思考の過程
「なぜ私のツイートは長くなるのか」考 篠原 信 Facebook (2024/11/20)
篠原信氏のツイートは論文のようだ。
研究者は、
「◯◯は◇◇である」という仮説を検証し、新たに生まれた仮説を検証する。
検証は、事実に基づくデータの分析や、検証済みの論説、実験で確認した事実により行う。
この過程を過程を言語化した文章が論文だ。
篠原信氏の投稿は、思考の過程を言語化・文章化されたものなので論文のように感じるのだろう。
論文のようだとはいえ、篠原信氏の説は公理や定理ではないから、無批判に肯定し無条件に受け入れるものではなく、結論に至る過程の検証は必要だ。
検証に必要な知識や思考能力の有無によらず、検証した上で受け入れる姿勢が必要だ。
要約や結論だけ求める人は思考の過程を検証する意思がないのだろう。
教育者は、
公理、定理、通説の解説や、これらを基にした解法を説明することが多い。
複雑な問題は、公理、定理、通説まで遡って説明すると時間が足りないので、どこかで「〇〇は◇◇と思いねえ」が登場する。
生来の捻くれ者で猜疑心が強いから「〇〇は◇◇と思いねえ」と説明されると、モヤっとしてしまう。
もちろん、「〇〇は◇◇と思いねえ」を一人で検証し理解できる頭の良い人はいる。
「〇〇は◇◇と思いねえ」を一人で検証し理解できない者が、理解に執着すると全体が理解できない。
また、「〇〇は◇◇と思いねえ」を無批判に受け入れ記憶した人の方が、テストで高得点を得ることができる。
つまり、学校教育では「〇〇は◇◇と思いねえ」を無批判に受け入れ記憶した方が良いようになっている。
詐欺師は、
直接「〇〇は◇◇と思いねえ」とは言わず、有名人の言葉や事実、数値を並べてミスリードする。
しつこく訊くと、最後には「〇〇は◇◇と思いねえ」が登場する。
世の中の問題は複雑なので、すべてを検証して理解することはできないのだけれど、「〇〇は◇◇と思いねえ」と言われたときに理解を試みる習慣があれば、詐欺師の口車に乗せられることがなくなるのではないだろうか。
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