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2025年2月21日 (金)

鈴波アミを探しています <喪失感は誰でも共感できる>

鈴波アミをまっています 塗田一帆 早川書房
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推しのVTuberが失踪した、オタク君が主人公のお話。
主人公の行動がキモいという書評は多いのだが、結末を読むと丁度良いバランスなのかもしれない。

「推し」がリアルの場合は、失踪しても捜し出して復活するよう説得することは現実的ではないから、時間の経過とともに思い出コレクションとなる。
この物語は、「推し」がVTuberだからだろうか、リアルでは到底できそうにない物語が現実味を帯びてしまう。

オヤジが若かったころには「推し」という言葉なかったけれど、ファンだったアイドルが引退したり、追っていたバンドが解散したり、毎週聞いていた深夜放送のパーソナリティが交代したりした時の喪失感と同じではないかと思う。
おそらく「推し」がいなくなったときの喪失感は、VTuberでもリアルでも変わらないのではないかと思う。


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2025年2月15日 (土)

チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?
著者  スペンサー・ジョンソン
訳者  門田美鈴
扶桑社
2017083

最初に
変わるきっかけを与えてくれた本。
何度読んでも読むたびに新しい気づきがある。

今回引っかかった部分は、

自分が変わるには、自らの愚かさをあざ笑うことだ。

自分の
愚かさを笑うには、自分から離れて第三者目線で自分を見る必要がある。
しかし、何かに固執していると自分から離れることができず、自分を客観視できない。
自分を客観視できると、何故こんなくだらないことに拘っているのだろうと思うことができる。

拘りは
自分自身が大事にしていることだから、自分の拘りを捨て去ることは難しい。
特に長年拘って大事にしてきたことを、捨て去るには大きな決心が必要だけれど、捨て去る必要はなく自分の中で大事にしておけば良いのだろう。
他人に対して主張しなければならないほどのものは多くないのだ。

できることではなく、やりたいことを大事にしようと考えていたのに、つい、できることに拘ってしまった。
もう一回スニーカーをはいて、チーズステーションを探しに行こう。


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2024年10月 3日 (木)

VTuber学

VTuber学 
編著者:岡本 健(オカモト タケシ)
    山野弘樹(ヤマノ ヒロキ)
    吉川 慧(ヨシカワ ケイ)
発行所:株式会社 岩波書店

Vtuber

VTuberに関する学術書。
VTuberの歴史、ビジネスモデル、エンターテイメント性、存在論に関する哲学的思考などを網羅している。

VTuberの儒烏風亭らでん氏と哲学研究者山野弘樹氏の対談で知った。

儒烏風亭らでん氏は、これまでの VTuberの主な活動である、歌、ゲーム、雑談の他に学術的な内容を扱っておられる。
自身の専門分野である美術の解説や専門外の分野の識者との対談などの活動で、これまで多くのVTuberがターゲットとしていなかった層の視聴者を増やしている。

この書籍は、哲学研究者山野弘樹氏との3時間に亘る配信の中で紹介された。

定義
この書籍でVTuberのバーチャル美少女ねむ氏のVTuberの定義3要件が紹介されているう。

  1.  アバター活動:アバター技術を利用して,バーチャルキャラクターとして動画配信・ライブ配信・静止画配信等で情報発信活動をすること(後述するように,活動するプラットフォームをYouTubeに限定して語る意味はないと私は考えている)
  2. インタラクティブ性:ライブ配信やSNS(X(旧Twitter)が使われることが多い)等を通じてキャラクターとして視聴者と双方向にコミュニケーションをとること
  3. 自己同一性:キャラクター設定として統一された個性と名前を持って継続的に活動し,中の人(声優)としてではなく,「生きた」バーチャルキャラクターが実際に存在するかのように振る舞うこと

この投稿で「VTuber」は上記↑の定義を使用する。

配信者とモデル(中の人とアバター)
3名の哲学研究者が「VTuberは如何なるものか」についてそれぞれの説を述べておられる。
哲学研究者の諸説で共通している認識は、配信者とモデルは一体であるということ。

キズナアイさん(書籍の表紙の人)を初めて見た時に、配信者(中の人)とモデル(アバター)は分離していると思った。
「アニメのような」とか「初音ミクみた」と言う人は、配信者とモデルは分離している思っているのだろう。

アニメのキャラクタと声優は別の名前と個性で活動しているが、VTuberは統一された個性と名前で活動している。
また、アニメキャラクタの声優は、台本通りに演じているが声優の意思で言葉を発しているわけではなく、アニメのキャラクターに声を操られている存在と見ることができる。

初音ミクはボーカロイドソフトおよびソフトを使用したバーチャルシンガーだ。
一見、歌をメインに活動するVTuber(VSinger)のようだから、VTuberを「初音ミクのような」と感じる。
初音ミクを構成するのは、呼ばれる楽曲を提供する人(ボカロP)と、ダンスなどの動きを担当する(モーションアクター)で構成される。
初音ミクミクは、ボカロPの指示どおり歌い、モーションアクターと同じように踊る。
つまり、初音ミクには意志はなく、ボカロPと、モーションアクターに操られる存在だ。

つまり、アニメキャラクタと声優や、初音ミクとボカロP、モーションアクターは、分離しているから、VTuberとは異なる存在だ。

今後のVTuber
VTuber界隈では6年も活動していれば古参と呼ばれるほど変化が早い界隈だ。
ようやく世間に認知され、一過性の流行りではなくなりつつあるから、哲学的に存在論について議論する価値がある。

昔々、歌手、役者、芸人など表現者は鑑賞者と空間・時間を共有していた。
放送技術の進歩により空間を共有する必要がなくなった。
次に、録音、録画技術の進歩により、時間を共有する必要がなくなった。

初期のVTuberは視聴者と空間・時間を共有しない動画投稿が多かったが、最近VTuberは視聴者と時間を共有する配信が多い。
一方で、奏みみさんや七海うららさんのようにライブの臨場感を志向するVSingerは空間と時間を共有するために、リアルな姿で活動している。
リアルな姿になると、VTuberに対応した設備がない小規模のライブハウスで活動できるメリットもある。

今後VR技術が普及すると、視聴者もアバターとモーションキャプチャを使用してVTuberと同じ空間と時間を共有できるようになる。
VRを使用すると、距離を超えられるから小さいライブハウスでなくても、VTuberのまま臨場感を保ちながらライブができる。

視聴者もアバターとモーションキャプチャを使用して参加するようになると、配信者とモデルは一体化しているのか分離しているのか明らかになるだろう。



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2024年8月 1日 (木)

不格好経営

不格好経営 南場智子 日本経済新聞出版社

南場智子氏は

私はビジネス書をほとんど読まない。こうやって成功しました、と秘訣を語る本や話はすべて結果論に聞こえる。まったく同じことをして失敗する人がごまんといる現実をどう説明してくれるのか。

とおっしゃる。同感だ。

DeNAの失敗の話なら

この会社は詰んでます。潰れました」で気づいた“恥ずかしさ”
DeNA南場智子氏がエンジニアから学んだこと
logmi (2021/12/26)

が面白い。

南場智子氏は

私から今日、みなさんへのメッセージは、こういう会社は、もちろんDeNAだけじゃない。どうかこういう「コト」に向かう厳しさのある、スキルのレベルだけじゃなくて、姿勢のレベルがすごく高いところに、身を置いてほしいなと思うんです。

とおっしゃる。

還暦を過ぎたが、何歳になってもやりがいのある仕事をやりたいし、充実したキャリアを歩みたいと思う。
これから社会に出て働こうとする人は特にそのような希望は大きいのではないだろうか。

仕事にはプロフェッショナルが必要だ。
そして、プロフェッショナルが知識と技能を発揮している現場がある。

知識や技能は資格や経歴など外見で判断できるが、知識や技能を発揮する現場が見えなかったり、どれだけ発揮できるかを判断することは難しい。

プロフェッショナルな仕事を外見で判断する経営者は多い。
南場智子氏が紹介されている、最初のシステム構築をベンダーに丸投げして失敗した例は、外見だけで判断した結果だろう。
その後、失敗を教訓に、優秀な技術者を多く採用して、社内に現場を持ったのは流石だ。

自分がプロフェッショナルとして能力を発揮している現場があれば、他のプロフェッショナルにも現場があることは簡単に想像できる。
ところが、人は、自分の現場が世界の中心だったり、世界の全てと思ってしまう。

だから、経営のプロフェッショナルには、技術のプロフェッショナルがいる現場が見えなかったり、
技術のプロフェッショナルには、経営のプロフェッショナルがいる現場が見えなかったりする。


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2024年4月22日 (月)

心に折り合いをつけてうまいことやる習慣

心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
 中村恒子 奥田弘美
 株式会社すばる舎

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中村恒子先生は、
抱えているもの、背負っているものをできるだけ下ろして、軽く生きておられるように見える。

そのような生き方ができるようになるまでには、語られていない多くのご苦労があったのではないかと思う。

いまかかえている重いものは誰かが降ろしてくれるわけではなく、自分で下ろすしかない。
下ろせないなら、向き合うしかないけれど、必要以上に苦しむ必要はないということか。
年の功だなあ。

私の座右の銘の一つは、「一隅を照らす存在になれればよし」というものです。
 成功や活躍せずとも、自分の置かれた環境で一隅を照らしていければええ。そんな考え方です。
 職場でも、家庭でも、自分のまわりにいる人に温かい光をささやかでも送れればそれでええやないかと思うのです。

とおっしゃる。

11年前に、一隅を照らす(2013/04/04)について書いていた。
読み返してみると、自分の考え方より中村恒子先生の方が軽いなぁ~と思う。
(「軽い」は軽薄ではなく軽やかという意味)


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2024年3月24日 (日)

会社を正しくデジタル化する方法 <必要なのは経営マインドを持った幹部候補>

会社を正しくデジタル化する方法 鈴木純二 株式会社日本実業出版社

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デジタル人材の不足と経営者の理解が不足している中小企業でデジタル化を進めるための指南書。

今流行りの「DX」というフワフワした言葉を使わず、「デジタル化」と言う言葉を使っているけれど、内容は「DX」に必要な考え方が盛り込まれている。

紹介されている例は、バックエンドの業務改革だ。
バックエンドの業務が紙とハンコと電卓と電話を使った昔ながらのやり方で、業務もフローも昔のままでは「DX」は難しい。
このような状態で今流行りのクラウドサービスを導入しても、かえって負担が増える。よくある話だ。
「DX」に失敗する原因は、経営者(層)がICTへの理解が不足していることもあるが、社員の意識が変わらないことも大きな要因だろう。

鈴木氏は、デジタル化人材について、

ややもすると、「デジタル化人材=技術者」と誤解されがちですが、顧客接点改革によるカスタマーサクセスを実現するデジタル化に必要なのは、技術者ではなく、経営マインドを持った幹部候補です。

とおっしゃる。
デジタル化は経営課題だから、デジタル化するには経営マインドを持った社員が必要だ。
鈴木氏があえて幹部候補としたのは、デジタル化は一過性のものではなく、継続が必要だから、恒例の経営者ではなく、次にデジタル化を主導する幹部候補が必要という意味なのだろう。

もちろん、デジタル化するために技術者が不要という意味ではない。
デジタル化に必要な技術を持った技術者や、部門があるに越したことはないが、中小企業では、技術者やIT部門がある企業は稀だろう。
しかし、技術はアウトソーシングが可能だから、デジタル化しようとする中小企業では、技術者は不可欠ではないという意味だろう。

ちなみに、IT担当やIT部門がDXの抵抗勢力になることはよくあることだったりする。


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2024年2月11日 (日)

なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか

なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか
〝ゆるい職場〟時代の人材育成の科学
古屋星斗
日経BP

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今時の若者に対して感じていることとをアンケートを基にしたデータで検証している。
今の若者を世間はZ世代と一括りにするが、到底一括りにはできない多様性があるようだ。

これまでの日本の社会構造は世代の一様性を前提にしてきたように思う。
年寄りたちは、本当は存在しない一様性を前提にZ世代を理解しようとしているため、これまでにない世代ギャップを感じているのではないだろうか。

古屋星斗氏は

「やりたいこと」や本人の希望を尊重しそれを過剰なほどに求める現代の学校教育に始まる状況は、それが〝ある〟若者にとっては最高の環境になりうるが、それが〝ない〟若者には辛く苦しく、〝ある〟若者との差が広がる一方である

とおっしゃる。

◯やりたいこと
進学や就職の際に「やりたいこと」を求められる。
そして、娘が就職する際に「やりたいことは何?」と訊いた。
それは、自分が子供の頃から「職人」になりたいと思い、就職してからも「技能者」に拘っていたから、「やりたこと」が無いことがよくわからなかった。
だから、悪気なく「やりたいこと」をつい訊ねたのだと思う。

特に「やりたいこと」がない人に対して「やりたいことは何」という質問がつらいならば、「とりあえず興味があることをやってみたら」というアドバイスを思い付く。

◯まずは行動してみたら
ところが、古屋星斗氏は、今時のマネジャーは「まずは行動してみたら」「やればわかるよ」と伝えるよりも「行動のための言い訳」を提供することを提案しておられる。

◯マネジャーの成功体験
「行動のための言い訳」としてマネジャーの成功体験は有効ではない可能性は高い。
昔の成功体験に普遍性はないから。

マネジャー自身に「やりたこと」があったか、なかったによらず、マネジャー自身の成功体験、失敗体験に拘らず、「行動のための言い訳」になりそうなネタを見つけて提供することが必要なのだろう。


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2023年12月24日 (日)

苦しかったときの話をしようか <働くことの本質>

苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」
 森岡毅 ダイヤモンド社 (2019/4/10)

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就活中の我が子に向けた人生の指南書。
自分の価値観を整理するために、自分の頭の中を文章として出力するのは有効だ。
とても、ここまで整理できない。

森岡毅氏は

自分が主役の人生を送りたいならば、ゾンビが平和に暮らしていた昭和のファンタジーにつきあっていてはいけないし、自分の職能を自分以外の誰かに決めさせてはいけないし、プロを育てない組織に身を委ねてはならない。一人の人間として、一人のプロとして、特徴を活かすことでキャリアを自律していかねばならない。

とおっしゃる。

長年働いていれば、成功も失敗も体験する。
理想もあるし、現実も知る。
それが、自分の働き方、生き方だ。

その働き方や生き方は一般的でも普遍的でもなく、その人独自の特殊な例だ。

そもそも、t他人とは時代背景や環境が異なる。

ところが、人は自分を否定したくないので、自分の生き方を一般的・普遍的なものだと思おうとする。
それは、仕方のないことだ。

問題は、一般的でも普遍的でもない価値観を、伝えてしまうことだ。

40年以上働いてきた。
その大半の30年はいわゆる「失われた30年」だ。
行政が無策であったことは否めないが、その30年を働いてきた者もまた無策だったと思う。

つまり、我々の世代は、環境が変わったのに失わる前の昭和的な価値観を変えなかったから30年を失ってしまった。

子供たちは、失われてしまった社会で働かなければならない。

もう、昭和的な価値観は、時代に合わないのに。

我が子の将来を想うならば、昭和的な価値観を、さも普遍的であるかの如く伝えてはならないと思う。

それは、昭和的な価値観を我が子に伝え、失われた30年にしてしまった年寄りの後悔でもある。


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2023年7月30日 (日)

仕事がなくなる! <その成功例に普遍性はあるのか?>

仕事がなくなる! 丹羽宇一郎 株式会社幻冬舎

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長く生きていると数えきれないくらいの失敗を経験する。それは成功の数とは比較にならないくらい多い。

成功者は、失敗を分類、分析、一般化して失敗しないようにしているのではないだろうか。
多くの失敗を試行錯誤で克服して成功した場合、多くの失敗と1回の成功を経験することになる。
他人の参考になるのは、多くの失敗と失敗を克服した過程だ。

ところが、成功者は、自分に特有のしかも少ない経験を、一般論化して普遍性があるかのように語りがちだ。
しかも、何十年も前の成功体験が環境が変わった現在でも普遍性があるかのように語ってしまう。

そして、多くの人は成功者のわずかな成功例に着目しがちだ。
それが、数少ない成功例が巧みに一般論化してあっても参考にしてしまう。
人は、辛い思いをした失敗体験より、成功体験を語りたがるものだから、受け取る側が取捨選択しなければならないのだろう。

この本で引っかかったのは、

今後は、マニュアルに沿ってなされる仕事はすべて、AIが行うようになります。どれだけ仕事に自分の気持ちを込められるか、どうすれば顧客を感動させられるか。そのようなことを真剣に考えて、主体的に取り組まない限り、今の仕事を続けることはできなくなるでしょう。
 脅すつもりはありませんが、

の部分。

直感的には正しいような気もするが、よく考えると、昭和の高度成長時代に一般的だった、終身雇用と所得は増加するという前提に依存しているような気がする。

話は変わるが、
かなり前に、マクドナルドは「笑顔0円」というCMを流していた。
自分の行動様式を思い出してみると、笑顔の店員さんがいる店を選ぶ可能性はかなり高い。
つまり、対面での接客では、笑顔はかなりの価値があると思う。

ところが、その価値の対価は支払われないのである。
笑顔がすてきなマクドナルドのバイトさんの方が時給がが高いという噂は聞いたことがない。

マクドナルドに限ったことではなく、日本の社会全体に言えることだが、目に見えない価値に対価を支払わない。
「お客さまは神様」とか「お値段以上」などのスローガンはほぼ、社員の目に見えない価値を売り物にしながら、その価値に対価を支払っていない。

では、従業員はなぜ対価が支払われない価値を提供してきたのだろうか?
それは、昔は終身雇用と所得は増加するという社会背景があったからだろう。
おなじ職場で長く働けば、「笑顔」の対価を回収することができるだろう。
しかも、昭和の高度成長時代、バブルの時代には、評価によらず給料が増えていた。

つまり、
古き良き時代には、直ちに「笑顔」の対価が支払われなくても、長期的に回収することができたのだ。

ところが、浅ましい経営者は、それを短期雇用の従業員に求めるようになった。
長期雇用なら対価が回収できる価値を短期雇用に求めるのは、搾取だ。

また、

その人にとってコスパやタイパはよくなくとも、達成感や満足度が高く、社会の役に立つことは、いくらでもあるからです

とタイパやコスパに拘るべきでないとおっしゃる。
確かに、古き良き時代にはタイパやコスパに拘らない生き方ができた。
しかし、古き良き時代社会背景を前提にした、成功例が、AI時代に適用できるのだろうか?

成功した経営者は、
若い人、雇用される人に対して、今の時代でも普遍性がある成功の秘訣を伝えてほしい。
古き良き時代社会背景を前提にした働き方で幸福になると伝えるのはミスリードだ。

また、
現役の経営者にむけて、時代背景が変わっても、目に見えない価値に対価が支払われる社会、タイパやコスパにこだわらない働き方ができる社会、を実現する極意を伝えてほしい。


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2023年7月19日 (水)

読書感想文 <読書感想文用に作ってしまえ>

「夜のピクニック」読書感想文をプロが書いた結果
書評家・三宅香帆さんが課題図書の定番に挑戦
三宅 香帆 東洋経済 (2023/07/09)

三宅 香帆 氏は、褒められる読書感想文を書く方法として

① 自分の嫌いなモノについて書いた本を選ぶ
② その本を読んで「嫌いだったモノが、好きになった」内容の感想文を書く

を勧めておられる。

なるほど、自分が好きな内容は共感したり感動したりするが、なかなか文章にできない。
嫌いな内容は、批判的に読むので、文書化しやすいのかもしれない。

子供の頃、読書感想文は苦手だった。
子供の頃この方法を知っていたらどうだろうか?

嫌いな内容の本はそもそも手に取らないし、最後まで読めないと思う。

閑話休題

誰でも簡単に「褒められる読書感想文」を書ける手法があります。

は、キャッチーだ。
更に

読書感想文とは、「この本を読んで、私はこう変わりました」と言えばいいジャンルの作文だから。

とおっしゃる。
更に畳み掛ける

しかし、なかなか読書して良い人間に変わる体験なんて、めったにあるものではありません。ならば、読書感想文用に作ってしまえばいいのです。

三宅 香帆氏は、読書感想文は感想を書く必要はなくて、先生の好むパターンで書けば良いとおっしゃる。

痛快だ。

三宅 香帆氏はこの記事を子供達ではなく、大人向けて書いているのだろう。
だから、子供達に対する裏ワザ指南ではない。
この記事の冒頭の感想文に込められた、本当の感想は、

本を読んだくらいで、嫌いな運動が好きになるわけがない。

ではないだろうか。

本来本を読んだ感想は自由だ。
他人の感想に優劣を付けるなど、思い上がりも甚だしい。
というのは自分の意見だけど。


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