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2012年8月29日 (水)

野村の「人生ノート」 & 采配

野村の「人生ノート」 野村克也・野村克則 日本文芸社
Photo

采配 落合博満 ダイヤモンド社
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 どちらも教訓となる考え方(ボールドになってる)を核に3、4頁(2,000~2,500字)にまとめているので非常に読みやすく、テーマ毎に完結しているので通勤途中の読書に適していて、前者にはストーリーは無くアラカルト的、後者はストーリーがある。

 訴えたいこと・重要なことをボールドにするのが流行っているらしく、バラエティ番組の字幕のようで鬱陶しいという人もいる。どこが重要と感じるかは読者に委ねるべきだという主張である。(斜め読み対策か?)

 これらの本は、最初に取り上げる一文(ボールドの部分)を決めてから無理やりビジネスの話にこじつけているような感じは拭いきれない。(ライタの腕次第か?)、1テーマが2,000字程度なので話に奥行きがない(←ちょっと抽象的か?)厚みがない。(←おなじだ)

 これらの本はビジネスマン向けだと思うが、編集者はちょっとビジネスマンをバカにしてはいないだろうか。

それはさておき中身の話
野村前監督は

「一流より「超二流」の選手の存在が大切」
「「超二流」は頭を使って必死に努力すれば、誰でもなれる」

といい
落合前監督は

「できる・できない両方分かるリーダーになれ」

という。両氏ともに下積みからの努力があったから這い上がって長い間一流のプレーヤーでいられたということだと思う。

 両氏とも選手として野村流にいえば超一流である。野村流にいう超二流ではないと思う。
野村前監督は、三冠王1回、本塁打王9回、打点王7回であり、方や落合前監督は三冠王3回、首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回である。
これだけの実績を残せたのは決して二流の素質+努力ではないと思う。非凡な先天的な素質+努力があったのではないだろうか。

 野球業界は、一流選手は指導者としての力量に関わらず監督をやることが多いが、 監督という職業は、後天的な能力が重要だから、現役時代に努力した者と努力していないもの差が明確に表れるのであろう。
 その努力の結果得られた教訓が本の中で紹介されている訳だが、自己啓発本大好き人間はどこかで聞いたことがある教訓が多い。

 人生において成功の特効薬はなく言い古されてきた教訓を如何に理解し、如何に実践できるかが重要であり、その答えは、落合前監督の「采配」P280の、「俺のやりかたは、おまえのやり方ではない」の最後に書いてあった 

[采配],P283
技術、仕事の進め方というものには
「絶対的な基本」がある。
しかし、「絶対的な方法論」はない。

具体的な方法論は自分で見つけるしかなということだ。


 それは真実だ。
けれど...ならばこれらの本の存在意義はなくなってしまうのではないか?
この結論に至った過程・葛藤が書いてあれば参考になると思うのだが。(満足なインタビューしていないのか?)
 これらの本が想定しているターゲットはどんな人なのだろうか?

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