生成AIでスライド作成 <生成AIの前を走る>
毎年講演している、オンライン講座を収録した。
今年は、大部分のスライドをPowerPointのCopilotで作った。
作業効率は上がったのだが、講師の存在価値を考えることになった。
【結論を先に】
生成AIを使用すると、作業効率を上げることができたが、自分の存在価値に対する脅威だった。
存在価値を守るためには生成AIの先を走り続けるしかない。
【生成AIで作成】
講座の基礎や概論のプレゼンは後から使い回すことを考えて、PowerPointから動画を生成し、テキスト読み上げ機能でナレーションも入れておいた。
基礎や概論の読み上げ原稿をCopilotが作ると、過去に作成したスライドやドキュメントを参照してくれるので、大ハズレの文章は出てこない。新たに2つ用意したトピックの重要な部分は自分で書いた。
作業効率が格段に良くなったのは、生成AIを使うスキルが上がったのか、生成AIの能力が上がったのか?
おそらく両方だと思うが、生成AIの能力向上の方が大きくて速いと思う。
【間違いではないが、薄い】
Copilotが書いた原稿を読むと、間違いではないし、自分が書いたことがある内容だから、そこそこ良いのだけれど...
なんとなく...薄い。
自分が過去に書いた薄いドキュメントを、生成AIが参照した可能性はあるのだけれど、「薄く」感じる。
本当に伝えたいことは、自分で書いたので、そう感じるのかもしれない。
【講師の存在価値】
今回の収録はオンライン講座用だから、動画で公開される。
ならば、人間が喋らなくても、生成AIでスライドから動画を、ノートからナレーションを作成すれば良いのではないだろうか。
ナレーションだけでは寂しいならば、アバターに口パクさせたり、生成AIで写真から喋る動画を生成できる。
聴衆を前にして講演するならば、聴衆に合わせて内容や言葉を変えたり、脱線したりできる。
しかし、オンライン講座の動画コンテンツやEラーニングのコンテンツは、その場の空気に合わせて、変えることはできない。
とすれば、人間の講師の存在価値は何だろうか?
【生成AIでの文章作成】
生成AIでの文章作成を、入力となる基礎データの収集と、出力となる文章の生成に分けると、文章の生成には差はないから、差別化するならば、入力データだ。
入力データを、自動的に収集できるデータと、生成AIを使用する人(作成者)が入力するデータに分けると、作成者が変えられるのは、自ら入力するデータだ。
自分が書いた文章でも公開すれば、自動的に収集される。
公開しなくても、共有フォルダにあれば、生成AIは勝手に収集する。
つまり、データとして出力した知見は、生成Aに利用されるということだ。
【AIに学習される「過去の自分」】
逆に、基礎や概論の説明でも自分の経験や見解を含めることで、生成AIを使用しても他人には作成できない文章になる。
自分の体験や見解を含んだ文章でも公開されると、生成AIの収集対象、学習対象になることは、前述のとおりだ。
しかし、
過去に文章を書いたときから、今現在までに、新たな体験や新たな見解を持っているだろう。
それを、含めることで、生成AIを使用しても、他の人には作れない文章になると思う。
もし、それが無いなら、生成AIに代替される運命だ。
【生成AIに追われる】
コンテンツを公開すれば、生成AIの収集対象、学習対象になる。
講師の存在価値を守るためには、常に自分の体験や見解を含んだコンテンツを作り続けなくてはならない。
それは、生成AIに後ろから追いかけられているような感覚だ。
AIに淘汰されないためには、AIの先を走るしかないことを改めて実感した。
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