Japan IT Week 2024秋に行ってきた。
最近のITWeekは年2回開催になっている。
特にAI界隈は速いので年2回開催しないと時代遅れになってしまう。
サービスの展示が多かったのであまり写真は撮っていない
〇日東工業の水冷サーバーラック(もう少し引いて撮ればよかった)
冷却システムは、これなのか?
専用の給水システムが必要らしい。
〇いらない社員は何故生まれるのか
FOX HOUND(株)取締役 斎藤 輝幸氏
AIを補助(ツール)として使うのではなく、AIに任せられる業務を切り出してAIに任せる。
「AIに仕事を任せる」というところが新しい観点だった。
1つの仕事にいくつかの作業が含まれていて、何人かでその仕事をやっていような場合を考える。(左図)
そして複数の作業の中にAIが使えそうな作業があるとする。
・労働者のの観点では、
AIを使用すると生産性が向上するけど、人しかできない作業があるから、仕事が無くなることは無い。
と考える。
・経営者の観点では
AIがに任せるられる作業だけくくり出してAIに任せて、人は人でなければできない作業だけ担当すると、人を減らすことができる。
(右図のTask3)
と考える。
ところが「なる早で、いい感じでヨロシク」という経営者は右図のように仕事を再編できない。
AIに「なる早で、いい感じでヨロシク」と指示すると、満足な出力はえられないから、AIは使えないと判断するだろうから。
AIが普及すると無くなる仕事が話題なったことあった。
イノベーションで仕事が無くなるのはAIに限ったことでは無い。
技術分野で仕事をしていると、イノベーションで無くなった仕事を随分見たし、実際に無くなって困ったこともあった。
しかし、仕事が無くなれば必ず新たな仕事が生まれる。
今時AIを使ったことがない人はいないだろう。
多くの人は「AIは使えない」や「AIを使って仕事を楽にしよう」と評価しているようだ。
「AIは使えない」という人は、AIに「なる早で、いい感じでヨロシク」と指示しているひとで、AIに指示を与える人(βの人)ではない。
今時どのような仕事にもAIが導入されるから、新しく生まれた仕事ににもAIは導入されるだろう。
つまり、新しく生まれた仕事でも、αかβの人しか仕事を続けられないということだ。
αかβの人になれなければ、新しい仕事を転々としなければならない。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【展示会】【AI】
※この投稿は村上信夫氏を非難しているわけではありません。
↓の文章はFacebookのいたるところで見かける。
異なる投稿者が全く同じ文章を投稿していたり、ネットでも見かける。
帝国ホテルの料理長を26年間勤め重役になった
村上信夫さんという方がいます。
厨房から初めて
重役になった唯一の人です。
十代のときに
帝国ホテルの厨房に入ってからは
3年間、仕事が鍋磨きのみだったそうです。
一切、料理に触れることが許されませんでした。
何人もの少年が入っても
1年以内にほとんどの人が
辞めてしまったといいます。
その中で
村上さんだけは辞めなかった。
「日本一の鍋磨きになろう」と決意して
3年間鍋をピカピカに磨くことにしました。
自分のところに回ってくる鍋には
料理が残っていても、ソースの味がわからないように
洗剤などが入れられた状態で来るのだそうです。
それを全部、きれいに磨いた。
自分の顔が映るくらい
ピカピカに磨いたといいます。
そうして3、4カ月経ったところで
「今日の鍋磨きは誰だ」
と先輩が聞くようになったそうです。
「今日の鍋磨きはムラ(村上さんの愛称)です」
という答えが返ってくると
そのときだけは洗剤が入っていない状態で
鍋が回ってくるようになった。
村上さんはそれを舐めて
隠し味を勉強するようになり
周りから認められる
立派な料理人になられたそうです。
今おかれている状況に
文句を言わずに黙々とやっている人に
神様は微笑んでくれるんですね。
誰も教えてくれないどころか、後輩の成長の邪魔をする。
組織的な育制度もない職場では、重要な処世術かもしれない。
昔は先輩が後輩の成長の邪魔をする職場は多かった。
優秀な後輩の能力が自分より高くなれば、先輩としての立場がないのは分かる。
管理者は何故
悪しき風土を是正しようとしないのか?
それは、管理者が技能を磨くことよりも、先輩に阿ることを重視していたからだろう。
残念ながら、人は自分とは異なる価値観を評価できないものだ。
だから、年配者に阿ることで技能を習得した管理者は、年配者に阿る後輩を評価しがちだ。
そして、それは悪き組織風土になる。
村上信夫氏の成功事例は、昔の悪き職場に適応したものと見ることもできる。
だから、この投稿の最後にある
今おかれている状況に
文句を言わずに黙々とやっている人に
神様は微笑んでくれるんですね。
は、間違っているとは言えない。
しかし、
「文句を言わずに黙々とやること」よりも、
「文句を言わずに黙々と何をやるか」が重要だと思う。
年配者に阿る後輩を評価している年寄りには「文句を言わずに黙々とやること」が重要としたほうが都合が良い。
部下や後輩が育たない原因を、年寄り自身の指導力の不足ではなく、年少者の努力不足にできるから。
帝国ホテルは何故
新人を育成しようとしないのだろうか?
考えてみた。
「帝国ホテル」は誰もが認めるブランド価値がある。
帝国ホテルを退職して独立したときに、「帝国ホテルで働いていた」という経歴にも価値がある。
だから「育成」を前面に出して求人する必要がないのではないか。
ブランドがない職場は真似をせず、新人はちゃんと育成した方が良いと思う。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
初心者がプログラミングを学ぶときに最も効果的な方法は「写経」だと思う note (2024/9/4)
Xに投稿された、
プログラミングの勉強方法で最も効果がない方法は「写経」です。
という投稿に対する意見。
この議論はプログラミングとコーディングを区別していないように感じる以下の意見は、「プログラミング」は「プログラミング言語」の意味で使用します。
自分の意見
効果があるのは、
写経ではなく、多くのエラーに遭遇し、それを解決すること
だと思う
この議論を最初に見たの30年くらい前だった。
その頃は、ようやく雑誌にFDが付録なったころで、「写経」しなくてよくなろうとしていた。
それまでは、雑誌や書籍に印刷されたコードを「写経」していたから、「写経」する方法と「写経」しない方法どちらも経験した。
その経験から言えるのは、
「写経」の効果の有無であれば、効果はある。
しかし、重要なことは「写経」ではない。
ということ。
プログラミング言語の勉強に重要なことは、コードの入力ではなくデバッグだからだ。
「写経」するとタイプミスが発生する。
括弧'('、'['が対応していないとか、変数名をタイポするとか。
入門書に書いてあるよう文法エラーがたくさん発生するし、論理的なエラーも発生する。
そのエラーメッセージを見て、エラーの個所を特定して修正する経験を積むことで、プログラミング言語の記述能力が向上する。
そして、別のコードを書いたときにエラーメッセージを見ると、アタリをつけることができるようになる。
最近は、AIを使用してコーディングするだけでなく、エラーがあるコードの修正にもAIを使用することができるが、この方法はプログラミング言語を習得しているわけではない。
AIを活用すると、プログラミング言語を習得しなくてもプログラミングできるのだから、良い時代になったものだ。
「プログラミング」を「プログラミング言語」と同一視している人は未だ多い。
重要なことは「プログラミング言語」より「プログラミング」を学ぶことだ。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
VTuber学
編著者:岡本 健(オカモト タケシ)
山野弘樹(ヤマノ ヒロキ)
吉川 慧(ヨシカワ ケイ)
発行所:株式会社 岩波書店
VTuberに関する学術書。
VTuberの歴史、ビジネスモデル、エンターテイメント性、存在論に関する哲学的思考などを網羅している。
VTuberの儒烏風亭らでん氏と哲学研究者山野弘樹氏の対談で知った。
儒烏風亭らでん氏は、これまでの VTuberの主な活動である、歌、ゲーム、雑談の他に学術的な内容を扱っておられる。
自身の専門分野である美術の解説や専門外の分野の識者との対談などの活動で、これまで多くのVTuberがターゲットとしていなかった層の視聴者を増やしている。
この書籍は、哲学研究者山野弘樹氏との3時間に亘る配信の中で紹介された。
定義
この書籍でVTuberのバーチャル美少女ねむ氏のVTuberの定義3要件が紹介されているう。
この投稿で「VTuber」は上記↑の定義を使用する。
配信者とモデル(中の人とアバター)
3名の哲学研究者が「VTuberは如何なるものか」についてそれぞれの説を述べておられる。
哲学研究者の諸説で共通している認識は、配信者とモデルは一体であるということ。
キズナアイさん(書籍の表紙の人)を初めて見た時に、配信者(中の人)とモデル(アバター)は分離していると思った。
「アニメのような」とか「初音ミクみた」と言う人は、配信者とモデルは分離している思っているのだろう。
アニメのキャラクタと声優は別の名前と個性で活動しているが、VTuberは統一された個性と名前で活動している。
また、アニメキャラクタの声優は、台本通りに演じているが声優の意思で言葉を発しているわけではなく、アニメのキャラクターに声を操られている存在と見ることができる。
初音ミクはボーカロイドソフトおよびソフトを使用したバーチャルシンガーだ。
一見、歌をメインに活動するVTuber(VSinger)のようだから、VTuberを「初音ミクのような」と感じる。
初音ミクを構成するのは、呼ばれる楽曲を提供する人(ボカロP)と、ダンスなどの動きを担当する(モーションアクター)で構成される。
初音ミクミクは、ボカロPの指示どおり歌い、モーションアクターと同じように踊る。
つまり、初音ミクには意志はなく、ボカロPと、モーションアクターに操られる存在だ。
つまり、アニメキャラクタと声優や、初音ミクとボカロP、モーションアクターは、分離しているから、VTuberとは異なる存在だ。
今後のVTuber
VTuber界隈では6年も活動していれば古参と呼ばれるほど変化が早い界隈だ。
ようやく世間に認知され、一過性の流行りではなくなりつつあるから、哲学的に存在論について議論する価値がある。
昔々、歌手、役者、芸人など表現者は鑑賞者と空間・時間を共有していた。
放送技術の進歩により空間を共有する必要がなくなった。
次に、録音、録画技術の進歩により、時間を共有する必要がなくなった。
初期のVTuberは視聴者と空間・時間を共有しない動画投稿が多かったが、最近VTuberは視聴者と時間を共有する配信が多い。
一方で、奏みみさんや七海うららさんのようにライブの臨場感を志向するVSingerは空間と時間を共有するために、リアルな姿で活動している。
リアルな姿になると、VTuberに対応した設備がない小規模のライブハウスで活動できるメリットもある。
今後VR技術が普及すると、視聴者もアバターとモーションキャプチャを使用してVTuberと同じ空間と時間を共有できるようになる。
VRを使用すると、距離を超えられるから小さいライブハウスでなくても、VTuberのまま臨場感を保ちながらライブができる。
視聴者もアバターとモーションキャプチャを使用して参加するようになると、配信者とモデルは一体化しているのか分離しているのか明らかになるだろう。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【Vtuber】
技術者には向いた職業 ~ 千葉県警 サイバー犯罪捜査官 インタビュー ScanNetSecurity 2024/8/21
この記事ではインタビューを受けた特捜官は仮名で登場しているので、「彼」と呼ぶことにする。
この記事で気になったのは、
彼は何故「自分にはとても良い職場」と言わず「技術者にはとても良い職場」と言ったのだろうか?
ということ。
彼が前職から転職した動機は「技術者として古くなっていくことへの恐れ」で、現在は「技術者として仕事を通して成長できている」と言う。
だから、「技術者にはとても良い職場」と答えているのだろう。
しかし、現職で将来も「技術者として古くなっていくことへの恐れ」を感じないのだろうか?
と考えると、彼が感じている感覚を「技術者」まで一般化できないのではないかと思う。
「技術者として古くなっていくことへの恐れ」を感じたことがあれば、個人の感覚なのか「技術者」に一般化される感覚なのかはわかるだろう。
だから、 彼は何故「自分にはとても良い職場」と言わず「技術者にはとても良い職場」と言ったのか気になった。
以下は経験を基にした推測だ。
警察官は地方公務員であり、公務員の給与は能力に応じたものではないから、金銭以外に「得るもの」(報酬)があるのだろう。
それはおそらく「技術者として仕事を通して成長できている」感覚だろう。
技術者であり続けるために成長は必須だ。
だから、彼は前職で自身が成長できないと感じたことが転職につながったのだろう。
そして、現職は「技術者として仕事を通して成長できている」ことが報酬となり、技術者であり続けることができると感じているのだろう。
古い風土の組織は、画一的なキャリアパスや価値観しかないことが多い。
だから、キャリアを重ねていくといつか、技術者としてのキャリアパスかその組織の画一的なキャリアパスの選択を迫られることになる。
技術者としてのキャリアパスがない組織では、高い報酬を得ることは困難だ。
「技術者として仕事を通して成長できている」という報酬がなくなって、報酬≒賃金になったとき、その組織が用意したキャリアパスに乗り換えれば高い報酬を得ることができるが、それは技術者を止めるということだ。
この事実は、周りを見ていればすぐにわかることだ。
現在の組織に技術者としてのキャリアパスは無いけれど、今は技術者として成長の機会が与えられているのであれば、少なくとも今は良い職場なのだろう。
彼が技術以外のことを言い淀むのは、そのことを知っているからなのかもしれない。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
広島平和記念式典
今年(2024年)はYoutubeのライブで見ることができた。
黙祷
最近年上の方と会食した際に、
「広島、長崎、沖縄、東京の人たちは声を上げない」
と話したら、
「日本が仕掛けた戦争だから...」と言われた。
そのような意見もあることは承知しているし、かつてそう思っていたこともある。
しかしである。
最近始まったパレスチナとイスラエルの戦争では、先に仕掛けたのはハマスだ。だからといって、学校や病院など非戦闘員を無差別に攻撃して良いのか?
ハマスが仕掛けた戦争で、何故、何の罪も無いパレスチナの子供達が命を失わなければならないのか?
という問いにも同じように答えるのだろうか?と思った。
##
書いたまま投稿するのを忘れていた。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
VTuberには、プロダクション所属する企業勢、プロダクションに所属しない個人勢、企業がサポートする企業公式VTuberが存在する。
燦鳥ノムさんは、名前のとおり飲料メーカ・サントリーの公式VTuberだ(った)。
今は定期的な配信や動画投稿などの活動を休止している。(活動を休止しているわけではない)
最近は、広報や広告目的でSNSなを使って発信する企業が増えてきた。
燦鳥ノムさんは、広報や広告目的ではなく、VTuberとしての活動を企業がサポートするスタイルだ(った)。
動画の中ではサントリーの製品を飲む程度で、製品に対する用意されたコメントを読むことも無い。
歌ってみた動画は、企業色はなく、クオリティーは高かった。(コスト高そう)
企業的には挑戦的な試みだったと思う。
2022年から定期的な活動を休止していて、2022年2023年は年2回ゲストを招いて企画動画を投稿していたが、2024年雑談配信だった。
VTuberが活動を休止すると演者(魂、中の人)がアバターを変えて活動(転生)したり、現実世界で活動することがあるので、燦鳥ノムさんの転生先を探していたのだがなかなか見つけることができなかった。
公式には引退したわけではないから、企業による統制があるのだろうか?。
いつか転生して、違う姿で歌っている声を聞いたときに、気付けるように毎日のように歌動画を聴いていた。
最近、個人勢として活躍しているという噂を聞きつけて、聴いてみた。
声:すご~くよく似てる。
映像:燦鳥ノムさんの歌動画ほどのクオリティではない。(個人勢だから仕方ない)
選曲:燦鳥ノムさんの選曲とは趣が異なる。(個人の趣味とスポンサーの戦略の違いか)
ふと考えた、良いと感じていたのは
見た目、MV、歌など画面越しの「燦鳥ノム」なのか
「燦鳥ノム」の歌唱なのか
正直なところよくわからない。
言えることは、スポンサー企業の決定に抗うことはできない。
たとえ「魂」を探し出したところで、VTuber「燦鳥ノム」の活動が元に戻るわけではない。
それは、企業公式VTuberや企業公式VTuberのファンの宿命でもある
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などと考えていたら、久しぶりに(2024/8/18)新しいMVが公開された。(今までとは違う世界観)
その前(2023/12/22)に公開されたMV(https://youtu.be/Ly5BHpWxvjQ)とは対極
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【Vtuber】
くだらない仕事と成り果てたシステムの保守運用、若者にやらせるのは犯罪的だぞ
木村 岳史 日経クロステック/日経コンピュータ
(2024/06/10)
木村岳志氏の指摘は、
汎用機+COBOLの保守業務についてだが、もう少し抽象化すれば、
将来ジリ貧になることが分かっている業務に若者を引っ張り込むな
ということだろう。
古い体質の組織で働いていると、「将来ジリ貧になることが分かっている業務「よくを見かける。
そのような業務は希望者が少ないから、右も左もよくわからない若者が引っ張り込まれるのも見てきた。
幸にしてそのような仕事は避けることができた。
尤も、空気を読まず不満を言うので、避けられていたのかもしれない。
ジリ貧の業務にニーズがあって年寄りしかできないなら、木村岳志氏が言うように年寄りがやればよいのだろう。
そして、年寄りがいなくなったら否が応でも変えなくてはならない。
そのときに若い人達は慌てなくてよいように、新しい技術や効率的な方法を習得すべきということだろう。
ジリ貧になる業務も昔は花形でだったに違いない。
汎用機+COBOLも昔は、新しい価値を生む出していて、その保守の仕事も新しい価値を生み出していたのだろう。
そのその保守の仕事が、価値を生み出していて、もっと多くの価値を生む方法が無いのなら、その仕事は重要だ。
しかし、今どき汎用機+COBOLより新しい価値を生み出したり、もっと多くの価値を生む方法は存在する。
だから、現状を維持するための保守の仕事に価値は無くなってしまった。
〇蛇足
若い人に何を伝えるのか?
今どきの年寄りは難しいなあ。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【ほぼ1人情シス】
不格好経営 南場智子 日本経済新聞出版社
南場智子氏は
私はビジネス書をほとんど読まない。こうやって成功しました、と秘訣を語る本や話はすべて結果論に聞こえる。まったく同じことをして失敗する人がごまんといる現実をどう説明してくれるのか。
とおっしゃる。同感だ。
DeNAの失敗の話なら
「この会社は詰んでます。潰れました」で気づいた“恥ずかしさ”
DeNA南場智子氏がエンジニアから学んだこと
logmi (2021/12/26)
が面白い。
南場智子氏は
私から今日、みなさんへのメッセージは、こういう会社は、もちろんDeNAだけじゃない。どうかこういう「コト」に向かう厳しさのある、スキルのレベルだけじゃなくて、姿勢のレベルがすごく高いところに、身を置いてほしいなと思うんです。
とおっしゃる。
還暦を過ぎたが、何歳になってもやりがいのある仕事をやりたいし、充実したキャリアを歩みたいと思う。
これから社会に出て働こうとする人は特にそのような希望は大きいのではないだろうか。
仕事にはプロフェッショナルが必要だ。
そして、プロフェッショナルが知識と技能を発揮している現場がある。
知識や技能は資格や経歴など外見で判断できるが、知識や技能を発揮する現場が見えなかったり、どれだけ発揮できるかを判断することは難しい。
プロフェッショナルな仕事を外見で判断する経営者は多い。
南場智子氏が紹介されている、最初のシステム構築をベンダーに丸投げして失敗した例は、外見だけで判断した結果だろう。
その後、失敗を教訓に、優秀な技術者を多く採用して、社内に現場を持ったのは流石だ。
自分がプロフェッショナルとして能力を発揮している現場があれば、他のプロフェッショナルにも現場があることは簡単に想像できる。
ところが、人は、自分の現場が世界の中心だったり、世界の全てと思ってしまう。
だから、経営のプロフェッショナルには、技術のプロフェッショナルがいる現場が見えなかったり、
技術のプロフェッショナルには、経営のプロフェッショナルがいる現場が見えなかったりする。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【雑誌・書籍】
AIは短歌をどう詠むか 浦川 通 講談社
LLM(大規模言語モデル)+ファインチューニングの実装例として読んだ。
短歌AIが持つ
・正解がない問題への活用
・芸術分野への使用
について考えた。
〇正解のない解答
短歌AIは、将棋や囲碁のように正解(最善手)を求めることが困難な課題だ。
早くから実用化された将棋や囲碁のAIは、勝敗という客観的な評価基準があるので強化学習が使えて急速に強くなった。
短歌の場合、何を持って良いと評価するかは読み手の主観だ。
著名な歌人の評価といえども、やはり歌人個人の主観だ。
歌人はおそらく多くの人が良いと感じる評価ができ、それを言語化できる技能を持っているのだろう。
正解がないから、教師データを用意することができないし、評価基準が曖昧だから将棋や囲碁のAIのように強化学習を使うことができない。
短歌AIは大規模言語モデルに適した用途なのだろう。
人より効率的に最善手を見つけられる将棋や囲碁のAIは、問題解決の手段として使うことができて、人の代替になるかもしれない。
しかし、短歌AIは「最善」を見つけることはできないから、問題解決の補助として使うことはできるが人の代替にはなれない。
実社会での問題のほとんどは唯一の正解はなく、最後は人間が決断しなければならない。
今後、よりより選択肢を効率良く見つけるためにAIは必須になるのだろう。
〇短歌AIは短歌を創作すべきではないのか?
浦川 通氏はAIによる短歌の作成について
現在は短歌はある一人の人間の手によってのみつくられたという前提のもと鑑賞されるのが普通ですから、例えばAIの利用について明示するなど(あえてしない、といった選択肢もありえるでしょう)、どのようにして発表するか、ということについては意識的でありたいものです。
とおっしゃる。
短歌には疎く短歌を詠むこともできないから専ら鑑賞するだけだけれど、「短歌は人が作るべき」とは思わない。
AIを含めて誰が作った歌であっても、自分が良いと感じる歌は良いと思う。
創ることに拘って生きてきて来たので、短歌ではないが、創る悦びも知っているけれど、「手作りであるべき」は作り手の都合(エゴ)だと思う。
人による創作を否定しているわけではないし、趣味や道楽ならばそれでよいのだけれど、鑑賞する側にとってはどうでも良いことだ。
創る側と鑑賞する側では価値観が異なる。
〇創作する人と鑑賞する人
短歌は創る人と鑑賞する人が分離していないように感じる。
芸術には、伝統的で様式が決まった伝統的な分野もあるし、大衆的で様式にとらわれない流行や前衛的な分野がある。
短歌は前者だ。俵万智氏の登場で随分大衆的になった感があるが、創作はもとより鑑賞の壁も高い。
短歌AIを使用することで短歌を詠むことの壁が低くなれば、鑑賞する人が増えて、歌謡曲やポップスのように多くの人が鑑賞できる短歌が増えるのではないだろうか。
そして、さらに大衆的な芸術に生まれ変わることができるのではないかと思う
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【AI】
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