資格信仰
MONOistに連載されている心技隊流「未来を創るヒント」の
という記事を読んだ。
心技隊事務局長の伊藤昌良氏が言うように何かの資格で喰っていけるという考えは思いっきり幻想だ!
「資格とは足の裏についたご飯粒のようなもの。取らないと気持ち悪いが、取っても喰えない」
とはよく言ったもんだ。
資格というのは、現在のスキルを証明するもではなくて、過去に資格に関する記憶をしたことがあることを示すものでしかないよね。
マル覚えで資格を取った者より資格は無いけど自ら学習するスキルを持っている者の方が今後の成果を期待できるだろう。でも取得した資格は客観的に示すことができるけど、自ら学習するスキルを客観的に示すことはとっても難しい。
これまではそんなことは先刻承知で、資格持っていようがいまいが一から教育していたんだけど、今時そんな余裕は無くなってしまった。で、今更採用担当のオジサンに真にポテンシャルを持っている応募者を見極めろって、そりゃあ無理ってもんだ。
採用担当のオジサンがボンクラなら、天下り団体がくれるナントカ認定も認定料というお布施を払って貰っておくというのは合理的な行動かもね、ほら、神社で拝んでいるときに隣で拝んでいる人が自分より多くお賽銭を入れるとシマッタと思うじゃない。
先ず資格信仰のエライ人の頭の中を変えて、人を見る目を持った人を採用担当にするんだろうね。
あっ、その前に人を見る目を持った人を育てなければならないか...(よ)
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