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2012年8月17日 (金)

誰かが助けてくれる

一生懸命に取り組んでいると何故か助けてくれる人が現れる。

 昔話である。
職場の「発明考案コンクール」に応募するために、静止画を無線で伝送する装置を作ろうとしていた。ビデオカメラで撮影した画像を、キャプチャしてJPEGで圧縮して無線回線で伝送するというものである。
 当時、手元にあったのは、PCとビデオカメラだけだったので、キャプチャボード、無線機-PCのI/F、画像圧縮プログラム、伝送プログラムを作る必要があった。
 先ずキャプチャボードを作ろうとして挫折した。NTSCに関する知識も足りなかったし、音声帯域のA/Dコンバータは使ったことがあったけどビデオ帯域は扱ったことがなかったので無謀といえば無謀だった。
 キャプチャした画像は無線で伝送するので24bit/pixでは厳しい、圧縮方法を調べたらJPEGという規格があってこれを使うとかなり圧縮できるらしいことが分かった。今では、JPEGに関する情報は書籍でも、ネットでも簡単に見つけることができるし、フリーのライブラリもあるが、当時田舎では資料を見つけることができなかった。(インタフェース誌がJPEGの特集をしたのは数年後)
 とあるメーカのキャプチャボードにJPEGライブラリが付属していることを知り、これらを使うと作れそうな気がしたが、購入する金がない。
 職場のコンクールに応募するとはいえ予算は少ないし、JPEGの規格も入手できないで八方ふさがりになっていたとき、前の部署で勤務していたときの上司が、PC98用のキャプチャボード+I/Fbox+JPEGライブラリの予算を付けてくれた。
「こんなに製作費もらっていいんですか」と聞く私にその上司は「できない奴のところに予算を付けても仕方がない」と言われた。
 その後なんとかその装置を完成させてコンクールに出品し、無事最優秀賞を貰った。
予算を付けてくれた元上司は既に退職されている。退職される前に本当に完成すると思って予算を付けてくれたのか尋ねておけばよかったと思っている。

 30歳を過ぎてからUNIXの勉強を始めた。
UNIXの存在は知っていたが当時触ったこともなく、UNIX、ワークステーションという響きに漠然としたあこがれを持っていた。
 異動したとき隣の部署にはSUNとAIXがあったが自由にさわれる環境ではなく、UNIX-magazineやUNIX-Userを読んで妄想していた。1995年頃だったかPC9801でBSD386が動くのを知り、PC98NC(386SX20MHz)にインストールしようとしたらSCSIのHDDしかサポートしていない。
 調達を担当していた先輩にそんな話をしたら、340MBの外付けSCSIディスクと98NOTE用SCSIアダプタを買ってくれた。
結構高かったので「本当に買ってくれるの?」と聞くと「他の人は、買うだけ買っで使ってないんだから、本当に使う人の為に買えばいいんだよ」と言ってくれた。
 おかげで、誰に気兼ねすることもなくUNIXを使うことができるようになった。
隣の部署のSUN SS20とは比べものにならないが、時間がかかるmakeもリブートも自由にできたのでずいぶんUNIXやネットワークの勉強になった。
 それまでは無線屋さんだったのだが、当時ネットワークやUNIXの知識を持った者が少なかったので、この関係の仕事に鞍替えし現在に至っている。
 その先輩は残念ながら若くして他界されたので、本当にモノになると思って買ってくれたのか尋ねることはできない。

 この2人に出会わなければ、今の自分はなく違った仕事をしているのだろう。
それなりに歳を重ねたが、一生懸命やっている人を助けることが{できる|できている}のだろうかと思う。

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