手紙屋 <僕の就職活動を変えた十通の手紙>
手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙 喜多川泰 ディスカヴァー・トゥエンティワン
物語の中で手紙屋氏は
天秤の片方の皿の上には、あなたの手に入れたいものを載せます。そして、それと釣り合うものを、釣り合う量だけ、もう片方の皿の上に載せたときに、あなたの欲しいものが手に入るのです。
とおっしゃる。この考え方はわかりやすい。
自分が載せるものは、金銭とは限らない。
知識、技能などの能力や労働力、時間など、欲しいものを持っている交換相手にとって価値があるものだろう。
成績やスキルなど相手がいないものは努力のように定量的でないものになる。すると、天秤が釣り合っているのか、あとどれくらいで釣り合うのか分からなくなる。
物語の中で手紙屋氏は「ピンチ」について、
自分が手に入れたいものに対して、反対の皿に載せているものが違っていたり、足りていなかったりするにもかかわらず、それが手に入ってしまうことが、人生の中では何度かある。それこそが『本当のピンチ』なんです。
そういうことが一度あると、その後も人生においてそれを期待することになるかもしれません。
とおっしゃる。
本当の「ピンチ」は「待ちぼうけ」状態になることだとおっしゃる。
「ピンチ」と「チャンス」について考えてみた。
たしかに、「待ちぼうけ」状態になるのはピンチだ。
明らかに、載せているものが少ない場合は、釣り合っていないのに欲しいものを手に入れたことがわかるだろう。
しかし、少なからず何かを載せている場合には、釣り合って手に入れたのか、釣り合っていないのに手に入れたのかは、分からないと思う。
更に、欲しいものの価値は時代と共に変化する。
普及して供給が増えたり、需要が減ると価値が下がるから、自分が載せるものも少なく釣り合う。
例えば、昔はコンピュータは高価だったし、プログラミング言語を習得しなければ使えなかったから、載せるものはかなり多かった。
ところが今は、コンピュータは安価になり、専門的な知識がなくても使えるようになった。
つまり、自分が載せるものを増やさなくても、欲しいものが手に入ることはよくあることだ。
逆に、自分が載せるものを減らしていないのに、今まで得られていたものが得られなくなることもある。
天秤のたとえ正しい。
自分が何を載せるかは重要だ。一方でどれだけ載せるかは簡単には判断できない。
だから、欲しいものが得られた時に、釣り合っているかどうかより、その後どうするかの方が重要だと思う。
経験では、得たものを、他に欲しいものの天秤に乗せると好循環が生まれるようだ。
最近の投稿
【Yoshiのよしなしごと】【雑誌・書籍】 【Yoshiのブログ】
« おっさんの掟 | トップページ | 子供とネットワーク社会での問題解決 2題 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 鈴波アミを探しています <喪失感は誰でも共感できる>(2025.02.21)
- チーズはどこへ消えた?(2025.02.15)
- VTuber学(2024.10.03)
- 不格好経営(2024.08.01)
- 心に折り合いをつけてうまいことやる習慣(2024.04.22)
コメント