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マネジメント

2020年8月 1日 (土)

ミドルマネジメントのスキルアップ

カッツモデル

 人材を「トップマネジメント」「ミドルマネジメント」「ロワーマネジメント」に、スキルを「テクニカルスキル」「ヒューマンスキル」「コンセプチュアルスキル」に分類したときの関係を示した図をよく見る。↓

Photo_20200731165401

カッツモデルというらしい。

マネジメントスキルとは?意味や定義、必要な能力の例について (https://mitsucari.com/blog/management_skill/ )」によると、

  1. テクニカルスキル(業務遂行能力)
    与えられた職務を遂行するために欠かせない知識や技術、技術の熟練度
  2. ヒューマンスキル(対人関係能力)
    他者と良好な関係を築き、維持していくために必要な能力
    • コミュニケーション力
    • ヒアリング力
    • 交渉力
    • プレゼンテーション力
    • 動機付け(働きかけ力)
    • 向上心
    • リーダーシップ
  3. コンセプチュアルスキル(概念化能力)
    同類となる複数の対象物の共通項を洗い出し、概念といえる要素を見極める能力

らしい。

官僚組織では

 以前、教育訓練に関わっているときに気がついた。ロワーマネジメントに対してテクニカルスキルのコースしか用意されていないのだ。(図の赤枠の部分) ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキルは自助努力で獲得すべきという方針でもないようだった。 なぜなら、ミドルマネジメントに昇任する際にこれらのスキルは必須の要件ではなく、昇任はテクニカルスキルとロワーマネジメントでの実績だけで評価されるのだ。

このようなモデルを考えた。↓

2_20200731165301

 官僚制は、トップの命令をメンバーが確実に実行するための仕組みだ。大きな官僚組織では確実な実行を管理するために何層かの中間管理職が存在する。そして、中間管理職以下に求められるのは、命令を忠実に実行するための業務遂行能力(テクニカルスキル)だ。

テクニカルスキルだけでよいのか?

 20年前と同じ仕事を同じやり方でやっている職場ならこれで十分回る。ところが、5年前と同じ仕事ができなくなっていたり、自分たちを取り巻く環境の変化が早い場合は回らなくなる。

 自分たちの置かれた状況を理解して方針を考えるために必要なコンセプチュアルスキルとその方針をメンバーに伝え、実行するために必要なヒューマンスキルが、ミドルマネジメントに無いからだ。

 コンセプチュアルスキルとヒューマンスキルは先天的なものではないから、ミドル・マネジメントになっても後天的に獲得できる。 しかし、スキルアップしなくても仕事が回る官僚的な部署がある場合には、なかなか行動に移せない人は多いようだ。 スキルアップしても、ポジションも給料も上がらないとしたら、スキルアップは頭では理解できても行動できない。これを一方的に責めることはできないだろう。

ミドルマネジメントのスキルアップ

 では、どうしても、ミドルマネジメントのスキルアップが必要な場合はどうするか?

 現状維持で良いと思っているミドルマネジメントがスキルアップの行動を起こすために、働きかける人が必要だ。

 そして働きかける人に必要なことは、

 現状維持で良いと心を閉ざしている人の、心に届くだけの熱意を持つことだと思う。


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2020年6月19日 (金)

コロナ後の「管理職」 <管理職からマネージャへ>

「俺の時代は終わった」新型コロナで揺れる管理職たち 河合 薫 日経ビジネス  (2020/6/9)

★組織的に、真のマネージャの育成をしているかどうかが問われる。

 部下の管理だけでマネジメントしない「管理職」は、自ら意思決定せず上司や空気を伺うから意思決定が遅い。

 社会の変革期には意思決定の速度が必要なので、意思決定{しない|できない}「管理職」が多い組織は淘汰されるか、「管理職」が整理されて、マネジメントができる人材に替わると思っていた。この変化は数年で訪れると思っていたら、新型コロナウイルスの流行で加速されるようだ。

 今後、組織的は、非常時でも事業を継続しようとすれば仕事のやり方を状況に応じて変えなければならない。管理職は、迅速な意思決定と、慣習にとらわれず仕事をのやり方を替える柔軟さが求められる。

河合薫氏は、

多くの日本企業では「上」の承諾がないとそれが許されない。「名ばかり管理職」ならぬ、「名ばかりマネジャー」。つまり、「監視型の管理職は終わり」「名ばかり管理職は要らない」のではなく、企業は、管理職=マネジャーが、真のマネジャー(マネジメントする人)となるための投資をする必要があるのではないか。

とおっしゃる。

 長い間、昨日と同じように働いてきた50代の「管理職」は自ら変われないだろう。組織に適応しすぎた(優秀な?)40代も自ら変わるのが難しい。30代なら自ら変われるだろう。

 と考えると、組織的に、真のマネージャの育成をしているかどうかが問われることになる。

 年寄りの昔話や気合注入という名の管理職研修ではマネジメントはできるようにならない。


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2019年12月13日 (金)

マネジメント能力が獲得できない人

 技術屋崩れのマネジャーは使えないことが多いと思う。自分が技術で生きて来たからなのか、自分が技術者崩れの使えない管理者になる恐怖感があったからなのか、それはわからない。

 なぜ使えないマネジャーになるのか考えてみた。

 一般的には、専門的な能力が高くてもマネジメント能力が高いとは限らない。

 何年か前に仕事をマネジメントに変えて人を観察するようになってわかったことは、汎用的な能力が高くても、やはりマネジメント能力が高いとは限らないこと。

 事務処理能力が高く、凡人2人分の仕事をするような人が、その能力を評価されて昇進する。そして、部下を2人持つと周りは部下を含めて3人で4人分の仕事を期待される。ところが、3人分の仕事も危うい状態になるのである。

 なぜか? 昇進する前のように2人分以上の仕事をしようとするからだ。

 昇進する前に2人分の仕事ができたのは、2人分の仕事ができるような環境を作っている人がいたからだ。つまり、マネジャーがいたおかげで2人分の仕事ができていたのだ。しかし、2人分の仕事ができる人はマネジャーの仕事に気がつかない。

 チームで仕事をするには調整やコミュニケーションなどたくさんのロスがある。方向性が揃っていなかったり、目標が共有されていなかったり、モチベーションが維持できなかったりすると、チームは簡単に人数分の仕事ができなくなる。

 このとき、昇進する前に2人分の仕事していた人は、頑張って3人分の仕事をしようとする。ところがマネジャーがいないから3人分はとても無理で、2人分はおろか1人分の仕事も危うくなるのだ。

 観察してわかったことは、トップが最も働いているようなチームは、たいてい人数分の仕事ができない。

 マネジメント能力を獲得するために必要なことは、自分の頭で考えることだと思う。そして、マネジメント能力は昇進した後からでも獲得することができる。

 命令されたことを他人の倍の速さでやるより、命令の意味が考えられる方がマネジメント能力を獲得しやすいと思う。


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2019年9月15日 (日)

管理職に必要な能力はどうやって修得するか

出来る人がエラくになって 〇〇な上司になる!? (2019/09/10)

マネジャへの登用とマネジメントの訓練のお話

 係長、課長補佐に求められる能力と管理職に求められる能力は異なる。そして、登用する際に管理職に求められる能力を基準に評価するのは難しい。名選手名監督ならずの例えはえてして正しい。

 誰でも知っていることだけど、自分は何をするのかまで考える人は少ないような気がする。その点、島田正樹氏は自分の行動まで落とし込んでおられるようだ。

〇考えてみた

 官僚的階層型組織に求められる能力は業務遂行能力だ。優秀な人材とは指示を的確に遂行する人のことで、いつもHOWを考えているからWHYやWHATは考えない。だから、WHYやWHATが必要な管理職になると「優秀でない」人になる。

 島田正樹氏の指摘のように管理職になる前に教育や訓練すれば良いことは誰でも思いつくけれど。

 なぜ、管理職に必要な教育や訓練をやらないのか?

〇組織の問題

 戦後の昭和は、何のために、誰のために、何をやるかが固定されていて、管理能力が低くてもそこそこ仕事は回っていたから、管理能力が高い者を選別する必要はなかった。だから、教育したり訓練する必要はなく、年功序列で昇任させれば十分だった。

 組織が求めているのは業務遂行能力と指示を確実に遂行する能力だ。管理職の指示も重要だが、やることがわかっていれば、逐一指示しなくてよい。だから、管理職は的確な指示ができる者を選別する必要はない。

 これで、高度成長を果たした。

 昭和の終わりには、このやり方が行き詰まっていたのに、なぜ、平成の30年で変わらなかったのか?

 それは、何のために、誰のために、何をやるかを考える者を管理職にしなかったし、それを考えることを強制せず、前例踏襲を許したから。 前例踏襲の管理者は時代の変化に対応できない。残念ながら、管理能力のない管理職は管理能力を評価できない。

 結果論だが、やることは分っていて逐一指示しなくて良くても、管理能力が高い者を選別すればよかったのだろう。

〇個人の問題

 多くの人は、年功序列で昇任しても、自分の能力が向上したように思ってしまう。年功序列で管理職に昇任したら、管理能力があると勘違いしてしまう。

 管理職に必要な訓練も勉強もしていないのにね。

 だから、年功序列で昇任させているかぎり、自助努力にによる能力向上は望めない。

〇昇任する前に何をするのか

 まず、自分は、自分達は、何のために、誰のために、何をやるかを、自分が納得できるまで考えることだと思う。

 これが分からない者が管理職になると間違った方針が高い業務遂行能力で実行されることになる。しかし、それが分かれば、もともと高い業務遂行能力が活かされる。


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2019年7月10日 (水)

世界最高のチーム <心理的安全性が重要>

世界最高のチーム グーグル流「最少の人数」で「最大の成果」を生み出す方法
 ピョートル・フェリクス・グジバチ
 朝日新聞出版

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googleが社内のチームを対象に調査した結果わかった、生産性の高いチームの特性は

  1. チームの「心理的安全性」(Psychological Safety)が高いこと
  2. チームに対する「信頼性」(Dependability)が高いこと
  3. チームの「構造」(Structure)が「明瞭」(Clarity)であること
  4. チームの仕事に「意味」(Meaning)を見出していること
  5. チームの仕事が社会に対して「影響」(Impact)をもたらすと考えていること

だったらしい。その中で一番大事なのは、1の「心理的安全性」だという。

 心理的安全性とは、「自分らしさを発揮しながらチームに参画できる」ことが実感できることで、具体的には、チーム内で「自己認識・自己開示・自己表現」ができること。言いかえると、「安心してなんでも言い合える」ことのようだ。

 安心してなんでも言い合えるチームにするにはマネジャ個人の資質も大きいが、組織的に心理的安全性を高める仕組みがあるようだ。

 ピョートル・フェリクス・グジバチ氏は、日本の企業では「飲みニケーション」で心理的安全性を高めていたのではないかという。
今時、飲みニケーションはアルハラとかWLBの観点から負の側面が強調されているので流行らない。昔は、飲めない人や、人付き合いが苦手な人は切り捨てる傾向にあった。

 飲みニケーションを止めるなら、googleのように業務時間中に心理的安全性を高める仕組みを考えなくてはならないのだろう。

 ピョートル・フェリクス・グジバチ氏は、

 よく「グーグルのような人事制度を導入したい」と相談されることがあります。バカげた話だと思いますね。

とおっしゃる。
googleは必要だがあってこのやり方になっているのだから、必要性を考えないでを真似てもうまくいかない。他所から借りてきた成果主義による業績評価も借り物だからうまくいかないのと同じだ。

 日本式のマネジメントが全て時代遅れだったり悪いわけではない。
心理的安全性なんて言葉が無いときでも、なんでも言える雰囲気を作っていた上司はいた。しかし、それは属人的なものだから、上司が異動すると、途端に心理的安全性が脅かされるようになったりしたものだ。

 googleは心理的安全性を高める方法を形式知化して、個人の資質への依存度を下げているのだろう。 成長する企業は違う。

 チームの、心理的安全性を高めようとすると、マネジャ自身の心理的安全性が高くなければならない。
ところが、自分の心理的安全性は高くないのにチームの心理的安全性は高くできる上司がいた。
マネジメントをやってみて初めてわかったことは、それはとても難しいということ。

 だから、心理的安全性が低いトップの場合は、マイクロマネジメント(管理)がはびこるのだろう。


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2019年7月 8日 (月)

技術者のマネジメント(4)

技術者のマネジメントにおいて、成果を上げるため能力を高めることは重要だ。
技術者が能力を上げることについて、技術者のマネジメントができない管理者(マネジャに非ず)の懸念は、

  • 知識・技術を悪用するのではないか
  • 辞めてしまうのではないか

らしい。この懸念について考えてみた。

【知識・技術の悪用に対する懸念】
★技術者にとってブラックな職場だということ。

 安全欲求や承認欲求を満足していない場合には、知識・技術は悪用されやすい。

 能力に見合った対価が支払われていない場合や、地位や名誉が与えられていない場合に、悪意を持った者が安全欲求や承認欲求を与えたら、技術者は能力を提供し、能力が悪用される。

 つまり、知識・技術の悪用を懸念する管理者は、技術者に対して、正当な対価を支払っていないし、正当な地位や名誉を与えていないのだ。
多くの場合、管理者自身も安全欲求や承認欲求を満足していない。

【組織に離反する懸念】
★技術者に社畜になることを求めている職場だということ。

 日本の社会では、辞める、転職することを組織への裏切りと捉える管理者は多い。

 管理者や組織が技術者を人ではなく単に能力として管理している場合、その能力が失われるとダメージがあり、失われる能力が高いほどダメージは大きい。このときに、管理者や組織の損得しか考えられておらず、技術者の損得は考えられない。ましてや、管理者や組織と技術者がWin-Winの関係になることは全く考えられていない。

 つまり、技術者が辞めることを懸念する管理者は、技術者を心を持った人ではなく無機質な能力として管理しようとしている。
多くの場合、管理者自身も人として扱われていない。

【まとめ】

 冒頭の懸念を持つ管理者は、ブラックな職場を変える能力も自身が社畜であることも認めることができないし、自身が、技術者をマネジメントして成果を上げる能力を持っていないことも認めることができないのである。

管理しかしていない者には難しいが、マネジメントすれば簡単なことだ

  • 技術者の承認欲求を満足して、自己実現の内発的動機付けをすれば良い
  • 技術者が辞めたり転職したら、また育成すれば良い

高い能力を持つ技術者を貶めるような発言をするよりよほどましであろう。



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2019年4月 2日 (火)

尖った人のマネジメント <尖った人がマネジメントする>

 異動があった。
この2年間マネジメントをやって分かったことは

  • 尖った人を集めるとマネジメントが難しい。
  • 丸い人を集めると尖った成果は出ない。 

ある意味当然。今更かよ!だ。

 この2年間の命題は

尖った人は尖った人たちのマネジメントができるのか。

 海洋堂宮脇社長の著書(「好きなこと」だけで生き抜く力(2012/05/02))
を読んで、オタクのマネジメントはオタクにしかできないことを知った。

  • おそらく、技術者のマネジメントは技術者しかできないし
  • 尖った人のマネジメントは尖った人しかできないし
  • 凹んだ人のマネジメントは凹んだひとにしかできない。

のだろう。

  自分も 結構尖っていると思っていたのだが、尖っている人のマネジメントは難しい。

宮脇修一氏が対談で語っていらっしゃる。

平野:海洋堂がフツーの会社と決定的にちがうと思うのは、「マーケティング」の概念を1ミリももっていないところ(笑)。宮脇さん、よく「お客さんに聞くんじゃなく、教えてあげようっていう〝超上から目線〟なんだ」って言ってますもんね。

宮脇:ボクらはマーケティングとか、何が世の中に受けるだろうなんていうことは考えません。太郎作品に取り組むときだって、「おまえらに岡本太郎を教えてやるよ」ってそういう姿勢で平野さんと組んでますから(笑)。

 宮脇修一対談③「プロデュースは生きざま、唄いざま」

 これくらいマネジャとして尖っていないとダメなのか。
とすると自分はマネジャとしてはフツーなのかもしれない。

 ところで、自分は周囲から マネジメントをやりたくないと思っていると勘違いされているようだが、マネジメントはやりたいと思っている。やりたくないのは管理だ。


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2018年12月23日 (日)

顧客からの信頼感

 サポート部門にいる者にとって顧客とは「自分の知見や能力を提供する相手」のこと。

 技術サポート部門にいたとき信頼を得るためには、

  • 能力
  • 信頼感
  • 期待以上の結果
が必要だと考えていた。

 若い頃は
「能力」のことしか考えていなくて、能力を向上させることが期待以上の結果に繋がると思っていた。

 サポートの依頼者は技術的課題を持ってくる人くらいに考えていた。 しかし、世の中には技術的に解決しなくても連絡とか調整とか人間関係で解決できることも多い。 連絡とか調整とか人間関係が苦手だったから、目を背けていただけなんだろう。

 つまり、「期待以上の結果」は依頼者のことを考えてのことではなく、課題のクリアレベルとしか考えていなかったのだろう。

 マネジャになって考えたことは

  •  サポートすることや技術力を提供することは目的ではなく手段である。
  •  サポートしたことによって依頼者が目的を達成したかどうかが重要である。

ということ。

 マネジャになるときに、いくら歯がゆい思いをしても現場の作業には手を出さないと決心したから分かったことかもしれない。

 マネジャになる前から考えていたのは
依頼者に信頼されること。 マネジャになると技術力を直接提供できないから、それ以外で信頼を得なければならない。

 信頼は強制できないから「信頼してくれ」とか「信頼すべきだ」と言っても得られるものではない。 役職が上だからとか、上位の職場にいるとか、命令する立場だからとか、それらは信頼の元にはならない。 意外にも分かっていない人が多いようだ。

 信頼できない人のことを考えてみた。 信頼されるにはその逆をやればよいだろう。

  • 会ったことが無い人、話したことが無い人は信頼できない
  • 自分の都合を優先する人は信頼できない
  • 不誠実な人は信頼できない

 具体的に何をするかというと、

〇同じ場の空気を吸う。 
 当然、飲み会は欠かさない。休暇を取ってでも参加する。  飲むのが好きだからか?^^)

〇相手の都合を優先する。
 できないときに、「○○があれば可能なのですが...」と言う人がいるが、いくらできないことを正当化しても信頼は得られない。 身上潰してまでとは言わないまでも、〇〇を入手する努力をすればよい。 一手間二手間かけることが重要だ。

〇誰に対しても最初から誠実に対応する。
 世の中、誠実な人ばかりではない。他人を利用しようとする人はいる。 相手が誠実か、不誠実かを確認してから誠実に対応すると効率は良いようだが、誰に対しても最初から誠実に対応する。 たまたま不誠実な人に当たることもあるが、大勢の誠実な人が見ているから、大勢の誠実な人に信頼してもらうことの方が重要だ。


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2018年11月10日 (土)

減点法で評価する管理者 

 現場にいたときは、自分の強みとか弱みとか考えたことは無かった。
興味の趣くままに仕事をする「使えない奴」だったように思う。たまたま興味と時代が一致したのは運が良かった。

 マネジメントするようになって分かったことは、↓このような人が「優秀な人」とされている。

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 チームとして成果を上げようとすると、何でも卒なくこなす人はありがたい。
チーム全員がこのような人だと、仕事によってアサインする人を考えなくてもよいので楽だ。 

 でも、成果は高が知れている。良くて及第点。均一性が災いしてモチベーションが下がると成果も上がらない。

 マネジャとしては、成果を上げるために高い能力を持ったひとが欲しい。しかし、幅広い分野で能力が高い人などいない。 高い能力を持った人はたいてい「尖った人」だ。

 「尖った人」は一般の人より劣る能力があるものだ。
それが致命的に劣っていなければ、スペシャリストとして活躍できるのだが、致命的に劣っている場合「変な人」になってしまう。特にコミュニケーション能力が劣る場合は顕著だ。

 管理職と呼ばれる人には、マネジャと管理者がいるようだ。

 管理者は減点法で評価したがる。
「尖った人」は能力を発揮する前に劣る部分が目に付くので、「劣る人」として評価される。しかも致命的に能力が劣っていると「どうしようもないヤツ」と評価する。

 成果を考えず、仕事を卒なくこなすことを考えている管理者にとっては「劣っている人」は排除すべき対象だのようだ。

 下の図なら「尖った人(青)」も「尖った人(赤)」も許容レベルを下回っている分野があるので「どうしようもないヤツ」だ。

Photo_2

 マネジャは加点法で評価しようとする。 マネジャは成果を考えるので優れた部分を探そうとする。 劣る部分は誰かがカバーすれば良いのだ。

 下の図のように、「尖った人(青)」と「尖った人(赤)」が互いに補完すれば高い能力を発揮できるはずだ。

Photo_3

 「尖った人(青)」と「尖った人(赤)」が補完し合って仕事をしていて、「尖った人(青)」が首尾よく成果を挙げた場合誰を評価するのか?

 マネジメント的には成果を上げた「尖った人(青)」とそれをサポートした「尖った人(赤)」だ。 そして、組み合わせたマネジャも。σ^^)

 ところが、減点法で評価したがる管理者は、「尖った人(青)」も「尖った人(赤)」も評価しない。 
「尖った人(青)」は助けてもらっているから自分の成果ではないという。
「尖った人(赤)」の助けたことは、間接的だから成果ではないという。
つまり、一人で完結しなければ評価しないのだ。 ?_?)

 そんな仕事今時ないだろう。

 では、誰を評価するかと言うと「頑張った人」らしい。
つまり、成果に対してどのような役割を果たしたかという客観的な事実は関係なくて、「頑張りました」という主観的な主張が重要らしい。

 主観的な評価をする人の共通点は、他人の評価を異常に気にする事だ。だから評判や過去の評価を気にする。  まるで、良い評価するのを恐れているようだ。

 評判や過去の評価に左右されず客観的な事実を基に評価するのを阻んでいるのは、自分の弱い心だろう。


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2018年7月13日 (金)

他人を評価  客観的に

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。

ヒラメ部下

 管理職は業務として部下を評価しなければならない。 その評価により、給料が増減したり、昇任に影響したりする。

 部下にしてみれば殺生与奪を握られているともいえるから、上司と意見が食い違ったときに、忠言することをためらったり、明らかに誤っている命令を実行したりすることがある。

 年功序列型組織のように役職が実力で決まっていない組織では、上司の評価が悪くなると挽回のチャンスがなくなるので、上司の評価を気にするようになる。

 そして、上司の評価をことのほか気にするヒラメ部下が増殖する。 ヒラメ部下は評価は良いが仕事はできない。

ゴマすり上司、ダンゴ虫同僚

 この弊害を防ぐ手法として360度評価がある。 
ヒラメ部下が発生する原因は、評価が対象でなく、上司→部下の一方向で評価されているからだ。 そこで、非評価者は上司だけでなく、同僚、部下からも評価されるという仕組みが360度評価だ。

 合理主義の欧米人が考えそうなことだが、360度評価で全てが解決するとは限らない。

 上司が部下を評価するとヒラメ部下が発生するように、部下が上司を評価するとゴマすり上司が発生する。 デキナイ自覚がある上司は部下に阿ることで評価を上げようとするのだ。

 親身になって相談に乗るとか、職場の労働環境を改善するとか建設的な行動ならまだ良いのだが、命令に手心を加えたり、厳しい目標を設定しないなどは業務に支障が生じる。
ゴマすり上司は評価は良いが、その部署の業績は悪化する。

 同僚を評価する場合は互いに悪評価しないように談合するダンゴ虫が発生する。 
同僚が失敗した時に悪い評価しない代わりに、次回自分が失敗した時に悪い評価をしないように取引する。

 ものの本によると、3年に1回くらいの頻度で抜き打ち的に360度評価すると良いらしい。

信頼関係と公正性

 人の評価は、評価者と非評価者との信頼関係とフェアな評価にかかっている。
ヒラメ部下が発生している職場は、おそらく、評価者が信頼されていないかフェアな評価がされていない。

 理想的にはフェアな評価ができることを昇任の要件にすることだ。 しかし、一人でも見逃すと悪貨は良貨を駆逐するので、ヒラメ部下が大発生する。 本当にフェアな評価ができている組織はどれくらいあるのだろうか?

 ヒラメ化した人を責めても詮無いことだ。 非合理的な組織においてはヒラメ化することが合理的だから。

 上司が部下を評価する場合も、逆に部下が上司を評価する場合でも、 他人を評価するときに主観が入ると力関係が生じる。 力関係はその職場の雰囲気大きな影響を与える。

 多くの職場は管理職が権限を持っているから、職場の空気は管理職が作り出している。 360度評価を実施して力関係が逆転したら、職場の空気は部下が作り出すことになる。 

 どちらが作り出した方が良いかは一概には言えない。

 ただ、ヒラメ、ゴマすり、ダンゴ虫が多い職場は概して空気が悪い。

360度評価されてみた

 以前、 自分の評価を部下と同僚にお願いして、自主的に360度評価をやってみたことがある。 誰が書いたか分からないようにするために、無記名で、パソコンで入力し、利害の無い第三者を経由して評価を集めた。

 酷評されたらどうしようと思わなかったわけではない。しかし、思いの外建設的で、評価も悪くなかったので安心した。 評価が甘くなるのは仕方ないだろう。心を鬼にして上司を評価する動機は無いから。

 ある部下が評価を直接を持ってきてくれて評価について詳しく説明してくれた。 この部下の評価はストレートで分かり易かった。 以降、自分の判断に自身が無いときや判断に迷ったときには、その部下に相談していた。

まとめ

  • 上司を評価するなら、部下からの評価を受け入れなければならない。
     上司は評価したいが、部下には評価されたくないと考えるなら、黙っておいた方が良い。最初は客観的評価でも誹謗中傷に発展する可能性がある。
      
  • 他人を評価を自分の外に出すなら、客観的でなければならない。
     人の評価を自分の心の中に留めるなら主観的な評価で良いが、誰かに知らしめるなら、その評価が客観的か、主観的か自分に問うことが必要。
     主観的な評価は、少なくとも公の場で外に出すべきではない。主観的評価は他人を惑わす。

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