悲観主義でもないし、ゼロリスク教の信者でもないのだが、最初に就いた仕事がインフラの保守・運用だったからだろうか「自分の行動は失敗する」ことを前提にしている。
世の中には「自分の行動は成功する」ことを前提にしている人がいる。
「成功を前提にしている人」はトラブルが発生した時に、損失と回復コストを考えて、リソースを手配して、最善の回復作業を行う。
この行動様式は、意思決定が速いし、成功した時のリターンが大きい。失敗した時の損失が大きくなる。
一方「失敗を前提にしている人」は、発生する可能性があるトラブルを考えて、あらかじめリスク回避する、致命的なトラブルが想定できる場合は、発生確率が低くても可能な限り回避する。
この行動様式は、意思決定が遅くなり、成功した時のリターンは少なくなる。失敗した時の損失は少ない。
どちらが正しいか、間違っているかではないのだが、
昨今の、大手キャリアの大規模回線障害や銀行のATMの障害などインフラ障害のレポートを読むと、「失敗を前提にしている人」(保守・運用部門)の意見が蔑ろにされているのではないかと感じる。
Windows11にアップグレードすることになった。
自分が使っているPCをアップグレードでも問題は発生しなかったし、数台Windows11にアップデートしたPCは問題は無いようだ。
「一斉にアップグレードすればいいじゃないか」という人がいるのだけれど、直観的にリスクが大きいと思ったので、段階的にアップグレードすることにした。
クラウドサービスを使っているので、ネットワークに接続できないトラブルが発生すると、業務がすべて止まってしまう。
これは致命的なトラブルだから、可能な限り対策しておく。
回復できないトラブルが発生する可能性は低いが、些細なトラブル対応でも、それが数十台一斉に発生すると、多くの時間が必要だ。
だから、トラブルが発生しても、「ほぼ1人情シス」で対応できる範囲にとどめたい。
細心の準備をして、大胆に行動する。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【ほぼ1人情シス】
「ほぼ1人情シス」をやっていて感じることは、Eメールはかなり不確実な通信手段だということ。
インボイス制度に対応するために請求書発行を外注したらしい。
請求書発行業務をデジタル化したわけではなく、請求書を送る前までは、紙に印字してハンコを押している。(^^;
システム管理業務の委託を受けて「ほぼ1人情シス」をやっている職場に保守料の請求書を送ったと聞いたので、メールの配送履歴を確認したら、なんと、SPAMメール判定されている。
確認すると無事、ジャンクメールフォルダで発見されたようだ。
ヨカッタ。給料がもらえる。
請求書発行の担当曰く「難しいことはわからない!! メールがちゃんと届いて、請求金額が振り込まれたらOKだから!!」って、そのメールがちゃんと届いていないんですけど。
日本中でこんなことが起きているんだろうな。
最近政府はDMARCを推進している。
普通の会社はなりすましの被害を受ける可能性は低いから、他人事で普及しないだろうと思っていたのだが、請求書が届かないとなると、他人ごとではなくなるのでDMARCの普及が進むかな。
よくある誤解
「ほぼ1人情シス」をやっていて感じることは、「届くはずのメール」を捜索することがよくある。
Eメールはかなり不確実な通信手段だと思う。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【ほぼ1人情シス】
台風13の影響による大雨で、日立市役所の電源設備が水没し、業務が停止したというニュースを見た。
日立市長はメディアに対して「想定外」と言っていたが、「冗談ででしょう!!」と思った。
準備不足でミスリードしたのかと思った。
ところがSNSへの投稿を読むと、どうやら市長は本当に想定外らしい。
↓の「2 市役所本庁舎の浸水被害」
役所(役人が業務を行う所)はサービスを止められないから、綿密に非常時の対策を考える。
40年以上前には、非常用電源設備は屋上にある庁舎が結構あった。
庁舎を建て替えるときには、受電設備や非常用電源設備を地下に置く庁舎は無かった。
日立市のWebページを見ると新庁舎の基本設計が完成したのは、平成25年(2013年)だ。
10年前とはいえ、業務継続を考えると、地下に電源説を設置するとは考えられない。
何らかの制限や都合があったのかもしれないが、市役所の新庁舎ならば災害対策や業務継続を検討したはずだ。
とすれば、コンサルや建設業者など有識者から指摘があっただろうし、市役所の災害対策担当も指摘しただろう。
(常識に考えて、誰も指摘しないはずがない)
想像だが、検討した結果が市長に伝えられていなかったのだろう。
市長は裸の王様なのか?
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高橋ゆみさんから友達リクエストが来たのだが、知り合いではなさそうなのでスルーしていたら、高橋有美さんから友達リクエストが来た。
プロフィールの写真は違うけれど、写ってる人は同一人物のようだ。(かなりのべっぴんさん)
それでもスルーしていると、Takahashi Yimiさんから友達リクエストが来た。
プロフィールの写真は同一人物だけど、基本データを見ると、職歴、学歴、住んだんことがある場所もデータが無い。
高橋有美さんも、高橋ゆみさんも、Takahashi Yumiさんもアカウントがたくさんある。
ちょっと手を抜きすぎじゃないの?
フォロワーはいないけれどフォロー中の人は多い。
フォローを許可していると誰でもフォローできるから、フォロー中の人に知り合いを見つけても、その知り合いがフォローを許可したわけではない。
ということで、
見じ知らずの人から友達リクエストがあって、その人のフォロー中の人の中に新川が表示されたとしても、新川の知り合いとは限りません。
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消された少女の“反AI”マーク 「無断改変したのは俺です」 毎日新聞 (2023/8/17)
結論
芸術分野でのAIの使用に反対するために描いたイラストを、AI使用に賛成する人がAIを使用して変えて、挑発的なメッセージと共に公開したという記事。
反AIの人は、
「芸術は気持ちや伝えたいことを表現するもの。AIは他人の作品を切り刻むだけで、芸術ではない」
と考えて、イラストを投稿したらしい。
これに対して、反・反AIの人が
AI反対のイラストをAIに入力して作成したイラストと、
「元の数千倍可愛くて売れそうな絵‼」「『売れる絵』を出せるAIを否定しているんですか」
のようなメッセージと共にブログに公開したらしい。(伝聞です。確認できませんでした)
考えてみた。
★著作権については考慮していません。
★私は反AIでも、反・反AIでもありません。
AIは能動的に創作しない
引っかかったのは
技術をAIに踏みにじられた
の部分。
反AIの人が踏みにじられたのはAIにではなく反・反AIの人の行為にだと思う。
反AIのイラストを描いた人は、「AI」が能動的にイラストを出力すると考えているのではないだろうか?
アニメや映画では、AIやAIを搭載したロボットに人格があるかのように描かれることが多いから、現在のAIにも意思や人格があって能動的に活動すると思っている人は多い。
プロ棋士と囲碁ソフトとの対局をAI vs 人間のようにメディアは煽るけれど、の影響もあるだろう。
AI vs 人間の対局ではなく、自分の頭で囲碁を打つ人 vs コンピュータを使って囲碁を打つ人の対局だ。
今のところ、AIは意志を持たないし、創作しない。
あくまで、意識を持っているのは人であり、AIは人が与えた入力と指令に従って結果を出力する。
だから、反・反AIの人が投稿したイラストは、人の創造によるものだ。
AIに何らかの指示を与え、AIの出力を選別する作業を、満足する結果が得られるまで、行っているのではないだろうか?
だとすれば、その行為はAIを道具として使った創作活動ではないだろうか?
それは芸術ではないのか?
つまり、この対立構造は、AI vs AIを使わない芸術家ではなく、AIを使う芸術家 vs AIを使う芸術家との対立だ。
芸術と経済性
芸術は純粋に芸術だけでは存在できず、少なからず経済活動と関係があるので、芸術と経済性を完全に切り離して考えることはできない。
毎日新聞の記事によると反AIの人は、
「長年培ってきた技術をAIに踏みにじられたように感じる」。女性は悔しさをにじませた。
らしい。
この感情は純粋に芸術的な側面ではなく、自身が獲得した、売れる・ウケるイラストを描く技術の価値がAIによって低下することに対する感情ではないだろうか。
また、反・反AIの人は
「元の数千倍可愛くて売れそうな絵‼」「『売れる絵』を出せるAIを否定しているんですか」
らしいので、絵を経済価値で評価しているようだ。
反AIの人も、反・反AIの人も絵の経済価値を重視しているようだ。
技術は新しい技術の前に陳腐化する。それはAIに限らない。
そして新技術を使うと生産効率が向上する。
工業製品のようにアウトプットが一定ならば、生産効率が向上すると経済価値も向上する可能性は高い。
しかし、イラストを工業製品ではなく芸術的な創作物と捉えるとアウトプットは均一ではない。
芸術は鑑賞する人がいるから、鑑賞する人によってその評価は様々だ。
つまり、新しい技術を使ったからといって創作物の価値が向上するとは限らない。
AIを使っても使わなくても
AIを使っても使わなくても『売れる絵』が出せるとは限らないし、AIを使っても使わなくても『売れる絵』が出せないとは限らない。
売れる、売れないではないならばどちらも芸術だと思う。
反AIの人と反・反AIの人は何に反対しているのだろうか?
まとめると
毎日新聞の記事が見えなくなったときのためのアーカイブへのリンク(https://archive.is/cUDrw)
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】【AI】
日本のサイバー防御、人材確保が課題「次官級待遇でも集まらない」…中国軍ハッカー侵入 読売新聞オンライン (2023/08/08)
記事よると
自衛隊は、サイバー専門部隊(2022年度末時点で約890人)を27年度末までに約4000人に拡充する見通しだ。
ただ、サイバー対策強化には、高度な能力を持つ人材が欠かせない。民間からの登用が必要になるが、政府高官は「次官級の待遇でもトップ人材は集まらない」と指摘する。
らしい。
高度な能力を持つ人材が部内にいないことを前提しているようだ。
高度な能力を持つ人材を育成しようとしているのか?そのシステムはないのだろうか。
能力を持つ人材を正当に処遇しているのだろうか?
一般論だが、横並び文化の組織は部内登用は難しい。
これまで人の能力を評価することを避けてきた組織は、部内で能力を持っている人の能力を評価できない。
外部の人は、誰か(世間)が評価しているいているから「次官級の待遇」といえるが、部内に高度な能力を持っている人材がいたとしても「次官級」の待遇はできない。
つまり、適材適所の配置ができない組織だ。
歴史に学ぶならば、有事など情勢の変化が早いときに適材適所で運用できない組織は失敗する。
閑話休題
講演をお願いしている知り合いの、前の職場での評価は限定的だったようだ。
少なくとも正当に処遇されていたとは言い難い。
「キミを評価している」というエライ人はいるけど、「正当に処遇しよう」と言うエライ人はいないのだ。
だから、「次官級の待遇でもトップ人材は集まらない」などと無責任に無いものをねだるのだろう。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
仕事がなくなる! 丹羽宇一郎 株式会社幻冬舎
長く生きていると数えきれないくらいの失敗を経験する。それは成功の数とは比較にならないくらい多い。
成功者は、失敗を分類、分析、一般化して失敗しないようにしているのではないだろうか。
多くの失敗を試行錯誤で克服して成功した場合、多くの失敗と1回の成功を経験することになる。
他人の参考になるのは、多くの失敗と失敗を克服した過程だ。
ところが、成功者は、自分に特有のしかも少ない経験を、一般論化して普遍性があるかのように語りがちだ。
しかも、何十年も前の成功体験が環境が変わった現在でも普遍性があるかのように語ってしまう。
そして、多くの人は成功者のわずかな成功例に着目しがちだ。
それが、数少ない成功例が巧みに一般論化してあっても参考にしてしまう。
人は、辛い思いをした失敗体験より、成功体験を語りたがるものだから、受け取る側が取捨選択しなければならないのだろう。
この本で引っかかったのは、
今後は、マニュアルに沿ってなされる仕事はすべて、AIが行うようになります。どれだけ仕事に自分の気持ちを込められるか、どうすれば顧客を感動させられるか。そのようなことを真剣に考えて、主体的に取り組まない限り、今の仕事を続けることはできなくなるでしょう。
脅すつもりはありませんが、
の部分。
直感的には正しいような気もするが、よく考えると、昭和の高度成長時代に一般的だった、終身雇用と所得は増加するという前提に依存しているような気がする。
話は変わるが、
かなり前に、マクドナルドは「笑顔0円」というCMを流していた。
自分の行動様式を思い出してみると、笑顔の店員さんがいる店を選ぶ可能性はかなり高い。
つまり、対面での接客では、笑顔はかなりの価値があると思う。
ところが、その価値の対価は支払われないのである。
笑顔がすてきなマクドナルドのバイトさんの方が時給がが高いという噂は聞いたことがない。
マクドナルドに限ったことではなく、日本の社会全体に言えることだが、目に見えない価値に対価を支払わない。
「お客さまは神様」とか「お値段以上」などのスローガンはほぼ、社員の目に見えない価値を売り物にしながら、その価値に対価を支払っていない。
では、従業員はなぜ対価が支払われない価値を提供してきたのだろうか?
それは、昔は終身雇用と所得は増加するという社会背景があったからだろう。
おなじ職場で長く働けば、「笑顔」の対価を回収することができるだろう。
しかも、昭和の高度成長時代、バブルの時代には、評価によらず給料が増えていた。
つまり、
古き良き時代には、直ちに「笑顔」の対価が支払われなくても、長期的に回収することができたのだ。
ところが、浅ましい経営者は、それを短期雇用の従業員に求めるようになった。
長期雇用なら対価が回収できる価値を短期雇用に求めるのは、搾取だ。
また、
その人にとってコスパやタイパはよくなくとも、達成感や満足度が高く、社会の役に立つことは、いくらでもあるからです
とタイパやコスパに拘るべきでないとおっしゃる。
確かに、古き良き時代にはタイパやコスパに拘らない生き方ができた。
しかし、古き良き時代社会背景を前提にした、成功例が、AI時代に適用できるのだろうか?
成功した経営者は、
若い人、雇用される人に対して、今の時代でも普遍性がある成功の秘訣を伝えてほしい。
古き良き時代社会背景を前提にした働き方で幸福になると伝えるのはミスリードだ。
また、
現役の経営者にむけて、時代背景が変わっても、目に見えない価値に対価が支払われる社会、タイパやコスパにこだわらない働き方ができる社会、を実現する極意を伝えてほしい。
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「夜のピクニック」読書感想文をプロが書いた結果
書評家・三宅香帆さんが課題図書の定番に挑戦
三宅 香帆 東洋経済 (2023/07/09)
三宅 香帆 氏は、褒められる読書感想文を書く方法として
① 自分の嫌いなモノについて書いた本を選ぶ
② その本を読んで「嫌いだったモノが、好きになった」内容の感想文を書く
を勧めておられる。
なるほど、自分が好きな内容は共感したり感動したりするが、なかなか文章にできない。
嫌いな内容は、批判的に読むので、文書化しやすいのかもしれない。
子供の頃、読書感想文は苦手だった。
子供の頃この方法を知っていたらどうだろうか?
嫌いな内容の本はそもそも手に取らないし、最後まで読めないと思う。
閑話休題
誰でも簡単に「褒められる読書感想文」を書ける手法があります。
は、キャッチーだ。
更に
読書感想文とは、「この本を読んで、私はこう変わりました」と言えばいいジャンルの作文だから。
とおっしゃる。
更に畳み掛ける
しかし、なかなか読書して良い人間に変わる体験なんて、めったにあるものではありません。ならば、読書感想文用に作ってしまえばいいのです。
三宅 香帆氏は、読書感想文は感想を書く必要はなくて、先生の好むパターンで書けば良いとおっしゃる。
痛快だ。
三宅 香帆氏はこの記事を子供達ではなく、大人向けて書いているのだろう。
だから、子供達に対する裏ワザ指南ではない。
この記事の冒頭の感想文に込められた、本当の感想は、
本を読んだくらいで、嫌いな運動が好きになるわけがない。
ではないだろうか。
本来本を読んだ感想は自由だ。
他人の感想に優劣を付けるなど、思い上がりも甚だしい。
というのは自分の意見だけど。
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続く道 花の跡 ななせ悠 少年ジャンプ+
日本初のコンピュータFUJICを作った人の助手の女性と、電子計算機によって無くなった職業のおはなし。
AIの普及が目前だら、昔の話とは思えない。
計算手という職業は知らなかった。
レンズの設計に必要な大量の数値計算が必要らしい。
モデルができて、四則演算に分解すれば誰でもできる仕事になる。
計算モデルを作る人は数学の能力を提供し、単純計算をこなす人は労力を提供している。(この構図は今でもよくある)
そこで、大量に動員される単純計算をやる人を計算手と呼ばれていたらしい。
労働時間や技能を提供している職業は、新しい技術の登場によって簡単に淘汰される。
計算手の他に、文書を清書していたタイピストや電話の交換手、コンピュータのプログラムをカードに打刻していたキーパンチャーなども、技術の進歩で職業が無くなってしまった。
技術革新によって職業が無くなることには誰も争うことはできない。
物語中の主人公の計算手が電子計算機の実験装置を壊そうとするシーンは、今AIに対して声高に危機感を煽る人たちとオーバラップする。
技術の進歩に争うことはできないのだ。
蛇足(昔話)
昔、無線通信士という職業があった。
地球レベルで離れた場所との通信に、昔は無線を使っていたが、陸地対陸地は海底ケーブルに取って代わられたが、モールス信号で電報を送受する方式は、船舶との通信で最後まで残った。
無線通信になろうと資格をとって就職しようとしたら、求人がなかった。
その頃、無線通信士は人員整理が進んでいて経験の無い新米はお呼びではないって、知らなかった。
技能は新しい技術に淘汰されることを、職業人生が始まる前に身をもって経験してしまった。
幸い無線の資格で雇ってくれる所があってので、そこに就職した。
無線だけではなく、電話交換や伝送路、情報処理(コンピュータ)まで手広くやっていたが、希望どおり無線の部署に配属された。
その職場では意味不明のラベリングがあった。
無線関係の部署で勤務している者はコンピュータは解らない、プログラミングはできないというものだ。
逆に電話関係の部署で勤務している者は無線がわからないと言われていた。
理系vs文系のようなラベリングだ。
就職してほどなくパーソナル・コンピュータ時代がやってきた。
コンピュータ関係の仕事をしている人たちが、汎用機でCOBOLだったころ、マイコン(昔はパーソナル・コンピュータをこう呼んだ)を自腹で買ってCの勉強を始めた。
無線屋だけどプログラミングはできるようになった。当然だけど。
なぜ、無線系はプログラミングができないと言われていたのだろうか?
おそらく、新しい技術を習得しないための言い訳だったのではないかと思う。
当時、コンピュータは有線系(電話屋)が担当していた。
無線系、有線系というラベリングをして、「無線系はプログラミングができない」ことにすれば、コンピュータやプログラミングの知識や技能を習得しなくて良くなる。
逆に、有線系は無線の知識技能を習得しなくて良くなる。
文系が数学を、理系が歴史を勉強しないのと同じで効率が良い。
ところが、既存の技術は、技術の進歩で淘汰される。
当時、新しい技術に淘汰された人が身近にいたのに、なぜ、新しい技術を習得しないようにしていたのだろうか?
しかも組織的に。
最近の脅威はAIだ。
AIの進歩で淘汰される、職業は現れるだろう。
残念ながら争うことはできない。歴史が示している。
恐れることはない、学習すれば良いのである。
ところが、根拠のない言い訳をして学習しない人は多い。これも、これも歴史が示している。
若い人に唯一アドバイスするならば、歳を取っても学習できるように、若いうちに学び方を身につけておくと良い。
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【Yoshiのよしなしごと】【Yoshiのブログ】【よしなしごと】
村下孝蔵がバズっているらしい。
1年くらい前に読んだ「A面に恋をして(2022/02/04)」で紹介されていたので、懐かしくなりしばらく毎日聴いていた。
オンタイムで聞いていたオヤジ世代はとても懐かしいが、若い人たちには新しいのだろう。
Room3というインディーズバンドが、Youtubeで村下孝蔵を熱く語っている。
たまたま取り上げた「初恋」を語った動画がバズったらしい。
村下孝蔵氏は曲の良さ声の良さの他に卓越したギターテクニックを持っていた。
中でも「踊り子」のギターテクニックを解説した動画もバズっているようだ。
他にも、
「初恋」の発売から40年を過ぎて
ビデオクリップが公開されている。
意外にも、主人公は女の子だった。
この歌は男の初恋の思い出の歌だ。「遠くで君を探している」姿は酸っぱい思い出だけどビデオクリップにはならないよなあ。
村下孝蔵氏の ご冥福をお祈りいたします。 合掌
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