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2023年3月 7日 (火)

脳の闇

脳の闇 中野信子 新潮社

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中野信子氏は、前書きで

本書は表面だけ読んでもそれなりに読めるようにはしたつもりだが、本意は声にならない声を聴くことのできる人だけが読めるように書いた。

と読者に警告を与え、あとがきで

本書を理解することが困難な人がもしいたとしたら、あなたの知的水準がいまいちなのは私のせいではないので、どうかそのことだけはご理解いただきたい。

とどめを刺すのだが、もともと、行間は読めない性格だから、中野信子氏の本音はわからない。

「第七章 女であるということ」で田中みな実氏についての記述があって、ベタ褒めのように読める。

田中みな実氏は、アナウンサー時代に、アナウンスや司会進行技能よりも、容姿や所作で注目を浴びていた印象がある。
「あざとさ」が批判されることもあった。転職してからは「あざとさ」を止めて「ストイックさ」を感じる。
「あざとさ」が男性にウケ、「ストイックさ」が女性にウケているのは、女性としての容姿を活かした戦略なのだろう。(と中野信子氏は思っている)(のではないかと思う。)

一方、中野信子氏は研究者だ。研究者は性別に関係なく研究成果や論文で評価されるべきだ。
ところが世間は、職業にかかわらず、先ず性別ありきで評価する。

中野信子氏は

女には二つの選択肢がある。女であることを感じさせないように生きる回避的な方法と、テストステロンが充満している男たちの、女への視線を利用する戦略。

とおっしゃる。
前者は、キューリー夫人や中野信子氏自身で、後者は田中みな実氏であろうことはわかる。
しかし、表面をそれらなりに読んだだけでは、この章の結論が分からない。知的水準がいまいちなのだろう。

そうそう、知的水準がいまいちなのは中野信子氏のせいではない。


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2022年11月12日 (土)

マイクロソフト 再始動する最強企業

マイクロソフト 再始動する最強企業 上阪 徹 ダイヤモンド社

Microsoft


MSの人と話す機会があった。
とある中央省庁の偉い人に、良かれと思い人材交流の提案をしたら、規則があって簡単ではないことを懇々と説教されたのだそうだ。
さもありなん!と思ったのだが、後からMSはそんな会社だったのか?と思い、この本を読んでみた。

MSはパソコン(昔はマイコンといった)が16Bitになったとき、OSの覇権争いをしている頃から知っている。
そして、競合するソフトや会社をを次々と潰すことで拡大した会社で、「帝国」のイメージだ。

おそらく、某中央省庁の偉い人もそのイメージがあったのではないだろうか。

ところで

1年前からM365を使っている職場で「ほぼ1人情シス」をやっている。M365を使って分かったことは、MSはOSやアプリを売る会社ではなく、クラウド・サービスの会社だということ。

今でも、OS(Windows)やOfficeは売ってはいるが、Windows10、11は無償でアップグレードできるし、Office Onlineは無償だ。
まだまだ、Windows、Word、Excel、PowerPointは手放せない。しかし、これらの、OSやOfficeソフトよりTeamsやSharePointが中心になっているということだ。

Office Online版

Office Online版はブラウザで動くので、OSは Windowsでなくてよい。
Intuneを使うとWindowsだけでなく、iOS、Androidデバイスを管理することができる。MSはWindowsにこだわっていないように見える。

昔は、
データは個々のPCにあった。
ネットワークが使えるようになったころから、オンプレのファイルサーバーを置いて共有していた。
ファイルサーバーは、ストレージ(ファイル置き場)だから、データを加工したり、新しいデータを創るためには、ファイルをPCにダウンロードして、PCにインストールしたアプリを使う必要があった。

今時は、
データはクラウドにあって、データの処理はクラウド側で行われる。
オンライン版のアプリはUIだ。

オンライン版のアプリは、デスクトップ版のアプリ同じようなUIなので、昔の感覚の人は、つい、アプリの機能に着目しがちだ。
データと処理の実態がクラウドにあることで、新しい価値を生み出せるこ、新しい働き方ができることに気づいていないのかもしれない。

MSは、新しい価値を生み出せること、新しい働き方を提供・提案する会社になったということのようだ。


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2022年11月 3日 (木)

その幸運は偶然ではないんです!

その幸運は偶然ではないんです!

著:J・D・クランボルツ A・S・レヴィン
訳:花田光世・大木紀子・宮地夕紀子
ダイヤモンド社

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自治体を進化させる公務員の新改善力 (2022/10/23)」で「計画された偶然」、や「計画的偶発性理論」と訳されるプランドハップンスタンス(Planned Happenstance)理論を知った。
興味が湧いたので、この本を読んでみた。

偶然幸運を掴んだ人の事例がこれでもかと、掲載されれている。
事例自体は真似ようが無い。
キモは

  • 将来何になるか、決める必要はない
  • 想定外の出来事があなたのキャリアに影響を及ぼすことは避けられない。
  • 現実は、あなたが考える以上の選択肢を提供しているかもしれない。
  • いろいろな活動に参加して、好きなこと・嫌嫌いなことを発見する。
  • 間違いを犯し、失敗を経験しよう。
  • 想定外の幸運な出来事をつくりだそう。
  • どんな経験も学びへの道。
  • 仕事以外でも満足感を得られる活動に携わる。

らしい。

計画通りにならなくて、失敗することもあるけど、めげない。
計画にない、意図しない幸運が舞い込んで来たら、とりあえず乗っておけ!
ということだろうか。

最近の若者は失敗を恐れて挑戦しないと年寄りは嘆くが、挑戦しないのは年寄りも同じだ。
定年を前に転職した時に、かなり悩んだ。
しかし、転職してみれば、何故あんなに悩んだのだろうと思う。

転職したことがある娘曰く「1回転職すると、大したことじゃないと思うよね」と。
同感だ。転職する前は人生最大の決断のように感じるけれど、転職してみると大したことではない。
固定観念に囚われいるのだと思う。

「計画された偶然」は一見矛盾しているように感じる。
人生に訪れる幸運は偶然だけれど、宝くじに当たるような低確率ではなく、かなり高い確率で訪れるのだと思う。
(毎週とか毎日レベル)

しかし、訪れた幸運は目に見えないので、意識しないとその幸運に気がつかないし、幸運を掴むことができない。
小さな小運を掴むと、わらしべ長者のように次々と大きな幸運を掴むことができるのだと思う。

「果報は寝て待て」は的を射ている。昔の人は能く言ったものだ。
しかし、道徳的には「成功は努力と引き換えに得るもの」が麗しいとされ、固定観念化している。そして、偶然を当てにするのは背徳感がある。

「計画的偶発性理論」の偶然は「今より少しだけ良い方向に進むきっかけ」と考えたら良いのだと思う。
そして、その効果は足し算ではなく掛け算だ。つまり、偶然の幸運は掴めば掴むほど大きくなる。

同じ思考、行動で毎日同じように過ごしていると、偶然の幸運に気がつかないが、昨日とは違うことを始めると、偶然の幸運に気付くことができ。これが「計画的」ということだろう。


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2022年10月31日 (月)

チーズはどこへ消えた?(7)

チーズはどこへ消えた?
著 スペンサー・ジョンソン
訳 門田美鈴
扶桑社

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チーズステーションを出ることを教えてくれた本。

登場人物?は2匹の鼠と2人の小人。
鼠は単純で、本能的、行動的、小人は、複雑で思慮深く保守的。
2匹と2人にとって重要なチーズがあるチーズステーションから、突然チーズが消えた時の、小人の葛藤を描いている。

変化とは、何かを失うことだと思っていたのが、何かを得ることなのだ

は、コロナ禍以降よく聞かれるようになった。
でも、多くの人は信じていないのではないだろうか?
ひょっとしたら、何も失うことなく、何かを得ることができると思っているのだろうか?
おそらく、それは無理だ。

住み慣れたチーズステーションを出ようとすると恐怖を感じる。
「無理して危ないことをしなくても...」という悪魔の囁きも聞こえてくる。

チーズステーションを出ようと決心した時に、その理由を一生懸命考えてそれなりの答えを用意していた。
それは、必ず問われるであろう「なぜチーズステーションをでるの?」という問いに、それなりに答えるためでもあったが、
恐怖心から逃れようとしていたのかもしれない。

この恐怖は自分で乗り越えるしか無いのだと思う。
そして、恐怖を乗り越えると、

ホーは恐怖に捕らわれていたのを悟った。新しい方向に踏み出したことで、解放されたのだ

本当にこのような感覚になる。

経験では、実際に、チーズステーションを出てみたら、路頭に迷うこともなく新しいチーズステーションが見つかった。
コロナ禍以降、社会が変わろうとしている。
変わることへの恐怖を乗り越える経験や、乗り越える方法を知っていれば、たいていの変化には対応できると思う。

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2年前の自分に助言するなら、↑は正しかった。



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2022年10月28日 (金)

自治体を進化させる公務員の新改善力(2)

自治体を進化させる公務員の新改善力 元吉由紀子 公職研

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自治体を進化させる公務員の新改善力」の感想を書いた。
では、年寄りは何をすればよいのだろうか?
もうリタイアしたとか、改善活動の主役ではではないからと、第三者的な立ち位置で良いのだろうかと考えた。

昭和という時代はかなり先の未来まで予測可能可能だった。
そんな時代に働いて、還暦を過ぎたところだ。
戦前、戦後、高度成長時代に働いていた世代も、将来は予測できなかったのではないだろうか。
未来が予測できたのは、成長が右肩上がりから右肩下がりに変わる時代だったのかもしれない。

未来が予測可能であれば、予測からずれた部分を修正する「改善」でよかった。
ところが、予測からのずれが大きくなり、もはや予測できない時代になると「改善」では対応できない。「革新」が必要になる。
「改善」の先に「革新」があるわけではないから、「改善」を積み重ねても「革新」には繋がらないのだ。

コロナ禍で働き方が「革新」された職場もあれば、「改善」も難しい職場もある。
「改善」も難しい職場では、ビデオ会議で表示される画面上の場所にこだわったり、上司より先に接続を切っては失礼とかにこだわって「改善」している。

これまでの「改善」の成功事例は、この先のVUCA時代も有効な手段なのだろうか?
ビデオ会議で役職順に画面に表示するくらいの「改善」ではないのか?

若い人たちが、VUCA時代の変化に対応する方法がわからないのは、しかたのないことだろう。
では、年寄りは、VUCA時代の変化に対応する方法を知っているのだろうか?
若い人たちも年寄りも同じようにわからないのではないだろうか?
と思う。

年寄りが持っているものは経験だけだろう。
その[過去の]経験は、そのまま[未来」に適用することはできない。環境が違いすぎるから。
役所の中は変わっていないくても社会の情勢は大きく変わっているのだ。

年寄りがなすべきことは、経験を抽象化、一般化することだろう。
抽象化、一般化すれば、次世代が参考にできる知恵になる。

革新活動の主体は若者だ。
年寄りは、改善活動経験者、第三者ではなく、革新活動の当事者となる気概が必要だと思う。


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2022年10月23日 (日)

自治体を進化させる公務員の新改善力

自治体を進化させる公務員の新改善力 元吉由紀子 公職研

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自治体改善マネジメント研究会を主宰される元吉由紀子氏のが上梓されたと伺ったので読んでみた。

書評は書かないことにしている。ただの感想文。

〇 改善と革新

12

「改善活動の12場面」は、変革レベルを「不具合解消」「改善」「革新」に、活動ステージを「個人」「職場」「役所全体」「対住民・地域」に分けて、活動をプロットすることで改善活動が見える化できる。

「改革」という言葉は曖昧に使われている。特に「改善」と「改革」は差が分からない。
この本では、「改善」と「革新」という言葉を使って区別している。

「不具合解消」→「改善」→「革新」にレベルが上がるところで壁がある。
経験では、「改善」→「革新」の壁が大きい。

「改善」と「革新」は大きく異なる。
「改善」は現状を肯定するところから始まり、現在と未来は連続している。
「革新」は現状を肯定するところから始まり、現在と未来は連続していない。
だから、考え方が根本的に異なるし、改善の延長では「革新」はできない。

「改善」と「革新」の差は、極論すれば、自分の仕事、自分の職場がなくなることが有るか無いかの差だろう。
「改善」は成果が上がったとしても、自分の仕事、ましてや自分の職場がなくなることは想定していない。
ところが、「革新」は、あるべき姿に立ち戻り、社会的、技術的な現状を考慮して今後の組織や業務を考えるから、自分の仕事や自分の職場が無くなる可能性がある。
ちょっと前に「AIやロボットで無くなる仕事」が話題になったけれど、あれはAIによる「革新」だ。

「革新」で無くならない仕事をしている人はを推進しやすいけれど、無くなる仕事をしている人とは確執が生まれ、無くなる仕事をしている人は「革新」の抵抗勢力になる。(仕方のないことだ)

革新が起こると、なくなる仕事がある一方で新しい仕事が生まれる。
本当に「革新」に取り組める人は、自分の仕事がなくなっても、新しく生まれる仕事ができる自信と覚悟がある人だろう。

〇 キャリアプラン

役所の人事は個人の希望が聞き入れられないことが多い。
しかも希望通りにになっても、ならなくても、説明(フィードバック)が無いことも多い。
だから、自らキャリアを設計することが難しい。(そして、歳をとって困る)
不確実な時代では、自らキャリア設計ができないのは、泥舟か豪華客船かわからない船に身を任せているようなものだ。
(乗り込んだときは豪華客船だと思ったのに気が付いたら沈みかけているとか...)

元吉由紀子氏は

政策分野に関わらないもう一つのキャリアとして「新しい環境変化に対応して新しい仕事を作り出したり仕事や仕事のやり方を変えていく、政策を推進していく力(進化力)」を設定するのです。それによって、これまでのどの政策分野の仕事であっても、経験が生かされることが多分にあることが見えてくるはずです。

とおっしゃる。これは新しい切り口だ。

でも、「進化力」だけでキャリアを考えるのは難しいような気がする。

https://www.manpowergroup.jp/column/career/140620_01.html

によると、キャリアを構成する要素は

  • 1つ目は、「技術・知識を示す経験」
  • 2つ目は「転職回数や社格など含めた転職履歴」
  • 3つ目は「日本特有の判断基準である年齢」
  • 4つ目は「人となりを表す考え方・人間性」
  • 5つ目は「外的要因である景況感とトレンド」

らしい。

3)年齢、5)外的要因は自分では変えることができないが、1)知識・技術、4)人となりは自分で変えることができる。

1)知識・技術は業種(役所では政策分野)と関連が強い。ところが、役所では自ら選択することできない。
一方、「進化力」に相当する 4)人となりは自分で変えることができるから、「進化力」でキャリアを設計しようということだろうか。

キャリアを構成する5項目全てをハイレベルにすることは難しいから、どの項目に注力するかは人それぞれだ。(昔は押し付けられたけど)
それが、個人に合わせたキャリアプランなのだろう。

最初から公務員になろうと思っていた人は、業種や政策分野にそこまでこだわりがないのかもしれない。
こだわりがなければ、「改善活動の12場面」へのプロットがキャリアプランに使えるかもしれない。

40歳の頃、将来のキャリアを考える中で、ありたい自分を散々考えて辿り着いたのは、
「技術で食っていく。そしてその技術が人様の役に立ったら良いなあ」
だった。
技術者としてのキャリアにこだわってきたので、職種や政策分野を抜きにしてキャリアを考えることはできない。
行政職の技術者はマイノリティだ。しかも、専門性にこだわると生きにくい...

〇 DX
ICT業界のバズワードはDXだ。
「改善活動の12場面」の変革レベルはDXに似ている。
DXはデジタル技術を活用して新しい価値を創造することだから、革新レベルの「革新」に相当する。
ところが、「DX」という言葉が一人歩きしていて、デジタル技術を使った不具合解決もDXと呼ばれている。
不具合解決や改善が改革と呼ばれることに似ている。

DXは、企業にだけではなく、自治体も中央省庁にも共通する経営課題だ。
DXは、デジタル技術の知見があれば実現できるわけではなく、業務改革や風土改革、働き方改革が必要になる。

DXに必要な能力は

  • デジタル技術
  • 業務に関する知識・技能
  • 「進化力」

だろう。

3つの能力を全て兼ね備えた人はいないから、1つでも能力を持ったメンバーを集めてることになる。
そこで、「進化力」とデジタル技術、「進化力」と業務の知識・技能のように2の能力を持っていれば、チームを集めやすくなるだろう。
(集められやすい...)

デジタル技術、業務に関する知識・技能は専門的な能力だけど「進化力」は汎用的な能力だ。
汎用的な能力は重要ということだろうか。


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2022年10月17日 (月)

独立思考

組織や前例に縛られず、自分で考えて答えを出す独立思考 山本大平 朝日新聞出版

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ビジネス書オタクだからかもしれないのだけれど、どこかで読んだことがある内容だ。
すぐ使えるように纏めてあると考えれば良いのかもしれない。

山本太平氏は

当たり前ですが、法律や人の道を外れなければ、すでに確立されたやり方に沿う必要はありません。

とおっしゃる。

確立されたやり方は、合理的だったり効率的だったりする。
ただし、今でも合理的・効率的とは限らない。
科学・技術は進歩しているから、昔、合理的・効率的だったやり方は、今もっと合理的、もっと効率的なやり方があるだろう。
それなのに、いつしかそのやり方は変えてはならないものになってしまい、そして、ついには誰も疑わなくなる。
そんな、やり方が今の日本にはたくさんある。

また、山本大平氏は、次のような問題を例に常識を疑うことが重要だとおっしゃる。

次の2つの話のうち、正しいのはどちらの話でしょうか。
  ① 太陽の位置が変われば時間が進む
  ② 時間が経てば太陽の位置が変わる


地球の自転が止まった場合を考えると、2つとも間違っているとおっしゃるのだが、地球は公転しているので、自転が止まったとしても地球から見た太陽の位置は変わる。
太陽の位置が変わらないのは、月のように公転周期と自転周期が同じ場合だ。

本に書いてある答えも疑わなくてはならないということだろう。


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2022年7月25日 (月)

はやぶさ2のプロジェクトマネジャーは なぜ「無駄」を大切にしたのか

はやぶさ2のプロジェクトマネジャーは なぜ「無駄」を大切にしたのか? 津田雄一 朝日新聞出版

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成長とマネジメント

〇メンバーの成長

メンバーを成長させるために、トレーニングは不可欠だ、

仕事を離れて学ぶ機会(Off-JT)は貴重だ。失敗が許されるから、初心者や技能が足ない者が経験を積むことができる。

一方実業務では致命的な失敗は許されないし、小さな失敗も無くそうと考えるのが自然だ。だから、失敗が少ない人が担当する。
そうすると、失敗が少なくなるが、他の人は失敗が多いまま成長しない。
そして、1人に負荷が集中し、熟練者の代わりがいなくなり、大きなリスクを抱えることになる。

実業務を通して学ぶ(On-JT)を行う場合は、失敗を想定して、失敗の許容範囲を広げることが必要になる。失敗を想定していれば予めリカバーの準備ができる。
負荷は分散し、担当者が何かの要因でいなくなったとしてもカバーできる。


〇マネジメント

欧米発のマネジメント論を読むと、システマティックでわかり良い。
日本のマネジメント論は、忖度、気合いと根性、高邁なリーダーで分かりにくい。

欧米のマネジメントはレシピだから、レシピどおりに実行すればそこそこの成果が上げられる。
メンバーの能力をどこまで引き出せるかはマネジャーの能力次第だが、100%以上引き出すのはかなり難しい。

能力の高いメンバーを集めることが重要だ。そして、能力の評価、成果の評価を標準化して、低評価者を入れ替えて、メンバーの能力を維持する。
メンバーを選ぶときに多くの候補者から選択できることが重要だから、流動的な労働市場があって、自由に労働力を調達できる環境が前提だ。
ところが、メンバーの選択肢がなかったり、簡単に入れ替えることができない場合はこのマネジメント手法は使えない。

日本のように、労働市場の流動性が低かったり、ようやくメンバーを集めたような社内プロジェクトなどでは、メンバーが100%以上の能力を発揮するマネジメントが必要になってくる。
100%以上の成果を残す簡単な方法は、長時間労働だけど、恒常的になるようだとマネジメントが崩壊している。

〇再びメンバーの成長

メンバーが成長すれば、当初の能力の100%を超えることができる。

能力を獲得したり向上するする時期(インプット)と、その能力を発揮して成果を上げる時期(アウトプット)がある。
マネジャーがインプットに関与しないマネジメントでは、メンバーはなかなか成長しない。

当初の能力を超える能力を発揮できるためには、マネジャーがインプットまで関与するマネジメントが必要だ。
短期的には、成果に直結しないけれど、メンバーは成長できる。
これがこの本でいう「無駄」だろう。

〇無駄

「無駄」を許容するマネジメントは、結構勇気が必要だ。それができたのは、津田雄一氏の資質によるところが大きいのだろう。
そして、それを見守る年寄りも相応の覚悟があったのではないだろうか。JAXAが津田雄一氏を育てようとしているのかもしれない。

年寄りは、出しゃばらず次の世代に任せること。


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2022年7月13日 (水)

闘うプログラマー

闘うプログラマー 著:G・パスカル・ザカリー 訳:山岡洋一 日経BP社

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デビット・カトラー氏がWindows NTを作ったお話。
当時、MicrosoftがDECからVMSを作ったデビット・カトラー氏を引き抜いたニュースは目にしていた。
移り変わりが早いコンピュータ業界で、デビット・カトラー氏は既に大物だった。
コンピュータ業界に限らず大物を引き抜いて失敗することはよくあることだ。
マイクロソフトのような若い企業と、終わった感があったVMSの組み合わせは違和感があった。
だから、成功しないだろうと見ていた。

当時はダウンサイジングの時代で、汎用機、ミニコンからUNIIXにシフトしていたから、サバー用OSを持っていないMicrosoftにとっては社運をかけた事業だったのだろう。

結果的には、NTはリリースされ、Windowsの皮を被ってやってきた。情シス部門にいたときには NTに手を焼いたのでNTを使いたくなかった。それでも、結局、UNIXワークステーションを駆逐した。
そして、駆逐できなかったLinuxに市場を奪われたが、しぶとく生き残っている。

引っかかったのところは

小さな組織はいかに鋭敏であったとしても、必要な人材をあつめることも、資源を動員することもできない

技術者の世界では、チームは個々人の仕事の価値を保証するものである。

  • 大量のリソースが必要なら、大きな組織が必要
  • 創造的な仕事では多様性を、保つチームワークが必要

ということだろうか。

これくらいの大きなプロジェクトになると、Microsoftくらい体力がなければ続けることは難しいだろう。

容赦なく能力で評価すれば、否応なく多様になる。
とくに、プログラミンングの世界では、優秀さは国籍、人種、性別、信条、学歴とは無関係だ。

能力第一で評価すると、猛獣のようなメンバーが集まってくるから、メンバーを統率するリーダに不可欠な要素は能力だ。
組織の器はリーダの器と同じと言われる。カトラーだからこそ能力が高いメンバーを集められたのかもしれない。

ところが、PHDを持った者の方が優秀だという信念を持っている者がマネージャになると、優秀さではない要素でヒエラルキーができる。そして、ヒエラルキーは拡大し組織は官僚的になる。
マイクロソフトも例外ではなく、この本に出てくるCairoプロジェクトは頓挫している。

ふと、わが国のデジタル庁はどうかと考えた。
デジタル庁の案件はどれも国家規模の大きな案件だから、デジタル庁でなければなし遂げられないだろう。
ところが、残念ながら官僚的だ。
優秀な、アーキテクトやプログラマーを統率できるリーダがいるのか、プロジェクトメンバーと官僚と橋渡しができる官僚がいるのか?

厳しそうだ。最初からわかっていたことではあるけれど。


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2022年6月23日 (木)

キラッキラの君になるために

キラッキラの君になるために 小林さやか 

ビリギャル」の著書は塾講師坪田信貴氏で、この本の著者はその主人公小林さやか氏だ。

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電子書籍化されていないので、Bookoff Onlineで買った。

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なんとサイン本じゃないか。
前の持ち主は、サインをもらったけどブックオフで売ってしまったんだろうな。
ブックオフは直筆サインでも、落書き扱いだから安かった。

小林さやか氏のTwitterによると

らしい。

試験や大学について、小林さやか氏は

試験に頼らない生き方は、「死ぬほどの努力+運とセンス」がないと生きていけない。試験に受かるよりも何倍も厳しい世界だ(と、思う。やったことないから、わかんないんだ けど)。
それでも、これで食っていきたい!と思えるものがあるって、超恵まれてる。私、そういう人にすごく憧れる。そういう人は、相当な覚悟が必要だけど、その覚悟ができるくらいのものがあるなら、勉強なんてしてる時間あったらそっちに費やしたほうがいい。

そして、

でも、私みたいにそういうものがなにもない人は、「いい大学に頑張って入る」と いう選択肢は、自分の世界を大きく広げてくれる、確実で手っ取り早い方法のひとつだと思う

とおっしゃる。

それも一つの生き方だ。
経験では、これで食っていきたいと考えるには「相当の覚悟」は必要ないと思う。
しかし、「普通の覚悟」は必要だ。
「いい大学に頑張って入る」と いう選択肢は、覚悟を先延ばしにすることなのだろう。
別に悪いわけではない、いつか覚悟しなければならないのだから。

環境で覚悟せざるを得ないこともあるし、自ら決心して覚悟を決めることもあるだろう。いずれにしても生きていくうえで覚悟は必要だと思う。

小林さやか氏は入試の後の人生で覚悟を極められたのではないだろうか。

###

前々職は技術系の公務員だった。昔は、高校卒Ⅲ種、専門学校、高専、工業大学、有名私学、国立大学と学歴に多様性があった。
そしてそれぞれ、覚悟した時期が異なるようで、就職する前から覚悟している人もいれば、未だに覚悟ができていない人もいた。
学歴によらず、覚悟している人の方が仕事ができることが多かった。

最近は、大卒Ⅱ種を採用するようになったので多様性がなくなった、そして学歴、出身校によらず覚悟していない人が増えている。

マネジメント的には、覚悟できていない人が増えたら、技術力の低下などの変化が現れた。組織の技術力は学歴とは関係は無いようだ。
つまり、覚悟できていない人を採用するならば組織な対応が必要だということだろう。


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