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8052BASIC(2012/9/30)SBCを配線する際にサンハヤトのICB-055を使った。
RAMとROMはCS,OE,アドレスの一部を除いてパラに配線すればよいので、手配線する場合にはこのシール基板を使うと配線がとても楽だ。
ところがICB-055は販売終了品で秋葉のパーツ屋でも見なくなった。楽天のショップにあったので注文したら、メールが来て「販売終了品のためお取り扱いできません」だって。百も承知である。
何の当ても無くパーツ屋巡りをしていたら偶然見付けてしまった。ラジオセンター2Fの山長通商にあった。(もうないかもσ^^)が買ってしまったから)
G/Wは出掛ける予定は無いので何か作ろう。
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ラジオセンターのページにラジオセンターの歴史のページに古い写真↓がある。
ICB-055を買った山長通商は秋葉原電気街の祖、故山本長蔵氏が興した会社らしい。
故山本長蔵氏の功績はミマツ音響のサイトにある秋葉原の歴史の「秋葉原誕生」やラジオの昭和史のサイトにある「秋葉原電気街」に紹介されている。
いわれのないクレームを受けたときに、「おまえは悪くない」と言うか、「なぜクレームをうけるようなことをしたんだ!」と言うかは、論理的判断力以前の問題ではないのか。
おまけに、まるで怒る(叱るではなく)ネタを探したかのように、クレーム以外のことまでクドクドと。
ミスを無くするのが目的ではなく怒るのが目的になってるのではないのか。(よ)
「舞妓のことば」(2013/4/17)は新人の育成がテーマで、この本は花街全体のシステムについて述べた本である。「舞妓のことば」ではあまり触れられていなかった、置屋・茶屋の経営者(お母さん)の育成について、興味があったので読んでみた。
舞妓は年齢的制限から早期育成する必要があるので、1年間の見習い期間後現場投入して先輩の舞妓、芸妓、置屋・茶屋のお母さんなど花街全体がOJTで育てる。
一方、置屋・茶屋のお母さんは、舞妓、芸妓の経験者らしい。置屋・茶屋のお母さんを育てるのは客や花街ということであろうか。
舞妓、芸妓の経験から、もてなしの心と具体的な行動を学び、周りから教えてもらうことの重要性や自ら学ぶ習慣が重要であることを理解しているので、置屋・茶屋のお母さんになったときに、直接指導されることがない客や花街全体から学び成長することができるのであろう。
また、置屋、茶屋の数が少なく新規参入の障壁が高いため、花街全体としては、お母さん候補の選定や育成に時間がかけられる。
花街の
という育成システムは理想的に見えるが、300年以上かけて培った花街の空気があるから可能なのであろう。
このシステムを真似ても一朝一夕に同じような育成システムを作るのは困難なのかもしれない。
4/21 NHK Eテレのスーパープレゼンテーション再放送は、短いプレゼンテーションが2本。
ウィリアム・カムクワンバ氏の「僕がどうやって風をつかまえたか」
ミシュキン・インガワーレ氏の「血液を採らない血液検査」
スーパープレゼンテーションのページに動画がある
本家TEDTalksにある動画(字幕付)は
ウィリアム・カムクァンバ: 私がやって見せた風力発電
ミシュキン・インガウェル:採血なしの血液検査
若い2人のプレゼンを聞いて、
と思った。
ウイリアム・カムクワンバ氏の「やってみて、そして作りました」、
ミシュキン・インガワーレ氏の「できると思ったから作った。でも動かなかったので32回作り直しました」
はいいなあと思う。
知識はテストの点数を稼ぐためでなく、問題を解決するために、何かを作り・造り・創り出すために使うべきだと思う。
一流の職人に学ぶ人づくりの流儀 榎園豊治 日本能率協会マネジメントセンター
「見えないもの」をどうやって伝えるかという内容。
結論は
本当の師匠は自分の中にある。弟子も、師匠も
ということか
師匠と弟子が共に成長するには「師匠と弟子が大いなる目的を共有する」ことが必要であると榎園氏はいう。同じ職場で偶然出会った者が単に上司・部下の関係になるか、はたまた師匠・弟子の関係になるかは、ここで決まるのかもしれない。
実際は(ウチの職場では)師匠としての成長の時間もなく弟子を育てる時間も無い現場が多いような気がする。早期育成という言葉だけが独り歩きしている。
伝達される能力の量は
能力の伝達量 = 教える側が持っている能力 × 教える側の教え・伝える能力 × 教えられる側の学ぶ能力
である。
教える側(師匠)は業務遂行能力(腕前)の他に教え・伝える能力が必要である。教えるべき知識・技術などの能力が無いのは論外だが、教え・伝える能力がなければ伝わらない。
「仕事は見て盗め」や「背中で育てる」が、榎園氏がいう「教えるために教えない」であればよいのだが、単に教え・伝える能力がないことの言分けであることは多い。
教えられる側(弟子)に教え・伝えられる能力が付いてきて、教えられる準備ができたのを見計らう必要があるが、この見極めもまた教え・伝える能力である。
異動間隔が短い職場では、教えられる準備ができるまで待つ時間的余裕がない。異動してきた新しい上司が必ず教え・伝える能力を持っているわけでは無い。人材育成に関するスキルがマネージャ昇進の必須要件でないからである。
早期育成などと言っていること自体、師匠と弟子が大いなる目的を共有し、共に成長することを期待していないのだから。<<愚痴だね
MONOistに連載されている心技隊流「未来を創るヒント」の
という記事を読んだ。
心技隊事務局長の伊藤昌良氏が言うように何かの資格で喰っていけるという考えは思いっきり幻想だ!
「資格とは足の裏についたご飯粒のようなもの。取らないと気持ち悪いが、取っても喰えない」
とはよく言ったもんだ。
資格というのは、現在のスキルを証明するもではなくて、過去に資格に関する記憶をしたことがあることを示すものでしかないよね。
マル覚えで資格を取った者より資格は無いけど自ら学習するスキルを持っている者の方が今後の成果を期待できるだろう。でも取得した資格は客観的に示すことができるけど、自ら学習するスキルを客観的に示すことはとっても難しい。
これまではそんなことは先刻承知で、資格持っていようがいまいが一から教育していたんだけど、今時そんな余裕は無くなってしまった。で、今更採用担当のオジサンに真にポテンシャルを持っている応募者を見極めろって、そりゃあ無理ってもんだ。
採用担当のオジサンがボンクラなら、天下り団体がくれるナントカ認定も認定料というお布施を払って貰っておくというのは合理的な行動かもね、ほら、神社で拝んでいるときに隣で拝んでいる人が自分より多くお賽銭を入れるとシマッタと思うじゃない。
先ず資格信仰のエライ人の頭の中を変えて、人を見る目を持った人を採用担当にするんだろうね。
あっ、その前に人を見る目を持った人を育てなければならないか...(よ)
物を作る職人は作った物が人前に出して恥ずかしくないレベルにならないと一人前にはならないから修業期間が長い。最低10年とよく言われる。
舞妓は研修期間(仕込み)1年の後に舞妓と呼ばれるようになり、一人前とはいえなくても現場に投入されるので、置屋・茶屋のお母さん、先輩の舞妓・芸妓さんなど街全体で成長をフォローする仕組みがあるのだろう。
この本で取り上げられている例はOJTにより訓練を受ける側(仕込み、舞妓)の心構えに関するものが多い。OJTの効果を上げるためには、OJTを受ける側が能動的・積極的であること、OJTをする側(先輩、女将、花街)が目標と手段を明確にしていることが必要である。
花街では舞妓をどう育てるかは長い歴史から明確(しきたり)であるから、OJTを受ける側(仕込み、舞妓)の意識をいかに変えるが問題である。
見習い時期に意識を変えることにより、見習い終了後後輩を育成するという意識が高くなり(育ててもらった恩義)、良好なOJTの連鎖が構築されているのだろう。
育成期間に十分なOJTを受けていない者は、自力で技能を修得したとの驕りが生じる。(過去自分もそうであった。)自力で技能を修得したと思う者は、後輩に対して適切なOJTができず、組織全体でのOJTの連鎖が途切れてしまうのではないか。
OJTの連鎖が切れた組織は、教育・訓練の成果を受講者個人に求め、「OJTという名の放ったらかし」になる。
今時の”早期戦力化”や”早期育成”を分かりやすく言うと「丁寧な新人の教育はしません」という意味だ。1年の研修期間で現場に投入し、OJTによりスキルを向上させるという育成方法は早期戦力化を真面目に考えている職場では参考になりそうだ。
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東洋経済オンラインにこの本の元になった記事がある。
(第1話)舞妓さん育成の秘密
(第2話)舞妓さんのもっとも大切な3つの言葉
(第3話)舞妓さんの「多面的な気遣い」を育む言葉
(第4話)舞妓さんのモチベーションを高める言葉
(第5話)舞妓さんの「間違いから学ぶ姿勢」を育てる言葉
ココログアクセスランキングのバグはまだ治っていなかったらしい。
前回(2013/01/17)は18870位だったのだが、今回は前々回(2012/10/31)と同じ1位だ。
アクセス数は4/10は123、4/11は110、4/12は114なので、7,599位→12,572位→1位はどう見てもおかしい。
同じバグなら1位になるほうがいいよね。
この本も学生向けか。文字が大きく1ページの文字数が少ないのですぐに読める。
福島原発事故の際にエライ先生達の説明が分かりにくかったことを例に
平易な言葉で説明できない理系と
科学的思考ができない文系
という件がある。
よくある対比構図だけれど、説明が分かるためには、
が分かる必要がある。
よく考えると。平易な言葉で用語の概念を説明できない人は文系理系に関係無くいるし、説明の論理構造が矛盾していたり崩壊していたりする人は文系にも理系にもいる。
日本語は常識を説明しない言語なので、自分が常識だと思っている専門用語を相手に説明しないところに問題があるのではないか。
平易な言葉で説明すると、専門用語の概念は、分かり易く説明することができるかもしれない。しかし、説明するべき論理構造が変わるわけではないので論理構造を理解できない人はやはり理解できない。
「一生懸命説明してくれたのは分かるけど、内容は分からない」になってしまう。
そこで、 厳密でなくても分かった気にさせる説明が必要になることもあるのだけれど、相手が分かった気にさせる説明をしているなと感じるとちょっとヤな感じがする。「君には分からないだろうけどね」感が出ていると理解以前の問題になる。
若い人たちには、説明する相手と常識を共有するレベルで説明するようにとアドバイスしている。
例えば、「アパッチが落ちた」をIT技術者と軍関係者に説明すると全く違う意味に取られる。”アパッチ”はIT技術者の常識ではhttpdだが、軍関係者の常識では攻撃ヘリAH-64なので、IT技術者は、「Webサーバ用のプログラムが終了した」と思うし、軍関係者は、「攻撃ヘリが墜落した」と思うだろう。
自分はというと、最近文系の人たちの前で喋ることが多く、専門用語で誤魔化してはいないつもりなのだが、今日は上手く喋れたという感じがいまいち無い。
担当の方は「大変参考になりました」と仰るのだが、そこはKYの悲しさで、その言葉が本心か気遣いなのか分からない。
アンケートなどのフィードバックを頂けると参考になるのだが、アンケート結果はスクリーニング(日本人的気遣い)されているような気もして疑心暗鬼状態である。
他の研修でも喋ってほしいという依頼があったので「何言ってるのかチンプンカンプン」ってわけではなさそうだ。ちょっと安心した。
今すぐに役に立たないことでも、 経験のないのことに自らの意志で取り組んでいると、将来役に立つ。
「明日までに何とかしろ!」のよう仕事をしなければならないことがある。
期限が極短く設定された仕事を期限内に解決するする力は、言うなれば、「技術的な瞬発力」である。 「技術的な瞬発力」が必要な仕事は知識・経験を総動員して取り組む必要があって、自分が持っている知識・経験の総量が多くなければ解決できない。
知識・経験の総量が少い者はどう頑張っても、このような仕事はできない。
NETを利用すると容易に知識を得ることができる。
人間が大量の知識を記憶しなくてよい時代になったのだけれど、経験はNETから得ることはできないので、いくら検索が上手になったとしても、瞬発力が必要な仕事はできるようにならない。
経験値を増加させることが重要であるのだけれど、ともすれば、他人の経験談(知識)で自分の経験値が増えたと錯覚してしまう。
経験は失敗することで学ぶことが多い。
誰かが書いた手順書やマニュアルのとおりに作業して成功しても経験値は増えない。失敗して、その原因、解決方法を自らの頭で考えてそれを克服することで経験値が増えるのである。
職場で「開発改善コンクール」を毎年やっている。
応募作品をみると通常業務が忙しいんだろうなあという作品ばかりだ。やっつけ仕事感、やらされ感が溢れている。審査員も遊び心がなく明日から使えるものという観点で採点する。今すぐに役に立たないオモシロいものでも将来性や洒落で選ぶという粋を持ち合わせている審査員も少数だ。
エライ人達もそのあたりを感じているのか、課題を設定しようかという案があるのだけれど、課題は今すぐ役に立たないけれど10年後を見据えた課題でなく、近視眼的な課題を考えているようだ。
エライ人たちの思いどおりにならない方に3000点である。
若かった頃何度かこのコンクールに応募したことがある。
当時はハードウェア部門にエントリしていて、今すぐに役に立たないことを学ぶ良い機会と考えて、新しいデバイスや、使ったことの無いデバイスを使うことを心掛けていた。トラ技等に掲載された回路を頂いて(パクって)アレンジすればお茶を濁すことはできるがオモシロくない。
今、現場ではオモシロイを追いかける余裕は無いのだろうけれど。
なにか創るなら、周りの人や審査員に「ヲヲ」と言わせるオモシロイ物を創りたいものである。いますぐには役に立たないとしても。
個人的なプロジェクトを考えていて、その準備も兼ねて識者の方にお話を伺った。
人見知りなので、しらふで話すのは苦手なのだけれど 気が付くと4時間話していた。
久しぶりにスイッチが入った感じだ。やる気の半減期は3日なので3日以内に行動しよう。
できるかできないかではなくて、やるかやらないか。 > じぶん
行き当たりばったりではなくて、ブレッド・ボードで作ってみることにした。
ソースをコンパイルしてavrdudeで m88 を指定して書き込もうとしたら、シグネチャが違うと怒られる。
ATMEGA88のシグネチャは 1E 93 0A だけど 検出したデバイスのシグネチャは1E 93 0F だぜ
と言ってる。
調べてみると、1E 93 0FはATMEGA88Pのシグネチャだそうだ。ATMEGA88とはシグネチャが違っていて、未だavurdude.confにATMEAG88Pのエントリがないらしい。 FAQみたいだ。
親切な人がこのサイトでavrdude.confに追加するコンフィグ(m88p)を公開してくれている。
コンフィグをDLして avrdude.confに追加して、m88pを指定するとちゃんと書けた。
が、動いてないようだ。
InfraHIDのソースはATMEGA8用だったのだがATMEGA8が無かったのでピンコンパチでフラッシュが同じ容量のATMEGA88を使うことにした。
ATMEGA8とATMEGA88は同じ機能が割り当てられているレジスタが変わっていたり機能が追加されていたりと結構変わっているようだ。
AVR094: Replacing ATmega8 by ATmega88
や
AVR512: Migration from ATmega48/88/168 to ATmega48P/88P/168P
を参考にしてソースを変更した。
(Atmelはリンク先がコロコロ変わるので、"AVR094"や"AVR512"で検索した方がよいかも)
完全に変更できていないのだろう。
不具合を見つけてちゃんと動くようにするのが楽しいんだよね。 ^^;)
径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なり
この言葉は、天台宗の開祖最澄が書いた「山家学生式」の冒頭にある言葉で、高校のとき通学路にある寺の掲示板で初めて見た記憶がある。
長く、
社会の片隅で自分にできる精一杯の努力をし続けたらよい。
ほどの解釈をしていたのだが、この解釈は卑屈にすぎるので好きではなかった。
何年か前に、NHKの地球ドキュメント ミッションで、最後に田坂広志氏がイギリスの出演者に贈った言葉が「一隅を照らす此れ則ち国宝なり」であった。
(このブログに詳しい)
この時ようやく、
自分が属する組織・社会のあるべき姿を理解したうえで、自分ができることを精一杯やる。
(自分が属する組織・社会とは、家庭、会社、サークル、地域、国、地球など)
ことだと分かった。
自分が照らすことができる”隅”は高が知れているけれど、全体を見ているのと、その”隅”しか見ていないのでは雲泥の差があるということか。
ここにすごく分かりやすい説明があった。
ビジネス書を読んでもデキル人にはなれない(2013/3/20)で紹介されていた、今時のビジネス書が行き着くという古典の内の1冊を読んでみた。
欧米の自己啓発本にありがちな説教臭い内容かと思っていたら、意外にもすんなり読めた。そういえば、どこかで読んだことがあるような気がする。(こちらが本家だけれども。)
「第三の習慣 重要事項を優先する」の重要度と緊急度のマトリクスは、そこここで引用されている。個人的にかなり拡張された解釈を聞いたこともある。
重要度/緊急度 | 緊急 | 緊急ではない |
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重要 | ・危機や災害、事故、病気 ・締め切り直前のタスク ・クレームへの対応 ・直前に迫った会議の資料づくり |
・人間関係づくり ・体力づくり ・スキルアップ(自分を磨くこと) ・準備や計画 ・適度な息抜き |
重要ではない | ・無意味な電話やメールへの対応 ・突然の来訪への対応 ・多くの会議 ・無意味な接待やつきあい ・多くの報告書 |
・暇つぶし ・長時間、必要以上の息抜き ・だらだらとした電話 ・世間話 ・その他、無意味な活動 |
「忙しい、忙しい」というのが忙しい言い訳大王(2013/3/1)は、第I領域と第III領域をやっているから忙しいのだろう。
新年度になったことだし、初心に戻って「忙しい」を禁句にして、第III領域をやらなくて済むように、第II領域をやろうと思う。
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