京セラ悪の経営術
この本は既に絶版になっているようだけど、電子書籍は購入することができる。ただ、epubやpdfでの供給が無いのでKoboで読もうとすると変換が必要になる。
内容は、京セラに途中入社した瀧本忠夫氏の当時の上司に対する悪口と、その上司と京セラが補助金の不正受給、保険金詐欺を行ったという暴露本である。 富士通やソニーの暴露本を読んだことがあるが後味はあまりよくない。この本も同様だ。
会社組織としての京セラに関する記述は瀧本忠夫氏本人が体験したことであるが、瀧本忠夫氏は稲盛和夫氏と対話したことがなく稲盛和夫氏に関する記述は伝聞か推測である。
暴露本は暴露した人の個人的な感情や伝聞が含まれているので鵜呑みにするわけにはいかないが、後味の悪い本を読むのだから何か普遍的なことを得たいものだ。
富士通暴露本では「成果主義の限界」、ソニー暴露本では「創業者の意思を維持することの困難性」について考えた。
この暴露本で考えたことは「職場への適応」である。
途中入社するとその職場の特異なところがよく分かる。これは異動で職場を変わった時も同じである。このとき、違和感を感じながらもその職場に適応出来る人と適応できない人がいる。例えば、後者は瀧本忠夫氏、前者は瀧本忠夫氏の元上司であろう。
適応できる人と、できない人の違いは、その人の資質や性格ではなく、その人が持っている「働くことの目的、目標」で決まるのではないだろうかと思う。
目的が、高額の給料を得たい、その職場で高い地位に就きたいであれば、その職場の特異なことや違和感に適応することは目的を達成するための目標になりえる。しかし、働くことの目的、目標によっては、違和感に適応することが目標を達成することの手段になりえないことがある。
瀧本忠夫氏の場合、目的がソーラーカーの普及、目的が地球温暖化の鈍化であったため、京セラの風土に適応することを目標の達成のための手段にすることができなくなり、京セラを退職したということだろう。
身近な例で考えると、ウチの職場に異動してくる人は容易に職場に適応しているように見える。
組織に所属することが目的になっていなければよいのだが。
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