Excelの功罪
〇 Excelの功罪(功)
Excelがなかった頃や使い物にならなかった頃に少し大きなデータを扱おうとすると、自分でプログラムを書くか、データベースソフトを使わなければならなかった、処理、入力フォーム、出力フォームは別に作らなければならなかった
ところが、PCの性能が向上し、ストレージとメモリが潤沢に使えるようになると、全てExcelでできるようになった。
データベースの設計を間違えると、痛い目にあうけれど、Excelを使うとデータベースを考える必要がなく、なんとかなってしまう。
そういえば、「データ」という言葉の概念がずれていると感じることがある。
「データ」=「ファイル」(主にExcelファイル)と考えている人がいるのだ。
Excelファイルは
- ・データ
- ・入力フォーム
- ・出力フォーム
- ・処理(計算式、マクロ)
がセットになってパックされている。
パソコンがネットワークに繋がっていなかったころには、重宝だった。
入力フォーム、出力フォーム、処理(計算式、マクロ)は、使い回しできるからファイルをコピーして別のデータセットで使っていた。
この方法で随分作業が省力できたのだ。
〇 Excelの功罪(罪)
クラウドが使えるようになって、大量のデータをクラウド側で処理し、リアルタイムで共有できるようになったが、未だにExcelで個人的に管理している。
同じデータを複数のExcelファイルに記録し、複数の個人が別々に管理しているとデータの同一性が保たれなくなる。
その結果、複数のファイルに似たようなデータが記録されているが、どのファイルのデータが正しいかわからなくなる。
データが少ないか、Excelファイルを共有している範囲が狭い場合や献身的にデータの管理をする人がいれば何とか機能する。
だから、手っ取り早く、クラウドストレージに業務ごとのExcelファイルを保存して、便利になったと安心してしまう。
しかし、データは拡大するし、個人が管理できるデータ量には限りがあるから、遅かれ速かれ破綻する。
これが、DXが進まない一因だろう。
組織が扱うデータは個人のものではないから、組織的に管理して、共有するのが当然だ。
ところが、データは個人のもので、データを入力した個人が管理して、ファイルとして共有ストレージ(個人のストレージ)に置いている。
その昔紙ベースで仕事をしていたときに、重要なデータが記録された物理的なファイルを共有のキャビネットには置かず、自分の机の引き出しに入れているオジサンがいた。
それと同じだ。
データは自分が使えたらそれで良いという、意識はICTが発達しても変わらないのかもしれない。
そして、それが草の根DXで超えられない壁かもしれない。
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