やる気の構造
やる気の構造 クレイア・コンサルティング株式会社 中島 治久 同文舘出版株式会社
クレイア・コンサルティング株式会社のサイトで全文pdfで公開されていたので(公開は終了したようです2016/9/7)、kobo auraで読んでみた。 経営コンサルタントの経験から、人材マネジメントや人事部の役割、あるべき姿について述べてある。
経営戦略をサポートするために人事部がすべきこととして、
- コア人材を育成する。
- 全社員の意識改革を行う。
が挙げてある。
今時は、人事業務の大半はアウトソーシング出来るようになったので、人事部は高度成長期のようにモラルの維持や労働力維持にかかるコスト管理だけやっていればよいというわけにはいかない。そこで、人事部が人材育成や意識改革を行う必要があるということか。
コア人材の育成には、業務に必要な能力(スキル)の他にリーダとして必要な能力(リーダーシップ)の習得・向上をサポートしなければならない。スキル獲得のサポートは比較的簡単で、場合によっては外注できるが、リーダーシップ習得のサポートは容易でない。しかも、これらのサポートは人事部だけがやればよいという問題ではない。
とここまでは一般論。
人材育成については、人も金もかけているのに人材不足と感じるのはなぜか考えた。
よく考えたら、人と金をかけているのはスキル獲得のサポートだけで、リーダーシップの習得についてはサポートしていない。自分もリーダーシップの習得についてサポートしてもらった記憶もない。いわば野放し状態である。
自助努力でリーダーシップを習得した者をリーダーにすればよいのだが、リーダーシップのないリーダーは、リーダーシップを習得した次世代のリーダーを選べないというジレンマに陥っているのではないか。
意識改革、風土改革の推進役は現場のリーダーだから、消えゆくのみのオジサン達は若い人たちがリーダーシップを習得するためのサポートをしなければならない。
立派なリーダーの薫陶を受けて次世代のリーダが育つというモデルは麗しいが、立派なリーダはそこらにゴロゴロ転がっているわけではない。しかし、若い人たちが優れたリーダーに育つのは、その人に元々備わっていた素質と努力によるもので、サポートしたオジサンの力量ではない。オジサン達は"触媒"のような存在ではないか。
ならば、リーダーシップの劣るオジサン達でも次世代のリーダーの成長をサポート出来るのではないだろうか。
ちょっと希望が見えてきた。
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