岐路に立つ <6年前の記事>
5年半前くらいに書いたまま、投稿していなかった記事を発見した。
60歳の定年を目前に転職した頃に書いた記事だ。
当時「3回目の心の定年」を迎えていて、再雇用で65歳までの5年間を「働かないオジサン」として生きるか、次のステージに進むか迷っていた。
「働かないオジサン」として生きたら、65歳で再雇用を終えたときに、再就職は難しく、70歳まで働ける仕事があるのかという危機感があった。
そして、考えた結果、定年の1年前に転職した。
幸いにも今は変革期だ。しかも、コロナ禍で変革が加速されている。
何か、自分にできる仕事があるだろう。
と自分を鼓舞していた。
この時の決断が正しいか、間違っているかを考えるのは無意味だ。
少なくとも「働かないオジサン」にはならないと決断した時点で、結果によらず正しいと思う。
過去はさておき、これから先の5年をどう働くかを考えよう。
【2028/08/08に書いた記事】
3回目の「こころの定年」を乗り越える
こころの定年は、楠木新氏の造語で、
- 「今やっていることが、誰の役に立っているのか分からない」
- 「成長している実感が得られない」
- 「このまま時間が流れていっていいのだろうか?」
など、「組織で働く意味に悩むこの状態」のことで、会社人生の前半戦と後半戦との切り替えの時期の、40歳過ぎに訪れるらしい。
「こころの定年」を迎える人には、
- メンタル不調を伴うタイプ
- 満たされない思いを抱えるタイプ
- 転職や独立を志向するタイプ
- 昇進ができずに立ち往生しているタイプ
があるらしく、「こころの定年」を迎え、社会人人生の前半と後半の働き方を変えられないと、「働かないおじさん」になるらしい。
これまで、2回の「こころの定年」を乗り切り、3回目の「こころの定年」を迎えていた。
1回目は働き方を変えない覚悟を決めて乗り越え、2回目は働き方をマネジメントに変えて乗り越えた。そして3回目はキャリアを変えるために転職することにした。
2回目の「こころの定年」の頃から恐れていたキーワードは「働かないオジサン」だ。 いつかは、「働かない」、「働けないオジサン」になるだろう。 しかし、自ら「働かないオジサン」を受け入れると悔いを残すことになる。 60歳を目前にルーキーに戻った。
25年前にインターネットが普及し始めた頃は、社会の大きな変革期だった。そして、この変化に対応する仕事は楽しかった。 安定期には、なんでも卒なくこなす者が重宝されるが、変革期には、何か取り柄があれば仕事はあるものだ。
幸いにも今は変革期だ。しかも、コロナ禍で変革が加速されている。
何か、自分にできる仕事があるだろう。
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