。 以降、自分の判断に自身が無いときや判断に迷ったときには、その部下に相談していた。

まとめ

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
     上司は評価したいが、部下には評価されたくないと考えるなら、黙っておいた方が良い。最初は客観的評価でも誹謗中傷に発展する可能性がある。
      
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。
     人の評価を自分の心の中に留めるなら主観的な評価で良いが、誰かに知らしめるなら、その評価が客観的か、主観的か自分に問うことが必要。
     主観的な評価は、少なくとも公の場で外に出すべきではない。主観的評価は他人を惑わす。


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2018年6月18日 (月)

管理部門はなぜ現場のサポートができないのか

 現場のマネジャが集まる会合に出席したらミスのチェックの話になった。
現場のマネジャが技術レポートをどうやってチェックするかという問題だ。

 たいてい技術レポートを書く人の方がマネジャより詳しい。 たたき上げのマネジャなら技術レポートを書いたことがあるからハマりどころも分かっていてチェックできるだろう。 しかし、技術レポートを書いたことがないマネジャが多い(ほとんど)から、読んだだけでは理解できないレポートをチェックしなければならない。

 しかも、その技術レポートはクオリティが必要だから、間違いの指摘があったら直そうという気楽なレポートではない。

 管理部門の人は演習を用意していて、ミスの多い架空の技術レポートを配って参加者にミスを見つけろとおっしゃるのでやってみた。

 そのような技術レポートを書いたこともあるし、チェックしたこともあるので、ミスは簡単に見つけられるだろうと思ったら全て見つけられなかった。 orz

 管理部門の人がミスの解説してくれるのだが、「正直全部見つけるのは無理!!」と思った。
技術レポートを書いたことも、チェックしたことがあっても全部見つけるのは無理と思ったくらいだから、書いたことがない人はかなり難しいと思う。

 そして、管理部門の人は理不尽にもおっしゃる

  • ミスを見つけられない場合の影響は大きい
  • ちゃんと見ればわかる
  • 自分も見つけられたから見つけられるはずだ
  • ミスを見つけられなくては困る
  • 最近の若者はミスが多い

最後にマイクが回って来た。

 最近考えている、ヒューマン・エラーのことを話そうと思っていたのだが、あまりに理不尽なので、

  • 何かにつけて若者の気質を原因にしてはいけない
  • 気合と根性やべき論ではミスは減らない
  • チェックする人もミスする
  • 我々はミスを減らす具体的方法を知らない
  • 現場からミスを減らす風土が無くなりつつある

など発言した。 すっかり管理部門の人に対する反論になってしまった。

 会合が終わってから考えた。

 ミスの原因などの解説を聞くと理解はできる。 しかし、理解したところでミスを減らす行動ができるわけではない。 ミスの原因が分かるのは後知恵だからだ。

 簡単に言うと、管理部門の人は「発生したミスの指摘はするがミスを減らすサポート」をしていないということだ。

 残念ながら、自分にも思い当たる節がある。
サポート部門にいたときは、ミスを減らすサポートについてあまり気にしていなかった。
管理部門の人たちに対して感じた理不尽さは、自分に対する指摘でもあることに気が付いた。

 なぜミスを減らすサポートができないのか考えた
技術レポートをのチェックは暗黙知の部分が多く、「チェック方法を具体的に教えてくれ」と問われると困ってしまう。

 一部は形式知になっているものの、その形式知の妥当性を評価していないないし、体系化していない。 経験がない人にそのような不十分な形式知を伝えるとチェック漏れが増えそうだ、と思ってしまう。

 つまり、管理部門もサポート部門ももちろん経営層もミスを減らす方法を知らないのだ。
厄介なのは、ミスを減らす具体的な方法はもちろん、具体的な方法を見つける術も知らないことだ。

 だから、方法論は指示できないが、顕在化した問題は明らかになっているから、「ミスを無くせ」のような気合と根性の指示になってしまう。

 ミスが顕在化するのは現場だから、現場での活動は重要だ。 しかし、管理部門もサポート部門もミスを減らすためにすべきことはたくさんある。

###
 サポート部門にいるときには気づかなかったが離れてようやく気づいた。


2018年6月14日 (木)

つくばエクスプレス 20秒早発の謝罪

 2017年11月14日に、つくばエクスプレス(TX)の下り列車が南流山駅を定刻より約20秒早く発車したとして、TXを運営する首都圏新都市鉄道が謝罪文を発表していたらしい。

この謝罪は外国もメディアで取り上げられたこともあってか、ネットでは、遅れではないとか、20秒は細かすぎるとか、謝罪文化だとか総じて批判的な意見が多い。

 そのなかで乗り物ニュースは早発が鉄道運輸規定に違反する行為と解説している。さすが乗り物ニュースだ。

 東洋経済は早発が発生する前に、つくばエクスプレスの事故の多さに着目している。 20秒の早発に対する謝罪広告は事故の多さと無関係ではないだろう。

 東洋経済は、2017/8/21の記事で、

TXは茨城県など沿線自治体の出資によって第三セクター方式で設立された。設立当初は西武鉄道や東京地下鉄(東京メトロ)などの鉄道各社からの出向者や転職組に支えられていた。
前出のTX社員は「西武からの出向者が各部署で目を光らせていた」と当時を振り返る。出向者は事あるごとに「西武ではこうやっている」と話し、“西武流”が職場に規律をもたらしていた。
だが、近年は西武からの出向は減り、逆に畑違いの業界からの中途採用や新卒採用が増えている。その過程で、組織のタガが緩み始めたとも考えられる

と報じている。

 つまり、これまで現場主導で保ってきた安全意識が風土として根付く前に低下しているということだろう。 組織風土を作りそれを維持するのは難しい。

 これは、現場にとっては切実な問題だ。

 さらに、東洋経済は

の記事で

早発以外の運行トラブルとして、TXは2015年から2017年にかけ3回のオーバーランを起こしている。その原因はいずれも運転装置の切り替えミスでブレーキ操作が遅れるという基本動作に関連したものだった。これまではトラブル発生の都度、「基本動作の励行の再徹底」といった精神論的な対策にとどまっていた。

しかし、JR西日本の言う「ヒューマンエラーは結果であり、原因ではない」という考え方に照らせば、基本動作を再徹底しても問題は解決しない。エラーの原因を探る必要がある。TXは運転装置の切り替え間違いという部分に着目し、すべての列車の運転台に運転状態が表示されるよう改修を施すことを決めた。5月15日までに完了する予定だ。

と報じている。

 安全意識を現場の組織風土にしてそれを維持するのが現場の問題だとすると、「基本動作の励行の再徹底」では事故は防止できないことを認識するのは、経営層の問題だ。

 現場と経営層両方がこのことを認識し、実行して初めて初めて重大な事故を防止することができる。

 「たかが20秒ではない」と考えている人がつくばエクスプレスにはいるのだろう。

 翻って、
ウチは人様の命に係わる業務ではない。 しかし、

  • 失敗を防止するための具体的な行動が伝えられなくなった現場
  • 失敗に対して注意喚起しか思いつかない管理部門

という、構造的な問題は同じだ。

 「たかが20秒ではない」


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2018年5月 6日 (日)

失敗の防止 <とどの詰まりは風土>

 失敗への対応は、個人、組織を問わず大きな課題だ。

 個人では、失敗の原因を考える人と対策を実施する人が同じだから、考え方や心がけ次第で失敗が減ったり被害を回避できたりする。 ところが組織では原因を考える人と対策を実施する人が異なることが多いから、原因は分かっていても失敗が減らなかったり、失敗したときに防げるはずの被害を被ったりする。

 組織的な失敗の防止、被害の回避について考えてみた。

よく見かけるのは、 管理部門が失敗の原因と対策を考え、現場が実施するパターン。 これは、たいていうまくいかない。 原因は。

原因1:管理部門が神目線になっている

 原因を究明するために事実の検証をする場合は後知恵になりやすい。
客観的に考えるために第3者的な観点は重要だ。事実としてとらえられるわずかな兆候を察知して対策することが可能になる。 ところが、客観性をこえて神目線になると、事実が無い状況で次に起こる失敗さえ防ぐことができると考えてしまう。

 神目線になった人は、失敗の対策として「思い込みで作業しない」などとおっしゃる。
しかしである、そもそも思い込みで作業している者は自分の行動が思い込みによるものかどうか判断ができない。

 思い込みで作業していることが認知できると考えるのは、現場の作業を神目線で見ているからだ。つまり、思い込みで作業している者がいて、このまま作業を続けると失敗してしまうのが分かるのは神くらいのものということだ。

 思い込みで作業をしている者を第三者が認知するにはどうするかが本当の対策だろう。

原因2:現場が責任転嫁しようとする

 管理部門が思い込みで作業しないように指示するのは、現場で作業する者からすると管理部門の責任逃れのように感じる。 ところが、現場の管理者は、管理部門の指示どおり作業したその上での失敗だという理由で責任転嫁したいという誘惑に駆られる。 誘惑に負けると責任逃れの指示と思っても素直に実行してしまう。

 いくら責任転嫁したところで、現場で失敗が起こり、被害が出た場合には、現場の管理者が後始末をしなければならないことに変わりはない。

 しかし、悪運が強ければ被害に合わないのである。 その結果、人は易きに流れる。

原因3:職場の風土

 失敗の防止や被害の回避は、管理部門、現場の管理者、現場の作業者が失敗の防止を自らのこととして捉えられるかにかかっている。それはおそらく職場の風土に根差している。 とても厄介だ。

 失敗は無いことになっていて、しかも減点主義の職場は、失敗の原因究明や失敗の対策を自らのこととして捉えられない。

 このような職場で、失敗事例から真因を究明し、数ある問題の中から解決すべき課題を決めて、課題を解決する対策を立案し、対策を実施し、効果を検証するのは、口で言うほど簡単ではない。

 人は、風土や職場の雰囲気、リーダーからの強い要請がなければ、これらの行動をしようとしないものだ。

 言い換えれば、組織的に失敗を防止し、被害を回避しようとするなら、各階層にリーダーシップを発揮する者が必要ということだろう。 評論家ではなくリーダーがいれば、職場の雰囲気が変わる、職場の雰囲気が変わると風土が変わる。

 旧国鉄で働いていた人に指差し呼称のことを聞いてみたら、どの職場でもあらゆる場面で必ず指差し呼称しているそうだ。 人の命を預かる仕事で、しかも歴史もあるから、そういう風土ができているのだろう。  とあるところで、失敗の防止の話をしたときに、作業時に指差し呼称している人に手を上げてもらったら、1人だけ手を上げた... 残念ながらそういう風土だ。

###

 またまた、とあるところで「失敗を防止しようとする風土が無い」と発言したら、体制批判だという意見があったらしい。(陰で ^^;)  批判を恐れずに問題点を指摘しただけではなく、合わせて具体的な提案もしたのだけれど...

 人は問題点を指摘したところで考え方が変わるわけではない。 でも、1人にでも届いていればそこから広がるだろう。きっと。


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2018年4月28日 (土)

〇〇の神様の仕事が無くなったら

 若い人は知らないだろうが、昔、通信士という職業があった。
今みたいに世界中どこでも携帯で話ができなかったから、離れた所にメッセージを送ろうとすると電波を使ってモールス信号で電報を送信したり受信したりしていた。(無線電信という)

 モールス信号の送受信は特殊技能だ。また、電波は貴重な資源だから扱うには専門知識が必要だ。無線の専門知識とモールス信号の送受信技能を持っていると認められた者が無線通信士で、国家試験を受けて無線従事者免許を取らなければならない。

 オヤジが三十数年前に就職した頃には無線電信の重要性は極めて低くなっていた。それでも職場にはまだモールスの神様と呼ばれている人がいた。しかし、通信手段は電話とFAXに変わっていたから、卓越した技能を使う仕事は無くなっていて、閑職に回されている神様がいた。

 一方で、無線の専門知識を生かして移動体無線や無線多重などの無線関係の仕事をしている人もいた。

 その頃はまだ、再教育するだけの時間的余裕もあったし、教育・訓練専門の部署で再教育を受けることができた。 閑職に回されていた人は再教育を受けなかったのだろう。

 特殊技能は技術の進歩の前にして、ある日突然価値の無い技能になったり、ある日突然専門知識が価値の無い知識になったりして、〇〇の神様と呼ばれていた人がある日突然普通の人以下になってしまう。

 技術を扱う仕事をしていると、そういう例を目の当たりにしてきた。

 今、特殊技能や専門知識をメシのタネにしている者にとっての脅威はAI技術だ。特殊技能や専門知識の価値が無くなる速度は30年前より速い。 遥かに速い。

 30年前と決定的に違っているのは、必要とされなくなった者の受け皿となる仕事は無くなっているということ。 閑職は無いし、専門的でない単純な仕事は真っ先に効率化されているかアウトソーシングされている。

 では、昔、電信技能の価値がなくなったときに無線の専門知識に価値を見出したように、別の特殊技能や専門知識を習得する方法はどうか?

 残念ながら、仕事が無くなってから、別の技能や知識を習得するのでは遅い。
特殊技能や専門知識の習得にどれだけの時間と労力が必要だったか思い出してみると良い。今時は人が技能や知識を習得する速度より、特殊技能や専門知識の価値が無くなる速度の方が速いのだ。

 特殊技能や専門知識の価値がなくなる前に別の特殊技能や専門知識の習得を始めておかなければならない。 因みに、マネジメントも技能と知識が必要だから、技術で食えなくなって始めたのでは遅い。技術屋崩れが使えないのはこのことに気が付いていないからだろう。

 困るのは、AIで業務を効率化して、浮いた人員を配置換えして別の仕事をさせようと考える管理者だ。今時、再教育していたのでは間に合わないことを、多くの管理者は気が付いていないようだ。

 AIで業務を効率化するのは良いが、簡単にクビが切れない職場では、食えなくなった者の仕事を考えておかなければならない。

 さもなければ、仕事のない神様だらけになってしまう。


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