「仕事ができる」とはどういうことか?
「仕事ができる」とはどういうことか? 楠木 建 山口 周 株式会社 宝島社
「仕事ができる」は個別の職場、職種ではなんとなくイメージできるけれど、抽象的に捉えようとするとかなり難しい。
楠 木建氏の言う「仕事ができる」は「スキルがある」とは似て非なるもので、簡単に言えば「成果を出せる」ことらしい。
具体的には「頼りになる」「安心して任せられる」「この人ならなんとかしてくれる」、極論すると「この人じゃないとダメだ」と思わせる人らしい。
「仕事ができる」ためには「スキル」だけでなく「センス」が必要とおっしゃる。しかし、「センスを磨く」という言葉は知っているが、具体的な方法論が明文化できないように「センス」は言語化しにくい。
そこで、センスがある人を多く語ることで、捉えどころのない「センス」を理解しようという内容。
つまり「要するにこういうことだよな」という抽象化が重要だとおっしゃる。
他人や他業種の成功例を自分や自分の仕事にそのまま使えることはない。
だから、この本に登場する、著名な人の手法をそのままパクれない。
そもそも、経営者の問題と現場で働いている読者の問題は違うから、経営者の手法ではなく、考え方を自分の行動に反映できるまで抽象化しなくてはならない。
「〇〇技術」や「〇〇の方法」のようなハウツー本は、抽象化しなくても、自分の行動に反映することができる。
ところが「スキル」をいくら重ねても「センス」にはならない、「センス」は抽象化から得られる。
技能職の場合はどうだろうか?
若い頃は、抽象化ができなかったから、技術書ばかり読んでいた。
技能職の命は「スキル」だから仕事ができるためには「スキル」高めなければならない。
技術書は「スキル」を得るためのものだから、自分の仕事に使える。
「スキル」を高めようとすると具体化、先鋭化してくるから、抽象化が必要な「センス」とは相容れない。
ある程度「スキル」が高くなると、思うように高くならなくなってくる。
いわゆる伸び悩みだ。経験では、そこで一旦、抽象化すると、壁を破ることができる。
プログラムを作ることはできるけれど、特定の言語でしかプログラミンでできないと言う人がいる。
特定のプログラミング言語を扱う「スキル」は高いが、プログラミングの「センス」が無いいから、異なる言語の習得が困難なのだ。
プログラミング言語は流行りすたりがあるから、流行らないプログラミング言語の「スキル」はいくら高くても、市場価値は低い。
そこで、抽象化してプログラミング言語に依存しないプログラミングを理解すると、どのようなプログラミング言語でも比較的簡単に習得できるようになる。
具体化と抽象化を行きつ戻りつしながら「スキル」と「センス」両方を習得することで、仕事ができるようになるのだと思う。
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