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2014年9月11日 (木)

京セラフィロソフィ

京セラフィロソフィ 稲盛和夫 サンマーク出版 

 京セラフィロソフィは、もともと経営者のために書かれたもので、これをマニュアルと捉えるか教科書ととらえるかでかなり差がある。

マニュアルと捉えれば従業員管理用に使える。
教科書と捉えれば経営者自身の意識向上に使える。

マニュアルと捉えるなら

 哲学を完全に理解しなくても、行動はできるし行動することによって理解が深まるのは事実である。行動規範が書かれた冊子を持ち歩くことで哲学に則った行動を促す方法は多くの企業が実践している。例えばスターバックスのグリーンエプロンブックやクレドリッツ・カールトンなどだ。

 ところが、冊子は哲学から離れてマニュアル化しやすい。
 行動規範の意味を理解することは難しいので、とりあえず冊子に書かれた行動だけ行うようになる。そして、悪貨は良貨を駆逐し、哲学は理解されないまま冊子が「経典」になる。

 東京ディズニーランドでは「いらっしゃいませ」と言わず「こんにちは」と言うのは有名な話である。
型どおり「こんにちは」というのと、「いらっしゃいませ」ではお互いに挨拶ができないから「こんにちは」と言うことを理解して「こんにちは」と言うのでは大きく異なる。

 「学ぶこと」は「覚えることではない」ことは、少し考えれば分かることだが、学ぶことをせず、覚えてきた者は、たいていマニュアルを要求する。

 覚えれば何とかなる、覚えるならエッセンスが詰まったマニュアルを覚えるのが近道だ、思っているから。

 覚えた方がテストの成績が良いなら、学ばずに覚えるようになるのは、道理である。人と水は低きに流れる。オジサン達が昔学んでいたかと問われると、自信を持って「学んでいた」という自信はない。昔から要領のいい奴は覚えていた。

 そのマニュアルが化石にならず「生きている」ことが重要であろう。金科玉条ではなくマニュアルを使う人が日々更新できる。「生きている」状態にしておく必要がある。

 確立されているように見える京セラフィロソフィをマニュアルとして扱うのは危険だ。

閑話休題

 京セラは元祖ブラック企業と言われているようだ。
いくら稲盛和夫氏といえどもグループ企業を含めて7万人近くの従業員に京セラ哲学を理解、実行させることは困難だろう。でも、理解させなくても実行させることはできる。

 そもそも哲学は一朝一夕に完成するものではないし、他人の哲学は容易に理解できるものでもないから、稲盛和夫氏が長年かけて築いた京セラ哲学を従業員全員が理解しているとは考えられない。

 立派な哲学を確立したリーダーがいたとしても、その組織のほとんどは意味も分からず従っているだけかもしれない。だからといって、その哲学がブラックでないし、哲学を実践するような取り組みをしていることもブラックとは言えないだろう。

 稲盛和夫氏は自身の哲学を実践できるのだろう、少なくとも実践する最大限の努力ができるだろう。だからといって、稲盛和夫氏が創った京セラという会社全体が京セラ哲学を実践できるということにはならないと思う。

 京セラはグループ企業を含めて従業員7万人弱だが稲盛和夫氏×7万ではない。しかし、会社として京セラ哲学を理解し実践する努力をしているのだろう。
 この努力が大きいほど、哲学が理解できない、哲学に同意できない人には、居ずらい会社になるのだろ。

 日本人の多くは対立する意見に関して目先の衝突を避ける。
哲学は人の根本に関わることだから目先の衝突を避けていても、いつか衝突が避けられない事態になる。
 その時には、人間関係や社会的責任などのしがらみが抜き差しならない状況になっていて、心の病気になったり、退職せざるを得ない状況になるのではないか

 借り物の哲学でなく、自分哲学を持つこと、少なくとも譲れない行動規範について考えるが必要だろう。


ついついフィロソフィをフィソロフィと書いてしまう。 (^^; (2014/10/8)

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