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人材育成

2017年1月16日 (月)

レポートを書く時間が足りない <足りないのは時間ではない>

 研修の最後に総合演習的にレポートを書いている。研修終了後のアンケートの中に「時間が足りない」という意見を見ることが多くなった。

若い人や経験が少ない人に多いのだが、2つの点で誤解があると思う。

  1. 金を貰ってやる仕事では締め切りを過ぎたレポートの価値はない。
  2. 時間があれば良いレポートが書けるという過信

である。

1. 締め切り
 どんな仕事にも納期があるものだ。そして、期限が定められている仕事では、期限を過ぎたレポートの価値はないので、期限内に書ける内容に絞らなければならない。

 「時間が足りない」という人は、期限を気にしないで書き始め、気が付いたら時間が足りない状況になっているのだろう。つまり、全体が見通せていないことが原因だから、トップダウン的思考を教えなければならないのだろう。

2.時間
 時間があれば良いレポートが書けるというのは、根拠のない過信だ。
期限内にレポートが書けないのは、レポートを書くためのベースとなる知識・技能や文章を書く能力が不足していることが原因だ。つまり、能力が足りないのである。

3. 問題は
 「時間が足りない」と言う人はその後の成長しないのではないだろうか。

 なぜ時間が足りなかったのかを冷静に検討するのは「反省」だが、単に「時間が足りない」と言うのは「後悔」か「クレーム」だ。「後悔」や「クレーム」からは成長は生まれない。

 指摘されることを、ことさら嫌う人もいる。 指摘するポイントを予め教えるべきだと。
 レポートは 自分で考えて書いて、第三者に指摘や添削を受けることを繰り返す過程で上達する。しかし、指摘してくれる職場の上司や同僚は国語の先生ではない。

4. どうするか
 まず現状でレポートを書く能力が不足していることを認識する。そして、国語の教師ではない普通の人の指摘や添削を真摯に受け止めて自分の頭で考えて書き直す。この方法しかないと思う。

5. 余談だが
 テンプレートを使ってレポートを書いている人は自分で考えていないので上達しない。結局、テンプレートのないレポートは 書けないから、前例のない仕事ができない。


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2016年12月12日 (月)

講義で伝えたかったこと <初心に戻る>

 先日やった講義のアンケート結果が届いた。

 いろいろなところで講義している。主催者が受講生に聞かせたいと思っていたり、受講生が聞きたいと思っていたり、自分が伝えたいと思っていたりと、話す側と聞く側の組み合わせはさまざまだ。

 アンケートが届いた講義は、以前に自分が伝えたいと思って、主催者にお願いして時間をもらった経緯がある。この講義はもう何年もやってるのだが、今回は聴衆の年齢や経歴、バックグラウンドが違う人が多かった。

 誰に何を伝えるかを考えて、去年の内容から半分リニューアルして臨んだのだが、成功とは言えない感じだ。説明につい熱が入り、リニューアルした部分が伝えられなかった。 講師(自分)のバックグランドを知らない人もいる。当然、「このおじさんに何故こんなことを言われなくてはならないのか?」と思う人もいるのだろう。

 初心に戻って、何故講義の時間をもらったのかを考えてみた。

この研修は技術研修だから基本は技術の習得で

  • 技術力を向上させること
  • 技術力を使って成果を上げること
  • 技術力を使った結果を説明すること

を学ぶ。「わかるように」なることが目標だ。しかし、「できるように」はならないkら研修後のOJTや自己訓練で「できるようになる」ことが重要だ。

 IT業界なので技術の移り変わりは速いから、受講者の中には、

  • 技術ではなくツールの使い方などHowToを習おうとする人もいる。
  • 時代の技術に付いていけなくなったら、さっさと管理職になろうと思っている人もいる。
  • 希望しなくても、なりゆきで管理職になるのもしかたないと思っている人もいる。

一方、講師は、

  • 偉い人は管理職の立場で話すので、マネジメントの観点で話す人はいない。
  • おじさんで技術者の立場で、話す人はいない。

しかし、

  • 技術志向の人に対しては、管理職然として「技術も重要だけど~」と言う人より、「全力で技術を追え。そのためには~」と言わなければならない。
  • 管理職志向の人には、「技術屋崩れと言われるな!技術者のマネジメントをせよ。」と言わなければならない。

これが伝えたかったことだ。

 伝えたいことが、時間内に伝えられないのは、伝えたいことに対して多くの言葉が必要で、端的な言葉や内容でないということだろう。伝える内容が練られてないのか、伝えることに自信がないのか?

 いずれにしても、もう一回考えよう。

 伝えたい相手に伝えることができれば、せめて、伝えたい相手に過不足なく発信することを目指そう。

 伝えたい相手ではない人の評価が良かろうと悪かろうと気にすることはない。(とはいえ、本当は気になるのだが...^^;)


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2016年11月 8日 (火)

修身教授録

修身教授録 森信三 致知出版社   
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 哲学者で教育者の森信三先生が昭和11年、12年に大阪師範学校で講義された修身の講義録である。 この時期教育現場に対しても当局から相当の圧力があったことは想像に難くない。文部省の督学官の視察があり通達どおりの授業を行っていないことが明るみに出た場合でも、職を賭して、教えるべきことを全うする姿勢で講義に臨まれたようだ。

この姿勢は

「教育とは流水に文字を書くようにはかない業である。だが、それを巌壁に刻むような真剣さで取り組まねばならぬ」

という言葉に現れている。

 若い人の前で話す内容に迷っているときにこの本を読んだ。
人には、建前や、大ぴらには言えない本音、正しいと思いながら自分が実践できていないこと、他人・他所属とのしがらみがあり、人前で話すには、これらのしがらみと折り合いをつけなければならない。 この本を読み、これらのしがらみがいかに些細なことであるかと思い至り、正しいと判断したことを伝えようと考えるきっかけとなった。

 この本を読むきっかけは、中村文昭氏が講演で紹介された森信三先生の言葉

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。 しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」

である。

 中村氏の講演を聴講後、この言葉と森信三先生について調べるうちに「修身教授録」を知った。 森信三先生とは面識は無いが、時代を超えて「逢うべき人に、逢うべきときに」出逢ったように思う。


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2016年10月31日 (月)

看護倫理教育 <倫理の衝突のケアが重要?>

教育者側に焦点を当てた看護倫理教育に関する研究の動向と課題
遠藤由美子 つくば国際大学医療保健学部看護学科
医療保健学研究 3号:125-135項

によると、

 1976年までは「看護倫理」の授業があったが、単に看護婦の礼儀作法や処世術を教えているにすぎないのではないかという批判があり、看護学校で単一科目として教えることを止め「看護学総論」で触れるだけになったらしい。

 看護業界において看護倫理教育は大きなテーマらしく、ネットで看護師の倫理教育に関する論文を探すと結構な数の論文が見つかる。ところが、看護倫理教育について論じている論文は少なく多くは現状の看護倫理教育に関する調査論文である。

遠藤由美子氏は「教育者側に焦点を当てた看護倫理教育に関する研究の動向と課題」で

 筆者は、約10年間、看護倫理を教授してきた。
看護は看護倫理そのものであるという強い思いから、看護行為の根底にある人間に対する尊厳や生命に対する畏敬の念を大切にできる人間になってほしいと願い、講義・演習を組み立て実践してきた。しかし、どれだけ学生に伝わったのか確信が持てないでいる。どのようにしたら現代の学生が、卒業後、自分で考え判断し倫理的行動がとれるようになるのか試行錯誤しているのが実状である。

教育方法の確立以前の問題として、看護倫理という言葉の概念規定も不明確なままであり看護界においてもコンセンサスを得ていない。倫理教育の目的も曖昧なままである。倫理的判断や倫理的感性の成熟が求められる昨今の医療界で、その責任を充分に果たせるだけの能力を培ってきたとは言い難い。社会のニーズに的確に対応できる看護職を育成するため、看護倫理教育の体系化、教育方法の確立は、早急に取り組まなければならない課題である。

と述べておられる。考えている人がいないわけではなさそうだ。

 さらに、ネットで検索すると、「新人看護職員研修における看護倫理教育」というテーマも多く見つかる。

 看護師は、国家試験を受ける前に現場に研修に出る。すると、学校で教えていることと、現場で行われていることのギャップに直面する。看護師の仕事は人の生命に関わる。そして、現場は忙しく過酷だ。現当然倫理的な問題もあるようだ。

 現場での研修を行う者の年齢は20才前後だ。20才前後しかも未就業時で倫理の衝突を経験するわけだ。この経験が看護師人生に大きく影響することは想像に難くない。

 この点は、技術者と大きく異なることではないだろうか。もう一つ技術者の育成と異なる点は、

 看護師を育成する教師は臨床経験が必要らしい。 つまり、看護師の教育には実務経験者が携わっているということである。。

 20才前後しかも未就業時に経験する倫理の衝突に対するアドバイスは実務経験者にしかできないだろう。この点については、看護師育成システムはよくできていると思う。


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2016年10月29日 (土)

新しい時代の技術者倫理

情報のセキュリティと倫理 山田恒夫 放送大学教材

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 {情報のセキュリティ}と{倫理}ではなく、情報の{(セキュリティ)と(倫理)}だった。

 人材育成に関する項目は少なく、「14章 技術者倫理と情報セキュリティ人材育成」だけだった。さらに、技術者倫理から人材育成まで網羅しているけど、概論だった。

 本章では、技術者としての倫理の導入を行うので、詳細については放送大学では放送大学の科目「技術者倫理」をぜひ学んでほしい。

そうだ。倫理葛藤や内部告発は詳しくない。詳しくは、「技術者倫理」の科目で、ということのようだ。

ということで、放送大学の「技術者倫理」のテキストを買ってみた。

新しい時代の技術者倫理 札野順 放送大学教育振興会

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 職に就く前の学生には難しのではないだろうか。知識lとして習得する(覚える)だけなら可能だ。

 しかし、技術者になり、倫理の衝突がおきたときの参考になるのだろうか?

時には、組織の利害を越えた意志決定と行動が必要な場合もあろう。公衆の安定を守るために、本店からの指に反して、海水を注入し続けた原子力発電所長を思い起こして欲しい。

政治家や経営者は指示を出すことはできるが、現場で実際にモノを創り、モノを動かし、社会を変えるのは、技術者なのである。「新しい時代」においては、必要な場合は、社会のために組織を変えることも、技術者の役割である。
セブン・ステップ・ガイドのステップ7を、常に意識して欲しい。

は正論である。

 正論は重要だが、倫理の衝突がおきたとき正論では解決できない。

 正論とバランスをとるために実務経験者の体験談が必要なのだろうと思う。。



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2016年10月 7日 (金)

技術者倫理教育 <実務経験者が参加する理由>

 情報セキュリティ人材育成において「倫理が重要」だと皆さん仰る。
ところが、多くの人は「情報セキュリティ技術者として行うべきこと」ではなく「情報セキュリティ技術者に限らずやってはいけないこと」しか言わない。「やってはいけないこと」は「倫理」ではなく「法」だ。(「倫理が重要」 2016/10/3)

 このように「法」と「倫理」が混同されているのは、情報セキュリティ業界に「情報セキュリティ技術者倫理」がないことが原因ではないかと考えた。

 情報セキュリティの人材を育成しようとすれば、倫理教育は避けて通れない。では、情報セキュリティ技術者を目指す人に、何を「倫理」として伝えるのだろうか。

 そもそも、自分は「情報セキュリティ技術者倫理」を伝えられるのだろうか。

 考えるだけでは始まらない。いきなり「情報セキュリティ技術者倫理」は難しいので、大きい概念である「工業倫理」、「技術者倫理」と「技術者倫理教育」について調べてみた。

 ネットを探すと、「工業倫理」「技術者倫理」「技術者倫理教育」を扱った論文はたくさん見付けることができる。

 工業倫理、技術者倫理教育の観点から、三氏の論文を読んでみた。

工業倫理教育のすすめ」 中村収三 大学の物理教育 2000-2号
(http://ci.nii.ac.jp/els/110001942524.pdf?id=ART0002125092&type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1475139744&cp=)

 なによりも、学生たちに,「技術者は社会に対し特別の責任を負う職業である」という専門家意識を持たせることが肝要である.
 繰り返しになるが,「特別の責任」とは、「技術が危険なものとを安全に利用する智恵である」ことと,「技術が高度化すればするほど,一般大衆には理解し難くなっている」ことからくる責任である.

 仮想事例よりは,内外の実事例のほうが興味を引くようだ. さらに,講師の体験事例を話すと,学生たちの目の色が変わってくる. 実社会で技術者を20年,30年とやっていれば,工学倫理に関わる問題で,無念な思いや,恥ずかしい思いや,あるいは,誇らしい思いをした経験の,二つや,三つはあるものだ. それを技術者の卵たちに伝えるのも,教育者としての義務だと考える.

工学倫理と技術者の倫理」 岩崎豪人 京都大学文学部哲学研究室紀要 : Prospectus No.3
(http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/50691)

 倫理問題は、技術者個人の問題であるだけでなく、システムや構造の問題でもある。企業倫理や環境倫理とも絡んでくる。そのような問題を工学倫理外の問題として切り離してしまえば、工学倫理の問題として残るのはエンジニア個人のモラルや問題解決能力という狭い領域になってしまう。その領域のみが工学倫理の専門領域だとして独自性を強調する手もあるが(専門家は往々にしてそうしたがるわけだが)、企業や環境の問題として取り込んで考えていくことの方が、より実りある成果をあげられるのではないだろうか。

 個人が確固とした良心を持つことや、正しい倫理規定をつくることが、ただちに問題を解決する特効薬になるわけではない。個人と社会の相互作用の中で徐々により良い方向へ状況を変え、倫理観を醸成していくという歩みの遅い道しかないのである。その際に注意すべき点は、2節で述べたように、従来の相互監視・相互規制型のモラルや倫理を強化することは弊害が大きいという点である。集団や組織を閉じるのではなく、むしろ情報も開示しオープンにしていきながら、内集団ひいきに陥らないような、公正な新たな仕組みや、倫理を「作り上げていく」という観点が必要になる。

技術者倫理教育の現状と課題」 杉本泰治 土木学会論文集H (教育) Vol1.2, 11-20, 2010.3
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejeep/2/0/2_0_11/_pdf)

 わが国では、倫理と言えば、高いところから権威を持って説かれるものという思い込みがある。技術者倫理についても、「厳格な倫理規範」であり技術者を「厳しく律する」、などと説かれていることが少なくない。これは、しかし、誤解である。このタイプの誤解は、普通の人の倫理が素直に育つのを阻害さえする。
 倫理は本来、わかりやすく、近づきやすいものでなくては、普通の人は守れないし、守る気にならない。
 現代の技術者は、少数のエリートではなく、産業、行政など広範囲にわたる需要をみたす多人数である。どの人も一定レベルの専門的能力と適性をそなえる。という意味で「普通」の技術者であることが期待されている。その倫理は、普通の技術者にとって身近な、お互いに気軽に語り合える等身大の物でなければならない。技術者の就業の期待像は、普通の技術者が、普通の倫理意識をもち業務に従事する、ということだろう。

 技術者倫理教育のにない手は、学生たちを技術者として育てる責任を負い、学生たちの行く末を思いやる立場の人でなければならない。といえば、専門科目の常勤教員である。
 常勤の専門科目教員が責任者となり、しかし、自分だけではできないから、必要に応じて他の協力を得るやり方が、実際に行われていて一般的である。実務経験が十分でない常勤教員が増える傾向にあるが、先輩エンジニアとして実務経験のあるエンジニアの助力が有用である。

中村収三氏は
技術者の個人の専門家意識を持たせること、そのためには実体験を元に体験談を語ることができる教師が必要だという。

岩崎豪人氏は
中村収三氏の論文を引きながらも、
技術者個人のモラルに頼るのではなく業界全体の問題としてとらえ、仕組みや倫理を「作り上げていく」という観点が必要になるという。

杉本泰治氏も
中村収三氏の論文を引きながら、「倫理」は等身大でなければならず、実務経験が十分でない常勤教員が増加しているから、実務経験があるエンジニアの協力が重要だという。
 また、技術者倫理教育においては、雇用労働経験のない学生にとって利益相反、内部告発の学習は難しいため、実務経験がなくても理解しやすい注意義務から学習するべきという。

考察

 杉本泰治氏が指摘するように、利益相反(倫理のジレンマ)や内部告発には正解があるものではないから、労働経験が無い(少ない)学生には難解だろう。 しかも、一般的に理系の人間は正解がある問題は得意だが、正解がない問題や正解が複数ある問題は苦手だ。 

 注意義務(倫理規定)は、知識として習得することは可能だが、倫理規定を単なる知識(問題に対する正解)として学習すると、技術者倫理が「単なる心構」になる恐れがある。

 職に就くと多かれ少なかれ技術者倫理と企業倫理(組織の都合)のジレンマに直面することになる。そのときに、技術者倫理を「単なる心構え」として学習した者は、企業倫理を優先しがちになるのだろう。特に、企業、団体、部署内で技術者が少ない場合には、企業倫理が圧倒的優勢となり技術倫理を体現することが困難になる。(困難になるところか無理だ。)

 実務経験がある技術者が技術者の卵である学生に教える意義は、
利益相反や内部告発に関する体験談はもちろん、技術者倫理は「単なる心構え」ではなく技術者の根源であることを、実務のジレンマを経験した技術者が語ることだと思う。


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2016年10月 3日 (月)

倫理が重要 <倫理と法はちがう>

 情報セキュリティ技術者の育成の話をすると、多くの人が「倫理が重要」と言う。
しかし、情報セキュリティ技術者を育成すると言っている人の多くは、「倫理」と言いながら、「やってはいけない」ことしか言わない。

 情報セキュリティ技術を悪用したら他人や社会に大きな被害を与えることが可能だ。情報セキュリティ技術者の育成に関わると、悪人を育成したくはないから、やってはいけないこと教えることは重要だ。ちゃんと教えなければならないと思う。

 しかしである。 やってはいけないことは、「倫理」ではなく「法」だ。

 医療業界では、「法」と「倫理」の関係は昔から考えられてきのだろう。

に解説がある。日本看護協会の方が分かりやすい。

倫理
「どのような行為が正しいか」を示す 「どのような行為が正しくないか」を示す
内的な自律から生じる 外的強制力によって作られる

 情報セキュリティ技術者育成で「倫理」を教える目的は、情報セキュリティを扱う技術者は医療従事者のように「法」だけでなく「倫理」も重要であるから、自律的に自己を律するために倫理も教えなければならないという趣旨だと思う。

 以前に教育機関で開催されたシンポジウムでセキュリティ人材育成に関するパネル・ディスカッションを聞いたことがある。(情報セキュリティのシンポジウム 2014/07/24 )

 そのシンポジウムのパネラーは、尖った人≒オタク?を正しく導くのだと仰る。そもそも 尖った人=悪人予備軍という先入観があるのではないだろうか。放っておくと悪の道に進むから(誰が決めた?)正しく導く(おおきなお世話だ)のだと。

 より良い技術者としてとか、技術者として誇りを持って働くためにとか、技術で社会に貢献するとかではないようだ。

 倫理の衝突(ジレンマ)があった場合でも自分が不幸にならないようにとか、他人を不幸にしないように。ではないようだ。

 「ヤバイテクニックを教えてやるけど悪用するなヨ」 これが、現在の日本の情報セキュリティ人材を育成している人達の認識のように感じる。

 情報セキュリティ業界にいる人(有識者?)も、ちゃんと「倫理」について考えたことが無いのかもしれない。ひょっとして、自分もアブナイから人にもちゃんと教えなければと思うのだろうか?

 元凶はこれか?

 昔から情報セキュリティ業界の端っこで働いていた身としては、最近になって情報セキュリティに目覚めた役人に、アブナイ人間扱いされるのはハッキリ言って心外だ。

 一方で、情報セキュリティ人材育成に関わる立場としては、「法」だけではなく、ちゃんと「倫理」を教えなければならないと思う。

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 情報セキュリティ人材を雇用する人やマネジメントする人には企業倫理を学んでほしいものだ。


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2016年9月25日 (日)

教育用コンテンツ <重要なのは教える能力>

 コンテンツさえあれば、誰が講師をやっても同じ効果が得られると考えている人が多い。

 研修の講師をやることが多い。
講義や実習のコンテンツは自分で作る。これは当然だと思う。他人に教える能力には、理解できるように伝える能力だけではなくコンテンツを作る能力も含まれている。

 研修の講師をやる人、教育に携わる人は皆知っていることだろう。

 ところが、他人が作ったコンテンツを使いまわそうとする人が結構いる。使いまわせると思っている人もいる。 しかし、たいていは使い回すことはできない。使い回そうとする人が作った人の意図を理解して、しかも、作った人と同等の能力があれば、一部を使いまわすことも可能だが、全部を使いまわす「まるパクリ」は難しい。

 使い回すことを前提に作ったコンテンツは使い回しやすいのだが、それでも「教える能力」は必要だ。「教える能力」がない者が使えるわけではない。

 困るのは、
人に教えたことがない人(特にエライ人)だ。コンテンツさえあれば、誰でも、コンテンツを作った人と同じレベルの研修ができると思っているように見える。こういう人は「教える能力」を評価できないし、コンテンツの価値も評価できないのだろう。

 その結果、コンテンツを使いまわして研修ができると考えている人は、講師の能力を評価できないから、コンテンツを使い回す能力が無い人に研修をやらせてしまう。

 当然研修の効果は期待できない。

 研修を命じる人も、講師をやる人も、大抵の人はこのことを知っているのではないだろうか。

 つまり、
他人が作ったコンテンツをパクって研修しようとする人は、研修の効果は期待していなくて、「研修したことにしよう」と思っているのではないだろうか。


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2016年9月17日 (土)

2段飛ばしの研修 <せめてスタート位置に>

 最近研修の講師をやることが増えてきた。多くは部内の研修での講師だ。

 講義だけのこともあるし、講義+実技のこともある。前者は「知識向上」後者は「技能向上」を目的とすることが多い。

 問題を感じるのは後者の「技能向上」を目的とした研修だ。
与えられた時間を考慮してスタート(前提知識・技能)とゴール(修得すべき知識・技能)を決めて、実習内容を考えて、資料を作る。

 こちらが想定した参加者が無理なく階段を登れるように内容を考えている。 ところが、想定していない人が参加すると非常に困る。 

 2段飛ばしや3段飛ばしで上がらないとゴールできない階段になってしまう。

 想定した受講者から外れた受講者をどれだけゴールさせることができるかが講師の技量なのだろうが、現在の技量では想定から外れた受講者をゴールさせるのはとても難しい。

 最近増えたと感じるのは、2段飛ばし問題より大変な、スタート位置まで達していない人だ。
研修期間が長く、しかもスタート位置まで1段、2段足りないなら何とかなるが、飛びついてもスタート位置まで届かないような受講者の場合は、ほとほと困り果ててしまう。

 さらに困るのは、スタート位置に達していない人を送り込んでくる管理者だ。

理解できなくても、受講しないよりマシだろうとか、資料だけでも貰ってくれば御の字という管理者もいる。

 「知識の向上」を目的とした講義(座学)ならそれでも良いのだが、「技能向上」を目的とした研修の場合はほとんどムダだ。しかも、講師の負担が増えると他の受講者の迷惑になる。 講師のサポートでゴールできるレベルの人が、講師のサポートを受けられず、その結果ゴールできなくなる。

 姑息だけど「分かったつもり」とか「できるような気がする」ようにはできる。 しかし、受講者が理解できなければ、また、できるようにならなければ、そのツケが自分たちに降りかかるので安易に「分かったつもり」とか「できるような気がする」ようにしてはならないと思っている。

 「技能向上」を目的とした研修は

  • 短期の研修だけで技能が向上するわけではなく、継続的な自己学習が必要
  • 講義資料だけあっても、講師と同等の知識・技能がなければ活用できない

受講すればよいというものではない。


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2016年9月 9日 (金)

サイバーセキュリティ人材育成 <橋渡し人材>

 政府が「サイバーセキュリティ人材育成」を言い始めたので一部で盛り上がっているようだ。

 もちろん、サイバーセキュリティ人材が増えること、育成することに異論はない。教育機関では既に取り組みが始まっていたりする。

サイバーセキュリティ人材育成総合強化方針」(http://www.nisc.go.jp/active/kihon/pdf/jinzai_kyoka_hoshin.pdf )を読むと、目新しいのは、

経営層と実務者層との間のコミュニケーションを円滑にする「橋渡し人材層」の育成を推進する

としているところ。「橋渡し人材層」の育成について記述がある。

  • 経営層と実務者層との間のコミュニケーションを取りやすくするためのツールとしての具体的な事例を交えたコンテンツを作成する。(平成28 年6月を目途)
  • 組織内をまとめ、指揮できる能力を高めるため、組織横断的な調整、マネジメント能力を目的とした演習を実施する。(継続・拡充)
  • サイバーセキュリティと経営等の他分野との専門を併せ持つ教育を推進する。(継続)

 「実務者層」の育成については「高度な専門性を持つ人材の育成」が話題になる。ところが、「実務者層」がいくら高度な人材でも「経営層」がセキュリティの必要性や重要性を認識できなければ意味がない。そこで登場するのが「橋渡し人材層」というわけだ。

 高度セキュリティ人材を育成するなら高度人材をマネジメントできるマネジャは不可欠だ。これに異論を持つ人はいないだろう。問題はマネジメント人材の育成だ、感覚では、高度セキュリティ人材を育成するより、マネジメント人材の育成する方が難しい。

 アタマのイイ人達には、非専門家が専門家のマネジメントできるという前提があるのだろう。

 でも、多く見かけるのは、聞きかじりの知識で「経営者層」の御用聞きをやって、成果を考えないで「実務者層」に仕事を振る、手配師モドキだ。言うことは立派で「オタクを使いこなす」などと考えているのだろう。 「実務者層」にオタクが多いことは百歩譲るとしてもトウシロがオタクを使えるとは思えないのだが。

 「実務者層」の端くれとしては、「実務者層」から「マネジメントができる実務者」が育って欲しいと思う。


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