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2024年7月29日 (月)

AIは短歌をどう詠むか <正解のない問題への適用>

AIは短歌をどう詠むか 浦川 通 講談社

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LLM(大規模言語モデル)+ファインチューニングの実装例として読んだ。

短歌AIが持つ
・正解がない問題への活用
・芸術分野への使用
について考えた。

〇正解のない解答

短歌AIは、将棋や囲碁のように正解(最善手)を求めることが困難な課題だ。
早くから実用化された将棋や囲碁のAIは、勝敗という客観的な評価基準があるので強化学習が使えて急速に強くなった。

短歌の場合、何を持って良いと評価するかは読み手の主観だ。
著名な歌人の評価といえども、やはり歌人個人の主観だ。
歌人はおそらく多くの人が良いと感じる評価ができ、それを言語化できる技能を持っているのだろう。

正解がないから、教師データを用意することができないし、評価基準が曖昧だから将棋や囲碁のAIのように強化学習を使うことができない。
短歌AIは大規模言語モデルに適した用途なのだろう。

人より効率的に最善手を見つけられる将棋や囲碁のAIは、問題解決の手段として使うことができて、人の代替になるかもしれない。
しかし、短歌AIは「最善」を見つけることはできないから、問題解決の補助として使うことはできるが人の代替にはなれない。

実社会での問題のほとんどは唯一の正解はなく、最後は人間が決断しなければならない。
今後、よりより選択肢を効率良く見つけるためにAIは必須になるのだろう。

〇短歌AIは短歌を創作すべきではないのか?

浦川 通氏はAIによる短歌の作成について

現在は短歌はある一人の人間の手によってのみつくられたという前提のもと鑑賞されるのが普通ですから、例えばAIの利用について明示するなど(あえてしない、といった選択肢もありえるでしょう)、どのようにして発表するか、ということについては意識的でありたいものです。

とおっしゃる。

短歌には疎く短歌を詠むこともできないから専ら鑑賞するだけだけれど、「短歌は人が作るべき」とは思わない。
AIを含めて誰が作った歌であっても、自分が良いと感じる歌は良いと思う。

創ることに拘って生きてきて来たので、短歌ではないが、創る悦びも知っているけれど、「手作りであるべき」は作り手の都合(エゴ)だと思う。
人による創作を否定しているわけではないし、趣味や道楽ならばそれでよいのだけれど、鑑賞する側にとってはどうでも良いことだ。
創る側と鑑賞する側では価値観が異なる。

〇創作する人と鑑賞する人

短歌は創る人と鑑賞する人が分離していないように感じる。
芸術には、伝統的で様式が決まった伝統的な分野もあるし、大衆的で様式にとらわれない流行や前衛的な分野がある。
短歌は前者だ。俵万智氏の登場で随分大衆的になった感があるが、創作はもとより鑑賞の壁も高い。

短歌AIを使用することで短歌を詠むことの壁が低くなれば、鑑賞する人が増えて、歌謡曲やポップスのように多くの人が鑑賞できる短歌が増えるのではないだろうか。

そして、さらに大衆的な芸術に生まれ変わることができるのではないかと思う


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