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転職

2021年6月28日 (月)

ICT部門に求められること 

 以前働いていたICT部門が再編・縮小されるという話を聞いた。

 その部門は、CTは土管から、ITはコンピュータシステムまでカバーする部門だ。ここまで広い分野をカバーできる部門は貴重だ。
しかも、世の中は猫も杓子もDXだし、DXに必要な要素技術は持っている。
なのに、再編・縮小されてしまうようだ。

 

 ところで、4月から転職して「ほぼ一人情シス」をやっている。
昔、UNIXとWindows95のころ小さな事業所で「ほぼ一人情シス」をやっていたことがある。その後、情シス部門に異動した。正直、大きい情シス部門は楽しくない。

 4月に転職する際に情シスと聞いて、面白くなさそうだとためらった。しかし、やってみると「ほぼ一人情シス」は結構楽しい。
今時もうUNIXはない。ユーザ管理はAzureAD、グループウェアはMicrosoft365だ。Azureは知らないことが多すぎてダンジョンみたいな感じで日々新しい発見がある。

 そしてもう一つ発見したことは、情シスに求められているのは管理ではなく問題解決だということ。

  • 課題を解決すること
  • 課題解決をサポートをすること

が求められている。

 今時は、業務の課題を解決するために何年もかけてシステムを作る時間的余裕はない。時代の変化は速いのだ。
さらに、流行りはノーコード、ローコードプログラミングだからコードが書けなくてもよいし、AIやRPAは開発する必要はなく部品感覚で使えるサービスがあるから、問題の整理と課題の抽出ができれば、技術者でなくてもちょっと勉強すれば課題が解決できる環境が整ってきた。

 つまり、今重要視されているのは技術力ではなく問題解決能力。現状維持マインドではなく変革マインドだ。楽しくないと思っていた「ほぼ一人情シス」が結構楽しいのは、前々職で問題解決法や組織風土改革に取り組んでいたことが影響しているのではないかと思う。解決できそうな問題があって、自分で解決できそうな手段がある。そして何より、解決のために行動することができると、結構楽しい。

 ところで、冒頭に書いたICT部門が再編・縮小されるのは、現状時代の流れに対応できてなくて、今後も対応できそうにないと経営層が判断したのかもしれない。


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2021年6月15日 (火)

言語化する

キャリアの棚卸しは毎日やれ! 能力に気付く努力が必要 伊藤羊一 (2020/3/11)

何か行動すると、必ず言語化する。これはどういう意味があるんだと。取材を受けた後、何であの話をしたんだっけ、とか、会社の研修に呼ばれて講演したとき、何であの話はウケたんだろう、とか。それを言語化して気付きがあれば、次に生かせますよね。それは、仕事に対してだけではなく、人生に対しても同じです。

 考えたことを言語化することが重要なのは伊藤羊一氏が指摘するとおりだ。

 転職する前に若い人を相手に研修の講師をしていたときに、雑談で技術者・技能者として生きていくための考え方を話していた。(狙って脱線していたんだけど) 自分のキャリアを考え始めた人にはウケるのだが、10年先も今のままと疑わない人にはウケなかった。ナニイッテルノ?コノオジサンという反応だった。

経験を振り返りながら言語化していると、必ず新たな気付きがあるんです。ある意味、講演や取材など自分の経験を言語化する機会を強制的につくっているようなものです。

 技能者・技能者としての価値保つ方法は、若い人に話すために考えたわけではなく、自分が迷っていたから考えたことだ。 それを、講演や講義など誰かに話そうとすると必然的に言語化しなければならないから、自分の考え方を見直す良い機会だった。

 人前で話す機会が無いならBlogなどに書いてみるのも良いと思う。思いついたことを書いて、後日読み直すと気分の考え方が妥当か客観的に判断することができる。

 整理した考え方を基に自分のキャリアを考えてみたら、転職という選択肢があることが分かったのだが、なかなか決心できなくて最後は伊藤羊一氏と同じように、

最後は“follow your heart and intuition”という、スティーブ・ジョブズが言ったようなことに従うしかなかった。

だった。


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2020年11月17日 (火)

一生使える技術? <惑わされないように>

一生使える技術を身につけ、あなた自身の力で勝ち取る人材に
大変革時代!人生を変える新たなスキルを身につけろ!
(https://www.arciszewska.com/society/lp02/)

 今後、多くの仕事がAIやロボットに代替されていきます。そこでAIやロボットなどに代替されない人間しかできない仕事はとなると、テクノロジーを使って課題を解決したり、何か新しいものを創造するといった仕事になってきます。

とおっしゃる。 これは間違っていないと思う。

 だから、IT(情報技術)を学び理解するために、まずはプログラミングを学ぶことを勧めている。技能習得サービスの広告記事だから、プログラミング技能修得を薦めるのはわからなくもない。

 しかしだ。

 40年技術の世界で働いてきた経験では、「一生使える技術」があるとすれば、それは「新しい技術を短期間で習得する技術」だろう。 決してプログラミング技能ではない。

 「プログラミング」は文脈によって「プログラミング技能」とも「プログラミング的思考」ともとれる。義務教育で始まったプログラミング教育は後者だ。「プログラミング技能」は技能で「プログラミング的思考」は、ものの考え方や思考様式だからどちらが長く使えるか言うまでもないだろう。

 IT業界で職を求めるときに、「プログラミング技能」は評価される。しかし、「プログラミング的思考」は評価されないだろう。評価しようがない(雇用側に評価できる者がいない?)のだ。

 IT業界には「プログラマー35歳限界説」という伝説がある。プログラミング技能を習得しているがプログラミング的思考を修得していない者は10~15年働くと燃え尽きてしまうのだ。 だから、いつまでたってもIT技術者が足りないことが社会問題になったままだ。そこで、政府はようやく義務教育でプログラミング教育を始めたのだろう。
 
 今後働き方は変わるから、稼げる技能がなくなった者は、なんとなく会社にしがみついて人生を過ごすことができなくなるだろう。だから、新しい技能を習得しなければならなくなる。

 そのときに、「一生使える」に踊らされないようしなければならない。

 プログラミング技能を学んで首尾よく職を得たら、仕事を通じてプログラミング的思考(思考様式)を習得すれば一生使えるだろう。


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2020年11月 2日 (月)

定年後も働きたい。 

定年後も働きたい。 人生100年時代の仕事の考え方と見つけ方 松本すみ子 ディスカヴァー・トゥエンティワン

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人生100年時代という言葉がよく聞かれるようになった。来年から人生100年時代になるわけではないとはいえ、60歳のオジサンの平均余命は22.84年だ。60歳の定年後5年再雇用で働くと18年くらい隠居生活が待っている。18年は結構長い。定年が5年延びても素直に喜べない。

 先輩たちのような生き方はもうできなくから、生き方を変えなくてはならない。そのためには、まず、オジサンが意識を変えなくてはならないのだろう。

 松本すみ子氏は、

  • 長寿とは、何もしない時間が長くなることではなく、社会のために生きる時間が長くなること。
  • 働きたければ、再雇用だけを当てにせず、自分から動くことが大切。
  • 自分の経験と知恵を生かせる職場や環境を探そう。
  • 即戦力として自分自身を生かせる機会を探そう。
  • 定年後の生き方が定まっていないなら、むやみに焦らず、悩む時間を意識的に作ろう。
  • ただし、考える期間はせいぜい半年から1年に。それなりに悩んだら、まずは動いてみて、そこから軌道修正していこう。

とおっしゃる。

 この本では触れてないのだが、ローンはとても重要だ。50歳を過ぎて、あるいは60歳を過ぎてから、真剣に次の仕事を考えようとした時にローン残額の制約は大きい。

 35年の住宅ローンを組んでいると60歳で返済が残っていることが多く、退職金で一括返済すると老後の資金が足りなくなるので、次の仕事を選ぶ時に、収入で選んでしまう。 いきなり収入が1/3になるとローンが支払えなくなるから、働かないおじさんと言われようが妖精オジサンといわれても我慢してしまう。

 一番の問題は、35年ローンを組むのが30代~40代の定年ははるか先と思っている世代だ。 そして、定年が現実味を帯びてきたときには手遅れになっている。

閑話休題

 60歳で定年して65歳まで働くとしたら、5年再雇用で働くほうが収入は多くなるだろう。 しかし、70歳まで働くとしたら、65歳で再雇用が終わったときの市場価値を考えなくてはならないだろう。

 まあ、今時だから、5年先のことなんてわからないんだけどね。


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2020年9月10日 (木)

50代のキャリアをどう創るかは、いつ考える?

50代のキャリアをどう創るかは、いつ考える? しばたともこ (2020/09/07)

 激しく腑に落ちるのは、キャリアチェンジを経験したからかもしれない。

 柴田朋子氏は40代から準備をしようとおっしゃる。

 余裕があるときにから考えた方が良い。50代も後半になって考えると余裕も無いし選択肢も少なくなるし、何より一歩踏み出す勇気が無くなる。

たとえば役職定年の55歳まで長く同じ組織で働いてきて、そこそこ評価もされていたりまあ平和に働いていたような人は、自分が組織に履かせてもらっているゲタに無自覚です(特別な役職にいなくてもです)。いくらいい仕事をしている自覚があっても、それ、そのまま横展開することはできないし、その「実績」と思しきものは、あなた単独になったとたん、タヌキの葉っぱみたいに変身が解けて見えちゃう。

これは、よく言われることだ。50代後半で受講したキャリア・シフトチェンジ・セミナーでも言われた。
そして、本当にそうなった。

 過去の「実績」は近所のスーパーのポイントカードのようなものだ。他のスーパーでは使えないから、引越ししてそのスーパーで買い物しなくなったら紙屑だ。「実績」も同じように他の組織では価値は無い。

 「過去の実績」というポイントを使おうとすると、定年(役職定年)しても再雇用などでその組織に居続けなくてはならない。しかし、(役職)定年後の再雇用でポイントを使い切るとキャリアがリセットされる。

 なんだか実態のよく分からない「過去の実績」で実力以上に評価されていたのが実力通りに評価されるようになるだけだけど、この事実を受け入れるには準備が必要だ。

 経験では、50代も後半になると「過去の実績」は組織の外では価値は無かった。 経験の中には価値がある経験が混ざっているようだ。しかし、価値がある経験を見極める方法がわからない。面接官はできないなあ。

 40代後半から意識的に組織外の人と交流したり、著名人の講演を聞きにいった。 組織の外で話を聞いて組織の外の基準で自分を評価することが必要だと思ったから。それでも、自分自身は客観的に評価できないものだ。そんなときは、自分の組織で評価されている人を組織の外の基準で評価してみるとよい。そして、その人と自分を比べてみると間接的に自分を評価できる。

 この事実を受け入れるまでに時間が必要だから、しばたともこ氏がおっしゃるように、40代から準備を始めた方が良いと思う。


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2020年8月31日 (月)

意外にも30年前の経験が役立った

 客先でICT機器の使い方やアプリの使い方をサポートする仕事に転職して1月が経過した。座学の研修と実務研修で仕事が見えてきた。

 現職は前職の隣接分野で職務経験はないので不安はあった。意外にも、前職で無線関係のフィールドエンジニアをやっていた経験が役立っている。

 無線関係のフィールドエンジニアをやっていたときは、客先に出向いて、偉い人に挨拶して、担当者に故障した機器がないか訊く。 故障した機器があることが事前に分かっていれば取り替える。分かっていなければ、障害箇所を特定して一時対応する。 そして、エリア内に不感地帯ができていないか確認する。

 この仕事をやっていたときに上司や先輩に教えてもらってことは、困ったら本部に電話するということ。一人で全て解決できなくてもよいということだ。 これは今の仕事も同じだ。

 現職は障害箇所の特定は範囲が室内に限定されているから、パイプシャフトや天井裏に中に入ることもなく、机の下に潜ることもない。作業服を着なくなったのは、ちょっと寂しい。

 現職は業種という観点で見るとフィールドサービスだが、業態の観点で見るとサービス業だ。
自分の知識や知見を提供することで顧客の問題を解決するサービス業であるということ。
そしてサービスの提供は目的ではなく手段であること。 これも前職と似ている。

 ICT関係の知識は隣接分野なので使えるだろうと思っていたが、意外にも40~30年前の経験が役立った。それと、マネジメントをやっていたときに、自分たちの仕事の基本と原則を考えたことが役立っている。

 年寄りも捨てたもんじゃない。

 と自画自賛しておこう。


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2020年8月 9日 (日)

なぜ転職しようとしたか <余生ではない働き方>

 59歳で、余生ではない働き方をしようと考え、転職した。 

 60歳の定年が近づいたので定年後の働き方を考えていた。厚労省の統計によると、2018年の60歳の平均余命は23.84歳だ。(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life18/dl/life18-15.pdf) 人生最後の10年を余生とすると、あと10年は余生ではなく働かなくてはならない。ところが、今や人生85年、今後は人生100年時代と言われているにもかかわらず、余生でない働き方の選択肢は少ないのである。

 年金給付開始が65歳になって再雇用が義務付けられたので、60歳で定年しても再雇で同じ組織で働くことができる。10年前と同じ仕事、同じやり方をしている職場では、再雇でも余生でない働き方ができるようだ。その職場特有の経験と暗黙知には価値があるからだ。

 しかし、前職はサイバーセキュリティ関係の職場だ。10年前の経験と暗黙知の価値低い。しかも、最近やっていたマネジメントは再雇用では需要がない。つまり、再雇用では余生でない働き方はできそうにない。

 だから、あと10年余生でない働き方をしようとすると転職しか選択肢がなかった。

 経済的に困窮せず「余生」として生きられるなら、それで良いという人もいるし、まだまだ、収入を得なければならないから生き方どころではないという人もいる。「余生」が悪いわけではない。

 なぜ、余生ではない働き方を求めるのかというと、

 面白くないのだ。


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2020年8月 4日 (火)

転職 <59歳の市場価値>

 39年勤務した前職を3月末で退職して就活していたのだが、ようやく次の仕事が見つかった。前職とは違う業界に転職しようとすると、やはり59歳での転職は難しい。分かってはいたのだが... (なぜ59歳で転職しようと思ったかは後で書こう)

 就活していてわかったことがある。

 転職市場での価値 = (現有能力×有効期限) × (潜在能力×勤務可能期間)

ではないだろうか。

◯現有能力、有効期限

 職務経歴書で判断できるのは(現有能力×有効期限)だろう。

 39年も働いていると職務経歴書に書けることはたくさんあるが、気をつけないと自慢話になってしまう。ICT業界では有効期限(賞味期限)が短いので、経歴は立派でも現在使える能力が無かったりする。

◯勤務可能期間

 多くの企業はメンバーシップ型雇用が主流だから採用後長く働けるほど価値があるようだ。59歳はリタイア間近だから、勤務可能期間は短く、価値は限りなくゼロと評価されるようだ。 

 既に人生80年時代だから60歳でリタイアできる人は少ない。しかし、多くの60代は既に「心の定年」に達しているので若者のようには働けないと見られているのだろう。

◯潜在能力

 潜在能力は、職務経歴書に書けない能力や、採用後獲得できるであろう能力だろう。この能力は、せめて面接しなくては判断できないだろう。

◯自分の市場価値

 職務経歴書をいくら盛って書いても、面接で話せばわかってもらえると思っても、勤務可能期間の価値がゼロなので、どう頑張っても市場価値はゼロなのだ。

 だから多くの人は定年すると、価値が引き継げる前職と同じ業界に再就職するか、再雇用を選ぶのだろう。

 それでも、ようやく1社面接までたどり着いて内定をもらった。ありがたや×2

閑話休題

 WBSを見ていたら、ニュースキャスターの山川龍雄氏が、就活の法則を話していた。

 就活の法則は、10勝0負=1勝30負

なのだそうだ。いくら内定をもらっても入社できるのは1社だけだ。一方、内定をもらったのがたった1社でも、重要なことは入社した会社が自分に向いていかどうかだと。

 なるほど、うまいことを言うなあ。

 入社した会社が自分に合うかどうかは働いてみないとわからない。ルーキーはゲームに参加して認められるしか方法はないのだ。

 それは、オールドルーキーでも同じだ。



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