置かれた場所で咲きなさい
この本のタイトル「置かれた場所で咲きなさい」は渡辺和子氏が、岡山ノートルダム清心大学の学長で苦労しているときに、宣教師から渡された英語の短い詩の冒頭だそうだ。
その詩は続く
「置かれた場所で咲きなさい」
「咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いではなかったと、証明することなのです」
クリスチャンではないので正直理解できないなあ。
「径寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ則ち国宝なり」
も同じような意味だ。菩提寺は天台宗ではないけれど、こちらの方がしっくりくるなあ。
もう一つ引っかかった言葉は、
「価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる」
同じ意味のことは大勢の人が言っているが、その人の言葉が伝わるかどうかはその人の生き様しだいということか。
他人の言葉を受け取る準備ができた人は、その言葉を発した人の背景には関係なく言葉を受け取り自分のものにできる。例えば、幼児が発した言葉であっても、たとえ犯罪者であっても。
他人の言葉を受け取る準備ができていない人に対しては、その言葉を発した人の生き様は重要だ。 教師、指導者、宗教の聖職者は、他人の言葉を受け取る準備ができていない人に対しても働きかけなければならないので、生き様は重要だ。
渡辺和子氏の父親は渡辺錠太郎教育総監で、二二六事件で渡辺和子氏が9歳のときに目前で銃撃され犠牲となっている。この経験と聖職者の道を選んだいきさつについて知りたかったのだが、多くは語られていない。他の本も読んでみようか。
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