シン読解力 <読んでもわからない子だった>
シン読解力 学力と人生を決めるもうひとつの読み方 新井紀子 東洋経済新報社
「AIvs教科書が読めない子供たち」に続く読む技術に関する本
読むことができる子は国語だけでなくすべての科目の成績が良いらしい。
新井紀子氏は学者らしくエビデンスを基に説明されているのは好感が持てる。
シン読解力
「知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書」を正確に読み解く力を「シン読解力」と定義し、国語教育で行われている、文学作品の解釈や行間を読むという従来の「読解力」とは異なることを明確にしている。
「AIvs教科書が読めない子供たち」に関する無意味な議論が多かったのだろう。
読めばわかる
教科書などは「読めばわかる」ように書かれているらしい。(断言しないのは読んでもわからないことがしばしばあったから^^;)
成績の良い人で「教科書しか読んでいない」という人は、「読んでわかった」人なのだろう。
「読めばわかる」という人は、「読んでもわからない」、「読めない」人がいることがわからない。
ほとんどの教師は「読んだらわかる」人たちだから、「読めない」子供たちの支援ができないのかもしれない。
その結果、読んでもわからない子供を分かるようにできないのではないか。
割合でつまづく
この本で小学生が割合計算でつまづくことが指摘されている。
ご多聞に漏れず、小学生のときに割合でつまづいて、理解できたのは中学生になってからだった。
「クラス全体の人数は〇人で、そのうち男子は△人です。男子の割合は何割ですか?」
のような問題は、小さい数を大きい数で割ると覚えて対応していた。
この解法では、
「去年の売り上げは◯円でした。今年の売り上げは△円でした。今年の売り上げは去年の何%でしょう」
のような、答えが100%を超える問題は答えられないことは、分かっていた。
割合の定義を理解しないで、安易な解法を覚えたことが原因だ。
定義を理解していなければ、問題を正確に読めても答えを導くことができない。
割合の定義は算数の教科書には小学4年生が読んだらわかるように書いてあるのだろう。
とすれば、小学4年の時の自分は「読んでもわからない子」だったのだろう。(ほかにも心当たりはある)
読み方のモード
この本に何問か例題があったので答えてみたら、1問間違えてしまった。 orz
未だに「読んでもわからない年寄り」だ。++)
問題に答えるための読み方は、エッセイやネットの記事を読んでいる時とは、モードが違うことに気が付いた。
リラックスして、エッセイやネットの記事を読んでいるときは、引っかかるキーワードを探している感じ。(リラックスモード)
問題に答えるための読み方は、問題を分解して、それを組み立てなおしている感じで、パズルを答えているときの感覚に似ている。(パズルモード)
小学校のころからパズルは好きだったから、小学校の自分に、教科書を読むときはパズルモードで読むようにアドバイスできたら、「読んだら分かる子」になれたかもしれない...集中力が続かないから難しいだろうな。
- AI vs. 教科書が読めない子どもたち <子供たちだけの問題ではない> (2018/04/04)
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