ルールブレーカーとKY
日本の社会は暗黙のルールを破るルールブレーカーに対して実に厳しく、その行為の正当性が検証されることなく批判される。
最近ある人の行為が顰蹙をかった。
そのルールブレーカー氏は周囲から”KY”と見られているようである。(σ(^^)ぢゃないよ。)
KYな人は暗黙のルールを考慮せず(できない)ので、その行為自体の是非のみを判断して行動している。
周囲は「いかがなものか」という意見が多数派である。つまり、某氏は暗黙のルールを破ったようだ。
KY氏(イニシャルに非ず)の行為自体は、行ってはならないとも、行っても良いとも明文化されておらず(と思う)、間違っていないような気がしたので「いかがなものか」という人に何がが間違っているか尋ねてみたのだが、明確な答えは返ってこない。 つまり批判派は、暗黙の世界(大多数の共通した主観)で物事の是非を判断していて、行われた行為自体の是非について判断しているわけではないようである。
大多数の共通した主観は、尊重されるべきであるが、盲目的に真とされる暗黙のルールとなり、さらに「悪法も法なり。」状態となり、悪法の遵守を強制してしまうおそれがある。
私の見立てでは、件のKY氏は実はAKYではないかと思う。真のKYならば直接的に暗黙のルールの是非を問うはずである。
くだらないしがらみや盲目的に真とされている暗黙のルールに一石を投じる際にあえてKYのふりをしてルールブレークしているような気がするのである。
ルールブレークは盲目的に真とされている暗黙のルールに対する批判かもしれない。
重要なことは、ルールブレークに隠されたメッセージを読みとることではないだろうか。
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