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2023年7月30日 (日)

仕事がなくなる! <その成功例に普遍性はあるのか?>

仕事がなくなる! 丹羽宇一郎 株式会社幻冬舎

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長く生きていると数えきれないくらいの失敗を経験する。それは成功の数とは比較にならないくらい多い。

成功者は、失敗を分類、分析、一般化して失敗しないようにしているのではないだろうか。
多くの失敗を試行錯誤で克服して成功した場合、多くの失敗と1回の成功を経験することになる。
他人の参考になるのは、多くの失敗と失敗を克服した過程だ。

ところが、成功者は、自分に特有のしかも少ない経験を、一般論化して普遍性があるかのように語りがちだ。
しかも、何十年も前の成功体験が環境が変わった現在でも普遍性があるかのように語ってしまう。

そして、多くの人は成功者のわずかな成功例に着目しがちだ。
それが、数少ない成功例が巧みに一般論化してあっても参考にしてしまう。
人は、辛い思いをした失敗体験より、成功体験を語りたがるものだから、受け取る側が取捨選択しなければならないのだろう。

この本で引っかかったのは、

今後は、マニュアルに沿ってなされる仕事はすべて、AIが行うようになります。どれだけ仕事に自分の気持ちを込められるか、どうすれば顧客を感動させられるか。そのようなことを真剣に考えて、主体的に取り組まない限り、今の仕事を続けることはできなくなるでしょう。
 脅すつもりはありませんが、

の部分。

直感的には正しいような気もするが、よく考えると、昭和の高度成長時代に一般的だった、終身雇用と所得は増加するという前提に依存しているような気がする。

話は変わるが、
かなり前に、マクドナルドは「笑顔0円」というCMを流していた。
自分の行動様式を思い出してみると、笑顔の店員さんがいる店を選ぶ可能性はかなり高い。
つまり、対面での接客では、笑顔はかなりの価値があると思う。

ところが、その価値の対価は支払われないのである。
笑顔がすてきなマクドナルドのバイトさんの方が時給がが高いという噂は聞いたことがない。

マクドナルドに限ったことではなく、日本の社会全体に言えることだが、目に見えない価値に対価を支払わない。
「お客さまは神様」とか「お値段以上」などのスローガンはほぼ、社員の目に見えない価値を売り物にしながら、その価値に対価を支払っていない。

では、従業員はなぜ対価が支払われない価値を提供してきたのだろうか?
それは、昔は終身雇用と所得は増加するという社会背景があったからだろう。
おなじ職場で長く働けば、「笑顔」の対価を回収することができるだろう。
しかも、昭和の高度成長時代、バブルの時代には、評価によらず給料が増えていた。

つまり、
古き良き時代には、直ちに「笑顔」の対価が支払われなくても、長期的に回収することができたのだ。

ところが、浅ましい経営者は、それを短期雇用の従業員に求めるようになった。
長期雇用なら対価が回収できる価値を短期雇用に求めるのは、搾取だ。

また、

その人にとってコスパやタイパはよくなくとも、達成感や満足度が高く、社会の役に立つことは、いくらでもあるからです

とタイパやコスパに拘るべきでないとおっしゃる。
確かに、古き良き時代にはタイパやコスパに拘らない生き方ができた。
しかし、古き良き時代社会背景を前提にした、成功例が、AI時代に適用できるのだろうか?

成功した経営者は、
若い人、雇用される人に対して、今の時代でも普遍性がある成功の秘訣を伝えてほしい。
古き良き時代社会背景を前提にした働き方で幸福になると伝えるのはミスリードだ。

また、
現役の経営者にむけて、時代背景が変わっても、目に見えない価値に対価が支払われる社会、タイパやコスパにこだわらない働き方ができる社会、を実現する極意を伝えてほしい。


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2023年7月19日 (水)

読書感想文 <読書感想文用に作ってしまえ>

「夜のピクニック」読書感想文をプロが書いた結果
書評家・三宅香帆さんが課題図書の定番に挑戦
三宅 香帆 東洋経済 (2023/07/09)

三宅 香帆 氏は、褒められる読書感想文を書く方法として

① 自分の嫌いなモノについて書いた本を選ぶ
② その本を読んで「嫌いだったモノが、好きになった」内容の感想文を書く

を勧めておられる。

なるほど、自分が好きな内容は共感したり感動したりするが、なかなか文章にできない。
嫌いな内容は、批判的に読むので、文書化しやすいのかもしれない。

子供の頃、読書感想文は苦手だった。
子供の頃この方法を知っていたらどうだろうか?

嫌いな内容の本はそもそも手に取らないし、最後まで読めないと思う。

閑話休題

誰でも簡単に「褒められる読書感想文」を書ける手法があります。

は、キャッチーだ。
更に

読書感想文とは、「この本を読んで、私はこう変わりました」と言えばいいジャンルの作文だから。

とおっしゃる。
更に畳み掛ける

しかし、なかなか読書して良い人間に変わる体験なんて、めったにあるものではありません。ならば、読書感想文用に作ってしまえばいいのです。

三宅 香帆氏は、読書感想文は感想を書く必要はなくて、先生の好むパターンで書けば良いとおっしゃる。

痛快だ。

三宅 香帆氏はこの記事を子供達ではなく、大人向けて書いているのだろう。
だから、子供達に対する裏ワザ指南ではない。
この記事の冒頭の感想文に込められた、本当の感想は、

本を読んだくらいで、嫌いな運動が好きになるわけがない。

ではないだろうか。

本来本を読んだ感想は自由だ。
他人の感想に優劣を付けるなど、思い上がりも甚だしい。
というのは自分の意見だけど。


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2023年6月 7日 (水)

トビウオが飛ぶとき

トビウオが飛ぶとき 桑原亮子 株式会社KADOKAWA

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NHKの連続テレビ小説「舞いあがれ」の脚本を書いた桑原亮子氏の歌集。
ドラマの中で、重要な役割を果たした歌や、登場人物が詠んだ歌が収録されている。
すべて、桑原亮子氏の作品らしい。

俵万智氏が解説を寄せている、NHKのあさイチに出演した際にも同じことを言っていた。
脚本家の桑原亮子氏は登場人物がその場面で詠むであろう歌が詠める紫式部のような人らしい。

ところで、
写真がカメラでこの世のある一瞬を切り取るように、短歌もある一瞬を31文字で切り取るのだろう。
短歌は言葉を使うので、その一瞬の心情まで切り取ることができる。

写真も短歌も、それを見たり読んだりした人が心を動かされるのは、同じような景色を見た経験同じような体験から、その時の心が動かされたことを思い出すからではないだろうか。

写真の被写体は実際に存在しているが、小説は必ずしも事実や実体験でなくフィクションでよい。
フィクションかノンフィクションかが問題ではない。感じるのは読者だから。

短歌も同じようにノンフィクションでなくてよいと、この歌集を読んで分かった。


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2023年4月30日 (日)

IT素人を説得する技術 <ヘルプデスクはコミュニケーションの仕事>

IT素人を説得する技術
〜相手を説得し納得させるエバンジェライズ(伝道)の極意
黒音こなみ
株式会社シーアンドアール研究所

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黒音こなみ氏のプロフィールのよると、カスタマーサポートと情報システム部門で社内外でIT関連の問い合わせに対応してきたらしい。
そして、

ヘルプデスクはコミュニケーションの仕事だ。

とおっしゃる。
IT素人と関わる人に伝えたい十か条は

IT素人と関わる人に伝えたい十か条
 一、 はじめの一歩は、助けが必要
 二、 専門用語は、まず説明から
 三、 あなたが怒ると、相手も怒る
 四、 きっと、一度には覚えきれない
 五、 きっと、一回では覚えられない
 六、 やり方を押し付けるより、やりやすい方法を探してみる
 七、 万能ではないけれど、便利だと伝える
 八、 便利と一緒に、危険も伝える
 九、 あなたが我慢するのは、解決ではない
 十、 みんな、最初はIT素人

らしい。
時にヘルプデスクとして質問を受け、時にメーカーのヘルプデスクに質問する立場だから、どちらの気持ちももっともだと思う。

昔、技術部門で仕事をしていたときは、ユーザから技術的な質問を受けることがあった。
専業ヘルプデスクでなかったので、この本に書いてあるような素人からの質問に辟易し、ぞんざいな対応をしていたように思う。

質問されたことに答えるのではなく、質問者と一緒に問題を解決するようにすると、うまくいくことは多くなるのだが、どうしても、うまくいかなことがある。
質問者の目的は、不具合を解消することではなくて、自分の業務を遂行すること、目的を叶えることだ。
しかし、質問者とヘルプデスクが同じ会社にあれば、最終的な目的は同じ(はず)だ。そこから始めると、円滑なコミュニケーションのはずだ...
ヘルプデスク業務を外注している場合、ヘルプデスクの業務は質問者の不具合を解消することだから、ゴールが違うことはよくある。

ユーザがいつも使えているサービスや機器がいきなり使えなくなるとかなりのストレスを感じる。
だからだろうか、ヘルプデスクや情シスへの相談は、大半が通常の精神状態ではないようだ。

理性的な人は、早く復旧させたいと思っているので、コミュニケーションに困ることはないのだが、理性を失った人は、受話器越しにイライラが溢れる話し方なので、冷静なコミュニケーションを始めるまでに手間取ってしまう。

メーカーやプロバイダーなどの相談窓口に電話すると、流石にプロの対応は違うと感じる。
資料やFAQが整理されているのだろう、オペレータ個人の技術力に頼らない仕組みがあるのだろう。
気を効かせて、エラーメッセージや初期診断など必要と思われることを調べて、電話するのだが、素人に聞くような質問が続くと、つい、「それはも調べたヨ!」と思ってしまう。
しかし、オペレータにしてみれば、電話をかけてきた人が、社内のヘルプデスク担当なのか、IT素人なのかは分からないから仕方がない。

効率よく解決するには、オペレータに主導権を渡すことだ。
調べたことを全て、一気に伝えようとしてはいけない。
尋ねられたことを的確に返すと効率が良い。プロの仕事に触れると、不具合のストレスを忘れて清々しささえ感じる。

ヘルプデスクでも質問者でも、良好なコミュニケーションに心がけよう。


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2023年4月 9日 (日)

「置かれた場所で咲きなさい」に共感する人たち <置かれた場所から一歩踏み出そう>

「置かれた場所で咲きなさい」と言うリーダーは無責任 必要なのは「便所のネズミ」話 GLOBE+ 桃野泰徳  (2022/08/06)

「置かれた場所で咲きなさい」この言葉は人それぞれの価値観や置かれた状況によって様々な解釈がある。
渡辺和子氏の著書がこれだけ売れているところを見ると、共感する人が多いのだろう。

Photo 

著者の渡辺和子氏はキリスト教の聖職者でその言葉の解釈は著書のとおりだ。聖職者としての覚悟がある。

この言葉は、雇用する側、管理者にとって都合の良い言葉だ、労働環境や生活環境に起因する問題があっても、不便や不利益を被る側に我慢や努力を求めることができる。
だから、経営者や管理者がこの言葉を使うと、胡散臭さを感じる。

この言葉を使うリーダーは無責任と断じる桃野泰徳氏は経営者で雇用する側だから便利な言葉だ。
しかし、この言葉の使用を真っ向から否定する。
経営者として、便利な言葉に安易に頼らない覚悟を感じる。

さて、
この言葉に共感した人は聖職者や経営者だけではないだろう。
雇用される側、管理される側の多くの人たちがなぜ共感するのだろうか?

想像するに、
現状を変えたくない、今の場所から変わりたくない、と思っている人が大多数ではないだろうか。
この言葉は。現状に閉塞感や息詰まりを感じていながら一歩踏み出すことができない自分を肯定することができる。

つまり、
渡辺和子氏の解釈に共感しているのではなく、踏み出せない言い訳として使っているのではないだろうか。



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2023年3月 7日 (火)

脳の闇

脳の闇 中野信子 新潮社

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中野信子氏は、前書きで

本書は表面だけ読んでもそれなりに読めるようにはしたつもりだが、本意は声にならない声を聴くことのできる人だけが読めるように書いた。

と読者に警告を与え、あとがきで

本書を理解することが困難な人がもしいたとしたら、あなたの知的水準がいまいちなのは私のせいではないので、どうかそのことだけはご理解いただきたい。

とどめを刺すのだが、もともと、行間は読めない性格だから、中野信子氏の本音はわからない。

「第七章 女であるということ」で田中みな実氏についての記述があって、ベタ褒めのように読める。

田中みな実氏は、アナウンサー時代に、アナウンスや司会進行技能よりも、容姿や所作で注目を浴びていた印象がある。
「あざとさ」が批判されることもあった。転職してからは「あざとさ」を止めて「ストイックさ」を感じる。
「あざとさ」が男性にウケ、「ストイックさ」が女性にウケているのは、女性としての容姿を活かした戦略なのだろう。(と中野信子氏は思っている)(のではないかと思う。)

一方、中野信子氏は研究者だ。研究者は性別に関係なく研究成果や論文で評価されるべきだ。
ところが世間は、職業にかかわらず、先ず性別ありきで評価する。

中野信子氏は

女には二つの選択肢がある。女であることを感じさせないように生きる回避的な方法と、テストステロンが充満している男たちの、女への視線を利用する戦略。

とおっしゃる。
前者は、キューリー夫人や中野信子氏自身で、後者は田中みな実氏であろうことはわかる。
しかし、表面をそれらなりに読んだだけでは、この章の結論が分からない。知的水準がいまいちなのだろう。

そうそう、知的水準がいまいちなのは中野信子氏のせいではない。


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2022年11月12日 (土)

マイクロソフト 再始動する最強企業

マイクロソフト 再始動する最強企業 上阪 徹 ダイヤモンド社

Microsoft


MSの人と話す機会があった。
とある中央省庁の偉い人に、良かれと思い人材交流の提案をしたら、規則があって簡単ではないことを懇々と説教されたのだそうだ。
さもありなん!と思ったのだが、後からMSはそんな会社だったのか?と思い、この本を読んでみた。

MSはパソコン(昔はマイコンといった)が16Bitになったとき、OSの覇権争いをしている頃から知っている。
そして、競合するソフトや会社をを次々と潰すことで拡大した会社で、「帝国」のイメージだ。

おそらく、某中央省庁の偉い人もそのイメージがあったのではないだろうか。

ところで

1年前からM365を使っている職場で「ほぼ1人情シス」をやっている。M365を使って分かったことは、MSはOSやアプリを売る会社ではなく、クラウド・サービスの会社だということ。

今でも、OS(Windows)やOfficeは売ってはいるが、Windows10、11は無償でアップグレードできるし、Office Onlineは無償だ。
まだまだ、Windows、Word、Excel、PowerPointは手放せない。しかし、これらの、OSやOfficeソフトよりTeamsやSharePointが中心になっているということだ。

Office Online版

Office Online版はブラウザで動くので、OSは Windowsでなくてよい。
Intuneを使うとWindowsだけでなく、iOS、Androidデバイスを管理することができる。MSはWindowsにこだわっていないように見える。

昔は、
データは個々のPCにあった。
ネットワークが使えるようになったころから、オンプレのファイルサーバーを置いて共有していた。
ファイルサーバーは、ストレージ(ファイル置き場)だから、データを加工したり、新しいデータを創るためには、ファイルをPCにダウンロードして、PCにインストールしたアプリを使う必要があった。

今時は、
データはクラウドにあって、データの処理はクラウド側で行われる。
オンライン版のアプリはUIだ。

オンライン版のアプリは、デスクトップ版のアプリ同じようなUIなので、昔の感覚の人は、つい、アプリの機能に着目しがちだ。
データと処理の実態がクラウドにあることで、新しい価値を生み出せるこ、新しい働き方ができることに気づいていないのかもしれない。

MSは、新しい価値を生み出せること、新しい働き方を提供・提案する会社になったということのようだ。


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2022年11月 3日 (木)

その幸運は偶然ではないんです!

その幸運は偶然ではないんです!

著:J・D・クランボルツ A・S・レヴィン
訳:花田光世・大木紀子・宮地夕紀子
ダイヤモンド社

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自治体を進化させる公務員の新改善力 (2022/10/23)」で「計画された偶然」、や「計画的偶発性理論」と訳されるプランドハップンスタンス(Planned Happenstance)理論を知った。
興味が湧いたので、この本を読んでみた。

偶然幸運を掴んだ人の事例がこれでもかと、掲載されれている。
事例自体は真似ようが無い。
キモは

  • 将来何になるか、決める必要はない
  • 想定外の出来事があなたのキャリアに影響を及ぼすことは避けられない。
  • 現実は、あなたが考える以上の選択肢を提供しているかもしれない。
  • いろいろな活動に参加して、好きなこと・嫌嫌いなことを発見する。
  • 間違いを犯し、失敗を経験しよう。
  • 想定外の幸運な出来事をつくりだそう。
  • どんな経験も学びへの道。
  • 仕事以外でも満足感を得られる活動に携わる。

らしい。

計画通りにならなくて、失敗することもあるけど、めげない。
計画にない、意図しない幸運が舞い込んで来たら、とりあえず乗っておけ!
ということだろうか。

最近の若者は失敗を恐れて挑戦しないと年寄りは嘆くが、挑戦しないのは年寄りも同じだ。
定年を前に転職した時に、かなり悩んだ。
しかし、転職してみれば、何故あんなに悩んだのだろうと思う。

転職したことがある娘曰く「1回転職すると、大したことじゃないと思うよね」と。
同感だ。転職する前は人生最大の決断のように感じるけれど、転職してみると大したことではない。
固定観念に囚われいるのだと思う。

「計画された偶然」は一見矛盾しているように感じる。
人生に訪れる幸運は偶然だけれど、宝くじに当たるような低確率ではなく、かなり高い確率で訪れるのだと思う。
(毎週とか毎日レベル)

しかし、訪れた幸運は目に見えないので、意識しないとその幸運に気がつかないし、幸運を掴むことができない。
小さな小運を掴むと、わらしべ長者のように次々と大きな幸運を掴むことができるのだと思う。

「果報は寝て待て」は的を射ている。昔の人は能く言ったものだ。
しかし、道徳的には「成功は努力と引き換えに得るもの」が麗しいとされ、固定観念化している。そして、偶然を当てにするのは背徳感がある。

「計画的偶発性理論」の偶然は「今より少しだけ良い方向に進むきっかけ」と考えたら良いのだと思う。
そして、その効果は足し算ではなく掛け算だ。つまり、偶然の幸運は掴めば掴むほど大きくなる。

同じ思考、行動で毎日同じように過ごしていると、偶然の幸運に気がつかないが、昨日とは違うことを始めると、偶然の幸運に気付くことができ。これが「計画的」ということだろう。


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2022年10月31日 (月)

チーズはどこへ消えた?(7)

チーズはどこへ消えた?
著 スペンサー・ジョンソン
訳 門田美鈴
扶桑社

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チーズステーションを出ることを教えてくれた本。

登場人物?は2匹の鼠と2人の小人。
鼠は単純で、本能的、行動的、小人は、複雑で思慮深く保守的。
2匹と2人にとって重要なチーズがあるチーズステーションから、突然チーズが消えた時の、小人の葛藤を描いている。

変化とは、何かを失うことだと思っていたのが、何かを得ることなのだ

は、コロナ禍以降よく聞かれるようになった。
でも、多くの人は信じていないのではないだろうか?
ひょっとしたら、何も失うことなく、何かを得ることができると思っているのだろうか?
おそらく、それは無理だ。

住み慣れたチーズステーションを出ようとすると恐怖を感じる。
「無理して危ないことをしなくても...」という悪魔の囁きも聞こえてくる。

チーズステーションを出ようと決心した時に、その理由を一生懸命考えてそれなりの答えを用意していた。
それは、必ず問われるであろう「なぜチーズステーションをでるの?」という問いに、それなりに答えるためでもあったが、
恐怖心から逃れようとしていたのかもしれない。

この恐怖は自分で乗り越えるしか無いのだと思う。
そして、恐怖を乗り越えると、

ホーは恐怖に捕らわれていたのを悟った。新しい方向に踏み出したことで、解放されたのだ

本当にこのような感覚になる。

経験では、実際に、チーズステーションを出てみたら、路頭に迷うこともなく新しいチーズステーションが見つかった。
コロナ禍以降、社会が変わろうとしている。
変わることへの恐怖を乗り越える経験や、乗り越える方法を知っていれば、たいていの変化には対応できると思う。

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2年前の自分に助言するなら、↑は正しかった。



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2022年10月28日 (金)

自治体を進化させる公務員の新改善力(2)

自治体を進化させる公務員の新改善力 元吉由紀子 公職研

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自治体を進化させる公務員の新改善力」の感想を書いた。
では、年寄りは何をすればよいのだろうか?
もうリタイアしたとか、改善活動の主役ではではないからと、第三者的な立ち位置で良いのだろうかと考えた。

昭和という時代はかなり先の未来まで予測可能可能だった。
そんな時代に働いて、還暦を過ぎたところだ。
戦前、戦後、高度成長時代に働いていた世代も、将来は予測できなかったのではないだろうか。
未来が予測できたのは、成長が右肩上がりから右肩下がりに変わる時代だったのかもしれない。

未来が予測可能であれば、予測からずれた部分を修正する「改善」でよかった。
ところが、予測からのずれが大きくなり、もはや予測できない時代になると「改善」では対応できない。「革新」が必要になる。
「改善」の先に「革新」があるわけではないから、「改善」を積み重ねても「革新」には繋がらないのだ。

コロナ禍で働き方が「革新」された職場もあれば、「改善」も難しい職場もある。
「改善」も難しい職場では、ビデオ会議で表示される画面上の場所にこだわったり、上司より先に接続を切っては失礼とかにこだわって「改善」している。

これまでの「改善」の成功事例は、この先のVUCA時代も有効な手段なのだろうか?
ビデオ会議で役職順に画面に表示するくらいの「改善」ではないのか?

若い人たちが、VUCA時代の変化に対応する方法がわからないのは、しかたのないことだろう。
では、年寄りは、VUCA時代の変化に対応する方法を知っているのだろうか?
若い人たちも年寄りも同じようにわからないのではないだろうか?
と思う。

年寄りが持っているものは経験だけだろう。
その[過去の]経験は、そのまま[未来」に適用することはできない。環境が違いすぎるから。
役所の中は変わっていないくても社会の情勢は大きく変わっているのだ。

年寄りがなすべきことは、経験を抽象化、一般化することだろう。
抽象化、一般化すれば、次世代が参考にできる知恵になる。

革新活動の主体は若者だ。
年寄りは、改善活動経験者、第三者ではなく、革新活動の当事者となる気概が必要だと思う。


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