日本人はなぜ議論が下手なのか?
6/18「マイケルサンデル特別講義」で日本人は議論ができない民族だと書いた。
日本人の議論下手について考えていたら、ふと思い出した。
↓は16年前にNiftyServeのとある会議室に投稿されたもので、この投稿に対して「ずっと保存してとっておきます。」とResしたことを思い出す。(本当に取ってある)
----------------- 以下引用 ----------------------------------------------
とむとむ 日本人は議論が下手なのか?
(14) 96/11/06 00:01
以前、私は日本人はディスカッションが下手な国民であるとこの会議室で述べたことがあります。しかし、その理由については言及しませんでした。
今回はその点について少し触れてみたいと思います。
我々は、
◎自分の主張=プライドになってしまう
自分が正しいと一度思い込んだものを自分のプライドにかけて守ろうとしてしまう。真のプライドは正しい事を正しいと認識できることにあるのに。
また、相手を認めることを美点と思えなくなってしまう。
◎真の論点が何だかわからなくなってしまう
当初議論していた動機が、議論をしているうちに自分でもわからなくなり、反論するためだけの反論になりがちである。本当は自分が何を目的としていたか見失ってしまいやすい。
◎感情的になり自らの意見の矛盾に無関心になる
自分が主張すべき点と一般的に正論である点を混同し、双方を交えて議論するうちに意見が矛盾してしまう。さらにそれを自らは冷静に分析できななり、相手の矛盾のみに固執してしまいやすい。
◎相手の意見を聞けなくなる
自分の言いたい事がなによりも重要に感じてしまい、相手の意見には耳を貸せなくなる。相手の発言を遮ってでも自分の発言を通したくなる。
相手と対等であるという感覚を自分では維持できなくなる。=相手を尊重する意識を失いやすい。
◎相手の意見が全て自分に対する批判に思えてくる
相手が自分の意見に対して譲歩しているのに、それに気づく精神的余裕を失ってしまう。または相手の譲歩を素直に受け入れられなくなる。
(何か裏があるのではないかと疑ってしまう。)
◎他人に同意を求めたくなる
他人がどう思おうと正しいことは正しいのに、他人にもそれを同意してもらわないと不安になりやすい。強いては自分の意見を周りの他人に強要してしまう。また、他人からの意見で自分のものに似た意見に対し、過剰に反応し、それに乗じようとしてしまう。自分の意見を自分で立証、維持できない。
(それだけの行動力がない。)
これはある特定の人達を指したものではけっしてありません。むしろ私自身の心の中の客観を表現したものとも言えます。私自身がこのような日本人であると言っても過言ではありません。しかし、私自身この会議室を通して、ディスカッションの難しさと、パソコン通信(フォーラム)への失望を味わった事をここに記したいと思います。人々の心に善意というものがあらんことを祈ります。
◆QYZ02666 くらぶ もばNo.11 とむとむ(^-^)/ ◆
--- with TOSHIBA SS-R575
CASIO RX-10
NEC MC-K1 etc...
----------------- 引用終り------------------------------------------------
あえて署名は残しました。NiftyServeがあったころ著者には転載の了解は取ったのですが。
何か問題があったら連絡ください >> とむとむ さん
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