なぜ日本の教育は、諸外国と違いオンラインの波に乗れなかったのか
なぜ日本の教育は、諸外国と違いオンラインの波に乗れなかったのか 石戸奈々子 CLIP (2020/9/24)
- 日本の教育のICT化が遅れている。
- 工業化社会に適した教育の成功体験が情報化社会への転換を遅らせている。
- プログラミング教育に誤解がある。
という内容だ。
内容に目新しさはないのだが、Facebookのコメントを読むと賛否両論だ。 否定的な意見の人はオンライン教育か、集合教育かの二項対立として捉えているようだ。よくある反応だが、集合教育の方が効果的な科目もあるだろうし、オンライン教育の方が効果的な科目もあるだろう。
オンライン教育否定派の人でも今回のコロナ禍で避けられないことはわかっただろう。 一方、オンライン教育肯定派は集合教育と同じ教え方をオンラインでやろうとしている人もいるのではないだろうか?
重要な観点は、昔できなかったことが現在、そして極めて近い将来できるようになる。そのときに何を変えるべきかということだろう。
たとえば、教師が板書して、それを生徒が書き写し、書き写した内容を記憶し、記憶しているかテストするという作業は、ICTが無かった高度成長期には有効だったのだろう。 ところが、世の中は変わってしまったのだ。 ICTを使うと、教師は毎回板書しなくてよいし、生徒は書き写さなくてよい。
大人たちは、板書を書き写す作業の中で重要なことは何なのかをもう一度考え直さなくてはならないのだと思う。
それは、
- 教師が書くことか?
- 生徒が書き写すことか?
- 書かれた内容を生徒が覚えることか?
- 書かれた内容を生徒が理解することか?
- 生徒が考えることか?
それがわかれば、重要でない作業はICTで効率化すれば良い。必要なことは、大人がそれを考えることである。
求められる人物は、誰かが答えたことのある正解を記憶している人ではなく、誰も答えたことのない問題の最適解を求められる人に変わるのである。
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