一隅を照らす
径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なり
この言葉は、天台宗の開祖最澄が書いた「山家学生式」の冒頭にある言葉で、高校のとき通学路にある寺の掲示板で初めて見た記憶がある。
長く、
社会の片隅で自分にできる精一杯の努力をし続けたらよい。
ほどの解釈をしていたのだが、この解釈は卑屈にすぎるので好きではなかった。
何年か前に、NHKの地球ドキュメント ミッションで、最後に田坂広志氏がイギリスの出演者に贈った言葉が「一隅を照らす此れ則ち国宝なり」であった。
(このブログに詳しい)
この時ようやく、
自分が属する組織・社会のあるべき姿を理解したうえで、自分ができることを精一杯やる。
(自分が属する組織・社会とは、家庭、会社、サークル、地域、国、地球など)
ことだと分かった。
自分が照らすことができる”隅”は高が知れているけれど、全体を見ているのと、その”隅”しか見ていないのでは雲泥の差があるということか。
ここにすごく分かりやすい説明があった。
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