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2021年1月 6日 (水)

リーダーの言葉

メルケル首相のような「ハッとするコロナ演説」をする政治家が日本にいない理由 ヤマザキ マリ PRESIDENT Online (2021/01/03)

 政治家はスピーチに演出が重要なことは分かっているはずだ。街頭演説で原稿を読んでいる政治家は見たことが無い。

 街頭演説での言葉は消えていくけど、記者会見での言葉は消えないどころか、アンチのマスコミに叩かれるから「スポークスマンの言葉」になってしまうのかもしれない。 スポークスマン言葉は「詳しくは事務方に聞いてね」ということだ。

 必要なのは「リーダーの言葉」なのだが。

 スピーチの演出も含めて「リーダーの言葉」するためには、個人のリーダーとしての資質はもとより、周囲からリーダーとして認められていることが必要だろう。 欧州の政治家はリーダーシップを発揮しなければリーダとして認められないし民衆は従わない。 医療のためにロックダウンしようものなら外出する自由を主張してデモが起きるような民衆だ。 一方日本人はマスコミに躍らせながらも自粛する民衆だから、平時は強力なリーダーシップは不要かもしれない。

 現在のコロナ禍のような非常時にはリーダーシップの弱さが目立ってしまう。

閑話休題

 地方での会合に出席するときに、「これを読んできてください」と読み原稿を渡されることがあった。スポークスマンとしての振る舞いが期待されているということだ。

 「リーダーの言葉」は自分が責任を負わなければならないが「スポークスマンの言葉」は組織で責任を負う。読み原稿を渡されるということは、つまり、普段「リーダーの言葉」を話していない管理者に「余計なことを喋るな」という事務方の意思表示かもしれない。

 「リーダーの言葉」は自分の言葉で話せばよいわけではなくて、聴衆はその言葉に意思と志があるかを見ているのだと思う。


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