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よしなしごと

2017年11月13日 (月)

スペシャリスト

 これまで、スペシャリストを目指してきた。技術に携わる職業だからスペシャリストを目指しやすい側面もある。それでも、必要とされる知識や技能は時代と共に変わり、しかも変化の早いICT業界にいるとスペシャリストであり続けることは簡単ではない。

 スペシャリストは昔の職人のように頑固一徹、仕事のやり方は変えないというイメージがある。しかし、技術や環境の変化が速い業界にいると、頑固一徹ではやっていけない。むしろいかに早くいかに速く変われるかが重要だ。

 定年が近づいてきてようやく、スペシャリストであり続けるために必要なことが分かってきた。 もう少し早く分かっていれば、もう少し可能性も広がったのにと思うが、こればかりは仕方がない。理解が遅いのは生まれつきだし、教えてくれる人もいなかった。

 定年しても、人生はの残り人生は長いので、今までに分かってことを書いておこう。

◯なぜスペシャリストを目指すのか?

 簡単に他の人に置き換えられる人になりたくないと思っていた。と言えばカッコイイが、
注意散漫な性格だから、誰でもできる仕事を間違えないでやるのは苦手だ。苦手を超えて能力が低い。
 このような性格でも、認められて仕事をするには、簡単に他の人に取替えられない能力を持つしかないと思っていた。(今でも思っている)

◯スペシャリストの価値

  スペシャリストの価値が

 価値 = 希少性 × 能力

とすると、希少性を高めるのは競争をしないブルーオーシャン戦略、能力を高めるのは競争に勝つレッドオーシャン戦略だ。

希少性を高めるには

 希少性を高めるには、周りより早く能力を獲得すればよい。周りの誰も取組んでいないことに挑戦する。周りが勉強し始めてからでは遅い。

 周りの様子をみてから勉強を始めると効率が良い。自分に向いていないことも早い段階で分かる。しかし、能力を獲得したときには希少性はない。 一方、周りが取り組んでいないことを勉強するのは時間も金も必要だ。 さらに、時間と金などのコストをかけてモノにならないこともある。(よくある。) モノににならないことにはコストはかけにくいから、興味がある分野から始めると良い。

 希少性がある職場に変わる方法もある。技術者ばかりの職場では希少性は無くても、技術者がいない職場に変わると希少性は相対的に高くなる。

  • 周りより早く勉強を始める
  • 興味がある分野から始める
  • 希少性がある職場に変わる
能力を高めるには、

 能力を高めるには、時間と金をかけることが重要だ。仕事の合間ではなく学習の時間を確保すること。学習に必要な書籍や教材、セミナーなどに金をかけること。つまり自己投資すること。自己投資すれば必ず能力が向上するものではないが、能力が高い人はたいてい自己投資している。

 学習を始めて能力が向上して、平均レベルになるとも安心するものだ。しかし、学習をやめてはいけない。もう少し先まで、平均レベル以上まで能力を高めることが重要だ。

 学習は知識に偏りがちだが、できること、つまり技能も習得すること。
学校教育で技能を教えてくれるのは逆上がりや水泳、楽器の演奏くらいだ。これらが上手にできても評価は低いので、学校教育では知識の獲得に偏りがちだ。 しかし、現場では理論を知ってしかも実際にできることが求められる。

  • 身銭を切る
  • 平均より上までやる
  • 知っているだけでなくできるようになる

◯スペシャリストであり続けるには

 スペシャリストの価値は時間とともに変化する。最初は誰もいない分野でも、後から参入してくる方が速く能力を獲得できるから、希少性は時間と共に、加速度的に、低下する。

 知識・技能が汎用化、自動化されると、誰でも高い能力を持てるようになる。技術の移り変わりが速い業界では、苦労して高い能力を獲得しても一夜にして陳腐化してしまうことがある。(よくある)

 つまり、希少性がある分野を開拓して第一人者になったとしても、高い能力を獲得したとしても、生涯その価値が長く持続するわけではない。 開拓した分野に誰かが参入してくる前に別の分野を開拓する。汎用化、自動化される前に、別の能力を獲得することが必要だ。

 新しい分野に興味がなくなったり、能力を獲得する意欲がなくなったら、スペシャリストとしての旬は過ぎていると自覚すべきだ。 それでも、複数の能力を獲得していれば、能力の組み合わせが新しい分野、新しい能力になるので、小さいコストで価値を保つことができる。 新しい能力を獲得するまでの時間稼ぎに使える。

  • 変わり続けること
  • 複数の能力の組み合わせる


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2017年11月10日 (金)

変わろう <そんなに苦痛ではない>

 最近方々で「変わろう」とか「変えよう」とか言っているような気がする。

 変わるのはこれまで慣れ親しんだ考え方だったり、変えるのは仕事のやり方だったり。

 人はそんなに簡単に変わらないし、他人は変えられないのは分かっている。かつて自分もそうだったし、今でも変わることに躊躇することはたくさんある。それでも変わらなければならないと思うのは、自分や今の職場が提供している価値が低下しているのではないかと思うからだ。

 時代の流れや上の気まぐれで変わらざるをえないことの方が多い。
宮仕えが長くなると、変化に抵抗しながら抵抗しきれない変化を受け入れる術を身につけているような気がする。それが、一番楽なのだ。

 ツブシが効く人は、流されてていても能力を発揮できるから仕事ができる。だから、流されなければやってられない職場はゼネラリスト志向になるのだろう。ゼネラリストを目指すことは悪くはない。でも、変わらないために、その能力を上司などの無理難題の対応に費やすのは勿体無いと思う。

 スペシャリストはツブシが効かないと言われる。
自分のことを考えてみると、ツブシの効かないヤツだろう。スペシャリストを目指してきたこともあるが、それ以上に潰されたくないと思っている。流されて潰されるのは苦痛だから陰に日向に抵抗する。実にネガティブだ。

 必要とされる知識や技能は時代と共に変わる。変化の早い業界にいるとスペシャリストであり続けることは簡単ではないから、昔スペシャリストだった人は多い。

 習得した知識や技能が必要とされなくなってきたことが分かっても、自分を変えることができないのだろう。

 ゼネラリストのようにツブシは効かないのだから、必要とされる能力を習得するか、今持っている能力を必要とされる部署に変わるしかない。ところが、スペシャリストの中には、このことが分かっていながら変われない人がいる。多い。

 ところが、誰かに強制されるのではなく、自分の頭で考えて、自ら変わってみると、そんなに大変では無いし、苦痛でも無いような気がする。

 人は他人から変化を求められるのは苦痛だけど、自ら変わるのは苦痛ではない。


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2017年10月31日 (火)

ブルーオーシャンは自分で「つくれ」 <年寄りの優位性>

ブルーオーシャンは自分で「つくれ」! kikka(上田涼子) 2016-08-12
https://ameblo.jp/citrus-blossom/entry-12189164560.html

上田涼子氏は

つまり、
あなたがこれまで得た知識や経験の中から
今いる業界の「非常識」を発信すれば
そこはレッドオーシャンではなく
ブルーオーシャンに「かわる」んです。
(いわゆるヒジョーシキ!ではなく、
空白その業界にいる人が「普通は知らないこと」です)

とおっしゃる。

 この発想はなかった。 無意識にブルーオーシャンを探していたようだ。
ブルーオシャンを探すときに、誰もスキルを持っていない分野を探そうとして、世の中の動きを早くキャッチして早くスキルを習得することばかりを考えていた。
スキルベースで考える技術屋の悪いところだ。

自分を活かせる「場(業界)」を変えるのも
ブルーオーシャン戦略のひとつですが、
ゼネラリストならこれまで増やした引き出しで
目の前の海(今いる業界)の色を
赤から青に変えることができるんじゃない?

 新たにスキルを習得しなくてもブルーオーシャンは自分で創り出せるようになるのではなかという。既に持っている複数のスキルの境界に移動してみると新しい。海が見えてくる。

 例えば、若い頃から電子回路、マイコンで遊んでいたから基礎知識はある。今どきのメモリをジャブジャブ使う富豪プログラミングではなく、メモリ空間数キロのプログラミングもできる。 しかも、Linuxも使えるぞ。 この境界に移動するとIoTではないか。

 それなりにかじったこと、かじった分野は多い。一流レベルに達することができなかった分野でも、組み合わの数だけは多い。年寄りの優位性だ。

 イノベーションは技術革新とは限らない。今までになかった技術の組み合わせでも良い。つまり、今まで存在していなかったものを作り出せればよい。

 頭ではわかっていることなのに、理解できても身になっていなかった。


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2017年9月26日 (火)

チーズはどこへ消えた(4) <スニッフやスカリーのように>

チーズはどこへ消えた スペンサー ジョンソン (著), 門田 美鈴 (翻訳) 扶桑社

2017083

 この物語には2匹のネズミ(スニッフとスカリー)、2人の小人(ヘムとホー)が登場する。そして保守的になりがちな小人ヘムの葛藤を中心に話が進む。

 世の中の大部分の人間は変化に抵抗するホーだ。葛藤しながらも変化を受け入れるヘムのほうが少ない。2匹と2人がいる迷路を上空から見ている神目線ではなく、自分を迷路の中に置いた小人目線にすると、ヘムやホーの葛藤が分かるようになる。理性は変化を邪魔するのだ。

 一方のスニッフとスカリーは理性ではなく、感覚で行動する動物(ネズミ)として描かれている。確かに小人が持つ理性的、論理的な判断は重要だ。 しかし、変化を、動物的感覚で察知しなくても、理性的論理的にしかも他の人より早く察知できる者はいるのではないか。

 半年前に異動した。
チーズが消えかかっているチーズ・ステーションに止まっている者はいる。

 半年勤務して思うことは、
今の部署で求められているのは、もちろんホーではない。葛藤の末、変化を受け入れるヘムでもない。

 今の部署で求められているのは、ネズミでないスニッフやスカリーではないか?ということ。

 小人はネズミにはなれない。しかし、理性と智慧でスニッフやスカリーのように行動することができると思う。



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2017年9月14日 (木)

相談対応 <真意を聴きだす>

 現場からの問い合わせの電話が、隣の部署から転送されて来た。今の職場は、現場から遠く、現場のニーズを掴み難いので問い合わせの電話は現場のニーズを掴む良い機会だ。

 ところが、その質問はざっくりしていて要領を得ない。質問する側も何が聞きたいか整理ができていないようだ。質問がボンヤリしているからドンピシャの担当部署が見つからなくて転送されて来たのだろう。

◯◯の知見はありますか?や
◯◯の問題を解決したことはありますか?
のように、本当に聞きたいことは何なのか真意を計りかねるような質問だ。

◯◯の問題を解決したことはありますか?
のような質問は厄介だ。

 真意は「◯◯の問題を解決して欲しい」場合と、「解決できないと言って欲しい」場合がある。 前者は、遠回しに問題の解決を依頼している。ストレートには頼み難いのだろう。日本人的奥ゆかしさだ。 後者は、質問者がやりたくなくて上司などを説得する際の権威づけに使用したいのだ。はっきり言って勘弁して欲しい。

 真意が分からなければ、聞き出せば良いのだが、真意を確認せず相手の問いに答えてしまうことがある。隣の部署も真意を聞き出せたらほとんど答えられるのだろうが、真意を確認せずに質問に忠実に答えようとするから、よその部署に回してしまうのだろう。典型的なタライ回しというやつだ。

 やり取りを聞きながら、マネジャの視点で考えた

  • 対応した者のコミュニケーション能力の問題
  • 対応した者や職場の仕事に対する姿勢
  • 相談に対する職場のスタンス

〇コミュニケーション能力の問題

 顧客の真の要望を聞き出したり理解するにはコミュニケーション能力が必要だ。

 営業職は顧客の要望を聞き出すのが仕事だから、コミュニケーション能力がなければ仕事にならない。問題は技術職だ。

 技術職が全員コミュニケーション能力が無いというわけではない。営業職と違うのは、コミュニケーション能力が足りなくても仕事ができるということだ。そして、技術力の向上を優先しまい、コミュニケーション能力の獲得や向上は後回しになる。

 技術職は相談に対して口頭試問のように質問されたことに素直かつ全力で答えてしまう人が多い。真意は別にあることに思いが及ばない人が多い。 

 マネジメントするようになると自分のコミュニケーション能力不足に気が付く。先天的にコミュニケーション能力が不足している場合には、工夫が必要だ。

〇仕事に対する姿勢

 本来業務ではなく「しなればならない」とも「してはならない」とも明示されていないような仕事にを積極的に自分の仕事とするのか、それとも可能な限り避けるのか、
また、問い合わせた人のために最大の労力をかけるのか、最小の労力ですませるのかなど、どのような姿勢で仕事をしているのかで対応は大きく異なる。

 最小限の労力で済ませる人は、相談対応には向いていない。
他人の行動様式を変えるのは困難だから、相談対応担当にしないとか、自ら希望しないことが重要だと思う。相談した人が迷惑だから。

〇職場のスタンス

 職場(所属)としての相談に対するスタンスを明確にする必要がある。
例えば顧客でない人からの相談や相談に答えることが成果でない場合は、相談に対応することはリソースのロスになるので対応しない方が良い。もっとも、礼を失さない最低限の配慮は必要だ。対応できる部署を紹介するなどは最低限の対応だろう。
逆に、相談相手が顧客であったり、相談に答えることが成果になるのであれば、十分な対応を行うのは当然だ。

 職場のスタンスが徹底されていないと人によって対応が異なる。相談した人は、前回は親切に対応してくれたのに、今回はタライ回しにされたなど戸惑うことになる。戸惑いは往々にして怒りに変わる。

職場(所属)として相談に対応するときに考えなければならないことは、

  • 対応者のコミュニケーション能力
     全員が対応する可能性があるならコミュニケーション能力を向上させる必要があるだろう。コミュニケーション能力がある者が相談者とのやり取りを行い、回答に必要な調査、回答案は全員が対応するという方法もある。
     コミュニケーション能力を補う仕組みは重要である。緊急的にはコミュニケーション能力が足りない者に対応させないことが必要かもしれない。
     
  • 対応の標準化
     誰が対応しても過不足がない対応にするためには仕組みが必要だ。
     チェックシートを利用する。マネジャが回答案をチェックする。データベースを作るなど、マネジャがメンバーに口頭で指示すれば良いものから、予算をとってシステムを導入するものまで方法はたくさんある。
     具体的にどのような方法を選択するのかはマネジャが考えなければならない。
     
  • 業務改善
     相談を業務に活用するために相談内容や対応を関係部署に周知する。
     簡単そうで意外と難しい。縦割りの壁や組織風土が妨げになる。指示されたこと以外の行動は減点対象になるという風土があると、参考情報を連絡するのも半端ない労力が必要だ。オヤジが好きなホウレンソウの「連」なのだが。

 これまで相談に対応する側のだったので、対応の標準化はいろいろやった。データベースを作ってみたり、チェックする仕組みを作ってみたり。それに比べて、マネジャ観点のコミュニケーション能力向上と業務改善の観点が足りないことが分かった。

 マネジャの観点としては、こと細かく口を出すとマイクロマネジメントになり、本質的な目的や成果が意識されなくなる。かと言って、ざっくり過ぎるとやはり本質的な目的や成果が意識されなくなるから難しい。

  • 自分や部署の知見を誰かのために使うと、その連鎖が巡り巡って顧客に届く。
  • 相談に対応すると新たな発見があり、それを蓄積すれば再利用できる。

 行間や場の空気が読めない性格で、しかも話しながら考えることが苦手だ。相手の言葉は額面どおり受け取る(素直な^^)性格だから、相談者の真意を理解することが難しい。
 それでも、仕組みを創ったり、あらかじめ対応を準備しておけば、それなりの対応ができるのではないかと思う。


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2017年8月28日 (月)

マズローの欲求5段階説と倫理

 サイバーセキュリティ分野で「倫理」を語る人は、してはいけないこと、つまり「法」しか語らない。 理由を考えていて、ふと、マズローの欲求5段階説で説明できるのではないかと、思いついた。 こんなことは、すでに誰かが考えているだろうと、ぐーぐる先生に尋ねてみたら、

ブラック企業をマズローの欲求5段階説で考えてみた 残業ゼロのIT企業AXIA社長ブログ 2017.5.25

がヒットした。「マズローの欲求5段階説と倫理」ではなく「マズローの欲求5段階説とブラック企業」の考察だ。

 米村歩氏は

ブラック企業にありがちですが「お客様に貢献したいと思わないのか」「成長したいと思わないのか」というようなことをよく言ってきます。w

いや正論です。正論ですよ。正論だけどもこれじゃダメなんです。

だって低次の欲求が満たされていないから。

労働者としては低次の欲求が満たされていない状態でこんな正論を言われても「ふざけんなしね」としか思いませんよね。

そんなことよりもまず寝かせてくれ、健康的な生活を送らせてくれとしか思いません。当然です。

私自身もブラック企業時代には従業員にこういうこと言ってました。多分従業員からはふざけんなしねとしか思われてなかったと思います。当然ですね。

以上から、マズローの欲求5段階説で考えるとブラック企業は下記のように定義できそうです。

ブラック企業とは低次の欲求を満たしていないのに高次の欲求を満たそうとしてくる企業のこと

だと仰る。 なるほど、納得である。

 ブラック企業を倫理に置き換えて考えてみる。

 情報セキュリティ技術者倫理に則って行動するとか、技術者倫理と企業倫理との葛藤を解決するという要求はかなり高次な欲求だ。 少なくとも社会的欲求(帰属欲求)以上の欲求だろう。

 マズローの欲求5段階説では、低次の欲求が満たされなければ高次の欲求は生じないとされている。

 つまり、企業倫理に則った行動をしようとするなら、安全欲求を満足していなければ無理。さらに情報セキュリティ技術者倫理に則った行動をしようとすると、社会的欲求を満足していなければ無理ということだ。

 米村歩氏が指摘するように、デジタル土方で働かされている人たちは、生理的欲求、安全欲求、社会的欲求などの低次の欲求が満たされていないことが多い。その人たちに対して高次の欲求を満たそうとするのは、ブラックだ。

 「サイバーセキュリティ人材育成」を語る人は、この業界で働く人の多くが低次の欲求が満たされていない事実を知っている。あるいは、語っている人自体が低次の欲求が満たされてないのかもしれない。

 当然、低次の欲求が満たされてない人に、高次の倫理を話をしても通じないことも知っている。

 その結果、「法に触れるようなことだけはしてくれるな。」になるのだろう。

 衣食が足りていないならば、「渇しても当選の水を飲まず」と言わなければならない。

 IT業界、サイバーセキュリティ業界はそれでよいのだろうか? この業界で働く人たちやこの業界を目指す若者たちに尊厳欲求や自己実現欲求レベルの話ができなくて良いのだろうか?

 サイバーバブルに踊らされている場合ではないと思う。



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2017年8月26日 (土)

創造力をどうやって獲得するか <受け流す>

 自分は「創造力」がある方だと思う人はラッキーだ。

 「エンジニアと名乗るからには頭を使え!(2017/08/22)」で「創造力」や「自分の頭で考える力」は、後天的にに獲得できるのではないかと書いたので、どうすれば「創造力」や「自分の頭で考える力」を獲得できるのか考えてみた。

 「創造力」は、0を1にする力、無から有を生み出す力、昨日存在しなかったものを今日存在するようにする力、「もの」は形がある物でなくても、サービスや概念でもよい。

 何か新しいものや新しいことを創り出すためには、新しい{もの|こと}を思い付く「発想力」と思い付いた{もの|こと}を実現するための「実現力」、そして無理だと思っても1歩踏み出す「実行力」が必要だと思う。

 創造力 = 発想力 × 実現力 × 実行力

発想力

 「発想力」は芸術家などに先天的に備わった能力と思いがちだ。たしかに、芸術家が考えることは凡人には到底理解できない。でも、実務の世界では全く新しいことを思いつく必要はなくて、「既存の発想の組み合わせ」で良い。簡単に言えば「目の付けどころ」だ。これなら、天才的な閃きがなくても良い。

 iPodには新しい技術はなかったと言われる。実は、{iPod+iTunes Store+品揃え}の組み合わせがそれまで無かったという見方もできる。

 全然閃めないという人でも、

 !(・。・)b 「そうだ!」( ̄Å ̄)「でも無理かぁ」

 ということはある。!(・。・)b 「そうだ!」 が「閃き」や「目の付けどころ」シャープでなくてもいいから覚えておく。

実現力(技能、コミュニケーション能力)

 閃いたアイディアを現実の形にする「実現力」は、「もの」であれば最終的に「技能」に行き着く。「こと」であれば「コミュニケーション能力」に行き着く。

 どんなにすばらしい閃きでも、物にするためにには、「うで」や「技能」が必要だ。音楽なら、演奏すること、歌うこと。ITならプログラミング、サーバー構築。

 サービスを実現するためにはコミュニケーション能力が必要。サービスを提供する相手は人だからコミュニケーション能力がなければ現実のものにならない。

 コミュニケーション能力は他人を口先で操る能力ではなくて、相手の思いを受け取り、自分の思いを伝える能力と言った方が分かりやすいかも。

 「技能」や「コミュニケーション能力」が高い人は、自分1人で新しい{もの|こと}を創れるので貴重な存在だ。

 でも、自分一人で全て持っている必要はない。凡人でも、何かしらの技能を持っていたり、何かしらのコミュニケーション能力を持っているものだ。足りない能力は誰かに頼むとか金を出して買ってくるとか、何でも自分でやろうとすると疲れてあきらめてしまう。

 言っちゃ悪いが、スティーブ・ジョブズが持っていたのは、閃きと人をその気にさせる能力。それでも創造的な製品やサービスを創った。実際に作ったウォズニアックでも皆ジョブズが創ったと思ってる。

実行力

 「実行力」は最も重要だ。思い付いても、技能やコミュニケーション能力があっても、1歩踏み出さなければ始まらない。

 「一歩踏み出す力」は老若男女を問わず誰でも持っている。それでも1歩踏み出せないのは、失敗体験や、常識、職場の空気、知人の助言(お節介)、失敗体験などの「思い止まらせる力」の方が大きいからだ。

 「一歩踏み出す力」<「思い止まらせる力」

 「思い止まらせる力」は一見自分の周りからの力のようだけど、実は、すべて自分の中にある。 失敗体験や常識、職場の空気も知人のお節介もそれを気にするのは自分だ。考えなければ良いのだけれど、それができれば苦労はない。 

 経験では、失敗体験や常識、職場の空気、知人のお節介、全部無視しても自分が考えるほどの影響は無い。ビビり性の人は最初聞くだけ聞いて受け流せば良い。自分が思うほど影響がないことが分かる。

 受け流すのが「一歩踏み出す」ための第一歩。

 受け流すことが難しいから、聞くだけ聞いてみようと考えるのは良くない。「思い止まる」ための第一歩だ。

ざっくり言うと 

 創造力はざっくりいうと

 創造力(ざっくり) = 目の付けどころ × 他人の能力 × 受け流す 

ってことかな。

自分の頭で考える力

 「創造力」の獲得方法は分かった。では、「自分の頭で考える力」はなぜ必要なのかというと、

 「自分の頭で考える力」は、「想像力」の獲得方法のすべての場面で必要になる

から。

 つまり、誰かに教えてもらったことも、本やネットで得た情報も、盲目的に従うのではなく、自分で考えて、従うか従わないかを決める。決めるときに必要になるのが「自分の頭で考えて決める力」だ。

 間違った判断を恐れる必要はない。「自分で決めたことの結果は自分が引き受ける」と考えれば良い。他人の判断がいつも正しいわけではないのだから。

カッコ良くいうと

 今後、機械(AI)に置き換えられないためには「創造力」を獲得し磨くことが必要。

 先天的な「創造力」を持っていない人は

「発想力」→オリジナルでなくても良い「目の付けどころ」で勝負する
「技能」→自分でできないことは、他人に頼む
「コミュニケーション能力」→「思い」を受け取り、伝える
「実行力」→常識、職場の空気、お節介を聞き流す
「自分の頭で考える」→自分で決めたことの結果は自分が引き受ける

でOK。

 「自分で決めたことの結果は自分が引き受ける」

ことが最も重要だと思う。

 機械(AI)にとって代わられるまで現状を変えないと決めて、その結果を自分で受け止めると決心したのならそれも良い。 他人の決心に口出しはできないのだから。


 実は「創造力」はある方じゃないかなと思っている。^^) でも、芸術の才能があるわけじゃない。子供の頃から面白いことを考えるのが得意だった。

 人の気持ちを察することができなかったり、空気が読めないから、失敗体験や常識、職場の空気、知人のお節介を受け流すことができる。(これは先天的?)

 それが、「創造力」の源じゃないかと思う。


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2017年7月 8日 (土)

モラル <ルールとは違う>

多発する中高生のサイバー犯罪-誰でも起こせるのか? 金子 清隆 JIJICO 2017/6/21

 国内初のランサムウエア作成容疑で中学生が逮捕された事件についての論評。

金子清隆氏はITモラル教育の必要性について

ITモラル教育の必要性

インターネット上にはサイバー犯罪に利用できるツールや情報が散在しており、未成年でも入手可能なので、年齢に関係なく誰でもサイバー犯罪を行えます。
最近ではこうしたツールやサービスを取引できるアンダーグラウンド市場も存在し、サイバー犯罪を行う技術的ハードルは低下しています。

サイバー犯罪は物を盗む、人を傷つける、といった物理的行為が伴わないため、犯罪を行うという意識が希薄になりがちです。
特に未成年の場合はその傾向が強いでしょう。
現代の子供たちは幼い頃からインターネットに触れていますが、サイバー空間での不適切な行為を教わったり、止められたりする機会はありません。
むしろ仲間の中では「かっこいい」と称賛されることもあります。
現在、学校ではIT教育に力を入れていますが、知識やスキルだけではなく、サイバー空間でやってはいけないことなどのITモラルに関する教育にも力を入れるべきだと考えます。

と、述べておられる。
ITモラルの教育に注力すべきという金子 清隆 氏の主張には賛成である。重要なのは各論で、IT業界に身を置く者としてどう関わるのかが重要だと思う。

 本筋ではないところに引っかかる悪い癖で、どうしても気になったのは最後の

サイバー空間でやってはいけないことなどのITモラルに関する

という部分だ。

ルール
やってはいけないこと → 法、規則 → 強制力あり
モラル
やらなければいけないこと → 道徳、倫理、規範 → 強制力なし

ではないだろうか。

 この記事の元になった事件は、刑法168条の2,同条の3「不正指令電磁的記録に関する罪」(不正指令電磁的記録作成・保管)だから、法(ルール)に違反している。モラルの問題ではない。

 また、法令順守とモラルは異なる。
例えば「不正指令電磁的記録に関する罪」は2011年の刑法改正で新設されたので、2011年まではウイルスを作っても罪には問われなかった。 つまりルール違反ではなかった。
しかし、ウイルスを作ったり使ったりするのは2011年以前からモラルには反した行為だ。

 日本人はモラル、ルール、マナーの区別をしないで議論しているのではないだろうか。
(因みに、交通ルールはマナーと区別しないで議論されることが多いようだ。)

モデル

モラルについて、↓のようなモデルを考えてみた。

Photo

 モラルとは、「あるべき理想の姿があって、その理想に近づこうとすること」という解釈だ。
理想から離れてるにつれてモラルが低くなる。これ以上理想と離れてはいけないところにルールがある。そして、ルールは明文化された法や明文化されない掟などの強制力を持つことが多い。

 人には理想(モラルの中心)から離れる力が働いていて、自然にしていると、モラルは低くなり、ルールをいつか犯してしまう。(黒い矢印) 一方で、人の意識には理想(モラルの中心)に向かう力(白い矢印)があって、2つの力がバランスしたところが現在のモラルだ。

 モラルが高い人やモラルが高い国というのは、2つの力が理想に近いところでバランスしている。モラルの低い人やモラルが低い国は理想から離れたところでバランスしているということになる。

理想(モラルの中心)

 ルールは理想からこれ以上離れてはならない境界だ。人が集まったときモラルがバラバラでは社会生活を営む上で問題があるので、理想からの許容範囲を決めたものだ。 重要なことは、この境界は人が決めたということである。したがって、時代や、社会情勢によって変わる。(ウイルス作成罪のように)

 モラルの中心にある理想は人によって異なる。
一神教の人たちは「神の教え」があるのでモラル中心は明確で、個人によるバラつきも少ない。理想を追い求める、矢印(白)の方向も明確だ。

 一方、日本人は、一神教でない人が多いので「神の教え」のような明確な中心がないので、中心はボヤけている。 理想を追い求める矢印(白)の方向は、中心がぼやけているので方向が定まらない。ルールは比較的明確なので、矢印の方向はルールを目指してしまう。

Photo_2

日本人はなぜモラルとルールが区別できないか

 このモデルで考えると、一神教の人たちは明確なモラルがある。一神教の人たちが日本人を見るとモラルが無いように見えるのではないだろうか。 しかし、日本人にもモラルはある。ルールから内側にかけてグラデーションがかかったようで見えにくいだけだ。この問を考えたのが新渡戸稲造で日本人のモラルを武士道だといった。

 全ての日本人が新渡戸稲造のように時間をかけて考えているわけではないから、多くの日本人はモラルの正体がよくわからない。 その結果、見えやすいルールについて論じるのではないだろうか。そして、ルールを守ること(法令順守)もモラルとして論じてしまう。

「ITモラル」(サイバー空間におけるモラル)

 「ITモラル」があるとすれば、汎用的なモラルの一部分だろう。モラルは中心に近づけば近づくほど抽象的になるので、「ITモラル」があるとするとルールの境界付近で、ルールと区別できないのではないだろうか。その結果、「ITモラル=IT技術を悪用してはいけない」になる。

 つまり、「ITモラル」が必要と言っている人たちが教えたいのは「モラル」ではなく「ルール」ではないか。ならば素直に「ルールを守りましょう」といえば良いのではないだろうか。

 交通安全教育で「交通ルールを守りましょう」と言うように「パソコン・スマホを使うときのルールを守りましょう」、「ネットを使うときのルールを守りましょう」といえば良いのではないだろうか。

 「ITモラル」は、基本的には現実空間の一般的なモラル(道徳)をサイバー空間に置き換えればよいと思う。 置き換えるときに技術的な知識は必要だが、サイバー空間用のモラル(道徳)を考え直す必要はない。

 サイバー空間はIT技術が不可欠だ。技術を使っているからモラルが低下した際の影響は現実空間より大きい。

 例えば、「陰で悪口を言わない」は現実空間ではモラルだ。しかし、「SNSや掲示板で悪口を匿名で書かない」はサイバー空間ではルールになる。

 「他人の個人情報を話す」は現実空間では問題にならなことが多い。しかし、「他人の個人情報を掲示板に書く」のはモラルに反する。

セキュリティ技術者に求められるモラル(倫理)

 セキュリティ技術者育成に関わっておられる方は皆さん倫理は重要と仰るのだが、聞いてみると「やってはいけないことを教えなければならない」と仰る。これはルールだ。

 技術者には技術者特有の倫理(モラル)が必要だ。セキュリティ技術者には技術者としてのモラルの他に、弁護士や医療関係者など他人の秘密を扱う者に求められるモラルが必要だ。

 「ルールを守りましょう」など次元の低い議論がまかり通るのは、ITに長けた者はルールを犯す者という意識があるのだろう。しかしセキュリティ技術者においては謂れの無いことだ。

自称識者に求めること

 自称識者の諸氏にはモラルとルール、規則と倫理はきちんと分けて説明してもらいたいものだ。


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2017年6月23日 (金)

ヒネクレ者にどう対峙するか <オマエが云うか!!>

 σ^^)をよく知る人は「オマエが言うか!!」と言われそうだが...

 ヒネクレ者とは、空気が読めないとか、協調性が無いとか、拘りが強いとか、マイワールドに引きこもるなどの特性がある人のこと。

 困るのは、周囲の価値観と自分の価値観に距離があった場合に、その距離を縮めようとしないことだ。

 太古昔恐竜が絶滅したときでも哺乳類が生き延びたように、劇的に環境が変わっても、ヒネクレモノは生き延びる可能性がある。

 とはいえ、ヒネクレ者がいると周囲が困ることが多い。 そして、忠告しても指導しても効果は期待できない(無い)。効果が無いからヒネクレ者なのである。

 本当に困るのは、チームとして成果を求められたときだろう。求められる成果とヒネクレ者の価値観が一致するときは良いが、一致しないときにはチーム力が半減するので困る。 では、ヒネクレ者にどう対峙するかを考えてみようとしたが、有効な解決策は思いつかない。(^^ゞ 

 そこで、σ^^)もかなりのヒネクレ者らしい(自覚症状はちょっとだけある^^)ので、これまで、上司・同僚がσ^^)にどのように対応していたかを考えてみた。

 

矯正しようとする
ますますヒネクレる。
そもそも、人の性格を矯正できるならこの世からヒネクレ者はいなくなっている。
 
放っておく
文句を言いすぎて、放っておかれたことは多いような気がする。
放っておかれたときに興味があることを見つけると幸せな気分になって没頭する。
 
時々褒める
ヒネクレ者は普通の人とポイントがずれているので、他人から褒められたポイントは自分では大したことはないと思っていて、「こいつ分かってね~な」と思っている。
それでも「見放しているわけではない」くらいのメッセージにはなる。
 
課題を与える
ヒネクレ者は自分の価値観に合致しない課題は最小限の労力しか使わない。しかし、自分の価値感に合致した課題は期待以上の労力を使うが、ハマってしまうので、なかなか結果が出ない。
 
素直な人と組ませる
これまで、成果がでた事例を思い出すと、素直な人(整理屋、マネジャ)を組んだときだ。ヒネクレ者は独りでは成果は出ない。
 

 つまり、ヒネクレ者に対しては

  • 無理に矯正しようとしない
  • ネタを振ってハマりポイントを探す
  • ハマったら放っておく
  • 成果が出そうになったら、マネジャを投入する
  • 成果がでたら褒める

という方法が効果的のようだ。

 ただし、サンプル数1なので、世の中のすべてのヒネクレ者に有効かどうかはわからない (^^;


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2017年2月25日 (土)

言うことが違うことは悪いことか

 現場の人と話していると「管理部門は言うことが変わる」という。

 よくある現場と管理部門との軋轢だ。悪いことに、決して面と向かっては言わない(大人の対応というそうだ...)ので、いつまでたっても問題は解決しない。

 今の立ち位置は、ある時は現場のマネジャ、ある時は管理部門というコウモリ的存在なので、現場のマネジャとして話をよく聞いてみると

  • 去年と言うことが違う
  • 人が変わるということが違う
  • 機会(場所)によって言うことが違う

ということらしい。

はて?と考えた。
「去年と言うことが変わることは悪いのか?」

 「明日は昨日の連続ではない」当然「来年は去年の連続ではない」だから今年変わるのではないか。彼らの中には、「明日は昨日の連続である」という固定観念があるようだ。

 おそらく、自分たちを取り巻く環境は日々変わっていることは分かっている。しかし、「明日は昨日の連続であってほしい」と願っているのではないだろうか。

1

さらに考えた。
「立場が変わると言うことが違うことは悪いのか?」

 組織に属している人、特に官僚型階層組織に属している人は、部署や役職を背負った発言を求められる。 部署が変わったり役職が変わったとたんに言うことが変わる人はよくいるではないか。自分の胸に手を当てればだれでも心当たりがあるはずだ。

 良いか悪いかは措いて、それが窮屈な組織の中で生きていく知恵というものだろう。問題とすべきは、なぜ言うことを変えなければならないのかではないのか。

さらに^2考えた。
「機会(場所)が変われば言うことが変わるのは悪いのか?」

 管理部門の人の言うことが現場Aと現場Bで違うらしい。

 ウチの現場はセブンイレブンやファミマのように規格化された現場ではない。そんな現場に対して同じことを言えという方が酷だろう。現場にいる多くのマネジャは規格化された現場で働いていた人だから、どこの現場に対しても同じ指示やアドバイスをすべきという固定観念があるのではないだろうか。

さらに彼らは言う。
「いうことが違うなら、ちゃんと説明しろ!」

 管理部門の人が現場の人にアドバイスしている場に立ち会ったことがあるのだけれど、ちゃんと理由を説明していた。

 アドバイスする側、される側という当事者ではなく、第三者的な立場で聴いているのでわかったのかもしれない。官僚型階層組織では「暗黙の権力があるので」管理部門の人が悪意なくアドバイスしていても、アドバイスされる側は「アドバイスを有難く頂いている」感じだ。

 管理部門のアドバイスが口頭でしかも量が多いと、理由は忘れられ、具体的な行動の部分だけ伝わっているのではないかと思う。

さらに^2彼は言う。
「口頭で伝わらないのなら、文書で指示せよ。」

 多く人は反対側の経験があって、官僚型階層組織での「文書」の位置付けは分かっているはずなのだが...
さすがに、ここまできたら、「サボタージュ・マニュアル (2014/11/12) 」だろう。

 管理側もサボタージュマニュアルにある、目的が分からない会議を開いて、「方針を伝えたこと」にしているから、方針は現場まで伝わっていない。管理部門の多くの人は、実はこの事実に気が付いているのだが、窮屈な組織の因習に囚われて何もできない。結局、「方針は現場まで伝わったこと」になっている。

原因は、

  • 管理部門は方針に従って、環境を考慮して具体的方策をアドバイスしている。
  • 現場は具体的方策に囚われて、方針まで理解していない。

つまり、現場に方針が伝わっていないことが原因だ。

 さらに、この問題は階層的だから、問題解決を難しくしている。

 厄介なことに方針は管理部門の担当ごとに異なる。当然具体的方策も異なる。現場が方針を理解しようとしても、方針が異なっていることがある。現場からすると、管理部門内は全く考えていないように見えるのも当然である。ところが、管理部門の担当は経営層の理念と環境を考えて方針を決めているように感じる。

 本当に具体的方策を理解しようとすると理念までさかのぼって理解しなければならない。

2

 現場で実行される具体的方策はその現場を取り巻く環境によって変わる。最近は移り変わりが早い。しかし、現場のマネジャの時代感は総じて遅い。

  残念ながら、現場のマネジャが具体的方策→方針→理念を考える環境もないし、習慣もなく、経営層はそれを良しとしている。

  •  現場のマネジャは「明日は昨日の連続ではない」ことを認識する
  •  管理部門は、「理念や方針が現場まで伝わる」環境を作る

ことが必要だ。

では、どうするのか

 分析しただけでは何も変わらないので、コウモリ的立場を利用して、現場と管理部門が建設的な話ができるように活動を始めた。

 簡単には変わらないことは分かっているのだが、本当に少しずつしか進まない。


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