昭和史 1926-1945
官僚的組織と意思決定(2013/9/8)を書いた後に、この本を読んだ。
軍隊は官僚組織でなければ戦争はできない。官僚組織だからピーターの法則の縛りを受け、各階層はほぼ無能レベルに達した者で埋め尽くされる。
開戦に至る経緯における問題は、司令部が現場を制御できなかったことであり、この本にも無能レベルに達していたと思われる人物が多く登場する。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも無能レベルに達している人物が多く登場するので明治時代から官僚組織の弊害があったのだろう。
「官僚組織と意思決定」では、格階層が無能レベルに達した者で埋め尽くされたとしても現場に有能な者がいれば組織は機能すると書いた。
福島では、現場の責任者が上層部の命令を無視して独自に海水注入の判断を行ったことで日本を救ったが、この前の戦争では現場の責任者が上層部の命令を無視・軽視し多くの悲劇が生まれた。
各階層が無能レベルの者で埋め尽くされた場合、下層より上層部が無能になることの方が影響が大きい。東電しかり、参謀本部しかり、軍令部しかりである。しかし、現場の責任者が無能レベルに達していた場合も悲劇が生まれる。
話は変わって、人の能力とやる気という2つの観点で考えると、無能でやる気が無い者は論外だが、組織に最も被害を与えるのは、無能でやる気のある者である。
東電、陸海軍だけでなく官僚組織では、現場より中央を重視しており、無能レベルに達していない者は中央に集められることが多く、無能レベルに達した者が現場責任者に就く可能性は高い。
無能でやる気が無い責任者の場合、部下の有能な者が的確な判断を下すことは可能であるが、無能でやる気がある責任者の場合、部下に有能な者がいたとしても的確な判断は下せない。
福島原発事故とノモハン作戦を比較すると、前者には、有能でやる気がある現場指揮官が存在し、後者には、無能でやる気のある現場指揮官が存在したということではないか。注目すべきは双方ともやる気はあったということである。
「死の淵を見た男」と「昭和史」を読んで分かったことは、
日本人は、採用、登用において「やる気」を過大に評価する傾向にあるが、後に無能レベルに達することを考慮すれば「やる気」を過大に評価することは極めて危険である。
ということ。
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