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よしなしごと

2019年10月21日 (月)

やりたいこと、やるべきこと、できること

 ある人と「やりたいこと」「やるべきこと」「できること」の話をしていたら、どうも話がかみ合わない。
自分は、まず「やりたいこと」をやる、それをおいても「やるべきこと」があればやると言ったのだが、「できること」があるだろうと言われるのだ。後で冷静に考えてみると、かみ合わないはずだ。「できること」の話なんかしてない。

 知人曰く、「その人は「やるべきこと」が何なのかが分からないから、できる人に「できること」を期待しているのでは?」とのこと。

 たしかに、「できることは」わかりやすい。「やりたいこと」は時にわからなくなることがあるけど「やりたくない」を考えるとわかってくる。それに比べて「やるべきこと」はわかりにくい。だから「できること」を考えるのだろう。

 なるほど。主体を個人ではなく組織に変えると、自所属が「やるべきこと」がわからないから、とりあえず「できること」をやろうという発想になるのか。腑に落ちてしまった。

 何をやるか考えるときに「やりたいこと」「やるべきこと」「できること」を考えると良いと言われる。
これら3つが一致していれば良いのだが、一致しないことはよくある。いや、一致することが稀だ。だから、何を優先するか決断しなければならない。

18歳のときに技能で食っていこうと決心した。
41歳のときに「やりたいこと」を最優先しようと決心した。
50歳のときに「やりたいこと」をおいても「やるべき」ことがあることがわかった。

60歳を前にして、耳順の域には達していないと思う。しかし、これから先は「やりたいこと」をやろう。


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2019年10月19日 (土)

トロッコ問題 <スタンスを取る>

死ぬのは5人か、1人か…授業で「トロッコ問題」 岩国の小中学校が保護者に謝罪 (2019/9/29) 毎日新聞

 毎日新聞によると、山口県の中学校と小学校でトロッコ問題を題材にした授業を行ったところ保護者から「授業に不安を感じる」と指摘され、両校の校長が謝罪したという。学校は保護者に対して何を謝罪したのか記事からはわからない。

 学校に苦情を言った保護者はモンスターペアレントではないと仮定して、小中学校において、トロッコ問題を扱うことの是非について考えた。

 結論は賛成だ。小学校5、6年生になれば十分考えられるだろう。中学生なら十分に考えられる。

〇具体例

 具体的な例があったようだ。

Mr.サンデーで語った橋下徹の日本の治水行政の闇が怖すぎると話題に (2019/10/14) 秒刊SUNDAY

 若い頃に思考実験していないとショックなのかもしれない。

 為政者はいつか決断しなければならない問題だ。
トロッコ問題に正解は無いから、判断するのはエネルギーがいるし、その判断に異論を唱える者は少なからずいる。「命は地球より重い」と決断しないのは簡単だが、為政者としての覚悟はいかがなものか。政治家である橋下徹氏は、この問題が発生したときには、自らが決断しなければならないと考えたのだろう。当然だ。有権者は決断できない者を首長にしたくない。

 では、一般市民はどうか。
「治水行政の闇」と切り捨てるのは簡単だ。しかし、思考実験して自分のスタンスを決めることが重要だろう。この問題は、橋下徹氏の発言のようにどこにでもある問題だ。つまり、被害を受ける側になる可能性があるということだ。

 殺されないようにするためには、トロッコ問題は形を変えてどこにでもあることを受け入れるところから始まる。


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2019年10月11日 (金)

高校国語学習要領 <問題の所在が誤っている?>

 高校の国語の学習指導要領が新しくなって「論理国語」が新設されたらしい。著名人のウケは芳しくない。

 この変更の背景はOECD生徒の学習到達度調査(PISA)の読解力の成績が低下したことが影響しているらしく、「論理国語」の新設は読解力を向上させることが目的だろう。

問題の所在

 日本語で記述された文章から内容や情報を読み取るには。

文字→単語→文→文章→意味→意思・情報

の変換が必要だ。文字や単語、文は初等教育で学習する。

 読解力が低いのは「文章→意味」の変換能力が不足しているということだ。これは、Reading Skil Test(RST)を実施している「教育のための科学研究所」の所長新井紀子氏が「AIに負けない子供を育てる 東洋経済新聞社」で指摘しておられる。

 これまでの国語教育は、日本語の、表現手段、伝達手段と表現された内容、伝達された情報を区別していなかった。また、文学作品において登場人物の心情や作者の意図を教える内容が重要視されているから、文学偏重という人は多い。今回の変更で新設された「論理国語」で文章から論理的に情報を読み取る方法を教えるのだろう。ところが、文学も論理構造も文章によって表現された内容や伝達された情報に変わりはない。

 ネットでは「文学なき国語教育」などの議論が多い。しかし、これらの議論の多くは問題の所在を誤っているのではないだろうか。問題は国語教育で扱う「文学」か「論理」かではなく、文学作品や論理的な文章を読み解くために必要な、文章の意味を理解する能力が不足している生徒がいること。さらに、文章の意味を理解することができない生徒がいる事実を、国語科の教師が認識していないことだ。

 国語科の教師には「読めばわかる」ことをなぜ教えるのかという。しかし、意識することなく「読めばわかる」ようになったであろう国語科の教師には「読んでもわからない」生徒がいることが解らないのではないだろうか。

  「AI vs 教科書が読めない子供たち 新井紀子 東洋経済新報社」にある「アミラーゼ問題」は次のような問いである。

次の文を読みなさい。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい。
セルロースは(     )と形が違う。
(1)デンプン (2)アミラーゼ (3)グルコース (4)酵素

 正答は問題文の中に書いてあるから、読めばわかる。しかし、新井紀子氏は答えられない日本人が多いことを指摘している。ネットの議論でも、意識せず「読めばわかる」ようになった識者は、「読んでもわからない」人がいることを認識していないのではないだろうか。

 国語科以外の教師は、「読んでもわからない」生徒がいることを知っている。「読めばわかる」ように書いてある文章問題を出題したときに、生徒は答えが分からないのではなく、題意が理解できないことは、教師なら容易に判定できるだろう。

 読解力が不足している問題は国語科だけの問題ではない。国語科以外の科目の教師は、まず、国語科の教師にこの事実を理解させる必要があると思う。

高校国語の指導要領改訂の影響

 新井紀子氏の著書によるとRSTのスコアと偏差値に相関が認めらるらしいので、読解力も偏差値と相関があると考えられる。高校生は偏差値で入学できる学校が輪切りにされているから、偏差値の高い高校では読解力向上の授業は必要はなく、読解力向上の授業は偏差値の低い高校で必要だろう。つまり、「論理国語」はすべての高校生が学ぶ強化ではないということだ。

 文科省は、「論理国語」「文学国語」を選択にしており、必要に応じて選択するべきと主張している。しかし、多く識者が指摘するように、大学入試対策という観点では難解な科目より容易な科目が選択される。その結果、「文学国語」が選択されなくなるのではないだろうか。

 指導要領改訂の改訂が「文学」が理解できる能力を持っている生徒の文学を学習する機会を奪うとすれば問題だ。


参考



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2019年9月27日 (金)

筆算の線、手書きダメ? <自分の頭で考える習慣が無い人たち>

西日本新聞に「あなたの特命取材班」という企画があって 、そこに↓こんな記事があった。

  筆算の線、手書きダメ? 小5、160問「書き直し」 (2019/9/24)

 筆算の横線が手書きだったとして、担任に「書き直し」を命じられたというもの。

教師に対する不満とか、学校の理不尽な規則とかよくある話題だ。ちょっと、考えてみた。

  • 今後は、誰かが決めた正解を覚えるの記憶力より、自分の頭で考えて最適解を求める思考力が重要。
  • 教師や親世代は、記憶力が優位な人達だから考える習慣がない。
  • 親世代は自分で考えて結論を導き、それを子供たちに説明しなければならない。

〇2020教育改革

 2020教育改革の肝は「記憶力より思考力」だと思う。

 現在、常識だとされていることや、先人が思考して得られた結果を記憶するだけでなく、その先を自分で考えられるようにしようということだ。

 ところで、この改革の最大のネックは親と教師ではないだろうか?。

 偏見が含まれていることを容赦願うとして、

 特に教師は、ほぼ受験戦争(記憶競争)に適応した人だから、思考力より記憶力が優位ではないだろか。同じように、いま、子供を育てている親世代も同じだろう。いま、そこそこ以上の収入と、そこそこ以上の地位を得ている親も、思考力より記憶力が優位だろう。

 社会構造が記憶力有意の人間でできていると言って過言ではないだろう。このような社会で「これからは思考力の時代です」と言っても急激な変化は期待できないのではないだろうか。

 記憶力が優位な人が全て思考力が無いわけではない。思考する習慣がないだけだろう。 

 思考の習慣がない人を見分ける方法は簡単だ。常識的なことを「なぜそうなの?」と聞いてみると良い。思考の習慣がない人は、困ったら「決まりだから」と言う。まるで、「決まりだから」は「考えたくない!!」という心の叫びのようだ。

 と考えると。

〇「なぜ筆算で定規を使わなければならないのか?」

 「なぜ筆算で定規を使わなければならないのか?」の問いに「計算ミスが減るし、みんなにやらせている」とか「学年で決めています」と答えた教師は「考えること」ができないのだろう。

 「学年で決めています」と答えれば、「なぜ、学年でそう決めたのか?」と質問されるに決まっている。その教師は、おそらく「なぜ、計算ミスがへるのか」「なぜ、みんなにやらせているのか」、「なぜ、学年でそう決めたのか?」に答えることができないのだろう。考えられないんだから。

 同情する事情はある。

 これまで、しつこく「なぜ」を問う子供は教師から鬱陶しがられて、教師になるための教育を受けられない可能性が高かったのだから。だから、教師になるような人は子供の頃から「なぜ」を問わなかったのだ。そして、大人になってから、その習慣を変えることはできない。

〇親世代は

 親世代は、学校や教師の理不尽を責めるだけではいけない。なぜなら、親自身も「なぜ」を考えられない可能性が高いのだから。

 であれば、親自身も「なぜ筆算の横線を、全て定規で引く必要があるのか」を考えなければならない。

 誰かに、問うだけではダメだ。自分で考えて結論を導き、その正しかどうか分からない結論を子供に説明しなければならない。もちろん、合理性は無いという結論に至るかもしれないが、それを説明しなければならない。子供は素直に「なぜ?」と尋ねるけど...

 面倒なことだけれど、面倒なことを全て教師に任せてはならない。

〇まとめ

  • 今後は、誰かが決めた正解を覚えるの記憶力より、自分の頭で考えて最適解を求める思考力が重要。
  • 教師や親世代は、記憶力が優位な人達だから考える習慣がない。
  • 親世代は自分で考えて結論を導き、それを子供たちに説明しなければならない。

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2019年9月 2日 (月)

厚労省の若手チームの緊急提言を読んでみた

 あちこちで厚労省の若手チームの緊急提言が取り上げられていたので、「厚生労働省の業務・組織改革のための緊急提言」(90ページの大作)を読んでみた。

 ネットでは自ら明かしたブラックぶりが注目されている。中央省庁が労働環境の悪さを公式サイトで公表するのはこれまでになかったことなので注目されているのかもしれない。公開から1週間経過してこの提言書に関する意見が出てき始めたようだが、「改革の提言」にフォーカスして考えてみた。

 なぜ、「改革の提言」にフォーカスするかというと、ここ何年か個人的に「組織風土改革」に取り組んでいるので「組織改革」、特に改革が必要な問題の真因や課題を解決するための具体的な行動に興味がある。厚労省という組織の性格上、政治や国民とは切り離せないが、その部分には触れず、「組織改革」という観点から考えてみた。

 読んで違和感を感じたのは、

  • 提言する側は悪い労働環境の被害者という位置づけ
  • 「改革」を謳いながら、内容は「改善」であること
  • 他人に行動を求める内容で、自分の行動がないこと

だ。

〇労使問題?

 悪い労働で働かされている多くの職員を代表して実情を訴える感が溢れている。いうなれば民間企業の労使問題で労働者側がマスコミを巻き込んでいる構図のようだ。

 国民目線では厚労省職員が労働環境が悪いと言われても困る。厚労省の労働環境を改善するのは国民の責任ではない。それとも、厚労省の行政上の課題が改善されないことの言い訳かと勘ぐってしまう。

 労働者から経営者に対する提言だとすると、厚労省の経営者は誰だろうか?。公式サイトで国民に向けて公開する目的は何なのだろうか?。つまり、この提言書は誰に向けたものか明確でない。

〇「改革」なのか「改善」なのか? 

 この提言書のタイトルは「改革の提言」だが、内容は「改善」だ。「改革」は大見出しだけで、その他は見出しも「改善」になっているから、「改革」と「改善」を勘違いしているわけではさそうだ。おそらくこの提言書は「改善についての提言」だろう。

 言葉の遊びではなく、「改革」と「改善」は似て非なるものだ。「改善」は現状の肯定から始まるが、「改革」は現状を疑うことから始まる。『「厚生労働省分割論」への意見』という項目を設けて、現状の組織体制を変えることに対する反対意見が綴ってあるので、旧厚生省と旧労働省とのシナジー効果の検証はしないで現状の体制を肯定しているようだ。

 つまり、現状を疑うことから始まる「改革」ではないのだろう。

〇誰に向けた提言か?

 誰に向けたのかがわかる部分がある。

・このため、今回の緊急提言については、先日事務次官をチーム長として立
ち上がった「 厚生労働省 改革実行チーム」において、しっかりと受け止めて
もらい たい。 この緊急提言の現場での実行主体である大臣官房と各部局が、
若手チームとも 協力しつつ、 緊急 提言における工程表に沿って、 着実に改革
を実施していく 体制の確保に努めていただきたい と考えている

若手チームは、「 厚生労働省 改革実行チーム」と「大臣官房」、「各部局」に対して提言しているいるようだ。「 厚生労働省 改革実行チーム」は具体的だ。「大臣官房」はまあまあ具体的だが、「各部局」って誰だろう。「各部局」の長のことだろうか、「各部局」を構成する職員だろうか?

 改革も改善も「誰」があいまいな対策案は、実行されない。

〇提言者は何を「改革」するのか?

 若手チームは多くの職員の代表という位置づけのようだ。では、若手チームと若手チームが代表している多くの職員は「改革」について何をするのか?が気になる。若手チームの行動については書いてあった。

・なお、若手チームとして も 、緊急 提言のみで完結することなく、 ここに盛
り込まれた対策 の一つ一つ について、 各部 局 と連携しながら、 その実施状況
を 把握・ 公表したり、改革内容の分かりやすい周知 やより良い方策の検討等
を行ったりするなど、積極的なフォローアップに努めていく

なるほど、若手チームは「改革」のために提言のフォローアップ(実施状況の把握・ 公表、改革内容の周知、方策の検討)をするらしい。つまり、実施主体ではないらしい。

 経験的には、「改革」や「改善」において自分以外に行動を求めた場合、それはうまくいかないことが多い。それはそうだ。口先だけで麗しいことや正論を吐くだけで、自分では行動しない者に、あれこれ指示されたら素直に従う人は少ない。人はそういうものだ。

〇違和感の正体

  • 提言する側は悪い労働環境の被害者という位置づけ
  • 「改革」を謳いながら、現状の肯定から始まる「改善」であること
  • 他人に行動を求める内容で、自分の行動がないこと

 ここ何年か 「職場の風土改革」を考えてきて分かったことがある。

 長く働いていると(生きていると)、改善方策はいろいろ思い付く。簡単に実現できそうなこともあるし、自分の能力や権限では無理なこともある。でも、最も重要なのは「自分は何をするのか?」そして「行動すること」だと思う。

 「厚労省若手チーム」にとって「何をするのか?」が提言をまとめることだったのだろう。では、次に何をするのか?「改革」の道のりは長い。



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2019年8月25日 (日)

専業主婦という働き方 <専業主婦に限らず昭和の価値観はリスクが大きい>

キャリコネに

 「専業主婦になりたいと望むのはダメなこと?」21歳女子大生の悩みに忠告相次ぐ キャリコネ (2019/08/18)

という記事がある。元ネタはYahoo!知恵袋の

 専業主婦になりたいと望むことはダメな事でしょうか?? Yahoo!知恵袋 (2019/7/5)

ぐぐってみるとこのネタは結構多い。
東洋経済にもあった。

 「夢は専業主婦」と語るのはダメなことですか 無邪気な発言で職場で大ひんしゅく 堂薗 稚子 (2015/08/25)

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 ざっと読んでみると、専業主婦は経済的に難しいことは、皆承知しているらしい。

 実は、娘も専業主婦志望だったけど、無理じゃないかと助言したことがある。

 アラ定のオヤジが「専業主夫という働き方」という観点で考えてみた。

〇結論は

  • 専業主婦という働き方は、終身雇用や勤務先の安定という昭和の価値観に依存している。
  • 専業主婦と言う働き方を選ぶと、配偶者は家にいないから家庭団欒が実現できない可能性が高い。
  • いつの時代も、若い世代に適切なアドバイスをくれる年寄りはいない。
  • この先、専業主婦に限らず昭和の価値観はリスクが大きい。

 最初に断っておくけど、専業主婦という働き方が悪いわけではない。
働き方は人それぞれだから、他人にとやかく言われる筋合いではない。ただし、専業主婦という働き方は一人では決められないので配偶者と合意する必要があるだろう。

〇専業主婦とは

 昔、農家や自営業では専業主婦ではなかった。裕福な家は専業主婦だったが女中を雇うなど、ワンオペではなかった。

 専業主婦という働き方を簡単にいうと、現金収入と家事、育児の分業だが、高度成長期に家電製品が普及したので家事労働の負担は減っていったのでワンオペが可能になったのだろう。

 オヤジが若かった頃には「寿退社」という言葉があった。女性は結婚すると専業主婦主婦になる人が多かったのだ。しかし、専業主婦になることを望んでいる人ばかりではなかった。社会が受け止められなかったのだ。

 家事ワンオペの専業主婦は、昭和の高度成長期に誕生した都会の核家族に適した働き方だったのではないだろうか。そして、ちょっと前まで多くの人がこの働き方を選んでいたのは、専業主婦の方が合理的だったからではなく、雇用する側の都合ではないだろうか。

〇なぜ専業主婦?

 日本の社会は高度成長期以来、長時間労働に頼っていた。従業員が家事、育児を分担していると長時間労働させにくい。家庭内で、家事、育児と会社での労働を分業してくれたら、雇用側は従業員に長時間労働させることができるので、都合が良いのだ。

 従業員(多くは男性)は、家事、育児を分担している専業主婦の賃金まで稼ぐ必要があるのだが、多くの従業員は基本給ではなく、扶養手当や残業手当という基本給以外の賃金で賄っていた。

 このモデルが存続できるのは、残業するほど仕事があることが前提だ。つまり、会社や社会全体が成長していることが前提だ。

 また、日本人は持ち家信仰が強いので、借金をして家を買う人が多いから、現金収入を担当している男性は、専業主婦の賃金に加えて借金の返済分も稼がなくてはならない。しかし、社会が成長している間は、毎年給料が増えるから繰り上げ返済が可能で借金は負担ではなかったのだ。しかも土地価格は上昇基調だった。

 ここまでは、若い人の祖父母の時代。

 その後成長が鈍ってきが、残業を増やしたり理不尽な転勤を受け入れてなんとか分業を維持していた。その結果が、長時間通勤、長時間労働、休日出勤、単身赴任だ。

 このモデルはもう維持できないと思い始めた頃にバブルがあって、続けることができてしまった。

 このあたりは、若い人の父母の時代。

 今時は、成長しなくなって久しく、さらに残業が法律で規制されるようになって、残業手当が減った今、基本給で専業主婦の賃金分の収入が得られる男性は少ない。

 つまり、専業主婦は昭和の高度成長期だから可能で、現在では多くの人は経済的に難しい。

〇昭和の価値観

 政府が、働き方改革の旗を振ってもなかなか働き方が変わらないのは、おじいちゃん世代、オヤジ世代が高度成長期の古き良き時代の価値観変えようとしないからだと思う。

 合理的に考えて、若い世代が、昭和の高度成長期のように行動するのはリスクがかなり大きい。
例えば、

  • 専業主婦
  • 終身雇用
  • 公務員、大企業などの安定志向

などだ。

 専業主婦、長時間通勤、長時間労働という働き方を選択して、長期ローンを組んで、定年間近になってわかったことは、この選択はリスクが大きかったこと。リスクが顕在化しなくて、本当にラッキーだったと思う。この30年間、経済や技術などの環境は大きく変化したけれど、昭和の価値観をだましだまし保ってきた感がある。

 Yahoo!知恵袋の相談者は家庭団らんに憧れているようだが、専業主婦という働き方を選択しても、家族団らんが実現できるわけではない。専業主婦という働き方を維持しようとすると男性は家にはいれないのだ。朝早く出勤して、子供が寝てから帰宅する。土日は疲れていて子供と遊べない。単身赴任するからそもそも家にいないのだ。

 なぜ、そのような働き方を選択したかというと、適切なアドバイスをくれる人がいなかったからだ。多くの人は昭和の価値観でアドバイスするから、昭和の価値観に縛られてしまったのだ。

〇終身雇用

 この先終身雇用を維持するのは難しいだろう。終身雇用は、若い間に給料以上に働いて、不足分は歳を取って受け取る仕組みだ。簡単にいうと、若い間のサービス残業分を、窓際になる歳になってから受け取る仕組みで、生涯賃金はペイする。

 しかし、今時、「若い間は安月給だけど、30年先に仕事に比べて給料が良くなるから」と言われたら信じるのだろうか?

〇公務員、大企業などの安定志向

 最近、大企業が大量リストラしたり、買収されたり、倒産している。日産やシャープ、東芝など、オヤジたちが40年近く前に大企業に抱いていた安定感は今はもう無い。では、googleが30年後もトップ企業であり続けると断言できる人はいるだろうか?

 つまり、これから先は重要なことは、安定より環境変化への対応だろう。

〇専業主婦

 終身雇用という働き方が維持できなくなった場合や、安定していると思っていたのに、リストラされたり、倒産したら、転職を余儀なくされるが、転職しても収入は増え続ける保証はない。収入を増やすためには学びなおす必要があるが、収入のすべてを配偶者に依存している専業主婦という働き方の場合、配偶者が学びなおしている間は無収入になる。

 つまり、専業主婦という働き方は安定した収入があることが前提だ。ところが、昭和の価値観では安定収入の条件だった終身雇用や公務員、大企業での勤務に長期間の安定を求めるにはリスクが大きい。

〇まとめ

 最初に書いたたように、専業主婦が悪いわけではないし、配偶者と合意すれば可能だ。
昭和を30年、平成を30年生きてきた経験では、これから先の時代を昭和の価値観で生きるのはリスクが大きいと思う。では、どのような価値観が良いのかと尋ねられたら。

 ハッキリ言って、先のことは分らない。歳を取っているから先のことが分かるわけではない。

  • 10年先は10年前と同じではない。
  • 10年先は10年前からの変化の先にある。

と考えれば、昭和の価値観に捉われた年寄りのアドバイスをあてにしなくてよくなる。

〇結論

  • 専業主婦という働き方は、終身雇用や勤務先の安定という昭和の価値観に依存している。
  • 専業主婦と言う働き方を選ぶと、配偶者は家にいないから家庭団欒が実現できない可能性が高い。
  • いつの時代も、若い世代に適切なアドバイスをくれる年寄りはいない。
  • この先、専業主婦と言う働き方に限らず、昭和の価値観はリスクが大きい。

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2019年8月17日 (土)

面接試験

 今年も昇任試験の時期がやってきた。

 これまで、論文試験について書いた。

 論文試験の他に面接試験があるのだが、面接官をやった人は、面接の練習をしすぎているのではないかとおっしゃる。受験者の回答が判で押したようだというのだ。話を聞くと、仕事に取り組む姿勢とか、誠実さ、地頭の良さが判るくらいの人生経験はある。面接官をバカにしてはいけない。と。

 歴代の質問を集めたアンチョコが出回ったりするから、皆、模範回答を答えるようになる。

 学生が就活のときに同じようなリクルートスーツを着るのと同じだ。

日経電子版に 

「仕事の風景(1)就職氷河期、個性は封印」2010/9/16付 日本経済新聞 夕刊
(https://www.nikkei.com/article/DGKDZO14757260W0A910C1MM0000/)

という記事があって、その記事に載っている写真がこれ↓


↑2010年の入社式
 
↑1986年の入社式

 服装は特に決められたものではないし、リクルートスーツで他の受験者より印象が良くなることはない。しかし、少なくとも他の受験者より悪くなることはないという考え方だ。

 面接でも予め練習した模範回答をしていれば、少なくとも、他の受験者より悪くなることはないと考えるのではないだろうか。そして、模範回答を練習した上司は部下に模範回答を指導するので、就活生のリクルートスーツのようにはびこる。

 昇任に不可欠なものは「覚悟」だと思う。上位の職に就く覚悟だ。
その「覚悟」を決めるには自問自答が必要だ。面接では自問自答した結果に照らして答えればよい。

 その覚悟が、組織が求めるものと異なれば、不本意な結果になるかもしれない。
しかし、自問自答したことは無駄ではない。少なくとも模範回答を覚えるより創造的だ。

 昇任試験の面接で予め練習した模範回答を答えるのは、「上司の言う通り模範回答を覚えました。」とか「私の人生は他人と横並びです」と公言するようなものだ。そして、それが評価される組織は、命令に従順に従い、組織の和を重んじる者を求めている。つまり、社畜を求めているということかもしれない。

 昭和の時代は、あえて社畜になる選択肢もあったが、今時、社畜を目指すのはリスクが大きいと思う。



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2019年6月 8日 (土)

県立高校の髪型ルールに「細かい」の声 <「らしさ」と「らしさの限界」が考えられなくなってる>

県立高校の髪型ルールに「細かい」の声 「サイドを短くする」「横髪が出ている」は校則違反  J-CAST NEWS 2019/4/26

 最近この手の話題が多い。

 学生も、教師も、保護者も、そしてネット民も思考停止していると思う。

 昔昔、小学生だったころ、中学生は坊主頭だった。 校則で決まっていたのだ。 その頃、ちょっと上の世代は生徒会が中心になって校則を変えた。 ちょっと上の世代はしらけ世代と呼ばれていたけど、全共闘世代の名残があって、中学生でも髪型は自由だと主張して校則を変えるだけのパワーがあった。

 その世代がこの記事を読むと「アホらしっ」と思うのだろう。

 たいてい高校にはその高校独自の「らしさ」がある。 特に歴史がある学校は代々伝わっている「らしさ」がある。 校則で決めている髪型とか服装は、「らしさ」の限界、つまり理想的な「らしさ」からの距離を決めるということだろう。

 当然のことだが、理想的な「らしさ」も、「らしさ」の限界も時代とともに変わる。 ところが、この議論をしている、学生も、教師も、保護者も、そしてネット民も、それが変わらないことを前提にしているのではないだろうか。

 つまり、思考停止している。

 思考停止していることは意外に楽で、考えることは大変だ。 でも、

 教師は理想的な「らしさ」と「らしさの限界」を考えるべきだ。
そうすれば校則が妥当かどうかが分かる。 誰が何を考えて決めたか分からないような校則で生徒を縛るよりよほどましだろう。

 生徒も「らしさ」と「らしさの限界」を考えなくてはならない。
自分で考えた限界は守ろうとするものだ。 誰が決めた変わらないような校則に縛られるよりよほどましだろう。

 生徒は思うだろう。
教師は大人だから「らしさ」を考えられるが、生徒は未熟だから「らしさ」を考えることができないと。

 ところが、大人になっても「らしさ」を考えられない人はいるものだ。 それは、たいてい、学生の時に「らしさ」を考えていない人だ。

 学生の時に「らしさ」を考えなかった人は、大人になっても「らしさ」を考えられなくて、誰が何を考えて決めたか分からないような規則を、自分の子供に強要しなくてはならなくなる。

 そして、考えられない連鎖は続く。


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2019年4月21日 (日)

優秀なフォロワー <アイヒマンと紙一重>

優秀なフォロワーであろうとする人は多い。 しかし、優秀なフォロワーとアイヒマンは紙一重だ。

一見、責任はリーダーにあって、フォロワーには責任が無いように見える。
事実勘違いしている人も多い。
ところが、フォロワーであっても結果責任は問われる。

優秀なフォロワーであったアイヒマンは法廷に引き出され裁かれ、刑に処された。
悪意があるリーダーであるヒットラーの命令を忠実に遂行したアイヒマンは、優秀なフォロワーであり悪意は無いと主張しても、結果責任は引き受けなければならないのだ。

これを教訓にするなら、いたずらに優秀なフォロワーを目指すのは危うい。



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2019年4月 8日 (月)

送別会 <人材育成ってこういうこと>

 元上司が退職されたので送別会を企画した。
その上司とは、何度か上司―部下の関係で仕事をした。

  • 新しい部門を立ち上げたり
  • 腹が立ったという理由で無茶なプロジェクトを引き受けたり
  • キャリアチェンジしようと思うようになったり

 大勢に声をかけると収拾がつかなくなりそうだったので、若い人(といっても40過ぎだが)を中心に、送別したいと強く思っている人に声を掛けたら皆集まってくれた。

 最初5,6人と思っていのだが、送別したい人がたくさんいて、気が付いたら20人以上になっていた。送別したいと強く思うのは、自分が成長を実感したときの上司だからだろう。

 年の功か最後に絞めを任されて、改めて参加している人達の顔ぶれを見たら、皆次世代を担う人達だと思った。

 最近人材育成に関わることが多いのだが、これが元上司による人材育成の結果なのだと思った。


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