プログラミングが嫌いになる子が出てきた
Fasebookにこんな↓投稿があった。
小学校プログラミング教育に関する概要資料 文部科学省
https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2019/05/21/1416331_001.pdf
によると、小学校で必修化されたプログラミング教育は大まかにいうと
- ①「プログラミング的思考」を育む
- ②
・プログラムの働きやよさ、情報社会がコンピュータをはじめとする情報技術によって支えられていることなどに気付く
・身近な問題の解決に主体的に取り組む態度やコンピュータ等を上手に活用してよりよい社会を築いていこうとする態度などを育む - ③各教科等の内容を指導する中で実施する場合には、教科等での学びをより確実なものとする
で、キーワード「プログラミング的思考」は
自分が意図する一連の活動を実現するために、どのような動きの組合せが必要であり、一つ一つの動きに対応した記号を、どのように組み合わせたらいいのか、記号の組合せをどのように改善していけば、より意図した活動に近づくのか、といったことを論理的に考えていく力
と定義している。
具体的には、
- 分解
大きな動きを解決可能な小さな動きに分けること。 - 抽象化
目的に応じて適切な側面・性質だけを取り出し、他の部分を捨てること。 - 一般化
ものごとの類似性や関係性を見出すこと。さらにそれを別の場合でも利用できる内容にすること。 - 組合せ
目的に合わせて試行錯誤しながら、明確でより良い手順を創造すること。
だ。
プログラミング教育でよく使用されるプログラミング言語、ViscuitやScratchなどを使用したコーディング技能は、「組合せ」の一部だから、「プログラミング教育」は「プログラム言語を使用したコーディング技能の習得」ではない。 ところが、多くの大人は、「プログラミング教育」=「プログラム言語を使用したコーディング技能の習得」と勘違いしているようだ。 システム開発に例えるなら、上流工程ではなく下流工程にフォーカスしてしまう。
「プログラミング言語を使用したコーディング技能の習得」(ViscuitやScratchなどの使い方)は技能の習得なので、例えば、逆上がりの習得や、九九の暗唱のようなものだ。特に練習しなくても習得できる子もいるし、練習してもなかなか習得できない子もいる。当然、嫌いな子もいるし、好きな子もいる。
「プログラム言語を使用したコーディング技能」を習得している大人は、教えればどの子供もも習得できると勘違いしているのではないだろうか?前職でレベルが違う大人30人を相手にICT関係の講師をやっていたときには「受講者のレベルがそろってないと大変だよね」「もっとサポート要員が必要だよね」などと愚痴を言っていた。
小学生を相手に「プログラム言語を使用したコーディング技能」の授業は、経験も能力もモチベーションも違う30人超の授業を1人でやらなければならない。 教えられる側にしてみれば、解決すべき課題も要件定義も機能定義もできていないシステムのコーディングをやれと言われているようなものだから、嫌いになるのもうなずける。
小学校のプログラミング教育は教師では無理だからIT業界から講師を招くべきだという意見を目にすることがある。 しかし、下流工程が得意で上級工程が苦手な講師に任せたら、かえって、プログラミングが嫌いな子供が増えるのではないだろうか。
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