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人材育成

2017年11月30日 (木)

10年後、君に仕事はあるのか?

10年後、君に仕事はあるのか? <未来を生きるための「雇われる力」> 藤原和博 ダイヤモンド社

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 高校生と高校生を持つ親向けに書いてあるので非常に分かりやすい。

 大半の大人は自分を取り巻く環境が今のまま続いて欲しいと思っているのではないだろうか。慣れというものは恐ろしいもので、子供などにに進路などの将来のことを相談されたときに、自分の過去の経験や、現在の環境を前提に答えてしまう。

 子供が知りたいのは10年、20年先の話だから、現状を前提に答えられない。ましてや、親の経験は20~30年も昔の経験だから、30年も昔の経験で20年も先の未来を考えられない。 答えられるのは、人間って何?のような極めて抽象的な問題くらいだろう。

 職場でも同じだ。40、50歳台のマネジャと話すことがある。若い人の将来に不安があるらしい。彼らは、若い人達が専門性を高めると将来別の仕事に移ったときに困るのではないかと考えているらしい。

 よく聞いてみると、彼らは未来が現在からどれだけ変わっているのか考えていないように見える。 「その部署は将来も有るの?」と尋ねると、キョトンとしている。将来その部署が存続し続けているのか無くなっているのか答えてくれたマネージャはいない。おそらく彼らは現在の環境が未来永劫続くと考えているのだろう。

 50歳台の人は10年後、定年退職した後自分がどれくらい評価されるか考えなくてはならないから心穏やかではない。しかし、今現在の評価が退職後も続いていると考えると心穏やかでいられる。でも、それは思考停止だ。

 そして、思考が停止した状態で他人にアドバイスするのは無責に過ぎる。

 将来の見通しや展望を語るのは難しいけれど、年の功で将来を考えるのが年寄りの役目ではないだろうか。

 藤原和博氏は、生きるために必要な力は、情報処理力、情報編集力、基礎人間力だとおっしゃる。 そして、これまでの日本の教育は情報処理力:情報編集力の比率が9:1だったものが、今後7:3になるだろうとおっしゃる。

 技術者にとって情報処理力は重要なことは今後も変わらない。 今後重要性が増すであろう情報編集力に揚げてある、

  1. コミュニケーション・リテラシー(異なる考えを持つ他者と交流しながら自分を成長させること)
  2. ロジカルシンキング・リテラシー(常識や前例を疑いながら柔らかく「複眼思考」すること)
  3. シミュレーション・リテラシー(アタマのなかでモデルを描き、試行錯誤しながら類推すること)
  4. ロールプレイ・リテラシー(他者の立場になり、その考えや思いを想像すること)
  5. プレゼンテーション・リテラシー(相手とアイディアを共有するために表現すること。

はいずれもマネジメントに必要な能力だ。技術者がマネジメントできない原因の一つはこれらの能力が足りないのかもしれない。

 技術力が高い者はコミュニケーション能力が低いと言われる。

 もともと情報処理力(数学、理科)に適性があった者が技術者になって、さらに情報処理力を磨く。仕事柄若いうちは情報処理力を高めなければ技術者として食っていけないという事情もある。 情報処理力と情報編集力とのバランスが悪いことに気がつかない。

 このように考えると、技術者だからコミュニケーション能力が低いのではなく、教えられてないからコミュニケーション能力が低い者が多いのではないだろうか。

 学校では、コミュニケーション能力は偏差値に影響しないから積極的に教えない。
技術者ばかりの職場に入ると先輩・上司は教えてくれない。いや、教えられないのだ。教えてもらった経験がなければ人に教えることはとても難しい。

 マネジメントをやるようになると、情報編集力が足りないことが問題になる。当然マネジメントに支障をきたす。問題に気付かないで乗り切ろうとする強者もいる...

 ここで情報編集力を獲得したり、高めるトレーニングをすれば良いのだが、古い組織は官僚制で対応しようとする。上意下達というやつだ。 上意下達でも日本人は一から十まで命令しないから行間を読むことは必要だ。ところが行間を読む能力はとても高度なコミュニケーション能力だ。 かくして、技術者上がりの使えない管理者が増殖することになる。

 同世代のマネージャと話すことが多い。彼らと「人材育成」の話をすると、10人中9人は情報処理力の向上の話をする。人材育成には情報編集力の向上も必要では?と問うと、明らかに困惑している。彼らも同じように情報編集力を教えてもらっていないのだ。実は、人材育成担当も同じような傾向がある。おそらく組織的な問題だろう。

 学校教育で情報編集力の割合を増やしてくれるのは大歓迎だ。
今のところOJTで情報編集力の向上は見込めないから、研修で情報編集力向上のトレーニングをやらなければならない。

 まず、人材育成担当に働きかけてみよう。


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2017年11月28日 (火)

教える能力 <自助努力に頼りすぎ>

 教える能力について考えてみた。
研修の講師をやることがあるが、職業教師や職業講師ではないし研修部門に勤務しているわけでもない。残念ながら教える能力を教えてもらったことはない。(言い過ぎました。今年1回講義を受けました。 ^^;;)

 なにかを伝えようとするときに相手に伝わる量は

 伝わる量 = 教える能力(発信側) × 学ぶ能力(受信側)

 教える能力 = 形式知×教える技術

だと思う

 専門的な内容や講義マニュアルができていない内容などの講義は知識や技術、経験を持っている人に講師を依頼することがよくある。

 外部講師を依頼する場合に注意しなければならないことは、「教える技術」が高いとは限らないことだ。 講義をこなしている人は教え方が上手な人が多い。しかし、専門分野の高い知識、技術を持っていることと「教える技術」を持っていることとは別物だ。

 講師の「教える技術」が低い場合には、受講者の「学ぶ能力」が高くなければ、効果のない講義になってしまう。OJTのように1:1のマンツーマンではなく、1:Nの講義形式では、講師の「教える能力」が向上すると研修の効率が上がる。当然、「教える能力」が低ければ研修の効率は下がる。

経験では
 手っ取り早く「教える能力」を上げるには形式知を増やせばよい。形式知は、本来の仕事の能力も上げることができるので一石二鳥だ。

 ところが、職業教師や職業講師でない者が「教える技術」を習得することは困難だ。

 理由は3つ、

  1. 講師は本来業務ではない
     講師は本来業務ではないと思っているので「教える技術」が低いのは仕方がないと思っている。だから、教えられる側(受講者)が努力すべきと思っている。無理もない、本来業務でもなくロハで講師を引き受けた上に上手に教えることを要求されるくらいならお断りしたい。これが本音だ。
     
  2. 「教える技術」が無くても本来業務は困らない
     「教える技術」が無くても本来業務は困らないことが多い。特に良いマネジャがいる場合には「教える技術」を持たなくても成果は挙げられる。 さらに、教えることは本業ではないと開き直ることができる。
     
  3. 教える側の優位性
     教える側、教えられる側という立場的な関係もある。社会通念上教える側が上位だから下位の教えられる側が努力すべきと考えてしまう。
     知識や情報を伝える作業と考えれば上位も下位もない。双方が能力を向上するべきなのだが。

 長い間講師をやっているが、正直に言うと、最近までこのように考えていた。
教え方が悪いと言われたときに、自分の教える能力を向上させる努力をしないための言い訳だ。

 マネジメントを始めたころから徐々に意識が変わったと思う。
変わったのは、

  • 「教えることは本業ではない」と言えなくなったこと、
  • 講義の成果を考えるようになったこと
  • 「教える技術」が低いことが受講者の貴重な時間を奪うことになると考え始めたこと、
  • 講義は目的でなく手段と考えるようになったこと、
  • 等等

マネジメント的には
 職業教師、職業講師、研修担当でない人の「教える能力」を向上させるのはかなり難しいと思う。

 まず、本人が「教える能力」が低いことを認識しなくてはならない。
人は言い訳を考えるのが常だから、能力が低いことを指摘されたら素直に直す者ばかりではない。

 マネジャは「教える能力」が低いという事実を伝えれば良いわけでもない。
注意、助言を与えれば良いというものではなく、マニュアルを与えたり、リハーサルを行う、手本を見せるなどの訓練が必要だ。

 つまり、『「教える技術」を教える能力』を持った人が必要だということだ。 しかし、アドバイスだけであとは自助努力に頼る管理者は多い。ハッキリ言ってマネジメントの手抜きだ。

コミュニケーション能力
 人に何を教えることはかなり高度なコミュニケーション能力が必要だと思う。
自分のコミュニケーション能力が低いからそう感じるのかもしれないのだが、受講者に伝わったかどうかの反応を見ながら講義するのは、口で言うほど簡単ではないと思う。

 日本人の反応は薄いし、分からなくても「分かりません」と言う人は極めて少ないから、表情や仕草を読み解かなければならない。コミュニケーション能力が低い者にはハードルが高い。

 さすがに、受講者が寝ると良くわかるが、そうなっては手遅れだ。

講師を命じる立場にある人
 コミュニケーション能力が低い人を講師にする場合には、特に注意しなければならない。
教育効果が上がらないだけではない、受講者の貴重な時間を奪っている。

 「ありあわせの資料でテキトーにやっといて」と言われると、「オメーがやれ!!」と思ってしまう。

 講師を命じる立場にある者は、コミュニケーション能力の低い人が何に困っているのか分からないなら、彼らを講師にしてはいけない。

 講義が上手くできなかった講師にも、受講者にも罪悪感があるが、講師を命じた者に罪悪感は無い。これが一番の問題だ。


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2017年11月 6日 (月)

人材育成プラン

 人材育成の基本方針のような資料を見た。パワーポイント数枚の資料だ。

 違和感があったので、気になる点をノートに書き出したら、2ページになった。違和感の正体は、人材育成の基本方針がビジョンに根ざしたものではなく、しかも実現可能性が考えられていないことだ。

 階層型の組織では、上位の部署が考える方針はビジョンに根ざしているから下位にいる者が見ると絵に描いた餅のように見える。 一方、現場に近い部署が考える方針は実現可能性が重視されるから、「何のために」が無いように見える。

 中間の部署は、ともすれば絵に描いた餅になりそうな上位の方針と実現可能性との整合を考えなくてはならない。 考えない場合は絵に描いた餅が現場まで落ちてくる。絵に描いた餅は食えないので実行されない。

 件の人材育成方針はビジョンに根ざしたものでもなく、実現可能性も無い。
ビジョンと実現可能性の板挟みになるのは辛いものだが、その辛さをそのまま現場に投げたと言われても仕方が無い内容だ。

 人材育成に関わる者は「覚悟」が必要だ。
人材育成の現場にいる人は教育者だからこれは当然のことだ。人材育成プランを考える者は現場にいないことが多いが、同じように「覚悟」は必要だ。

 「覚悟」が無い者が人材育成プランを作ると、ビジョンもなく実現可能性の無いプランになる。


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2017年6月10日 (土)

講義

 毎年やってる講義。技術的な内容で、80分×5コマを1人で話すと結構疲れる。(小学校の先生は大したもんだと思う。) 普段DF入門のような内容の講義が多いので技術的な内容の講義は話す側としても楽しみにしている。

 この講義は6、7年前に初めて、毎年内容を更新して試行錯誤しながら続けてきた。今年の講義も早くから依頼がきていて4月になったら仕込みにかかろうかと考えていたら、期せずして異動してしまった。

 後任に引き継げるようにしていなかったので、今年は異動した先で講義を引き受けて来年引き継ぐようにお願いした。何とかなるだろうとタカをくくっていたら、異動先の職場は結構忙しい。(アタマを使っているわけではないのだけれど...)

 十分な準備ができなかったので内容を減らしたら余裕をもって講義ができた。これまで詰め込みすぎだったのだろう。 内容は論理的なレイヤから物理的なレイヤまで含むので、受講する人たちは大変だったと思う。

 例えば、CプログラミングからCPU、はんだ付けのように広いレイヤをカバーしている人は少ないから、今回の講義の内容を1日で完全に理解するのは難しいだろう。

 と考えたら、自分の得意なレイヤから隣接領域・隣接レイヤに理解を広げることが重要と考えるようになった。 これまでは、なるべく広い領域を理解してもらおうとシャカリキになっていたと思う。

 この講義は1日で習得するのは、おそらく無理だ。 今後自分で調べて、自分で経験しなければならないだろう。ならばシャカリキになって教えなくて良いだろう。

 今後は、技術を習得しようとする若い人たちを継続的にサポートすることを考えよう。

 などと考えながら、独り慰労会でプシュ。

S

↑の前の週末のこと、

 4月に仕事が変わって、準備ができてないので週末に実習の確認をしておこうと思ったら、実習に使うSTM32F0Dicoveryが見当たらない。;_;) 

(↓こんなやつ)
Stm32f0discovery

 先日、娘+カミさん連合の圧力に屈し、部屋を換えたときにお宝(ジャンク)箱がシャッフルされてCPUボードが入った箱が行方不明になったようだ。

 困っていたら、STM32F0Discoveryなんて知らないカミさんが見つけてくれた。「なんでちゃんと探さないかなあ」とカミさんは言うのだが、シャッフルする前はどこにあるかはちゃんとわかっていた。(^^;


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2017年1月16日 (月)

レポートを書く時間が足りない <足りないのは時間ではない>

 研修の最後に総合演習的にレポートを書いている。研修終了後のアンケートの中に「時間が足りない」という意見を見ることが多くなった。

若い人や経験が少ない人に多いのだが、2つの点で誤解があると思う。

  1. 金を貰ってやる仕事では締め切りを過ぎたレポートの価値はない。
  2. 時間があれば良いレポートが書けるという過信

である。

1. 締め切り
 どんな仕事にも納期があるものだ。そして、期限が定められている仕事では、期限を過ぎたレポートの価値はないので、期限内に書ける内容に絞らなければならない。

 「時間が足りない」という人は、期限を気にしないで書き始め、気が付いたら時間が足りない状況になっているのだろう。つまり、全体が見通せていないことが原因だから、トップダウン的思考を教えなければならないのだろう。

2.時間
 時間があれば良いレポートが書けるというのは、根拠のない過信だ。
期限内にレポートが書けないのは、レポートを書くためのベースとなる知識・技能や文章を書く能力が不足していることが原因だ。つまり、能力が足りないのである。

3. 問題は
 「時間が足りない」と言う人はその後の成長しないのではないだろうか。

 なぜ時間が足りなかったのかを冷静に検討するのは「反省」だが、単に「時間が足りない」と言うのは「後悔」か「クレーム」だ。「後悔」や「クレーム」からは成長は生まれない。

 指摘されることを、ことさら嫌う人もいる。 指摘するポイントを予め教えるべきだと。
 レポートは 自分で考えて書いて、第三者に指摘や添削を受けることを繰り返す過程で上達する。しかし、指摘してくれる職場の上司や同僚は国語の先生ではない。

4. どうするか
 まず現状でレポートを書く能力が不足していることを認識する。そして、国語の教師ではない普通の人の指摘や添削を真摯に受け止めて自分の頭で考えて書き直す。この方法しかないと思う。

5. 余談だが
 テンプレートを使ってレポートを書いている人は自分で考えていないので上達しない。結局、テンプレートのないレポートは 書けないから、前例のない仕事ができない。


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2016年12月12日 (月)

講義で伝えたかったこと <初心に戻る>

 先日やった講義のアンケート結果が届いた。

 いろいろなところで講義している。主催者が受講生に聞かせたいと思っていたり、受講生が聞きたいと思っていたり、自分が伝えたいと思っていたりと、話す側と聞く側の組み合わせはさまざまだ。

 アンケートが届いた講義は、以前に自分が伝えたいと思って、主催者にお願いして時間をもらった経緯がある。この講義はもう何年もやってるのだが、今回は聴衆の年齢や経歴、バックグラウンドが違う人が多かった。

 誰に何を伝えるかを考えて、去年の内容から半分リニューアルして臨んだのだが、成功とは言えない感じだ。説明につい熱が入り、リニューアルした部分が伝えられなかった。 講師(自分)のバックグランドを知らない人もいる。当然、「このおじさんに何故こんなことを言われなくてはならないのか?」と思う人もいるのだろう。

 初心に戻って、何故講義の時間をもらったのかを考えてみた。

この研修は技術研修だから基本は技術の習得で

  • 技術力を向上させること
  • 技術力を使って成果を上げること
  • 技術力を使った結果を説明すること

を学ぶ。「わかるように」なることが目標だ。しかし、「できるように」はならないから研修後のOJTや自己訓練で「できるようになる」ことが重要だ。

 IT業界なので技術の移り変わりは速いから、受講者の中には、

  • 技術ではなくツールの使い方などHowToを習おうとする人もいる。
  • 時代の技術に付いていけなくなったら、さっさと管理職になろうと思っている人もいる。
  • 希望しなくても、なりゆきで管理職になるのもしかたないと思っている人もいる。

一方、講師は、

  • 偉い人は管理職の立場で話すので、マネジメントの観点で話す人はいない。
  • おじさんは技術者の立場で、話す人はいない。

しかし、

  • 技術志向の人に対しては、管理職然として「技術も重要だけど~」と言う人より、「全力で技術を追え。そのためには~」と言わなければならない。
  • 管理職志向の人には、「技術屋崩れと言われるな!技術者のマネジメントをせよ。」と言わなければならない。

これが伝えたかったことだ。

 伝えたいことが、時間内に伝えられないのは、伝えたいことに対して多くの言葉が必要で、端的な言葉や内容でないということだろう。伝える内容が練られてないのか、伝えることに自信がないのか?

 いずれにしても、もう一回考えよう。

 伝えたい相手に伝えることができるように、せめて、伝えたい相手に過不足なく発信することを目指そう。

 伝えたい相手ではない人の評価が良かろうと悪かろうと気にすることはない。(とはいえ、本当は気になるのだが...^^;)


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2016年11月 8日 (火)

修身教授録 <人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える>

修身教授録 森信三 致知出版社   
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 哲学者で教育者の森信三先生が昭和11年、12年に大阪師範学校で講義された修身の講義録である。 この時期教育現場に対しても当局から相当の圧力があったことは想像に難くない。文部省の督学官の視察があり通達どおりの授業を行っていないことが明るみに出た場合でも、職を賭して、教えるべきことを全うする姿勢で講義に臨まれたようだ。

この姿勢は

「教育とは流水に文字を書くようにはかない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」

という言葉に現れている。

 若い人の前で話す内容に迷っているときにこの本を読んだ。
人には、建前や、大ぴらには言えない本音、正しいと思いながら自分が実践できていないこと、他人・他所属とのしがらみがあり、人前で話すには、これらのしがらみと折り合いをつけなければならない。 この本を読み、これらのしがらみがいかに些細なことであるかと思い至り、正しいと判断したことを伝えようと考えるきっかけとなった。

 この本を読むきっかけは、中村文昭氏が講演で紹介された森信三先生の言葉

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。 しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」

である。

 中村氏の講演を聴講後、この言葉と森信三先生について調べるうちに「修身教授録」を知った。 森信三先生とは面識は無いが、時代を超えて「逢うべき人に、逢うべきときに」出逢ったように思う。


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2016年10月31日 (月)

看護倫理教育 <倫理の衝突のケアが重要?>

教育者側に焦点を当てた看護倫理教育に関する研究の動向と課題
遠藤由美子 つくば国際大学医療保健学部看護学科
医療保健学研究 3号:125-135項

によると、

 1976年までは「看護倫理」の授業があったが、単に看護婦の礼儀作法や処世術を教えているにすぎないのではないかという批判があり、看護学校で単一科目として教えることを止め「看護学総論」で触れるだけになったらしい。

 看護業界において看護倫理教育は大きなテーマらしく、ネットで看護師の倫理教育に関する論文を探すと結構な数の論文が見つかる。ところが、看護倫理教育について論じている論文は少なく多くは現状の看護倫理教育に関する調査論文である。

遠藤由美子氏は「教育者側に焦点を当てた看護倫理教育に関する研究の動向と課題」で

 筆者は、約10年間、看護倫理を教授してきた。
看護は看護倫理そのものであるという強い思いから、看護行為の根底にある人間に対する尊厳や生命に対する畏敬の念を大切にできる人間になってほしいと願い、講義・演習を組み立て実践してきた。しかし、どれだけ学生に伝わったのか確信が持てないでいる。どのようにしたら現代の学生が、卒業後、自分で考え判断し倫理的行動がとれるようになるのか試行錯誤しているのが実状である。

教育方法の確立以前の問題として、看護倫理という言葉の概念規定も不明確なままであり看護界においてもコンセンサスを得ていない。倫理教育の目的も曖昧なままである。倫理的判断や倫理的感性の成熟が求められる昨今の医療界で、その責任を充分に果たせるだけの能力を培ってきたとは言い難い。社会のニーズに的確に対応できる看護職を育成するため、看護倫理教育の体系化、教育方法の確立は、早急に取り組まなければならない課題である。

と述べておられる。考えている人がいないわけではなさそうだ。

 さらに、ネットで検索すると、「新人看護職員研修における看護倫理教育」というテーマも多く見つかる。

 看護師は、国家試験を受ける前に現場に研修に出る。すると、学校で教えていることと、現場で行われていることのギャップに直面する。看護師の仕事は人の生命に関わる。そして、現場は忙しく過酷だ。現当然倫理的な問題もあるようだ。

 現場での研修を行う者の年齢は20才前後だ。20才前後しかも未就業時で倫理の衝突を経験するわけだ。この経験が看護師人生に大きく影響することは想像に難くない。

 この点は、技術者と大きく異なることではないだろうか。もう一つ技術者の育成と異なる点は、

 看護師を育成する教師は臨床経験が必要らしい。 つまり、看護師の教育には実務経験者が携わっているということである。。

 20才前後しかも未就業時に経験する倫理の衝突に対するアドバイスは実務経験者にしかできないだろう。この点については、看護師育成システムはよくできていると思う。


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2016年10月29日 (土)

新しい時代の技術者倫理

情報のセキュリティと倫理 山田恒夫 放送大学教材

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 {情報のセキュリティ}と{倫理}ではなく、情報の{(セキュリティ)と(倫理)}だった。

 人材育成に関する項目は少なく、「14章 技術者倫理と情報セキュリティ人材育成」だけだった。さらに、技術者倫理から人材育成まで網羅しているけど、概論だった。

 本章では、技術者としての倫理の導入を行うので、詳細については放送大学では放送大学の科目「技術者倫理」をぜひ学んでほしい。

そうだ。倫理葛藤や内部告発は詳しくない。詳しくは、「技術者倫理」の科目で、ということのようだ。

ということで、放送大学の「技術者倫理」のテキストを買ってみた。

新しい時代の技術者倫理 札野順 放送大学教育振興会

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 職に就く前の学生には難しいのではないだろうか。知識lとして習得する(覚える)だけなら可能だ。

 しかし、技術者になり、倫理の衝突がおきたときの参考になるのだろうか?

時には、組織の利害を越えた意志決定と行動が必要な場合もあろう。公衆の安定を守るために、本店からの指示に反して、海水を注入し続けた原子力発電所長を思い起こして欲しい。

政治家や経営者は指示を出すことはできるが、現場で実際にモノを創り、モノを動かし、社会を変えるのは、技術者なのである。「新しい時代」においては、必要な場合は、社会のために組織を変えることも、技術者の役割である。
セブン・ステップ・ガイドのステップ7を、常に意識して欲しい。

は正論である。

 正論は重要だが、倫理の衝突がおきたとき正論では解決できないことは多い。

 正論とバランスをとるために実務経験者の体験談が必要なのだろうと思う。。



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2016年10月 7日 (金)

技術者倫理教育 <実務経験者が参加する理由>

 情報セキュリティ人材育成において「倫理が重要」だと皆さん仰る。
ところが、多くの人は「情報セキュリティ技術者として行うべきこと」ではなく「情報セキュリティ技術者に限らずやってはいけないこと」しか言わない。「やってはいけないこと」は「倫理」ではなく「法」だ。(「倫理が重要」 2016/10/3)

 このように「法」と「倫理」が混同されているのは、情報セキュリティ業界に「情報セキュリティ技術者倫理」がないことが原因ではないかと考えた。

 情報セキュリティの人材を育成しようとすれば、倫理教育は避けて通れない。では、情報セキュリティ技術者を目指す人に、何を「倫理」として伝えるのだろうか。

 そもそも、自分は「情報セキュリティ技術者倫理」を伝えられるのだろうか。

 考えるだけでは始まらない。いきなり「情報セキュリティ技術者倫理」は難しいので、大きい概念である「工業倫理」、「技術者倫理」と「技術者倫理教育」について調べてみた。

 ネットを探すと、「工業倫理」「技術者倫理」「技術者倫理教育」を扱った論文はたくさん見付けることができる。

 工業倫理、技術者倫理教育の観点から、三氏の論文を読んでみた。

工業倫理教育のすすめ」 中村収三 大学の物理教育 2000-2号
(http://ci.nii.ac.jp/els/110001942524.pdf?id=ART0002125092&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1475139744&cp=)

 なによりも、学生たちに,「技術者は社会に対し特別の責任を負う職業である」という専門家意識を持たせることが肝要である.
 繰り返しになるが,「特別の責任」とは、「技術が危険なものとを安全に利用する智恵である」ことと,「技術が高度化すればするほど,一般大衆には理解し難くなっている」ことからくる責任である.

 仮想事例よりは,内外の実事例のほうが興味を引くようだ. さらに,講師の体験事例を話すと,学生たちの目の色が変わってくる. 実社会で技術者を20年,30年とやっていれば,工学倫理に関わる問題で,無念な思いや,恥ずかしい思いや,あるいは,誇らしい思いをした経験の,二つや,三つはあるものだ. それを技術者の卵たちに伝えるのも,教育者としての義務だと考える.

工学倫理と技術者の倫理」 岩崎豪人 京都大学文学部哲学研究室紀要 : Prospectus No.3
(http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/50691)

 倫理問題は、技術者個人の問題であるだけでなく、システムや構造の問題でもある。企業倫理や環境倫理とも絡んでくる。そのような問題を工学倫理外の問題として切り離してしまえば、工学倫理の問題として残るのはエンジニア個人のモラルや問題解決能力という狭い領域になってしまう。その領域のみが工学倫理の専門領域だとして独自性を強調する手もあるが(専門家は往々にしてそうしたがるわけだが)、企業や環境の問題として取り込んで考えていくことの方が、より実りある成果をあげられるのではないだろうか。

 個人が確固とした良心を持つことや、正しい倫理規定をつくることが、ただちに問題を解決する特効薬になるわけではない。個人と社会の相互作用の中で徐々により良い方向へ状況を変え、倫理観を醸成していくという歩みの遅い道しかないのである。その際に注意すべき点は、2節で述べたように、従来の相互監視・相互規制型のモラルや倫理を強化することは弊害が大きいという点である。集団や組織を閉じるのではなく、むしろ情報も開示しオープンにしていきながら、内集団ひいきに陥らないような、公正な新たな仕組みや、倫理を「作り上げていく」という観点が必要になる。

技術者倫理教育の現状と課題」 杉本泰治 土木学会論文集H (教育) Vol1.2, 11-20, 2010.3
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejeep/2/0/2_0_11/_pdf)

 わが国では、倫理と言えば、高いところから権威を持って説かれるものという思い込みがある。技術者倫理についても、「厳格な倫理規範」であり技術者を「厳しく律する」、などと説かれていることが少なくない。これは、しかし、誤解である。このタイプの誤解は、普通の人の倫理が素直に育つのを阻害さえする。
 倫理は本来、わかりやすく、近づきやすいものでなくては、普通の人は守れないし、守る気にならない。
 現代の技術者は、少数のエリートではなく、産業、行政など広範囲にわたる需要をみたす多人数である。どの人も一定レベルの専門的能力と適性をそなえる。という意味で「普通」の技術者であることが期待されている。その倫理は、普通の技術者にとって身近な、お互いに気軽に語り合える等身大の物でなければならない。技術者の就業の期待像は、普通の技術者が、普通の倫理意識をもち業務に従事する、ということだろう。

 技術者倫理教育のにない手は、学生たちを技術者として育てる責任を負い、学生たちの行く末を思いやる立場の人でなければならない。といえば、専門科目の常勤教員である。
 常勤の専門科目教員が責任者となり、しかし、自分だけではできないから、必要に応じて他の協力を得るやり方が、実際に行われていて一般的である。実務経験が十分でない常勤教員が増える傾向にあるが、先輩エンジニアとして実務経験のあるエンジニアの助力が有用である。

中村収三氏は
技術者の個人の専門家意識を持たせること、そのためには実体験を元に体験談を語ることができる教師が必要だという。

岩崎豪人氏は
中村収三氏の論文を引きながらも、
技術者個人のモラルに頼るのではなく業界全体の問題としてとらえ、仕組みや倫理を「作り上げていく」という観点が必要になるという。

杉本泰治氏も
中村収三氏の論文を引きながら、「倫理」は等身大でなければならず、実務経験が十分でない常勤教員が増加しているから、実務経験があるエンジニアの協力が重要だという。
 また、技術者倫理教育においては、雇用労働経験のない学生にとって利益相反、内部告発の学習は難しいため、実務経験がなくても理解しやすい注意義務から学習するべきという。

考察

 杉本泰治氏が指摘するように、利益相反(倫理のジレンマ)や内部告発には正解があるものではないから、労働経験が無い(少ない)学生には難解だろう。 しかも、一般的に理系の人間は正解がある問題は得意だが、正解がない問題や正解が複数ある問題は苦手だ。 

 注意義務(倫理規定)は、知識として習得することは可能だが、倫理規定を単なる知識(問題に対する正解)として学習すると、技術者倫理が「単なる心構」になる恐れがある。

 職に就くと多かれ少なかれ技術者倫理と企業倫理(組織の都合)のジレンマに直面することになる。そのときに、技術者倫理を「単なる心構え」として学習した者は、企業倫理を優先しがちになるのだろう。特に、企業、団体、部署内で技術者が少ない場合には、企業倫理が圧倒的優勢となり技術倫理を体現することが困難になる。(困難になるところか無理だ。)

 実務経験がある技術者が技術者の卵である学生に教える意義は、
利益相反や内部告発に関する体験談はもちろん、技術者倫理は「単なる心構え」ではなく技術者の根源であることを、実務のジレンマを経験した技術者が語ることだと思う。


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